ネット・メディア利用全体として

メディア・ツール使用の目的

ホームページ、ブログ、メーリングリスト、掲示板、twitter、mixi、facebookなど、様々なインターネットを介在したツールが存在し、それらを活用して運動をすすめる市民団体も多い。だが、いったいどの目的のもとにどのツールを利用するのが適切であり、効果的なのかといった議論がなされているとは言いがたい状況がある。とくにインターネットを利用する上で、フェミニズム運動においては、今でもメーリングリスト(ML)利用がもっとも多くみられ、内輪の情報交換、多くの人たちへの情報発信、議論など、かなりの部分がML頼りの状況が続いている。

ブログやツイッターなどのよりインタラクティブ性の高いツールを利用する場合も、一方的に発信するばかりで、双方向性が欠落している状況もみられる。ブログ形式の場合、内容が内輪向けであるとか、コメント欄やトラックバック欄をおかないなどのケースもみられる。本来、クローズドのMLやSNSなどを除き、市民運動の目的でインターネットを利用する場合は、外部にむけて広く発信し、運動体の場合は自分たちの主張への支持や支援を広げるという目的もあるはずだが、その肝心のホームページやブログが、内輪目線でつくられており、知らない人にはわかりづらい、内輪で盛り上がるための内容が掲載され、外部の人たちに有用性がないなど、外部への発信の機能を果たしていないケースもみられる。

匿名発信、発信の責任に関する問題

インターネットでの発信が普及するにつれ、運動体が団体のアカウントを使い発信するケースも増えた。それに伴い、団体名やアカウントを使い、団体に属する個人がその更新を担いつつ、個人的な意見を表明したりするケースも見られるようになった。団体としての発信なのか、個人的な意見なのか区別がつけづらい場合が多いし、発信者が個人としての名前やハンドルネームを使わず、団体名だけで発信する場合、発信者が誰かが明らかではなく、その発言の責任の所在がどこなのか不明になりがちである。

このように団体アカウントの中に隠れて、匿名のまま個人的スタンスが打ち出された発言をするということは、記述内容の責任を誰がとるのかが不明であることもあいまって、無責任発言、誹謗中傷が起き易い土壌をつくりだしがちである。印刷媒体なら出す際に編集、校正をしっかりするなどして、団体としての発信であり、編集責任があることが自覚されることが多いが、ネット発信、しかもパーソナルな声や即興の発信がしやすい、ブログ、SNS(twitter, mixi, facebookなど)においては、団体や世話人レベルでの文面などの検討プロセスを経ずに発信される。そういった発信や記述内容の責任は誰がとるのかは不明なケースも多い。団体の代表なのか、それとも発信者なのか、団体の中でも曖昧にすまされていたりする。また、ネット媒体においてどのような発信をするべきなのかも、発信者個人におんぶにだっこになり、団体として考えていないことも多い。

この問題提起は、「団体で意見が一致しなければいけない」とか「団体、フェミニズム全体の印象を悪くするのをやめろ」という主張ではなく、発言の責任のありかを団体でしっかり議論し、誹謗中傷や人権侵害を起こさないシステムをつくること、また万が一、自団体の発信が人権侵害などの問題を引き起した場合、どのように対応し、必要なときには謝罪をするのかも、しっかり議論することが必要だという主張である。

IT弱者問題

多くのフェミニズム系団体に共通する課題だが、ネット利用ができない人が多く、また利用するツールも限定されている。
MLだけはできるが、他のツールが使えないという人があまりに多い。これら自称「IT弱者」たちはいつまでたってもそのポジションに居続けるケースも多い。

ファイトバックの会の場合、関西ベースの初期世話人の大部分がいつまでも知識をもたなかった。もっとスキルがうまく伝えられる構造つくるべきだったし、仕事量や仕事の種類をしっかり理解してもらうべきだった。もともと会のホームページやブログを立ち上げた東京をベースとしたメンバーたちは、ホームページの更新は関西の世話人には難しいのかもしれないと思っていたが、ブログについては緊急性が高い情報(裁判直後の報告とか)が掲載されるものと考えていたため、距離も離れ、裁判にも滅多に出席できない自分たちでは更新できないと思っていた。あくまでも初心者でも更新しやすいブログ、ということでエキサイトを選んだのだが、結局更新方法が関西チームに教えられる機会もなく、その仕事はいつの間にか、原告自身が担当することになってしまった。ML管理人はML初心者の初歩的な質問に答えるなどの作業も担ったが、管理人が何でもメールやパソコンの使い方を教えてくれる人というような位置付けになり、依存される傾向もある。

ブログなどの広がりにより、htmlなどがわからなくてもネット発信ができるようになり、ネットを使うことが簡単になった。すなわち、自称「IT弱者」でも使えるようになった面もある。また、MLについては利用者の数も増えた。だが、利用方法や発信内容について失敗しても「弱者だから」「よくわからないから」という言い訳や開き直りが使われる傾向もあった。例えば、ブログにおける中傷内容について世話人会が分裂状態になったときに、被害者への謝罪に反対する世話人たちは「ニュー世話人会ML」として、謝罪賛成派を排除するMLをつくり、そこで謝罪に賛成する世話人の排除計画などを密かに練っていたつもりだったようだが、そのMLが公開設定になっており、誰でもアクセスできる状態になっていた。 それを指摘されたときの言い訳に、IT弱者だから、よくわかないから、というものが使われた。

この場合の「IT弱者」は、「情報弱者」とも異なり、情報へのアクセスが制限されているわけではなく、また ITすなわちインターネット・テクノロジーの進展に対して脆弱な(vulnerable)環境や立場にある人々というわけではない。もちろん、「IT弱者」は、「少数者」とイコールではなく、また、インターネット・スキルを習得する機会へのアクセス可能性が制限されているとも言えないことが多い。自ら積極的に習得しようという意思がないことの表明にすぎないケースが多いのだ。とくに経済的、立場的に恵まれた人たちが「弱者」と必要以上に主張することは、自由意思で「弱者」という立場を選んでいるといえ、機会や立場に恵まれている多数派であることの上に立って、自らを「弱者」と名乗るのはインターネットを使うことは可能であるけれど、(だれか他人にさせて)自分は積極的に使いたくないという「開き直り」の表明である。名乗られた側に欺瞞を感じさせるレトリックである。

自称「IT弱者」には、「ネットはみるのはいいが、発信するのはこわい」という発想がどこかにあるのではないか。だから、発信するのは、入っている人がわかっていて、安心してやりとりできるMLに限定している傾向がある。そのMLでは、MLに誰が入っているかわからないと書けないからと、MLのメンバーリストを出すようにという要請がしばしば生じる。左派の市民運動系のMLでは、あくまで「内輪」でのコミュニケーションを志向する傾向があるように思える。ネットでの発信のハードルが高いのは、自分で直接見にいって確認することは少ないが、MLなどを通して聞こえてくる「バックラッシュ」言説や2ちゃんねるの一部における罵詈雑言のイメージなど、知らないけど、自分では見ないけれどもこわいといった恐怖感も影響しているのではないか。
    シャドウワークとしてのIT関連労働

    自称「IT弱者」が多い一方で、ITが「できる」と位置づけられた人に仕事が殺到する。その人たちは、運動の主要な側面や決定に関わるのではなく、裏から支えるばかりの人たちという位置付けになりがちである。限定された人たちに労働が殺到し、いつでも仕事に対応できると思い込まれる状況になるし、ネットを理解していないが故の無謀な要求にも答えろとプレッシャーがかけられたりする。なおかつIT関連労働の内容が理解されていないこともあり、ボランティア労働で、あるいはひじょうに安い賃金で行うのが当然という位置付けにされがちだ。こうして、労働の搾取の問題が発生する。(ファイトバックの会のみならず、NPO法人ウィメンズアクションネットワークWANにおける労働者の労働条件に関する告発から雇い止めに至った事例もある。)

    ITができる人=(フェミニズム運動的に)若い人」ということで、目下の者に軽く頼むノリがある。実際には押しつけているのに、あまり押しつけているとは思っていない事例も多々ある。「運動の中で『若い人』を育ててあげている」と逆に思われていることもあるだろう。

    労働量が増えすぎていることに対して抗議や苦情がでた場合、その労働量を減少させようとか、分担しようとか、運動のやり方を工夫しようという方向性ではなく、面倒を避けるために安易に外注して業者に依存しようとする傾向がみられる。だが、安易な外注によって、業者との連絡などの余計な仕事が増える可能性がある。また、団体全体としてのIT知識は業者依存によって、まったく変わらないままとなってしまう。業者ならいつでも何でも頼めると思い込むケースもあり、業者側の労働問題、という視点がなぜかなくなってしまう。そして、IT労働に従事していた人が有償労働をしていた場合は雇い止めにあったり、あるいは運動体内で排除されるなどの事態も発生したりする。
    (斉藤&山口)
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