07-02 聖トマス・モア殉教者

 
聖トマス・モア殉教者(1478-1535) 祝日:6月22日.弁護士裁判官,政治家の守護聖人.
 
 
 
英国の法律家,政治家,人文学者.エラスムスらルネッサンス期の人文主義者と親交を深めた.代表著作はラテン語で書かれた「ユートピア」,「リチャード3世の生涯」他,宗教論争書など.
 
 
トマス・モアは,ロンドンの法律家の家に生まれ,カンタベリー大司教ジョン・モートンのもとで教育を受け,オックスフォード大学で法律学を学び,弁護士となった.
 
1503年までカルトゥジオ修道会の規律に従って生活し,修道生活を志してフランシスコ会入会まで考えて父を大いに立腹させた.
 
その後おそらく独身生活は自分に不向きであると考え1505年に結婚したが,結婚後も生涯にわたってカトリック教に則った苦行を続けた.
 
最初の妻との間に1男3女をもうけた.妻の死後再婚した2度目の妻との間には子はなかった.
 
当時は男子だけに授けるような立派な教育を娘たちにも授けた.
 
 
 
1504年に下院議員となった後,国王ヘンリー8世に仕え,当時英国で最高位の官僚たる大法官に任命された.
 
ヘンリー8世が離婚・再婚問題を起こして,王の離婚を許可しなかった時のローマ教皇クレメンス7世に逆らい,英国国教会の首長の地位につくことを主張したとき,トマス・モアはカトリック教会の立場に立って王に徹底反対の姿勢をとった.このため王の不興を買い,1532年に大法官を辞任した.
 
1534年4月,トマス・モアは国王の再婚希望相手の子の王位継承権を認めるために制定された王位継承法に対する宣誓を拒否し,また,ロチェスター司教ジョン・フィッシャーと共に「国王至上法 Act of Supremacy」(国王を英国国教会の首長と定める)に対する宣誓も拒否し,その4日後にロンドン塔に幽閉された.
 
1535年6月22日に友人でもあったジョン・フィッシャー司教が処刑された後,トマス・モアは7月1日に裁判にかけられ,「国王至上法」の後に制定された「1534年国家反逆罪法Treason Act 1534」により有罪判決を受け,7月6日に斬首刑に処せられた.
 
彼は死の直前に「私は国王の忠僕として,しかしその前に,まず第一に神の忠僕として "the king's good servant, but God's first." 死んだのである.」と言い残し,天に召された.
 
 
 
1886年にカトリック教会の殉教者として教皇レオ13世により列福された.
 
1935年5月19日に教皇ピオ11世によりジョン・フィッシャー司教と共に列聖された.
 
1970年に聖ジョン・フィッシャー司教と共に6月22日を祝日としてローマ・カトリック教会聖人暦に加えられた.
 
2000年に教皇ヨハネ・パウロ2世は聖トマス・モアを「政治家の守護聖人」と宣言した.
 
 
 
 
 
 
 
 
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