-★9月30日(土)柴田 由貴・ヴァイオリン・リサイタル <バッハとイザイ>

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全無伴奏ヴァイオリン曲プログラム>

J.S. バッハ   
    無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調 BWV1001
    無伴奏ヴァイオリンパルティ―タ第3番ホ長調                   BWV1006

E. イザイ   
    無伴奏ヴァイオリンソナタ 作品27    全曲 

1番(ヨゼフ・シゲティへ献呈)
Ⅰグラーヴェ IIフガート IIIアレグレット・ポコ・スケルツォ―ソ IVフィナーレ・コン・ブリオ
2番(ジャック・ティボーへ献呈)
Ⅰ妄想 Ⅱ憂鬱 Ⅲ亡霊たちの踊り Ⅳ復讐の女神たち
ソナタ3番(ジョルジュ・エネスコへ献呈)「バラード」
ソナタ4番(フリッツ・クライスラーへ献呈)
Ⅰアルマンド Ⅱサラバンド Ⅲフィナーレ
5番(マテュー・クッリックボームへ献呈)
Ⅰ曙光 Ⅱ田舎の踊り
ソナタ6番(マヌエル・デ・キロガへ献呈)

ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(1858-1931)ベルギーの名ヴァイオリニスト。ヨハン・ゼバスティアン・バッハをこよなく愛したイザイは同じく名ヴァイオリニストであるヨーゼフ・シゲティの演奏するバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を聞いて感銘を受け、自ら「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタ」六曲を作曲。一夜にして全曲のスケッチを完成させたと言われている。それが1924年の出来事。バッハが「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを完成させてからおよそ200年後のことである。

バッハの音楽が時代を超越して後世の人間に大きな影響を与えていることを知るにたる良い例である。今でこそバッハは大音楽家として高く評価されているが、実は彼の音楽は死後長いこと忘れられていた。有名な「マタイ受難曲」は1727年に初演されてから約100年の間、人々の耳に届くことがなかったが1829年にメンデルスゾーンが復活上演してたことで、バッハの再評価に繋がった。同じようなことが「無伴奏チェロ組曲」でも起こっている。バッハの死後、この名作は名チェリストのパブロ・カザルスが再発掘して繰り返し演奏、録音した。それで広く世界に知られることになったが、それまでは”簡単な”練習曲と受け止められていた。

柴田由貴さんが今回演奏するイザイの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は六曲からなる非常に技巧的な曲である。それぞれがイザイが敬愛するヴァイオリニストたち、例えばヨーゼフ・シゲティ、ジャック・ティボー、ジョルジェ・エネスク、フリッツ・クライスラーに献呈されている。6曲、それぞれの作品の献呈者のヴァイオリニストと、作品には、密接な繋がりがあり、それぞれのヴァイオリニスト達の面影も、一作品ごとに味わうことが出来る。

ヴァイオリンという楽器は4本の弦しか持たず、重音(二つの音の同時発音)は可能なものの、三音、四音という明確な和声感を作るのに必要な音の同時発音は非常に困難である。さらには多声部ポリフォニックな演奏も極めて困難を極める。こういった困難さが実はヴァイオリン演奏芸術の魅力の一つではなかろうか。困難さの全ては実際に演奏してみて初めて分かる、そらくヴァイオリニストだけにしか理解されないものであろう。バッハ作品もイザイ作品も難曲であるが、困難さを克服して乗り越えたヴァイオリニストだけがその魅力を理解し、私たちに音として届けてくれる。

柴田由貴 

1988年大阪生まれ。3歳よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後、渡仏。2009年パリ市国立音楽院にてディプロマ(ヴァイオリン、室内楽、和声学)取得。フランス国家演奏家資格取得。スコラ・カントルム音楽院ソリスト課程にてパトリス・フォンタナローザ氏に師事。2012年グラズノフ国際コンクール3位(リトアニア) 2013年レオポルド・べラン国際コンクール3位(仏)2014年クレ・ドール国際コンクール(仏)審査員満場一致の1位、および審査員特別賞受賞。フランス、リトアニア、ベルギー、スイス、ブルガリアにてコンサートを行う。

これまでに、和波孝禧、山本裕樹、千々岩英一、ジャン=ピエール・ヴァレーズ、パトリス・フォンタナローザの各氏に師事。
室内楽をブルーノ・パスキエ、フランソワーズ・ルヴェシャン、イザイ四重奏団の各氏に師事。2015年、イザイ無伴奏ヴァイオリンソナタ全曲コンサート、2016年、バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティ―タ全曲コンサートを大阪、東京、北海道にて開催。日本イザイ協会会員。



イザイ無伴奏ソナタ全曲とバッハ無伴奏ソナタ1番、パルティ―タ3番の演奏会によせて
柴田由貴
「パパ、あの人、すごく音楽の栄養が良かったんだね」私は、太った人物(イザイ)の獅子の様な面構えに、感心した。彼の出っ張った腹は、ただ単に物質的な食欲ばかりでなく、知的な、またとりわけ精神的な食欲をしめしているような気がしてきた。魂のある腹があるものだが、この人物の腹は、まさしくそういう腹だった。(父親に連れられ、初めてイザイと出会った、ティボー少年の印象より)

私の母校は、パリ左岸に位置する、フランキストの1人、ヴァンサン・ダンディが創立した音楽学校で、イザイも頻繁に顔を出していたそうです。そこでレッスンを受けていた時や、今もこの作品集に接する時、いつもなんとも不思議なノスタルジーを感じます。このソナタ6曲は、当時、イザイと親交を持っていた、6人のヴァイオリニストへ献呈され、各々のヴァイオリニスト達の面影を今も身近に感じられる気がするからではないかと思います。師であるパトリス・フォンタナローザはイザイやティボーなどの流れを汲む、フランコ=ベルギー派のヴァイオリニストなので、彼から全曲を師事出来たことは、とても運が良かったと思います。帰国して丁度3年が経ち、留学時代がそろそろ過去の思い出になってきた気がしている現在、この作品を弾くことにより、完全に思い出ならずに、これからの人生に繋がっていく様な気がします。

イザイは、1923年にヨゼフ・シゲティが演奏した、バッハの無伴奏曲を聴き、感銘を受け、バッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティ―タと同じ曲数、全六曲からなる、無伴奏ソナタ集をたったの三か月というスピードで書き上げました。

記念すべきイザイのソナタ一曲目は、一番初めに影響を受けたシゲティに捧げられ、バッハの一番のソナタと全く同じ調性、楽章数で作曲されています。そして、二曲目はフランスのヴァイオリニスト、ジャック・ティボーに捧げられました。冒頭には、バッハのパルティ―タ三番の出だしのモティーフが、亡霊のように現れ、それに戦うように、イザイの答えの旋律が聞こえます。ティボー11歳、イザイ33歳の時から、生涯を通じての友人であり、ティボーが、飛行機事故で亡くなる約20年前にイザイはこの世を去りますが、6曲の中で、唯一、不気味で、悲しげな旋律(グレゴリオ聖歌のディエス・イレ、すなわち怒りの日というミサ曲で、主にレクイエムのモチーフに使われています。)を使用し、ティボーの未来を予見していたかのようなもの悲しさが漂います。3曲目はルーマニア出身のフランスで生涯を過ごしたヴァイオリニスト、作曲家のジョルジュ・エネスクに捧げられました。東ヨーロッパの民族的な旋律、エネスクの作品、「幼年時代の印象」の冒頭とよく似た旋律も出てきます。当時、今より、祖国に帰ることが難しかったであろう、エネスクへ、ルーマニアの土の香りが感じられる作品だと思います。4曲目は、ウィーン出身で、20世紀の大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーへ捧げられました。ウィーンとパリで、音楽を学び、エレガントで気品に満ちた趣を持ったヴァイオリニスト、作曲家です。3楽章の速いパッセージは、クライスラー作曲の、「プレリュードとアレグロ」とよく似ています。イザイは、作曲家でもある献呈者には、彼らの作風を真似た、作品を贈っていますが、それはイザイのお茶目な面を垣間見れるようで、とても興味深いです。5曲目は、マテュー・クリックボームという、イザイの愛弟子で、出身も同じリエージュ出身の、イザイ四重奏団のメンバーを長年務めた、ヴァイオリニストです。2楽章の「田舎の踊り」はワロン地方の牧歌的なダンスをモチーフにしたのではないでしょうか。さて最後の6曲目は、マヌエル・デ・キロガという、スペインのヴァイオリニストに捧げられました。ハバネラのリズムが出てきたり、闘牛士の様な、背筋のピン、と張ったような、一曲で完結している、大変技巧的に難易度の高い作品です。キロガ自身、大変テクニックに長けたヴァイオリニストでしたが、残念なことに、交通事故で手が不自由になってしまいますが、沢山のコンチェルトのカデンツや、風刺画を描いたりすることが、晩年のライフワークであったそうです。

バッハの無伴奏曲は平和で、宗教的、イタリア的な趣を感じますが、イザイの無伴奏曲は、どこを取っても、世紀末のベルギーの香りを感じます。約200年の時間が異なる二人の作曲家の作品を比較しながら、イザイの作品が書かれてから、約100年後の現代に聴いて頂くようなコンサートをしてみたいと思いました。そしてコンサートへお越しいただいた皆様に、少しでもイザイ達が生きていた時代へタイムトラベルしたような気持ちになって頂ける様な演奏会になれば幸いです。