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川名焼

川名焼(川名銅版) kawanayaki
                      - 愛知県名古屋市昭和区川名山町 -

現在銅版磁器の伝世品として年号銘の物は美濃里泉銅版紅毛風生景図茶碗の弘化四年の物が最古の物です。
名古屋市昭和区川名山町の川名銅版は嘉永銘の伝世品が多く有ります。
図変りの物も色々有ります。
弘化の年代は四年でして、すぐ嘉永です。
発明は鹿背山としても、素僊堂川本冶兵衛二代が日本の銅判磁器の発展の功労者と考えます。
川名銅版は冶兵衛の弟子の加藤新七が川名に嘉永三年に移るとなつて居ますが開窯は文政の始めと瀬戸でと唐九郎辞典ではなつて居ます。


 
川名銅版 火入れ
 
川名銅版鉢
   
川名銅版鉢 見込
 
川名銅版
   
川名銅版 嘉永
 
川名銅版 火入れ
   
川名銅版 裏面
 
川名銅版 ゆのみ
   
川名銅版 ゆのみ 銘
 
川名銅版 とくり
   
川名銅版 水滴
 
川名銅版 火入れ
   
川名銅版 火入れ
 
川名銅版 火入れ
   
川名銅版 火入れ

川本治兵衛 素仙堂

初代川本治兵衛は宝暦年中(1751-1764)の人でもと農業 1770年(明和7)4月同村の著名な古窯である朝日窯夕日窯を経塚山に再築し久しく中絶していた海鼠腸壷を製して尾張家に納め、その功績により経塚山を除地された。
1807年(文化4)6月加藤民吉が肥前国から磁法を得て帰ると、彼について種々の磁器を製し良工の名を得た。
1825年(文政8年)業を3男藤平に継がし引退 藤平は後 治兵衛を襲名素仙堂と号した。
加藤周兵衛も加藤新七も川本治兵衛の弟子です。
次の写真の花瓶は川名窯の作品ではないと思います。
川本治兵衛が加藤新七に渡す前で瀬戸で製作した銅版と考えられます。
色絵の方は名古屋の笹島窯か豊楽窯の作品か研究待ちです。
   

川本治兵衛銅版手書混成花瓶

 
川本治兵衛銅版部分花瓶

豊楽窯

名古屋の人 号は自然翁 豊楽 書道 茶道もよく出来製陶は加藤豊八に習う
作品は一種の楽焼きを模した上に青釉を施したり
素焼きで土の色変わりの作品とか
彫刻した物 体に漆を塗り蒔絵に仕上げた物等 上手の作品が多く有ります。
天保13年11月に尾張藩の陶器師と成ります。藩主より豊楽の号を賜る、
安政5年11月没46才
蒔絵合子は安政年製の銅版湯飲みと同じ版の型紙を使用して居ます川名銅版製の湯飲みです、合子は焼きも甘いです、蒔絵も 半介製の合子より下手です、
銅版は豊楽と交流が有ったと考えられます。証明作品です。
   
 
安政年製湯飲みと同じ銅版の合子
   
2012.05.24 文責 守田只司     

参考資料

ウェブサイト

 窯場今昔100選 (18) 川名焼(かわなやき) 仲野泰裕 愛知県陶磁資料館

http://www.pref.aichi.jp/touji/014_column/014_column_rensai/014_column_rensai18.html