わたしたちの決意

主な予定

「なんという悲しい時代を迎えたことでしょう。

 今まで、自分の子供に、家族に、ごく少量ずつでも、何年か、何十年か後には必ずその効果が現れてくるという毒を、毎日の三度三度の食事に混ぜて食べさせている母親がいたでしょうか」

 これは25年前に九州に住むある母親が書いた長い長い手紙の書き出しです。
 チェルノブイリ原発事故の放射能が、空気と食料品とともに、日本にもやってきたときのことでした。
 この手紙は、のちに薄い表紙の小さな本になって、日本中で読まれました。
 本になるときに地元九州の反骨の作家・松下竜一さんがタイトルをつけてくれました。「まだ、まにあうのなら」それはその時代の、市民の悲しみと怒りと切迫した思いとを、しっかりととらえた言葉でした。
 市民はこう願っていました。「チェルノブイリのような原発事故を二度と繰り返してはいけない。
 一刻も早く、全ての原発を止めなければいけない。
 大事故が起きる前に。
 果たして、市民の努力は実を結ぶのだろうか。
 わたしたちは、まにあうのだろうか」と。

 しかし、25年後の今、私たちの目の前で、チェルノブイリと同じレベルの事故が起き
てしまいました。
 3月11に発生した福島第一原発の原発震災。
 わたしたちは、まにあわなかったのです。
 無機質の原子炉に蓄えられていた放射能は命のある世界に放出されてしまったのです。

 この国では今この瞬間も放射線が生きた人間を貫いているのです。
 放射能と一緒にでなければ呼吸も出来ず食事もできないのです。

 水と土と空気がよごされてしまいました。
 もうとりかえしがつきません。

 それもこれもただの電気とひきかえだったなんて。
 それでもエライ人たちは言うのです。

 「微量ですから害はありません」
 「ここまでなら大丈夫です」

 いつだれが放射能を食べさせられてもかまわないと言ったのですか。
 いつだれがここまでは子供たちに放射能を与えてもいいと言ったのですか。

 ここまでなら被爆しても安全という基準値が、エライ人たちが改訂するたびに下がって
きていることを、私たちは知っています。

 だったらそれまでは人々を危険にさらしてきたということではありませんか。

 「その基準は間違っている。放射能はもっともっと危険だ」という警告にまったく耳を
傾けずに、この愚行をくりかえしてきたのです。
 こんなものは科学でもなんでもありません。

 ヒロシマナガサキがそうであるように、
 チェルノブイリがそうであるように、
 全世界の原発と核施設がそうであるように、
 核実験のあったこの星がそうであるように、
 微量といわれる放射能が確実に人々の健康を壊し、命を奪ってきました。
 日本の原発から出た核のゴミが運び込まれたイギリスとフランスの再処理工場周辺で
も、
 いえ、日常運転されている原発の周辺でも、命は奪われてきました。
 無数の生まれてこなかった命がありました。

 わたしたちは、もう、とっくに、まにあってなどいなかったのです。

 フクシマの放射能は、同じ歴史を繰り返して、犠牲者をうみだします。
 それがだれかはわかりません。
 それがどういう人たちかはわかります。
 胎児や幼い子供たちから健康を奪われ死んでゆくことはわかっているのです。

 ゆるしてください、チェルノブイリの子供たち。
 自分たちのような子供をつくらないでと言ってくれたあなた方の願いを、
 わたしたちはとうとうふみにじってしまいました。

 ゆるしてくれなんて、言えないですよね。
 でも、いましばらく、見放さないでいてください。
 せめて、フクシマ後を生きる私たちの、悔恨と怒りとおこないが、ほんものであるかど
うか、見届けてください。

 そして、南島町のみなさん、私たち三重県の市民は、

 結局、あなた方の命と生活をかけた、あの苦闘の日々と輝かしい勝利を、引き継ぎ生か
すことができませんでした。

 これからみせる愚かな私たちのジタバタを支えていただけたら嬉しいです。 

 政府と電力会社に、
 私たちは一刻も早くすべての原発をとめることを要求します。

 電気など心配していません。電気は余りに余っています。
 仮に足りなかったとしても、命と引き換えにしてまで欲しくはありません

 この国で原子力発電所が、たった今も運転を続けている、この現実が、私たちには到底
理解できないのです。
 とくに政府が警告する東海地震、そして東海・東南海・南海の3連動巨大地震が迫って
いる、その震源域のど真ん中で、浜岡原発がフル運転しています。

 自然の強大な力の前に、驕った文明の中心にいた原発があっけなく崩壊しました。
 小賢しい言い繕いなど無意味です。中部電力は即刻、浜岡原発を停止するべきです。

 つくりたいだけものをつくり、
 つかいたいだけものをつかい、
 すてたいだけものをすてつづける社会。
 これが原発を生み出した社会です。
 これが原発がつれてきた社会です。

 もっとつつましくていい。
 もっといたわりにみちていていい。
 もうすこしかしこくていい。

 対立は好まないし、争いごとはいやです。
 でも、私たちは、もうおそれません。
 守れなかった命たちが私たちを見ています。
 原発をめぐるエライ人たちの民主主義の破壊やうそ・いつわりの横行。
 それを許してきたのは私たちでした。
 もう抗うことを恐れません。
 ウソはウソだと大声で言います。
 不安の中で暮らすのは嫌だと叫びます。
 私たちは行動します。
 残された者として、
 残された命ある限り。