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浩宮徳仁伝説

浩宮徳仁伝説

ナルちゃん・ヒロシこと、徳仁親王にまつわる伝説というか事件簿です。

参考:【(゚Д゚)ハァ?な質問シリーズ】、【あとよろ】


#contents


■第1期-初等科入学前-■

  • 4歳誕生日を前に母美智子さまが「(浩宮は)食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」と語る事件
『美智子さまの気品―陛下とお子さま、そしてお孫さまと歩まれた50年』江森敬治、主婦と生活社(2008年)より
 皇太子さまの四歳の誕生日を前に皇后美智子さまは、
「この四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです。それで、まだ小さい時に、手を引いて大膳で料理を作っているところをわざわざ見せに行ったこともあります」と、述べられている。
  • 3歳誕生日パーティーで「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」と歌った後、レコードのノイズ音「プツン、プツン」を口再生する事件
  • 交通博物館見学でパトカー模型を目にして「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」事件
『明星増刊』1964年5月緊急号<かわいいおもちょいナルちゃん言葉>、p141より
 昭和38年2月23日、ナルちゃんは満3歳のお誕生日を迎えられました。(中略)美智子さまがお作りになったバースデー・ケーキの3本のロウソクを勢いよく吹き消されたナルちゃんは『おサルのかごや』を歌い始めました。「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」ご一同が拍手しようと手をおかまえになったとき、とつぜん「プツン、プツン」と声を出されて、ご一同びっくり。
「ナルちゃん、いまの“プツンプツン”ってなーに」正田恵美子さんがおたずねすると、
「レコードがそういったよ」とケロリとされていました。“プツン”“プツン”という音がしたのです。
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 ことしの2月26日、鷹司平通氏がおつとめになっている交通博物館にいらしったナルちゃんは、ミニカーがずらりと並んでいる前にじーっと立っておられましたがとつぜん、
「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」とパトカーを指さして大喜びでした。
参考ようつべ:4歳浩宮のおしゃべり「19931231皇太子妃誕生物語5」 2:20~
  • 子供が茶碗を叩いて面白がって遊ぶのはよくあることだが、徳仁の場合はお母さまに二度三度言われても、お父さまにお尻を叩かれても止めず、ついには罰として外に出されるまで茶碗叩きを止めない、異様過ぎる茶碗叩き遊び熱中事件
『浩宮さま』浜尾実著、p52~より抜粋
 浩宮さまは、両陛下からはもちろんのこと、私からもよく叱られたものであった。
 お食事のことで両陛下が厳しかったために、お叱りをうけるのはお食事の前後が多かったようである。一般にスプーンを使って自分で食べられるようになった子供は茶碗を叩いて面白がることがある。浩宮さまもそういう時期があった。
 「イケマセン」と皇后さまがやさしく言われるのだが一度でお止めになるときとそうでないときがある。
 二度三度言われてもおききにならないときは、陛下のご出馬となる。陛下はしばしば浩宮さまのお尻を叩かれた。あるときはその茶碗叩きをお止めにならないという理由で庭にだされたこともあった。
≪Part1592-703発掘奥様によるご紹介≫
  • 1964年3月に皇太子殿下(当時)と美智子さま・浩宮(4)が千葉県房総半島旅行、吉田屋旅館で初めてスリッパを出されどうしてよいのかわからず固まってしまう、ごゆっくり風味事件
    ソース:2007/11/07秋の皇室番組SPでの「皇太子ご一家房総旅行でのスリッパ履き替えエピソード
  • 1964年10月浩宮(4)はじめての学習院幼稚園運動会、「カゼをひかれたあと」との理由で何故か一人だけござの上で寝転がる姿を披露事件
    ソース:『週刊平凡』サヨナラ1964写真集あの日あの時12月10日増刊号<ボクは赤組 秋の運動会>グラビア
  • 5歳のみぎり(昭和40年10月上旬頃)、当時の皇太子ご一家が軽井沢静養で作家・川端康成氏の山荘を訪れ、その際浩宮は挨拶もなしにビスケットを6つ7つ立て続けに食い、そのまま「おさきに」とだけ言って去り、川端氏に「かういふ習はしがおありなのだらうか」( ゚д゚)ポカーソとせしめる事件
    ソース:東京新聞昭和41年1月4日初出、『川端康成全集』に「美智子妃殿下」というタイトルで収録
  • 幼少時の家族ハイキング時、皇太子殿下(=今上陛下)は常にリュックの中に分厚い植物図鑑をお持ちになり興味のある植物を見つけては立ち止まって調べられるのに、一方浩宮はマイペースでどんどん歩きたいと陛下と一緒に立ち止まらなくてはならないのが面白くなく、ある時お二方は険悪な雰囲気に…それを美智子様がとりなした事件
『岳人』1997年6月号へのナルちゃん寄稿文より、参考ナレーション入りようつべ映像
五歳のとき、父に連れられて初めて、離山(はなれやま)へ登って以来、軽井沢近辺の山々を歩くのが好きになった。父は山登りの途中、たとえ花のない植物であっても、興味を抱いて足を止めおもむろにリュックサックから分厚い原色日本植物図鑑を取り出す。そのたびに、頂上に早く着きたいという私の望みは絶たれるのであった。母の回想によれば、父のたびたびの停車に業を煮やしたのか、山頂に到着したとき父と私との間には一種険悪なムードが漂っていたそうである。
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『岳人』2005年10月号 東京新聞編集局長水野和伸<山での皇太子さま 担当記者同行記>記事 p18より
足慣らしという奥多摩の棒ノ折山では、(徳仁)殿下一行のペースの速さにギブアップする記者が続出した。
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※今上陛下(当時皇太子殿下)によるゆったりハイキング理由については、重い荷物・機材を運んでいる随行員とマスコミ記者を気遣ってのことと言われている。大人になったナルちゃんがこの配慮を理解できたかについては、後掲「だらしないですね」事件からして、かなり疑わしいと言わざるを得ない。

■第2期-初等科時代-■

  • 小学校低学年時代、当時の東宮侍医であった緒方安雄氏のポケットに勝手に手を突っ込んで飴を奪い取る、ほとんどサル並みの振る舞いをしていた事件
元東宮侍医医学博士・緒方安雄著『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)、p174より
 それはいつごろであったろうか?
たぶん浩宮さまが小学初年級ごろであったと思う。
 私は煙草を吸わないのでそのかわりにドロップを数個いつもポケットにいれていて、ときどきなめることにしていた。
ある日のこと、私の上衣のポケットがふくれているのに気づかれたのか、突然ポケットに手を入れて、そこにはいっているドロップをつまみ出された。
「これアメ? 食べてもいい?」
 とお聞きになる。私は躊躇した。妃殿下が正しく行っていらっしゃる宮さまの食生活を破る恐れがあるからだ。
 しかし、ついには負けて、どうぞということになり、宮さまは嬉しそうに、そしておいしそうになめていらっしゃる。
  • 幼少時、遊び相手だった養育係浜尾実東宮侍従の息子さんと一緒に、東宮御所で飼っていた熱帯魚を解剖してそれをそのまま放置し遊びに出かけ、父上である明仁皇太子殿下に片付けをしなかったことをこっぴどく叱られる事件
浜尾実著『ほめ方上手の親学―頭のいい子になる急所しつけ法』青春出版社プレイブックス新書(1984年)
 東宮御所である日、小さな事件がありました。
 私(=浜尾実氏)の息子は宮さまと年齢が近かったこともあって、お遊び相手としてときどき御所にうかがっていたのですが、宮さまのお部屋にある水槽から熱帯魚をとり出し、二人で解剖してしまったのです。いくつか年上の私の息子のほうが率先してやったに違いないのですが、その解剖した魚の残骸をそのままにしておいたのが殿下に見つかってしまったからたいへんです。
 そのとき宮さまは殿下から大目玉をいただいたのですが、殿下のお叱りは魚を解剖したからということでなく、魚の残骸の後片付けをしないでお庭に遊びに出かけてしまったということだったのです。
 俗にいわれる「ナルちゃん憲法」の一つに「”ながら病”はできるだけ避けること。靴を履くときなども『靴を履いたらおんもネ』といいながら靴を履くことだけに集中させること」という項目があります。
 宮さまはこのとき、涙で顔をクシャクシャにさせながら、ぞうきんで床をふいておられました。
≪Part1565-504・523発掘奥様によるご紹介≫
『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)、p44より
 若宮さま方は、六歳頃までに、かなり厳しいしつけをお受けになる。お父さま殿下に、暗いお部屋に入れられたり、夜のお外に出されたことも、おありになる。しかし、お叱りになる一方、十分おかわいがりになる。この二つはしつけに欠くことのできぬ両輪である。
(中略)
 両宮さまの叱られぶりも、それぞれ面白い。
浩宮さまは、放り出された夜のお庭の素晴らしさを、夢中になって、お母さまにご報告になった。
  • 叱られた徳仁が罰として廊下に立たされ晒されている状態が嫌になり、無邪気に一緒にいた弟礼宮を巻き込み歌を歌ってごまかす事件
『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)、p45-46より
浜尾侍従は、この浩宮さまのお仕置きの別の光景を、次のように話している。
 浩宮さまが罰として立たされた廊下は、侍従やその他の職員が通るところで、罰せられるつらさよりも、これらの人に見られることのほうがつらかったようだ。
 そのうちに礼宮さまが、
「お兄ちゃま、なにしているの? ボクもいっしょにいてあげるよ」
 というふうに並んでお立ちになった。が、ていさいの悪いことには変わりがない。そこで、浩宮さまは、一計を思いつかれた。それは歌を歌うことであった。歌っていれば罰で立たされているとは誰も思わないであろうというわけか。
ともあれ浩宮さまは、大きな声で歌いはじめた。礼宮さまは、とつぜん歌いはじめたお兄ちゃまの口もとをポカンと見ておられたが、ご自分は何をなすべきかを、すぐに了解され決意したようで、ご自分もたどたどしく歌いはじめになった。まさに二重唱というべきである。
 このご様子をご覧になった妃殿下は、
「もう叱られたことを忘れてしまったでしょうね」
 と、思わずほほえまれ、やがて、ご自分も楽しそうに合唱に加わられた。
 内舎人があまりやかましく、お叱りしたとき、浩宮さまは私のいた第二内廷の部屋へはいっていらして、
「ああ、ボクは内舎人になりたいよ。叱ってばかりいればいいんだもの」と、心からではなく、なかばからかう気持ちで嘆いていらしたことがあった。そのときお兄さまといっしょだった礼宮さまも、
「そうだ、そうだ」と、協同作戦をとっていらした。
  • 学習院初等科入学した頃の授業参観にて、教科書を読むだけのことにも四苦八苦、母上美智子さまの顔色を変えさせる事件
『週刊朝日』1980年10月24日号、p37より やんごとなき方々の御日常
 浩宮様が学習院初等科へ入学されたころの話。
たまたま美智子妃も参加された授業参観の日、なんのはずみか宮様に順番が当たり、教科書を読まれるはめになった。しかし、なかなかすんなりと読めず、四苦八苦される彼を見て、だんだん美智子妃の顔色が変っていった。
 とどめは先生の、
「お家でもう少し勉強してきなさい」
の一言であった。美智子妃は、がっくりと首うなだれ、すごすごと帰途につかれたのである。
浩宮様と浜尾実さん ttp://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw
&youtube(http://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw)
1972年4月15日放送「ぼくら一年生」引用映像あり、5分15秒あたりから
女性司会:昭和45年大阪で開かれた万博。
浜尾実 :いろいろなところをお供しておりますとね、帰ってから、浜尾さんああいうものがあったね、あれはよかったねとか、面白かったねと、いろいろおっしゃってくださるんですけども、実は私は見てるようなふりをして全然見てない(笑)宮さまのことが心配で、怪我をなさらないだろうか、転ばれないだろうか、少し寒くて風邪ひかれないだろうかとかいうことばかり気にしておりますのでね。ほとんど憶えてないんです。
女性司会:大変ですねえ。
浜尾実 :(笑)
女性司会:本当あの、浩宮さまは本当に子供らしいというか、嬉しそうですね。なんかこれあの待望の(浩宮がボートアトラクションに乗っている映像について)、2回お乗りになられたんでしょ。
浜尾実 :一度というお約束だったんだけども、「浜尾さんもう1回いいでしょ」とおっしゃって2回お乗りになったんですね。
女性司会:それであんな嬉しそうな。
浜尾実 :これは番外なんです(笑)
  • 大阪万博見学で、偶々一緒になった小学生の女の子に執着し、当人はその場から去ってしまったのに「あの子がいないといやだ」と探し回らせ周囲を困らせる事件
ニュース速報+板より【皇室】 眞子さまと佳子さま、卒業式★2
802 名無しさん@十周年 sage 2010/03/22(月) 22:12:30 ID:gdgyskiR0
>>784
うちの叔母は大阪万博の時に浩宮様と一緒に自動車に乗るイベントで選ばれたんだ
でも派手がましくて拒んだら、浩宮様が絶対この子でないと嫌だっておっしゃられて、
場内放送で探されて強制的に乗せられたんだよ
その話し聞かされてそこまで執着するって意外だと思った。
  • 大阪万博にて取材カメラの前で「シェー」をしてみせる事件
  • 一家で浜名湖静養の折り、養殖ウナギを見学した浩宮は自分では手を出さず、浜尾実東宮侍従に「つかんでみたら」と言う、自分が嫌なことを他人である大人に命じてやらせようとする臆病ぶり事件
『週刊現代』2009/1/24号<再生&激変'09年の論点/雅子妃には「離婚」という選択肢もありうる>当時浜名湖同行取材していた渡辺みどり記事より引用
 皇太子と秋篠宮の性格の違いを物語るエピソードで思い出されるのが昭和40年代にご家族で浜名湖に行かれたときのことです。養殖されているウナギの桶を覗きこんでいた浩宮は、自分では手を出さず、東宮侍従の浜尾実さんに「つかんでみたら」とおっしゃった。一方の礼宮は桶にひょいと手を入れ、ウナギをつかんで振り回したんです。いま皇室のなかで、秋篠宮の存在感がだんだんと大きくなっているように感じられますが、あのときのお二人の様子は、鮮明な記憶として残っています。
  • 学習院短大OG奥様書き込み“「ナルイニさんは授業中に前席の男の子のうなじを舐めたらしい。」という噂を聞いたこともありました。”&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}

■第3期-中等科時代-■

  • 学習院中等科に進学した浩宮、成績表を持ち帰り「おたたさま、お点が赤座布団の上に乗っかっているよ」と母美智子さまに報告。成績の悪さを赤いアンダーラインで注意書きされるほどに勉強は不出来だった事件。
  • 3歳の妹紀宮について12歳浩宮が言葉を求められ、「サーヤはキラキラで一生懸命ね」と年齢の割に幼すぎる発言、取材記者が何とかフォローしてあげる事件&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}
Part1555-918 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 16:02:50 ID:+Iwr5zMqO
サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
“サーヤはキラキラで一生懸命ね”
私が今でもその記事を覚えているのは、その後に続く記者の方の〆の文章のせい。
“意味はわからないが何となくわかる表現。”って書いてあった。
当時浩宮さまは12歳6年生なのに、妹のこと聞かれた答えが記者さんに目一杯フォローされてるって、子ども心にもびっくりした。
何となく雅子さんと話が合うわけだよね。

Part1556-20 可愛い奥様 sage 2009/05/21(木) 19:00:02 ID:QVqmm75/0
>>前スレ918
>サーヤの三歳(白いワンピース着てスキップしてる写真付)のお誕生日の記事に、兄の浩宮さまの妹評が載っていた。
>“サーヤはキラキラで一生懸命ね”

>当時浩宮さまは12歳6年生なのに

サーヤ3歳の誕生日なら1972年の4月18日。
ナルさんは1960年2月の早生まれだから12歳中1だよ。
  • 一家で雪道を歩いている折、すぐ隣で父上皇太子殿下が滑って転んだのにぼーっとしたまま何もしない事件
    ソース:1972年冬 雪道で滑って転んだ父上に手を差し伸べる礼宮と、見ているだけの浩宮
  • 中学生のとき、知人に送った年賀状で「賀正」の賀の字の貝が横一本足りなかったのが、はっきりTV画面に映った事件
  • 中等科時代、数学の家庭教師の授業を受けていた折、問題の答を間違えることが嫌でなかなか解答を示そうとしなかった事件
浩宮の学習院高等科時代の主管=担任であった小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p21-22より
 ――高等科の数学科の佐藤茂人教諭が、中等科時代の浩宮の家庭教師をつとめていたことがある。その時の話で、浩宮は自信がないと練習問題の解答をなかなか示そうとしなかったとか。数学の誤答を提出することを、嘘をつくことと同義に考えていたという。中等科の彼には「誤答」→「嘘をつくこと」=「いけないこと」という、常識では考えられない思考の枠がはめられていたといえよう。
  • 中等科時代、東宮御所で家庭教師の授業を受けているときに「窓を少し開けた方がいいね」と言われて窓を全開、「もう少し閉めて」と言われて今度は全部ぴたっと閉めてしまう、窓の開け閉め加減が理解できない事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p73-73より
 この学年の相(原文ママ)主管の佐藤茂人教諭が、浩宮の中等科時代に数学の家庭教師を引き受けていたことは先に述べた。
冬の東宮御所での勉強中、部屋の暖房が利きすぎているので
「窓をすこしあけた方がいいね」と言うと、全部開放し、しばらくして
「もうすこし閉めて」と言うと、ぴたっと閉めてしまった。
 ――「浩宮には、窓をちょうどよく開けたり閉めたりするってことが出来ないんだ。自分で窓をしめたりあけたりする習慣が、小さい時からなかったんだろうね」と佐藤さんは言い「だから家庭教師に行った時には、なるたけ自分の部屋の窓のあけしめをやらせたんですよ」と語ってくれた。
 きちんと決められたことはできるが、きわめて日常的な、小さい時からわれわれが日々の生活の中で自然に身につけるもの、生活の知恵ともいえないような文字通り「瑣事」にうとい点が浩宮にあるのは、やはり否めなかった。
 美智子妃の母親としての細かい心づかいがあったとしても、あの東宮御所で多くの側仕えの人々に付き添われた生活では、そこまではカバーできなかったということだろう。
  • 中等科3年生当時の徳仁を美智子さまが「浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています」と評する、反抗期には全く無縁っぽい「PURE」風味で寧ろ心配すべきじゃないの?事件
河原敏明著『美智子さまのおことば 愛の喜び・苦悩の日々』講談社文庫(1997年)、p112より
客観的に満足かということではなく、わたくしの感じで言えば、浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています。浩宮を大切に思っているとしか申し上げようがございません。(昭和49年10月お誕生日記者会見)
  • 中等科修学旅行の宿泊先部屋で枕投げが始まり、同級生の皆は空気を読んで浩宮には当たらないように投げ合っていたのだが、それが「おもしろくなかった(原文ママ)」浩宮はある男子生徒の後頭部を枕で力任せに叩き、その生徒は思わず反撃、ナル顔面に枕がヒットし大量鼻血事件≪週刊女性2010年3月30日号 学習院“深イイ”話7連発 その3 修学旅行の枕投げの夜に起こった…皇太子さま流血事件≫

■第4期-高等科時代-■

  • 1976年、知的障害児童施設「ねむの木学園」の宮城まり子園長がご招待を受け園児の絵画作品を持参し東宮御所参内、皆夢中になって鑑賞しているのを面白く思わなかったのか「わたくしのは?」と当時高等科の浩宮が空気読めない発言、それに間髪入れず「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」とKY徳仁のあしらい方を心得すぎな母美智子さま、絵画で注目を集める知的障害児童の存在に次々代天皇予定者が嫉妬事件
2009年4月12日皇室日記スペシャル「両陛下がはぐくまれたねむの木の絆」より
久能靖:どういうきっかけだったんですか、最初に(美智子さまと)お会いになったのは?
宮城まり子:最初? きちっとお会いしたのは、絵を見たいからって言うので、東宮へ絵を持っていったんですよね。で、見ていただいたとき、皆夢中になっちゃったんですよ。
ったら今の皇太子が、ちょっと嫉妬心かな、「わたくしのは?」とお聞きになったの。ったら皇后さまがね、間髪入れずに「あなたのは、1枚残らずちゃんっと、しまってございますよ」と仰ったの。
そしたらニコーッと笑って、「そう、ありがとう」って言われたときの、その間髪入れずのお母さまの答っていうのは、これは素敵なお母さんだなーって思いました。
ttp://www.youtube.com/watch?v=r9nybvlRBss
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※当事件は『女性自身』2009/4/21号 p52<ご成婚50年愛の秘話「皇后さまは“日本中の子どものお母さま”」>宮城まり子氏記事でも触れられ、1976年の出来事と判明している。浩宮が誕生日を迎え新年度に入っていれば、16歳高等科2年生である。
  • まだ学生の時、テレビに映って本人が「子供の頃に、僕の家には国道が走っているって言ったら、級友に驚かれまして...(笑)」と無邪気に言っていた事件
  • 学習院時代の皇太子は人の噂になるほどの存在感がなかったらしい。担任の先生も「身分がなければ記憶に残らない生徒だった」といわれてる事件
  • 学生時代に教室の掃除をした時に、皇太子の机を動かそうとして机が倒れ中から寒い点数の答案用紙(本来なら親に見せるもの)がいくつも出てきて、皇太子は「エヘヘヘヘ…」と笑ってごまかした事件
  • 同級生がトイレでタバコを吸ってる間見張りに立たされてた、断るでもなく注意するでもなくただただ利用される事件
『週刊現代』1993年1月23日号 p25より引用
 一方、皇太子は学習院高等科3年のころ、殿下の悪友仲間が学校のトイレの中でタバコを吸った。そのとき、たまたま居合わせた殿下に、「先生が通りかかったら教えてくれ」と、廊下での見張りを頼んだ。頼まれた殿下は抵抗するでもなく、
「あ、そう」
 と数分間の見張り役をお引き受けになったそうです。
  • テニスをしてる女子生徒に玉拾いを命令されてた事件
  • 学生時代、学食のカレーを肉多めに盛ってもらおうとして、厨房担当の女性にたしなめられた事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p67より
 ごく稀にではあったが、浩宮も高等科食堂を利用することがあった。浩宮自身が食堂の昼食に興味を持ったためかもしれない。
カレーライスを注文して、食堂の賄いの女性に
「お肉をたくさん入れてください」と頼んだ
が「高等科のカレーライスは安いでしょう、だからお肉はあまり入っていないのよ」と言われて
「そうですか」と納得していた。そんなこともあった。
 生徒は普通、食堂のカレーライスがどの程度のものか、よく知っていたから「お肉をたくさん……」などという場違いな注文を口にすることもなかったが、そんなところにも世間知らずという意味での浩宮らしさが覗いていた。
  • 学習院男子高等科二年時、第二学国語として選択履修していたフランス語を、恐らく浩宮の頭脳スペックでは授業についていけなくなって放棄、それについて担任が尋ねると「ええ、いろいろ事情がありまして……」と誤魔化す事件
小坂部元秀著『浩宮の感情教育』飛鳥新社(2001年)、p23-25より
 このあと(補足:当時の皇太子殿下と美智子妃殿下揃っての父母面談で話題が変わり)美智子妃は
「二年になってフランス語をやめてしまいましたが、苦手と申しましょうか、ちょっと不安があったようなのです」
と、浩宮のフランス語の選択放棄について触れた。浩宮は高等科一年で第二外国語として選択履修していたフランス語をに、二年になるに当たって放棄していた。
私がこの件について、五月はじめのホームルームのあと、浩宮に雑談風に
「フランス語をやめたんだね」と訊くと、

浩宮は少し眩しそうな目つきをして
「ええ、いろいろ事情がありまして……」と曖昧な応え方をした。私はそれ以上深く追求しようとは思わなかった。
 高等科では一年次に必修の英語以外に第二外国語として、ドイツ語、フランス語のいずれかを選択必修できるコースがある。しかし第二外国語は、二年、三年と進むにつれて負担が大きくなり、三年では一日に少なくとも一時間、ときには二時間連続の曜日もあって、その日は朝から五十分授業が八時限で夕方五時に終了という具合である。そのため二年になる段階で諦めて選択放棄する生徒があった。
 浩宮もおそらく、その学習負担増と、そこからくる全般的な成績の低下を懸念したのではないか。学習院大学への内部進学推薦基準は、高等科の一、二、三年の全教科平均点が各学年六十点以上というハードルが設けられていた。フランス語の担当教員にきいたところでも、フランス語の成績は他教科に比べて低かったようだ。
「ご本人も“いろいろと事情がありまして……”と、言っておられました」
「そうですか」
 両殿下は顔を見合せ
「将来のことを考えて、英語の他にフランス語も馴れておいた(原文ママ)方がよろしいかと思い、高等科に進むときに薦めたのですけれど……」
 と美智子妃はやや残念そうな表情であった。フランス語は、やはり海外からの国賓などを念頭に置いての将来的な配慮の一環だったのだ、と私は納得した。
 フランス語の選択放棄について美智子妃がとくに話題としたのは、浩宮が私に訊かれたことをご両親との間で話したためかもしれない。いわば浩宮の「いろいろと事情がありまして……」という発言についての微妙なフォローだったのかもしれない。
  • 1978年3月31日午後、東宮御所で開かれた浩宮高等科・礼宮初等科卒業を祝う会にて、礼宮がピアノ曲、浩宮がバイオリンを演奏し、その後に浩宮が当時の大ヒット曲だった石川さゆり「津軽海峡冬景色」をピアノ伴奏付きで2番まで独唱した事件

■第5期-成人後、婚約前-■

  • 1980年2月23日二十歳になった浩宮、成年式でいつもより早い7時頃に起きなければならないため、弟礼宮・妹紀宮・東宮職員らから借りた全部で5つの目覚まし時計で“万全の体制”をとらなければならないほどに早起きが苦手事件
  • 大学時代にコンパに参加。会費はいいですからと遠慮した仲間に向かって「いや、ちゃんとカンパしますよ」と浩宮が差し出したのは500円ぽっきり、お友達はジョークか本気か悩んだらしい事件&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}
  • 大学史学科での飲み会で酔っ払い「院歌を歌いましょう!」と一人盛り上がる事件&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}
Part1755-156 可愛い奥様 sage 2010/03/16(火) 09:05:50 ID:UTf05b8U0
知り合いに学習院大学文学部史学科で皇太子の同級生がいたんて、また聞きで聞いた
浩宮エピです。

史学科で泊まりの旅行があったときに、当時の浩宮が酔っ払っちゃって、
「みなさん!さあ、院歌を歌いましょう!」って一人で盛り上がったんだって。
当時から空気読めなかったのかも…

それで、みんなが「殿下、うるさいからもう寝なよ」と部屋に連れて行ったそうな。
  • 大学時代、飲み会で急性アルコール中毒に陥った友人を「じゃ、後はよろしく」とほかの友人に世話を押し付けその場を立ち去った事件
  • 大学オーケストラ合宿にて団員たちが酒盛り、別室にいた徳仁が楽しげな声が聞こえてくるのでそれに気付き宿の屋根を伝って窓から闖入押しかけ参加、飲み会終了後に廊下から戻ってくる徳仁を目にした見張り番役侍従たちは吃驚仰天事件≪週刊現代2009/10/10号≫
  • 1983-1985年イギリス留学中に日本人旅行者に「うっそー!」と言われたが、 「うっそー!」の本義がわからず事件
    ソース:徳仁親王著『テムズとともに 英国の二年間』学習院教養新書7
  • 御成婚のおりに皇太子殿下の御学友(多分英国人)が テレビで学生時代の殿下のゲーム好き(マイコン)について語っていた事件
  • イギリス留学時、現地のディスコ(?)に逝ったらファッションチェック(懐)に引っ掛かり(Gパン履いててダメだったんだよね)、入れてもらえなかった事件
  • イギリス留学時代に生まれて初めてコインランドリーを使うことになり、洗濯物を詰め入れすぎて(恐らくこれも入れ過ぎた)洗剤の泡が洗濯機からあふれ出す事件
『女性自身』1993年3月18日号p49より、徳仁親王著『テムズとともに―英国の二年間』(学習院創立125周年企画の学習院叢書、非売品)の孫引き箇所
私は手順どおりに機械の中に洗濯物を入れ、洗剤を注ぎ、お金を入れた。四十分ほどで出来上がると聞いていたので、四十分後に再び地下のローンドリー(孫引き原文ママ)に行ってみた。すると、あたりは泡だらけである。よく見ると泡は明らかに私が使用した洗濯機から流出している。そばにはあきれ顔の一人の学生がいた。「これは、君のか。泡があふれているよ」と彼は言った。洗濯物の詰め過ぎであった。
  • (もちろん日本の皇太子であることは店員は知らなくて)しかし懲りずに2度目はわざわざ違うディスコを選び入り込んだ事件
  • 留学中の寮にブルック・シールズと柏原芳恵ちゃんのシールを張る事件
  • 1984年春、私的にパリ・ジュネーブ・南仏そしてイタリアベニスを旅行、カメラ持参で写真を撮りまくり、時には手持ちフィルムを使い果たしてしまい現地一等書記官に閉まっていたカメラ屋で追加フィルムを買わせる事件
『フライデー』1984年11月23日創刊号<『フライデー』にも投稿していただきたい殿下の「必撮」ポーズ>記事
p17より引用
 今春、殿下は学位論文完成のための研修旅行として、パリ、ジュネーブ、南仏、イタリアなどを訪問されたが、古都ベニスでの“必撮”ぶりは、ことのほかだったという。この旅行、殿下ご自身がプランを立てた私的なものであったが、それはそれ、ローマからは堀駐イタリア大使が、ミラノからは田辺総領事が、という具合に案内人が駆けつけた。・・中略・・夕方には小松一等書記官が、すでにクローズになったカメラ屋で、追加フィルムの購入を頼み込んだほど。このご旅行で、殿下はフィルム200本ほどお撮りになったというから、プロ顔負けの撮影量だろう。
『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年)
p65-66より引用
入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。
 お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。
  • 1988年5月第7回俊友会定期演奏会にてビオラソロを担当(ホルツバウアー作曲、ヴィオラとコントラバスのための協奏曲)、開演前に挨拶した礼宮殿下が「…その…ヴィオラのソロがいささか技量不足ではないかと思って(会場笑)、あの…多々お聴きづらいところもあるかと思いますが(会場爆笑)、どうぞ皆さまあの…がまんして、最後までゆっくりお楽しみいただければ、と思っております」、弟に謙遜の代弁をさせたのかと思いきや本当に物凄いびよらソロだった事件
  • 祖父である昭和帝崩御のその翌日、様々な儀式が執り行われる中で浩宮の表情は平然としていて歩き方も胸を張ったツッタカター事件
  • 昭和帝崩御後、ご一家で陵墓について話し合ってた時ただ一人「それでは先に失礼します」と引き上げた事件。滅多に人を非難する事が無かったという実妹・紀宮から「(お兄様は)無責任ですよ」となじられたとも言われている。【あとよろ】
  • 榊原郁恵もお好きであったらしい事件
  • 大場久美子もお好きであったらしい、要するにボインちゃん好み事件
  • 報道関係者や取り巻きの中に自分好みの美人を発見すると「お写真一枚よろしいですか。あんまりお美しいものですから」と見境なしにナンパしてた事件
  • しかも外国でも同じことをして、スウェーデンの美人女性記者に写真をねだり、スウェーデンの新聞に「日本の皇子は○○嬢のハートを射止めることができるか?」とからかい記事を書かれ国境を越えて馬鹿にされちゃったよ事件
  • ブルックシールズを皇居に招待事件
    参考画像:1990年10月25日 来日中だった女優ブルック・シールズを浩宮が宮内庁を通じて私的に招いたという記事(フォーカス平成2年11月9日号)
  • 趣味の登山ではウィスキー持参でお楽しみが専ら、また重い機材を運んで登山に同行する取材記者に向かって「だらしないですね」と荷物を持つ必要が無い自分の立場をすっかり忘れ軽口を叩く事件
  • 1992年常念岳登山した折、山小屋「常念小屋」にて徳仁が出発の際、控えていた侍従たちが駆け寄り、スリッパを脱ぎ散らかしたのを見て、「ウチの連中はお行儀が悪くて困りますね」と苦笑、「山田さん(=常念小屋主人)、二人でスリッパをそろえましょう」と言い、侍従があわてて手伝おうとすると「いいよ。君たちはそこにいなさい」と制する、スリッパを揃えるのはいいことだが山小屋主人にいちいち部下の不始末を告げて手伝わせるのはちょいといかがなものか、脱ぎ散らかした当人に片付けさせるのが筋では?事件≪週刊現代2009/10/10号≫

■第6期-婚約・結婚後-■

  • 婚約記者会見にて、雅子が「その(プロポーズ受け入れを)考えている過程で殿下からは心を打つような言葉をいくつかいただきました。そのひとつは、これは(1992年)11月の後半だったと思いますけれども、私に対して、『皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうにおっしゃってくださいました」とのたまったことで、本当に徳仁がそんなことを口走ったかどうかも不明な台詞を、全世界に向けて言質としてとられてしまう事件
    ttp://www.youtube.com/watch?v=V_4dzPPspME
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  • 婚約記者会見にて「皇后美智子さまが嫁がれた際様々な苦労があったと聞きますが…」という記者質問に対して、「皇后陛下(=自分の母親)からはそのような(苦労)話は一切うかがっておりません。私が拝見しておりまして、いつも明るく楽しい方ですので、ちょっと私にはそのようなこと(=入内後のたいへんな苦労)があったと言われても、ちょっとピンとこないところがあるわけなんです」と回答、当時はめでたい席で過去の母親苦労話に言及するのを回避したかと思いきや、マジで母親が見えないところで努力し苦労してきたことを長男の癖に理解できてないんじゃないの?事件
    ttp://www.youtube.com/watch?v=MFcmObfKyhs
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『週刊文春』2001年12月13号<総力特集雅子妃ご出産 初めて明かされるとっておきの十大秘話>記事 p50より
【茶托を出さない理由】乃万暢敏(のまのぶとし)さん
 殿下は子供の頃から、自分に厳しく人に優しいという方でした。そして気配りを重要視される方です。たとえば、御所では、ある時からお客様にお茶をだす時の茶托をやめました。漆塗りの立派な茶托が、熱くなった湯のみの糸底にぴったりと吸い付いて持ち上がってしまうことがありますよね。その茶托が落ちて大きな音を立てると、タダでさえ慣れない御所で緊張されているお客様が、痛々しいほど緊張される。だったら茶托はやめて、くつろいでお茶をどうぞ、という気配りなのです。

■第7期-愛子ちゃん誕生後-■

■第8期-人格否定発言、その後-■

  • 平成16年(2004年)5月10日デンマーク・ポルトガル・スペイン訪問前記者会見人格否定会見、会見終わりに「人格否定」とはどういうことかと記者から尋ねられ、「外国訪問できないことを含めて、雅子も私もいろいろ悩んだ」発言事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 泥酔して「もう、離婚したい…」とつぶやいた疑惑?事件&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}
  • 平成17年(2005年)歌会始お題「歩み」にて、「頂きにたどる尾根道ふりかへりわがかさね来し歩み思へり」もうじきボクチン天皇だ~とバカ丸出し且つ不吉不敬極まりない歌を詠んだ事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 雅子が長野県スペシャル・オリンピックSOドタキャンした理由を尋ねたオバちゃんに対して、「(直前の奥志賀)スキーで疲れたから」発言事件
  • 2005年2月21日収録・45歳誕生日会見に嫁祖母でありチッソ江頭豊の妻である江頭寿々子をフルネームで呼び、ドロシー・ロー・ノルト女史の詩を持ち出してアイボを笑うなと無言で恫喝する事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 2005年愛知万博視察のヨルダン館にて「死海」の水のプールを見学。阪神淡路大震災を尻目に強行した1995年の同国訪問に触れ、案内役の関係者に「阪神大震災が起こり途中で日本に戻ったため、死海は見られなかったので、また行きたいです」と発言事件
  • 雅子が宮中祭祀に参加しなくなったことを心配した職員が皇太子にこのままでいいのかと尋ねたところ、皇太子は「参加しなくていいよ」と返事、その職員は「そう言われちゃったらしょうがないよ」と周囲に漏らすしかなかった事件
『週刊文春』2005年12月29日号<雅子さま「誕生日の乱」皇室記者オフレコ解禁!大座談会 皇太子ご夫妻への風当たり>p29-30より
A 「皇太子はどこまでも雅子さまをお庇いになる」と言う関係者もいます。それはご立派なことです。しかし雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなくなった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。皇太子のご返事は「参加しなくていいよ」でした。その職員は「そう言われちゃったらしようがないよ」と周囲に漏らしていたそうです。
C 最近、皇太子殿下のことを心配する声はよく聞きますね。殿下はあまりにお優しすぎるんです。妃殿下のことが心配で心配で、お立場のことまでお考えになる余裕がないのでしょう。
B 残念だったのは、ご静養中とはいえ、皇太子ご夫妻が終戦記念日にテニスをされたこと。今年は戦後六十年で、両陛下のサイパン訪問や那須の千振開拓地訪問がありましたから、余計に目立ってしまいましたね。
A 終戦記念日のテニスは御所の職員にも評判が良くなかったですね。「殿下は幼い頃から戦没者慰霊に取り組む両陛下のお姿を見てお育ちのはずなのに、いったいどうされてしまったのか」という声が聞こえてきましたよ。確かに“戦争の記憶の継承”を非常に大事にされてきた平成皇室だけに、あそこは東宮職がフォローして差し上げるべきだったのではないでしょうか。
  • メキシコ水フォーラムに出席するも、口に出るのはま雅子の事ばかりだったよ事件【(゚Д゚)ハァ?な回答シリーズ】
  • トリノオリンピック入賞者を招いた茶会で、どの選手にもアイボの話をし呆れられた事件
  • 同上トリノオリンピック慰労茶会で、スピードスケートの岡崎朋美選手が言った「愛子さまにも将来スピードスケートを…」社交辞令に対し、「(愛子は)フィギュアスケートをやっているので」とけんもほろろだった事件
    岡崎氏証言画像:2006年5月12日 第20回オリンピック冬季競技大会(=トリノ五輪)入賞者等招待の慰労茶会
  • 2005年・2007年・2008年の8月那須御用邸静養で遊びに出かけた那須ファミリー牧場にて「よーしパパ、メリーゴーランド乗っちゃうぞー」事件
    参照:2005年メリーゴーランド画像2007年メリーゴーランド画像2008年メリーゴーランド画像
  • 2006年9月上旬山形県での地方公務宿泊先ホテルで、収穫時期の外れたラ・フランスの生ジュースを、「皇族は缶・ビンジュースを飲めない(生ジュースでないとダメ)」などと明らかな嘘を吐いてまでいきなり所望事件
    ソース:『週刊新潮』2007年2月22日号<初公開!これが「皇族接遇マニュアル」だ▼「お絞りは固めに」「便座カバーは白」「御先導は2~3歩左斜め前を」▼「ラ・フランスのジュースを飲みたい」皇太子の一言でホテルは大混乱。▼BSE騒ぎの中で、陛下に「オクステイルスープ」を出したシェフは……▼天皇家をお迎えする施設や自治体に対して宮内庁が出した「お迎えマニュアル」が流出。>
  • 2006年9月13日甥っ子・悠仁親王殿下命名の儀を鳥海山登山にかこつけてブッチするも、天候不良で最後まで登頂できず事件
  • 2007年8月24日、この夏の甲子園で初優勝を飾った佐賀北高校校長へ「私も応援しました」という内容のメッセージが届けさせる、決勝対戦相手の広島広陵高校立ち場なし事件
    ソース:2007年08月25日付スポニチ紙面記事
  • 平成20年(2008年)歌会始お題「火」にて、「蒼(あを)き水たたふる阿蘇の火口より噴煙はのぼる身にひびきつつ」と自分が実際に見学した阿蘇山の光景を歌にするも、阿蘇山旅行経験者からは「阿蘇山の火口にある湖はバスクリン色かシャンプーのメリット色で、到底“き水”なんてものではないのでは??」と大勢の人に疑問を抱かれる事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 2007年12月大分訪問にて児童養護施設と保育所などを兼ねる「Plaza Puer光の園」を視察、家庭環境には決して恵まれてないと推察できる子供ら相手に「愛ちゃんパパです」と暢気に自己紹介事件
  • 2008年2月13日羽毛田宮内庁長官が前年徳仁が誕生日会見で語った「(両陛下と)お会いする機会をつくっていきたい」表明から参内回数が増えていないことを取り上げ異例の“苦言”定例会見、それに対し2008年2月21日誕生日会見で「家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」と、両陛下と東宮家の関係については公的なものではないので回答しないという立場をとる事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • そのくせ自分のマーキングジョギングや、雅子愛子の「電車でGO!」体験は、テレビカメラを呼んで撮影させてまで公表事件
  • 平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、健康維持方法としてジョギングについて語る徳仁、「私自身は一回のジョギングでこの赤坂御用地の中を2周から3周するのですけれども,先月1か月間で,100キロメートルを超える距離を走りました」それって自慢というより寧ろ仕事が無くて超暇ってことでは?事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 同じく平成20年(2008年)2月の48歳誕生日会見にて、「テニスや,回数は少ないですけれども,登山やスキーも私の健康維持には欠かせません」とまるでスキー旅行要望雅子の代弁事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 平成20年(2008年)6月11日ブラジル訪問前記者会見にて相変わらずの「お医者様」発言、そして雅子がブラジル訪問に同行しない件について、「(ブラジルは無理だが)今の雅子の体調にもうまく耐えられるのではないかと思われるような,そういうものが将来出てきた場合には,その場合として考えていければというような意味です。いずれにしましても,そのような訪問が雅子の回復の上でも役立つものであればということを強く考えております。」と公式訪問前会見でブラジルに超配慮なし発言をしでかす事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 2008年6月ブラジルで開かれる日本人移住100周年式典などに出席する皇太子の人となりを知ってもらおう企画で、なんと20年以上前の著書『テムズとともに』(学習院教養新書、1993年出版)がポルトガル語で翻訳されることに。ネタ無しで今更翻訳出版のタイムラグもさることながら、出版にあたって皇太子が寄せた「ブラジルの読者のみなさんには、青年時代の私が本国から遠く離れた英国という地において経験し、あるいは感じた事柄の中に、何らかの関心を見いだしていただければ幸いです」との文章も収録。遠い異国の地での生活体験については日系ブラジル移民の方々の方がどう見ても豊富なのに、何故かたかだか1983-1985年・二年間の留学経験ぽっちで上から目線のナルちゃん文章。同翻訳本は3000冊出版され、地元の病院、日本人学校、在日ブラジル人学校などに配られたとのこと。……そんな数少ない著書翻訳事件
  • 2008年7月1日、せんべいこと創価学会の聖教新聞第一面にて、徳仁ブラジル訪問でのパラナ州移住100年祭にてSGI青年部500人が演奏と演技を披露したという記事が思いっきり掲載、池田大作長男で跡継ぎと目される池田博正SGI副会長とばっちり同じ壇上にのぼり、昼食会も同席するという、本当に本当に本当にマジで洒落にならない事件
  • 2008年8月那須静養、りんどう湖ファミリー牧場行楽で同行の雅子妹池田礼子一家と足漕ぎボートに乗り、ボートペダルまで踏んで差し上げちゃう事件
  • 2008年9月13日、学習院百周年記念会館で開かれたウルトラセブンイベントの<超ウルトラ>サプライズゲストとして登場≪Part1323-522/773/836、Part1324-435/444複数mixi情報≫、前日12日からの両陛下葉山ご静養への合流お誘いを「東宮仮御所への引っ越しもあっていろいろとお忙しいということではないかMSN産経皇室ウィークリー9/13)」と断り、両陛下よりセブンを優先させる事件
    補足:秋篠宮殿下は葉山ご静養に合流し、13日に東大農学部で開かれた「三蔵経学術シンポジウム」に葉山から足を運びご出席、そしてまた葉山にお戻りになっている。
  • 2008年10月9日北京五輪入賞者らとの茶会、フェンシング・フルーレ銀メダリスト太田雄貴選手に「愛子と一緒に観戦しましたが、愛子から『ルールが全くわからない』と聞かれ、『僕もわからない』と答えました」とのたまい、逆に太田選手の側から「ルールも含めて少しずつ日本の中で広まればいいですかね」とフォローされてしまう事件
  • 2009年2月5日ベトナム訪問前公式記者会見にて、ベトナムベトナムgdgdg牛歩会見をして時間稼ぎをし、体調不良の陛下と公務と雅子マターについての質問には予定時間になったからと司会進行の大森茂侍従が一方的に強引打ち切り強行、宮内記者会は6日野村一成東宮大夫に「取材の制限、妨害に等しい」と抗議文提出、同日野村東宮大夫が「予定時間を厳格に守ろうとするあまり記者会見を終了させたもので、率直におわびする」謝罪文発表、そんな前代未聞会見事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
    参考:共同通信2/6魚拓
    参考:日テレノーカット工房ベトナム訪問前徳仁会見映像
  • 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見前の質問事項すり合わせにて、「雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀(=同年1月7日昭和天皇二十年祭)についてもぜひ触れてください」と、都合のいい記者質問を自分からおねだりする事件
『AERA』2010年1月4・11日合併増大号<陛下が触れない雅子さまの病状>p22より引用
 2009年雅子さまのスタートは好調に思われた。
(中略。新年一般参賀・昭和天皇二十年祭である皇霊殿の儀・なるほど展・WBC・みどりの愛護について何年何ヶ月ぶりと説明が入る)
 この時期の雅子さまの充実ぶりは、こんなエピソードからも伝わってくる。
「雅子さまががんばっていらっしゃる姿を国民のみなさまにもお伝えしたかったのでしょう。皇太子さまは2月23日のご自身の誕生日に向けての記者会見で、宮内庁記者会からの質問事項に『雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀についてもぜひ触れてください』といった趣旨のご希望を述べられたそうです」(宮内庁関係者)
  • 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて、「愛子が赤坂御用地で遊んでいるときに,眞子内親王様や佳子内親王様に声をかけていただいて一緒にお遊びしたりしたこともあります」発言、自分より年少で班位も低い姪に「様」付け事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}
  • 2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見にて「雅子は頑張り過ぎてしまい、その後の公務をすることが難しくなる」といったことをのたまい、関連質問で「雅子ヒが頑張りすぎるって何をさ?」とつっこまれgdgd回答、そのまま終了したがなんと約20分後のカメラマンが撤収作業をしている最中に戻ってきて「雅子は周囲の期待もありますので、1つの公務をする場合には全力を傾けることがあります。1つの公務をする場合、それだけ多くの日数をとって、そのための準備をする。やはりそれに伴って、結果としては疲れが残ることもありますので、次から次へと新しい公務をするということはまだ難しい、ということを申し上げたかったわけです」と付け加える、またも前代未聞会見事件
    参考:産経新聞2/23魚拓
  • 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会で、ベトナム訪問に同行していてバレンタインチョコを徳仁に渡した女性記者にお礼の言葉を述べたのはよかったが、「(中川昭一財務大臣へべれけ会見の話題から)お酒はまあ飲みますが、甘いものはあまり好きではありません。“両刀遣い”じゃないんですよ」と言っちゃう事件≪週刊文春2009/3/12号≫
  • 延長&一旦退出後舞い戻ってきての追加説明2009年2月20日徳仁49歳誕生日記者会見終了後のオフレコ懇談会お開き時に、「これにて一件落着!」と遠山の金さん(杉良太郎)のモノマネをしてみせる能天気事件≪週刊文春2009/3/12号≫
  • 2009年2月徳仁49歳誕生日映像で、「優秀な愛ちゃんに英語教育してます!」アピールのためか東宮一家が英語カルタ「Alphabet Zoop」に興じている場面を撮影させるが、徳仁が手にしているカードは全部上下逆さまだった事件
    参考画像:「Alphabet Zoop」表面と裏面の図柄と、カードを手にしている愛子と徳仁。トランプとは異なり、両面ともに上下が決まっている図柄であることに注目。
    参考動画:日テレにこにこアルバム 5分30秒あたりから「Alphabet Zoop」、英語カルタが上下逆さまでもおかまいなしな徳仁。雅子も似た傾向があり、手持ちの札を揃えて見やすくするという知恵は働かないらしい光景。
  • 2009年3月7日ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド日本対韓国戦があった夜、東宮家にプライベート電話をかける間柄の某氏が夜8時半~9時頃緊急の要件にて何度も電話をかけるも応対に出ず、夜9時半過ぎにようやく電話に出た徳仁が第一声で『佐藤君(仮名)、見てるかなっ! 素晴らしい試合だね』と、自分が友人をシカトしていたことも理解していないんじゃないか事件≪週刊現代2009/10/10号≫
  • 2009年5月9日毎年恒例両陛下との粟の種籾蒔きに東宮一家が仔犬「ゆり」を同伴し参内、皇居から退出する移動ワゴン車で一家の主が犬より下座に座る事件【(奥)】
  • 2009年7月16日長崎県佐世保市にて開催の第45回献血運動推進全国大会にて、3年前に7歳の息子を病気で亡くし、治療のための輸血体験を発表した主婦に「うちの娘も7歳です」「寂しくないですか」KY発言事件【(゚Д゚)ハァ?な質問シリーズ】【八大行啓】
  • もう小学生である愛子と両側からそれぞれ手をつないだ雅子と徳仁が茶会にお出まし、愛子が何かゴニョゴニョ話しているのを、『今、歯が抜けて聞きづらいでしょう。愛子は○○○○と言ってるんですよ』と説得力に乏しいフォロー事件
  • 2010年徳仁50歳誕生日発表用映像を庭園にて一家三人&飼い犬ゆりで撮影、雅子と愛子がしゃがんでゆりを弄り回している仲間に入ろうとしたものの、ゆりに舐められそうになった瞬間慌てて手を引っ込めそそくさと立ち上がり、実は犬苦手なのがバレバレになってしまう事件
    参考映像:日テレにこにこアルバム 5分10秒あたりから徳仁犬苦手バレバレシーンあり。
  • 2010年3月3日ガーナ及びケニア訪問前記者会見にて、関連質問で「妃殿下のアフリカに対する関心,殿下からご覧になって,どういった部分に特におありでしょうか,お聞かせください」と問われ、「そうですね,アフリカが抱えている様々な問題,全体に対してあると思いますし,具体的にどの問題というのはなかなか難しいかもしれないのですけれども,もちろん貧困の問題ですとか,それから教育の問題,さらには環境問題なども含めて,非常に幅広くアフリカの問題に対して関心を寄せているというふうに,私には感じられます」との具体性も何もあったものではない漠然とした回答、夫妻でアフリカ問題について話したこともないだろとバレバレ事件&color(#FFFFFF,#9933CC){宮内庁公式情報}

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