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片岡義男と秋山唱。

に 田中有史 が投稿

《片岡義男》

彼のオートバイ、彼女の島

ブックストアで待ち合わせ

ボビーに首ったけ

幸せは白いTシャツ

アップルサーダーと彼女

僕のハートがNOと言う

一日中空を見ていた

10セントの意識革命

ロンサム・カウボーイ

愛しているなんて、とても言えない

ジャックはここで飲んでいる

スローなブギにしてくれ

無人島へ連れて行くひと

彼女はグッドデザイン

スターダスト・ハイウエイ

波乗りの島

海まで100マイル

波乗りの島

頬寄せてホノルル

街からはじめて旅へ

8フィートの週末

一日中海を見ていた

いい旅をと、誰もが言った



《秋山唱》

男は黙って、サッポロビール。

愛は食卓にある。

野菜から、食べる。

都市とマヨネーズ。

サラダ化現象

メカニズムはロマンスだ。

ただ一度のものが、僕は好きだ。

120マイルを過ぎると、エンジンの音だけでは寂しすぎる。

父は本を持って家を出た。僕はランナウエイと汽車に乗る。

20才までに、僕はいくつ河を渡るだろう。

その先の日本へ。

精神力だけでは、テープを切れない。

僕の食堂は、24h空いている。

人は、人を思う。

時は流れない。それは積み重なる。

時代なんか、パッと変わる。

僕は誰にも似ていない。

遠い日のような、今日。

緊張ではない、解放するスポーツだ。

ANA!は、若い。


比べてみて、と、ワシなんかが言うのはおこがましいが。

こうやって書き出してみて、あらためて、おふたりのカラダの中から出てくる言葉はカッコイイ。

共通項といえばアメリカということかもしれないが、それはあまり関係ないだろう。たまたま、おふたりの好きな世界観がそうなだけなのだろう。

とにかく、言葉に無駄がない。余計な飾りがない。ストレートに届く。

まちがいなく、すべてのひとが同じシーンを思い浮かべる。イメージを意図とは違う世界の外へ、拡散させることがない。

そして、読んでみたい、買ってみたい、言ってみたい、好きになりたい。という、モチベーションの引き金になる。

コミュニケーションというか、言葉での伝達にいちばん肝心なことがすべて詰まっている。伝える言葉、注意を引く言葉の、見本中の見本だ。


なにを伝えるべしかという意思があり、その意思をじぶんのカラダやイメージという消化器官を通過させ、無駄なことをすべて吸収して排泄すると、こうなるのだろう。

どうしても、無駄な飾り、つまりレトリックをプラスしないと書いた気にならないのはまだまだ未熟な証なのだろう。

つまるところ、言葉を発する人間の問題だ。

広告の言葉を生業にしていて、消費者という移り気な対象に惑わされ、ひたすら追いかけているようでは、一過性の『言葉屋』で終わってしまう。そういうことなのだ。

追いかけるのは、狙い撃つのは、人間のハート中心なのだ。


言葉のディテールは違っているかもしれないが。

先日、Sぐちさんが「ユージさん(彼の言い方は漢字でなくカタカナなのだ)のコピーは、コンセプチャルですよね。そこの、太いところでスバッと切ってますよね。」と、言ってくれた。それは、じぶんのスタイルだし、目ざしているところなので、そう評してもらってうれしかった。

で、今日、わかったことは、まだまだカッコ良さが足らないのだ。オトナの言葉になっていないのだ。人間のハートを射抜けていないのだ。


そう言えば、秋山さんは「コピーは僕だ。」と、おっしゃった。


今朝、ふたりの共通点にハタと気がついて、十分でないけど、少しだけでも稚拙な考察できてよかったと思う。


今日からまた、精進しよう。




手近な目標を攻略してみる。

2017/07/07 16:31 に 田中有史 が投稿

人間の田辺ひゃくいちくんが「腰の低い巨匠」というキャッチフレーズを贈ってくれた。レッテルを貼ってくれたといってもいいかな。コンセプトは気にいってはいたけど、『巨匠』はじぶんには似合わないと思っていた。じぶんの良さを見つめたときまず、平均点の高さがある。作ってきたものは100点を連発できなていないけど、60点以下のものはない。け60点以上もそんなにたくさんはない。(笑)

言えることは、すべてが作品集に乗せられるレベルってことかな。プロの条件とは、つねづね、いつでも60点をとれるひとと言っている身としては、まさにじぶんのことだと思う。でも、ホームランや長打は多くない。ほとんどないかな。(笑)でも、ぜったい、塁には出る。振り逃げでも塁に出る。若いひと、とくに、大手の代理店のようなところにいないひとには、そのことを念頭において欲しい。大手代理店やフリーランスのスーパースターに憧れるのはよいし、モチベーションにするのもよい。でも、現実と未来をよく凝視して欲しい。

恥ずかしながら、ワシがやっているようなやり方やポジショニングを研究してみて欲しい。
フツーに長くやれている人間、フツーのトクベツにいる人間を目標にせよって。そんなこと、某養成講座も、どこのCCも言わないよね。言えない?だって、ヒエラルキーを作ることやトクベツを作ることでで、成立させているビジネスモデルだもん。こういう月源には抵抗勢力もあるし、反論もあると思う。でも、あえて言います。なんかやりたい、もっとやりたいと、もがいている若いクリエイターに。もっと身近な目標を研究してみては、と。ワシなんかやっていることにヒミツはないし、すぐに、底が割れるから。でもね、そこそこやってます。やれてます。やってきました。これからも、やっていきます。そこを研究せよということです。そしたら、きっと、少しラクになれるし。ラクになって肩のチカラが抜けると、安打も出やすくなるよ。つまり、いまよりもよいものが作れると思うのです。

いいものとは、なんだろう?どこも大切です。自分の中に「じぶんにとってのいいもの、自分が許せるいいもの」のハードルを持ってみましょう。それを超えたものしか出さないと決めてみましょう。基準がないと、なにがいいのかは見えないし、いいものはできません。
じぶんのハードルは、こうです。『クライアントの問題を解決するためのコンセプトはあるか、そのコンセプトを伝える企画・コピー・表現になっているか、受け手にとって面白く感じるか・興味を引くか。そして、オリジナリティがあるか、書いた本人が面白がれるか』です。

恥ずかしながら、書いてみました。
フツーのコピーライターが、少しだけアタマを使って、フツーよりも少しだけよい結果を出してきたことを、研究してみてくれたら、見えることは、いっぱい、あると思うよ。

ブランディングは手法ではない。戦略だ。

2017/06/22 14:57 に 田中有史 が投稿

「得意分野はブランディングです」と、平気で標榜しているデザイナーあるいはCDがいる。
その点には、けっこう違和感がある。というか、間違っていると思う。
ブランディングは手法ではない。
専門書にもちゃんと「ブランドに対する共感や信頼など顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略の1つ。
ブランドとして認知されていないものをブランドに育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し、活性・維持管理していくこと。 また、その手法。」とある。    

じぶん自身、長く続けている広告主が多く、それなりの結果を出していると、いつの間にか「ブランディングが得意」と評価されている。
便利なので、それを否定してこなかった。それにより、同種の仕事が増えている。入り口は必ずといってよいほど「ブランディングしてください」
「ブランディングしたいけど、上手くいかない」という相談からはじまる。

最近とみにだが、そうくくられること、仕事がそこからはじまることに抵抗感がある。

けっきょく、錆びないアイデア、しかもオリジナリティと汎用性を持つアイデアの発見と、それを長く持ち続けること。
そこにつきる。分野やカテゴリーに関係ないく、それがよい結果をうむことになる。

クリエイティブとは「ちょっとした工夫である」「しかも、オリジナリティのある、ちょっとした工夫である」「そして、クリエイティブとは、それを続けていくことだ」
と、糸井さんがどこかに書いていた。最近ますます、その思いを強くしている。
クリエイティビティのないところに信頼も成功もない。結果もない。ますます、シンプルに、そう、考えていきたい。
そうでないとコモディティ化の波に飲み込まれるだけで、資本力のあるところに勝てない。つくり手も、広告主もだ。

いまはブランディングの時代、ソーシャルの時代、地方の時代とカテゴライズしたり、特定の分野に光を当てたがるのは、
誤解を承知で言うと、広告代理店、
マーケッターやコンサルタントの営業戦略であると思う。

ものごとは、本質のアイデア、しかもクリエイティビティのあるアイデアなら、長く使えるし長く使うことで、
ブランディング効果もあがるし、ソーシャルな効果も生み出す。地方も活性化する。まちがいなく。
大量投下爆弾みたいな予算でやらないなら、それがいちばんの方法だと思う。

ということで、得意の分野なんかない。
得意なのは錆びないアイデアの発見と、それを長く使い続ける戦略(コンタクトポイントの設計)である。
と、最近はいうことにしているのです。






こんな男です。

2017/06/12 19:51 に 田中有史 が投稿

ご予算のない仕事ほど、楽しくやる。
達成感のあるところまで高める。

予算がないから簡単に済ませてくださいというくらいなら、そんなもんなら作らんでもええということ。
そう言う本質的なことがわからないひととは仕事がしにくい。
そのくせ、広告主のつまらん訂正をそのまま聞いて来て伝えてくる。それは、そのひとにとってはラクかもしれないが、
それをやってしまうことで達成感が得られなくなるのが嫌なのだ。
そんな訂正はしないほうがいい、あるいはこうやったほうがいい。そんなやり方でずーっと、長くやっている。
だから、長くやれているのだとも思う。

母校のパンフレット。一昨年、在校生相手のイベントに登壇する機会があり、卒業以来のご縁ができて、昨春に作らせてもらった。対価はいただいたが、公立校なので、広告予算などない。校長先生、教頭先生、事務長さんをはじめ同窓会の方々が、いろんなところに掛け合って工面してくださった。
もったいなくて自分の懐にはいれられない。もっとも、入れるほどの額ではないとも言えるが(失礼!)。でも、そのお金には誠意が詰まっている。ワシの感覚だと、この場合、お金を受け取ったら、じぶんがじぶんに負けたということになる。したがって、全額、デザイン事務所に支払った。もちろん、まったく足らない額だけど、彼らも気持ちよく仕事ができて、良いものができたと喜んでくれ、金額のことは一切言わず、気持ちよく受け取ってくれた。
今年は2年目になるので増刷したい。そのときに、文中のひと文字を修正したいと事務長さんから連絡があった。
こんなとき、本質がわからん相手だと、申し訳ないのでこちらで修正するからデータをくれとか言ってくる。ひどいのになると、すでに勝手にいじってしまっていて承諾もなかったりする。本当の申し訳ない行為というものがわかっていないのだ。
さらによくない思考の持ち主の場合。せっかく仕事が成立したのに、2年目で予算が減りましたから、とても田中さんに頼めませんと、べつのひとに頼んだりする。これは、最低のケース。やるかやらないかは、こちらが決める。一緒に成立させたという仲間意識が皆無なのだ。まして、予算がないからという理由で断ることは断じてない。断るのは、生理的であったり、人間としてだったりという、もっとべつの堪え難い理由があるからだ。それをさも気遣いのように言うてくるのは、ホンマに子供騙しもいいとこなのだ。「仕事のとっかえはいくらでもあるけど、友人のとっかえはない」のだと信じる、ワシという人間をまったく理解していない。
それは、マネー本位という、金がすべての判断基準という、そのひとの考え方なのだ。
仕事やギャラよりも、大切なのは人間関係ということが、わからんひとなのだ。

話がそれてしまったが、『ひと文字の修正。いくらかかるか言うてくださいね。』と、連絡があった。それが、フツーの感覚だ。
ビール一本と、お返事しときました。(笑)

さらに、印刷会社は昨年と同じだし、一色だし、いまどき、なんだかんだと理屈をつけて色校正をすっ飛ばしたい広告主は多い。なのに、『せっかく、良いものを作ってもらったので、色が変わらないよう、ちゃんと色校正をあげて届けます。』と、連絡があり、昨日、送られて来た。
丁寧でもなんでもない。
それがフツーの感覚のはずなのに、ひと文字やから、こちらでやります。今回はギャラがないので、簡単にチャチャッとやってもらえますか。なるべく色校正はなしでお願いできませんか。広告は「わたしはあなたと違います」いう差異化作業がすべてだと理解していないのだ。そこがわからんひとに関わる広告は、ハッキリ言って効果は出ないし、ブランディングからは程遠いのだ。そんなひとたちが多勢になると、フツーのひとが貴重になる。

ワシはいつも、貴重な側にいたいと思う。
それが、個人で仕事をする原点だと思うからである。そうでないと、会社を飛び出した意味がないとも思うからである。

組織論と本質論はときとして、相見えない。忖度は、良い方に転ぶと美徳だか、間違った方向に振れると、独裁者を生む。

最後は話がすり替わってしまった。(笑)

日本のメッシ。

2017/05/22 20:49 に 田中有史 が投稿

日本のメッシ。韓国のメッシ。イングランドのメッシ。

いったい、世界中に何人の「000のメッシ」がいるのだろうか。才能があって、これから世界のサッカー界のリーダーになりそうな選手をフォワードなら「CR7」か「メッシ」に例えるとわかりやすい。でも、ちゃんと見ると久保くんは久保くん。メッシとはプレーのスタイルが全く違う。
スターをつくるとわかりやすいし、聴視率があがったりスポーツ新聞や雑誌も売れるのかもしれない。でも、それは画一化やパターン化の元凶だ。カテゴライズしてそこを持ち上げることで、またたくまにその分野は陳腐化する。コモディティー化が進み、けっきょく、次から次に、新しい「くくり」を追い続けることになる。最近のマーケティングなどにも同じことが言える。言葉の言い回しを追い続けているだけで、ひとの営みなんか変わってはいない。
同じようなことをわれわれ広告の分野でも感じる。妙なスターシステムや流行りのカテゴリーづくりに違和感を感じる。各種年鑑を見ると「傾向と対策」だらけだ。同じような顔のものばかりだ。広告の第一義である「私はあなたと違います」という、差異化を忘れたようなものばかりが掲載されている。そうすることで年鑑への応募も増えるし、人気も保てるのかもしれないけど。

「傾向と対策」で光を浴びても、大半のその光はすぐに消える。光り続けているひとは独自のメソッドとアイデアの視点がある。人生100年時代。一瞬の輝きも大事だけど、長く光り続けるということ。そこに目を向けないといけないのではないのかしら。
サッカーなんか時代が変わり戦術が変わっても、ボールを前に運びゴールにボールを蹴り込むだけのスポーツだ。
広告も乱暴に言えば、目立って、話題になって、モノが売れればいいだけなのだ。ただ、いまは、SNSでの拡散という現象ばかりに結果(ゴール)を求め過ぎだとは思う。
売れるという、シンプルな結果にコミットすることは大切だと思う。そう考えると、コミュニケーションの設計は大きく変わると思う。表現やメディア以外の、新鮮んな解決方法が見つかるんだと思う。

ある方のコメントへの返信。

2017/03/06 23:00 に 田中有史 が投稿

先輩がおっしゃっていることは一般的な法人論ですよね。たぶんイトイ事務所もずっと法人だったでしょうが、今回は上場です。ワシは記事の中にある「ひとが欲しい」という言葉に刺激を受けています。ゲームを開発しだした頃から「プロデュースあるいはプロジェクト」へ、モノづくりをシフトしてはると思うですよね。いまは、スタッフが書いたコピーもみないとどこかに書いてましたもんね。
話が逸れましたが、ブランドかわ言われだしてからのモノづくりは「クリエイティブ型(見え方作り志向)」と「プロジェクト型(ムーブメント志向)」に大きく分かれると思うのです。
社会や行政から受け入れられやすいとい点で趨勢としては「プロジェクト型」なんですよね。そこにインターネットという巨大な集音マイクとインターネッット的という視点を組み合わせた先進性というか、先見性が天才的だと思うんのです。ワシにはとうてい真似はできないけど「プロジェクト発想」していくために「ひと(仲間)が欲しい」と最近強く思っています。
最近じぶんがずーっと考えていることの整理ができた。
ありがとうございます。

いろんな人がいて、いいんだ。

2017/03/05 0:28 に 田中有史 が投稿

今日はなぜか、こんな言葉が浮かんだ。

先日メビック扇町で開催した「APA×JAGDA×OCC」のイベントは、各団体から3つの世代ごとにスピーカーが登壇して、それぞれの仕事観を話し合うものであった。
OCC(大阪コピーライターズクラブ)からも30代、40代、50代の方が登壇した。
30代の大手広告代理店の女性は、会社で「デジタルに強くなれ」と言われるけどひとりくらいデジタルに弱いひとがいてもいいかなあと思っているという。
40代のフリーの男性は、求人というところからスタートして中小企業の経営といところに興味を持ちそこに深く入り込んだクリエイティブを手がけているという。
50代の男性は編集中心に仕事をするかたわら、映画のプロデュースをしたり、本まで出版していまい、タジオ番組を持ち、1年の大半は旅の空だという。

そのイベントの少し前にメビック扇町であった「児島玲子さんのトーク」では、じぶんというフィルターを通した、彼女にしか書けない見事なコピーの数々に改めて感心した。
3団体のイベントでは、同業のコピーライターだけでなく、3世代のデザイナーやカメラマンの多彩なというか個性あふれる話が聞けた。

広告界(コピー界?)にはずーっと妙なスター主義みたいなのがあって、たしかにいまもいい広告(いいコピー)を作りたいというよりは、あんな人になりたいとか、
手がけた仕事が有名になることでじぶんも世にでることを望んでいるようなひとが多い。それは、業界だけでなく業界誌やセミナー主催者の姿勢もあるのだけど。
個人的にはそこがすごく嫌だ。(嫌だった)
でも、その風潮はずいぶん薄れたなあと、10人のひとの話を聞いて感じることができた。

じぶんが面白がれることがいちばん。いろんなクリエイターがいる方がおもしろい。いろんなひとがいるから、業界が面白くて。いろんなひとが集まる。

みんなが同じ方向(カテゴリー)や同じような立ち位置(スター性)を目ざさない方がおもしろい。そんな流れが来ているように思う。

そういうじぶんはどうだ?「ブランディングが得意」という作り手にカテゴライズされてしまっていないか?
そうなると、個性的(オリジナリティのある作り手)には見られていないということになる。
カテゴリーの中での上手い下手の競争に巻き込まれてしまい、けっきょくコモディティ化の波にのまれてしまうことになる。

潮目が変わってきた。そこは歓迎すべきことだ。
あとは、コモディティ化の波に飲み込まれないようにするには、どうするか。それはじぶんでじぶんを面白がること。あるいはじぶんがおもしろがれることしかしないことだろう。

じぶんの潮目もこの歳にして(この歳だからこそ)変えていかないと、毎日は面白くならないと思う今日このごろである。


矜持

2016/10/08 19:16 に 田中有史 が投稿   [ 2016/10/26 16:54 に更新しました ]

「矜持をなくした時点でプロではなくなる。」

今朝、そんなフレーズが浮かんだ。
矜持を持ち続けていられる間はいくつになってもプロだとす仮定るならば、けっきょく、手とアタマを動かすことではないかと思う。
手とアタマを動かさずに、指示や判断だけをクリエイティブディレクションとは称さない。
クリエイティブディレクションの仕事が増えているが、手とアタマを動かすために、そこもやっていると考えようと思う。

あと何年、矜持を持ち続けられるか。それは意志の問題ではなく、結果の問題だろう。
今日、大切なプレゼンがある。ことがうまく運べば、また、新しい事例が生まれるだろう。「新しい事例」を生み続ける限り、矜持は持ち続けることができる。
矜持ありきではなく、結果が矜持となる。逆もまた真なり。

5月19日(木)

2016/05/19 5:04 に Yohta Tanaka が投稿   [ 2016/05/19 5:05 に更新しました ]

今日、TガーTガークリエイティブを訪問させてもらった。

N脇さん、O林さんと、有意義な話しができた。


その中で互いが納得しあった言葉。

「ど真ん中を考える。」

「ど真ん中のない表現は脆弱だ。」

「ど真ん中で考えた言葉は繰り返し使ってもすり減らない。」


ブランディング、ブランディングと、流行り言葉のようになっているけど。

湯水のように広告を垂れ流せる企業以外は(って、もう、そんな時代では遠になくなっているけれど)、

その企業や商品にとっての、ど真ん中の考え方を続けることが、ものを売るとか、効果を出すとか、

イメージを作るとかの、いちばんの道だということで、意見は一致した。


いま、それだけ、ど真ん中でやれていない企業や商品(広告と言うべきかもしれないけど)が、多いということだろうか?


うちなんか、ブランディングが叫ばれる以前から小さな企業ばかりがクライアントだから、繰り返し使い続けられる考え方をまず発見し、

そこから表現を開発し、世界観を構築することをやってきた。

それしか、方法論はなかったし、それしか、効果を出せない予算規模のクライアントばかりだった。


だからだろうか。

ブランディングが得意ですと標榜しているデザイナーや、

広告表現を変えただけでブランディングしているという言い方には、納得できないし、違和感がある。


すり減らない考え方を発見し、そこから導き出した表現を使い続ける。

それが、結果としてブランディングになる。

じつに、シンプル。


本日は実りの多い1時間であった。

感謝多々!

4月5日(火) 「じぶんのブランディング」

2016/04/04 23:07 に Yohta Tanaka が投稿   [ 2016/04/04 23:07 に更新しました ]

仕事でブランディング、ブランディングと言っているわりに、じぶんのブランディングはしっかりとできているだろうか?
ホームページのトーン&マナーしかり。フェイスブックでの発言しかり。
まして、やった仕事ほどブランディングに影響するものはない。
仕事を選んで発表するほど仕事があれば良いが、さもなくば、仕事を選ぶということは大切だ。
仕事をあからさまに選ぶことはビジネスに差し支えるケースも多い。
ならば付き合うひとを選ぶ。
仕事は自分でやっているつもりでも、けっきょくはひとがやらせてくれるものだと思う。
ひととは、仕事をくれるひとと、仕事を一緒にやってくれるひとである。
ワシはどちらが大切かと言えば後者だと思う。
たとえば、あなた。仕事を組んでいるパートナーを代えてくれとクライアントから言われたとき、仕事とパートナーと、どちらを選びますか?
ワシは間違いなくパートナーを選ぶ。
仕事の取っ替えはいくらでもあるけど、大切な友人の取っ替えはできないです。パートナーは友人です。
ワシが競合を嫌いな理由に、競合はパートナー選びであるはずなのに、ディテールで選ぶクライアントが多すぎるというのがある。
大切なパートナー、友人をディテールなんかで選べるわけがない。
そのひとの人格で選ぶべきものだ。
人格とはつまり、そのひと自身の本質と見え方の総体だ。
ブランドイメージということだ。だから、自分ブランディングは大切だ。

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