両親にアッラーに近づいてもらうために

Helping Parents Come Closer to Allah

日本語訳:
イスラームの本 管理人

 

「私は両親を導いてくださるようにと、数夜寝ずに アッラーに祈りました。」  と、15才のカリーマは書いた。

「私の両親はまったく間違っているので、私は両親が天国にたどり着けるようと願うばかりです。」  とは、19才のターリクが両親の非イスラーム的行いについて不満を吐いたときの言葉だ。

おそらく、今日どこの家にもカリーマやターリクのように両親のことを心配している若者がいるだろう。この出来事は、そう長くない前にアッラーから最上の導きを賜り、新しく見出したこの信仰に照らして生活様式の大変革に取り組んでいる者にかかわっている。
 
イスラームへの行程でもこの段階にある精力的 「スーパームスリム」 には二つのタイプがある。

A- カリーマのタイプ - 両親にイスラームを理解してもらい、イスラームの生き方をしてもらうために、いつもアッラーのお助けを求めている人。控えめで誠実であるが、単に圧倒されているだけともいえる。

B- ターリクのタイプ - アッラーとの関係に誠実で、よりよい方向へ自分を変えようと努力している。しかしながら、その過程で少し傲慢になってしまったところがある。両親に変わってもらいたい、ジャンナ(天国)へ行ってもらいたいと望みながら、批判的な考え方からしばしば不満が高じて両親と対立してしまう。

両親の宗教などについての状況にストレスや悲嘆を感じるのは本当に自然な事である。文化志向の両親や兄・姉をアッラーの方へ誘うことは、若いムスリムが負う事の中でももっとも苦労する大きな悩みだろう

しかし、私たちは辛抱強く遣り通さなければならない。愛する両親に、来世における失敗者となってもらいたくない。どうして安らかでいられようか。人生・生活のすべてをかけて私たちの面倒を見てくれたのだ。幼くて、私たちに対する両親の忍耐や情けなど理解できず、感謝することもなかった時でさえも。

同時に、私たちにできるのは両親の生活スタイルを変える手助けをすることだけである。最終的に心を変える究極の力を持っておられるのはアッラーである。

両親が業火に捕らわれないようにするための 「救済の聖戦」 に乗り出す前に、以下にあげるアドバイスと知恵のある言葉を考慮に入れる必要がある。

 1.何よりもまず、アッラーに感謝する  私たちを導いてくださり、かれの宗教の美しいメッセージを知らせてくださったことに対して。感謝の気持ちをドゥアをして表し、随意の礼拝 (ナワーフィル 日本語訳者注:ナフルの複数) を余分に行い、困っている人を助ける。結果としてアッラーとあなたの関係は強くなり、あなたはますます謙遜深くなる。同時に自分に問うてみる、アッラーは私にかれのメッセージとお慈悲を賜ってくださったのではないか? 私だけが選ばれた者であるなどとどうして考えられよう? そう自問することで心が柔らかくなり、両親や、自分よりも年上の者に対してより同情を感じることができる。

2. するべき事:容易な方法でイスラームのメッセージを伝える あなたの行動、助言を通して。誠実な愛情、従順さ、配慮、賢明さを表現しながら。 アッラーへ近づくことを選ぶのも、選ばないのも、決めるのは最後には彼らである。

3. 両親に説教するのは避ける つまり直接的でなく、口頭でなく、対立的でない方法で、向上の機会があることを気付かせる。 これまでに、ブラザーならひげを伸ばし始めているかもしれないし、シスターなら、ヒジャブの慣習を遵守しているかもしれない。または、アラビア語表現やハディースをいくつか覚えたり、会話の中で 「インシャ アッラー 」 というような言葉をよく使うようになったり、「スーパームスリム」 への道をまっしぐらに進んでいるかもしれない。このような、外見や話し方の劇的な変化だけでも両親にしてみれば十分にショックなことであるだろう。 それだからどうか、説き勧めたり議論するためにクルアーンやハディースの言葉を両親に浴びせることはしないように覚えておいてほしい。 親は、自分たちがどれだけ間違っていて罪深いか、それはどうしてか、ということを子どもに諭して欲しくなんかない。 

4. 強調: アッラーとの関係を強めること クルアーンを学び、理解することを通して。 最終的には、私たちが死んだ後に本当に重要なのはアッラーとどれだけ繋がっていたかである。 

5. 堅くならず、融通
をきかせる  知恵をはたらかせて、よい場で、よい時に、よい事をする。 よくあることだが、私たちは両親の幸せを願う気持ちから自分たちの考えの上に頑固になって、両親にすぐにでもそれに従ってくれることを期待する。私たちは話している相手が誰であるのか、そして年の差があることも分からなくなってしまう。礼儀に気をつけ、敬意を払うということが等閑になる。両親が誕生日を祝うことについてやきもきして騒ぎ立てている若いムスリムをたくさん目にしている。 (それはたいてい家族の習慣の一部であるのだが)  しまいには激昂、パーティをボイコットした挙句、両親や目上の人に 「無知」、「堕落」、「ビドアを行う者」 等という烙印を押すのか。 

そのような祝い事はイスラーム的ではないと考えられるが 私たちは物事を見積もって、優先事項を第一に置く必要がある。両親を導こうとしているのにそのように攻撃的な言葉遣いをしたり、両親が大切にしているパーティをボイコットすることで、得することがあるだろうか? 預言者ムハンマド (pbuh) は教友たちにアドバイスしたことがある。
  イスラームとイスラームに関する物事を人々にとって易しいものにしなさい。人々に (あなたの振る舞いや無知によって) 困難を引き起こしてはいけない。善い知らせを広めなさい。人々が逃げるようにしてはいけない。」
(ブハーリー) 時には柔軟でいたほうがよいこともある。 そして、その最中には沈黙し、物事が落ち着いてから、より細かい点についてイスラームの見方を話せばよい。

6. 変化は徐々にやってくる  「桃栗三年柿八年」 と言われるように、実が取れるようになるまでには相応の時間が必要である。 二日間の集中イスラーム講座のすぐ後に母親にヒジャーブ を守ることを期待することなどできないし、友だちにマスジドに連れて行ってもらったからといって次の日には父親が一日五回の礼拝を時間通りにするだろうなんて当てにすることもできない。 信仰と導きに 「応急処置」 はない。 けれども、両親は時間を経て変わるのである。子どもがイスラームのアイデンティティを保ちながら自分たちのため一生懸命に孝行するのを見て戸惑いながら。 親がただちに自らの悪いところを認めることは稀だろう。だから、よいムスリムとして忍耐し、自然の流れに変化を任せるのがよい。 アッラーのお望みのままに。

7.  「イスラーム」と「自分たちの文化」の区別をしてもらう  両親に、イスラームの価値観と自分たちの文化にある慣習の違いを知ってもらうことは本当にたいへんなことである。例えば、子どものために結婚相手を選ぶ場合、親が判断する基準は自然と、より文化的影響のほうに向けられる。イスラームの信条よりも、である。その上、その母語を話すことはイスラームの信仰教義であると信じている親もいる。 西洋にいる年配者と若者の間でよく議論される事である。必ずしも親が悪いのではなく、ただ親はそのように育てられ、イスラームについて教えられたということなのだ。

これに関して改宗したムスリムの若者たちは、家族の何気ない会話の中で時々持ち出しては話しているかもしれない。男女が入り混じって集まる社会的なイベント、婚前交渉、利息(リバ)、不道徳/卑猥な映画や音楽などの、自分たちの文化にある非イスラーム的慣習に従っている人々のひどい結末について。その時にイスラームの選択肢についても話してはどうか。ただ非難するだけで解決策を出さないのでは、
普通は害になるだけである。たとえば、映画に出かける代わりにハラール な楽しみ方を提案してみる。現代社会の問題に関連してイスラームの立場で説明すると、親の興味をイスラームの方へ向けて考えてもらう助けになるだろう。

8. 劣等感について話す : 私たちの親の世代の潜在意識には西洋的な生活様式への劣等感があるため (彼らの多くが過去の長い間を西の植民地支配下で生きてきた経験があるから)、イスラームがいかにして、今日の問題に向き合うのに「現代的」「現実的」「実際的」 で有り得るかを理解するのは難しい。この劣等感があるために多くの親にとっては、いかなる宗教的なことも経済、学問の進歩に障害であるように思える。年長者の多くは未だに、イスラームは単なる儀式的なもので、来世の 「報奨と罪」 だけに関っていると思っている。つまり、イスラームには人の人生の社会的、学問的、個人的、政治的、経済的面々に関ることには建設的役割がないというのである。

この現象から、親がなぜしばしば子どもに若いうちは「人生を楽しむように」「勉強に専念するように」 と励ますのかについて説明がつく。イスラームや礼拝は年をとってからでよいと思っている。正確には、時代遅れの価値観のために私たちを失ってしまうのではないかと心配しているのだ。そのために私たちがフードバンクで一時間ボランティア活動をしたりクルアーン研究サークルに出席したりすると騒ぎ立てるのである。私たちがモールをぶらぶらしたり学校の遠足に行くことには不安を感じないのに。だから、親が文化的に抱えている物について気を配り、この荷を下ろす手伝いをしよう。その問題を解決し、イスラームが、絶えず変わる現代世界においても現実的であることを示して。



9 ~22 続く