目次・訳者まえがき

貧乏物語』は、京都帝国大学教授、河上肇(かわかみ・はじめ)先生の論説。第一次世界大戦期に、貧困の現状と原因と解決を論じた、もとは新聞連載をまとめた書。


目次
  • 訳者まえがき
  • 巻頭引用辞
  • 一の一
  • 一の二
  • 一の三
  • 二の一
  • 二の二
  • 二の三
  • 三の一
  • 三の二
  • 三の三
  • 三の四
  • 三の五
  • 三の六
  • 三の七
  • 四の一
  • 四の二
  • 五の一
  • 五の二
  • 五の三
  • 五の四
  • 六の一
  • 六の二
  • 七の一
  • 七の二
  • 七の三
  • 七の四
  • 八の一
  • 八の二
  • 九の一
  • 九の二
  • 九の三
  • 九の四
  • 九の五
  • 九の六
  • 十の一
  • 十の二
  • 十の三
  • 十の四
  • 十の五
  • 十一の一
  • 十一の二
  • 十一の三
  • 十一の四
  • 十二の一
  • 十二の二
  • 十二の三
  • 十二の四
  • 十二の五
  • 十二の六
  • 十二の七
  • 十三の一(未訳)
  • 十三の二(未訳)
  • 十三の三(未訳)
  • 訳者あとがき


  • 訳者まえがき
    この現代語訳は、もともと訳者のブログに掲載していたもの。受験知識としてしか知らなかった河上先生を、よく知りたいという動機から訳し始めた。

    むろんブログコンテンツとして、いわゆる客寄せパンダのつもりもあったのだが、それは泉下の先生に対して失礼に当たる。だが、すでに世に出てから100年になるこの一編は、現代人の多くにはほとんど外国語だろう。

    幸いにもシノロジストとして、また編集者・国語教育者として、一世紀前の世情と文の読解にいささか通じていた私は、先生の文章を訳し世に出すにふさわしいと思った。このままでは図書館に眠るであろう珠玉を、世間に残す作業には意味があるだろう。

    ならば先生もきっと、お許し下さるのではないか。そう考えweb上に置くことにした。

    私は先生とは思想的に反対で、経済の自由を好む。だが世の悲惨を見て、帝大教授として出来ることは何かを考え続けた先生のご生涯は、敬服に値する。それがついには、先生ご自身やご家族の一生をも巻き込み、焼き尽くす結果になったと知っても。
    竹田博士に、未央宮(びおうきゅう)の古瓦にて作りし硯と称するを貰ひ受けて
    焼け死にて むくろもそれと 分かぬ日は この硯をぞ 墓に埋めよ

    (昭和二十年七月十三日に先生が詠んだ歌)

    もし、いわゆる左派の人たち全てが先生のようであったなら、日本はもっと良くなっていたかも知れない。また、平沼騏一郎
    河上先生が、弾圧する側・される側の関係にありながら、共に国家統制主義を唱えたことは、戦前日本を理解する鍵かも知れない。

    なお、訳文・再作成図表の引用は、出典明記ならご随意に。但し諸権利は放棄しない。無断商用利用・剽窃は禁止。学術・出版関係者は特にご注意願います。

    と書いておくが、私には防ぎようがない。南方熊楠先生が手紙を書くたび、帝大教授やら何やらが自分の論文として発表したように。私は熊楠先生のような偉人ではないが、帝大教授のような人たちが半数を超えるなら、民主主義国の日本はこれから、もっと悪くなっていくに違いない。逆も又同じ。

    『貧乏物語』連載より100年めの、2016.03.30
    九去堂

    なお訳文の元データは、
    青空文庫(岩波文庫版) http://www.aozora.gr.jp/cards/000250/files/18353_30892.html
    国会図書館(弘文堂版) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088344
    に依った。
    河上先生の肖像写真は、wikipediaから拝借し、トリミング・レタッチした。
    各ページのタイトルに、本文の冒頭を付けたのは訳者。見出しとして、ナニのナニだけではわかりにくいから。
    第十三部は訳していない。その理由は、十三の三の訳注に記した。