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勢至堂焼 聞き書き

聞き書き」は、中新田町立東北陶磁文化館 陶磁館ニュースNo.5、6から転載した。 勢至堂焼窯元三代目の奥様からお話をお聞きしました。

聞き書き――⑤、⑥ 勢至堂 二瓶マツさん

プロフィール

大正十四年、十八才のとき勢至堂窯元二瓶家へ嫁ぐ。
その後、廃業までの十年間、三代豊作と共に勢至堂焼を守った。

二瓶マツ

聞き書き⑤ (第一回)

    勢至堂焼は初代二瓶豊作が、明治29年、福良窯より勢至堂へ移住して焼き始めた。その後三代にわたって染付磁器を生産するが、時代の移り変わりとともに昭和9年、廃業となる。

勢至堂の始まりのことをお聞きでしょうか。
    なんでもね、うちのひいじいちゃんが福良から来て始めたんだと。福良焼きの土、ここから採ってたんで、それならばここさ来て焼いたらよかんべって始めたんだと。10年やるつもりがいついちまって、そんで相手二軒見つけて3軒でやったんだって教えてもらったよ。

作られていたのはマツさんの旦那様ですか。
    旦那が作っていたんです。あたしの旦那は三代目豊作なんです。あと職人がいたっからね。私が嫁にきた頃。

マツさんはいつ頃なさったのですか。
    私は18で嫁にきて10年ほどもできねえでやめちまったの。窯がしょっちゅうつまってね。三軒あったけども、うち1件で何年かやってたなぁ。始めから最後までやってたのね。うちはあっちから来たし、元から瀬戸屋やってたからね。そいで窯の屋根壊れてね。それなおすのに300円かかるって言われたの。嫁にきて10年も子ども出来なくて、子どもいないのに300円もどっから出すかってよりも、やめたらよかんべってやめたの。ほして長沼さ電気の硝子の会社出来て、そこさうちの道具売ったの。そして馬車引きやったの。

土はどうでしたか。
    昔はいい瀬戸だったらしいね。私の頃は土もぼろくなって、いい土なくなったんだな。だから益子にも出土してたんだけど、あまり来なかったな。注文くっとみんな山から掘って。そして須賀川まで出した。駅までね。米の空き俵買って詰めてね。

粘土はどうやって作りましたか。
    粘土とガサガサって土あったんだよね。それを半々にマスで計って、かんまして。濁ったとこまた流しさかけて、何回でも何回でも沈殿させて、そして「さがや」っていう袋さいれて、「きりん」で絞って粘土をこさえてわけ。女の仕事だったのね。

どんな製品を作っていましたか。
    だいたい皿に飯茶碗、そいからどんぶり。この3つだね。皿が4寸にもうちょっと小さいやつの2種類かな。丼の一番大きいのは8寸、それから7寸、5寸、3種類ぐらい作ったかな。茶碗は今のと同じようなの。一番多かったね。

これらのほかには何か作りましたか。
    登窯の傾斜あるでしょ。皿さここに積んだらその空いてっとこさ壺だの入れたの。皿なんか注文来っから卸したっけっども、そういうのは入り用な人に売ったの。

それらの製品はどのようにして作っていましたか。
    男の人は手ロクロって、こうやってクッとやると反動付ついて茶碗一つ一つ出来てたの。私は遅く嫁にきたからできねえで、足踏みの機械あったからそれで作ったの。石膏の型でね。こん中さ土さ入れれば、こっちで押すっからクルッと出来っから。そして石膏は水分さ取るっからずーと何百かやってるうちに乾くっから。茶碗は手で作ったほうが多かったけども、皿は機械のほうが多かったね

乾燥はどのようにしましたか。
    手板に乗せておいて・・・・・・・・・皿は120上がる板が一番広かったのね。あと70ぐらいかな。そういうの四尺だかの担いで、みんな表さ干したんだがね。夕立来れば慌てて落っこちたりしてね。そして固まるっつうと、こんだくるい直ししなければなんなんだ。瀬戸やっつうのは手がかかんだから。

それから素焼きをするわけですね
    素焼きしないのここは。そのまま焼いちゃうの。そんで乾かして刷毛で型すんの。

型はどうやって入手しましたか。
    型切りってね。福良の人が商売してたの。あの頃はやっぱ高くてね。その時その時お金払えないで、後でいっぺんに払ったりしてね。大きな皿に使うのなんか染め屋の高野型って言ったから、染め屋の型でないかい。いろんな種類あってね。

どうやって使ったのですか。
    シブで型紙が固くできてんだから、それを皿なんかにペタンと付けて、そして呉須を刷毛でやればきれいにつかる。だから、一枚一枚何枚でもこれ張り付けられるの。手はなかなかはかどんないから型紙が多かったね。茶碗は3つ、皿は2枚に分けた型紙使ってな。うちのじっちゃんは器用で、茶碗なんか3枚で丁度になんねえときなんかあるわ。そんな時なんか時計の、あの薄いゼンマイを尖らせてたんねえとこさこうやって切り切りしてたな。やっぱ瀬戸屋は器用だから。

呉須はどこから入手しましたか。
    呉須は米一俵買えるくらい高かったの。こればっかりの量が引換え便で来るんだよね。これを茶臼で引いて土だのアクだのを加えて増やしてなめっこくして大事に使ったの。

(つづく) 

 

聞き書き⑥ (第二回)

    前回に続いて二瓶マツさんにお話をお聞きしました。

釉薬はどのようなものを使っていましたか。
    アクと土を混ぜて作るの。窯の上は温度が高くて下は低いからね。

釉薬はどのようなものを使っていましたか。
 アクと土を混ぜて作るの。窯の上は温度が高くて下は低いからね。上に置くものに高い温度に合った強釉薬を掛けたの。上と中と下の三段に分けてね。「釉薬(くすり)掛けはおなごの仕事」って私の仕事だったの。いつも掻き回して上澄み張んねえうちに皿なんかにサッと掛けねばなんねえの。50掛けようと思って60掛けるとその間に「さみず」になって、澄んだの知んねえで掛けて焼くとガサガサになんの。焼いちまわないと分んねんだわ。だから慣れねえとそういうことをやる。

窯詰めはどうやりましたか。
 12枚ぐらい重ねて焼き上げたかな。その一番上さ上げた皿が一番いい皿だったの。何枚も重ねるから釉薬掛けないうちに、ロウを石油で溶かして、手ロクロでツーっと回して皿の中さ、輪を描いたの。上の皿の高台をここに当てて重ねっとくっつかねえからね。女でもなんでも胡坐かいてね。そういうの私はやったの。

窯はどういうものでしたか。
 本郷の窯と同じだな。そこのに似てったけどもうちのはもっと大きかったなあ。

一年に何回ぐらい焼いたものなのですか。
 私が来てから二回も焼いたのが何年もなかったね。その仲間の人達とね。後は一回だったんだ。職人もあんまりいないし、それから売れないからね。

窯焚きは何日ぐらいかかりましたか。
 そうだな。あっためる窯、大口ってとこ一日ぐらい焚いたかな。次の仲間窯はちっちぇえから一日ぐらいかなあ。それからうちと隣と隣の本窯が三つあったかね、二日ずつぐらい焼いたかなあ。あんまり窯焚かなくなってから窯が湿気って二日以上かかったこともあったな。一軒になってから先の二軒分は焚かなかったけど。

一回の窯焚きでどのくらいの量がやけたのですか。
 なんでも俵にして皿が320だったか・・・・・・・・。何だか忘れちゃったなあ。

歩留まりはどれくらいでしたか。
 三割ぐらいはこわれちゃったんでねえの。同じ窯だって火の廻りだかなんだか、釉薬の加減が悪いんだか、あんまりいいのばっかりできねェんだ。売んねえ瀬戸が出来たんだ。素焼きのとこもあっぺし、ガサガサっていうのやいろいろあったから。それから燃えてる盛りに風とか何かあれば立てとくやつが壊れったりするっつうとおっくりけえってねばったりしてね。

どの辺りから注文がきましたか。
 うちは卸だったからね。注文取って。荷作りだのなんだの頼んで、何俵、何俵って。須賀川からは二軒きてて一番多かったね。あと石川とかに卸したね。本郷からも来たよ。本郷は急須が出来っからとっかえっこしたりして、ちょっと行ったり来たりしたこともあたけども。あと遠いのはじっちゃんばっかりに任せてたけっども、その売るとこさ捜しに行ったり、売れればお金取りに行ったり、そういう世の中になってとってもやっとこさいかねえ。

ガサガサになったものや、ちょっと曲がったものなども卸したのですか。
 駄目だった。そういうのは屑買いってのが、窯出たっつうと須賀川や長沼から来たんだ。安いから儲かるんだってね。でもあたしが来てからよっぽど売んねがった。百姓なんか喜んでもらっていったけど。

やはり下り物に押されてきたのですか。
 うん。うちのはなんぼにも鉄分が入って綺麗にできなかったから。ゴマかすが出てね。ほんだからこうした型紙で隠しておくのね。

鉄分を除くことは出来なかったのですか。
 皆がやめてから、じいちゃん「おにがつら」ってとこの土取りに行って焼いたの。そうすっどこんだ、光に透けるようになったんだけども、相馬焼みたいににゅう(貫入)が入って駄目だったの。皆がやめちまってからも瀬戸で食うべって思ってたから、種々研究したんだっけども駄目だったんだな。

値段は下り物のほうが高かったのですか。
 うん。だけど瀬戸屋だって我が皿よりその綺麗な皿使いたくってね。たたき売りにきたときなんて妹と二人で、おとさんに怒られるもんだから隠れて買ったりしてね。

廃業なされた頃はどのような状況でしたか。
 その頃不景気になってね。ここの丈夫一本の瀬戸なんてはやんなかったんだ。ええ瀬戸が来るようになったから自然と売れなくなったの。窯焚いても思うように売れねえから、それできちんとやめちまった。今頃になって瀬戸屋って言うけどね。勢至堂焼なんて言うけどね。

どうも長い間有り難うございました。



摺絵のどんぶりと皿





勢至堂のカメ.png

勢至堂のカメ