このバンドの最大の魅力は、何と言ってもベイシーへのこだわりです。
私は大学のビッグバンドで初めて カウント・ベイシー の音楽に出会い、そのサウンドに強く魅せられました。最初に取り組んだ曲は「Corner Pocket」。当時はジャズの吹き方もスウィングも分からず、先輩から「なんだおめー、ドゥダドゥダも知らねーのかよ~」と笑われながら練習していたことを覚えています。大学卒業後、浜松の会社に就職し、「社会人になってもベイシーを演奏したい」と考えてバンドを探していたところ、「それだったら萩田さんのところはどうかしら」と、四ツ池にあったジャズ喫茶「クレッセント」の奥様から紹介されたのが、飯田英憲とフレッシュメンジャズオーケストラでした。
まだ携帯電話が普及していない時代、当時のバンドリーダーであった萩田さんに直接電話をかけ、練習に参加させていただくことになりました。磐田原台地の麓にある専用練習場を初めて訪れたとき、「磐田にこんな歴史と実績を持つビッグバンドが存在するのか」と、大きな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
このバンドは、カウント・ベイシー来日時に浜松駅前で歓迎演奏を行い、ホール公演では前座としてステージにも立っています。さらに楽屋ではメンバーから直接奏法を教わるなど、ベイシーファンだった私にとっては夢のような経験を重ねてきたバンドでした。
練習は毎週火曜・金曜の週2回。社会人ビッグバンドとしては異例ともいえる活動頻度で、演奏するレパートリーもすべてベイシーナンバーでした。その徹底した姿勢に魅了された私は入団を決意し、以来今日まで活動を続けています。
全国にはベイシーを愛し演奏するバンドが数多く存在します。しかし、そのサウンド、スタイル、スピリットに至るまで、一貫してベイシーを追い求めているバンドは決して多くないと思います。当時のメンバーは全員、自分よりひと回り以上年上でしたが、その年齢差を意識したことはありませんでした。何よりも、ベイシーを思う存分演奏できることがうれしかったのです。
私が思うこのバンドの最大の魅力は、何と言ってもベイシーへのこだわりです。
ベイシーのスウィング感には他のバンドにはない独特の魅力があります。しかし、その魅力こそが最も再現の難しい部分でもあります。
多くのバンドはイベントごとに異なる曲を演奏しますが、フレッシュメンのセットリストは大きく変わりません。フレッシュメンの演奏を聴いてくださっている方なら、「あれ、この曲去年も聴いたな」と思われることがあるかもしれません。実際、その通りです。
中でも「Corner Pocket」は、その象徴とも言える曲です。ある本番で演奏したとしても、本番が終われば次の練習はまた「Corner Pocket」から始まります。そしてそれを何十年にもわたって繰り返しています。
同じ曲の同じ箇所を何度も何度も繰り返し合奏し、「そこ、少し裏が早いな」「今のはアクセント強すぎ」といったやり取りを延々と続けます。普通なら、とっくに飽きてしまってもおかしくありません。それでも続いてきたのは、ベイシーの魅力に取り憑かれた少々変わった人たちの集まりだからかもしれません。フレッシュメンジャズオーケストラはこれからもベイシーサウンドを追い続けます。
そして次の練習もまた、「Corner Pocket」から始まります。
15歳で入団。そのフレッシュメンジャズオーケストラ(以下フレッシュメン)も60周年を迎えることが出来ました。これもひとえにフレッシュメンを応援してくださる皆様方、また各メンバーの家族のご理解とご協力のおかげと心より感謝いたします。
フレッシュメンはジャズをこよなく愛した故飯田英憲さんが創設しました。創設当初はいろいろなビッグバンドの曲を演奏していましたが、私が20歳の頃からカウントベイシーオーケストラ(以下ベイシーバンド)の曲を演奏するようになりました。ベイシーバンドは見事なアンサンブル、ワクワクするスイング感、そして当時も今も世界最高のゴキゲンなバンドです。飯田さんも私もこのバンドにどんどん引き寄せられてしまいました。ジャズは「スウィングしなけりゃ意味ないね」という名曲どおりスウィング感が最も大切です。ベイシーバンドは独特のスウィング感です。二人で毎日レコードを聴きながら「おおば(大羽)、ここはこうだよな。」「そうだね。ここの小節も同じだね。」と話し合い、どうやればこのスウィング感が出せるのか?どうやったらベイシーバンドに近づけるのか、二人で熱く話し、練習をしていました。
当時は郊外の小学校の体育館をお借りして練習をしていました。その頃エアコンの設備もなく、夏は扇風機1台でメンバーは大汗をかきながら演奏をしていました。そんなある日の夜9:30頃、隣家の親父さんが入ってきて練習している様子をじっと見ていました。曲が終わった時に一言、「やかましい!と言いに来たが、あまり熱心にやっているので言うのやめるわ。」飯田さんは何度も何度も頭を下げて謝りました。そしてその後「もう一曲だけやらせてください。」親父さんはにっこり笑って帰られました。飯田さんの熱い熱い思いが通じた出来事でした。
今もこの熱い思いを引き継いで「ベイシーよりベイシーらしく」を目指し楽しんでごきげんな演奏を…。
It Don’t Mean a Thing (If It Ain’t Got That Swing)
コンサートマスター 大羽 希見男
私は1975年にフレッシュメンへ参加し、以来51年間にわたり音響(PA)を担当しています。
PA(パブリックアドレス)という言葉はあまり馴染みがないかもしれませんが、ステージにマイクを立て、演奏の音を集め、ミキシングしてスピーカーから客席に届ける仕事です。バンドのメンバーではありますが、楽器は吹きません。演奏者と聴衆を「音」でつなぐ役割を担っています。
アマチュアビッグバンドに専属のPA担当者がいるのは、実はとても珍しいことです。もともと音には強い興味があり、中学・高校では放送部、大学時代には放送局でラジオドラマ制作のアルバイトやコンサート音響の助手を経験しました。
1975年、就職を機に地元磐田へ戻り、地元のジャズオーケストラを聴きに行った際、当時のバンドリーダー飯田英憲さんから声を掛けられました。
その一言が、私とフレッシュメンとの長い付き合いの始まりでした。今思えば、まさに運命の出会いだったように思います。
当時からジャズは好んで聴いていましたが、主にコンボ編成が中心で、ビッグバンドはほとんど初めての世界でした。フレッシュメンも当初はジャズ、ポピュラー、ラテンなど幅広いジャンルを演奏していましたが、40数年前からはカウント・ベイシー・オーケストラのスウィング感を追求するジャズに活動の軸を置くようになりました。
それに伴い、私もPAとしてベイシーバンドならではのアコースティックなサウンドづくりを追求するようになりました。
ベイシーの音楽は、ただ大きな音で迫力を出せば良いわけではありません。
例えばピアノ。ビッグバンドの中ではピアノの生音が埋もれがちですが、ベイシーのアレンジではリーダーのピアノが絶妙なタイミングで入り、バンド全体をスウィングさせます。
その音が大き過ぎれば雰囲気を壊し、小さ過ぎれば存在感が伝わりません。PAの仕事は、演奏者が生み出した音を余すことなく、そして自然な形で聴衆へ届けることだと思っています。
フレッシュメンでの活動をきっかけに、「浜松ジャズを聴く会」が主催するコンサートでも音響を担当する機会をいただきました。プロのジャズミュージシャンを招いた公演で、60回近くPAを務めたことは大きな財産です。
また1981年、神戸で開催されたポートピア・インターナショナル・ジャズフェスティバルに当バンドが出演した際には、音楽監督だった故・野口久光先生のご厚意で、コンコード・ジャズ・オールスターズのPAを担当させていただきました。演奏後には「アコースティックな音が良い」と評価していただき、今でも忘れられない思い出になっています。
音楽は、私の人生に欠かせない存在です。
現在もフレッシュメンの練習は週2回。毎回録音を行い、その場で演奏を確認できる環境なので、メンバーは常に真剣勝負です。この妥協しない姿勢こそが、長く活動を続けてこられた理由の一つなのかもしれません。
私は演奏こそしませんが、毎週メンバーの音を聴き続けています。「あっ、ここはこんなアレンジだったのか」と新しい発見をすることもありますし、練習後に仲間と冗談を言い合って帰る時間も楽しみです。私にとっては、まさに心の洗濯です。
音響(PA)は重い機材がつきものです。最近はその重さが腰にこたえるようになり、耳の衰えも感じるようになりました。この仕事をいつまで続けられるかは分かりません。それでも、聴いてくださる皆さんに少しでも良い音を届けたい。その思いは今も変わりません。
これからもステージの裏側から、フレッシュメンのベイシーサウンドを支えていきたいと思っています。