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2年ぶり天覧相撲 陛下は八角理事長に「与之吉さんは大丈夫ですか」と質問

2019/03/09 9:45 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/03/09 9:48 に更新しました ]

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/20/kiji/20190120s00005000310000c.html

2年ぶり天覧相撲 陛下は八角理事長に「与之吉さんは大丈夫ですか」と質問
[ 2019年1月20日 19:01 ]

大相撲初場所8日目 ( 2019年1月20日    両国国技館 )

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/20/gazo/20190120s00005000309000p.html

 天皇、皇后両陛下をお迎えしての2年ぶりの天覧相撲。説明役を務めた八角理事長(元横綱・北勝海)は「まず、“きょうは(招待してもらい)ありがとう“と(天皇)陛下に言っていただき、(皇后陛下から)お元気でしたか、と言われました。(緊張で)頭の中が真っ白になりました」と話した。
 八角理事長は質問に備えて力士のさまざまな資料を用意していたが、最初にあったのが幕内格行司の式守与之吉の状態を気遣う言葉だったという。与之吉はギランバレー症候群のため昨年初場所から5場所連続で休場。昨年の九州場所から復帰していた。「“与之吉さんは大丈夫ですか”と皇后陛下から(質問が)ありました。病気から復帰したことをよくご存じで“今復帰しております”とお答えしました」と緊張が解けない様子で振り返っていた。




「全盲の医師」が語る半生、リハビリの大切さを訴える

2019/02/27 22:38 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/02/27 22:39 に更新しました ]

日本リハビリテーション医学会・市民公開講座

2013年10月23日 公開

https://kenko100.jp/articles/131023002655/?fbclid=IwAR21G8uffJkil8pl--3G4ET6kOHQT_Hyz3UYzkPCZSp4EJK5HcIqTt2S9To#gsc.tab=0

 2003年に全盲の初の医師国家試験合格者であり、現在はかわたペインクリニック(奈良県)で精神科医として勤務する守田稔さん。手や足にも障害を持ちながら不安やうつなどに悩む患者を診療している同氏は9月29日、大阪府で開かれた日本リハビリテーション医学会の市民公開講座で講演。障害と向き合ってきた半生を振り返るとともに、リハビリの重要性を訴えた。座長は、守田さんの担当医であり、現在もリハビリをサポートしている関西医科大学附属滝井病院(大阪府)リハビリテーション科の菅俊光教授が務めた。

ギラン・バレー症候群で手・脚・視覚に障害

 守田さんは二度にわたって手脚の筋肉に麻痺(まひ)が起こるギラン・バレー症候群を発症し、現在は手、脚、視覚に障害を持っている。足は膝下の装具とつえ、車椅子に頼っており、手はボタンを止めるなどの細かな動作が難しい。視覚障害の程度は全盲で、光も感じない。

 精神科医として不安やうつ、不眠症状に悩む患者などの外来診察を行うほか、2008年に結成した視覚障害を持つ医療関係者の団体「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」の代表としても活動している。

 講演では、ギラン・バレー症候群の発症から現在までの経緯とともに、リハビリとの関わりについて振り返った。

最初の発症、小学4年―リハビリの激痛で泣き叫ぶ

 守田さんが最初にギラン・バレー症候群を発症したのは、小学4年生のとき。手脚が動かなくなる症状が現れ、4カ月間の入院生活を送った。病状が落ち着いてから始められたのがリハビリだ。「それが、私の人生とリハビリとの初めての出会いだった」

 寝たきりが続いたために固まってしまった足首の関節を伸ばす治療から始めたが、あまりの激痛に毎回泣いたという。「泣き叫んでいる自分をかわいそうに思ったおじいさんが、『これをあげるから頑張れ』とお相撲さんの手形をくれたのを覚えている」と振り返る。

 車椅子と大きな装具とつえという姿で退院し、小学5年生で復学、午後は毎日リハビリのために通院した。中学へ上がる頃には、歩き方や走ることなどに少しの障害はあるものの、日常生活はほぼ問題ないまでに回復した。

大学5年で再発、人工呼吸器を着ける状態に

 その後、守田さんは医師を目指して関西医科大学(大阪府)に進学。二度目の発症は、医学部5年生の春だった。朝、目が覚めると手脚に力が入らず、その日のうちに呼吸困難となり、明け方には人工呼吸器につながれた。顔面の筋肉も含めて全身が動かなくなり、辛うじて眼球とまばたきができるだけの状態に。視野も急激に狭くなり、左目の中心が少し見えるだけとなった。

 一時は集中治療室で処置を受けていたが、病状は安定した1カ月後に一般病棟へ移動。徐々にまばたきでコミュニケーションが取れるようになったものの視野は回復せず、左目の鍵穴のような視野だけが頼みの綱となった。ひどく気分が沈んでいるときでも、関節が固まることを防ぐ可動域訓練は毎日必ず行っていたという。「24時間寝たきりの私にとって、リハビリを受ける時間はとても気持ちの良いものだった」。そのおかげで後日、最初の発症時のように足首が固まることはなく、痛みに苦しむこともなかった。

 2~3カ月後、舌が動くようになり、初めて自分の体が良い方向に変わったと感じた。少し動くように感じた部位は何度も動かし続けた。「何もしなくても勝手に動くようになるのかもしれないし、どれだけ行っても何もしなかったときと同じくらいしか回復しないかもしれない。けれど、こつこつと何かを積み重ねていれば、1年後には運が悪くても何もしなかったときと同じ、そうでなければ、何もしなかったときよりも良い結果になるだろうと信じてトレーニングを続けた」

 徐々に首から肩、腕、手首へと動く部位が広がった。発症から半年後には自発呼吸も戻り、人工呼吸器が外せるまでに回復、リハビリ室へ通えるようになった。退院したのは発症1年後の4月末だった。

 退院するときには「果たして社会復帰できるのだろうか、日常生活を送れるのだろうか」と、大きな不安と恐怖心に襲われた。そんなとき、リハビリに携わる医師や理学療法士、作業療法士がさまざまなアドバイスや、生活しやすくする道具を考えてくれた。そのおかげで徐々に不安が解消され、次のステップである復学を目指せるようになったという。

目が見えなくても医師国家試験を受けられる!

 周囲の助けを受けながら無事、医学部5年生に復学を果たした守田さんだったが、左目に残った視力も失われてしまった。さらに、最も思い悩んだのは当時、医師国家試験には視力障害が欠格事項であることだったという。

 そんなとき、復学後も定期的に通っていたリハビリ室で知り合った男性が、守田さんに新聞の切り抜きを手渡した。そこには、「欠格事項改訂、目が見えなくても医師国家試験を受けられる可能性が出てきた」と記されていた。タイミングとしては全くの偶然だったが、このニュースを受けて実習と勉強にさらに熱を入れて取り組んだという。

 普段の授業は聴講しながら録音、教科書や問題集を父母に録音してもらい、何度も聞き直した。リハビリ室では筋肉の名称などを医師に教えてもらいながらリハビリに励んだ。

 守田さんのように視覚障害を持つ受験者は初めてだったことから、大学と厚生労働省の間で幾度も交渉が持たれ、最終的に次のような受験方法が決められた。

問題内容と問題数は一般受験者と同じ
別室受験で試験時間は通常の1.5倍
対面朗読で問題を読み、それを録音して聞き直すことは可能
漢字など、文字を尋ねることは可能
口頭で解答し、マークシートには代筆記入
画像問題は問題作成者による画像説明があり、質問は受け付けないあるいは解釈を伴わない質問に対しては返答する

 1日約10時間、3日間にわたる試験を受けた。「厚労省の最大限の配慮により、そのとき持っている最大限の能力を出し切って医師国家試験を受験することができた」という。そして2003年、医師国家試験の合格通知を受け取ることができた。

 守田さんは現在も、精神科医として診療する傍ら、頻度は減ったもののリハビリのために通院している。運動療法の指導を受けるほか、つえや装具、車椅子などについても相談に乗ってもらっている。

 また、学生時代にはほとんど取り組んでいなかった、視覚障害に関する訓練も卒業後に始めた。文字情報を音声で読み上げるパソコンの操作もその一つで、「障害をカバーする能力を身に付けるという意味では、これも一つのリハビリだ」と守田さんは捉えている。

障害者手帳が障害を受け入れるきっかけに

 続いて守田さんは、自分自身の障害と向き合う過程について振り返った。

 ギラン・バレー症候群の発症から最初の数年間は、「手脚も目もいつかは治ってくれるのではないか、治ってほしい」と願っていた。障害と長く付き合わねばならないと思ったのは、障害者手帳を持ったことが一つの契機だった。当初はとてもショックなことだったという。

 しかし、手帳があることで介護サービスを受けられ、電車の切符や施設入場料が安くなることなどから、結果的に日常生活や行動に広がりができ、自分が障害者であることを少しずつ受け入れられるようになったようだ。手帳を持つことを勧めてくれたのはリハビリの担当医師だった。「ずっと身近に寄り添い治療を続けてくれていたからこそ、適切なタイミングで勧めてくれた」と守田さんは言う。

 守田さんは、「障害をどうやって受け入れられたのか」と尋ねられることがよくあり、その問いにこう答えているという。

 「自分自身が今、どれだけ受容できているのかも含めて、分からないというのが正直なところ。障害者であることを受け入れたからといって穏やかに過ごせるわけではないし、状況が悪い方向に変化したときはどうしても落ち込んでしまう。今後も障害の程度が変わるときには落ち込むことがあると思う。また、障害があることそのものではなく、障害がある生活の中でつらく感じることや、落ち込むことも時々ある。最近は、そういうときがあっても当たり前、そんなことがあるのも普通のことと思っている。それが私にとっての受容なのかもしれない」

"やる気を維持する3カ条"

 さらに、さまざまなことへのやる気を保つために、守田さんは主に3つのことを行っているという。

 1つは「趣味」。幼少時から鉄道好きで、今も鉄道旅行や鉄道グッズの収集は変わらず続いている。新たに鉄道の音や歴史にも興味が向くようになったという。「楽しみたいという気持ちがあれば趣味は続く」と考えている。

 2つ目は「何かを頑張ったときに自分へのささやかなご褒美をすること」。いつもより頑張って歩こうと思ったときには目的地を駅にして、帰りは電車に乗って帰ったり、何か美味しいものを食べたり、「自分を餌で釣るようなことを行っている」という。

 3つ目は「同じ障害を持つ人と話をすること」。これまでも、リハビリ室で知り合った患者同士でいろいろな話をしてきた。ほとんどはたわいのない会話だが、たまには互いの病気や障害について話すこともある。「当事者同士の対話も、緩やかに障害を受容することに役立った気がする」と述べている。

 守田さんは、自身がモットーとしている以下の言葉で講演を締めくくった。

 「しんどいときは休んでもいい、歩けるときは歩いていこう、楽しみやご褒美も時々混ぜて、一歩一歩を積み重ねていけば、何もしないよりもきっといつかいいことがある」

(長谷川 愛子)

闘病で気づいた“普通”のありがたさ 元ミス・ユニバース日本代表、美馬寛子さん 産経新聞 2/27(水) 12:31配信

2019/02/27 22:16 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/02/27 22:16 に更新しました ]

https://www.sankei.com/life/news/190227/lif1902270020-n1.html

 2008年のミス・ユニバース日本代表であり、現在は同ナショナルディレクターとして活躍している美馬寛子さん。その道のりに、大きな影響を与えた出来事が、中学生の時に発症したギラン・バレー症候群の闘病経験だった。痛感したのは、「普通」であることのありがたさと、周りの人の支えだったという。(聞き手 加藤聖子)

 徳島の田舎で育った私は、活発でスポーツが大好きな女の子でした。

 異変を感じたのは、中1の冬。微熱があって体調が悪かったのですが、自宅で突然倒れたのです。自分では倒れた記憶がありません。父が見つけて起こしてくれましたが、その時、右手足の感覚がおかしいことに気がつきました。

 翌日、総合病院で磁気共鳴画像装置(MRI)やコンピューター断層撮影(CT)などいろいろな検査を行い、最後に髄液の検査をしたら、「ギラン・バレー症候群」だと判明しました。最初に母親だけ診察室に呼ばれたので、「あ、これはあまり良くないのかも」と予感しました。

 〈ギラン・バレー症候群は神経疾患の一つで、手足に力が入らなくなり、まひしたりするなどの症状が現れる。重度の場合、後遺症が出たり、死に至ることもある〉

 その日から入院です。病気が進行すると、自発呼吸ができなくなることもあるなどと聞くうちに、深刻さを徐々に理解しました。自分の症状よりも、「親に迷惑をかけてしまった」ということがショックでした。同じ病気の人が車椅子に乗っているのを母が見て、「代わってあげたい」と悲しそうな顔でつぶやいたことを覚えています。

■  □  ■  

 入院中に一番つらかったのは、検査のために髄液を取る注射です。本当に痛いんです。右手が使えず、左手でスプーンで食事したり、歩行器を使ったりと、今まで当たり前にできていたこともできなくなり、普通であることのありがたさを痛感しました。

 不幸中の幸いだったのは、家族が毎日来てくれて、先生や友人など入院生活を支えてくれる人がたくさんいたことです。本当にありがたかったですね。

 退院後も1カ月ほど自宅で療養し、その後、ようやく学校に戻れました。でも、人と接触し、けがをしやすいスポーツはできず、体育や部活は見学です。

 体育のために学校に行っていたような私が、思うように体を動かせなくなったのはとてもつらいことでした。そんな時に出合ったのが陸上競技です。顧問の先生が「陸上なら個人プレーだし、リハビリも兼ねてできるのでは」と声をかけてくれたんです。走り高跳びに挑戦したのですが、そのことが、何もできないいらだちから私を解放してくれました。良い成績も出るようになり、全国大会にも7回出場。大学3年まで続けました。

■  □  ■ 

 ミス・ユニバース・ジャパンに挑戦しようと思ったのは大学3年生の時です。祖母、父が相次いで事故で他界し、再び「普通」は当たり前ではないと気づき、自分のやりたいことを考えていた時期でした。そんな時、同い年の森理世さんが世界大会で優勝し、私の求めていたのはこれだ!と思い、応募しました。ミス・ユニバースは「人と違うことが素晴らしい」と評価してくれる世界。自分に向いていたんだと思います。

 今はその経験を生かし、ナショナルディレクターの立場となって、候補生のトレーニングなどを行い、一般女性向けの美容スクールも開設しています。

 病気がなければ陸上競技はしていなかったでしょうし、陸上をしていなければ東京に出ることもなく、ミス・ユニバースに挑戦することもなかった。病気は不幸なことでしたが、それが今の私につながっています。今、病気に苦しんでいる人も、つらい先には多くの得るものもあると信じ、乗り越えていってほしいと思います。

 〈みま・ひろこ〉昭和61年、徳島県生まれ。平成20年にミス・ユニバース2008の日本代表となり、世界大会ではトップ15位、「ベスト・オブ・アジア」に選出された。昨年、日本人女性初となるミス・ユニバース・ジャパンのナショナルディレクターに任命され、日本の美しさを世界に広める活動を行っている。

NHK教育テレビの番組「ハートネットTV」でお悩みや体験談の募集をしています。

2019/01/15 18:41 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/01/15 18:42 に更新しました ]

NHK教育テレビの番組「ハートネットTV」でお悩みや体験談の募集をしています。

以下引用、、、

2月7日の放送は、毎月一度、各テーマについての悩みや体験談を事前に呼びかけ収集し、視聴者から集まった声を元に番組を展開する「LIVE相談チエノバ」という企画になります。

現在「“見た目にわかりづらい”難病 仕事・恋愛・結婚について」というテーマでお悩み・体験談の募集をしております。

書き込みにつきましては、実名を入力いただく必要はなくニックネームで結構です。(実名入力は不可となっております)

メールアドレスの入力は必要となりますが、性別・年齢・お住まいの地域等は任意での入力となります。

ぜひ「仕事・恋愛・結婚」について皆さんの様々な悩み・体験談を書き込み下さい。よろしくお願い致します。

募集URL 以下をクリックの上、入力画面に進んで下さい。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/16/

まさかの食べ物で大病になった女性

2018/10/09 7:45 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/10/09 7:45 に更新しました ]

ザ!世界仰天ニュース 2018年10月 9日 ON AIR

まさかの食べ物で大病になった女性

日常に潜む危険。軽い気持ちで食べたある物で
思わぬ病気を発症させてしまう事がある。
東京都に住む、坂柚子華(ゆずか)さんはこの夏、そんな体験をした。

柚子華さんは結婚2年目。幸せに暮らしていた。
ところが3か月前のこと...柚子華さんが突然倒れた。

その少し前...母と2人で買い物に出かけ歩いていた時だった。
体にある異変が。突然、手足の感覚がなくなっていた。

すぐに都内の病院へ向かった柚子華さん。
握力は極端に弱く...腱反射もない。
実はこの症状...ある物を食べたことがきっかけで起きていたと後に判明する。

実は柚子華さん、異変は数日前から起きていた。
何もないところでなぜかつまずく...足の感覚が鈍っていて、痺れているような状態。

さらにその3日前、いつものようにコーヒー牛乳を口にした時のこと。
口の中がピリピリする...それはコーヒー牛乳がまるで炭酸のように感じた。

医師はある病気を疑っていた。それはギラン・バレー症候群。
10万人に1人か2人の割合で発症するとされる神経疾患。
主に筋肉を動かす運動神経が異常をきたし、手足に力が入らなくなるなどの症状が起こる。

通常、細菌やウイルスから体を守るために作られる抗体。
だが、ギラン・バレー症候群になると...その抗体が誤作動を起こし
自分の末梢神経を攻撃してしまう。

これにより痺れや筋力の低下。
進行すると、やがて麻痺など、症状は長期的に及ぶことになる。

検査の結果、柚子華さんもギラン・バレー症候群を発症している事が判明。
すぐに入院することになったが、病状は急激に進行。
痺れは悪化し自分で歩く事すらできなくなった。

原因は暑い日に食べたアレだった!

実はギラン・バレー症候群の進行は早く、
発症から2週間~4週間でピークを迎えると言われている。

これまで大きな病気もなく健康を自負していた彼女がギラン・バレー症候群になった理由。
それは...ある食べ物が原因だった!!

ギラン・バレー症候群の発症原因の多くはある細菌に感染することから、と言われている。
それが...カンピロバクター。

実はこのカンピロバクターという細菌には人間の末梢神経と似た成分を持つものがある。
そのためカンピロバクター菌を攻撃するはずの抗体が誤って末梢神経を攻撃する事があり、
これによりギラン・バレー症候群を発症させる。

カンピロバクターによる食中毒は鶏の生肉を食べて発症する事が多いが、
彼女には心当たりがなかった。

しかし食中毒といえば思い当たる節があった。
それはコーヒー牛乳が炭酸に感じた日のさらに1週間程前の事...
彼女は近所のパン屋でタマゴサンドを買った。

柚子華さんは、そのタマゴサンドをすぐには食べなかった。
この日の最高気温は32.7度。
柚子華さんはタマゴサンドをカバンに入れたままにしてしまった。

その翌日、消費期限は前日までだったが、「まあ大丈夫だろう」と思い、
そのタマゴサンドを食べてしまった。
この食中毒が原因で、
柚子華さんはギラン・バレー症候群を発症してしまったとほぼ断定された。

その後、柚子華さんは免疫グロブリン治療という健康な人の抗体を点滴する治療を行い、
10日後には握力も戻り退院。

ただの食あたり...だが、それがもとで思わぬ病気を呼び込むこともある。
口にするものは慎重に...!

訪問看護フェスティバル ーOnly Oneの看護 2018ー

2018/09/29 9:13 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/09/29 9:21 に更新しました ]



都民の方や看護職の方等に、訪問看護の実際や重要性、その魅力を伝え、在宅療養を支える訪問看護の理解促進と人材確保を図るイベントです。



「九死に一生」式守与之吉 土俵に戻る

2018/09/20 3:15 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/09/20 3:16 に更新しました ]

日刊スポーツ
(日刊スポーツより)

「九死に一生」式守与之吉 土俵に戻る


幕内格行司の式守与之吉(49=宮城野)が、ギラン・バレー症候群を克服して土俵に戻ってくる。今年の初場所から5場所連続で休場中。秋場所の土俵には上がっていないが、事務方として国技館に出勤できるまでに回復した。「九死に一生を得ました。本場所は、九州場所から土俵に上がります」と声をはずませた。

発症したのは、昨年12月8日の宮崎市巡業の朝。前夜から肩が上がらず「疲れかな?」と思って一夜明けると、症状が重くなっていた。顔を洗うことも、着替えることもできない。現地で診察を受けると、そのまま入院を勧められた。四肢に力が入らなくなる難病「ギラン・バレー症候群」だった。巡業で滞在していたため荷物は十分でなく、まずは緊急帰京。空港では自力で歩けず、車いすでの移動を強いられるほどに病状が進行した。

東京に戻って入院。5日間点滴を受け、回復を待った。病気になった明確な原因は分からなかった。その後、リハビリを開始。「今年の3月までは、自分で起き上がることもできませんでした。寝たきりの時はこたえました。復帰できないと、半分以上はあきらめていました」。

一時は体重が10キロ以上も減った。「リハビリの先生の献身が、折れた心を救ってくれました。『治る病気なんです』と言って、手や足を持ち上げてくれました」。歩けるようになったのは、4月から。それでも、大相撲中継は見る気になれなかった。「自分が土俵に立つ時間は心苦しくて、気の焦りもありました。その時間はあえて院内を歩いたりしていました。ニュースや結果は耳に入りましたが、1~7月は見ていないんです」と振り返った。

6月14日に退院。再発の恐れはなくなり、本格復帰への準備を進めている。9月の秋場所からは国技館に出勤し、行司仲間から「おめでとう!」との声を掛けられた。ファンも多く、館内で気づいた人たちに驚かれる毎日だ。

休場中は、日本相撲協会の配慮で病名は伏せられていた。だが回復した今、与之吉は「公表してもらってかまいません。なってしまったものは、仕方ないですし」と前を向く。

30日の日馬富士引退相撲から土俵に立ち、本場所後の秋巡業に参加しつつ、九州に入る。「こんなに長い間空けたことはなかったので、楽しみも不安も半々です。初心に戻る感じですね」。今や表情は明るく、血色もいい。もう間もなく、あのはつらつとした「ハッキヨイ」の声が土俵に戻ってくる。【佐々木一郎】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

神経難病患者の口腔ケアについて

2018/09/18 19:43 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/09/18 19:43 に更新しました ]

千葉県難病団体協議会からのお知らせ

柏市、松戸市、流山市、我孫子市、野田市内在住の方が対象です。

※ネットは利用されていないようです。FAXでいただいたお知らせを掲載させていただきました。


「患者が働くということ」勉強会のお知らせ

2018/08/10 20:51 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/08/10 20:52 に更新しました ]

患者が働くということ

“患者当事者のために学ぼう” 実行委員会 主催

第1回 患者が働くということ

 障害者差別解消法による合理的配慮が事業主に求められるようになり、「障害者」に難病患者なども
含む概念が広がりつつあります。とはいえ、就職のとき、あるいは職場で働き続ける上で、 困難な状況
に直面する患者は少なくありません。
 第1回は就労をテーマに、患者の置かれている状況を学び、参加したみなさんとざっくばらんな意見
交換をしたいと思います。当事者である患者はもちろん、ご家族や支援者、研究者など、関心のある方
はどなたでも参加できます。

2018年8月18日 土 14:00-16:00 13:30より受付開始

● 場所 : 文京シビックホール会議室1
東京都文京区春日1-16-21 文京シビックセンター3 F
東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園」/都営地下鉄三田線・大江戸線
「春日」/JR中央・総武線「水道橋」

● 参加費: 500円(資料・会場代) 当日受付にて申し受けます。

● 申込み: kanjya.manabou@gmail.com に連絡願います。

第1部 話題提供
14:00~15:00
春名 由一郎さん による 話題提供
独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構
障害者職業総合センター主任研究員

第2部 意見交換
15:10~16:00
参加者のみんなで意見交換

「患者当事者のために学ぼう」実行委員会とは:
2018年春、患者が置かれている状況を、当事者や家族はもちろん、支援者や研究者など
様々な立場の人たちがみんなで共有する機会が欲しいと患者団体の有志で集いました。
呼びかけ人代表: 下堂前亨(全国心臓病の子どもを守る会事務局長) 問合せ: 090-6472-9936

サッカー ワールドカップ2018から その2

2018/07/03 9:19 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/07/03 9:20 に更新しました ]

ウルグアイ代表チームのオスカル・タバレス Oscar Tabarez 監督(71歳)は、2年前にギラン・バレー症候群に罹り、回復したが杖と電動スクーターを使用している。

ウルグアイ代表の監督が杖をもつ理由はギラン・バレー症候群

https://topilabo.com/367.html

OSCAR'S AWARD Why does Uruguay coach Oscar Tabarez have a walking stick and drive a mobility scooter?
This brave man has a proud history of 16 managerial posts as far afield as Colombia, Argentina, Italy and Spain


Uruguay coach Oscar Tabarez leads his team on crutches as he battles rare Guillain-Barre syndrome in Russia
o Oscar Tabarez, 71, is leading Uruguay in his third World Cup as manager 
o But coach is also battling a rare, degenerative disease - Guillain-Barre syndrome
o Tabarez uses crutches and had to be helped to his seat for their opening game
o Uruguay faced Egypt in the second match of the tournament in Yekaterinburg

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