2001

2001年以前

2001年10月 




駒ヶ岳から眺めると、毛勝、剣、槍がほぼ並んで見える(2001年9月23日)

駒ヶ岳(富山)

運動不足解消のため、ワンパタンのトレーニング山行き。一日目は東蔵(魚津)から林道を3時間、登山を開始して4時間程度で剣見の池でテント泊。日が暮れると気温は氷点下まで落ち込んだ。二日目は、僧ヶ岳頂上まで1時間。荷物を置いてグレゴリーサミットで駒ヶ岳往復。ハイキングコースのような立派な道ができていた。ブナオ山岳会の人が最期の仕上げ中。道を開く時は数百人が出たそうだ。物資はヘリで運んだらしい。森林公園まで降りてテント泊。通い慣れたのか、道の特徴がすべて頭に入り、体が無意識に動く。気がつくと所用時間が1時間以上短縮されている。不思議だ。



2001年8月 

礼文から稚内へのフェリーにて(2001年8月8日)

利尻

利尻に渡ると天気は下り坂、雨の時に山に登ってもつまらない。まず、時計回りに二泊三日で利尻島を歩き、鴛泊のベースキャンプに入る。利尻岳に登った時にちょうど天気は回復。景色がよく見えた。往復10時間のところ7時間。物足りなかったが、買い物に町まで降りて帰ると3時間かかる。物足りた。姫沼までのハイキングコースも歩いたので、利尻には計五泊した。

礼文

香深に渡るとまだ昼。天候は回復。荷物の中身をコインロッカーに預け、まず、桃岩コースを巡り、南端を回って戻って香深に戻った。花がきれいだった。居心地がよいので香深井のキャンプ場をベースキャンプにした。次の日は礼文林道から元地。また次の日はスコトン岬までバスで行って8時間コースを歩いた。次はキャンプ場から歩いて出発、礼文岳に登り、物足りなかったので、久種湖まで歩き、買い物をして、バスで帰った。最後はもう一度礼文林道に入り、礼文滝を見て、通行禁止の海岸を歩き、香深まで戻った。礼文でも五泊した。

ほっけ

香深の漁協の販売店で生のほっけを買った。大きいのが100円。特大でも110円。特別サービスで二枚におろしてもらった。氷を入れ新聞紙でくるんで断熱。キャンプ場で塩こしょうで焼いた。うまいのなんの。とれたての生ほっけだから最高だ。熱いご飯に入れるとほっけご飯。もう何もいらないね。

反省点

  • ジニー君の点滴を奥様に任せて二週間遊び呆けた。まだ、何とか生きている。
  • グレゴリーのバックパックのベルトのプラスチックが割れた。針金で応急修理した。補強の仕方が悪かったようだ。先端部を針金で固定せずに補強した。
  • グレゴリーのサミットは肩に食い込み、痛くてたまらなかった。オスプレイのサミットの方がよいようだ。
  • 近いうちに「アウトドア道具考」のページに補足する予定。


2001年4月 

花之江河(はなのえごう)にて(2001年3月24日)

屋久島で4泊。淀川小屋--宮之浦岳--縄文杉--白谷雲水峡を縦走。一日、雨に降られただけで、永田岳も見えたし、楽勝だった。しかし、大学生の山岳部、ワンゲルの合宿所のようでビックリ。山小屋は大混雑で学生は三時間しか眠れないと言っていた。私はテントを持って茂みに隠れたので十時間睡眠。屋久島は一通り歩いたし、種子島に渡り、南種子島と中種子島を四日で歩いた。人口密度は北海道並み。何もないが、人は親切で、海岸線がきれいだった。さらに、鹿児島に渡り、佐多岬近辺を二日歩いた。

反省

キャンプ場以外のキャンプ数8、キャンプ場でのキャンプ2、フェリー泊2。したがって、不法キャンプ率は8/10 法を守るべく最大限努力した。

帰りのフェリーで9時になっても親父二人がビールを片手に楽しく語っていたので、「うるさい。俺はもう寝るんだ」と一喝。これで止めておけば良かったが謝った時にすかさず「謝るんじゃない。寝るかラウンジに行くかどっちかにしろ。」とねじ込んだ。親父二人は怯えてその後一言も口を効かなかった。20Kg以上の荷物を背負って毎日20キロは舗装道路を歩いていたから人間ダンプカーと化していた。巨大登山靴、巨大リュック、マッチョ、ダンプのおっさん、くりからもんもん、やーさん。親父が怯えるのは仕方ないか。

フェリーの1300円の夕食バイキングで飯を食わずに、肉、野菜をターゲットに一時間がんばって食いまくったが、人の三倍くらいしか食えなかった。みそ汁、焼きそばを取ったのが敗因の一つ。



2001年1月 


岩城島にて(2000年12月31日)

因島を起点に、弓削島、佐島、岩城島、生名島をのんびりと一週間歩いた。岩城島の寺は年末の準備中だった。山頂に水があるかと聞くと、お坊さんが現れて詳しい説明をしてくれた。水はあるらしい。寺の境内で400円弁当をゆっくりと食べた。食べ終わると、絶妙のタイミングでお坊さんがホットコーヒーを持って現れた。非常に美味かった。

念のため水は少し持っていった方がよいと言われたので、1リッターのプラティパス水筒を渡した。お坊さんは5分くらいして再び現れた。水に加え、リンゴとミカンとお菓子を頂いた。二日分の食料に2Kgがずしりと加わり、厳しい重さになった。お坊さんは丁寧に見送ってくれたので、ついでに写真を撮ってもらった。山頂近くには水洗トイレがあり、見晴らしの良い所にテントを張った。岩城島は良い所だ。



2000年11月 



僧が岳にて(2000年10月29日)

グレゴリーのバックパックをテストするため9月に僧が岳に行ったのですが、改造したので、テストのため、もう一度僧が岳に行く必要がありました。

土曜日の朝、魚津に行き、バスで東蔵へ。東蔵から3時間片貝川を詰めて登山開始。4時頃、ようやく剱見の池(1700メーター地点)に着き、シェルターテントでビバーク。ステーキ2枚食べて12時間寝ました。天気が崩れ、夜間に40ミリくらい雨が降ったのですが、気がつかなかった。翌日はテクテクと宇奈月まで。

シェルターテントと浄水器の写真は今度の本に使えそうです。雨だったので、ディアプレックス・レインスーツのテストもできたので運が良かった。雨だと山には誰もいませんね。セルフポートレートの格好いいのも欲しかったけど、ましなのがこれ。写真は難しい。



2000年8月 


雨竜沼湿原にて(2000年7月31日)

JR増毛から徒歩でアプローチ、暑寒別岳、南暑寒別岳を縦走し、雨竜沼湿原を経て雨竜町のバス停まで歩いた。遠いと思ったら60キロもあった。アブのお迎えにヤブ蚊のお見送りには泣いた。3キロだけは車に乗せて貰った。

倶知安に移動し、豆治療のため公園で寝たきり、さらに天候の回復待ちで、計5日滞在した。生協はあるし、温泉はあるし、ステーキを焼いて、文庫本を読んで、公園でごろごろだろ、もう、最高だったね。

あまり、寝たきりでは困るので、羊蹄山はベースキャンプ5時発、デイパックだけだったので3時間で登ってしまった。ガスがかかっていたけど、また、お花畑が最高なんだ。別の登山口に降りたのが午後2時過ぎ。珍しく、速攻登山をしてしまった。

天気が思わしくないし、花もだめとの情報で、ニセコ縦走はやめて、余市に移動、積丹半島のおいしい所だけ1泊2日歩いた。車が増えていたのでもう一つだったが、大いに楽しんだ。



2000年5月 



鳩谷ダムから大窪の水芭蕉へ向かって(2000年5月3日)

今年は異常に雪が多いので、八尾--楢峠--天生峠コースは通行不可。やむなく初日は庄川町から境川発電所まで。夜桜がきれいで、ステーキがうまかった。2日目は大窪の水芭蕉見学。雪が多かったので、ちょうど良い具合でした。かたくりの大群落もあります。続いて山中峠の直下までアプローチして野宿。夜はマイナス5度。良いシュラフで寝ると、気分は最高。3日目は水芭蕉を見学して(少し早かった)、車が多いので、萩原町へ下って食料を補充し、位山峠を越えて、刈安峠を少し下った山中で野宿。4日目は高山経由の旧街道沿いを快走し、自宅まで帰りました。

ショックだったこと。位山峠は15年ばかり前に越えたのに、ほとんど記憶がなかった。昔は寂しい道で、林道脇の空き地で一人寂しくテントを張った記憶があるのですが。道は広くなり、オートキャンプ場もできて賑わっていました。



2000年4月 


大三島山頂にて(2000年3月21日)

バックパックを担いで、まず宮島(厳島)を半周りしました。海岸線の道はブッシュで歩けない所がありましたが、縦走路は健在でした。島を替え、芸予諸島の上蒲刈島を縦走し、豊島、大崎下島、大崎上島、大三島、因島を歩きました。永遠に歩けそうだったのですが、島がなくなったので、9日で帰ってきました。

瀬戸内は食料豊富で、丸一日分の食料さえ持っていれば歩けます。海岸線を歩いていて、寝るときは50メーターくらい高度を稼ぎ、空き地を見つければ良いだけです。水は2リッター持ちます。雨水や小川の水を飲むときは浄水器も役に立ちます。



1999年12月 


屋久島灯台近く(99年12月26日)

屋久島で9泊しました。もちろん、オール野宿。上陸直後、寒気団が接近、吹雪となりました。楠川から登山開始、すぐに嫌になりテント、気を取り直し、再び登山、吹雪となり、縄文杉への登り口でテント。帰ろうと思っているとツアー客が通りかかり、どうせならとウィルソン株まで登る。雪は30センチ以上。ツアー客は帰るが、一人女性登山者が登りたがっていたので、ガイド登山開始、縄文杉は積雪50センチでしたが、雰囲気は良かったです。その後、まっすぐに帰らず、もう一泊したため、嫁さんに警察に手配されてしまった。5日分の食料、冬山装備で登る人は例外らしく、2~3日、放って置いても大丈夫と言われました。さすが、警察、よく見ています。平地に降りると、亜熱帯。もちろんテント泊。バスを少し使って温泉で休息。ラストステージとして西部林道60キロをすべて歩きました。充実していましたね。

バス停でぼんやりしていると、地元の人が「はいポンカン」と2~5個くれる。道を聞いても「はいポンカン」とポケットから2つ。たちまち9個貰った。重さが馬鹿にならない。それに屋久島の人はけっして「車に乗らないか」と余計なことは言わない。自主性を尊重してくれる。北海道のくそ親切さとは違う意味の親切を感じた。しかし、ポンカンの重さには注意。



1999年8月 

奥尻島、採れたてウニ握り(99年8月10日)

夏は自転車で再び道南を回りました。超暑い北海道でした。崩壊した林道を辛うじて突破して(膝まで泥に潜りました)、奥尻にたどり着き、昔知り合いになった人を訪問しました。素潜りが得意で、ウニとアワビの密漁をしてくれました。私は泳げないので、海に浸かって待っていただけ。採れたてのウニを鉈で叩き割り、即席に作ってくれたのが写真です。採れたてのウニは甘みがあり、うまかったです。ウニに醤油を少し混ぜ、殻に詰めてたき火で焼いたウニもうまかった。しかし、たき火でアワビを焼いたものが一番うまかったです。贅沢な二週間でした。



1999年7月 

因島、白滝山・白龍寺にて(99年3月24日)

村上家のルーツを探るべく、徳山を起点にリュックを担いで野宿しながら、向島、因島、生地島、大三島(おじいさんの出身地)を歩きました。瀬戸内の文化水準の高さにびっくり。昔は交易の中心地だったのです。生地島は平山画伯の出身地、大三島には村上三島という大書道家がいました。直接のつながりは不明でも自分の血に納得。似た顔の人も多かったのです。古里に帰ったような9泊10日でした。



1998年11月 

僧が岳にて

東蔵を妻と午後3時半出発、一日目は発電所で野宿、二日目にようやく登山開始、遭難碑もあり、急な山で躊躇しました。水がない山で、二人分の水の担ぎ上げが大変でした。登頂後、200メーターぐらい高度を下げて野宿、水が足りず、たまり水を煮炊きに利用しました。三日目に宇奈月に降り、風呂と安い飯屋さんにありつく。油断すると危ないですけど、良い山です。その後、春に上った時は白根アオイやかたくりの花を見たし、野生の猿、カモシカを見ました。真新しい熊のウンコも見ました。(再執筆)



1998年4月 

石川県、千里浜にて

金沢からリュックを担いで9泊10日、能登半島をバックパッキングした時の写真です。千里浜といっても丸二日歩くと、砂浜が無くなります。浜千鳥がいて、鳥の好きな人はよいでしょう。砂浜を歩くのが好きで、たまに歩きますが、足に堪えるので、まねをしない方が賢明でしょう。おもしろいと言って、北日本新聞でこれを記事にしたことがあります。(再執筆)



1998年2月 

冠山にて

今庄から冠山林道へ回り込み、たった1時間と標識があったので冠山に登りました。サイクリングシューズで山など登ってはいけないのですが。その後、京都の登山家と一緒になり、少し遊んで写真をとっもらいました。後は日本最大のダムを建設中の徳山まで一気に下りました。詳しいことは「野宿のすすめ」に書きました。(再執筆)


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