PoleStar Lesson7 和訳


世界で最も有名な日本人は誰か?
外国で人々に聞いたら、答えはおそらくオノ・ヨーコだろう
彼女はビートルズのメンバーのジョン・レノンと結婚した女性として最も知られている。
けれどもそれは彼女の一部でしかない。
彼女は40年以上のあいだ芸術、音楽、映画を作ってきた。

オノの芸術はコンセプチュアルアートと呼ばれる。
それは何か美しいものを生み出しはしないが、人々を考えさせる。
彼女は自分の作品を“指示”と呼ぶ。
彼女の作品は人々に精神的(あるいは何か身体的)行動を実行するよう指示する。
たとえば“雪の降る音を録音しなさい”。

オノの作品の多くは平和への強い願いを示している。
“信頼して駒を進めよ”はすべてが白色に塗られたチェスの一式である。
もしそれでチェスをしようとしたら、すぐにどの駒がどっちの側のものか覚えられなくなるだろう。
だから誰も勝負で勝敗をつけることができない。
それは“理性よりはむしろ愛に基づいた非競争的社会”というオノの夢を示している。



オノ・ヨーコは常に芸術の世界の先駆者だった。
何が彼女の作品に独創性を与えているのだろうか?
この質問に答えるには彼女の人生を少し見る必要がある。

彼女は1933年、豊かな銀行家の家族に生まれた
彼女の父親は銀行のサンフランシスコ支社の長だったので、彼女は人生の初期をそこで過ごした。
彼女が日本に戻って小学校に通っているあいだに日米間で戦争が勃発した。

12歳のとき、アメリカ軍の爆撃がとても激しくなったので彼女の母親は安全を求めて長野の田舎の村に家族を連れて行った。
最も困難な時期でもオーコは決して希望を失わなかった。
彼女は弟に“夢のメニュー”を想像させることによっておなかを空かせた彼を元気付けた。
彼女はこう振り返る。

「私は彼が食べたいと思う夜ご飯について考えるよう彼に言った。
彼はゆっくり言った。
『僕はアイスが食べたい。』
『でもそれはおやつ。もちろんスープから始めるべき。』

私たちは空中にご飯を苦労して作り上げた。
弟の顔が輝き始めた。
ついに彼は私に私の大好きなかわいいクスクス笑いを見せてくれた。」

彼女の経験は彼女の中の平和への深い愛を呼び起こした。
それはまた人間とって想像する能力がどんなに大事であるか彼女に教えた。
この能力がなかったら、人々は未来の希望を持たないだろう。



1952年、オノ・ヨーコはアメリカに戻り父親と一緒に住み大学に通った。
彼女は音楽と詩を学び、前衛的な芸術活動の先導者になった。
彼女は西洋芸術の世界に仏教思想や俳句、能を紹介するのを助けた。
彼女の芸術はニューヨーク、東京、京都、ロンドンで展示、または演じられた。

ヨーコは1966年にロンドンでの彼女の作品の展覧会でジョンとであった。
彼は彼女の“天井の絵”に魅了された。
彼ははしごを登って天井の紙に達した。
“YES”の文字が紙に小さく書かれていた。
後に彼は言った。
「とてもポジティブだった。僕は安らぎを覚えた。」

ヨーコとジョンは1969年に結婚し、新婚旅行を利用してベトナム戦争に抗議した。
彼らはアムステルダムのホテルに記者を招き、世界にこんなメッセージを発した。
“War Is Over! If You Want It.”

ヨーコはビートルズのレコーディングに参加し始めた。
彼女とジョンは一緒に作曲した。
ヨーコはジョンを励まし有名な“Imagine”という曲を書く気にさせた。



1980年にジョンがニューヨークの路上で射殺されてから20年以上たった。
ヨーコは今でも芸術と音楽の世界で活躍している。
2004年、彼女の作品の展覧会がニューヨーク、ソウル、広島、東京を含む世界中の多くの場所をまわった。
それは人々に彼女の作品を見、聞き、感じる機会を提供した。

オノ・ヨーコは長いことジョン・レノンのせいで影が薄かった。
彼は彼女を「世界で最も有名な無名の芸術家」と呼んだ。
けれども今や人々は喜んで彼女をジョンの妻としてのみならず、現代の偉大な芸術家として見る。
この戦争とテロの時代に、よりよい世界を夢に見、願い、想像せよという彼女の指示に私たちは耳を傾けるべきである。
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