ADバイス




弱者のサッカー、弱者のクリエイティブ。

2017/11/15 21:37 に 田中有史 が投稿

ハリルさんがいま志向しているサッカーは「弱者のサッカー」だと思う。あのサッカーをやるためには、「メンタルが」いちばん大切だ。「デュエル」だ「「フィジカルコンディション」だという言葉が流行り言葉のようにもてはやされているが、あのサッカーの本質は「どこかで寝首をかいてやる」「絶対に諦めない」という征服されたものの戦い方だ。日本でなかなかうまくいかないのは、征服された経験のない(第二次世界大戦の降伏はあるけど、ちょっと特殊)日本人にあのサッカーを根付かせるには、根本的な思想教育、メンタル教育が必要だ。ワシの見方では、そのメンタルと「遊び心」は非常に似ている。いま外されている本田、香川、清武、宇佐美、岳、岡崎といった選手が日本人ではいちばん「遊び心」がある。だから、彼らにいかにしてハードワークをさせるか(本当はプロなんだからできると思う)が、ワールドカッップで日本が躍進するカギであろう。
ひるがえって、あのサッカーを見ていて、じぶんが長年やっている広告作法が「弱者のクリエイティブ」と呼んでもいいのではないかと、最近思っている。じぶんがやったいえる広告主はけっして大きなバジェットが使える規模ではない。マス媒体なんか使えない企業がほとんどだ。その中で、いかに「差異化」していくか、差異化を続けることで、「差異化力」を獲得し「識別力」を強めることで「ブランド力」を醸成しブランディングしている。「お金を使わず、知恵をつかう。」「転んでも、タダでは起きない。」「使えるものは、親でも使う。」「制約を逆手に取る。」その結果、「わたしは、あなたと違います」ということを日々積み重ねていく。業界紙や業界を目指す若者たちは「広告代理店のスター」や「業界のスーパースター」ばかりを見ているけど、そこには憧れはあっても、同じ土俵に乗らない限り、マネできるようなことははない。「星になるな、星になれ」とはなかなか現実にはできない。
もっと「弱者の戦い方」を知るべきだ。そこが見えたら、どんな仕事でも楽しめるし、効果は出せると思う。広告の役目が「わたしはあなたと違います」ということをやっているだけだと、正しく理解できたら、じぶんがいる立ち位置、じぶんにくる依頼主の規模やバジェットを逆手に取った「弱者のクリエイティブ」を磨くべきだ。そうすれば、仕事は楽しめる。仕事が楽しめるということは、その仕事は続く。続くということは広告主と良い関係が作れる。つまり、結果が出る。それは好循環を生み、ブランディングになっていく。ブランディングってシンプルに考えたらそういうことだ。カッコいい広告やマークをつくることではない。オリジナリティのあるものを、工夫して、毎日楽しんで続けていく。そのことだ。
スターは憧れるだけにしておいて、ワシなんかがやっていることをもっと現実的なヒントと手本にしてほしいと思う。
そういう思いで、商店街で喋ったり、オフィスでミニ井戸端会議をやったり、ま、地道にノウハウを開示してるのです。

ネーミングセンス。

2017/09/15 19:48 に 田中有史 が投稿   [ 2017/09/15 22:33 に更新しました ]

昨日の「ミニ広告井戸端会議」でも、お話ししましたが、ネーミングセンスは大事です。いくらいい商品やお店を作ってもネーミングが良くなければ、気にしてもらえないし、興味も持ってもらえない。入り口としてだけでなく、本質的な機能をちゃんと持たせたネーミングは、確実によい仕事をしてくれる。


たとえば、FM802。

たしかにコンテンツやさまさまなプロジェクトもよいけど、成功のいちばんの要因はネーミングセンスだと思うのです。


ネーミング=周波数なので、ネーミングと周波数の両方を覚える必要がない。いまでは、ハチマルニで通じますまもんね。その他のラジオ局は名前を知っていても周波数を覚えていなかったら、チューニングできない。

それに、ラジオっていったんチャンネルを合わせるとなかなか頻繁には変えませんよね。

以前、FM局の仕事をしていたけど、少しでも存在感を際立たせようと頑張ったけど、この壁を超えるのはなかなか難しかった。シズル感と世界観のオリジナル性で巨人に挑んだけど、頂きは遠かった。

6次産業化や地域ブランド化において、ネーミングとパッケージデザインでいかに差異化するかということの必要性と大切さは土佐の怪人梅原さんが証明している。


われわれが手がけている菊太屋さん、冨美家さん、来月デビューするとっとり中部発信プロジェクトなどを見ていただきたい。





ライオン商店街。

2017/08/24 16:53 に 田中有史 が投稿

ライオン商店街!


しかし、凄いよね。


でも、なにか名物を作るということに特化するなら、これは、これで、ありよね。どこにもないって、やっぱり大切。

それに、宣伝や説明がしやすいもんね。


うちの商店街はライオンがいます。


ライオンがいる、あの商店街です。


ひと言で済むもんねえ。

理屈抜き。



片岡義男と秋山唱。

2017/08/20 17:44 に 田中有史 が投稿

《片岡義男》

彼のオートバイ、彼女の島

ブックストアで待ち合わせ

ボビーに首ったけ

幸せは白いTシャツ

アップルサーダーと彼女

僕のハートがNOと言う

一日中空を見ていた

10セントの意識革命

ロンサム・カウボーイ

愛しているなんて、とても言えない

ジャックはここで飲んでいる

スローなブギにしてくれ

無人島へ連れて行くひと

彼女はグッドデザイン

スターダスト・ハイウエイ

波乗りの島

海まで100マイル

波乗りの島

頬寄せてホノルル

街からはじめて旅へ

8フィートの週末

一日中海を見ていた

いい旅をと、誰もが言った



《秋山唱》

男は黙って、サッポロビール。

愛は食卓にある。

野菜から、食べる。

都市とマヨネーズ。

サラダ化現象

メカニズムはロマンスだ。

ただ一度のものが、僕は好きだ。

120マイルを過ぎると、エンジンの音だけでは寂しすぎる。

父は本を持って家を出た。僕はランナウエイと汽車に乗る。

20才までに、僕はいくつ河を渡るだろう。

その先の日本へ。

精神力だけでは、テープを切れない。

僕の食堂は、24h空いている。

人は、人を思う。

時は流れない。それは積み重なる。

時代なんか、パッと変わる。

僕は誰にも似ていない。

遠い日のような、今日。

緊張ではない、解放するスポーツだ。

ANA!は、若い。


比べてみて、と、ワシなんかが言うのはおこがましいが。

こうやって書き出してみて、あらためて、おふたりのカラダの中から出てくる言葉はカッコイイ。

共通項といえばアメリカということかもしれないが、それはあまり関係ないだろう。たまたま、おふたりの好きな世界観がそうなだけなのだろう。

とにかく、言葉に無駄がない。余計な飾りがない。ストレートに届く。

まちがいなく、すべてのひとが同じシーンを思い浮かべる。イメージを意図とは違う世界の外へ、拡散させることがない。

そして、読んでみたい、買ってみたい、言ってみたい、好きになりたい。という、モチベーションの引き金になる。

コミュニケーションというか、言葉での伝達にいちばん肝心なことがすべて詰まっている。伝える言葉、注意を引く言葉の、見本中の見本だ。


なにを伝えるべしかという意思があり、その意思をじぶんのカラダやイメージという消化器官を通過させ、無駄なことをすべて吸収して排泄すると、こうなるのだろう。

どうしても、無駄な飾り、つまりレトリックをプラスしないと書いた気にならないのはまだまだ未熟な証なのだろう。

つまるところ、言葉を発する人間の問題だ。

広告の言葉を生業にしていて、消費者という移り気な対象に惑わされ、ひたすら追いかけているようでは、一過性の『言葉屋』で終わってしまう。そういうことなのだ。

追いかけるのは、狙い撃つのは、人間のハート中心なのだ。


言葉のディテールは違っているかもしれないが。

先日、Sぐちさんが「ユージさん(彼の言い方は漢字でなくカタカナなのだ)のコピーは、コンセプチャルですよね。そこの、太いところでスバッと切ってますよね。」と、言ってくれた。それは、じぶんのスタイルだし、目ざしているところなので、そう評してもらってうれしかった。

で、今日、わかったことは、まだまだカッコ良さが足らないのだ。オトナの言葉になっていないのだ。人間のハートを射抜けていないのだ。


そう言えば、秋山さんは「コピーは僕だ。」と、おっしゃった。


今朝、ふたりの共通点にハタと気がついて、十分でないけど、少しだけでも稚拙な考察できてよかったと思う。


今日からまた、精進しよう。




手近な目標を攻略してみる。

2017/07/07 16:31 に 田中有史 が投稿

人間の田辺ひゃくいちくんが「腰の低い巨匠」というキャッチフレーズを贈ってくれた。レッテルを貼ってくれたといってもいいかな。コンセプトは気にいってはいたけど、『巨匠』はじぶんには似合わないと思っていた。じぶんの良さを見つめたときまず、平均点の高さがある。作ってきたものは100点を連発できなていないけど、60点以下のものはない。け60点以上もそんなにたくさんはない。(笑)

言えることは、すべてが作品集に乗せられるレベルってことかな。プロの条件とは、つねづね、いつでも60点をとれるひとと言っている身としては、まさにじぶんのことだと思う。でも、ホームランや長打は多くない。ほとんどないかな。(笑)でも、ぜったい、塁には出る。振り逃げでも塁に出る。若いひと、とくに、大手の代理店のようなところにいないひとには、そのことを念頭において欲しい。大手代理店やフリーランスのスーパースターに憧れるのはよいし、モチベーションにするのもよい。でも、現実と未来をよく凝視して欲しい。

恥ずかしながら、ワシがやっているようなやり方やポジショニングを研究してみて欲しい。
フツーに長くやれている人間、フツーのトクベツにいる人間を目標にせよって。そんなこと、某養成講座も、どこのCCも言わないよね。言えない?だって、ヒエラルキーを作ることやトクベツを作ることでで、成立させているビジネスモデルだもん。こういう月源には抵抗勢力もあるし、反論もあると思う。でも、あえて言います。なんかやりたい、もっとやりたいと、もがいている若いクリエイターに。もっと身近な目標を研究してみては、と。ワシなんかやっていることにヒミツはないし、すぐに、底が割れるから。でもね、そこそこやってます。やれてます。やってきました。これからも、やっていきます。そこを研究せよということです。そしたら、きっと、少しラクになれるし。ラクになって肩のチカラが抜けると、安打も出やすくなるよ。つまり、いまよりもよいものが作れると思うのです。

いいものとは、なんだろう?どこも大切です。自分の中に「じぶんにとってのいいもの、自分が許せるいいもの」のハードルを持ってみましょう。それを超えたものしか出さないと決めてみましょう。基準がないと、なにがいいのかは見えないし、いいものはできません。
じぶんのハードルは、こうです。『クライアントの問題を解決するためのコンセプトはあるか、そのコンセプトを伝える企画・コピー・表現になっているか、受け手にとって面白く感じるか・興味を引くか。そして、オリジナリティがあるか、書いた本人が面白がれるか』です。

恥ずかしながら、書いてみました。
フツーのコピーライターが、少しだけアタマを使って、フツーよりも少しだけよい結果を出してきたことを、研究してみてくれたら、見えることは、いっぱい、あると思うよ。

ブランディングは手法ではない。戦略だ。

2017/06/22 14:57 に 田中有史 が投稿

「得意分野はブランディングです」と、平気で標榜しているデザイナーあるいはCDがいる。
その点には、けっこう違和感がある。というか、間違っていると思う。
ブランディングは手法ではない。
専門書にもちゃんと「ブランドに対する共感や信頼など顧客にとっての価値を高めていく企業と組織のマーケティング戦略の1つ。
ブランドとして認知されていないものをブランドに育て上げる、あるいはブランド構成要素を強化し、活性・維持管理していくこと。 また、その手法。」とある。    

じぶん自身、長く続けている広告主が多く、それなりの結果を出していると、いつの間にか「ブランディングが得意」と評価されている。
便利なので、それを否定してこなかった。それにより、同種の仕事が増えている。入り口は必ずといってよいほど「ブランディングしてください」
「ブランディングしたいけど、上手くいかない」という相談からはじまる。

最近とみにだが、そうくくられること、仕事がそこからはじまることに抵抗感がある。

けっきょく、錆びないアイデア、しかもオリジナリティと汎用性を持つアイデアの発見と、それを長く持ち続けること。
そこにつきる。分野やカテゴリーに関係ないく、それがよい結果をうむことになる。

クリエイティブとは「ちょっとした工夫である」「しかも、オリジナリティのある、ちょっとした工夫である」「そして、クリエイティブとは、それを続けていくことだ」
と、糸井さんがどこかに書いていた。最近ますます、その思いを強くしている。
クリエイティビティのないところに信頼も成功もない。結果もない。ますます、シンプルに、そう、考えていきたい。
そうでないとコモディティ化の波に飲み込まれるだけで、資本力のあるところに勝てない。つくり手も、広告主もだ。

いまはブランディングの時代、ソーシャルの時代、地方の時代とカテゴライズしたり、特定の分野に光を当てたがるのは、
誤解を承知で言うと、広告代理店、
マーケッターやコンサルタントの営業戦略であると思う。

ものごとは、本質のアイデア、しかもクリエイティビティのあるアイデアなら、長く使えるし長く使うことで、
ブランディング効果もあがるし、ソーシャルな効果も生み出す。地方も活性化する。まちがいなく。
大量投下爆弾みたいな予算でやらないなら、それがいちばんの方法だと思う。

ということで、得意の分野なんかない。
得意なのは錆びないアイデアの発見と、それを長く使い続ける戦略(コンタクトポイントの設計)である。
と、最近はいうことにしているのです。






こんな男です。

2017/06/12 19:51 に 田中有史 が投稿

ご予算のない仕事ほど、楽しくやる。
達成感のあるところまで高める。

予算がないから簡単に済ませてくださいというくらいなら、そんなもんなら作らんでもええということ。
そう言う本質的なことがわからないひととは仕事がしにくい。
そのくせ、広告主のつまらん訂正をそのまま聞いて来て伝えてくる。それは、そのひとにとってはラクかもしれないが、
それをやってしまうことで達成感が得られなくなるのが嫌なのだ。
そんな訂正はしないほうがいい、あるいはこうやったほうがいい。そんなやり方でずーっと、長くやっている。
だから、長くやれているのだとも思う。

母校のパンフレット。一昨年、在校生相手のイベントに登壇する機会があり、卒業以来のご縁ができて、昨春に作らせてもらった。対価はいただいたが、公立校なので、広告予算などない。校長先生、教頭先生、事務長さんをはじめ同窓会の方々が、いろんなところに掛け合って工面してくださった。
もったいなくて自分の懐にはいれられない。もっとも、入れるほどの額ではないとも言えるが(失礼!)。でも、そのお金には誠意が詰まっている。ワシの感覚だと、この場合、お金を受け取ったら、じぶんがじぶんに負けたということになる。したがって、全額、デザイン事務所に支払った。もちろん、まったく足らない額だけど、彼らも気持ちよく仕事ができて、良いものができたと喜んでくれ、金額のことは一切言わず、気持ちよく受け取ってくれた。
今年は2年目になるので増刷したい。そのときに、文中のひと文字を修正したいと事務長さんから連絡があった。
こんなとき、本質がわからん相手だと、申し訳ないのでこちらで修正するからデータをくれとか言ってくる。ひどいのになると、すでに勝手にいじってしまっていて承諾もなかったりする。本当の申し訳ない行為というものがわかっていないのだ。
さらによくない思考の持ち主の場合。せっかく仕事が成立したのに、2年目で予算が減りましたから、とても田中さんに頼めませんと、べつのひとに頼んだりする。これは、最低のケース。やるかやらないかは、こちらが決める。一緒に成立させたという仲間意識が皆無なのだ。まして、予算がないからという理由で断ることは断じてない。断るのは、生理的であったり、人間としてだったりという、もっとべつの堪え難い理由があるからだ。それをさも気遣いのように言うてくるのは、ホンマに子供騙しもいいとこなのだ。「仕事のとっかえはいくらでもあるけど、友人のとっかえはない」のだと信じる、ワシという人間をまったく理解していない。
それは、マネー本位という、金がすべての判断基準という、そのひとの考え方なのだ。
仕事やギャラよりも、大切なのは人間関係ということが、わからんひとなのだ。

話がそれてしまったが、『ひと文字の修正。いくらかかるか言うてくださいね。』と、連絡があった。それが、フツーの感覚だ。
ビール一本と、お返事しときました。(笑)

さらに、印刷会社は昨年と同じだし、一色だし、いまどき、なんだかんだと理屈をつけて色校正をすっ飛ばしたい広告主は多い。なのに、『せっかく、良いものを作ってもらったので、色が変わらないよう、ちゃんと色校正をあげて届けます。』と、連絡があり、昨日、送られて来た。
丁寧でもなんでもない。
それがフツーの感覚のはずなのに、ひと文字やから、こちらでやります。今回はギャラがないので、簡単にチャチャッとやってもらえますか。なるべく色校正はなしでお願いできませんか。広告は「わたしはあなたと違います」いう差異化作業がすべてだと理解していないのだ。そこがわからんひとに関わる広告は、ハッキリ言って効果は出ないし、ブランディングからは程遠いのだ。そんなひとたちが多勢になると、フツーのひとが貴重になる。

ワシはいつも、貴重な側にいたいと思う。
それが、個人で仕事をする原点だと思うからである。そうでないと、会社を飛び出した意味がないとも思うからである。

組織論と本質論はときとして、相見えない。忖度は、良い方に転ぶと美徳だか、間違った方向に振れると、独裁者を生む。

最後は話がすり替わってしまった。(笑)

日本のメッシ。

2017/05/22 20:49 に 田中有史 が投稿

日本のメッシ。韓国のメッシ。イングランドのメッシ。

いったい、世界中に何人の「000のメッシ」がいるのだろうか。才能があって、これから世界のサッカー界のリーダーになりそうな選手をフォワードなら「CR7」か「メッシ」に例えるとわかりやすい。でも、ちゃんと見ると久保くんは久保くん。メッシとはプレーのスタイルが全く違う。
スターをつくるとわかりやすいし、聴視率があがったりスポーツ新聞や雑誌も売れるのかもしれない。でも、それは画一化やパターン化の元凶だ。カテゴライズしてそこを持ち上げることで、またたくまにその分野は陳腐化する。コモディティー化が進み、けっきょく、次から次に、新しい「くくり」を追い続けることになる。最近のマーケティングなどにも同じことが言える。言葉の言い回しを追い続けているだけで、ひとの営みなんか変わってはいない。
同じようなことをわれわれ広告の分野でも感じる。妙なスターシステムや流行りのカテゴリーづくりに違和感を感じる。各種年鑑を見ると「傾向と対策」だらけだ。同じような顔のものばかりだ。広告の第一義である「私はあなたと違います」という、差異化を忘れたようなものばかりが掲載されている。そうすることで年鑑への応募も増えるし、人気も保てるのかもしれないけど。

「傾向と対策」で光を浴びても、大半のその光はすぐに消える。光り続けているひとは独自のメソッドとアイデアの視点がある。人生100年時代。一瞬の輝きも大事だけど、長く光り続けるということ。そこに目を向けないといけないのではないのかしら。
サッカーなんか時代が変わり戦術が変わっても、ボールを前に運びゴールにボールを蹴り込むだけのスポーツだ。
広告も乱暴に言えば、目立って、話題になって、モノが売れればいいだけなのだ。ただ、いまは、SNSでの拡散という現象ばかりに結果(ゴール)を求め過ぎだとは思う。
売れるという、シンプルな結果にコミットすることは大切だと思う。そう考えると、コミュニケーションの設計は大きく変わると思う。表現やメディア以外の、新鮮んな解決方法が見つかるんだと思う。

ある方のコメントへの返信。

2017/03/06 23:00 に 田中有史 が投稿

先輩がおっしゃっていることは一般的な法人論ですよね。たぶんイトイ事務所もずっと法人だったでしょうが、今回は上場です。ワシは記事の中にある「ひとが欲しい」という言葉に刺激を受けています。ゲームを開発しだした頃から「プロデュースあるいはプロジェクト」へ、モノづくりをシフトしてはると思うですよね。いまは、スタッフが書いたコピーもみないとどこかに書いてましたもんね。
話が逸れましたが、ブランドかわ言われだしてからのモノづくりは「クリエイティブ型(見え方作り志向)」と「プロジェクト型(ムーブメント志向)」に大きく分かれると思うのです。
社会や行政から受け入れられやすいとい点で趨勢としては「プロジェクト型」なんですよね。そこにインターネットという巨大な集音マイクとインターネッット的という視点を組み合わせた先進性というか、先見性が天才的だと思うんのです。ワシにはとうてい真似はできないけど「プロジェクト発想」していくために「ひと(仲間)が欲しい」と最近強く思っています。
最近じぶんがずーっと考えていることの整理ができた。
ありがとうございます。

いろんな人がいて、いいんだ。

2017/03/05 0:28 に 田中有史 が投稿

今日はなぜか、こんな言葉が浮かんだ。

先日メビック扇町で開催した「APA×JAGDA×OCC」のイベントは、各団体から3つの世代ごとにスピーカーが登壇して、それぞれの仕事観を話し合うものであった。
OCC(大阪コピーライターズクラブ)からも30代、40代、50代の方が登壇した。
30代の大手広告代理店の女性は、会社で「デジタルに強くなれ」と言われるけどひとりくらいデジタルに弱いひとがいてもいいかなあと思っているという。
40代のフリーの男性は、求人というところからスタートして中小企業の経営といところに興味を持ちそこに深く入り込んだクリエイティブを手がけているという。
50代の男性は編集中心に仕事をするかたわら、映画のプロデュースをしたり、本まで出版していまい、タジオ番組を持ち、1年の大半は旅の空だという。

そのイベントの少し前にメビック扇町であった「児島玲子さんのトーク」では、じぶんというフィルターを通した、彼女にしか書けない見事なコピーの数々に改めて感心した。
3団体のイベントでは、同業のコピーライターだけでなく、3世代のデザイナーやカメラマンの多彩なというか個性あふれる話が聞けた。

広告界(コピー界?)にはずーっと妙なスター主義みたいなのがあって、たしかにいまもいい広告(いいコピー)を作りたいというよりは、あんな人になりたいとか、
手がけた仕事が有名になることでじぶんも世にでることを望んでいるようなひとが多い。それは、業界だけでなく業界誌やセミナー主催者の姿勢もあるのだけど。
個人的にはそこがすごく嫌だ。(嫌だった)
でも、その風潮はずいぶん薄れたなあと、10人のひとの話を聞いて感じることができた。

じぶんが面白がれることがいちばん。いろんなクリエイターがいる方がおもしろい。いろんなひとがいるから、業界が面白くて。いろんなひとが集まる。

みんなが同じ方向(カテゴリー)や同じような立ち位置(スター性)を目ざさない方がおもしろい。そんな流れが来ているように思う。

そういうじぶんはどうだ?「ブランディングが得意」という作り手にカテゴライズされてしまっていないか?
そうなると、個性的(オリジナリティのある作り手)には見られていないということになる。
カテゴリーの中での上手い下手の競争に巻き込まれてしまい、けっきょくコモディティ化の波にのまれてしまうことになる。

潮目が変わってきた。そこは歓迎すべきことだ。
あとは、コモディティ化の波に飲み込まれないようにするには、どうするか。それはじぶんでじぶんを面白がること。あるいはじぶんがおもしろがれることしかしないことだろう。

じぶんの潮目もこの歳にして(この歳だからこそ)変えていかないと、毎日は面白くならないと思う今日このごろである。


1-10 of 15

Comments