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02・03 - 使徒の心構え

 
 
 

 

「新世界秩序」の基本的な独断について公に疑問を投げ掛けたことがきっかけで,

この1年間続いて「国内追放」の重い十字架を背負ってきた私に,

多くの方々が励ましと慰めの言葉をかけて下さいました.

心配いりません!

「新秩序」が支配しているところならどこでも(今やほとんどの場所がその支配下です)

その反対者に残された作戦の余地は限りなく少ないことを思い起こすべきです.

そして,もし私たちがその状況を苦痛だと思うなら,

それは私たちが神を私たちと同程度にしか自由にしていないことに対して

神の御手から私たちに下された正当な罰なのだということを認識しなければなりません.

神の友が持つ作戦の余地は著しく限られたものなのです.

 

                                                                                                               (「エレイソン・コメンツ 第139より

 

 
 
 
 
(聖マテオ福音書・第10章)(バルバロ神父訳・新約聖書参照
 
イエズスは十二人の弟子を呼んで,汚れた霊を追い出し,どんな病もわずらいも治す権威を与えられた.十二使徒の名は次のとおりである.まずペトロと言われるシモンとその兄弟アンドレア,デベデオの子ヤコボとその兄弟ヨハネ,フィリッポとバルトロメオ,トマと税吏のマテオ,アルフェオの子ヤコボとタデオ,熱心なシモンとイエズスを裏切ったイスカリオトのユダである.
 
 
 
イエズスはこの十二人を遣わすにあたり次のように戒められた,
 
・「*¹あなたたちは異邦人の国に行ってはならぬ.サマリア人の町にも入るな.むしろイスラエルの家の滅びた羊のところに
 行け行って〈天の国は近づいた〉とのべ伝えよ
 
・病人を治し,死人をよみがえらせ,らい病人を清め,悪魔を追い出せ.無償で受けたものを無償で与えよ.
 
*²金銀や銅貨を帯に入れてはならぬ.旅袋も二枚の上着もくつもつえも持ってはならぬ.働く人は自分のを受ける権利が
 ある.
 
・どんな町や村に入っても,ふさわしい人を探し,出発するまでそこにとどまれ.家に入るときには,平和を祈れ.その家が平
 和を受けるに値するなら,平和はその上に下るだろうし,値しないならその平和はあなたたちにもどってくる.
 
*³あなたたちを受け入れず,のべ伝えることを聞かないなら,その家その町を去って,足のちりを.まことに私は
 言う.審判の日,ソドマとゴモラの方がその町よりもまだしもおだやかな扱いを受けるだろう.
 
 
 
・私があなたたちを送るのは,羊をおおかみの中に入れるようなものだ.
   だから,へびのようにさとくはとのように無邪気であれ.
 
 
 
・人を警戒せよ.そうしないとあなたたちは衆議所にわたされ,あるいは会堂でむち打たれる.
 
・またあなたたちは私のために,総督や王の前に引き出され,彼らと異邦人の前で証言するだろう.
  出頭するときには,どういうふうに何を言おうかと心配するな.言うべきことはそのとき教えられる.
・話すのはあなたたちではない,あなたたちのうちにある父(神)の霊が話される.
 
・兄弟は兄弟を,父は子を死の手にわたし,子は親に逆らい親を死なせる.
 
・あなたたちは私の名のためにすべての人から憎まれる.だが終わりまで耐え忍ぶ者は救われる
 
 
 
*ある町で迫害されれば他の町に逃げよ.またその町を追われればほかに逃げよ.まことに私は言う.あたたちがイスラ
 エルの町々を回り尽くすまでに人の子は来る.
 
・弟子は先生以上のものではない.下男も主人以上のものではない.弟子は先生のように,下男は主人のようになれば足り
 る.人々が家父を*ベルゼブルと言ったのなら、その家の者に対しては何と言うだろうか.
 
・彼らを恐れるな.覆われていてあらわにならぬものはなく,隠されていて知られるようにならぬものはない.
 私がやみの中で言うことを,あなたたちは明るみで言え.耳をあてて聞くことを屋根の上から知らせよ.
 
・また体を殺せても霊魂を殺せない者(人間)を恐れるな.むしろ体と霊魂をゲヘナ(地獄)で滅ぼせるお方(神)を恐
  れよ
 
 
・二羽のすずめは一アサリオン(ローマの最低貨幣の一つ)で売っているではないか.しかもその一羽さえ,天の父のゆるし
  がなければ地に落ちぬ.あなたたちは頭の髪の毛までもすべて数えられている.恐れることはない.あなたたちは多くのす
  ずめよりも値打がある.
 
*人々の前で私の味方だと宣言する者を,私もまた天にいます父の前で味方だと宣言しよう.人々前で私を否む
   者を,私もまた天にいます父の前で否む
 
 
 
 
*私が地上に平和をもってきたと思ってはならぬ.平和ではなく,剣を持ってきた
 
*つまり,私は息子をその父から,娘をその母から,若い嫁をしゅうとめから別れさすために来た.人は分の家の者を敵に
 回すだろう.
・私よりも父や母を愛する者は私にふさわしくなく,私よりも息子や娘を愛する者も私にふさわしくない.
 
 
 
・自分の十字架をとって私に従おうとせぬ者もふさわしくない.
  *自分の命を保とうと努める者は命失い,私のために命を失う者は命を見いだす
 
 
 
・あなたたちを受け入れる人は私を受け入れ,私を受け入れる者は私を送られたお方(神)を受け入れる
・預言者を預言者として受け入れる人は,預言者の報いを受け,義人を義人として受け入れる人は,義人の報いを受ける.
 
・この小さい者の一人に,弟子として冷や水の一ぱいでも与える人があったなら,まことに私は言う,その人は報いを
 失わぬ」.
 
 
 
 
(注釈) 
 

*¹のちにイエズスは使徒に向かって,全世界の異邦人にも教えをのべよと言う.しかし今の派遣では,選ばれた民の境をこえ

 るなと命じ,サマリア人さえも含めない.

 

*²物質的な手段は,むなしいものか,あるいはニ義的なものだと教える.

金銀は金貨,銀貨のこと.

 

*³ヘブライ人は異邦人の土地を不浄と考えていたので,外地から自分のの国に帰るとき靴のちりをはらった.ここの言い方

 は,自分らを受け入れぬ町を異邦人の町と同じに考えよ,という意味になる.

 

*イエズス最後の来臨のことではなく,〈エルサレムの滅亡〉という審判を指す.キリスト教に対する迫害は,はたして

   キリストの勝利をもって終わった.

 

*ベルゼブルはカナン人の偶像神だったが,ここでは悪魔のかしらの意味である.

 

*子(イエズス・キリスト)が選ばれた人々を父(神)に引きわたす最後の審判の時のことである.

 

*イエズスは平和の王であるが,その平和は欲望と不条理な愛情に反する戦いの果実である.

 

*家族への愛情を禁じるわけではない.その上にもう一つ尊い愛があると教える.

 

*「命を見いだす」という動詞は,セム語の「もうける」「得る」の意味に解釈してよい.イエズスは命を二つの立場から見てい

  る,一つは物質的・時間的なもの,もう一つは霊的・永遠的なもの.後者だけが絶対的なもので,前者の犠牲を要求するこ

  ともできる.これを逆にすることは,すべてを失うことである.