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第九部 古環境と人類

2011-02-23 22:05:17

第九部のはじめに

テーマ:第九部 古環境と人類

第九部 古環境と人類

 

第九部のはじめに

現在の人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)は今から約25万年前位から発生したと言われております。

現在は未だ、この空間を埋める資料はあまりありません。更に 人類進化説は取敢えず別にします。、

そこで 25万年の約1割の3万~2万年から3千年前を外洋海面水位からみた古環境と人類を推測してみたいと思います。それでは 始めましょう。

 

2011-02-23 22:46:50

3~2万年前の古環境と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(1)
3~2万年前の古環境と人類



「地層の知識 第4紀をさぐる」 著者 町田洋、森脇広 出版社東京美術

この時代は最後の大氷河期で長い冷涼乾燥期時代であり、外海洋の海面水位は現在の海面水位より120mも低い時代でありました。「ユーラシア回廊」で述べたように、現在の陸地より、幾分か多かったと考えられ、その代り南北緯度45度以上は万年氷雪地帯であり、「動物の棲息はありえなかった」と考えられます。
この環境の中で人類が棲息できる場所は限られており、人類の移動は少なかったと思われます。
この時代の人類の居住地をアフリカ中央部から鳥瞰的に観察してみたいと思います。それでは始めましょう。
当然アフリカ中央部に残った人もいたでしょうから、その人たちはAグループ(以下グループはGで表示します)、次にアフリカの西海岸に出た人達をB・Gとします。次にアフリカを北上しナイル川下流域にいた人達をC・Gとし、地中海沿岸南部にいた人たちをD・Gとします。当然地中海北部にいた人達もいますこれはE・Gです。
更にメソポタミアはF・Gです。ヨルダン河沿いをG・Gとします。
そしてアラビア半島(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)は大きな湖と森林と考えられここの人達又はこの周りにいた人々をH・Gとします。
次がインダス川流域の人達をIG(この中にはドラビタ族等は、すでに居住している。)とし、ガンジス川やメコン、メナム流域の人々をJ・Gとします。
次にインドシナ半島は現在の海面水位より120mも低かったので非常に大きな半島に変貌します。当然沢山の人々が居り生活環境も良かったと考えられます。この時代アメリカ大陸まで移動した人達がいたならこの場所が一番の最適地です。この人たちはK・Gとします。次が揚子江下流域です、ここも今と違って大陸棚は広く陸地化しており、非常に広い砂浜海岸があり、人々は豊かな生活を送っていたでしょう。この人々をL・Gとします。
ただし 揚子江はそのまま直線的に海には流れず、黒潮により 大きく北上し黄河河口と一つになっていたとも考えられます。次に黄河下流域です。ここには東シナ海に大きな湖があっても可笑しくはありません。この人たちをM・Gとします。
次は日本海(湖)は未だ封鎖されており、流れ出るだけであります。この湖の周辺に居住する人達はNGとします。
当然この下流は黄河に注がれたでしょう。
その次はアムール川(黒龍江)下流域とオホーツク海です。
この土地もベーリング海峡が閉ざされているため黒潮が北上し、冬は凍るが夏は大きな草原を現していたと考えられここに居住していた人たちをOGとします。現在のアムール河は北上してオホーツク海に注いでいますが、
この時代のアムール河は水量が多く、現在のウスリー川を逆流しウラジオストクで日本海(湖)に注いでいたとも考えられます。更に この時点で 海峡を渡って行った人達もいたかもしれません。この人たちをP・Gとします。
「なぜ渡って行く勇気があったか」と言う問いには、「動物が渡っていた」と見ていたような話もありますが、最近のテレビで「南の島のアホウ鳥がアリューシャン列島に現れ、また南の島に帰って来たのを確認した」と放送をしていました。

これで16地域に人類が生活していたと思われます。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-24 09:19:47

1万5千年前と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(2)
1万5千年前と人類
この時代はペプシサマールの時代に入ります。
気候は非常に熱いのですが、南北緯度地帯にある氷によって、人類には過ごしやすい時代だったと考えられております。
海面もー100mと上昇してきており。外海岸線の人達も少しずつ内陸に移動しています。
ここでの大きな課題はユーラシア内陸部に移動した人達をQ・Gとし、北ヨーロッパへ移動した人たちをR・Gとします。
地中海は サハラ砂漠に大きく広がり、南からはナイル川以外にも大きな川が流れており森林や草原が広がっていたと考えられます。もう一つ 地中海は 既に 例え外海(大西洋)と繋がっていても淡水湖です。
ボスポラス海峡とジブラルタル海峡は想像を絶する程の大きな滝となっております。

 

この時代の初夏の半夏生の時期には大雨により氷河が溶けて、非常に大量の水が流れていたと思われます。
気候変動的には 氷河は減る傾向にありますが、季節変動的には 冬になれば、山岳部等には降雪があり、氷河を形成します。当然 季節的モンスーンもあったと思われます。 念のため。今日は ここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-24 11:17:03

1万年前の古環境と人類

テーマ:第八部 東アジアの夜明け

古環境と人類(3)
1万年前の古環境と人類

ペプシサマールの時代はまだまだ続いております。1万年前 北アメリカ大陸のグレートレイクを丸呑みにするアガシー湖が決壊します。ユーラシア大陸も更に氷河が溶けゴビ砂漠やターリム盆地は大きな融水湖です

ここにいた人々をS・Gとします。外海面水位は-40m前後となり、ユーラシア大陸の大陸棚も縮小していきます。
この時代 東アジアでは黄河河口と揚子江河口は別々になっていたでしょう。更に黄海や渤海も出現を始めました。
ベーリング海もこの頃から夏の季節には北極海から海水が流れ出始めました。日本海には寒流が流れ込んでおり、(チノちゃんは疑問)更にこの後 対馬暖流が流れ込む寸前です。
この時代の課題はインドシナ半島の陸地が相当早い速度で海進化していたことです。
従ってここにいたK・Gはユーラシア大陸や他の島々へ移動したと考えられます。つまりオーストラリアへ移動した人達をT・Gとします。この時代のアメリカ南北大陸には人類の痕跡が認められているようです。
オーストラリアにもあり、アフリカ中央部のエジプトとスーダンの国境付近に人が泳いでいる壁画がありましたよね。「膨れ上がる地中海」エジプトでは 既にスフィンクス神殿と河岸神殿は出来上がっていたと
考えられ 当時は森林と草原に囲まれた豊かな時代と考えられます。チノちゃんとしては、ここに造られたニュウロングカレンダーは、外洋航海民族の文化ですので、文化が伝わっただけではなく、外海面にいた民族が内陸部に移住してきたものと考えます。その理由としては グラハム・ハンコック氏の本によると、麦栽培の農業方法が非常に優れていたと書かれていたからです。その本には具体的に何が優れていたかは書かれていませんでした。
しかし、チノちゃんの10年のニワカ百姓の経験から農業のレベルの差は歴然とあるものと確信しています。
更に東アジアの揚子江中・下流域の稲作文化もこの頃から動き出しているようです。
今日はここまで また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-25 23:25:52

7千年前の古環境と人類(4-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4)
7千年前の古環境と人類   

ペプシサマール終焉で温暖湿潤から温暖乾燥の切り替への時代です。
外海面は現在と同じレベルになりますが、外海面上昇(縄文海進)はもう少し続きます。しかし問題は、7,600年前のボスポラス海峡の逆流です。大陸内陸部は非常に乾燥してきており、エウスセイノス湖(黒海)が地中海より150mも低くなってきていたことです。この時点の地中海はジブラルタル海峡が明確ではありませんので、あくまでも地中海の水面とエウスセイノス湖との水面差となります。(フェイガン氏の本にはそこまで詳細には記載されていませんでした)同じように、ゴビ砂漠やターリム盆地の融水湖も干上がってきています。
次の問題はこの時の、アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)の状況でしょう。背後に氷河を抱えているアフリカ大陸の地中海やユーフラテス大陸 内陸部のエウクセイノス湖(黒海)、ゴビ砂漠やターリム盆地の融水湖は、湖が干上がって来たとしても、まだ季節的変動ぐらいしか感じていないと考えられます。
この時点の人類を見てみると、外海岸線の人々(B,F、I、J、K、L、M,N,O、のグループ)は大分内陸部(現在地)に後退していたと考えます。特にインドシナ半島の人々(K・G)はユーラシア大陸に異動した人もいたでしょうが、この地域のK・Gの大部分は色々な島へ移動していったと考えられます。島を渡りながら 南アメリカ大陸に渡っていても可笑しくはありません。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-03-21 12:59:38

7千年前の古環境と人類 (4-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4-2)

7千年前の古環境と人類 (2)

*北メソポタミア地方  ハラフ期(テル・ハラフ)
BC6千年期(8千年前) シリア北東部のハサカ県にある新石器時代の遺跡  トルコとの国境付近。
この遺跡からは幾何学文様や動物文様の描かれた釉薬の塗られた陶器が見つかっており、こうした特徴のある新石器文化は テル・ハラフの地名をとってテル・ハラフ文化と呼ばれる。
*北メソポタミア地方  ブラク期(テル・ブラク)
この遺跡には早くともBC6千年頃から小さな集落があったとされ、ハラフ文化に属する遺跡やその後に続くウバイト文化の遺跡が発掘される。この都市が形成されたのはメソポタミア南部のウルクと同時期か、それよりも若干早い、BC4千年初期からであることが 遺跡の古い層の調査(職業リストの出土)から明らかになった。
BC3千年の楔形文字文書はナガルの街が、レガント諸都市やアナトリアのタウル山脈方面の諸都市を結ぶ大きな中継地点だったことを物語る。
この遺跡で最も有名なのはBC4千期後半の「眼の神殿」と呼ばれるものである。BC3,500年~BC3,200年にかけて建設されたとみられる神殿からは雪花石膏(アラバスター)で造られた数百個の小さな像(胴の上に、首の代わりに二つの大きな両目がついている像で「眼の偶像」 ”eye idol”と呼ばれる)が出土しており、泥レンガで神殿が建設された時に、漆喰の中に塗り込められたものとみられる。
近年 最も劇的な発見はBC3,800年に遡る「二つの集団墓地」であり、都市化の過程と戦争とが結びついたことを示唆するものである。
*南メソポタミア地方  ウルク期
BC5千年の南メソポタミアのウルク文化は、シュメール人によるウルク第三王朝(BC21世紀)以前であり、古いことは歴然としているが大洪水(ノアの方舟伝説)以前となり、資料が確定されていない。
但し、ウルク第三王朝時代の建造とおもわれる”ジクラット”(日干しレンガで積層し、外壁を瀝青で仕上げた建物)の下にはレンガ造りの建物が18も埋もれていた。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-03-21 15:02:29

7千年前の古環境と人類 (4-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4-3)

7千年前の古環境と人類 3

北メソポタミア  ウバイト期  
BC5,300~3,500年 北メソポタミアの文化 新石器時代から銅器時代(テル・アル=ウバイド)灌漑農業、車輪の導入
1期 BC5,300~4,700年 イラク南部のペルシャ湾の海岸付近のみ、北のサーマッラー周辺のサマラ文化との強い     繋がりを持つ
2期 BC4,800~4,500年 大きな集落を中心に運河網が広く張り巡らされ、灌漑農業が発達
3期 BC4,500~4,000年 急速な都市化、文化の範囲も東方のザクロス山脈、南方のカタール、北ではハラフ文化に     置き替わった。  ウバイト文化の遺物は地中海沿いのシリアなどにも見つかっており
     交易網が伸展していたことがわかる。北部は石器が見られるが、南部は石がなく 葦や草を刈り取るための鎌も
     火で硬く焼いた土器で造られている。
社会構造的には、三種類に分類され
1、 北メソポタミアで開発された農産物を生産する農民
2、 家畜を追ってテントで暮らす遊牧民
3、 葦で作った家で暮らす漁労民に分けられる。
テル・アル=ウバイドの丘は比較的小さい
遺丘の大きさは南北500m、東西300m、地表から2mの盛土である。ニンフルサグ神殿やハファージャ遺跡は楕円形をなしている。ウル第三王朝には帆船も存在したと考えられる。
今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-27 23:11:45

5千年前の古環境と人類(5-1)

テーマ:第八部 東アジアの夜明け

古環境と人類(5)
5千年前の古環境と人類

 

この時代が一番難しいと考えられます。
だれか拠り所となる研究発表をしてくれると助かります。ここでは チノちゃんの拙い推測により始めます。
気候変動では冷涼乾燥から小寒冷期に向かっております。外洋海面水位は現在の水面より多少(3~5m)海進していたものが、海退に向かっています。この時代は気候変動というよりか、地域的な季節変動が影響していたようです。
つまり 地域的差により、背後に氷河を抱えていた地中海、黒海、カスピ海、ゴビ砂漠(湖)、ターリム盆地(湖)にいた人々は、季節変動で湖が減少するのではなく気候変動で水面が降下することが不安であったと考えます。
つまり、「昔の湖に返ることはなく このまま縮小に向かうだけである」と。湖周辺の農耕民にとっては耕地が広がって行くのですが、牧草地は極端に減少してゆきます。そうなると遊牧民(羊、馬、牛等を飼って生活している人々)は取敢えずは、農

耕民に援助を求めますが、これが度重なると摩擦が生じます。又は他の土地を求めて動き出すしかありません。
しかし、この時点では 農耕民は動いていませんから、本格的な民族移動ではありません。まだまだ地域的な内部抗争の始まりの時代と考えます。地中海沿岸は、地中海(湖)が極端に小さくなってきました
しかし未だ現在より大きく、それ故に湖だったか海になっていたかは不明です。

そして人々は水を求めてナイル川や今のリビア、チュニジア、シリア方面に集まってきていたと思われます。
一方、アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)ではすでに内部抗争を断念し、新天地を求めて、まず遊牧民族が 動き出しているのです。
理由は背後の氷河が無いからだけでなく、緯度が違います。ここは北緯20度です。そして海抜100mと低いのです。
更に考えられるのは地盤の問題があります。これはチノちゃんの推測ですが地盤が岩盤ではなく、サハラ砂漠のように 砂の厚さが深い気がします。

もう一つ東アジアを見てみましょう。
揚子江下流は海面が海退し、大陸棚は大きな砂浜が広がっています。そして中流域をみますと小さな融水湖が沢山あります。確かにここはチベット高原の裏側になり氷河を抱えております。更に地盤は石灰岩ですので、地下に浸み込むことが少なく、例え浸み込んでもその下の石灰岩の地盤に貯水される構造になっていたと考えられます。そして北緯30度と海抜2,000mとの違いも出ていると思います。今日はここまで また夢の世界でお会いしましょう。

 

011-03-02 01:19:56

5千年前の古環境と人類(5-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5)
続5千年前の古環境と人類(5-2)

取敢えず 全体のまとめとして 民族を含めたユーラシア大陸全体を鳥瞰してみましょう。
「ヘブライ語文法」歴史ロマン⑧ 著者 飯田 篤 国際語学社より
先ずは歴史的にみて 一番古い民族と思われるドラビタ族が紀元前5万3千年前にアフリカ東岸からインド南西部に移動し、更に北へ 東へと広がっていったとされています。
紀元前(以下紀元前をBCで現します)26世紀頃、ドラビタ族がインダス川流域(現在のパキスタン)にインダス文明を形成し、複数の都市よりなる文明を築いています。
BC18~15世紀にかけてインダス文明の都市は放棄されます。
次に背後に氷河を背負った ユーラシア大陸内陸部の黒海、カスピ海(Q・G)、ゴビ砂漠(湖)、ターリム盆地(湖)(S・G)にいた人々は、融水湖が縮小していく様は「昔の湖に返ることはなく このまま縮小に向かうだけである」ことを理解し不安であったと考えます。
湖周辺の農耕民にとっては耕地が広がって行くのですが、牧草地は極端に減少してゆきます。
そうなると遊牧民(以下騎馬・遊牧民をK・Gで現します)(羊、馬、牛等を飼って生活している人々)は取敢えずは、農耕民(以下農耕民族をA・Gで現します)に援助を求めますが、これが度重なると摩擦が生じます。
又は他の土地を求めて動き出すしかありません。しかし、この時点では 農耕民は動いていませんから、本格的な民族移動ではありません。まだまだ地域的な内部抗争の始まりの時代と考えます。

もう一つ東アジアを見てみましょう。
揚子江下流(L・G)は海面が海退し、大陸棚は大きな砂浜が広がっています。そして中流域をみますと小さな融水湖が沢山あります。しかし人口的には大分密集しているのではないかと考えられます。
黄河河口流域(M・G)も同じように、どんどん内陸部に後退し河口流域は人口が密集していても可笑しくはありません。
この時の揚子江下流(L・G)と黄河下流(M・G)の民族はユーラシア回廊(海岸線)を伝わってきた人々です。
今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。


2011-03-02 23:14:18

5千年前の古環境と人類(5-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5)
5千年前の古環境と人類(5-3)

 

「ヘブライ語文法」歴史ロマン⑧ 著者 飯田 篤 国際語学社より

地域格差によりアラビア半島とメソポタミア地方をみてみましょう。
アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)ではすでに内部抗争を断念し、新天地を求めて、まず遊牧民族がHK・G セム族)、メソポタミア地方に動き出しているのです。
セム族は元来アラビアの砂漠に放浪の旅を続けていました。そのセム族のアッカド人がBC3,000年 メソポタミア・シュメールの地に入り、共存生活を始めています。
次いで セム族の一団 アモリ人(HK・G)がBC2,500年 北西に移動し 一部はシュメールの北方の地に入り、一部はカナンの地を襲ってフェニキア人となる。
セム人のサルゴンはBC2,400年シュメール人のウンマ国を滅ぼしアッカド王国を創立しました。
始めてセム族によるシュメール文化の世界が始まりました。
このアッカド王朝はその後11王が197年統治し、BC2,150年頃ザクロス山脈に居住するグチ族によって滅亡します。
エジプトのピラミットに当たるジグラットという高い塔を創ったシュメール人のウル第三王朝イビ・スエン王の時(BC2,000年)、シリア砂漠からセム族アモリ人によって完全に滅亡しました。
こうしてメソポタミアは完全にセム族の時代に入ります。
アモリ人が支配したイシンの町にBC1934年イシン王朝を築き世界最古の法典が作られた。これはハンムラビ法典より百年早い。
ユーフラテス川のずっと上流にBC1800年バビロンのハンムラビ王(BC1792~1750年)が群雄割拠の中から浮かび上がってきました。彼はバビロン第6代の王であり、セム族アモリ人であった。
次は地中海を見てみましょう。
背後に氷河を抱えていた地中海(D・G)、そして人々は水を求めてナイル川(C・G)や今のリビア、チュニジア、シリア方面(D・G)にハム族等が集まってきていたと思われます。
大まかには ミノア文明(クレタ島)(BC3,000年~1,400年)となっております。
まずは ウガリトの地はBC5,000年新石器時代から歴史を残しています。白い石灰岩の入り江で ラス・シャムラ(茴香岬)と呼ばれていました。BC2,000年頃 小王国となった。石で造った舟の錨 中期青銅器時代エジプト製の船を海外に売るための販売権を持っていました。南方のビュブロスの王から多くの船を賃借もしていた。
金と象牙をエジプトから輸入し、銀や錫を今のトルコのハッチ国から輸入銅はキプロス(元来キュプロが銅の意味)から輸入した。木材(レバノン杉)や銅による加工品をエジプトに輸出、穀物や金の加工品をハッチ国に輸出していました。
鉄についてはアナトリア地方で採掘されていたがまだ高価で王侯貴族のみのものであった。
ウガリトは丁度キプロス島の対岸にありBC13世紀の黄金時代アンミスタムル三世の時代には北のアナトリア地方には強大な印欧語族のハッチが控えており、南方にはエジプトがあり、力のバランスがとれた交通の要衝にあったため繁栄を極めた。
ナイル川下流域においては、BC3,000年古王国が上下エジプトを統一
BC
2,650年ピラミットの建設を開始する。
BC
2,550年古王国時代の最盛期、
BC
2,040年中王国 再統一 首都テーベ
この後 BC2,400年頃 この時代では 気候変動等の要因ではありえない世界的な大洪水が発生するのです。
今日はここまで また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-03-21 22:10:19

5千年前の東アジア(5-4)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5-4)
5千年前の東アジア

BC4
千年~BC3千年紀後半にかけて長江文明は黄河文明より、経済的に、文化的に、社会的に進んでいた。
BC
4,700年~BC4,400年 八十档遺跡
BC4,400年~BC3,300年 城頭山遺跡
BC3,300年~BC2,500年 鶏叫城遺跡
BC
2,500年~BC2、000年龍馬古城宝墩遺跡
この後 長江文明は突然その姿を消してしまいます。
「もしこれまで考古学者によって指摘されているように、長江中流域の石家河遺跡や下流域の良渚遺跡群が、四千年前(BC2,000年)に衰亡すると言うのが正しいのであれば、その長江文明の崩壊期はBC2,200年~BC2,000年前の著しい寒冷期と海退期の末期に相当するのではないか」と安田善憲氏は「長江文明の探究」で語っている。
大洪水は賛成するが、その起因するものは、チノちゃんとは少し違う。
更に黄河文明をみるとBC2,200年 仰韶文化(彩陶文化)が栄える。黄河文明は黄河中流域であり、下流の河口域ではない。つまりは中国文明は、未だ未だ未開発の状態と考えられる。遼東半島及び満州地域などは全く考古学の手は入っていない。
チノちゃんとしては、BC21世紀の夏王朝の始まりは、司馬遷の「史記」によるものと考えられ、司馬遷が35歳の時に宣撫と視察を兼ねて南越国へ行った時に入手した伝説ではないかと考えられる。
これをその後の中国の歴史家が、黄河中流域に変更した可能性が高い。

司馬遷の南越視察紀があれば、明確になるはずなのだが、もう一つ、司馬遷は「史記」を二通り書いたと言われている。
漢の武帝に提出した副本と名山に納めた正本があります。
「この正本にはどのように書かれているのか」大いに興味があるところです。
ところで、「古環境と人類」の課題において、揚子江中・下流域においては海洋文明の中心地として大いに栄えていたと思われる。そして黄河流域においては、未だ未だ遺跡の発掘がなされていないと考えられ、これからの発掘に期待されるところだと思われます。もう一つ、中国大陸内部のゴビ砂漠やタリム盆地の湖周辺の遊牧民は 未だ動いてはいないと考えられます。今日はここまで、また夢の中でおあいしましょう。

 

2011-03-28 22:10:27

4~3千年前と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(6-1)

4~3千年前と人類

チノちゃんは高校生の時代に世界史を学びました。この時 四大文明を習い、その後 地中海や黄河中原にユーラシア大陸から続々と民族が移動してきて、今までの文明を駆逐していきます。何か大陸内部に人類製造機でもあるかのように当時は不思議に思えてなりませんでした。丁度これからの時代が それにあたります。
地域によって、気候変動による大陸内部の乾燥が激しく遊牧民が移動します。
時を同じくしてBC4,500年頃 チノちゃんの提唱する、「隕石による五千年前の大洪水」が発生したと考えています。波高は約300m位、「2009、11-17 我が故郷の地(4)」を参照して下さい。隕石は太平洋 インド洋に数個落下したのではないかと考えました。(2011年3月26日3月11日の東北地方太平洋側大地震は波高15mです。)この大洪水を考慮に入れると次のようになります。
先ず初に洪水の影響が無い地中海方面を見てみましょう。
(五千年前 5-3、の続き)
BC
2,600年 小アジアのトロイア周辺の青銅器文明(トロイア文明)BC2,000年頃 線文字Aを持つミノア文明 クレタ島  のクノッソス。
BC
1,500年頃 線文字Bを持つミケーネ文明 ペロポネソス半島。ミノア、ミケーネ文明の民族系統        は 判っていない。その後3派のギリシャ人(Q。G)が北方から南下した。
BC
2,000年頃イオニア人(Q・G)がエーゲ海北部や小アジア西岸に住みつく、
BC
1,400年頃アカイア人(G・G)がペロポネソス半島からエーゲ海に進出し、ミノア文明やミケーネ文      明を滅ぼした。

更にBC1,200年頃にドーリア人(Q。G)がペロポネソス半島北方から南下し、アカイア人の領域に侵入した。
ギリシャ人による主な交易品は黒海の穀物とエトルリアからもたらされたスズであった。

BC15~12世紀フェニキア人(H・G)は、都市国家を形成し、盛んに海上交易を行い、アフリカからイベリア半島まで進出した。
次にエジプト及びオリエント方面をみると(五千年前 5-3、の続き)
ヒクソス(G・G):エジプト第二中間期にシリア、パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団。ヒクソスという呼称は「異国の支配者」「羊飼いの王達」を意味する。
第15王朝(BC1663~1555年)6人のヒクソス王108年在位
第16王朝 ヒクソスはヌビア地方の首長を表している。
中王国時代:ベニ・ハサン(フルリ人(G・G):土器) (ロバの犠牲の儀式)
同時代のシリアパレスチナ地方にいた西セム系の人々である。
ヒクソスに先行するBC3千年紀末からBC2千年紀前半に西セム系のアムル人(H・G)がメソポタミア各地に移住して王朝を次々に打ち立てた。このアムル系王朝が栄えた時代は慣例的に古バビロニア時代と呼ばれ更に前後(イシン・ラルサ時代)と後期に分類される。
第15王朝と第17王朝の戦い「アポフィスとセケンエンラーの争い」
BC1、570年の開始される。
上記を見て分かるように、歴史の切れ目がありません。
ここで、大洪水の影響があったと思われるメソポタミア南部を少し遡って詳しく見てみましょう。
BC
5、000年頃 ユーフラテス川沿岸地帯にある農耕民族が住みつく
BC3,600年 何処からかシュメールと呼ばれる民族が住みつく
         一大文明をもたらす。(最古の文明)
BC3,000年 セム族 アッカド人(H・G)が共同生活を始める。
BC2,600年 ギルガメッシ時代
BC
2,500年 セム族 アモリ人が北西に移動
BC2,400年 セム族のサルゴンがシュメールのウンマ王国を滅ぼしアッカド王国を建てる。
BC2,150年 ザクロス山脈に居住するグチ族(Q・G)によりアッカド王国倒れる。
BC
2,113年~2,006年 ウル第三王朝
大洪水があったとされるのは、BC2,600年のギルガメッシュ時代といわれています。
しかし チノちゃんは、BC2,400年のウンマ王国の滅亡の原因がこの大洪水ではないかと考えています。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-03-28 22:29:09

4~3千年前と人類(2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(6-2)

4~3千年前と人類(2)

次にインド洋、太平洋側の大洪水 被災地域の方面をみてみましょう。
まずは インダス川方面をみると(五千年前 5-2の続き)ドラビタ族やその他の昔からの民族が居たはずなのですが、その様子は微かであり、BC18~15世紀にかけてインダス文明の都市は放棄されています。
BC15世紀イラン高原からアーリア人(Q・G)のインド北西部への移動が始まる。
BC13世紀アーリア人がインドに侵入し、先住民であるドラビタ人を一部支配し 階級制度のカースト制を創りだし 四階級 近年の研究では「アーリア人、ドラビタ人共に様々な階級に分かれていた」事が判明した。
上記のようにBC2,500年頃からBC15世紀のアーリア人が侵入するまで文明の空白期間が見受けられます。
更にアラビア半島東部もBC2,500年から1,00年間に亘り、人の気配を感じません。
そしてガンジス川やメコン川、メナム川及びインドネシア方面の島々は本来人類が一番多くいなければいけない所なのに、大洪水の影響をまともに受けたため、文明の継承どころか、すべて海の藻屑と消え高台で生活していた山岳民族だけが生き残ったと考えられます。(彼等の家は舟形で出来ています。当時の名残でしょうか)
次は揚子江下流域です。(五千年前 5-4の続き)
揚子江河口流域が忽然と姿を消したのは今から約五千年弱に発生した。
BC
3,300年~BC2,200年に栄えた良渚文化はこの時期を境にして突然姿を消してしまっています。
本来「良渚文明の発達は海洋都市であり、石貨経済の一大中心地ではなかったか」とチノちゃんは考えています。
次に黄河 下流域文明も過去に日本海()の時代があり、相当の数の人類が犇めきあっていても可笑しくはないのです。
ただこの方面の大洪水の傷跡が微かなのは、波高300m位の大洪水は日本列島が直接波を遮ったためと考えられます。
黄河中流域の文明発祥は、大洪水を奇跡的に免れたほんの僅かな人々が洪水の再来を恐れ 海から遠い黄河中流域に 遠い華中からも人々が集中してきたと思われます。
そして この時代は、まだまだ中国内陸部の遊牧民は動いておりません。
以上でお判りのように、文明発祥一元説は 東アジア人にとっては失礼な発想です。だからと言って安田氏のような文明多元説でもありません。チノちゃんは文明復興説となります。

追記 
チノちゃんは、東北地方太平洋側大地震の被災者に エールを送ります。
 “がんばれ”「何は無くても生き残ったことが財産である。」今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-04-10 19:18:44

三千年前と人類(7-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類と(7)
三千年前と人類

三千年前はBC1,000年に当たります。
この時代 気候変動の海面水位はすでに現在と同じであり、ただ大陸内部の乾燥により融水湖の縮小が進みます。
今までは遊牧民族を見てきましたが、今度は大陸内部に残された融水湖の周りにいた農耕民を見てみましょう。
湖が干上がるということは、皆さんは耕地が広がるとお思いでしょうが、それはある一定の領域までなのです。
これを越えると、湖の塩分濃度が増し始め そこに住む魚自体にも影響が出てくるだけでなく、耕地にも塩分が露出してきて作物は育たなくなります。
更に湖面が下がれば そこに住み続け 生活するのが困難になり、挙句の果てには 砂漠になってしまったら、新天地を求めて移動するしかありません。
地域差こそあれ、この姿が時代により移動した民族と移動先の民族との戦い武力略奪闘争ではなかったのではないでしょうか。しかし 戦いは表面上の出来事であり、実際は難民として大移動しているので、深く静かにゆっくりと進行

していったものと推察いたします。
人から聞いた話ですが、今でもチベットを越えてインド方面へ移動する人々がいるそうです。 最初に被害を受けたのはアラビア半島で、ここにいた人達(セム族系)は,すでにもぬけの殻で アラビア半島東部の人類は1千年の空白期間が発生し紀元後500年位まで影響します。
次はナイル河畔のエジプトです。大きな地中海も既にこの頃には現在と同じ位の大きさに縮小し、人口過密の状態が続いていたと思われます。
BC1,800年頃アブラハム一族はエブラ近くのハランを発ってカナーンの地に向かっている。アラム人だったとも言われています。
B
C1,350年神話や伝説を文字で残すようになった。
BC1、314~1、224 ラムセスⅡ世が再統一 首都テーベ
BC1,285 エジプトとヒッタイトはガディシュで戦う。
BC1,230 モーゼ エジプト出る。「十戒」なる。
BC1,010 イスラエル ダビデ王 へブライ アッシリア
BC
,000年 アラム人がアモリ人の後を追った。(気候変動)
BC663 アッシリアがオリエント、エジプトを統一
次はメソポタミアを見てみましょう。
この地はアラビア半島の人類移動の被害を大きく受け、全面的にセム族の天下となり、ここにいた人々は雲散霧消したか、大陸内部に移動していったものと思われます。
地中海
BC1,750年頃地中海沿岸都市の人口は急増し、はみ出した一部はハピルと呼ばれ、大挙してエジプトのデルタ地帯を襲った。
このセム族を中心とする民族はヒクソスと呼ばれる。
BC15~12世紀フェニキア人は地中海のアフリカからイベリア半島まで進出し都市国家を形成し盛んに海上交易を行っていた。
BC8世紀カルタゴなどの海外植民地を建設する
BC9世紀~8世紀内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされた。
BC
800年 ギリシャの都市国家ポリスが成立する。ギリシャ人による主な交易品目は黒海の穀物とアナトリアの錫であった。

次にインダス川及びガンジス河をみてみると
ドラビタ系の人々はインド全域に居住していた。
トラビタ人はアーリア人とは外見が異なり、アーリア人よりも一般的に肌の色が黒く背が低いが、手足が長い。ウエーブがかった髪などの特徴があり、DNAの観点からは古アジア人に分類される。インダス文明はドラビタ人によると言われています。
BC
2,500年位~BC1,600年の間は空白であります。
紀元前1600年頃 アーリア人がインダス川流域に移住と共にドラビタ人との混血が始まり、宗教の融合が始まる。
BC1100 アーリア人がガンジス河上流に移住BD1000 リグベーダー出来る
BC900  ガンジス河にアーリア人の都市国家が出来る
BC900 バラモン教成立
黄河地域も本来なら人口過密地域のはずです。そして文明は黄河下流域のはずです。黄河中流域に文明が栄えたこと自体 文明発生論に逆行しています。
そしてこの頃から中国大陸内陸部の騎馬民族が台頭してくるのです。
BC1、600~BC1、066年 殷王朝
BC1122年 周 武王
BC1098年 洛邑造営
BC1041年 昭王 周の平王
BC
770年 犬戒が周の首都鎬京を陥落させ、春秋時代始まる
中国揚子江文明はなんの音沙汰もなく、この頃の文明は見えません。以上簡単に説明してきましたが、ここいらは大洪水があったかどうかは別にして非常に難しく、後で再度挑戦してみたいと思います。
それでは今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-04-29 21:57:31

古環境と人類(8-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(8-1)
2千年前の古環境と人類
2千年前はBCゼロ年にあたります。
地中海沿岸
諸民族が融合しあい、大帝国を築き始める。 BC492年 ペルシャ戦争はじまる。
BC477年 アテネ 古代民主政治行われる。
BC431年 ペロポネソス戦争 アテネ敗れる。
BC336年 マケドニア王国 アレキサンドロス三世(大王)現る。ギリシャ人であることを主張している。大王死後 アンティ        ゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの三王国成立。
       古代ギリシャと古代オリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散した。
BC218年 第2ポエニ戦争 ハンニバルの戦い
BC058年 シーザーのガリア征服
BC027年 ローマの帝政始まる。
AD
004年 キリスト生まれる。
AD
064年 ネロ帝 キリスト教徒迫害する。
AD
079年 ベスビアス火山爆発する。
AD
375年ゲルマン諸国大移動  フン族の攻撃から逃げる
BC218年 第2ポエニ戦争 ハンニバルの戦い
BC058年 シーザーのガリア征服
BC027年 ローマの帝政始まる。
AD
004年 キリスト生まれる。
AD
064年 ネロ帝 キリスト教徒迫害する。
AD
079年 ベスビアス火山爆発する。
AD
226年 ササン朝ペルシャ起こる。

今日はここまで、また夢の中でおあいしましょう。

 

2011-04-29 22:02:05

古環境と人類(8-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(8-2)

2千年前の古環境と人類
2千年前はBCゼロ年にあたります。
インド
BC600 北インド 十六国栄える ガンダーラ文化
     紀元前5世紀頃 四大ベーダーが現在の形で成立し、宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性が明確にな     る。 しかし それに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。 仏教やジャイナ教もこの時期に成     立した。
     *新思想が生まれてきた理由として経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきたことがあげられる。
BC565 シャカ生まれる。
BC327 アレクサンドル大王、インドに侵入
BC320年 グブタ朝成立
BC317 マウリヤ朝建設
BC268 アショーカ王、全インドを統一
BC244 第3回仏典結集
BC150年 南インドにアーンドラ王朝勢い盛ん
BC188年 マウリア朝滅ぶ
BC028年 アーンドラ朝インドを統一バラモン教復興
古代中国
周王朝の衰退に伴い諸国が繁栄し始める。
しかし まだ中国内陸部の民族は黄河中原には、現れてきていない。
BC403年 戦国時代始まる。
BC241年 五国合従して秦に当たる。
BC221年 秦の始皇帝天下を統一
BC213年 焚書坑儒
BC209年 項羽、劉邦等秦に抗して挙兵
BC209年 匈奴 冒頓単干の時代
BC202年 亥下の戦いで劉邦が項羽を下す。前漢成立
BC154年 呉楚七国の乱おこる。
BC140年 中亜に大月氏国興る。
BC127年 漢の武帝 匈奴に大打撃を与える。
BC108年 塩鉄官設置
BC108年 漢、朝鮮半島に楽浪、玄莵、屯、真番の4郡を置く
BC097年 司馬遷「史記」成る。
BC054年 匈奴東西に分裂、衰勢に向かう。
BC028年 満州に扶余、高句麗国建国する。
AD
008年 王モウ 漢を滅ぼし新朝を開く
AD
025年 劉秀(光武帝)新を滅ぼし天下再統一 後漢
AD
266年 晋の建国(司馬炎)
AD
300年 八王の乱
AD
304年 五胡十六国時代始まる。

この時代あたりから、各諸国に傭兵として仕えていた大陸内部の諸族が独立して国家を形成し始める。

それでは今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:35:46

1千年前の古環境と人類(9-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-1)
1千年前は紀元後(AD)1千年となります。
この時代になると、大帝国が建設され始め、民族の融合が進み、国対国の戦争が始まり 支配層が被支配層を操る

ための民族意識を低下させ、国としての意識に変化しはじめて来ていると感じられます。
つまりは地域と民族の区分けが難しくなってきました。
先ずはヨーロッパ、地中海沿岸、メソポタミア方面から始めます。
AD
827 エグベルト王、アングロ・サクソン 7王国を統一しイングランド、王国を建設。この頃カトリック教が布教され、

ラテン文化再拡大、、ヘレニズム、ヘブライズムはゲルマニズムと融合して西欧文化の統一的基盤となる。
AD
850 ノルマンの侵入、デーン人(デンマークのノルマン)のイギリス侵入
AD
862 ヴアラング(スエーデンのノルマン)、ロシアに入りノボゴルド王国を建設(ロシアの起源)
AD
871 (英)アルフレッド大王即位 アングロ・サクソン文化の復興
AD
962 オットー1世、ローマで帝冠を受け神聖ローマ帝国(ドイツ)を建設
AD
985 ノルマン人グリーンランドを植民する。
AD
909 エジプトにファティマ朝独立
AD
1,000 ノルマン人、アメリカを発見する。
AD
,031 イスパニアのウマイア朝断絶
AD
1,037 (独)コンラート2世恩貸地令を発す。 この頃ようやく封建制度完成、ロマネスク様式盛ん

 アラビアより錬金術伝わる。
AD
1,054 ギリシャ、ローマ両教会 分裂
AD
1,093 ブルグランドのヘンリー、カスティラ王国より独立し、  ポルトガル王国建設
AD
1,095 教皇ウルバン2世、十字軍開始宣言(クレルモン宗教会議)
AD
1,096 第一回十字軍イエルサレムを奪還し、イエルサレム王国建設、 この頃よりジェノア、ベネチィア、ピカ等のイタ        リア諸都市、サラセン東ローマを圧して地中海に発展する。
AD
1,130 (伊)ロジャー2世、、南伊のナポリ王国、シチリアを併合
AD
1,154 (英)ヘンリー2世イギリス王位に就く、ブランタジネット王朝始まる。
AD
,171 エジプトのサラジン、アユピート朝開く(ファチーニ朝滅亡)
AD
,253 モンゴルのフラグ西南アジア征服
AD
,258 モンゴル軍バグダードを占領 アッバース朝滅亡
AD
,271 マルコ・ポーロが東方旅行に出発
この頃から封建制度が確立してきます。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:41:53

1千年前の古環境と人類(9-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-2)
ここではアラビア、インド、中央アジア方面を探ってみましょう。地域的に見ますので、ヨーロッパ編とダブりが生じます。
尚歴史上には表面化してきませんが、中央アジアの内陸部の人々がチベット高原やカラコルム山脈を越えて移動してきていると考えられます。
その理由は東南アジアの人々も東アジアの人達に似てモンゴロイド系といわれているからです。
この辺りは又別の機会に探ってみたいと思います。
AD
756 ウマイヤ朝復興、サラセン文化黄金時代(千一夜物語等)

   8~9世紀にかけてアジア人の数回に渡る侵入を食い止める。(東ローマ帝国)
AD
774 中央アジアにサーマン朝起こる。
AD
800 チェニスのアグラブ朝独立
AD
820 タヒール朝、バクダード以東の統治権獲得
AD
997 アフガニスタンにカズニ朝成立
AD
1、055セルジュク・トルコがバクダードに侵入する。(スルタンの称号)
      この頃カズニ朝のインド侵攻が激化する。(インドのイスラム化)
AD
1、071セルジュク・トルコがイエルサレムを占領 セルジュク帝国、マリクシャーンの黄金時代。
AD
1、096 第一回十字軍 パレスチナにエルサレム王国建設
AD
1、147 セルジュク・トルコがエルサレム王国を包囲したために、 ドイツ、フランス 第二回十字軍を起こす
AD
1、169 十字軍 サラセン・ピザンチン文化を西欧に移入
AD
1、186 アフガニスタンにグール朝成立(ムハメッド・グーリー)
AD
1、206 インド、奴隷王朝(~1290)成立 (デーリー・スルタン政権の第一王朝)グール朝分裂
AD
1、224 モンゴル軍南ロシアに侵入、諸侯軍破る
AD
1、237 モンゴル軍のバツ、ロシアに侵入モスクワ、キエフ占領
AD
1、241ワールシュッタットの戦い、モンゴル軍は東欧諸侯軍を破る。
AD
1、253モンゴルのフラグ西南アジア征服
AD
1、258モンゴル軍バグダードを占領 アッバース朝滅亡
このモンゴル軍の最終はイベリア半島のイスパニアまで達したとされています。

今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:46:01

1千年前の古環境と人類(9-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-3)
東アジア方面
人類の移動について、わざわざ紀元1千年前まで引き延ばしてきたか皆さんに疑問を抱かせていると思います。その理由がここにあるのです。AD874 黄巣の乱起こる。
AD
907 朱全忠 唐朝を滅ぼす。(後梁の大祖)五代十国の分裂時代始まる。
AD
916 契丹のヤリフ・アポキ、北アジアに遼を建国。
AD
918 朝鮮に高麗朝成立
AD
960 宋朝成立(後周の趙匡胤) 君主独裁の官僚専制国家始まる。
AD
979 宋 中国統一
AD
1004 宋の真宗は遼と和を結ぶ
AD
1016(日)藤原氏の独裁時代
AD
1019 女真人(刀伊)が日本の壱岐、対馬に侵入
AD
1038 西夏建国(タングート人)
AD
1069 宋 王安石の改革
AD
1086(日)院政始まる。
AD
1115 金 建国(女真人)
AD
1124 耶律大石 西遼建国
AD
1127 金は宋の徽宗,欽宗を捕える。北宋は滅び、南宋始まる。
AD
1167(日)清盛 太政大臣となる。 朱熹 宋学を大成する。
AD
1206 モンゴル帝国(元の建国・ジンギス汗)
AD
1235 モンゴルが金を滅ぼす。
上記に記したように、中国大陸は、大陸内部からの侵略により後漢末期より魏、晋が崩壊するとたちまち五胡十六国時代に突入し、
18世紀の清朝まで、大陸内部の勢力に圧倒されてきます。
つまりは、大陸内部の民族が非常に多く又長いこと移動してきたことを示しています。
またヨーロッパ方面より大分遅れて移動して来ていることもお判り頂けましたでしょうか。
現在の歴史文明は、五千年前の寒冷期のアラビア半島やユーラシア大陸内陸部(カスピ海の縮小、その他融水湖の乾燥、干上がり、現在はターリム盆地やゴビ砂漠は無人地域です)の乾燥により、人類が食を求めて、移動した姿だと考えています。それでは今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九部 古環境と人類

2011-02-23 22:05:17

第九部のはじめに

テーマ:第九部 古環境と人類

第九部 古環境と人類

 

第九部のはじめに

現在の人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)は今から約25万年前位から発生したと言われております。

現在は未だ、この空間を埋める資料はあまりありません。更に 人類進化説は取敢えず別にします。、

そこで 25万年の約1割の3万~2万年から3千年前を外洋海面水位からみた古環境と人類を推測してみたいと思います。それでは 始めましょう。

 

2011-02-23 22:46:50

3~2万年前の古環境と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(1)
3~2万年前の古環境と人類



「地層の知識 第4紀をさぐる」 著者 町田洋、森脇広 出版社東京美術

この時代は最後の大氷河期で長い冷涼乾燥期時代であり、外海洋の海面水位は現在の海面水位より120mも低い時代でありました。「ユーラシア回廊」で述べたように、現在の陸地より、幾分か多かったと考えられ、その代り南北緯度45度以上は万年氷雪地帯であり、「動物の棲息はありえなかった」と考えられます。
この環境の中で人類が棲息できる場所は限られており、人類の移動は少なかったと思われます。
この時代の人類の居住地をアフリカ中央部から鳥瞰的に観察してみたいと思います。それでは始めましょう。
当然アフリカ中央部に残った人もいたでしょうから、その人たちはAグループ(以下グループはGで表示します)、次にアフリカの西海岸に出た人達をB・Gとします。次にアフリカを北上しナイル川下流域にいた人達をC・Gとし、地中海沿岸南部にいた人たちをD・Gとします。当然地中海北部にいた人達もいますこれはE・Gです。
更にメソポタミアはF・Gです。ヨルダン河沿いをG・Gとします。
そしてアラビア半島(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)は大きな湖と森林と考えられここの人達又はこの周りにいた人々をH・Gとします。
次がインダス川流域の人達をIG(この中にはドラビタ族等は、すでに居住している。)とし、ガンジス川やメコン、メナム流域の人々をJ・Gとします。
次にインドシナ半島は現在の海面水位より120mも低かったので非常に大きな半島に変貌します。当然沢山の人々が居り生活環境も良かったと考えられます。この時代アメリカ大陸まで移動した人達がいたならこの場所が一番の最適地です。この人たちはK・Gとします。次が揚子江下流域です、ここも今と違って大陸棚は広く陸地化しており、非常に広い砂浜海岸があり、人々は豊かな生活を送っていたでしょう。この人々をL・Gとします。
ただし 揚子江はそのまま直線的に海には流れず、黒潮により 大きく北上し黄河河口と一つになっていたとも考えられます。次に黄河下流域です。ここには東シナ海に大きな湖があっても可笑しくはありません。この人たちをM・Gとします。
次は日本海(湖)は未だ封鎖されており、流れ出るだけであります。この湖の周辺に居住する人達はNGとします。
当然この下流は黄河に注がれたでしょう。
その次はアムール川(黒龍江)下流域とオホーツク海です。
この土地もベーリング海峡が閉ざされているため黒潮が北上し、冬は凍るが夏は大きな草原を現していたと考えられここに居住していた人たちをOGとします。現在のアムール河は北上してオホーツク海に注いでいますが、
この時代のアムール河は水量が多く、現在のウスリー川を逆流しウラジオストクで日本海(湖)に注いでいたとも考えられます。更に この時点で 海峡を渡って行った人達もいたかもしれません。この人たちをP・Gとします。
「なぜ渡って行く勇気があったか」と言う問いには、「動物が渡っていた」と見ていたような話もありますが、最近のテレビで「南の島のアホウ鳥がアリューシャン列島に現れ、また南の島に帰って来たのを確認した」と放送をしていました。

これで16地域に人類が生活していたと思われます。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-24 09:19:47

1万5千年前と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(2)
1万5千年前と人類
この時代はペプシサマールの時代に入ります。
気候は非常に熱いのですが、南北緯度地帯にある氷によって、人類には過ごしやすい時代だったと考えられております。
海面もー100mと上昇してきており。外海岸線の人達も少しずつ内陸に移動しています。
ここでの大きな課題はユーラシア内陸部に移動した人達をQ・Gとし、北ヨーロッパへ移動した人たちをR・Gとします。
地中海は サハラ砂漠に大きく広がり、南からはナイル川以外にも大きな川が流れており森林や草原が広がっていたと考えられます。もう一つ 地中海は 既に 例え外海(大西洋)と繋がっていても淡水湖です。
ボスポラス海峡とジブラルタル海峡は想像を絶する程の大きな滝となっております。

 

この時代の初夏の半夏生の時期には大雨により氷河が溶けて、非常に大量の水が流れていたと思われます。
気候変動的には 氷河は減る傾向にありますが、季節変動的には 冬になれば、山岳部等には降雪があり、氷河を形成します。当然 季節的モンスーンもあったと思われます。 念のため。今日は ここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-24 11:17:03

1万年前の古環境と人類

テーマ:第八部 東アジアの夜明け

古環境と人類(3)
1万年前の古環境と人類

ペプシサマールの時代はまだまだ続いております。1万年前 北アメリカ大陸のグレートレイクを丸呑みにするアガシー湖が決壊します。ユーラシア大陸も更に氷河が溶けゴビ砂漠やターリム盆地は大きな融水湖です

ここにいた人々をS・Gとします。外海面水位は-40m前後となり、ユーラシア大陸の大陸棚も縮小していきます。
この時代 東アジアでは黄河河口と揚子江河口は別々になっていたでしょう。更に黄海や渤海も出現を始めました。
ベーリング海もこの頃から夏の季節には北極海から海水が流れ出始めました。日本海には寒流が流れ込んでおり、(チノちゃんは疑問)更にこの後 対馬暖流が流れ込む寸前です。
この時代の課題はインドシナ半島の陸地が相当早い速度で海進化していたことです。
従ってここにいたK・Gはユーラシア大陸や他の島々へ移動したと考えられます。つまりオーストラリアへ移動した人達をT・Gとします。この時代のアメリカ南北大陸には人類の痕跡が認められているようです。
オーストラリアにもあり、アフリカ中央部のエジプトとスーダンの国境付近に人が泳いでいる壁画がありましたよね。「膨れ上がる地中海」エジプトでは 既にスフィンクス神殿と河岸神殿は出来上がっていたと
考えられ 当時は森林と草原に囲まれた豊かな時代と考えられます。チノちゃんとしては、ここに造られたニュウロングカレンダーは、外洋航海民族の文化ですので、文化が伝わっただけではなく、外海面にいた民族が内陸部に移住してきたものと考えます。その理由としては グラハム・ハンコック氏の本によると、麦栽培の農業方法が非常に優れていたと書かれていたからです。その本には具体的に何が優れていたかは書かれていませんでした。
しかし、チノちゃんの10年のニワカ百姓の経験から農業のレベルの差は歴然とあるものと確信しています。
更に東アジアの揚子江中・下流域の稲作文化もこの頃から動き出しているようです。
今日はここまで また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-25 23:25:52

7千年前の古環境と人類(4-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4)
7千年前の古環境と人類   

ペプシサマール終焉で温暖湿潤から温暖乾燥の切り替への時代です。
外海面は現在と同じレベルになりますが、外海面上昇(縄文海進)はもう少し続きます。しかし問題は、7,600年前のボスポラス海峡の逆流です。大陸内陸部は非常に乾燥してきており、エウスセイノス湖(黒海)が地中海より150mも低くなってきていたことです。この時点の地中海はジブラルタル海峡が明確ではありませんので、あくまでも地中海の水面とエウスセイノス湖との水面差となります。(フェイガン氏の本にはそこまで詳細には記載されていませんでした)同じように、ゴビ砂漠やターリム盆地の融水湖も干上がってきています。
次の問題はこの時の、アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)の状況でしょう。背後に氷河を抱えているアフリカ大陸の地中海やユーフラテス大陸 内陸部のエウクセイノス湖(黒海)、ゴビ砂漠やターリム盆地の融水湖は、湖が干上がって来たとしても、まだ季節的変動ぐらいしか感じていないと考えられます。
この時点の人類を見てみると、外海岸線の人々(B,F、I、J、K、L、M,N,O、のグループ)は大分内陸部(現在地)に後退していたと考えます。特にインドシナ半島の人々(K・G)はユーラシア大陸に異動した人もいたでしょうが、この地域のK・Gの大部分は色々な島へ移動していったと考えられます。島を渡りながら 南アメリカ大陸に渡っていても可笑しくはありません。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-03-21 12:59:38

7千年前の古環境と人類 (4-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4-2)

7千年前の古環境と人類 (2)

*北メソポタミア地方  ハラフ期(テル・ハラフ)
BC6千年期(8千年前) シリア北東部のハサカ県にある新石器時代の遺跡  トルコとの国境付近。
この遺跡からは幾何学文様や動物文様の描かれた釉薬の塗られた陶器が見つかっており、こうした特徴のある新石器文化は テル・ハラフの地名をとってテル・ハラフ文化と呼ばれる。
*北メソポタミア地方  ブラク期(テル・ブラク)
この遺跡には早くともBC6千年頃から小さな集落があったとされ、ハラフ文化に属する遺跡やその後に続くウバイト文化の遺跡が発掘される。この都市が形成されたのはメソポタミア南部のウルクと同時期か、それよりも若干早い、BC4千年初期からであることが 遺跡の古い層の調査(職業リストの出土)から明らかになった。
BC3千年の楔形文字文書はナガルの街が、レガント諸都市やアナトリアのタウル山脈方面の諸都市を結ぶ大きな中継地点だったことを物語る。
この遺跡で最も有名なのはBC4千期後半の「眼の神殿」と呼ばれるものである。BC3,500年~BC3,200年にかけて建設されたとみられる神殿からは雪花石膏(アラバスター)で造られた数百個の小さな像(胴の上に、首の代わりに二つの大きな両目がついている像で「眼の偶像」 ”eye idol”と呼ばれる)が出土しており、泥レンガで神殿が建設された時に、漆喰の中に塗り込められたものとみられる。
近年 最も劇的な発見はBC3,800年に遡る「二つの集団墓地」であり、都市化の過程と戦争とが結びついたことを示唆するものである。
*南メソポタミア地方  ウルク期
BC5千年の南メソポタミアのウルク文化は、シュメール人によるウルク第三王朝(BC21世紀)以前であり、古いことは歴然としているが大洪水(ノアの方舟伝説)以前となり、資料が確定されていない。
但し、ウルク第三王朝時代の建造とおもわれる”ジクラット”(日干しレンガで積層し、外壁を瀝青で仕上げた建物)の下にはレンガ造りの建物が18も埋もれていた。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-03-21 15:02:29

7千年前の古環境と人類 (4-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(4-3)

7千年前の古環境と人類 3

北メソポタミア  ウバイト期  
BC5,300~3,500年 北メソポタミアの文化 新石器時代から銅器時代(テル・アル=ウバイド)灌漑農業、車輪の導入
1期 BC5,300~4,700年 イラク南部のペルシャ湾の海岸付近のみ、北のサーマッラー周辺のサマラ文化との強い     繋がりを持つ
2期 BC4,800~4,500年 大きな集落を中心に運河網が広く張り巡らされ、灌漑農業が発達
3期 BC4,500~4,000年 急速な都市化、文化の範囲も東方のザクロス山脈、南方のカタール、北ではハラフ文化に     置き替わった。  ウバイト文化の遺物は地中海沿いのシリアなどにも見つかっており
     交易網が伸展していたことがわかる。北部は石器が見られるが、南部は石がなく 葦や草を刈り取るための鎌も
     火で硬く焼いた土器で造られている。
社会構造的には、三種類に分類され
1、 北メソポタミアで開発された農産物を生産する農民
2、 家畜を追ってテントで暮らす遊牧民
3、 葦で作った家で暮らす漁労民に分けられる。
テル・アル=ウバイドの丘は比較的小さい
遺丘の大きさは南北500m、東西300m、地表から2mの盛土である。ニンフルサグ神殿やハファージャ遺跡は楕円形をなしている。ウル第三王朝には帆船も存在したと考えられる。
今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-02-27 23:11:45

5千年前の古環境と人類(5-1)

テーマ:第八部 東アジアの夜明け

古環境と人類(5)
5千年前の古環境と人類

 

この時代が一番難しいと考えられます。
だれか拠り所となる研究発表をしてくれると助かります。ここでは チノちゃんの拙い推測により始めます。
気候変動では冷涼乾燥から小寒冷期に向かっております。外洋海面水位は現在の水面より多少(3~5m)海進していたものが、海退に向かっています。この時代は気候変動というよりか、地域的な季節変動が影響していたようです。
つまり 地域的差により、背後に氷河を抱えていた地中海、黒海、カスピ海、ゴビ砂漠(湖)、ターリム盆地(湖)にいた人々は、季節変動で湖が減少するのではなく気候変動で水面が降下することが不安であったと考えます。
つまり、「昔の湖に返ることはなく このまま縮小に向かうだけである」と。湖周辺の農耕民にとっては耕地が広がって行くのですが、牧草地は極端に減少してゆきます。そうなると遊牧民(羊、馬、牛等を飼って生活している人々)は取敢えずは、農

耕民に援助を求めますが、これが度重なると摩擦が生じます。又は他の土地を求めて動き出すしかありません。
しかし、この時点では 農耕民は動いていませんから、本格的な民族移動ではありません。まだまだ地域的な内部抗争の始まりの時代と考えます。地中海沿岸は、地中海(湖)が極端に小さくなってきました
しかし未だ現在より大きく、それ故に湖だったか海になっていたかは不明です。

そして人々は水を求めてナイル川や今のリビア、チュニジア、シリア方面に集まってきていたと思われます。
一方、アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)ではすでに内部抗争を断念し、新天地を求めて、まず遊牧民族が 動き出しているのです。
理由は背後の氷河が無いからだけでなく、緯度が違います。ここは北緯20度です。そして海抜100mと低いのです。
更に考えられるのは地盤の問題があります。これはチノちゃんの推測ですが地盤が岩盤ではなく、サハラ砂漠のように 砂の厚さが深い気がします。

もう一つ東アジアを見てみましょう。
揚子江下流は海面が海退し、大陸棚は大きな砂浜が広がっています。そして中流域をみますと小さな融水湖が沢山あります。確かにここはチベット高原の裏側になり氷河を抱えております。更に地盤は石灰岩ですので、地下に浸み込むことが少なく、例え浸み込んでもその下の石灰岩の地盤に貯水される構造になっていたと考えられます。そして北緯30度と海抜2,000mとの違いも出ていると思います。今日はここまで また夢の世界でお会いしましょう。

 

011-03-02 01:19:56

5千年前の古環境と人類(5-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5)
続5千年前の古環境と人類(5-2)

取敢えず 全体のまとめとして 民族を含めたユーラシア大陸全体を鳥瞰してみましょう。
「ヘブライ語文法」歴史ロマン⑧ 著者 飯田 篤 国際語学社より
先ずは歴史的にみて 一番古い民族と思われるドラビタ族が紀元前5万3千年前にアフリカ東岸からインド南西部に移動し、更に北へ 東へと広がっていったとされています。
紀元前(以下紀元前をBCで現します)26世紀頃、ドラビタ族がインダス川流域(現在のパキスタン)にインダス文明を形成し、複数の都市よりなる文明を築いています。
BC18~15世紀にかけてインダス文明の都市は放棄されます。
次に背後に氷河を背負った ユーラシア大陸内陸部の黒海、カスピ海(Q・G)、ゴビ砂漠(湖)、ターリム盆地(湖)(S・G)にいた人々は、融水湖が縮小していく様は「昔の湖に返ることはなく このまま縮小に向かうだけである」ことを理解し不安であったと考えます。
湖周辺の農耕民にとっては耕地が広がって行くのですが、牧草地は極端に減少してゆきます。
そうなると遊牧民(以下騎馬・遊牧民をK・Gで現します)(羊、馬、牛等を飼って生活している人々)は取敢えずは、農耕民(以下農耕民族をA・Gで現します)に援助を求めますが、これが度重なると摩擦が生じます。
又は他の土地を求めて動き出すしかありません。しかし、この時点では 農耕民は動いていませんから、本格的な民族移動ではありません。まだまだ地域的な内部抗争の始まりの時代と考えます。

もう一つ東アジアを見てみましょう。
揚子江下流(L・G)は海面が海退し、大陸棚は大きな砂浜が広がっています。そして中流域をみますと小さな融水湖が沢山あります。しかし人口的には大分密集しているのではないかと考えられます。
黄河河口流域(M・G)も同じように、どんどん内陸部に後退し河口流域は人口が密集していても可笑しくはありません。
この時の揚子江下流(L・G)と黄河下流(M・G)の民族はユーラシア回廊(海岸線)を伝わってきた人々です。
今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。


2011-03-02 23:14:18

5千年前の古環境と人類(5-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5)
5千年前の古環境と人類(5-3)

 

「ヘブライ語文法」歴史ロマン⑧ 著者 飯田 篤 国際語学社より

地域格差によりアラビア半島とメソポタミア地方をみてみましょう。
アラビア半島の湖(北にシリア砂漠やネフド砂漠、南にルブアルハーリー砂漠・北緯20度)ではすでに内部抗争を断念し、新天地を求めて、まず遊牧民族がHK・G セム族)、メソポタミア地方に動き出しているのです。
セム族は元来アラビアの砂漠に放浪の旅を続けていました。そのセム族のアッカド人がBC3,000年 メソポタミア・シュメールの地に入り、共存生活を始めています。
次いで セム族の一団 アモリ人(HK・G)がBC2,500年 北西に移動し 一部はシュメールの北方の地に入り、一部はカナンの地を襲ってフェニキア人となる。
セム人のサルゴンはBC2,400年シュメール人のウンマ国を滅ぼしアッカド王国を創立しました。
始めてセム族によるシュメール文化の世界が始まりました。
このアッカド王朝はその後11王が197年統治し、BC2,150年頃ザクロス山脈に居住するグチ族によって滅亡します。
エジプトのピラミットに当たるジグラットという高い塔を創ったシュメール人のウル第三王朝イビ・スエン王の時(BC2,000年)、シリア砂漠からセム族アモリ人によって完全に滅亡しました。
こうしてメソポタミアは完全にセム族の時代に入ります。
アモリ人が支配したイシンの町にBC1934年イシン王朝を築き世界最古の法典が作られた。これはハンムラビ法典より百年早い。
ユーフラテス川のずっと上流にBC1800年バビロンのハンムラビ王(BC1792~1750年)が群雄割拠の中から浮かび上がってきました。彼はバビロン第6代の王であり、セム族アモリ人であった。
次は地中海を見てみましょう。
背後に氷河を抱えていた地中海(D・G)、そして人々は水を求めてナイル川(C・G)や今のリビア、チュニジア、シリア方面(D・G)にハム族等が集まってきていたと思われます。
大まかには ミノア文明(クレタ島)(BC3,000年~1,400年)となっております。
まずは ウガリトの地はBC5,000年新石器時代から歴史を残しています。白い石灰岩の入り江で ラス・シャムラ(茴香岬)と呼ばれていました。BC2,000年頃 小王国となった。石で造った舟の錨 中期青銅器時代エジプト製の船を海外に売るための販売権を持っていました。南方のビュブロスの王から多くの船を賃借もしていた。
金と象牙をエジプトから輸入し、銀や錫を今のトルコのハッチ国から輸入銅はキプロス(元来キュプロが銅の意味)から輸入した。木材(レバノン杉)や銅による加工品をエジプトに輸出、穀物や金の加工品をハッチ国に輸出していました。
鉄についてはアナトリア地方で採掘されていたがまだ高価で王侯貴族のみのものであった。
ウガリトは丁度キプロス島の対岸にありBC13世紀の黄金時代アンミスタムル三世の時代には北のアナトリア地方には強大な印欧語族のハッチが控えており、南方にはエジプトがあり、力のバランスがとれた交通の要衝にあったため繁栄を極めた。
ナイル川下流域においては、BC3,000年古王国が上下エジプトを統一
BC
2,650年ピラミットの建設を開始する。
BC
2,550年古王国時代の最盛期、
BC
2,040年中王国 再統一 首都テーベ
この後 BC2,400年頃 この時代では 気候変動等の要因ではありえない世界的な大洪水が発生するのです。
今日はここまで また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-03-21 22:10:19

5千年前の東アジア(5-4)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(5-4)
5千年前の東アジア

BC4
千年~BC3千年紀後半にかけて長江文明は黄河文明より、経済的に、文化的に、社会的に進んでいた。
BC
4,700年~BC4,400年 八十档遺跡
BC4,400年~BC3,300年 城頭山遺跡
BC3,300年~BC2,500年 鶏叫城遺跡
BC
2,500年~BC2、000年龍馬古城宝墩遺跡
この後 長江文明は突然その姿を消してしまいます。
「もしこれまで考古学者によって指摘されているように、長江中流域の石家河遺跡や下流域の良渚遺跡群が、四千年前(BC2,000年)に衰亡すると言うのが正しいのであれば、その長江文明の崩壊期はBC2,200年~BC2,000年前の著しい寒冷期と海退期の末期に相当するのではないか」と安田善憲氏は「長江文明の探究」で語っている。
大洪水は賛成するが、その起因するものは、チノちゃんとは少し違う。
更に黄河文明をみるとBC2,200年 仰韶文化(彩陶文化)が栄える。黄河文明は黄河中流域であり、下流の河口域ではない。つまりは中国文明は、未だ未だ未開発の状態と考えられる。遼東半島及び満州地域などは全く考古学の手は入っていない。
チノちゃんとしては、BC21世紀の夏王朝の始まりは、司馬遷の「史記」によるものと考えられ、司馬遷が35歳の時に宣撫と視察を兼ねて南越国へ行った時に入手した伝説ではないかと考えられる。
これをその後の中国の歴史家が、黄河中流域に変更した可能性が高い。

司馬遷の南越視察紀があれば、明確になるはずなのだが、もう一つ、司馬遷は「史記」を二通り書いたと言われている。
漢の武帝に提出した副本と名山に納めた正本があります。
「この正本にはどのように書かれているのか」大いに興味があるところです。
ところで、「古環境と人類」の課題において、揚子江中・下流域においては海洋文明の中心地として大いに栄えていたと思われる。そして黄河流域においては、未だ未だ遺跡の発掘がなされていないと考えられ、これからの発掘に期待されるところだと思われます。もう一つ、中国大陸内部のゴビ砂漠やタリム盆地の湖周辺の遊牧民は 未だ動いてはいないと考えられます。今日はここまで、また夢の中でおあいしましょう。

 

2011-03-28 22:10:27

4~3千年前と人類

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(6-1)

4~3千年前と人類

チノちゃんは高校生の時代に世界史を学びました。この時 四大文明を習い、その後 地中海や黄河中原にユーラシア大陸から続々と民族が移動してきて、今までの文明を駆逐していきます。何か大陸内部に人類製造機でもあるかのように当時は不思議に思えてなりませんでした。丁度これからの時代が それにあたります。
地域によって、気候変動による大陸内部の乾燥が激しく遊牧民が移動します。
時を同じくしてBC4,500年頃 チノちゃんの提唱する、「隕石による五千年前の大洪水」が発生したと考えています。波高は約300m位、「2009、11-17 我が故郷の地(4)」を参照して下さい。隕石は太平洋 インド洋に数個落下したのではないかと考えました。(2011年3月26日3月11日の東北地方太平洋側大地震は波高15mです。)この大洪水を考慮に入れると次のようになります。
先ず初に洪水の影響が無い地中海方面を見てみましょう。
(五千年前 5-3、の続き)
BC
2,600年 小アジアのトロイア周辺の青銅器文明(トロイア文明)BC2,000年頃 線文字Aを持つミノア文明 クレタ島  のクノッソス。
BC
1,500年頃 線文字Bを持つミケーネ文明 ペロポネソス半島。ミノア、ミケーネ文明の民族系統        は 判っていない。その後3派のギリシャ人(Q。G)が北方から南下した。
BC
2,000年頃イオニア人(Q・G)がエーゲ海北部や小アジア西岸に住みつく、
BC
1,400年頃アカイア人(G・G)がペロポネソス半島からエーゲ海に進出し、ミノア文明やミケーネ文      明を滅ぼした。

更にBC1,200年頃にドーリア人(Q。G)がペロポネソス半島北方から南下し、アカイア人の領域に侵入した。
ギリシャ人による主な交易品は黒海の穀物とエトルリアからもたらされたスズであった。

BC15~12世紀フェニキア人(H・G)は、都市国家を形成し、盛んに海上交易を行い、アフリカからイベリア半島まで進出した。
次にエジプト及びオリエント方面をみると(五千年前 5-3、の続き)
ヒクソス(G・G):エジプト第二中間期にシリア、パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団。ヒクソスという呼称は「異国の支配者」「羊飼いの王達」を意味する。
第15王朝(BC1663~1555年)6人のヒクソス王108年在位
第16王朝 ヒクソスはヌビア地方の首長を表している。
中王国時代:ベニ・ハサン(フルリ人(G・G):土器) (ロバの犠牲の儀式)
同時代のシリアパレスチナ地方にいた西セム系の人々である。
ヒクソスに先行するBC3千年紀末からBC2千年紀前半に西セム系のアムル人(H・G)がメソポタミア各地に移住して王朝を次々に打ち立てた。このアムル系王朝が栄えた時代は慣例的に古バビロニア時代と呼ばれ更に前後(イシン・ラルサ時代)と後期に分類される。
第15王朝と第17王朝の戦い「アポフィスとセケンエンラーの争い」
BC1、570年の開始される。
上記を見て分かるように、歴史の切れ目がありません。
ここで、大洪水の影響があったと思われるメソポタミア南部を少し遡って詳しく見てみましょう。
BC
5、000年頃 ユーフラテス川沿岸地帯にある農耕民族が住みつく
BC3,600年 何処からかシュメールと呼ばれる民族が住みつく
         一大文明をもたらす。(最古の文明)
BC3,000年 セム族 アッカド人(H・G)が共同生活を始める。
BC2,600年 ギルガメッシ時代
BC
2,500年 セム族 アモリ人が北西に移動
BC2,400年 セム族のサルゴンがシュメールのウンマ王国を滅ぼしアッカド王国を建てる。
BC2,150年 ザクロス山脈に居住するグチ族(Q・G)によりアッカド王国倒れる。
BC
2,113年~2,006年 ウル第三王朝
大洪水があったとされるのは、BC2,600年のギルガメッシュ時代といわれています。
しかし チノちゃんは、BC2,400年のウンマ王国の滅亡の原因がこの大洪水ではないかと考えています。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-03-28 22:29:09

4~3千年前と人類(2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(6-2)

4~3千年前と人類(2)

次にインド洋、太平洋側の大洪水 被災地域の方面をみてみましょう。
まずは インダス川方面をみると(五千年前 5-2の続き)ドラビタ族やその他の昔からの民族が居たはずなのですが、その様子は微かであり、BC18~15世紀にかけてインダス文明の都市は放棄されています。
BC15世紀イラン高原からアーリア人(Q・G)のインド北西部への移動が始まる。
BC13世紀アーリア人がインドに侵入し、先住民であるドラビタ人を一部支配し 階級制度のカースト制を創りだし 四階級 近年の研究では「アーリア人、ドラビタ人共に様々な階級に分かれていた」事が判明した。
上記のようにBC2,500年頃からBC15世紀のアーリア人が侵入するまで文明の空白期間が見受けられます。
更にアラビア半島東部もBC2,500年から1,00年間に亘り、人の気配を感じません。
そしてガンジス川やメコン川、メナム川及びインドネシア方面の島々は本来人類が一番多くいなければいけない所なのに、大洪水の影響をまともに受けたため、文明の継承どころか、すべて海の藻屑と消え高台で生活していた山岳民族だけが生き残ったと考えられます。(彼等の家は舟形で出来ています。当時の名残でしょうか)
次は揚子江下流域です。(五千年前 5-4の続き)
揚子江河口流域が忽然と姿を消したのは今から約五千年弱に発生した。
BC
3,300年~BC2,200年に栄えた良渚文化はこの時期を境にして突然姿を消してしまっています。
本来「良渚文明の発達は海洋都市であり、石貨経済の一大中心地ではなかったか」とチノちゃんは考えています。
次に黄河 下流域文明も過去に日本海()の時代があり、相当の数の人類が犇めきあっていても可笑しくはないのです。
ただこの方面の大洪水の傷跡が微かなのは、波高300m位の大洪水は日本列島が直接波を遮ったためと考えられます。
黄河中流域の文明発祥は、大洪水を奇跡的に免れたほんの僅かな人々が洪水の再来を恐れ 海から遠い黄河中流域に 遠い華中からも人々が集中してきたと思われます。
そして この時代は、まだまだ中国内陸部の遊牧民は動いておりません。
以上でお判りのように、文明発祥一元説は 東アジア人にとっては失礼な発想です。だからと言って安田氏のような文明多元説でもありません。チノちゃんは文明復興説となります。

追記 
チノちゃんは、東北地方太平洋側大地震の被災者に エールを送ります。
 “がんばれ”「何は無くても生き残ったことが財産である。」今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-04-10 19:18:44

三千年前と人類(7-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類と(7)
三千年前と人類

三千年前はBC1,000年に当たります。
この時代 気候変動の海面水位はすでに現在と同じであり、ただ大陸内部の乾燥により融水湖の縮小が進みます。
今までは遊牧民族を見てきましたが、今度は大陸内部に残された融水湖の周りにいた農耕民を見てみましょう。
湖が干上がるということは、皆さんは耕地が広がるとお思いでしょうが、それはある一定の領域までなのです。
これを越えると、湖の塩分濃度が増し始め そこに住む魚自体にも影響が出てくるだけでなく、耕地にも塩分が露出してきて作物は育たなくなります。
更に湖面が下がれば そこに住み続け 生活するのが困難になり、挙句の果てには 砂漠になってしまったら、新天地を求めて移動するしかありません。
地域差こそあれ、この姿が時代により移動した民族と移動先の民族との戦い武力略奪闘争ではなかったのではないでしょうか。しかし 戦いは表面上の出来事であり、実際は難民として大移動しているので、深く静かにゆっくりと進行

していったものと推察いたします。
人から聞いた話ですが、今でもチベットを越えてインド方面へ移動する人々がいるそうです。 最初に被害を受けたのはアラビア半島で、ここにいた人達(セム族系)は,すでにもぬけの殻で アラビア半島東部の人類は1千年の空白期間が発生し紀元後500年位まで影響します。
次はナイル河畔のエジプトです。大きな地中海も既にこの頃には現在と同じ位の大きさに縮小し、人口過密の状態が続いていたと思われます。
BC1,800年頃アブラハム一族はエブラ近くのハランを発ってカナーンの地に向かっている。アラム人だったとも言われています。
B
C1,350年神話や伝説を文字で残すようになった。
BC1、314~1、224 ラムセスⅡ世が再統一 首都テーベ
BC1,285 エジプトとヒッタイトはガディシュで戦う。
BC1,230 モーゼ エジプト出る。「十戒」なる。
BC1,010 イスラエル ダビデ王 へブライ アッシリア
BC
,000年 アラム人がアモリ人の後を追った。(気候変動)
BC663 アッシリアがオリエント、エジプトを統一
次はメソポタミアを見てみましょう。
この地はアラビア半島の人類移動の被害を大きく受け、全面的にセム族の天下となり、ここにいた人々は雲散霧消したか、大陸内部に移動していったものと思われます。
地中海
BC1,750年頃地中海沿岸都市の人口は急増し、はみ出した一部はハピルと呼ばれ、大挙してエジプトのデルタ地帯を襲った。
このセム族を中心とする民族はヒクソスと呼ばれる。
BC15~12世紀フェニキア人は地中海のアフリカからイベリア半島まで進出し都市国家を形成し盛んに海上交易を行っていた。
BC8世紀カルタゴなどの海外植民地を建設する
BC9世紀~8世紀内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされた。
BC
800年 ギリシャの都市国家ポリスが成立する。ギリシャ人による主な交易品目は黒海の穀物とアナトリアの錫であった。

次にインダス川及びガンジス河をみてみると
ドラビタ系の人々はインド全域に居住していた。
トラビタ人はアーリア人とは外見が異なり、アーリア人よりも一般的に肌の色が黒く背が低いが、手足が長い。ウエーブがかった髪などの特徴があり、DNAの観点からは古アジア人に分類される。インダス文明はドラビタ人によると言われています。
BC
2,500年位~BC1,600年の間は空白であります。
紀元前1600年頃 アーリア人がインダス川流域に移住と共にドラビタ人との混血が始まり、宗教の融合が始まる。
BC1100 アーリア人がガンジス河上流に移住BD1000 リグベーダー出来る
BC900  ガンジス河にアーリア人の都市国家が出来る
BC900 バラモン教成立
黄河地域も本来なら人口過密地域のはずです。そして文明は黄河下流域のはずです。黄河中流域に文明が栄えたこと自体 文明発生論に逆行しています。
そしてこの頃から中国大陸内陸部の騎馬民族が台頭してくるのです。
BC1、600~BC1、066年 殷王朝
BC1122年 周 武王
BC1098年 洛邑造営
BC1041年 昭王 周の平王
BC
770年 犬戒が周の首都鎬京を陥落させ、春秋時代始まる
中国揚子江文明はなんの音沙汰もなく、この頃の文明は見えません。以上簡単に説明してきましたが、ここいらは大洪水があったかどうかは別にして非常に難しく、後で再度挑戦してみたいと思います。
それでは今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-04-29 21:57:31

古環境と人類(8-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(8-1)
2千年前の古環境と人類
2千年前はBCゼロ年にあたります。
地中海沿岸
諸民族が融合しあい、大帝国を築き始める。 BC492年 ペルシャ戦争はじまる。
BC477年 アテネ 古代民主政治行われる。
BC431年 ペロポネソス戦争 アテネ敗れる。
BC336年 マケドニア王国 アレキサンドロス三世(大王)現る。ギリシャ人であることを主張している。大王死後 アンティ        ゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの三王国成立。
       古代ギリシャと古代オリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散した。
BC218年 第2ポエニ戦争 ハンニバルの戦い
BC058年 シーザーのガリア征服
BC027年 ローマの帝政始まる。
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004年 キリスト生まれる。
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064年 ネロ帝 キリスト教徒迫害する。
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079年 ベスビアス火山爆発する。
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375年ゲルマン諸国大移動  フン族の攻撃から逃げる
BC218年 第2ポエニ戦争 ハンニバルの戦い
BC058年 シーザーのガリア征服
BC027年 ローマの帝政始まる。
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004年 キリスト生まれる。
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064年 ネロ帝 キリスト教徒迫害する。
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079年 ベスビアス火山爆発する。
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226年 ササン朝ペルシャ起こる。

今日はここまで、また夢の中でおあいしましょう。

 

2011-04-29 22:02:05

古環境と人類(8-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類(8-2)

2千年前の古環境と人類
2千年前はBCゼロ年にあたります。
インド
BC600 北インド 十六国栄える ガンダーラ文化
     紀元前5世紀頃 四大ベーダーが現在の形で成立し、宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性が明確にな     る。 しかし それに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。 仏教やジャイナ教もこの時期に成     立した。
     *新思想が生まれてきた理由として経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきたことがあげられる。
BC565 シャカ生まれる。
BC327 アレクサンドル大王、インドに侵入
BC320年 グブタ朝成立
BC317 マウリヤ朝建設
BC268 アショーカ王、全インドを統一
BC244 第3回仏典結集
BC150年 南インドにアーンドラ王朝勢い盛ん
BC188年 マウリア朝滅ぶ
BC028年 アーンドラ朝インドを統一バラモン教復興
古代中国
周王朝の衰退に伴い諸国が繁栄し始める。
しかし まだ中国内陸部の民族は黄河中原には、現れてきていない。
BC403年 戦国時代始まる。
BC241年 五国合従して秦に当たる。
BC221年 秦の始皇帝天下を統一
BC213年 焚書坑儒
BC209年 項羽、劉邦等秦に抗して挙兵
BC209年 匈奴 冒頓単干の時代
BC202年 亥下の戦いで劉邦が項羽を下す。前漢成立
BC154年 呉楚七国の乱おこる。
BC140年 中亜に大月氏国興る。
BC127年 漢の武帝 匈奴に大打撃を与える。
BC108年 塩鉄官設置
BC108年 漢、朝鮮半島に楽浪、玄莵、屯、真番の4郡を置く
BC097年 司馬遷「史記」成る。
BC054年 匈奴東西に分裂、衰勢に向かう。
BC028年 満州に扶余、高句麗国建国する。
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008年 王モウ 漢を滅ぼし新朝を開く
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025年 劉秀(光武帝)新を滅ぼし天下再統一 後漢
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266年 晋の建国(司馬炎)
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300年 八王の乱
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304年 五胡十六国時代始まる。

この時代あたりから、各諸国に傭兵として仕えていた大陸内部の諸族が独立して国家を形成し始める。

それでは今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:35:46

1千年前の古環境と人類(9-1)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-1)
1千年前は紀元後(AD)1千年となります。
この時代になると、大帝国が建設され始め、民族の融合が進み、国対国の戦争が始まり 支配層が被支配層を操る

ための民族意識を低下させ、国としての意識に変化しはじめて来ていると感じられます。
つまりは地域と民族の区分けが難しくなってきました。
先ずはヨーロッパ、地中海沿岸、メソポタミア方面から始めます。
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827 エグベルト王、アングロ・サクソン 7王国を統一しイングランド、王国を建設。この頃カトリック教が布教され、

ラテン文化再拡大、、ヘレニズム、ヘブライズムはゲルマニズムと融合して西欧文化の統一的基盤となる。
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850 ノルマンの侵入、デーン人(デンマークのノルマン)のイギリス侵入
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862 ヴアラング(スエーデンのノルマン)、ロシアに入りノボゴルド王国を建設(ロシアの起源)
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871 (英)アルフレッド大王即位 アングロ・サクソン文化の復興
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962 オットー1世、ローマで帝冠を受け神聖ローマ帝国(ドイツ)を建設
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985 ノルマン人グリーンランドを植民する。
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909 エジプトにファティマ朝独立
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1,000 ノルマン人、アメリカを発見する。
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,031 イスパニアのウマイア朝断絶
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1,037 (独)コンラート2世恩貸地令を発す。 この頃ようやく封建制度完成、ロマネスク様式盛ん

 アラビアより錬金術伝わる。
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1,054 ギリシャ、ローマ両教会 分裂
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1,093 ブルグランドのヘンリー、カスティラ王国より独立し、  ポルトガル王国建設
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1,095 教皇ウルバン2世、十字軍開始宣言(クレルモン宗教会議)
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1,096 第一回十字軍イエルサレムを奪還し、イエルサレム王国建設、 この頃よりジェノア、ベネチィア、ピカ等のイタ        リア諸都市、サラセン東ローマを圧して地中海に発展する。
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1,130 (伊)ロジャー2世、、南伊のナポリ王国、シチリアを併合
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1,154 (英)ヘンリー2世イギリス王位に就く、ブランタジネット王朝始まる。
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,171 エジプトのサラジン、アユピート朝開く(ファチーニ朝滅亡)
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,253 モンゴルのフラグ西南アジア征服
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,258 モンゴル軍バグダードを占領 アッバース朝滅亡
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,271 マルコ・ポーロが東方旅行に出発
この頃から封建制度が確立してきます。今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:41:53

1千年前の古環境と人類(9-2)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-2)
ここではアラビア、インド、中央アジア方面を探ってみましょう。地域的に見ますので、ヨーロッパ編とダブりが生じます。
尚歴史上には表面化してきませんが、中央アジアの内陸部の人々がチベット高原やカラコルム山脈を越えて移動してきていると考えられます。
その理由は東南アジアの人々も東アジアの人達に似てモンゴロイド系といわれているからです。
この辺りは又別の機会に探ってみたいと思います。
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756 ウマイヤ朝復興、サラセン文化黄金時代(千一夜物語等)

   8~9世紀にかけてアジア人の数回に渡る侵入を食い止める。(東ローマ帝国)
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774 中央アジアにサーマン朝起こる。
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800 チェニスのアグラブ朝独立
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820 タヒール朝、バクダード以東の統治権獲得
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997 アフガニスタンにカズニ朝成立
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1、055セルジュク・トルコがバクダードに侵入する。(スルタンの称号)
      この頃カズニ朝のインド侵攻が激化する。(インドのイスラム化)
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1、071セルジュク・トルコがイエルサレムを占領 セルジュク帝国、マリクシャーンの黄金時代。
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1、096 第一回十字軍 パレスチナにエルサレム王国建設
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1、147 セルジュク・トルコがエルサレム王国を包囲したために、 ドイツ、フランス 第二回十字軍を起こす
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1、169 十字軍 サラセン・ピザンチン文化を西欧に移入
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1、186 アフガニスタンにグール朝成立(ムハメッド・グーリー)
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1、206 インド、奴隷王朝(~1290)成立 (デーリー・スルタン政権の第一王朝)グール朝分裂
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1、224 モンゴル軍南ロシアに侵入、諸侯軍破る
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1、237 モンゴル軍のバツ、ロシアに侵入モスクワ、キエフ占領
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1、241ワールシュッタットの戦い、モンゴル軍は東欧諸侯軍を破る。
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1、253モンゴルのフラグ西南アジア征服
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1、258モンゴル軍バグダードを占領 アッバース朝滅亡
このモンゴル軍の最終はイベリア半島のイスパニアまで達したとされています。

今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

2011-05-16 23:46:01

1千年前の古環境と人類(9-3)

テーマ:第九部 古環境と人類

古環境と人類
1千年前の古環境と人類(9-3)
東アジア方面
人類の移動について、わざわざ紀元1千年前まで引き延ばしてきたか皆さんに疑問を抱かせていると思います。その理由がここにあるのです。AD874 黄巣の乱起こる。
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907 朱全忠 唐朝を滅ぼす。(後梁の大祖)五代十国の分裂時代始まる。
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916 契丹のヤリフ・アポキ、北アジアに遼を建国。
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918 朝鮮に高麗朝成立
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960 宋朝成立(後周の趙匡胤) 君主独裁の官僚専制国家始まる。
AD
979 宋 中国統一
AD
1004 宋の真宗は遼と和を結ぶ
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1016(日)藤原氏の独裁時代
AD
1019 女真人(刀伊)が日本の壱岐、対馬に侵入
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1038 西夏建国(タングート人)
AD
1069 宋 王安石の改革
AD
1086(日)院政始まる。
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1115 金 建国(女真人)
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1124 耶律大石 西遼建国
AD
1127 金は宋の徽宗,欽宗を捕える。北宋は滅び、南宋始まる。
AD
1167(日)清盛 太政大臣となる。 朱熹 宋学を大成する。
AD
1206 モンゴル帝国(元の建国・ジンギス汗)
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1235 モンゴルが金を滅ぼす。
上記に記したように、中国大陸は、大陸内部からの侵略により後漢末期より魏、晋が崩壊するとたちまち五胡十六国時代に突入し、
18世紀の清朝まで、大陸内部の勢力に圧倒されてきます。
つまりは、大陸内部の民族が非常に多く又長いこと移動してきたことを示しています。
またヨーロッパ方面より大分遅れて移動して来ていることもお判り頂けましたでしょうか。
現在の歴史文明は、五千年前の寒冷期のアラビア半島やユーラシア大陸内陸部(カスピ海の縮小、その他融水湖の乾燥、干上がり、現在はターリム盆地やゴビ砂漠は無人地域です)の乾燥により、人類が食を求めて、移動した姿だと考えています。それでは今日はここまで、また夢の中でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



第九部のはじめに
第九部 古環境と人類
3~2万年前の古環境と人類
(1)3~2万年前
(2)1万5千年前
(3)1万年前
(4-1)7千年前 地中海方面  
(4-2)7千年前 メソポタミア
(4-3)7千年前北メソポタミア
(5-1)5千年前 アラビア半島
(5-2)5千年前 ユーラシア大陸
(5-3)5千年前アラビア半島
(5-4)5千年前東アジア
(6-1)4~3千年前地中海
(6-2)4~3千年前)インド、揚子江
(7-1)3千年前 エジプト
(8-1)2千年前地中海沿岸
(8-2)2千年前インド、古代中国
(9-1)1千年前ヨーロッパ
(9-2)1千年前インド、中央アジア
(9-3)1千年前東アジア