2003

2003年



2003年10月 

立山へのアプローチ(2003年10月11日)

立山に行って奥様と一緒に紅葉を楽しむことにした。二泊三日、二人分の豪華な食料で、バックパックの重量を久しぶりに量ったら30Kg。特に重いとは思わなかった。グレゴリーは重量物運搬向きのようだ。弥陀ヶ原から獅子が岩経由の研修ルートで雷鳥沢のキャンプ場へ。初日は晴れて最高だった。温泉もばっちり。

天気予報は大外れ。二日目は雨。朝食後、小雨になる。雷鳥沢から最短距離で一ノ越まで散策することにした。大きな雷鳥が四~五羽、人も少ない良いルートだった。一ノ越に行くと風雨強。登っている人もいたが、一時間模様眺め。再出発、5分登ると猛烈な風雨。即撤退と決定し、ぶらぶら歩き。再び、雷鳥が四~五羽いた。雷鳥は増えたようだ。室堂山荘に行き、パンを少し囓り、リッチにコーヒータイム。心配したけど、割に美味しいコーヒーだった。尾根道を散策し、雷鳥沢ヒュッテで温泉。また、立山ガイドの人と会ってしまった。

夜中から明け方は暴風雨。テントが変形し、頭のすぐ上まで来る有様。シェラデザインズ、オライオンASTなので、不安は感じなかった。地獄谷経由で室堂まで歩き、バスで弥陀ヶ原へ。レーダー画像を見ると雨雲がびっしり。奥様には秘密。弥陀ヶ原から木道をぶらぶらと歩いた。景色はまずまず。ただし、木道が歩きにくい。二度滑って、派手に転んだ。雨の木道は危ない。弘法まで歩くと、美女平までコースタイム4時間と標識にあった。奥様がキレル。やむなくバスで美女平へ。まんじゅうが心残りだったが、即、ケーブルで立山駅。便利になったものだ。



2003年8月 

ニセコアンヌプリにて(2003年8月1日)

ステージ1 倶知安の旭が丘公園にたどり着くと天気は下り坂、雨になる。次の日も雨。しかし、天気は回復予定。羊蹄山麓の半月湖駐車場にテントを移す。夜の間、雨が降り続いた。レーダー画像を調べる。1~2時間で雨雲が消えるはず。午前5時半、軽装でアタック開始。雨が本降りで躊躇したが、1時間ほどで止んだ。11時頃、1893メーターの頂上。快晴、弱風。鉢回りを敢行。岩場に難しい所はない。12時下山開始。2時40分テント場に到着。1500メーターの標高差を2時間半で駆け下りた。我ながら驚いた。まんじゅうとコーヒーで贅沢なティータイム。誰もいないのでもう一泊。

ステージ2 朝、晴天、9時過ぎのバスでニセコに移動。生協で食料を4日分仕入れる。昼頃、ニセコいこいの村へ。ゴンドラで1000メーター地点まで行く。50分歩くとニセコアンヌプリ。下山は五色温泉へ。きれいなキャンプ場だったが、10時過ぎまで外人のグループが騒ぐ。女のガキが2時間おきに泣き出すし、母親もヒステリックに叱る。最悪のキャンプ。

小雨の中、8時出発。9時45分、イワオヌプリ山頂。お鉢回りもやった。下山すると雨が本降り。11時半、ニトヌプリ山頂、12時20分、舗装道路に合流、土砂降り。チセヌプリへのコースを諦める。1時45分神仙沼。雨が上がった。3時、休憩所。トイレは改築。5時に閉まるので水を3リッター確保。展望台にテント設営。少し客が来たけど、夜は誰も来ない。

次の日も雨、6時40分出発、7時20分、長沼。9時、シャクナゲ湖、岩の道で非常に歩きにくい。11時過ぎ白樺山、風雨強。12時、舗装道路へ。目国内岳の登り口の駐車場。トイレはあるが水がない。目国内岳ツアーと表示したバスが一台。12時半、テント設営。雨がひどい。コーヒーを飲み文庫本を読む。4時半、雨が上がった。浄水器で側溝を流れる雨水から飲み水を3リッター作る。浄水器のポンプが不調。狐が来たが、石を投げて追い払う。

次の日、6時20分出発。ガスの中。天気予報とレーダーによると、晴天になる。蚊が多い。7時半、前目国内岳、8時、岩の門。9時10分、目国内岳山頂。晴天。羊蹄山まで見渡せる。岩場は短くで易しい。高度を下げるとブユと蚊だらけ。雨具のズボンを着る。10時半パンケ沼。水を1リッター確保。お花畑がきれい。11時45分、岩内岳分岐。12時40分、水場で2リッター確保。1時40分、五つ沼、晴天でテントを張るには早かったし、ウンコ(狐ではない)があった。おもしろくない。朝日温泉までコースタイムで4時間。歩くことにした。2時20分、雷電山。蚊とブユがいなくなり短パンになる。2時50分、前雷電。4時30分、中山。5時40分、朝日温泉到着。11時間歩いた。ところが朝日温泉は休業中。雷電山に熊出没との看板。空き地にテント設営。浄水器で水を3リッター確保。川の傍の温泉に入る。晩飯は7時半過ぎになった。

さぼる力、寝る力、食べる力に温泉の力をプラス。生きる力が充実した。

次の日、5時前に目が覚めた。朝風呂に30分ほど入る。熊も人もいない。7時10分、出発。8時20分、雷電温泉郷に到着、予定終了。バスで岩内経由で倶知安へ。JRの駅でトワイライト・エクスプレスの予定変更。明日の個室が空いていた。

エピローグ 10時過ぎ、札幌駅到着。大丸の探検。11時前、8階に行列。最前列の人に聞くと、昼食バイキングで美味しいという。おおうと海賊の血が騒いだ。11時15分入店。贅沢にドリンクをつけても1580円、90分一本勝負。品数は50以上。100人程度はいる大きな店。20センチくらいの中皿で8杯平らげた。普通の人の倍は食ったが、70分でリタイア。函館まで寝たきり。持ち込んだ弁当もあまり食えなかった。昔なら胃に入った物はすぐに溶けた。歳だな。ちなみに、大阪駅前の回転ゴンドラのある阪急ビル(乗り場の向かい)には950円バイキングがある。品数は少ないが美味しいぞ。







2003年6月 

僧ヶ岳中腹にて(2003年6月6日)

シェラデザインズ(アメリカ)のホームページで良さそうなテントを見つけた。HyperLight AST(2Kg)。さかいやにメールを入れても返事がない。輸入代理店に直接電話を入れて売れと直談判。さかいや経由で買った。なんと日本には10張り程度しか輸入予定がないという。本格的山用テントらしい。気がついてみると、ピラミッド(3人用、3Kg)、オライオンAST(2人用、2.5Kg)、ハイパーライトAST(2人用、2Kg)、ディパインライトニング(1人用、1Kg)とすべてシェラデザインズだ。

立山少年自然の家のファミリーキャンプの視察(仕事だぞ!)でテストしてOK。大学祭の時に遊びに行かないと死んでしまうので、奥様を僧ヶ岳に連れ出した。初日はベースキャンプ設営。サルどもが興味津々と近づいてきた。二日目に軽装でアタック。アイゼンを持って行ったが、気温が高く雪渓の表面が柔らかくて出番が無かった。頂上には富大のワンゲルが大勢いた。奴らも考えることは同じ。下山して、テントにもう一泊。三日目に宇奈月まで下った。宇奈月の安くて旨い食堂に入ったが、5年ぶりでおばさんの腕も落ちていた。残念だ。



2003年3月 

西部林道(屋久島)にて(2003年3月27日)

ストレス病の奥様の治療のため、屋久島登山。初日は白谷雲水峡入り口のトイレの上の展望台でテント泊。パックパックは二人分×四日分の食料で30キロはあった。次の日から原生歩道を引き回し、山越えして縄文杉へアプローチ。さすがにばてたので、休憩所でテント泊。三日目は雨で三時間ほど歩いて登山道でテント泊。四日目は晴天、宮之浦岳を縦走、淀川小屋の側でテント泊。五日目にヤクスギランドまで歩き、バスで下山。

安房で食料調達、バスで海中温泉を目指すが、同上のおばさんの薦めで湯泊温泉へ。行ってびっくり。堤防の内側にプレハブの脱衣所、温泉は海の傍。露天で混浴(低い仕切りはある)、素っ裸のギャルつき。タダだし、湯泊温泉は良いぞ。気に入った。風呂と洗濯。その後、タクシーにタダで便乗し、栗生の青少年旅行村でテント泊。

西部林道を歩いていた時、マウンテンバイクの大学生が「お願いがあります。」とまじめな依頼。チェンが外れて、どうしても戻らないという。手は油で真っ黒だった。落ちていた棒切れを拾い、フロントとリアのギアをトップにして、ペダルを回す。棒きれでチェンを突くだけだ。10秒かからない。大学生はびっくり。「人家もないし、食べ物も持っていないし、夜を過ごすことになったらどうしようかと思っていました。勉強になりました。ありがとうございました。」という。まったく近頃の大学生は勉強しないからな。

奥様の歩く速度が遅く、午後3時、危ないと思ってテントを張った直後、猛烈な雨。さすが屋久島。次の日、永田に着き、公衆電話を探すが、すべて撤去されていた。J-phoneは圏外。奥様は店の電話でトッピー(鹿児島までの水中翼船)に予約を入れるが三日先まで満員と断られる。疲労も重なり、奥様が切れる。もちろん、普通のフェリーはあるのだよ。

再び、宮之浦まで戻り、テント泊。さらにスローな旅になった。鹿児島の従兄弟に電話すると、「お前か、お前のせいでオートキャンプのプロになってしまった。何十万円もつぎ込んだ。どうしてくれるんだ。」と叱られた。次の日、のんびり鹿児島に渡り、珍しくホテル泊。

国分で従兄弟たちと一緒になると、霧島の野之湯温泉というキャンプ場に連れて行かれた。オートキャンプのプロは料理の鉄人にもなっていて、温泉の蒸気を利用した蒸し器を使ってどんどん料理を作ってくれた。飲んで食って、飲んで食ってと大変だった。次の日、屋久島でびくともしなかった心臓が初めて不整脈を打った。従兄弟から逃げ出し、えびの高原へ。

キャンプ場はがら空き。広々とした松林にテントを張った。温泉もあった。次の日は暴風雨。登山は無理なので、池巡りコースを散策し、バスで宮崎まで。宮崎の従兄弟の所に一泊、西都原の古墳群を見学して、フェリーでゆっくり帰途についた。超スローな旅に奥様の神経はずたずた。ストレス病は完治。

バージョンアップしたGPSと太陽電池を持って行ったが、森の中では受信不能。まもなく真っ青になり、操作不能になった。初期不良か、故障。無用の長物だった。EMPEXが修理中。また携帯電話をぬらして潰したので、ドコモの防水携帯に変更。三回目だ。うれしいことに気象協会のホームページに携帯用のレーダー画像あり。早速、ショートカットを作った。



2003年1月 

白滝山山頂(因島)にて(2002年12月24日)

運動不足病の奥様を連れてしまなみ海道をバックパッキングした。初日は尾道から因島の静かなキャンプ場。ステーキがうまかった。二日目に因島中央部の山間部を南下。すぐに奥様がばてたが、だましだまし歩いた。女連れは辛い。ミカンを拾って食うと濃厚な味で感激した。富山では金を出しても手に入らない極上のミカンだった。

因島でショックだったのは、三年ばかり前に会った人と再会し、「甥っ子に似ている」と言われたこと。黙っていたが、おじいさんは大三島出身だし、大三島の村上はすべて因島起源だと聞く。遠い親戚かもしれない。

しまなみ海道は寂れきっていた。生口島では店がつぶれていたし、大三島でも観光客が閑散としていた。キャンプ場にテントを張ったら1600円も取られた。今までは冬は無料だった。

連日強風が吹き荒れて、気温も氷点下に迫る勢いだった。六日しか歩いていないので運動不足解消にはもう一つだったが、奥様の運動不足病の治療には成功した。観光ポイントはかなり回ったし、兄貴も今治見学のガイドをしてくれた。基本的には成功。


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