第二次班制度施行(5月)
六月コンパでの駅弁抽選企画開始(6月)
北陸にて夏合宿(8月)
大学祭、初めて班を単位に企画実行、二子玉川園より人車用にレール借用(11月)
千葉そごうで開催の鉄道展示会に協力(1月開催)
部費を300円に引き上げ(4月)
山陰にて夏合宿(8月)
人車用新レールを購入(10月)
大学祭、人車破損事故発生(11月)
部室内禁煙化(4月)
人車存廃を論議し、有志による車体新製方針決定(6月)
現サークル会館新築に伴い部室移転(7月)
東北にて夏合宿(8月)
人車新車体(ジハ1101)を製作(10月)
大学祭、新車体で人車運行(11月)
班制度の変更について議論の結果、分科会制度施行(11月)。各分科会発足(12月)
九州にて夏合宿(8月)
ニューナラヤデパートで開催の鉄道模型展に協力(10月)
大学祭(11月)
親睦系活動の分科会を親睦会に改組(5月)
北陸にて夏合宿(8月)
東武デパートで開催の鉄道催物に協力(10月)
大学祭、HOレイアウトの運転を見送る(11月)
千葉三越で開催の鉄道模型展に協力(4~5月)
山陰にて夏合宿(8月)
HOレイアウトを廃止し、Nゲージレイアウトの新セクションを製作(~10月)
大学祭(11月)
学鉄連からの脱退を決定(11月)
千葉三越で開催の鉄道模型展に協力(4~5月)
北海道にて夏合宿(8月)
大学祭(11月)
〔編者より小括〕
この時期の主要な出来事としては、まず80年度からの第二次班制度施行があります。写真・模型・研究・旅行の四つの常設班を単位に活動体制を構成するこの制度は、とりわけ大学祭活動の基礎として位置付けられ、同年度より大学祭での企画は人車を除き各班の分担で準備・実行されていくこととなりました。また六月コンパでの駅弁抽選も、同年度より始まっています。このほか部外との関わりではデパートでの鉄道イベント開催に協力するようになり、同年度の千葉そごうを手始めに、以後ニューナラヤ・東武デパート・千葉三越と86年度まで各デパートでイベントに協力しています。
81年度はまず3年ぶりに部費が引き上げられました。一方人車については、懸案であった線路延長のために新たにレールが購入されましたが、大学祭時に車軸切断による車体破損事故が発生、今後の運行継続そのものが危ぶまれる事態となりました。
翌82年度は80年代でも特に大きな出来事が続いた年として、特筆すべき年度となりました。まず部室が70年度の獲得以来、初めて移転。12年にわたり親しんできた北門近くの旧部室に別れを告げ、7月に新築された現サークル会館内の現在の部室へと移ることとなりました。多数の備品を収納するべく2年山谷雅史により製作された部室内の高床式のお座敷(ひな壇)は、40年の歳月を経て今日も健在です。一方、部室移転の準備と並行して話し合われた人車の存廃問題は、結局3年石村究を中心に有志で新車体を製作した上で今後も運行を継続することに決定。幾多の苦労を経て大学祭では見事新製成ったジハ1101がデビューしました。一方、大学祭後には班制度の枠組見直しを求める意見が出され、実施後3年を経た第二次班制度をどうするかが論点となりましたが、既存の四班体制は維持したまま新たに並行して分科会制度を設置することで決着。12月より各分科会が発足し、従来から見られた鉄研内での任意サークルの活動は、これ以後分科会活動という形をとってより多彩に展開されていくこととなりました。その後84年度からは、親睦系の活動は親睦会に改組して行われる様になっています。
こうして83年度以降は活動の枠組もほぼ完全に固まり、鉄研の活動は80年代における安定した展開期に入っていったと見ることができます。その後の大きな出来事としては模型分野における85年度のHOゲージからの撤退とNゲージレイアウトの拡張、そして同年度の学鉄連からの脱退が挙げられますが、概して同時期には大きな変化はなく活動は展開されていきました。
(文責:千葉 正史)