研究紹介 (Publications)

(Japanese Research Briefs of My Published Papers)

Kishishita, D, Yamagishi, A, Matsumoto, T. 2023. "Overconfidence, Income-Ability Gap, and Preferences for Income Equality" (自信過剰、能力と所得のギャップ、所得の平等性選好)European Journal of Political Economyに掲載。

自分の能力を客観的に正しく判断するというのは難しく、多くの人が「自信過剰」、つまり自分を過剰評価していることが知られています。ですが過剰評価は過剰評価なので、人生のどこかで自分の自己評価が間違いであることに気が付くかもしれません。こうした経験は人々の政治的な考え方にどのような影響を与えるのでしょうか?

この疑問に答えるため、Amazon mTurkというものを用いてアメリカでオンラインアンケートを実施しました。このアンケートは実験になっていて、ランダムに選ばれた回答者の半数には「実はあなたが稼いでいる額は、あなたの自己評価のわりにずっと少ないですよ」ということを教えています。もう半分にはそういうことは教えていません。こうして「自信過剰」に気が付いてしまった人たちの政治的な意見が、気が付いていない人と比べてどう異なっているのかを検討しました。

結果としては、自信過剰に気が付くと「世の中はフェアじゃない。実力が報われる社会ではない」という風に思う人が増えることはわかりました。ですが、だとしたら格差を減らした方が良いと思うようになるのでは?と思うとそうではなく、左派(アメリカの民主党よりの人たち)の人たちだけがそう思うようになりました。しかも左派ですら、政府が介入して格差是正した方が良いという意見は増えませんでした。全体的に、自分の自信過剰に気が付くと「世の中はだめだ」という意見は増えるのですが、だからと言ってそれが福祉政策への意見には必ずしも結びつかないことがわかりました。

この成果は東京理科大学の岸下大樹さん、松本朋子さんとの共著として、European Journal of Political Economyに掲載されました。

Kishishita, D., Yamagishi, A. 2022. "Do Supermajority Rules Really Deter Extremism? The Role of Electoral Competition." (超過半数ルールは過激主義を本当に抑えるのか?選挙戦の役割)Journal of Theoretical Politicsに掲載。

日本の憲法改正は、衆参両院の2/3の賛成を必要とします。このように、国会の議決に1/2以上を要求することをsupermajority ruleと呼び、日本以外でも各国で広く使われています。Supermajority ruleがあると議会での妥協をとりつけないと政策の決定ができないので、政策が穏当かつ現状維持的になると思われてきました。

しかし、私たちの研究では、supermajority ruleがあることでむしろ選挙公約が極端になる可能性を示しました。なぜそんなことが起こるのでしょうか?その理由としては、supermajority ruleがあると結局どの政党にとっても多少政策を妥協して大衆受けするものを狙ったくらいでは議席が十分に取れず自分の政策が行えなくなってしまうからです。どうせ妥協したマニフェストを出しても議席が十分に取れないのであれば自分の「好き勝手」な政策を主張したいので結果として選挙戦での公約がより過激なものになるのです。

この結果は、supermajority ruleの役割および必要性を考える際に有用だと考えています。特に、基本的には政策を穏当にしてくれると思われるsupermajority ruleが、選挙のマニフェストむしろ過激にし、結果的に極端な政策につながるかもしれないという可能性を認識するのは重要だと考えます。

この成果は東京理科大学の岸下大樹さん(論文受理時。初稿執筆時は東京大学博士課程)との共著として、Journal of Theoretical Politicsに掲載されました。

Yamagishi, A. 2021. "Minimum Wages and Housing Rents: Theory and Evidence." (最低賃金と家賃:理論と実証Regional Science and Urban Economicsに掲載

最低賃金は世界中で貧困層の生活向上のために用いられる、重要な政策です。しかし、最低賃金は単純に賃金を向上させる以外にも、様々な効果(副作用)を持ちうることが知られています。まず、最低賃金が上がることで、企業は労働者を雇うのを控えるようになり失業が発生するかもしれません。そのほかにも、物価や労働時間など、様々な側面に影響があります。こうした諸々の影響をすべて考慮した場合、果たして最低賃金を上げるのは望ましいでしょうか?この問題は経済学においても数十年にわたり議論がなされていますが、未だに最終結論には至っていません。

本研究は、最低賃金が賃貸物件の家賃をどの程度上げるか下げるかを分析することで、最低賃金の望ましさについて重要な知見が得られることを論じ、実際にその効果をデータを用いて推定した世界初の研究です。

最低賃金の家賃への影響が理論的に重要な理由は主に2つです。第一に、もしも最低賃金が上がったことで家賃が上がってしまっていたら、労働者の負担増に結局つながってしまいます。例えば、東京で最低賃金を100円上げることで、フルタイムで(月160時間としましょう)働く最低賃金労働者は16000円月収が上がりますが、もし家賃が3000円上がっていたら、実際に使えるお金は月に13000円の増加にとどまります。家賃上昇があれば、最低賃金が貧困層を助ける効果が減耗してしまうのです。家賃上昇分は賃貸物件所有者の手に渡ってしまいます。彼らは資産家であり(少なくとも最低賃金労働者よりは)一般に「お金持ち」なので、貧困対策のための政策で彼らに利益を与えてしまうのは意図した政策の効果とは全く異なるものだと言えそうです。

第二に、最低賃金が上がった地域で最低賃金が上がれば最低賃金は人々の生活を向上させていて、もし逆に下がっていれば最低賃金が人々の生活を(失業やインフレなどで)悪化させたと示すことができます。論文では数理モデルを使ってこれを示していますが、以下に紹介する一部報道はこの数理モデルの結論がもっともらしいことを示唆しています。日本では、東京など都市部と地方で最低賃金の水準に格差があり、都市部のほうが最低賃金が高い状態が続いています。2019年春の一部の報道によると、官公庁や政治家は、こうした最低賃金の格差が地方から都市への人口流出を招いているかもしれないので、地域間格差につながるので全国一律の最低賃金導入の検討に入ったとされています。ここで、なぜ地方から都市に人口が流出するのかと言えば、最低賃金の高い都市部のほうが人々にとって魅力的だから、と考えられます。もし都市部の最低賃金上昇によって大量の失業が発生していれば、仕事が見つからないので人々は都市への移住を控えるようになっているはずです。都市に住みたい人が多ければ多いほど都市部の家賃は高くなるはずなので、最低賃金が望ましければ家賃が上がるということが言えるわけです。

上記のような議論を理論的に進めたのち、日本のデータを用いて最低賃金上昇が家賃に与えた影響をそれぞれ分析しました。その際、2007-2012年の間に最低賃金が生活保護との生活水準の乖離を埋めるために一部の都道府県で大幅に引き上げられたことを自然実験として利用しました。その結果、日本では10%の最低賃金上昇が2.5-4.5%の家賃上昇を招いたことを示しました。すなわち、最低賃金上昇は人々にとっては魅力的であるが、家賃上昇を招いて、最低賃金上昇の便益の一部を減耗させていることがわかりました。

この結果は日本の最低賃金の政策論議にどのように有用でしょうか?私はざっくり言うと2つ、大きな知見があるのではないかと思っています。まず、最低賃金上昇は、失業等もろもろの副作用を考慮してなお、人々にとって有益だということです。しかし、最低賃金労働者といっても主婦や学生なども含め様々な人がいるので、「本当に最低賃金上昇が重要な貧困層」にとって有益なのかは慎重に検討する必要があると考えています。第二に、全国一律の最低賃金の導入についてです。全国一律の最低賃金にすれば、「最低賃金が都市部のほうが高いからこちらに住もう」というような問題は確かに部分的に解消される可能性はある一方で、都市部と地方部では経済の実情が異なり、もしかしたら地方のほうが最低賃金の副作用が大きく地方で最低賃金を低くとどめておくのはやむを得ない面がある可能性もあります。この研究では、最低賃金が地域によって異なることによる影響と、家賃上昇というその負の側面を浮かび上がらせました。実際の政策論議では、このコストと、地方と都市部でどれくらい経済の実情が異なるのに、無理に全国一律の最低賃金を課すことへの副作用の大きさを勘案して、最低賃金の望ましい設定の仕方を考えてやる必要があると考えます。

*2021年1/9号の東洋経済にて、この論文の解説記事を執筆致しました(https://premium.toyokeizai.net/articles/-/25723 無料会員登録をすれば無料でオンラインで読めます)。研究の中身としては上記の解説文(2019年執筆)とあまり変更はないですが、私の論文中での追加分析及び海外での関連事例の研究の進展等を踏まえて若干論調をアップデートしました。よろしければぜひご参照ください!

Kishishita, D., Yamagishi, A. 2021. "Contagion of Populist Extremism." (ポピュリスト的過激主義の伝播Journal of Public Economicsに掲載

近年、ポピュリズムという政治現象が注目されています。アメリカのトランプ政権やイギリスのブレグジットなどがよく知られています。ここでは一見とても過激な政策が(過激すぎて望ましくなさそうなときでも)有権者に広く支持される現象、をポピュリズムと呼ぶことにします (Acemoglu, Egorov, Sonin, 2013) 。さらに近年、このポピュリズムが世界中に広がりを見せているのではないかという危惧があります。これは、「ポピュリズムのドミノ現象」とも称されるもので、ある国でポピュリズムが起こりドミノが倒れると、他国でもまるでドミノのようにポピュリズムが広がってしまう様子を表現しています。

私たちの研究は、なぜポピュリズムが各国間でドミノのように広がっていってしまうのか、そのメカニズムを理論的に示した研究です。ここでのカギは、有権者は「政治家のタイプ」および「望ましい政策」についてわからないということです。政治家には、有権者の好みと近い政治家がいる一方、有権者とはかけ離れた好みを持つ政治家(アメリカやヨーロッパの文脈に倣い”エリート”と呼んでおきます)もいる可能性があります。有権者としては、政治家が本当はどんな考えをしているのかよくわからないので、政治家の今までにやってきた政策or公約からそれを判断します。移民政策を例にすれば、エリートは「移民規制の大幅緩和」という政策を掲げており、現在の有権者にとってはそれは望むものではないとします。有権者としては「とっても厳しい移民規制」と「ほどほどの移民規制」のどちらが自分にとって望ましいかは分かっていない状態です。

この状況で、有権者と同じ好みを持つ政治家は、「ほどほどの移民規制」のほうが望ましいと知っているとしましょう。しかしそれでも、この政治家は「ほどほどの移民規制」ではなく「とっても厳しい移民規制」をする可能性があります。カギはシグナリング理論と呼ばれるものの一種です。「とっても厳しい移民規制」は「移民規制完全撤廃」を求めるエリートは絶対に行いたくない政策なので、この政策をとった時点で自分はエリートではない!ということを有権者に示すことができるのです。つまり、自分をエリートと差別化して有権者からの支持を得るために、あえて過激すぎる政策を掲げる可能性があるのです。こうして、まずポピュリズムが生まれるメカニズムを理論で導きました。

ただし、ある程度は有権者も過激な政策のほうが良いかもしれないと思っていないと、こうした行動を政治家はとりません。そしてこれがドミノ現象のカギなのですが、他国でポピュリズムが起こり過激な政策が生まれると、別の有権者もその政策を見て、「あれ、もしかしたら過激な政策が望ましいのではないか?」と思い始めてしまうかもしれないのです。例えば、西欧での移民規制強化の流れを受けて、東アジアでも移民規制は厳しくしようという世論が強まるかもしれません。こうして、「もしかしたらとても厳しい移民政策が望ましいのでは?」という有権者の考えが、ドミノのように各国に行き渡るのです。その結果ポピュリズム→過激な政策→過激な政策が望ましいかもしれないと他国の人が思う→ポピュリズム→…という繰り返しが起こる可能性を私たちの論文では示しました。

論文ではさらに、こうしたポピュリズムの伝播の性質についてより詳細に議論しています。いくつか面白い性質があり、(i) ポピュリズムの波は、一国がポピュリズムをやめた時点で突然終わる可能性がある (ii) 各国同士で望ましい政策があまりリンクしていないと、ポピュリズムから抜け出すのが難しくなる可能性がある(そして、極端な場合はポピュリズムから抜け出すのが不可能になる)ことを示しています。

また、この議論のフレームワークはポピュリズム以外に「agency問題の含まれるsocial learning」全般に適用可能です。例えば、企業経営者が株主への配当をどう出すかという問題にも応用可能な理論だと考えています。

この成果は東京理科大学の岸下大樹さん(論文受理時。初稿執筆時は東京大学博士課程)との共著として、Journal of Public Economicsに掲載されました。また、この研究に対し、大阪大学社会経済研究所より森口賞が授与されました。

Yamagishi, A. 2020. "School Bullying is Positively Associated with Support for Redistribution in Adulthood." (学校でのいじめは再分配政策への支持と相関しているEconomics of Education Reviewに掲載

学校でいじめを受けた生徒は、その後の人生において様々な悪影響を被ることが様々な社会科学研究において示されてきました (例:Wolke et al. 2013. Psychological Science)。この研究では、いじめの新たな長期的影響として、いじめを受けた人は再分配政策(税金などを用いて、政府が貧困層にお金を渡るようにする政策。「大きな政府」的な方向)を将来支持するようになる傾向が5-7%ほど高まることを日本のアンケート調査データを用いて明らかにしました。いじめが将来の政治的選好に影響を与える可能性を統計的に示した世界初の研究だと思われます。さらに論文では、回帰分析等の手法を用いてこの効果は因果関係である(いじめを受ける→再分配政策を支持するようになる)という可能性を示唆しています。

この成果は私の単著論文として、Economics of Education Reviewという雑誌にに掲載されました。

Fukumura, K., Yamagishi, A. 2020. "Minimum Wage Competition." (最低賃金競争)International Tax and Public Financeに掲載

 グローバル化すると、最低賃金は高くなるのでしょうか?低くなるのでしょうか?過去の様々な経済学研究をもとにすれば、グローバル化は最低賃金を低くするのではないかと考えられます。例えば、グローバル化して企業が自由に動くようになれば、各国政府は最低賃金を下げて企業のコストを下げてやり、企業誘致をするようになります。もし貧困層が地域間を動き、より手厚い再分配の地域に移住していく場合、各国政府は再分配の水準を切り下げることが知られています(”福祉競争”: Brueckner, 2000など参照)。

 しかし、域内での人や企業の移動が飛躍的に自由になったEUにおいて、最低賃金が下がるという現象は観測されていません。それどころか、EUに21世紀に入ってから加入した東ヨーロッパ諸国では、むしろ最低賃金が上昇傾向にあります。こうした現象は、既存の理論的枠組みではとらえきれないものと思われます。グローバル化が最低賃金の上昇をもたらす可能性はあるのでしょうか?

 私たちは、(一部の)低賃金労働者が住む国を自由に選べる下で、各国政府が最低賃金水準を選ぶ「最低賃金競争モデル」を提案しました。この理論では、ある国に住み続ける「ネイティブ」と、どこで働くかを自由に決める「移民」がいて、どちらも最低賃金労働に従事する状況を考えています。

 この理論的枠組みの下、最低賃金がグローバル化でむしろ高くなる可能性があることを示しました。カギとしては、グローバル化した世界では、最低賃金の副作用である失業を「輸出」できる可能性があるということです。例えば、A国で最低賃金を上げた結果、たくさんの失業が生じたとしましょう。すると、移民にとってはA国に住むのは職探しが大変なのでイヤになり、A国に住むのを控えるようになります。これによって、ネイティブにとっては、移民が減って職探しが少し楽になり、最低賃金の副作用がマシになるのです。この「失業輸出」のおかげで、グローバル化した世界のほうが最低賃金を上げやすくなる可能性が出てくるのです。

 論文ではさらに、どんな時にグローバル化が最低賃金上昇をもたらしやすいか考察しています。その結果としては、(1)移民の労働市場での立場が弱い時(2)政府があまり経済効率性を重視せず再分配を強く気にかけているとき(3)移民の人口比率が比較的小さい時、グローバル化により最低賃金上昇が起こりやすいことを示しました。こうした知見は将来的に、データによってテスト可能なのではないかと期待されます。

 この論文は香川大学の福村晃一さん(論文受理時。初稿執筆時は学振PD@東京大学)との共同研究です。International Tax and Public Financeという雑誌に掲載予定です。

Yamagishi, A. 2019. "Transboundary Pollution, Tax Competition, and the Efficiency of Uncoordinated Environmental Regulation." (越境汚染、租税競争、そして非協調的な環境規制の効率性)Canadian Journal of Economicsに掲載

 地球温暖化、酸性雨、大気汚染など、21世紀に入ってなお大規模の環境問題は解決には程遠い状態にあります。こうした問題の解決が難しい大きな理由として、「越境汚染」が存在することが挙げられます。例えば、ドイツが汚染物質を空気中に排出すれば、国境を越えて隣のフランスも影響を被るはずなのですが、ドイツ政府としてはフランスのことまで考えて環境対策を行うのは高くついてしまうので、環境規制が遅々として進まなくなってしまうといった事態が起こります。つまり、それぞれの国はどうしても自分の国のことを優先してしまって世界全体のために行動しないので、十分な環境対策が実現しないのです。

 この問題の解決に皆頭を悩ませているのですが、 Ogawa and Wildasin (2009, 以下OW)は、実はグローバル化がこの問題をある意味で解決するのではないか?という驚くべき結果を示しました。もう少し正確に言うと、グローバル化によって企業活動、資本投資が自由に国際間を移動できるようになり、かつ政府がこれらを誘致するために租税競争を行う場合、企業活動が越境汚染を伴う環境問題を引き起こしたとしても社会の帰結は望ましいものとなる、というものです。

 私の論文は、OWに新たな側面を導入し、この結果を再検討するものです。より具体的には、各国政府は税金だけではなく、環境規制水準を通じても企業や資本の誘致を行えるようにOWモデルを拡張しました*。環境規制をゆるくすれば、その国では大して投資や努力をしなくても法令違反にならないで済むので、企業のコストが削減され企業や投資を誘致することができるのです。この結果、OWの結果は成り立たないことがわかりました。すなわち、越境汚染がある場合には環境規制はやはり望ましくない水準になってしまうことがわかりました。この結果は、グローバル化と租税競争が環境問題を解決する…と楽観するのは危険であり、グローバル化された社会でも京都議定書のように、環境規制に関する各国の協調を絶えず追及していくことが必要であることを示唆しています。

 ただし、詳しくは論文を参照して頂きたいのですが、ストーリーはこれだけで終わりません。分析の結果、政府がどんな人の利益を代表しているか?環境規制と税率、どちらを先に決めるのか?といったことにも社会的帰結の望ましさは依存することがわかりました。特に頭に留めておくべき結果として、(1) 政府が「お金持ち」の意見を反映する場合、環境規制が強すぎてしまう可能性があります。環境規制は、やはりグローバル社会でも協調が不可欠なのですが、場合によっては規制をみんなで強くするのではなく、逆に緩めることも考慮せねばならないことが示唆されます。 (2) 環境規制の実行に時間がかかり早くから規制水準を決めておかねばならず、かつ政府が「極端に貧乏」な人の意見を反映している場合、越境汚染があってもOWが示したように社会的帰結が望ましくなる可能性がありえます。(2)の結果の前提条件はきついので現実に満たされるとは思いませんが、OWの結果がどのような時に成り立つのか、を考えるうえで有用な結果だと思っています。

 この成果は私の単著論文として、Canadian Journal of Economicsという雑誌に掲載されました。

:経済理論の中での位置づけとしては、今回の研究のモデルはOates and Schwab (1988)モデルとOWモデルの統合モデルと解釈することが出来ます。分析を行ってみても両者の特徴を合わせ持っていることが示唆されており、グローバル社会での環境問題を分析するための新しい理論的な枠組みを提案したという意味での貢献もあります。

Matsumura, T., Yamagishi, A. 2019. "A Negative Effect of Cost-Reducing  Public Investment: The Role of Firms' Entry." (費用削減型の公共投資の負の側面:企業参入の役割)Economic Recordに掲載

    この論文では道路など、公共投資によって企業の生産コストが下がる状況を考えています。費用便益分析によって公共投資のメリットやデメリットを図る際、簡単のために「道路をつくることで企業行動がどう変化するか」については無視することが多く、この手法は通常保守的なものであると考えられてきました。

 我々は企業の参入退出に注目し、もし企業の参入退出がない場合には確かにこれは保守的である一方、参入退出まで許すと逆にそうではない可能性があることを示しました。後者の状況については、どんな時に通常の費用便益分析が過剰投資を招く可能性があるかについても、需要関数や費用関数の性質に基づいて特徴づけを行っています。

 この成果は東京大学の松村敏弘教授との共著論文として、Economic Recordという雑誌に掲載されました。

Matsumura, T., Yamagishi, A. 2017. "Lobbying for Regulation Reform by Industry Leaders." (業界リーダーによる規制改革へのロビーイング)Journal of Regulatory Economicsに掲載

  企業はしばしば、ロビー活動を通じて政府の規制水準に影響を与えようとします。このとき、当然企業側はコスト削減を狙って業界の規制緩和を求めるロビー活動を行うと思われがちですが、よくよく現実の例を検討してみると、全く逆に規制強化を求めて企業が(わざわざ)ロビー活動を行う例が散見されます。我々は、この一見すると不思議な現象が起こる理由を企業の新規参入を許したクールノーモデルとシュタッケルベルグモデルを用いて理論的に分析しました。

  我々は、この現象は企業イメージ向上などの他の理由がなくとも、企業が規制の市場競争の帰結に与える影響を考慮しているだけで起こりうると示すことを目指しました。この線の先行研究によると、企業の新規参入が起きないといった場合には、企業が規制強化を要求する可能性があることが示唆されてきました (Seade, 1985)。しかし、規制はしばしば長期的な影響を持つと考えられます。この場合は規制は企業の新規参入にも影響しますが、このケースにおいて企業が規制強化を求める可能性は従来の研究では示されていませんでした。

  我々は、企業の新規参入が起こる場合には、企業の非対称性の有無が規制強化を求めるロビー活動が起こるか否かに決定的な影響を与えることを示しました。既存企業と新規参入企業が同質なら、ロビー活動は起こりません。しかし、既存企業が新規参入企業より先に意思決定をする場合 (Stackelberg Leader)、ないし既存企業の生産技術が新規参入企業のそれと異なっている場合、規制強化を求める可能性が自然な条件の下で存在することを示しました。この結果は、規制強化を求めるロビーイングが企業イメージを改善する可能性が存在せずとも、このようなロビー活動が起こる可能性を示唆しています。企業行動から企業の思惑、経営上の意思決定を分析する際に、頭に留めておくと有用な結果だと考えています。

  この成果は東京大学の松村敏弘教授との共著論文として、Journal of Regulatory Economicsという雑誌に掲載されました。

Matsumura, T., Yamagishi, A. 2017. "Long-Run Welfare Effect of Energy Conservation Regulation." (燃料節約型規制の長期的厚生効果)Economics Lettersに掲載

  この論文では、「最初に大きな固定コストをかけなければならないが、ランニングコストは安くなる」ような、燃料節約型の投資について分析しています。例えば、熱回収システムは最初に大きな投資が必要ですが、一度導入してしまえば燃料効率が良くなり、費用節約につながります。我々は、こうした投資を政府が企業に規制を通じて義務付ける政策に正当性があるか企業の新規参入を考慮したクールノーモデルを用いて理論的に検討しました。 なお、すでに多くの国で物品税、とりわけ環境税(ピグー税)が物の値段に上乗せされている状況をふまえ、それでもなおこの類の規制を入れる必要があるのか論じました。

  分析の結果、企業間の競争が非常に激しい「完全競争」の状況では燃料節約型の投資を義務付ける必要はないことがわかりました。この場合は、企業側が自発的に社会的にも望ましい水準の燃料節約型投資を行います。一方。企業間の競争が比較的激しくない「不完全競争」の状況では、燃料節約型の投資を義務付ける政策に正当性があることを示しました。これは、燃料節約型の投資の生産コストを減らす効果が各企業の増産意欲を刺激し、不完全競争による過少生産の弊害を緩和してくれるためです。燃料投資の水準を変えると他にも諸々の影響が出るのですが、生産刺激効果のメリットが他の効果の影響と比べて非常に大きい可能性を示しています。

  この成果は東京大学の松村敏弘教授との共著論文として、Economics Lettersという雑誌に掲載されました。

Yamagishi, A. 2016. "Consumers' Misevaluation and Public Promotion." (消費者の評価ミスと公共広告)The B.E. Journal of Economic Analysis&Policyに掲載

  消費者はしばしば物の価値を過大評価したり、過小評価します。例えば、タバコや酒の健康被害を少なく見積もったり、ジェネリック薬品に抵抗感を覚えてその効果を過小評価したりするといった事例が考えられます。このような場合には、政府は公共広告など諸々の手段によって、消費者の「誤解」を解く努力ができます。この論文では、このような状況下で政府はどのようなプロモーション戦略を取るべきか、クールノーモデルを用いて理論的に分析しました。

  分析の結果、主に以下の2つの結果を得ました。第一の結果は、もし企業の新規参入が許されていないのであれば、たとえ消費者がもともと物を過小評価していたとしても、(コストがかかりすぎない限り)政府はあえてプロモーション活動を通じて消費者が過剰評価するように誘導した方が良いというものです。これは、Glaeser and Ujhelyi (2010) が示したように、消費者の過剰評価は企業の生産意欲を刺激し、企業間の市場競争が「ぬるい」ことによる弊害を相殺するからです。

  一方、新規参入がある場合には、この結果とは全く異なる結論になることが分かりました。すなわち、もともと消費者が物を過大評価ないし過小評価していたら、そのバイアスの方向をそのままにしておくのが望ましいことを示しました。新規参入がある場合には、企業が市場に多く参入しすぎてしまい、効率的にスケールメリットを生かせなくなる可能性があることが「過剰参入定理」として知られています (Mankiw and Whinston, 1986; Suzumura and Kiyono, 1987)。この議論を今回の文脈にあてはめてみましょう。消費者に財を過剰評価させると、需要が増えます。それによって、新規参入がどんどん進んでしまい、企業数が増えすぎてスケールメリットを効率的に生かすことがさらに難しくなってしまうのです。競争は依然として「ぬるい」のですが、この効果があるために(プロモーション活動にコストが殆どかからないとしても)物の評価のバイアスの方向を変えるようなことは望ましくなくなります。すなわち、「新規参入ができるかできないか」が政府の望ましい政策のあり方に決定的に影響を与えているのです。

  この成果は私の単著論文として、The B.E. Journal of Economic Analysis & Policyという雑誌に掲載されました。