第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会ご報告
第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会ご報告
倉田会長挨拶
会長挨拶
今年は戦後80年、長崎は被爆80年目を迎えました。厚生労働省のまとめによると2024年度末の時点で、被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者が9万9130人となって、手帳交付が始まった1957年度以降初めて10万人を下回ったことが報告されました。
被爆者の高齢化と数の減少により、被爆体験の継承がますます難しくなってきている現状が鮮明となってきています。そんな中、昨年、日本被爆者団体協議会がノーベル平和賞を受賞し、2024年12月10日、ノルウェーのオスロで授賞式が行われました。このことは、今後も被爆体験を継承し、核廃絶の運動を進めていくうえでの大きな励ましとなりました。
授賞式でのスピーチは田中熙巳さんのものを筆頭に、いずれも力強く感動的なものでしたが、私は、特に、39歳という若さもあって、ノルウェー・ノーベル委員会のフリードマン委員長の話に感銘をうけました。
一般に、世間では、「核廃絶は、当面、現実的な主張ではなく、体験の継承も本質的に難しいと思う」という消極的な見解が通念であろうと思いますが、そのことを踏まえた上で、若いフリードマン委員長は、以下のように核廃絶へ向けた継続的な運動の重要性を述べています。
心に沁みましたので一部紹介させていただきます。
「世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると考えるのは浅はかです。世界は、人類の壊滅を待つ牢獄ではない筈です。たとえどれほど困難な道のりであっても、私たちは日本被団協から学んで歩みを進めるべきでしょう。決してあきらめてはなりません。(中略) 被爆体験を記憶する活動は抵抗運動となり、変革の力ともなり得ます。そのためには、歴史を記録すること、文書化すること、啓発活動を続けること、個人の証言をくりかえし聞くことが重要で、またそれらの証言や事実をあらためて具現する文学や芸術などの、記憶のためのあらゆる装置が必要です。」(一部意訳を含みます)
私はこのフリードマン委員長のテキストを読んで、1954年から72年間、途絶えることなく開催しているこの「長崎原爆忌平和祈念俳句大会」も、そのような大切な記憶の装置の一つであると感じました。
今年も一般部門に734句、ジュニア部門に513句と、たくさんの投句を頂きました。感謝申し上げますとともに、この俳句大会が創造性に満ちた創作の場であり続けるよう、そして大切な記憶のための装置であり続けるように、今後も運営に努めてまいりたいと思っています。
2025年7月26日
長崎原爆忌平和祈念俳句大会実行委員会会長 倉田明彦
第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会 一般の部入賞作品
大会大賞
南瓜煮る平和崩さぬように煮る 福田良光 (宮城)
長崎県知事賞
一瞬が永遠となる八月来 山本悦子 (福岡)
長崎県議会議長賞
みなちがふ貌の灼かるる川原石 牛飼瑞栄 (長崎)
長崎県教育長賞
祈る手は人を殺す手浦上忌 牛飼瑞栄 (長崎)
長崎新聞社賞
虐殺の村史に紙魚のたぢろげり 牛飼瑞栄 (長崎)
現代俳句協会賞
原爆忌遺骨なき子のランドセル 渡辺をさむ(鳥取)
新俳句人連盟会賞
ナガサキの蝶は炎のように飛ぶ 前川弘明 (長崎)
西九州現代俳句協会
逃水を踏んで兵士の行ったきり 栗原かつ代(東京)
長崎平和推進協会賞
生かされて生きて黙祷長崎忌 有村王志 (大分)
優秀賞
被爆川カヌー漕ぐ子の弾む声 松尾酔雲 (長崎)
優秀賞
傘寿とふ死の適齢期長崎忌 小谷一夫 (長崎)
優秀賞
いつからか祈りとなりし蝉時雨 月城花風 (東京)
優秀賞
平和が年老いてゆく憲法記念日 岡田春人 (千葉)
第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会 ジュニアの部入賞者作品
大会大賞
あじさいの咲く街ここは爆心地 本山大悟 長崎南山高等学校2年
長崎市長賞
平和の詩暗記するほど朗読す 飯笹幸(こう)雅(が) 長崎県立桜が丘特別支援学校中学部3年
長崎市議会議長賞
そびえ立つ楠の蒼さや原爆忌 御厨憲(のり)希(き) 長崎県立佐世保北高等学校3年
長崎市教育長賞
祖父と祖母一度も語らぬ原爆忌 田崎紗代(さよ) 長崎市立深堀中学校3年
長崎新聞社賞
焼け野より芽吹くひまわり子らの声 千布(ちふ)心(しん)汰(た) 精道三川台高等学校3年
長崎県文芸協会賞
石突きの滴るしずく原爆忌 大西詩音(しおん) 埼玉県立狭山山緑陽高等学校3年次生
長崎の証言の会賞
空蝉や裏庭穿つ防空壕 松岡佑樹(ゆうき) 長崎県立佐世保北高等学校3年
長崎如己の会賞
多彩な紙祈りながら鶴を生む 竹馬(ちくば)美(み)海(う) 長崎市立深堀中学校3年
長崎県被爆者手帳友の会賞
長崎キワニスクラブ賞
小さくて青き地球や原爆忌 北村 心(しん) 精道三川台中学校2年
優秀賞
クリックで開く惨禍に声も出ず 岸下鉄之介 精道三川台高等学校2年
優良賞
原爆忌まだ地に残る人影よ 一ノ瀨綾(あや)菜(な) 長崎市立深堀中学校3年
優良賞
人類の人類による原爆忌 前田大空(そら) 長崎南山高等学校2年
当日句の部
大会大賞
八月を片付けられぬ母がいる 宮崎包子 (長崎)
準大賞
補聴器に沁みる蝉声原爆忌 横山慶子 (長崎)
優秀賞
丸腰で海に浮く国かたつむり 赤城正信 (長崎)
実行委員会賞
平和宣言じっと聞く赤とんぼ 馬津川ゆり (長崎)
二歳児の眼には鬼なり父復員(かへる)
杉山 勲 (長崎)
片蔭に在りても熱し原爆句碑 横山哲夫 (長崎)
爆心碑声に応ふる黙のあり 倉田明彦 (長崎)
水乞えば火の匂ひする被爆川 野田修子 (長崎)
事務局長 馬津川ゆり
第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会記
令和7年7月26日(土)
長崎原爆資料館平和学習室に於て
被爆80年となる今年の大会には、連日の気温35度近い猛暑にもかかわらず51名の参加を得た。司会進行は事務局長の馬津川ゆりが務めた。
はじめに原爆死没者と世界中で起きている戦争や紛争で犠牲となった人々のために黙祷を捧げた。倉田明彦大会会長は挨拶の中で、全国の被爆者が10万人を下回ったことにふれ、被爆体験の継承の難しさを訴えた。また、日本被団協のノーベル平和賞受賞式でのフリードマン委員長の言葉を引用し、被爆体験を記憶する活動は抵抗運動になり、変革の力となると訴え、1954年から72年間継続している本大会も大切な記憶の装置であると述べた。
続いて記念講演は「南蛮時代の長崎」と題し、長崎大学名誉教授の増﨑英明氏が登壇。「南蛮屏風」のスライドをスクリーンに映写しながら、古地図や「南蛮屏風」の中に描かれた中世の長崎の人物や建物に焦点を当て、キリスト教や世界との関わりも解説した。今は更地になっている県庁跡地をもっと深く発掘すれば南蛮時代の遺跡が出るはずだ、との話にロマンが膨らんだ。400年前の長崎には南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)や唐人(中国人)が市中に雑居し、異文化は緩やかに融合し、長崎独自の文化が醸成していったことがわかった。講演を聞き終え、グローバリゼーションを体現化したようなかつての歴史と今の時代を比べてみると、〝人類〟は間違った方向に進歩したのではないかと思わずにはいられなかった。
続いて募集句・一般の部の受賞句紹介は実行委員の江良修氏の司会で進められた。一般の部の投句数は734句。牛飼瑞栄氏は入賞の13句のうち県議会議長賞、県教育長賞、長崎新聞社賞の三賞を受賞する快挙だった。選者による講評のあと江良氏の勧めで、大会に参加していた牛飼氏の自解を聞くことができた。また江良氏は中・高校生の参加者を意識して「ナガサキ」の表記についても解説した。
募集句・ジュニアの部は実行委員の塩﨑みちえ氏が進行した。ジュニアの部は全国12校から513句が寄せられた。大会参加の学生の声を拾いながら受賞句を丁寧に紹介した。
当日句の部は倉田明彦会長が担当した。当日句には36句の投句があり、選者16人による選で大会大賞他入賞7句が選ばれた。宮崎包子さんの「八月を片付けられぬ母がいる」は、次点句に8点の差をつける23点を獲得し、大会大賞に選ばれた。また優秀賞に選ばれた赤城正信さんの「丸腰で海に浮く国かたつむり」については、「丸腰」という表現について、この「国」が日本であるならば、自衛隊を有しているから丸腰とは言えないのではないか、という意見が出され、赤城さん本人から「核」の有無を表現したという自解の弁がなされた。
馬津川事務局長からすべての部門の入賞者が発表され、来場者には賞楯を授与し、各人から簡単なコメントをいただいた。ジュニアの部の受賞者(中学生3人、高校生2人)も参加し、いつになく若やいだ雰囲気の大会となった。
塩﨑実行委員が、被爆81年になる来年の再会を祈念して閉会の挨拶とし、第72回長崎原爆忌平和祈念俳句大会を締めくくった。
今年も作品を寄せてくださった皆さま、またご多用にもかかわらず選句にあたってくださった選者の皆さまに深く感謝申し上げます。今年は被爆80年という節目の年になりましたが、世界には戦争、紛争の火種が燃え続けています。しかし、私たちは諦めることなく、揺るぎない反戦、反核の意志をもって平和希求の句を詠んで参りましょう。来年もまた皆さまからの作品を心からお待ちしております。
事務局長 馬津川ゆり
会長=倉田明彦
委員=江良 修 梶原郁穂 北辻千展 坂本しのぶ 坂田みどり 塩﨑みちえ 團 俊晴 松田紀子
溝上慶子
顧問=横山哲夫 事務局長=馬津川ゆり