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千葉県野田市および周辺の方への難病患者のつどいのお知らせ

2020/02/05 4:04 に Hajime Ueda が投稿   [ 2020/02/05 4:05 に更新しました ]


ギラン・バレー症候群、患者交流会が沖縄で始動 全国2カ所目 全国で毎年1500人発症も情報共有は十分でなく

2019/11/06 20:23 に Hajime Ueda が投稿   [ 2019/11/06 20:26 に更新しました ]

琉球新報

琉球新報 2019年11月6日 15:54

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1021176.html


県内でも始まったギラン・バレー症候群の患者交流会=10月27日、那覇市の県総合福祉センター

 免疫システムが自分の末梢神経を誤って壊し、急速に筋力が低下するなどの症状が出るギラン・バレー症候群の患者交流会が沖縄県内で始まっている。全国で2カ所目。ギラン・バレー症候群患者の会(東京)の上田肇代表を招いて10月27日、那覇市の県総合福祉センターで交流会が開かれ、4人の患者とその家族などが、発症時の様子や発症後の暮らし方などについて語り合った。

 国内では毎年1500~2000人が発症しているとされるが、情報共有は十分でなく「どう暮らしているか分からない。孤立している人もいるだろう」と上田さん。県内では、当事者でウェブ制作コーチなどを行う山川朝教さんが呼び掛けて8月から毎月1回の開催を続けている。

 交流会では病気について、発症すると急速に悪化することや、リハビリをすれば個人差は大きいが年単位の時間をかけて回復することなどを上田さんが説明。同じ知識を共有した上で、交流会での話し方の約束やヒントも紹介して「人に体験を話すのは難しいが、話すと自分が1人ではないことが分かり、力が湧く」と効果を語った。

 その後は参加者らが体験を語り合った。20代の女性は「じんましんがたくさん出たので病院を受診した。『経過観察』と言われたが翌日には動けなくなった」と急速な悪化を語った。50代の男性は「回復しないと言う医師もいたが、別の病院でリハビリを受けて3年後に再就職できた」と回復を語った。

 穏やかで受容的な雰囲気の中「当たり前にできたことができなくなり悔しい。周囲にも申し訳ない」と苦しい思いを打ち明けるなど、活発な対話が続いた。山川さんは「相談できる場所があることを知ってほしい」と交流会への参加を呼び掛けた。

 今月は24日午後2時から開く。場所は未定。問い合わせは山川さん(電話)080(3955)1663。

※沖縄の患者交流会への連絡はGBSオキナワのLINE公式アカウント( http://nav.cx/fi71JOn )からお願いします。

琉球新報に患者交流会@沖縄の取材記事が掲載されました。

2019/11/06 0:23 に Hajime Ueda が投稿   [ 2019/11/06 0:27 に更新しました ]

琉球新報 2019年11月6日の紙面から

なぜ交流会を行うのか、一般の人にも分かりやすく書かれています。患者交流会@沖縄を主催している山川さんへの連絡は、GBSオキナワの公式Lineアカウント( http://nav.cx/fi71JOn )からお願いします。

ペルーで「ギラン・バレー症候群」が集団発生

2019/06/12 1:18 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/06/12 1:18 に更新しました ]

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190612/k10011949341000.html

NHK NeWS WEB 2019年6月12日 7時14分

南米のペルー政府は、手足に力が入らなくなる難病の「ギラン・バレー症候群」が首都リマや北部の観光地などで、集団発生していることを受けて健康上の非常事態の宣言を出しました。現地の日本大使館も、旅行者などに衛生対策を徹底するよう注意を呼びかけています。

ペルー政府によりますと、首都リマや北部の観光地では、ことしに入り、ギラン・バレー症候群が206例確認され、このうち4人が死亡しています。

ギラン・バレー症候群は年間の発症率が10万人に1人と言われる難病で、発症すると手足に力が入らなくなり、まひが全身に急速に広がって、最悪の場合、死に至ることもあります。

ペルー政府は、患者の広がりを受けて今月8日に、健康上の非常事態の宣言を出し、筋力の低下などの症状が出た場合には、すぐに病院で診察を受けるよう呼びかけています。

また、蚊が媒介するジカ熱との関連も指摘されていることから専門の医師を現地に派遣して原因の調査を行っています。

ペルーには世界遺産のマチュピチュなどに多くの日本人観光客が訪れていて、現地の日本大使館は、トイレの後の手洗いや食べ物をきれいに洗うなど衛生対策を徹底するよう注意を呼びかけています。

公開講座「患者学」と難病・慢性患者のごった煮会

2019/06/03 10:17 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/06/03 10:18 に更新しました ]

慶応義塾大学看護医療学部の加藤眞三先生が主催されている公開講座「患者学」と難病・慢性患者のごった煮会について最近知り、実際に参加することができました。

患者や家族の心のケアや生活の質の向上について考える上で大変役に立つと感じました。

いわゆるピアサポートについて興味のある方はぜひ参加されてみることをお勧めします。

来月の開催予定をメモしておきます。場所は慶應義塾大学信濃町キャンパス考養舎の教室で、加藤眞三先生のブログ https://katos.at.webry.info/ に毎回の通知があります。

最初に10分ほどの趣旨説明があり、前半はスピーカーのお話し、後半はお話しの内容についてワールドカフェスタイルで対話を行います。

公開講座「患者学」

7月4日(木)18時-21時 「患者の力:アメリカの多様な患者会をみてきて」 加藤史織

8月1日(木)18時-21時 「ドゥーラに関するお話し」 木村章鼓

難病・慢性患者のごった煮会

7月21日(日)13時-15時30分

ごった煮会については、次の記事も参考にしてください。

https://www.manekineko-network.org/peer-support-now/2019/01/22/%E7%95%B0%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%82%A3%E8%80%85%E3%83%BB%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%81%8C%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%8A%E8%AA%9E%E3%82%8A%E5%90%88%E3%81%86/?fbclid=IwAR0-1zCBs7DSXb67pBPQr7tvEmmmj84ZSqHVpKIyLJ-xz3e8WJjYxFWlV1E

以上

2年ぶり天覧相撲 陛下は八角理事長に「与之吉さんは大丈夫ですか」と質問

2019/03/09 9:45 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/03/09 9:48 に更新しました ]

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/20/kiji/20190120s00005000310000c.html

2年ぶり天覧相撲 陛下は八角理事長に「与之吉さんは大丈夫ですか」と質問
[ 2019年1月20日 19:01 ]

大相撲初場所8日目 ( 2019年1月20日    両国国技館 )

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/20/gazo/20190120s00005000309000p.html

 天皇、皇后両陛下をお迎えしての2年ぶりの天覧相撲。説明役を務めた八角理事長(元横綱・北勝海)は「まず、“きょうは(招待してもらい)ありがとう“と(天皇)陛下に言っていただき、(皇后陛下から)お元気でしたか、と言われました。(緊張で)頭の中が真っ白になりました」と話した。
 八角理事長は質問に備えて力士のさまざまな資料を用意していたが、最初にあったのが幕内格行司の式守与之吉の状態を気遣う言葉だったという。与之吉はギランバレー症候群のため昨年初場所から5場所連続で休場。昨年の九州場所から復帰していた。「“与之吉さんは大丈夫ですか”と皇后陛下から(質問が)ありました。病気から復帰したことをよくご存じで“今復帰しております”とお答えしました」と緊張が解けない様子で振り返っていた。




「全盲の医師」が語る半生、リハビリの大切さを訴える

2019/02/27 22:38 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/02/27 22:39 に更新しました ]

日本リハビリテーション医学会・市民公開講座

2013年10月23日 公開

https://kenko100.jp/articles/131023002655/?fbclid=IwAR21G8uffJkil8pl--3G4ET6kOHQT_Hyz3UYzkPCZSp4EJK5HcIqTt2S9To#gsc.tab=0

 2003年に全盲の初の医師国家試験合格者であり、現在はかわたペインクリニック(奈良県)で精神科医として勤務する守田稔さん。手や足にも障害を持ちながら不安やうつなどに悩む患者を診療している同氏は9月29日、大阪府で開かれた日本リハビリテーション医学会の市民公開講座で講演。障害と向き合ってきた半生を振り返るとともに、リハビリの重要性を訴えた。座長は、守田さんの担当医であり、現在もリハビリをサポートしている関西医科大学附属滝井病院(大阪府)リハビリテーション科の菅俊光教授が務めた。

ギラン・バレー症候群で手・脚・視覚に障害

 守田さんは二度にわたって手脚の筋肉に麻痺(まひ)が起こるギラン・バレー症候群を発症し、現在は手、脚、視覚に障害を持っている。足は膝下の装具とつえ、車椅子に頼っており、手はボタンを止めるなどの細かな動作が難しい。視覚障害の程度は全盲で、光も感じない。

 精神科医として不安やうつ、不眠症状に悩む患者などの外来診察を行うほか、2008年に結成した視覚障害を持つ医療関係者の団体「視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)」の代表としても活動している。

 講演では、ギラン・バレー症候群の発症から現在までの経緯とともに、リハビリとの関わりについて振り返った。

最初の発症、小学4年―リハビリの激痛で泣き叫ぶ

 守田さんが最初にギラン・バレー症候群を発症したのは、小学4年生のとき。手脚が動かなくなる症状が現れ、4カ月間の入院生活を送った。病状が落ち着いてから始められたのがリハビリだ。「それが、私の人生とリハビリとの初めての出会いだった」

 寝たきりが続いたために固まってしまった足首の関節を伸ばす治療から始めたが、あまりの激痛に毎回泣いたという。「泣き叫んでいる自分をかわいそうに思ったおじいさんが、『これをあげるから頑張れ』とお相撲さんの手形をくれたのを覚えている」と振り返る。

 車椅子と大きな装具とつえという姿で退院し、小学5年生で復学、午後は毎日リハビリのために通院した。中学へ上がる頃には、歩き方や走ることなどに少しの障害はあるものの、日常生活はほぼ問題ないまでに回復した。

大学5年で再発、人工呼吸器を着ける状態に

 その後、守田さんは医師を目指して関西医科大学(大阪府)に進学。二度目の発症は、医学部5年生の春だった。朝、目が覚めると手脚に力が入らず、その日のうちに呼吸困難となり、明け方には人工呼吸器につながれた。顔面の筋肉も含めて全身が動かなくなり、辛うじて眼球とまばたきができるだけの状態に。視野も急激に狭くなり、左目の中心が少し見えるだけとなった。

 一時は集中治療室で処置を受けていたが、病状は安定した1カ月後に一般病棟へ移動。徐々にまばたきでコミュニケーションが取れるようになったものの視野は回復せず、左目の鍵穴のような視野だけが頼みの綱となった。ひどく気分が沈んでいるときでも、関節が固まることを防ぐ可動域訓練は毎日必ず行っていたという。「24時間寝たきりの私にとって、リハビリを受ける時間はとても気持ちの良いものだった」。そのおかげで後日、最初の発症時のように足首が固まることはなく、痛みに苦しむこともなかった。

 2~3カ月後、舌が動くようになり、初めて自分の体が良い方向に変わったと感じた。少し動くように感じた部位は何度も動かし続けた。「何もしなくても勝手に動くようになるのかもしれないし、どれだけ行っても何もしなかったときと同じくらいしか回復しないかもしれない。けれど、こつこつと何かを積み重ねていれば、1年後には運が悪くても何もしなかったときと同じ、そうでなければ、何もしなかったときよりも良い結果になるだろうと信じてトレーニングを続けた」

 徐々に首から肩、腕、手首へと動く部位が広がった。発症から半年後には自発呼吸も戻り、人工呼吸器が外せるまでに回復、リハビリ室へ通えるようになった。退院したのは発症1年後の4月末だった。

 退院するときには「果たして社会復帰できるのだろうか、日常生活を送れるのだろうか」と、大きな不安と恐怖心に襲われた。そんなとき、リハビリに携わる医師や理学療法士、作業療法士がさまざまなアドバイスや、生活しやすくする道具を考えてくれた。そのおかげで徐々に不安が解消され、次のステップである復学を目指せるようになったという。

目が見えなくても医師国家試験を受けられる!

 周囲の助けを受けながら無事、医学部5年生に復学を果たした守田さんだったが、左目に残った視力も失われてしまった。さらに、最も思い悩んだのは当時、医師国家試験には視力障害が欠格事項であることだったという。

 そんなとき、復学後も定期的に通っていたリハビリ室で知り合った男性が、守田さんに新聞の切り抜きを手渡した。そこには、「欠格事項改訂、目が見えなくても医師国家試験を受けられる可能性が出てきた」と記されていた。タイミングとしては全くの偶然だったが、このニュースを受けて実習と勉強にさらに熱を入れて取り組んだという。

 普段の授業は聴講しながら録音、教科書や問題集を父母に録音してもらい、何度も聞き直した。リハビリ室では筋肉の名称などを医師に教えてもらいながらリハビリに励んだ。

 守田さんのように視覚障害を持つ受験者は初めてだったことから、大学と厚生労働省の間で幾度も交渉が持たれ、最終的に次のような受験方法が決められた。

問題内容と問題数は一般受験者と同じ
別室受験で試験時間は通常の1.5倍
対面朗読で問題を読み、それを録音して聞き直すことは可能
漢字など、文字を尋ねることは可能
口頭で解答し、マークシートには代筆記入
画像問題は問題作成者による画像説明があり、質問は受け付けないあるいは解釈を伴わない質問に対しては返答する

 1日約10時間、3日間にわたる試験を受けた。「厚労省の最大限の配慮により、そのとき持っている最大限の能力を出し切って医師国家試験を受験することができた」という。そして2003年、医師国家試験の合格通知を受け取ることができた。

 守田さんは現在も、精神科医として診療する傍ら、頻度は減ったもののリハビリのために通院している。運動療法の指導を受けるほか、つえや装具、車椅子などについても相談に乗ってもらっている。

 また、学生時代にはほとんど取り組んでいなかった、視覚障害に関する訓練も卒業後に始めた。文字情報を音声で読み上げるパソコンの操作もその一つで、「障害をカバーする能力を身に付けるという意味では、これも一つのリハビリだ」と守田さんは捉えている。

障害者手帳が障害を受け入れるきっかけに

 続いて守田さんは、自分自身の障害と向き合う過程について振り返った。

 ギラン・バレー症候群の発症から最初の数年間は、「手脚も目もいつかは治ってくれるのではないか、治ってほしい」と願っていた。障害と長く付き合わねばならないと思ったのは、障害者手帳を持ったことが一つの契機だった。当初はとてもショックなことだったという。

 しかし、手帳があることで介護サービスを受けられ、電車の切符や施設入場料が安くなることなどから、結果的に日常生活や行動に広がりができ、自分が障害者であることを少しずつ受け入れられるようになったようだ。手帳を持つことを勧めてくれたのはリハビリの担当医師だった。「ずっと身近に寄り添い治療を続けてくれていたからこそ、適切なタイミングで勧めてくれた」と守田さんは言う。

 守田さんは、「障害をどうやって受け入れられたのか」と尋ねられることがよくあり、その問いにこう答えているという。

 「自分自身が今、どれだけ受容できているのかも含めて、分からないというのが正直なところ。障害者であることを受け入れたからといって穏やかに過ごせるわけではないし、状況が悪い方向に変化したときはどうしても落ち込んでしまう。今後も障害の程度が変わるときには落ち込むことがあると思う。また、障害があることそのものではなく、障害がある生活の中でつらく感じることや、落ち込むことも時々ある。最近は、そういうときがあっても当たり前、そんなことがあるのも普通のことと思っている。それが私にとっての受容なのかもしれない」

"やる気を維持する3カ条"

 さらに、さまざまなことへのやる気を保つために、守田さんは主に3つのことを行っているという。

 1つは「趣味」。幼少時から鉄道好きで、今も鉄道旅行や鉄道グッズの収集は変わらず続いている。新たに鉄道の音や歴史にも興味が向くようになったという。「楽しみたいという気持ちがあれば趣味は続く」と考えている。

 2つ目は「何かを頑張ったときに自分へのささやかなご褒美をすること」。いつもより頑張って歩こうと思ったときには目的地を駅にして、帰りは電車に乗って帰ったり、何か美味しいものを食べたり、「自分を餌で釣るようなことを行っている」という。

 3つ目は「同じ障害を持つ人と話をすること」。これまでも、リハビリ室で知り合った患者同士でいろいろな話をしてきた。ほとんどはたわいのない会話だが、たまには互いの病気や障害について話すこともある。「当事者同士の対話も、緩やかに障害を受容することに役立った気がする」と述べている。

 守田さんは、自身がモットーとしている以下の言葉で講演を締めくくった。

 「しんどいときは休んでもいい、歩けるときは歩いていこう、楽しみやご褒美も時々混ぜて、一歩一歩を積み重ねていけば、何もしないよりもきっといつかいいことがある」

(長谷川 愛子)

闘病で気づいた“普通”のありがたさ 元ミス・ユニバース日本代表、美馬寛子さん 産経新聞 2/27(水) 12:31配信

2019/02/27 22:16 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/02/27 22:16 に更新しました ]

https://www.sankei.com/life/news/190227/lif1902270020-n1.html

 2008年のミス・ユニバース日本代表であり、現在は同ナショナルディレクターとして活躍している美馬寛子さん。その道のりに、大きな影響を与えた出来事が、中学生の時に発症したギラン・バレー症候群の闘病経験だった。痛感したのは、「普通」であることのありがたさと、周りの人の支えだったという。(聞き手 加藤聖子)

 徳島の田舎で育った私は、活発でスポーツが大好きな女の子でした。

 異変を感じたのは、中1の冬。微熱があって体調が悪かったのですが、自宅で突然倒れたのです。自分では倒れた記憶がありません。父が見つけて起こしてくれましたが、その時、右手足の感覚がおかしいことに気がつきました。

 翌日、総合病院で磁気共鳴画像装置(MRI)やコンピューター断層撮影(CT)などいろいろな検査を行い、最後に髄液の検査をしたら、「ギラン・バレー症候群」だと判明しました。最初に母親だけ診察室に呼ばれたので、「あ、これはあまり良くないのかも」と予感しました。

 〈ギラン・バレー症候群は神経疾患の一つで、手足に力が入らなくなり、まひしたりするなどの症状が現れる。重度の場合、後遺症が出たり、死に至ることもある〉

 その日から入院です。病気が進行すると、自発呼吸ができなくなることもあるなどと聞くうちに、深刻さを徐々に理解しました。自分の症状よりも、「親に迷惑をかけてしまった」ということがショックでした。同じ病気の人が車椅子に乗っているのを母が見て、「代わってあげたい」と悲しそうな顔でつぶやいたことを覚えています。

■  □  ■  

 入院中に一番つらかったのは、検査のために髄液を取る注射です。本当に痛いんです。右手が使えず、左手でスプーンで食事したり、歩行器を使ったりと、今まで当たり前にできていたこともできなくなり、普通であることのありがたさを痛感しました。

 不幸中の幸いだったのは、家族が毎日来てくれて、先生や友人など入院生活を支えてくれる人がたくさんいたことです。本当にありがたかったですね。

 退院後も1カ月ほど自宅で療養し、その後、ようやく学校に戻れました。でも、人と接触し、けがをしやすいスポーツはできず、体育や部活は見学です。

 体育のために学校に行っていたような私が、思うように体を動かせなくなったのはとてもつらいことでした。そんな時に出合ったのが陸上競技です。顧問の先生が「陸上なら個人プレーだし、リハビリも兼ねてできるのでは」と声をかけてくれたんです。走り高跳びに挑戦したのですが、そのことが、何もできないいらだちから私を解放してくれました。良い成績も出るようになり、全国大会にも7回出場。大学3年まで続けました。

■  □  ■ 

 ミス・ユニバース・ジャパンに挑戦しようと思ったのは大学3年生の時です。祖母、父が相次いで事故で他界し、再び「普通」は当たり前ではないと気づき、自分のやりたいことを考えていた時期でした。そんな時、同い年の森理世さんが世界大会で優勝し、私の求めていたのはこれだ!と思い、応募しました。ミス・ユニバースは「人と違うことが素晴らしい」と評価してくれる世界。自分に向いていたんだと思います。

 今はその経験を生かし、ナショナルディレクターの立場となって、候補生のトレーニングなどを行い、一般女性向けの美容スクールも開設しています。

 病気がなければ陸上競技はしていなかったでしょうし、陸上をしていなければ東京に出ることもなく、ミス・ユニバースに挑戦することもなかった。病気は不幸なことでしたが、それが今の私につながっています。今、病気に苦しんでいる人も、つらい先には多くの得るものもあると信じ、乗り越えていってほしいと思います。

 〈みま・ひろこ〉昭和61年、徳島県生まれ。平成20年にミス・ユニバース2008の日本代表となり、世界大会ではトップ15位、「ベスト・オブ・アジア」に選出された。昨年、日本人女性初となるミス・ユニバース・ジャパンのナショナルディレクターに任命され、日本の美しさを世界に広める活動を行っている。

NHK教育テレビの番組「ハートネットTV」でお悩みや体験談の募集をしています。

2019/01/15 18:41 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2019/01/15 18:42 に更新しました ]

NHK教育テレビの番組「ハートネットTV」でお悩みや体験談の募集をしています。

以下引用、、、

2月7日の放送は、毎月一度、各テーマについての悩みや体験談を事前に呼びかけ収集し、視聴者から集まった声を元に番組を展開する「LIVE相談チエノバ」という企画になります。

現在「“見た目にわかりづらい”難病 仕事・恋愛・結婚について」というテーマでお悩み・体験談の募集をしております。

書き込みにつきましては、実名を入力いただく必要はなくニックネームで結構です。(実名入力は不可となっております)

メールアドレスの入力は必要となりますが、性別・年齢・お住まいの地域等は任意での入力となります。

ぜひ「仕事・恋愛・結婚」について皆さんの様々な悩み・体験談を書き込み下さい。よろしくお願い致します。

募集URL 以下をクリックの上、入力画面に進んで下さい。

https://www.nhk.or.jp/heart-net/new-voice/16/

まさかの食べ物で大病になった女性

2018/10/09 7:45 に ギラン・バレー症候群患者の会 が投稿   [ 2018/10/09 7:45 に更新しました ]

ザ!世界仰天ニュース 2018年10月 9日 ON AIR

まさかの食べ物で大病になった女性

日常に潜む危険。軽い気持ちで食べたある物で
思わぬ病気を発症させてしまう事がある。
東京都に住む、坂柚子華(ゆずか)さんはこの夏、そんな体験をした。

柚子華さんは結婚2年目。幸せに暮らしていた。
ところが3か月前のこと...柚子華さんが突然倒れた。

その少し前...母と2人で買い物に出かけ歩いていた時だった。
体にある異変が。突然、手足の感覚がなくなっていた。

すぐに都内の病院へ向かった柚子華さん。
握力は極端に弱く...腱反射もない。
実はこの症状...ある物を食べたことがきっかけで起きていたと後に判明する。

実は柚子華さん、異変は数日前から起きていた。
何もないところでなぜかつまずく...足の感覚が鈍っていて、痺れているような状態。

さらにその3日前、いつものようにコーヒー牛乳を口にした時のこと。
口の中がピリピリする...それはコーヒー牛乳がまるで炭酸のように感じた。

医師はある病気を疑っていた。それはギラン・バレー症候群。
10万人に1人か2人の割合で発症するとされる神経疾患。
主に筋肉を動かす運動神経が異常をきたし、手足に力が入らなくなるなどの症状が起こる。

通常、細菌やウイルスから体を守るために作られる抗体。
だが、ギラン・バレー症候群になると...その抗体が誤作動を起こし
自分の末梢神経を攻撃してしまう。

これにより痺れや筋力の低下。
進行すると、やがて麻痺など、症状は長期的に及ぶことになる。

検査の結果、柚子華さんもギラン・バレー症候群を発症している事が判明。
すぐに入院することになったが、病状は急激に進行。
痺れは悪化し自分で歩く事すらできなくなった。

原因は暑い日に食べたアレだった!

実はギラン・バレー症候群の進行は早く、
発症から2週間~4週間でピークを迎えると言われている。

これまで大きな病気もなく健康を自負していた彼女がギラン・バレー症候群になった理由。
それは...ある食べ物が原因だった!!

ギラン・バレー症候群の発症原因の多くはある細菌に感染することから、と言われている。
それが...カンピロバクター。

実はこのカンピロバクターという細菌には人間の末梢神経と似た成分を持つものがある。
そのためカンピロバクター菌を攻撃するはずの抗体が誤って末梢神経を攻撃する事があり、
これによりギラン・バレー症候群を発症させる。

カンピロバクターによる食中毒は鶏の生肉を食べて発症する事が多いが、
彼女には心当たりがなかった。

しかし食中毒といえば思い当たる節があった。
それはコーヒー牛乳が炭酸に感じた日のさらに1週間程前の事...
彼女は近所のパン屋でタマゴサンドを買った。

柚子華さんは、そのタマゴサンドをすぐには食べなかった。
この日の最高気温は32.7度。
柚子華さんはタマゴサンドをカバンに入れたままにしてしまった。

その翌日、消費期限は前日までだったが、「まあ大丈夫だろう」と思い、
そのタマゴサンドを食べてしまった。
この食中毒が原因で、
柚子華さんはギラン・バレー症候群を発症してしまったとほぼ断定された。

その後、柚子華さんは免疫グロブリン治療という健康な人の抗体を点滴する治療を行い、
10日後には握力も戻り退院。

ただの食あたり...だが、それがもとで思わぬ病気を呼び込むこともある。
口にするものは慎重に...!

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