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33-2「奈良市中ノ川地域における文化財の指定と保全、及び歴史的資産として活用策を確定する要望書」

(ごみ焼却場 環境アセスメント)

「奈良市クリーンセンター建設計画の課題」(資料33-2)

2012年7月19日

奈良市長           仲川げん殿

奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会

委員長 渡邊信久殿

「奈良市中ノ川地域における文化財の指定と保全、

及び歴史的資産として活用策を確定する要望書」

 奈良市ごみ焼却場建設問題を考える会

中ノ川地域については以下に述べるように、歴史的、文化的な見地から、また奈良市が世界に誇る観光都市奈良という点から見ても奈良市民のみならず、多くの宗教関係者や歴史学者にとっても重要な地域であります。奈良市中ノ川地域における文化財の保全と今後の活用策についてご検討下さい。

1.中ノ川地域の歴史的重要性

   この地は世界遺産東大寺・春日山原始林の保全区域に隣接し、東大寺、正倉院、般若寺へは2km、京都府側の当尾の里、浄瑠璃寺、岩船寺へは1kmの距離にあります。

この地は有名な観光地へのルート上にあり、多くの愛好家たちに親しまれ続けているポイントです。直接的には当尾の里(浄瑠璃寺、岩船寺)、笠置山(笠置寺)への道であり、柳生の里(忍辱山円城寺、柳生)への入り口でもあります。

2.中山寺成身跡と開山実範上人の遺跡

平安時代、興福寺の学僧であった実範(じっぱん)が開いた中川寺成身院(なかのがわてらじょうしんいん)の寺跡があります。実範は参議藤原顕実(あきざね)の子息で、生年は寛治3年(1089)とされ、入寂は光明山寺において天養元年(1144)とされています。法相宗・真言密教・天台宗・律宗を学び晩年は浄土教をも修められた高僧であります。律宗との関わりにおいては、東大寺における受戒の制度があってなきがごとくなっていることから、律宗を学んで戒律の興隆を期すべく唐招提寺に至り、戒光について四分比丘戒本を聴き、これを機に東大寺における受戒を復興せしめたといわれています。

実範の主たる業績としては、① 成身院において、法相・真言・天台三宗兼学の道場を築き、数多くの弟子を育て、②南都において、始めての本格的密教寺院を創建しその布教につとめ、③ 当時、形骸化していた受戒を「東大寺戒壇院受戒式」を作ることにより戒法の興隆をはかり、もって律宗中興の祖とされ、④ 日本浄土経三流、南都浄土教、叡山浄土教、密教浄土教の接点に立ち、それらの橋渡し役を務め、南都浄土教系資料として極めて重要性が高いとして、昭和42年、国の重要文化財に指定された浄土教古文献「念仏式(往生論五念門行式)」を著し、⑤ 鳥羽院の招きにより唱礼師を務めるなど声明に通じ、中川大進流開祖とされる弟子宗観以降の中川寺における声明の礎をつくったことにあります。

   時の摂政関白藤原忠実(ただざね)や左大臣藤原頼長(よりなが)などの帰依を受けられました。また、弟子の中には大進上人をはじめ声明(しょうみょう)の大家が輩出せられ、中川寺成身院は平安後期から鎌倉時代を通じて奈良における仏教修学の拠点寺院でありました。創建時の成身院は朝廷及び藤原一族の支援を受け、豪華絢爛たる密教様式の大伽藍でり、本尊は、金剛界の大日如来。本尊の左右には両界曼荼羅が配置されていたといわれます。十指に余る子院・弥勒院・清浄院・地蔵院・瓦坊・東北院・仏眼院・十輪院・薬師院・三蔵院等をもち、永正14年刻と刻まれた地蔵石像があったと伝えられています。集落内の辻堂には地蔵石像が現存しています。惜しくも明治の廃仏毀釈の際に寺は消滅し、開山実範上人の廟塔といわれる五輪塔のみを残し山野と化しています。しかし、地下には貴重な遺構が残ると推定されています。五輪塔周辺には瓦の破片や水路跡と思われる遺構、整地をした際の石組みの跡なども残されています。成身院の所蔵であったといわれる、毘沙門天立像は東京国立博物館に、薬師如来坐像は山城鹿背山西念寺に、梵鐘は神戸市生田区徳照寺に現存しています。実範は興福寺で法相宗を学び、成身院は興福寺の末寺でもありました。五輪塔前では興福寺による供養が今も続けられています。

3.声明の発祥地

   仏教の法要様式で音楽的にお経を唱えるのは何宗であれ声明(しょうみょう)と言います。日本の声明は大きく分けると天台宗と真言宗の二つであり、さらに天台からは融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗にも伝わっています。天台の源流は京都大原勝林院・来迎院です。それに対し真言声明の源流は中ノ川です。中川上人・実範から弟子の大進(だいしん)上人・宗観(しゅうかん)へ、さらに孫弟子観験(かんげん)へと伝えられ、中川寺が声明の本山でありました。大進上人の名をとって「大進流(だいしんりゅう)」または「進流(しんりゅう)」と命名されました。さらに中川寺の慈業(じごう)が住職の時、高野山へ伝えられ「南山進流(なんざんしんりゅう)」として栄えました。

現在、全国の真言宗内ではこの進流の声明により法要を行います。それゆえ中ノ川は真言宗にとっては聖地と言ってもよい土地だと言われています。真言宗にとどまらず仏教音楽、日本の古典音楽を愛好する人々にとっては心のふるさととも言われます。奈良市が誇るべき音楽の源流地です。

4.保全すべき貴重な石像文化財

  *牛塚:鎌倉時代、東大寺や興福寺をはじめ奈良の寺々の復興事業に用いられた資材、主に石材を運んだ牛たちの供養塚があります。鎌倉時代の作と言われ奈良の町づくりと切り離せない記念碑です。伊勢街道が通っており、石仏と伊勢信仰の記念碑(1616造)が残っています。

  *護摩石:牛塚から北へ約500m山中にはいった地点にあります。用途の詳細は不詳でありますが、修験道の山間修業の遺跡かとも言われます。

  *地区共同墓地の五輪塔:中世墓で使用されたと思われる石仏・石塔類が多数現存しています。大和では近世以前の五輪塔を中心とした集落単位での納骨・墓制が現在も墓地として使われ続けているという、貴重な民族現象が残されています。

 奈良市においては、実範ゆかりのこれらの遺跡を大切な文化遺産として守り実範の業績とこの地を積極的に顕彰すべきであって、焼却場を建設することは国際文化観光都市として名に恥じる行為であります。また、この地は中の川町のみならず、川上町、飯守町、青山住宅といった住宅地、特別天然記念物である春日山原始林、その他冒頭にあげた寺社、浄水場に隣接し、焼却場建設地としては極めて望ましくない場所であり、現計画は撤回すべきであります。寺院跡の史跡指定や紹介センター等の設置などについてご検討ください。

          (ごみ焼却場 環境アセスメント)

「奈良市クリーンセンター建設計画の課題」(資料33-2)末尾

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