2002

2002年9月 

奥大日岳にて(2002年8月22日)

親友のジニー君を亡くすと、頭の中心でダイナマイトが爆発したようなショックを受けた。新皮質が使い物にならない。足もだるい。愛息を亡くした奥様の症状も同じ。体を動かして免疫力の低下に対抗することにし、奥様を北海道に連れ出した。天気がイマイチだったので、礼文島で足慣らし。利尻岳には最終日にチャレンジした。強風だったが、鴛泊コースは快晴(沓形コースは土砂降り)、登頂成功。帰りのトワイライトイクスプレスの寝台(ロイヤル)はシャワーとトイレ付き、安物ワインと朝のコーヒーサービスもあり、感激。癖になりそう。

写真は奥大日岳の山頂で撮って貰った。背景は剣。立山少年自然の家の集団登山研修の企画に外部評価委員として参加(仕事だぞ!)。初日は足慣らしで弥陀ヶ原から雷鳥沢まで、二日目は立山から別山を縦走し、剣沢へ。三日目は雷鳥沢まで戻って皆さんと別れた。四日目は一人で大日を縦走した。皆さんは山小屋泊まりだったが、重荷を背負ったほうが体に良いし、ずっとテント泊。久しぶりにオスプレイのバックパックを使った。使いやすさを実感。道具考補足



2002年7月 

気力がみなぎっていた頃のジニー君(1992年8月、11歳半)

2002年7月21日、午前11時50分、腎不全のため、村上ジニー君が死去しました。享年21歳5ヶ月(推定)。ここ2週間あまり寝たきりの状態でした。ドライフードの投与と点滴で無理に生かし続けたのですが、限界でした。ジニー君の遺体は城山の裾野に埋葬し、庭の寒椿を1本移植しました。もし、ハイキング中にきれいな寒椿を見たら、ジニー君を思い出してください。



2002年4月 

九十九里浜にて(2002年3月28日)

九十九里浜バックパッキング

最近、仕事が忙しく、ジニー君の問題もあり、近場で済ませました。学会の用事で東京に行き、即、特急で千葉の大原に行ってキャンプ。翌日は暴風雨でびしょぬれ。いよいよディアブレックス・レインスーツも買い換えです。

体調は最悪で歯肉が腫れ始めの所を抗生物質で抑えたつもり。途中で歯医者に行き、薬を追加。しかし、治らず、尖った歯ブラシで血が出るまで磨いたら治りました。薬は大してきかないと実感。

荷物は少なめだったのに荷が重くてたまらない。3日で歩けるかと思ったが、一週間遊んでしまった。しかし、いつまでも続く砂浜を一人でゆっくりと当てもなく歩くのは最高です。途中、国民宿舎で昼飯を食ったら800円で5品も出てきて大満足。千葉県は田舎で物価が安いようです。

今回はオモチャを二つ持っていきました。一つはmap21という地図が表示できるGPS、もう一つは太陽電池パネル。電源確保のためです。いやはや性能にはびっくり。詳しくはこちら。

背広姿が見たいですか?



2002年1月 

ハブの山、湯湾岳にショートパンツで登ってしまった(2001年12月30日)

湯湾岳(奄美大島)

二週間姿をくらまし、大阪からフェリーで奄美大島へ。名瀬から反時計回りに歩き、大棚から山へ向かう。林道脇でテントを張り、次の日に登頂。誰もいなかった。ハブは寒い日は出ない。その後、湯湾に降りて食料調達、変なおじさんの車に乗せられ、沈没船から廃品回収の手伝い。やむを得ず、篠川までショートカット。ヤドリ浜までは歩いた。その後、住用までバスでショートカット。東城から林道経由で名瀬に行こうと思ったら、地図にない林道に迷い込み、2時間も遊んでしまった。引き返し、バスを待っていると、車に拾われ、名瀬に瞬間移動。どうせならと食料を仕入れ、北のアヤマル岬までバスで移動。その後、三日歩いて名瀬に戻った。島の北側では強風。南はべたなぎの海峡と100メーター以上のアップダウン。もっと南のカケロマ島で遊ぶ時間がなかったのが残念だ。人は親切で、何してるのとか、どこに行くのと、ハブ同様寄ってくる。神戸出身のおばさんは孫と嫁を連れて散歩中。「愛していると言われたので結婚したのに、勝手な人で子供を残して一人であの世に行ってしまった」と憤る。みんなで奄美の歌を歌ってくれた。愛する男が鹿児島に帰ってしまうという悲しい歌だ。奄美への旅行は要注意。骨を埋める人もいるようだ。


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