研究紹介 (Working Papers)

(Japanese Research Briefs of My Working Papers)

Goto, T., Yamagishi, A. 2024. "Wage Spillovers across Sectors: Evidence from a Localized Public-Sector Wage Cut " (産業間の賃金波及効果について:地域別公務員賃金削減からのエビデンス)

この研究は2000年代の日本の公務員制度改革と世代別の公民セクター間の労働移動の差を利用して、公務員の賃金が地域の民間賃金や社会厚生に与える影響を調べた研究です。千葉大学の後藤剛志さんとの共同研究です。以下後藤さんの論文紹介の転載です)

日本では1990年代以降、諸外国と比較して賃金水準が停滞しており、賃金水準を政策的にあげることが政策課題となっています。近年、最低賃金や医療機関での賃上げが他業種の賃上げに繋がることが明らかになっており、OECD平均で全雇用の18%を占める公務員セクターでの賃上げが民間セクターでの賃上げに結びつくのであれば、公務員賃金を政策的に賃上げを促す手段として考えることができるかもしれません。

そこで2006-2010年に行われた公務員改革により、地域ごとで公務員賃金が変化したことを利用して、公務員賃金が民間賃金に与える影響について調べました。この改革では、公務員のベース賃金が全国一律で4.8%減少した一方、物価水準の高い地域には新たに地域手当が支給されたため、地域手当支給地域では改革前と賃金がほとんど変わらない一方で、非支給地域では改革前に比べ公務員賃金が4.8%下がるという状況になりました。もし、地域手当非支給地域で改革後に民間賃金が下がっていれば、公務員賃金が下がった影響が反映されていると考えることができます。

また、公務員賃金から民間賃金への波及経路には「公務員賃金水準に負けないように民間企業が賃金水準を上げる」というような公民間の人材獲得競争のようなものが考えられますが、これは公民間で人材が流動的に移動している状況がなければ成立しません。日本の多くの公務員には30代までの入職制限があり、地方公務員の離職率が30-50代は20代の半分以下となっていることから、公民間の人材移動の流動性が20代以下では高い一方、30代以上では著しく低いことがわかります。そのため、公務員賃金から民間賃金への波及があるとすれば、20代以下の民間賃金で観察がされると考えられます。

2と3の内容を踏まえると、①公務員のベース賃金が下がった地域手当非支給地域における、②20代以下の民間企業従業員のみ、公務員賃金低下の影響を受けたと考えられるので、改革前後の①と②に当てはまる人たちに着目して調べれば、「公務員→民間」の因果効果を取り出せます。公務員のベース賃金は毎年、民間賃金を参照して決められるため、「民間→公務員」という逆の因果関係も気になるところですが、この逆の因果関係は①と②とは関係なくどの公務員・民間企業従業員にも適用されるものなので、①と②に当てはまる人の賃金のみに観察される変動は「民間→公務員」という逆の因果関係による影響を受けたとは考えづらいものになります。

本研究では、これらを踏まえ、公務員改革で1%の公務員賃金低下につき、民間賃金が約0.3%減少したことを明らかにしました。また、人口当たりの公務員比率が高い地域や20代以下の公務員の離職者を多く受け入れている産業ほど、この影響が大きいことも分析から明らかになりました。これらの結果は、公的セクターの規模や公民間の人材流動が、公務員賃金から民間賃金への波及効果に大きな影響を与えている可能性を示唆しています。

さらに、本研究では、公務員賃金の1%の減少がその地域の20代以下の人口を約0.4%減少させるということも明らかにしました。労働者にとって、賃金水準が低下した地域に比べて賃金水準が高い地域のほうが魅力的であることを考えると、この結果は公務員賃金が下がった地域の魅力度(=その地域で得られる効用)の低下を示唆しています。他にも、公務員賃金が減少した地域では、地価の減少や若年者の失業率増加も観察されたことから、公務員賃金の減少がその地域の経済に多方面での影響をもたらしたことがわかります。

この研究からは、公務員賃金の変化が民間賃金や若年者を中心として地域社会に大きな影響を与えることがわかりました。実際に、分析結果に基づいた試算からは、2006-2010年の公務員賃金の減少によって公務員賃金の減少額以上に民間賃金や地価の減少といった悪影響が出たことも明らかとなっています。そのため、これらを踏まえると、公務員賃金を一定程度上昇させることが、民間賃金の増加や地域社会の厚生増大に繋がると考えられます。

Takeda, K., Yamagishi, A. 2023. "The Economic Dynamics of City Structure: Evidence from Hiroshima's Recovery" (都市構造の経済動学:広島の復興の経験からわかること)

戦争、自然災害、パンデミック、産業の栄枯盛衰、特定地域の振興政策…などなど、都市の構造(=人口や雇用などの都市内での分布のありかた)というのは様々な事件にさらされてきました。都市の構造というのはこうした事件によってどれだけ変化するのでしょうか、あるいは様々なことが起こっても案外変化しないものなのでしょうか?また、もし変化しないとしたらそれはなぜなのでしょうか?例えば戦争や災害のあとの復興政策を考えたり、長期的な経済不況にあえぐ地区をどう振興するか等を考えたりする上で、こうした都市構造の変化に関する理解は必要不可欠です。

この論文では、「何か大きな事件があっても都市構造はあまり変化しないのか」、「都市構造があまり変化しないのはなぜなのか」を広島への原爆投下の事例を用いて、理論、実証の両面から分析しています。広島の原爆は当時の市の中心部に落とされ、半径2キロ圏内でおびただしい犠牲者を出すとともに建物をほぼすべて破壊しました。一方、爆心地からある程度離れたエリアでは建物が完全に破壊されることはなく、大量の避難者が流入することでむしろ市の周縁部の人口が爆増することとなります。すなわち、都市の「単一都心構造=真ん中が一番栄えている状況」が逆転し、周縁部が一番栄えていて都心は灰燼に帰した状況となりました。ですので、戦後の広島では周縁部が比較的栄えていて(旧)中心地は廃れてしまうという可能性は十分にありえたと思われます。しかし、実際には数年が経つと破壊された中心地の人口は再び増加して中心地としての地位を回復し、戦前のような単一都心構造に帰することとなります。なぜこのような劇的な復興が起こったのでしょうか?

私たちはまず、広島市内の人口や雇用の分布を町丁目レベルで戦前から戦後にかけて分析できるデータを様々な歴史資料の収集とデジタル化を行うことで整備しました。次に、広島の破壊された中心地はわずか5年で相当程度の復興を成し遂げ、再び都市の中心となったことを回帰分析等の手法で厳密に示しました。さらになぜ中心地が復興したのかを検討するために、「中心地はもともと有利な立地条件にあった可能性」を検討しました。もし中心地が地形の面や交通アクセスの面などで周縁部よりも大きく優れていれば、みなすぐにでも中心地に戻りたいはずなので復興が実現しそうです。しかし、こうした立地条件の変数を色々と統御してもなお、中心地の復興はほとんど説明できませんでした。となると、中心部の復興には2つの可能性が考えられます。1つ目の可能性は、(さまざまな立地条件をあの手この手で考慮したけれども、)データで観測可能するのがどうしても難しい何らかの中心地の立地条件の良さがやはりあって、それが鍵となって復興が引き起こされた可能性です。もう1つの可能性は、「集積の経済」と呼ばれるものによって中心地が復興した可能性が挙げられます。みんなで集まって働くことで生産性が向上したり、みんなで集まって住むことで買い物環境が良くなるなど、人々が集まることによって生まれる地域の魅力のことを集積の経済と呼びます。もし原爆が落ちたにも関わらず、人々が中心地の復興がなされると信じていて近々また中心地の人口、雇用密度が高くなることを予想していれば、集積の経済によって中心地にみんなが戻ってきて、結果として本当に復興が起こってしまうのです。この「集積の経済」は、なぜ経済活動が特定の場所に集中するのかを説明しうる都市・空間経済学における最も重要な概念の1つです。

では以上のような広島の中心部の復興の背景にある2つの可能性のうち、どちらがよりもっともらしいのでしょうか?この分析のために、私たちは「定量的空間均衡モデル」と呼ばれるクラスの理論モデルを構築したうえで、このモデルが戦後広島に関するデータに沿うようにモデルのパラメーターを推定しました。この理論モデルがきちんと中心地の復興を予測できるかテストしたところ、きちんと復興を予測できたので広島の都市の在り方をきちんと捉えたモデルであるといえます。モデルのパラメーターの値を見てみると集積の経済は重要で、人口密度が上がると居住地としての魅力度が上がり、雇用密度が上がると勤務地としての魅力度(=賃金など)が上昇します。実際、このモデルにおいて集積の経済は復興を説明するためのカギであり、実際にもし集積の経済がなかったとすると中心地の復興が予測されなくなることがわかりました。すなわち、私たちの理論モデルにおいては、中心地に再び住んで働くという人々の行動は集積の経済によって動機づけられていたことを示しています。また、集積の経済が大事ということは「もし人々が中心地が復興できると思えなかった場合は、中心地に人が戻ってこない」こともありえます。実際、私たちのモデルでは戦前以来の中心地が復興せず、別の場所に都市の中心が移る均衡もあることがわかりました。すなわち、「(あれだけの被害を受けたにも関わらず)原爆が落ちた中心地の復興を人々が信じることができた」からこそ、広島の中心部が復興するような均衡が選ばれ、復興が本当に成し遂げられたことが示唆されます。

このような集積の経済、複数均衡、および将来に関する期待の重要性は、戦争や災害後の復興や地域振興政策のような都市構造に影響を与える政策を考える上でこれらの要素を考慮する重要性を示しています。とりわけ、復興、発展させたい地域の将来に関して人々が楽観的な観測を持つことができるように働きかけることができれば、集積の経済が作用して本当にその地域の復興や発展が実現できる可能性が示唆されます。

本研究は、シンガポール国立大学Presidential Fellow(プロジェクト開始時はLondon School of Economics博士課程)の武田航平さんとの共同研究です。

Yamagishi, A, Sato, Y. 2023. "Persistent Stigma in Space: 100 Years of Japan's Invisible Race and Their Neighborhoods" (残存する地理的烙印:「日本の見えない人種」の100年間とその居住地区

この論文は日本でかつてより問題となってきた被差別部落の問題に関して(1) 京都市の部落内外の地価格差が1912年から2018年までいかに変化したかを実証し、(2) 居住地により差別の経験が左右される部落差別では、一定の仮定の下で地価格差=部落差別の厳しさと経済学的に解釈できる、と論じた論文です。この手法によると1912年においては部落地区はすぐ近くの非部落地区より51-56%地価が低く、厳しい差別があったことがわかりました。そこから地価格差は徐々に減ったものの、2018年でも12-18%の価格差があり、今も部落差別が(かつてより大幅に緩和されたが)残存しているという結果を導きました。

(1)については、京都市を網羅した地価データを100年間分にわたって収集し、ある土地が部落内に位置することがどれだけ地価に負の影響を与えるのかを計量経済学の因果推論的手法で推定しています。このためには部落内外の土地を同一の条件で比較することが必要ですが、交通アクセスや自然条件など、様々なデータを収集しコントロール変数として使用したり、さらに部落内の土地とすぐ近くの非被差別部落の地価を比較するspatial regression discontinuity designの考え方を採用したりすることで可能な限り同一条件下での比較ができるように努めました。こうした処理を施しても、1912年においては部落地区はすぐ近くの非部落地区より51-56%地価が低く、そこから地価格差は徐々に減ったものの2018年でも12-18%の価格差があるという結果になりました。

(2)については、部落内外の地価格差が経済学的に何を意味するのかを理論的に考えました。具体的には、Rosen (1979)、Roback (1982)らの空間経済学の古典的な理論をベースに、「ある土地に住むことで差別を経験するリスクが上昇する」という部落差別の特徴的な要素を取り入れました (奥田 2007)。その結果、一定の仮定の下では、空間均衡では差別による様々な悪影響が地価(住宅コスト)の安さで相殺されている必要があるため、結果として「地価格差=部落差別の総合的な厳しさ」という関係が得られることを示しました。この結果に基づけば(1)で推定した地価格差の推移を差別の厳しさの推移と読み替えることが可能になり、部落差別は100年にわたって徐々に緩和されていったものの現在でも残存しているとことが示唆されます。

日本の部落差別そのものの重要性は言うまでもないことですが、居住地によって差別の経験が左右されるのは諸外国でも例がほとんどなく、経済学において地価で差別の全体像を測る初めての試みとしても重要な議論ではないかと考えています。例えば、典型的な黒人差別を考えてみてください。ここでは肌の色によって誰が差別されるかが決まっているため、差別されるか否かはほぼ生まれつき決まっています。本来、因果推論の考え方に立つと「人種を実験的に変更する」ことが人種(ないし、差別されるか否か)がどのような影響をもたらすかを検証するうえで必要になりますが (Sen and Wasow 2016)、生まれつき決まっている肌の色を実験的に変更するというのはほぼ不可能と言ってよいものです。一方、これとは対照的に部落差別の場合は被差別部落に居住するか否かによって差別のリスクが変化するという特徴があり、部落の境界付近に着目すれば差別されるか否かに自然実験的な変動があると解釈することができます。しかもただ自然実験的変動があるだけではなく、居住地と地価の密接な関係から先述の(2)のように、差別のトータルの厳しさを地価を見ることで理論的には測定可能になるのです。私たちの問題ではこの部落差別の重要な特徴に着目して、差別の影響を図る際のもろもろの課題を克服してもなお、厳しい差別が存在しうること、差別が長期間にわたって(同じ人種間ですら)存続しうることを示しました。この意味で、部落差別に限らず様々なほかの差別に関しても示唆的な結果だと考えています。

本論分は東京大学の佐藤泰裕教授との共同研究です。
(2023年4月追記。旧題:Measuring Discrimination in Spatial Equilibrium: 100 Years of Japan's Invisible Raceから改題しました。上記の紹介は旧バージョンの内容に基づきますが分析内容にはほぼ変化はありません。新バージョンの方は構成を練り直し短く読みやすくなっている一方で紙幅の都合で旧バージョンから省かれた議論もあるため、ご関心に応じてどちらかをお読みいただければと思います。

Yamagishi, A. 2023. "Off-the-Job Learning in Cities" (都市における職場外での学習行動)

「学ぶ」、という行為は人生において重要な行動の一つです。都市経済学の分野でもその重要性は変わらず、人は田舎にいるよりも都会にいるほうがより色々なことを学びやすく、結果として都市の方が生産性が高いというのが重要な理論的定説の1つになっています。ただ、「学び」の重要性をデータで見るのは意外と簡単ではありません。例えば日本の国勢調査を考えてみてください。何歳ですか、どこに住んでいますか、どんな仕事をしていますか…こんなことを色々聞いていますが、「あなたは今どんなことを勉強していますか?」というような質問はありません。海外の統計調査でも事情は変わらず、結果として「学び」の実証をしたいのに学びそのものを直接見ることができず、例えば都市と地方で賃金の伸び方の違いから学習効果を推測するなど間接的なアプローチが取られてきました。

この論文は、「学び」に関するデータを用いて学習行動と人口密度(≒都市化の度合い)の関連を直接分析した論文です。具体的には、日本の「社会生活基本調査」を用いました。このデータは職場外での学習行動について非常に詳細な質問が設けられており、何を、どれくらいの頻度で、何のために、どんな方法で勉強したのかがわかります。これにより、従来の間接的なアプローチではわからなかった「学び」のあれこれが都市化の度合いによってどう変わるのかが見えるようになります。

これにより、主に以下のことがわかりました。(1) 都市のほうが人々はより学んでいます。具体的には、人口密度が1%上がると年間学習日数が0.1%上がるという相関がありました (2) 都市の人のほうが、新しい仕事を得るために勉強している人が多い一方で、今の仕事で役立てるために勉強している人は逆に田舎の方が多いという結果が出ました。これは、都市部では様々な仕事があり、人々がそういった種々の仕事の中から自分が就きたい仕事に就くためのスキルを磨くために勉強しているからかもしれません。 (3) どんなことを勉強しているかで見ると、だいたいのスキル(例:英語、パソコンなど)は都市部の人のが勉強していますが1つだけ例外として、介護はむしろ田舎の人のほうが勉強しているという結果が出ました。日本の少子高齢化と地方における介護セクターの重要性を考えると、何を勉強するかというのがきちんと(スキルの)需要に反応していることを強く示唆していると考えられます。(4) 都市部の人のほうが、民間ベースの教室や学校で勉強する傾向があり、一方で政府など非民間の教室などは地方の方が活用される傾向にありました。教育産業はサービス業の1つでサービス業は人口が多いほど生産性の高い傾向があるため、都市部の方が民間ベースの学習機会が供給されやすいことが効いていると思われます。

Kishishita, D, Yamagishi, A, Matsumoto, T. 2022. "More Public Goods, Larger Government, and More Redistribution" (公共財を増やすと大きな政府が実現し、再分配が実現できる)

ここ40年ほど、(ピケティ等の研究が示唆する通り)アメリカをはじめとする先進国での経済格差の拡大が問題になっています。しかし、「だったら大きな政府にして格差を是正しろ!」という意見が増えているかというと必ずしもそうではなく、例えばアメリカでは政府による格差是正をやるべきだという意見は40年間ほとんど強まっておらず(例えば、Ashok, Kuziemko, Washington 2015)、結果的に大規模な政府の拡大は政治的に難しい状況のままです。どうして大きな政府への支持は高まらないのでしょうか?どうすれば高めることができるのでしょうか?

この論文では、「政府の拡大に人々が反対するのは、政府の活動で自分の生活が豊かになっていることに気が付いてないからではないか?」というとてもシンプルな仮説を検証しています。この仮説を確かめるため、Amazon mTurkというものを用いてアメリカでオンライン実験を実施しました。ランダムで選ばれた半分の人たちには、「アメリカ政府は道路や下水などにたくさんのお金を使っていて、みんなの生活を豊かにしている」という文章を読ませ、もう半分には特にそういう文章を読ませないでおきました。そしてそれから、「政府の拡大=増税に賛成ですか?」「税金はお金持ちから取るべきですか、それともみんなから取るべきですか」「税金は貧しい人のために使うべきですか、みんなのために使うべきですか」といった質問をして、格差是正に関する政治的な意見が、例の文章を読ませることでどのように変化するのかを調べました。

分析の結果、「大きな政府=増税への支持はぐんと高まる」けど、「税金を誰から取るか、だれに使うかについての意見はほとんど変わらない」ことがわかりました。これはつまり、政府の公共活動によるメリットを人々が認知すると、いまの政府をそのまま「拡大コピー」するのが良いと考えることになります。政府はすでに税金をより貧しい人に多く使っているので、もし拡大コピーができればより大規模な政策を実施でき格差の是正につながることになります。こうして、「政府がやっていることが自分の生活に役立っている気がしない」というのが増税への反対を招いているけれど、公共サービス等を充実させたりその周知に徹底することでこれを乗り越えれば大きな政府と格差是正が実現できることがわかりました。

論文ではさらに掘り下げて分析していますが、特に重要なのは上記のメカニズムは、党派性(民主党vs共和党)、所得、人種、性別、こういったものに関わらずみんなに有効であることがわかりました。政治的になにかを実現するにはみんなが賛成したほうがやりやすいので、これは上記のやり方が政治的にも受け入れられやすい可能性を示唆しています。また、これは少々専門的になりますが、公共経済学の最適課税論の分野では応能税の考え方を基本にしていますが、これはふつうの人が税について考える基準ではなく、応益税の考え方の方が一般的なのではないかという指摘が近年なされています(Weinzierl 2017)。この論文は、政府サイズについて考えるとき人々は応益税の考え方を適用しているという初の実験的なエビデンスにもなっています。