ジェフ・ミンター & イヴァン・ゾルジン

Llamasoftのビジョナリー達の紹介

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Llamasoftの世界へようこそ

Llamasoftはイギリス、ウェールズにある二人だけのソフトウェア開発会社です。このページではその二人…ジェフ・ミンターさんとイヴァン・ゾルジンさんを紹介します。彼らはウェールズののどかな環境で、羊、ラマ、山羊と暮らしながらゲームを作りあげています。

なお、二人の写真は ファミ通.comのインタビューでもみることができます。子羊にミルクをやっているのがイヴァンさん、それ以外の写真にいるのがジェフさんです。 また、ゲームサイド4月号のラマソフト特集インタビューからもその人柄を知ることができます。

ジェフ・ミンター(Jeff Minter)

1962年生まれ。イギリス出身。 1982年にLlamasoftを設立し、以来2004年まで一人でゲーム製作を行ってきたゲームデザイナ兼プログラマ。偶蹄目、紅茶、ビール、カレーをこよなく愛する。仕事場写真はこちら(ゲームサイドUG)

Llamasoft公式ページよりジェフ・ミンター自己紹介

まず、自己紹介をすべきだろう。私はこのサイトでYakと呼ばれている人物だ。このペンネームを選んだのは、アーケードマシーンのハイスコアテーブルに3文字しか入力できなかった時代で、私はYakという名前を選んだ。Yak(ヤク)はむさ苦しい毛むくじゃらの獣で、自分と多くの共通点があるからだ;-) そして、私は牛のような性質を持っている。引出しで一番の切れ味のナイフではないかもしれないが、忍耐強く、頑固で、どんなに長くかかろうとも行きたいところまで歩みを進めていくのだ。

私がゲームを作りだしたのは1970年代の終わり、古いコモドールPETで、1982年にはLlamasoftを設立し、コモドールVic-20とコモドール64向けのゲームを開発した。Llamasoftはそれからほどなくして、主にヨーロッパで人気が出て、その独特のスタイルによって知られるようになった。ユーモアと、様々な偶蹄類と、そして充実したゲームプレイを持つゲームによってだ。まあ、ある一部の人たちにとってのことだが。Llamasoftのゲームは万人向けではない。それでも、Llamasoftのゲームを好んだ人は忠実なファンとなり、この時代を懐かしく覚えている人も多い。

ただし、ゲームというのは私の半分に過ぎない。私のさらなる情熱であるライフワークは「ライトシンセサイザー」の開発だ。これは抽象的なインタラクティブエンタテインメントで、詳細はこのサイトの他のページで知ることができる。そして私はこのライトシンセサイザーの開発を1984年以来活発に続けている…

ビデオゲーム市場が発展すると、Llamasoftのような小さな会社にとって自社パブリッシングは難しくなった。そして自分の作品を販売する別の方法を探すようになった。私はAtari ST、Amiga、PC向けのゲームLlamatronによってイギリスにおけるシェアウェアのコンセプトの広まりに貢献した。また、私はAtariのための仕事もやった。おそらくそこで一番有名な作品はAtari Jaguar向けのTempest 2000だろう。

それから、VM Labsという会社で働き、そこで雇用されている間にTempest 3000を作りあげた。だが、これは大プロジェクトだった…完成まで2年以上もかかってしまった。VM Labsが破産し、職を失った時に、Gnu-Llamasoftが生まれた。ここではPocket PCとPC向けに小さいが楽しいゲームを作った。その中で一番成功したのはGridrunner++で、これはMac OS Xにも移植されている。

その次のゲーム作品は悲しいことに発売されなかった。「Unity」はLionhead Studiosとパートナーを組んだ野心的なプロジェクトだった。とてもやりがいのある仕事だった。しかし、結局自分たちの持つ時間では十分なものを作り上げることができないと判断し、Unityの開発は終了した。Unityの開発を中止しなければならなかったことは残念だったが、それでも開発に使った時間は非常に価値のあるものだった。製作の経験という意味でも、友人が友人以上の存在、共通のビジョンを持ち才能豊かでクリエイティブな「クルー」となったという意味でも両方だ。そして、これがもしかしたら本当のUnityだったのかもしれない。

「クルー」の知人を通じて、私はマイクロソフトの注目するところとなった。マイクロソフトには既に私のライトシンセの作品を知る人が存在し、彼は私にXbox360の開発キットを渡してチャンスをくれた。「OK、それなら、何ができるか見せてほしい。」その結果はそれ自身が語っていると思う。クルー全員は本当に美しいものの開発に関われたことを幸せで誇りに感じた。

私は西ウェールズの美しい環境の中に、パートナーのジャイルズと、4頭の羊と、2頭のヤギと、2頭のラマと、カレーから名前がついた小さい元気なボーダーコリーと一緒に住んでいる。ジャイルズと共に働くことは、開発の重荷を分けあうという私にとってはじめての経験だ。そしてその結果は自明だろう。ジャイルズのすばらしいプログラミング能力、関係分野すべてにおける専門性、高等数学知識に裏付けられたクリエイティブビジョンは、Llamasoftの開発能力を大いに強化し、拡張した。これから協力してNeonテクノロジーの開発を様々に進めていくにあたって理想的な状態にあるのだ。Xbox 360のインタラクティブビジュアライザはただの始まりに過ぎない。美しさと、光と、クリエイティブ性と、楽しさがあふれる未来への第一歩に過ぎないのだ。

イヴァン・ゾルジン(Ivan Zorzin)

イタリア出身。シェフとしての長年の経歴も持つが、プログラムへの情熱を捨てきれずにコンピュータ業界へ。紆余曲折の後、偶然の出会いからジェフ・ミンターと意気投合し、Llamasoftに加わることになる。Neon以降のLlamasoftの作品は二人の共同製作。ハンドルGilesGoatからジャイルズと呼ばれることのほうが多い。仕事場写真はこちら(ゲームサイドUG)

Llamasoft公式ページよりイヴァン・ゾルジン自己紹介

私はグラフィックと数学への情熱を持ちつづけていたが、絵を描くことはできなかった。ある日、直交座標グラフについて学んだ日に私の人生は変わった。「このf(x)という関数はどんな風に見えるのだろう?」

コンピュータが普及して自分もコンピュータを使う機会が来て(私の初めてのコンピュータはZX 80だった)、初めてy=sin(x)のグラフを出力してみた…カクカクした…64x48ピクセルくらいのものだった…だがこうして全てが始まった。

それ以来常にコンピュータグラフィックを愛してきて、「プロットできるものならは何でも」プロットし、「読むことができるものは何でも」読むことに多くの時間を費やしてきた。私はレンダリングと3Dグラフィック、特に「不可思議な形」と数学的関数に強い興味を持ち続けていた。

2Dから3Dへ…ワイヤフレーム…点…そしてZXスペクトラムでのレイトレーシングに、シンクレアQLでの複雑な表面のZ-Buffer法を使ったレンダリングまでしていた。時には「形の数学的正確性」に興味を持つこともあったが、多くの場合はただ「まだ見たことがない美しいもの」を見たいとただ願っていた…フラクタル、セルオートマタ…アルゴリズムで生成できるものはすべて一通り試してきたと思う。

情熱

当時足りなかったものは、コミュニケーションだったかもしれない。もちろん、週末に一緒にコンピュータをいじっているアイデアにあふれた友人達はいたし、コンピュータショップで誰かに「このプログラムをあなたのコンピュータで試していいですか?」と問いかけたりもしていた。'.

私と同じ情熱を持った人もいたが、それを出すような場所はなく、時間が経つについて「何か別のこと」に皆は移っていた…そう…それは趣味となり、人生が忙しくなると趣味の時間も終わってしまったのだ。

それでも私は止めることはしなかった。これが「自分の人生でやりたいこと」なのだから。

何年もの「別の仕事」の経験のあと、「68000アセンブラプログラミングとハードウェアに精通している」というプログラミング能力のために私を必要とする会社に、「3か月以上の仕事は保証できない」という約束のもと雇われることになった。(これに関してはシンクレアQL、そしてその生みの親である偉大なるアンクルクライブに感謝すべきだろう) その時は、その条件でもよかった。私はそれほどまでコンピュータの仕事に就きたいと思っていたのだ :)

3か月という約束は9年にまでなり、その会社も私のようなある意味「狂った」人間の集まりから、世界有数のセキュリティシステムとデジタルビデオ録画の先端技術を誇る会社へと成長した。その会社での私の最大の成果は、彼らの主力製品の「父」の一人となったことで、私はその「冒険」を永遠に忘れないだろう。

闇から光へ

人生、そしていろいろなことは大きく変化するものだ…特に場所が変わった。4人の小部屋でコーヒーカップやサンドイッチやポテトチップスを分け合って、プログラミングしながら向かいの窓の「ミスター・アドニス」が何をしているか冗談をいっていたところから、ISO9000認証を受け世界中にオフィスを持つ多国籍企業へと変わってしまったのだ。

つまり…多くのことが変わってしまった。あまりにも早く。仕事も変わり、情熱もなくなった…私の人生も奇妙なことになり、家に帰ってもストレスに打ちのめされ、コンピュータの前に座って何か素晴らしいことを試すことすらできなくなった。

そんな非常に奇妙な精神状態で約3年を過ごし、とても奇妙な経験をして…そして「最後の賭け」をした。「自分の人生最後のウェブサイト」を作り上げ、そこに自分の心にあった全てを注ぎ込んだ。グラフィック、情熱、そして私の人生を。

ある夜に、友達が間違って別の場所へとたどり着いた…同じ夜に私はGoogleの検索で打ち間違いをしたか何かで、何を探していたのか思い出せないが、間違いをした。そして自分がなぜこんなこと書くことにしたのか本当にわからないが「こんにちは、あなたは私のウェブサイトを見たいかもしれない…」そこに自分のURLをいれた2行のメールを送った。

2週間後、そんなメールのことも完全に忘れたころこんなメールが届いた「やあ、返事が遅れてごめん…」…ジャイルズはYakに出会った…それからのことは皆の知る通りだ。