生島圭シリーズ


 1997年だったか、講談社の上田哲之さんから「講談社現代新書」で現代哲学の本を書きませんかというご依頼をいただきました。そこで、「生島圭」という哲学者を登場人物の一人として、対話篇の形で書いたのが、このシリーズの始まりでした。1冊目は1998年、『哲学の最前線――ハーバードより愛をこめて』として刊行されました。「生島」は、執筆当時、大河ドラマで「江島・生島事件」が取り上げられていました。本の中の個々のアイテムも実はもそうなのですが、執筆当時の時代がなんとなくそうかなと、もしかしたら思っていただけるようなネイミングです。「圭」は、その頃短い名前のなかで、私が最も好んでいたものでした。

 もともとは、「アメリカ哲学の最前線」というタイトルだったのですが、論じられているさまざまな問題は、アメリカの哲学者の言説を引き合いに出しながら、実は国際的に論じられているものでした。そういうわけで、上田さんのご意見に従って、出版時のタイトルは『哲学の最前線』となりました。今でも、内容的に、ちっとも古くなっていないと思っています。

 舞台にハーバードを選んだのは、私のアメリカでの経験を、そのままではないにしても書き留めておきたかったからです。そういうわけで、登場する人物には、みな実在のモデルがいます。名前は必ずしも本人のものではありませんが、「アラタ」と「デイナ」はそのままです。新君、デイナさん。そして、あの、私にとって「夢の中の」出来事のようだった(というもの、実は体調を崩していたため、現実感が少し希薄だったからなのでしょうが)1年間の登場人物のみなさん、どうしているのかと、ときどき思います。

 それから、「ハーバードより愛をこめて」という副題は、私くらいの世代の人ならみんな知っているスパイ映画の題名、「007ロシアより愛をこめて」のパロディーです。






 『哲学の最前線』出版のあと、上田さんから、「心の哲学」に関する続編を書いてもらえないかというご依頼をいただきました。これについては、まず、2004年に、『観念論ってなに?――オックスフォードより愛をこめて』を出版することになりました。

 この本は、副題にあるとおり、オックスフォードが舞台です。2004年4月に、オックスフォードでジョン・ロック没後300年記念学会が開かれ、そこに招待されて1時間の講演を行いました。そのときのことを書き留めておきたかったという個人的な思いもあったのです。きっとこの頃、自分の記憶力に自信がなくなってきたんですね。妻が一緒に行ってくれて、行けてよかったと思います。妻には感謝です。ディナーでは彼女の「kimono」が好評でした。

 「心の哲学」という言い方が国際的になされるようになったのは、1970年代頃のことであったと記憶しています。その頃は、主として、分析哲学系統の心の哲学が話題になっていました。もともと私は、『哲学の最前線』の続編ではこのあたりのことを論じようと考えていましたが、そのルーツを考えると、先にやっておく必要があることが山ほど出てきます。『観念論ってなに?』で論じたことも、その一つでした。近代の「観念説」の一つの形態である「観念論」が、どのような論理のもとに現れたか。これをどうしても明確に論じておきたかったのです。








 『対話・心の哲学――京都より愛をこめて』が出版されたのは、翌2005年のことでした。

 これは、デカルトからカントまでの近代の心の哲学を主として論じたものですが、ここで行った議論によって、現代の心の哲学のさまざまな話題の核心が、きっと見て取りやすくなったのではないかと思います。







 この「生島圭シリーズ」三部作は、今はいずれも絶版になっています。結構がんばって書いたんですけどね。今でもときどき、言及してくださる方がおいでになるので、著者としては嬉しい限りです。

 その執筆のあと、わたくしごとで恐縮ですがいろいろありまして、今はなんとか余生を送っているような状態です。この三部作は、上田さんをはじめ、さまざまな方のお力添えがあって形になったものでした。



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