1940年 林芙美子邸

・建物名称  林芙美子邸(現・林芙美子記念館)
・建設場所 東京・新宿区中井
・竣工時期 1940年


・写真、図面等

●林芙美子記念館(2006年伊達美徳撮影)
アプローチ

南側の庭園から

北側庭園からアトリエを見る


和室内部

画家の夫・緑敏のアトリエ


●平面図(戦時統制のため面積制限あり、2軒の家を申請して建ててつないだ)



●建設時の写真(右の写真は山口文象事務所所員だった角取氏所蔵)



 家を建てるまで 家をつくるにあたって     林 芙美子
 
 私は十年前に現在の場所に家を建てた。
 私の生涯で家を建てるなぞとは考へてもみなかつたのだけれども、八年ほど住みなれていた借家を、どうしても引越さなければならなくなり、私はひまにまかせて、借家をみつけて歩いた。まづ、下町の谷中あたりに住みたいと見ひ、このあたりを物色してまはつたが、思わしい家もなく、考へてみると、住みなれた、現在の下落合は、去りがたい気がして、このあたりに敷地でもあれば小さい家を建てるのもいいなと考へ始めた。幸ひ、現在の場所を、古家芳雄さんのおばあさまの紹介で、三百坪の地所を求める事が出来たが、家を建てる金をつくる事がむづかしく、家を追いたてられていながら、ぐづぐづに一年はすぎてしまったが、その間に、私は、まづ、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるやうになり、材木や、瓦や、大工に就いての智識を得た。
 大工は一等のひとを選びたいと思った。
 まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴヱションを見て貰って、一年あまり、設計図に就いてはねるだけねつて貰った。東西南北風の吹き抜ける家と云ふのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云ふのが、私の考へであつた。
 それにしても、家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、かなり、あぶない橋を渡るやうなものだつたが、生涯を住む家となれば、何よりも、愛らしい美しい家造りたいと思った。まづ、参考曾によつて得た智識で、私はいゝ大工を探しあてたいと思ひ、紹介される大工の作品を何ケ月か私は見てまはつた。 
 
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