第71回大会実行委員
この大会は昭和29年に第1回大会を開催して以来、一回も欠かすことなく開催を続けておりまして、新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めましてからも、67回、68回の二大会こそ誌上開催に留めましたが、69回からこの71回大会までは再び一堂に会しての大会を行ってきております。
第1回大会が行われた昭和29年と言いますと、旧浦上天主堂をはじめ原爆遺構もまだ生々しく残っている時代で、日本は戦後復興の緒に就いたばかりのころでした。しかしながら、一方では、昭和29年に水俣湾沿岸の浦々で水俣病の患者発生の報告がなされ、産業と公害の問題が世間に明らかとなって来る時代でもありました。
私は、この原爆忌俳句大会の時期になりますと、しきりに石牟礼道子の「苦海浄土」が気になって、しばしば拾い読みをします。「ゆき女聞き書き」などを読み返すのですが、読んでいるうちに夢中になって、その独特の語りで空の高みに持ち上げられます。そして、読み終わるたびに深く溜息をついて「私には原爆忌俳句など決して詠めない」と思うのです。「苦海浄土」は、石牟礼道子という憑依する人が語る浄瑠璃であり、能のシテの謡いであると思いますが、個人から発していて、真実「詩」になっている。私はこの原爆忌俳句大会に句を寄せようと、この太った体で、毎年、日常からぴょんと跳びあがってみるのですが、わずかに足が地を離れるのみで「苦海浄土」の高みには遥かに届かない。それは私に個人としての被爆体験がないからでもあり、詩的な創造力が不足しているからでもありますが、一方、石牟礼道子も、水俣に暮らして水俣病患者と同時代を生きた人ではありますが、自身「あねさん」と呼ばれる近隣の部外者(いや同伴者)で水俣病患者ではありません。個人の資質と能力の差と言えばそれまでですが、私は俳句を詠む表現者として、また被爆者の同伴者、介護者として、70年以上も多くの人が繋いできたこの原爆忌俳句大会を継承し、たしかな表現のレベルを保って何とか次代につなげて行こうと、毎年ぴょんと跳びあがってみるのです。
私は町の開業医ですが、私が長崎大学の内科に入局した昭和50年当時は、まだ同じ医局の神経内科医が水俣病の調査に参加しておりましたし、長崎大学原爆後障害医療研究所や長﨑放射線影響研究所(放影研)にも多数の医者が勤務しておりました。私自身も数年間放影研に勤務した経験がありますが、ほとんどが検診業務でありましたので、被爆医療に関して捗捗しい働きをしたことはありません。しかし最近よく報道で接するのですが、「国境なき医師団」や「日本赤十字社の災害派遣医療チーム」などで若い医師たちが献身的な医療活動を行っておりまして、それは私のような市井の医師にとってはとても眩しい活動であります。今回ご講演を頂くのは、そのような眩しい医師のお一人である日本赤十字社長崎原爆病院の北崎健先生でございます。
さて、我々のこの原爆忌俳句大会は、年に1回、年々希薄になっていく原爆被害への思いを掘り起こし、平和希求の思いをかきたてて俳句にするという大会であり、長崎新聞社と共催し、多くの機関に後援をいただいて開催しております。今回の大会では一般句770句、ジュニア句384句の投句が寄せられました。我々実行委員会は、来年以降も、創成期からの志をなるべく保ちながら、若々しい創造の場を営んでまいりたいと切に考えております。
皆様におかれましては、今後もご協力を賜りますようお願いを申し上げまして開会のご挨拶と致します。
令和6年7月20日
長崎原爆忌平和祈念俳句大会実行委員会会長 倉田明彦
第71回長崎原爆忌平和祈念俳句大会 一般の部入賞作品
大会大賞
宿題を終へず逝きし子原爆忌 内田育子 長崎
8点 特選4 高岡修、福本弘明 入賞4 宮坂静生、武藤紀子、前川弘明、上地安智
長崎県知事賞
満月や人っこ一人居ぬ地球 馬場典子 長崎
6点 特選6 宮坂静生、上地安智、田中陽
長崎県議会議長賞
砲身がによきと見えたりかひやぐら 和田秀子 福岡
6点 特選4 高岡修、寺井谷子 入賞2 光永忠夫、上地安智
長崎県教育長賞
八月九日紅差し指も遺骨 倉田明彦 長崎
6点 特選4 高岡修、川崎雅典 入賞2 前川弘明、安西篤
長崎新聞社賞
転た寝の夢の余白にきのこ雲 森 昇 長崎
6点 特選2 高岡修 入賞4 加藤知子、有村王志、原雅子、飯田史朗
現代俳句協会賞
思ふまま生きると決めし敗戦忌 内田育子 長崎
5点 特選4 有村王志、武藤紀子 入選1 深野敦子
新俳句人連盟会賞
蝸牛彼を詩人のまま埋める 堀川恭好 熊本
5点 特選4 加藤知子、藤野律子 入賞1 寺井谷子
西九州現代俳句協会賞
生涯を母とはならず原爆忌 出田量子 長崎
5点 特選4 宮坂静生、飯田史朗 入賞1 川崎雅典
口語俳句振興会賞
隈治人句碑や若葉を突き抜けて 川崎あてね 長崎
5点 特選4 中村重義、福本弘明 入賞1 松本勇二
長崎平和推進協会賞
八月や遺影の父の永遠の笑み 日髙まりも 宮崎
5点 特選4 武藤紀子、高野ムツオ 入賞1 中村重義
優秀賞
螢とぶ水に声あり被爆川 松尾酔雲 長崎
5点 特選2 前川弘明 入賞3 深野敦子、有村王志、高岡修
優秀賞
八月の暦剥ぐとき合掌す 青木のり子 長崎
5点 特選2 高野ムツオ 入賞3 宮坂静生、前川弘明、安西篤
優秀賞
一歳児生きて傘寿の長崎忌 白石笑子 長崎
5点 特選2 深野敦子 入賞3 松本勇二、前川弘明、福本弘明
優良賞
長崎の夏は坂道続くのみ 尾倉雅人 山口
5点 入賞5 武藤紀子、寺井谷子、原雅子、高野ムツオ、田中陽
第71回長崎原爆忌平和祈念俳句大会 ジュニアの部入賞作品
大会大賞
原爆忌標本箱を磨きをり 古角凉真 (こかど りょうま)
(愛媛県立松山東高等学校二年)
長崎市長賞
「戦争」の2文字に向き合う長崎忌 中津陽希 (なかつ はるき)
(愛媛県立松山東高等学校一年)
長崎市議会議長賞
黙祷に手の皺ひらく祖母の夏 瀬野竜旺 (せの たつお)
(済美平成中等学校六年)
長崎市教育長賞
砂浜の足の形や原爆忌 愛川來海 (あいかわ くるみ)
(埼玉県立特別支援学校坂戸ろう学校二年)
長崎新聞社賞
艦艇の澪しづかなる原爆忌 篠原孝太 (しのはら こうた)
(愛媛県立松山東高等学校三年)
長崎県文芸協会長賞
朝焼や丘に小さき防空壕 篠原孝太 (しのはら こうた)
(愛媛県立松山東高等学校三年)
長崎の証言の会賞
灼熱を ぐにゃり伝える 展示物 田川愛菜 (たがわ あいな)
(長崎県立長崎西高等学校二年)
長崎如己の会賞・長崎キワニスクラブ賞
花は葉にぼくを見上げて話す母 荒尾快晴 (あらお かいせい)
(荒尾市立荒尾中学校二年)
長崎県被爆者手帳友の会賞
消しゴムやごろんごろんと長崎忌 佐藤翔真 (さとう しょうま)
(埼玉県立特別支援学校坂戸ろう学校二年)
優秀賞
蝉の声けんかやめろと言っている 折原 碧 (おりはら あおい)
(長崎精道三川台中学校三年)
優良賞
八月の頭蓋の如きフランスパン 山本恭児 (やまもと きょうじ)
(愛媛県立松山東高等学校二年)
優良賞
夕暮れの伸びたる影の先見つめ 入江信乃介(いりえ しんのすけ)
(長崎精道三川台中学校二年)
大会記
第七一回長崎原爆忌平和祈念俳句大会(同実行委員会主催、長崎新聞社共催)は、二〇二四年(令和6)七月二〇日、一三時から長崎市平和町の長崎原爆資料館平和学習室にて開催された。
梅雨明け宣言がまだ出されていない空模様の中、県外(熊本、京都、福岡)からの四名を含め、四〇名の参会となった。大会当日は中・高等学校は終業式前ということで、ジュニアの部の受賞者や学校関係からの参加はなく、開催日についての考慮が今後の反省となった。
一三時、馬津川ゆり事務局長の司会により開会。まず原爆犠牲者と世界で起きている戦争、紛争による犠牲者の御霊安からんことを願い、参会者一同黙祷を捧げた。
倉田明彦大会会長の開会挨拶(作品集巻頭に掲載)に続いて来賓の福本弘明氏(福岡県現代俳句協会会長)、前川弘明氏(西九州現代俳句協会会長)、藤野律子氏(咲の会)の紹介があった。また、衆議院議員西岡秀子氏も来場(途中退席)されており、自席にて紹介された。
一三時一〇分から日本赤十字社長崎原爆病院の北﨑健医師による大会記念講演「日赤長崎原爆病院と災害救護」に移った。写真を多用した資料をパワーポイントで見せながら、災害地(東日本大震災、熊本地震、広島豪雨災害、能登半島地震など)での活動の様子を報告、解説された。最後に自作の句を二句披露され、馬津川事務局長の勧めで福本弘明氏の講評もなされた。
講演終了後、二五分の休憩を取り、この間に当日句三六句の選句を実行委員と選句依頼者(来賓)でおこなった。
一四時二五分、一般の部の入賞句発表は倉田明彦会長の司会で進められた。まず大会大賞から特選とした選者の選評が紹介され、受賞者の内田育子さんから自句に寄せる思いを聞くことができた。内田さんは平和ガイドのボランティアをされており、修学旅行の小学生を山里小学校に案内した時に、あの八月九日、人生の半ばにも満たず被爆死した子どもたちのことが思われた。きっと宿題は半分もできていなかっただろうと、ずっと心に残った思いがこの一句になったとのことだった。二〇分間の持ち時間まで順次紹介、参会者からも意見、感想が出された。
ジュニアの部の司会は江良修実行委員が司会進行した。中・高校生の参加はなかったが、受賞句を特選に選んだ選者を中心に指名され、意見を述べた。上位二句は入賞常連校の愛媛県立松山東高等学校だが、埼玉県立特別支援学校坂戸ろう学校からの入賞句にも注目が集まった。作者は伏せて選句されるが、入賞した句を改めて見ると、造形をとらえる繊細な観察力が窺えるという声が挙がった。
続いて平坂桂太実行委員の司会で、当日句三六作品の合評がおこなわれた。高得点から順に紹介された。当大会顧問の横山哲夫氏と妻の慶子さんはそろって高得点で入賞、同様に入口弘德氏と妻の靖子さんも夫婦で入賞された。
最後に入賞句の表彰をおこなった。倉田会長より表彰楯が授与された。大会出席の受賞者から簡単なスピーチもあり、会場からは拍手で称えられた。
大会は予定より少し早く一六時に日程を終え、塩﨑みちえ実行委員の閉会の挨拶で締めくくった。
作品をお寄せ下さった方々、選者の皆さまに深く感謝申し上げます。来年は被爆八〇年を迎えます。世界の各地で戦いの火が見え隠れする現在、鎮魂の思い、反核、反戦、平和希求からぶれることなく、大会の継続に力を注ぎ歩んで参ります。
実行委員 塩﨑みちえ
記念講演
日本赤十字社長崎原爆病院医師・北﨑健氏
大会大賞受賞の内田育子さん
当日句大賞受賞
野田修子さん
当日句の部
大賞
八月や記憶の小骨抜かんとす 野田修子 長崎
準大賞
長崎忌しずかな真昼米を研ぐ 入口靖子 長崎
優秀賞
坂の上に雲の拳や長崎忌 福本弘明 福岡
蝉の穴地表にあまた原爆忌 横山慶子 長崎
砂の山波が攫つて終戦日 坂田みどり 長崎
実行委員会賞
長崎の海に帰省の手を浸す 平坂桂太 長崎
長崎忌ガラス片より反射光 入口弘徳 長崎
夕立に神のあしうら濡れている 横山哲夫 長崎
暑けれど暑けれどなお忘れじと 犬塚泉 長崎
泉湧く音の向こうに母の声 川崎あてね 長崎
グビロ丘骨をひろいて原爆忌 嬉野純一 長崎
戦わぬ四肢は逞し夏の空 鈴木ミレイ 福岡