26 利岡清左衛門記録

上ノ加江抑、嘉永七寅年安政元改暦霜月四日朝五つ時(0820分頃)(この時地震致し候得共少し細かなる事)、須崎浦例の相撲執行に付段々船にて見物人参る処、我今秋ふと痛風と言う病を養い、多の郷の医師生野某の調合薬にて本復を遂げ、右謝礼の為便船致し、友輩に紛れ相撲見物に時を移し、生野へ失念になり、翌五日(18541224)五つ時彼の地へ礼に参り、宮尾へ帰る船便の世話を相求め度存じ候内、久礼浦番喜与作・政屋克之丞その余夥しき客になり、九つ相終わり徒然に移り、又々橋本屋松次邸へ参り、久礼番頭逢客として、宮尾の慶益老を始め政屋克之丞と我と都合五六人酒宴に時を移し、七つの中刻(1625分~1705分頃)大地震致し、漸く町へ逃げ出し右往左往に紛れ狂気半乱の折柄、本家若松屋甥幸右衛門・久礼番喜与作に行き逢い逃げ支度、舟を待ち合わせ候処へ、矢井賀浦勝之助と申す男参り合わせ、片時も逃げ候わんと、数百人の中を四人手を引き池の内の山の奥へ登る。折柄早須崎の湊へ津波入り、古倉より原の辺又は土崎辺の家数百軒流れ行くを遠見致し、殊に嶮岨なる峰毎々の震に心を悩め、逗留の兄弟妻子を気遣い、その夜かの山中にて憶い悩む事命も縮まるなり。夜中震数減ぜず折々大震あり。扨、翌六日暁四人評議の上、一旦帰浦せしめたき思慮に基き、その辺に居合わせの者へ委細に須崎への便宜を致して置き、下分支配の人家へ下り着き、飢えを凌ぎたき段沙汰致し候得ば、老母哀れを添え芋などを出し、ぬるき茶にて喉を潤し、はだしの者は古き草履をもらい、上分支配の下郷と申す処へ渡る。老源次郎と申す者の方にて近隣の百姓相集まり、俄かに汁を焚き暖かき飯にて腹を養い調え、誠に嶮岨なる焼山の細道を越え、阿波村の奥へ下り本村へ出し処、この地も段々流家あり、現に庄屋八助宅余程傷みと相成る。未だ村人道具を持つなどして逃げ形なり、八助も是を制すといえども矢張り震止まず、殊に潮の狂いある故、一同肝を消し恐るること生きた心地はせざりけり。右庄屋八助に大変の愁礼終わり、焼坂を登る内も度々鳴動あり、嶮岨なる処は山崩れ、又は峠より西平道大いに割れなど多し、その辺を歩行致す内誠に気味悪しく、それより久礼の町入口へ参り候得共、家には一人も居ず、山へ逃げ登り、或いは常賢寺にも寺地に一杯の人。我らも例の浦通り往還は洲になり、或いは山崩れありて往来相調い難く、道の川谷傍ら美々須山の麓より大坂谷に入り込み、山を越え本川の奥へ入り込み、高き焼山を越え笹場郷へ折り込み、笹場郷の定吉と申す者の方にて、暖かき芋或いは茶漬飯をもらい勢力を励まし、押岡の奥に折り込み、毘沙門天の社前に住居致す、貞平と申す百姓の宅へ声をかけ候得共人音なし。その時の道連れ志和村庄屋喜蔵・人足銀之助・若松屋幸右衛門都合四人、誠に物淋しく押岡の村道を通り候折柄、この村の女古き風呂敷包或いは煮しめのようなる袋を提げ、二三人真看、山谷より山汐出来ると申して焼山の方へ逃げる体にて、何を尋ね候ても答えもなく走り入る。川内川を見合わせ候処にかの川余程奥まで汐満ち込み、深谷山に渡り付く様も叶わず、北側の山の際を通り押岡郷に入り込み、この道筋谷間にてこの節干水なりしに、かの震より少し薄白く水沢山に出水にて谷鳴り出し候、この体故村人共焼山へ逃ぐるも尤もと一同感涙を催しけり。押岡郷へ出候処、この辺りに押岡の男女夥しく居合わせ、道を尋ね上ノ加江の様子を問いければ、浦は一軒も残りなく流れ御米蔵一軒のみにて、さぞ御自分方不自由致し申さんと哀れをそう。安乳母と申す坂を越え、浦の体又は大川内上ノ平辺の人家一軒も残り無く流れ散々なり。居合わせの者に家内の居所を尋ねければ、小浜の奥へ逃げ行き、貞平と申す福裕なる百姓の宅に居る由承り、かの地へ参る内も、見る人々皆落人とも何とも申す方なき不憫なる事実に心も消え、世の末は今なる哉と心を悩ます内も、震て止まず折々大震あり、海底大いにドヲドヲと鳴り、恐ろしきこと限りなく、田代の口にて兄西村屋弥五良殿提灯を提げ、我ら須崎にて死すならんと兄弟親類歎き絶えず、余り哀れに付我が様子を聞くべしと提灯を用意にて出けり。片時も小浜に参り一同を喜ばすべしとあるくに力を増し、顔も振らずかの地へ参り一同に真看祝言を尽くす。その時浦の大庄屋岡村広蔵・同代同苗貫蔵家内七人、下男下女とも都合九人、是もかの宅へ逃げ行き、昼夜幾度の地震に家内小児恐るる故、貞平屋敷の明き田へ、板を敷き四方へ筵を風凌ぎに張り焚火に寒風を凌ぎ居る処へ、一寸挨拶に参り見るに、水主共も数人妻子を連れ明き田一面にかの如く筵を張り火を焚く。誠に我れ人恐ろしく互いに内へ這い入り外に居る。現に六日の夜のことなるが、折々大震にて走るもあり飛び出すものども障子を破り、夜の明くるを待ち兼ね寝入るもの一人もなく、翌七日(忘れたり)この時分一役薊野に居舘北原喜平次と申す人なるが、同宿なされ候。右七日、御分一流失の道具或いは諸人即餓怪我人など改めさせ、北原・岡村・我ら出張り致し、衣笠山の辺影整田面出辺を見分致し候処、御借蔵流失に付百七十石碌の納米流失、故にかの地の沢田へ夥しく流れ集まり、その余着用類長持箪笥越の谷下り付の辺へ流れ集まる。諸人立ち廻り意早き者は家内互いに拾い揚げる体なり、この日七つ時(1550分頃)大震にて、数人俄かに逃げ出し我らも一同の如く小浜へ逃げ帰る、この日も震は度々に候得共、かくの如く折々大震あるときは気味悪しきことなり。さて、往古より御城下の者御町方御支配、浦々は御浦奉行御備えにて御浦方相立つ、郷分は御郡奉行所御備え、御山方その余御支配支配の御奉行所御備えこれある処、当嘉永七甲寅は安政元となる。当春御趣向に付、六郡御取別に相成り、高岡郡御郡舘須崎糺に相成り、即ち御郡・御浦・御山・御普請方御譜族にて、この時御郡奉行所阪井堅吾殿・同千屋衛守殿御両頭なり。前御支配御備え更えの節、御郡先遣り・御浦先遣り、その余御支配支配の下役を右の如く御先遣所と号しありしを、この度の郡々御取別より御郡下役と号して浦名なし、御一縁に相成る。この時の御下役森田良太郎殿なり。さて、右大変後昼夜地震止まず、殊に海面大潮前よりの潮に較べるに四五尺も高き故、地の人一同浦へ出張る者これなく、上ノ加江浦の絶えるは今なる哉と衆人大いに愁う折柄、御郡奉行所阪井堅吾殿、下役場兼治御吟味役川口達蔵殿随勤成され、御郡中御廻見なされられ、当一番の傷みに付急ぎ御普請仰せ付けらるとなり。浦人一同出浦致し候様作配方仕り候様仰せ付けられ、仁井田郷村々庄屋へ御申し付けられ、家毎に藁縄筵持ち木材は流れよりの品々を拾い、不足の分は道之瀬御留山にて立木を仰せ付けらる。右の作配方に藁縄筵を霜月十四五日より参り出候に付受け取らせ、大庄屋を始め我ら組頭迄寺地へ相詰める。御分一所は流失散乱米手八方に郷人を召使い、右七日より御分一所御作配にて地下人即餓御救いとあり、一人に付一日米三合宛を以て日数二十日分、六升の流散濡米二三度に御渡し仰せられ、この形御郡奉行へ達しに相成り候処、地下人飢えに及ばざる様作配御賞ならせられ候。我ら同八日に土居の兼平と申す者の方に借宅致し、大庄屋御分一所同出に塩道の岡屋敷喜平宅に御同居、毎日かの地より上の関の方を渡り(川深く洲の如し)面出を通り寺山越しにて浦へ出て、小家を建てさす作配に打ち掛かり居る処、十五日より大寒を催し大風吹き出し大雪になる。十六日は往来止まる近来の大雪なり。昼夜震止まず。恐ろしき内に段々己が家出来我等も己が家に始めて居る折柄、同二十五日の夜暮間頃より沖より風強く吹き出し、夜五つ時頃より大しけとなる。夜明けまで大いに雷鳴致し、この雷久礼へあまり(落ち)家一軒焼失あり、この夜浦々己が家に居る者又々流れると申して闇夜に山へ逃げ、朝まで雨に打たるる者多し。翌二十六日もしけにて汐高き上に高水になり、流れ残りの船を川辺に繋ぎ居り候処、この高水に流れ出し傷もあり、湊にて讃岐屋鹿蔵所持の市艇一艘破船となる。時節ならざる風雨冷雪も、天地陰陽の変なりと感じ恐ろしき事なり。右大変に、御城下下町大焼にて、崩家に打たれ、火に取り切られ、逃げ方もなく、色々の死人数を知らず。須崎流死三十余人。久礼郷浦にて五人。上ノ加江浦流死なし、素より怪我人もなし。南郷に一人馬一匹。志和浦に船にて逃げ候者船へ乗り移る時、赤子海中へ取り落とし死す。鈴浦に二人山の崩れに敷かれ、そのツエ頗る大ツエにて傷む、かの大しけの波に洗い流れしものならんとの説あり。その余諸方に死人ありと聞く。中村大焼ここも七十人程死人ありと聞く。下田浦流失なく崩れ家に打たれ死人夥しくあり。この度の変に東西に死人数知れず、誠に当浦斯かる大変に一軒も残らず流失致し候に、一人も流死なきは氏神広野宮の加護なりと、地中一同拜念し奉るなり、当時広野宮一社・御米蔵一軒残る。さて、その後も度々大雨高水あり、その度々心傷むるなり。総じて諸人心細くなる故、少し大震ある時は又大潮入り来るとて、纔かなる荷物を持ち郷へ逃げ山へ上がり、日毎に騒がしきことなり、然れども人気を励まし又生業に基いて、極月二十五日例の御借付地入用の漁飯米相持ち候得共、御上も騒ぎに取り紛れ御賦状参らず。極月三十日何卒して年越し用意と申す者もあり、又万事流例になり御貢物御取り立ても三月になりし故、祝うて門飾は致し、年越し米餅などなくても愁いなしと申すもありけるに、三十日の朝五つ頃(1855280820分頃)頗る大震にて汐も少し狂いあり。右に付大騒ぎになり、俄かに飾も何事も止まり、郷へ逃げるもあり、多く中山へ筵などを張り廻し風凌ぎを拵え石釜を拵え、その夜は大事の超年なるに墓を枕に寝るもあり、林の中にて諷うもあり、老児は寒さに悩み艱難を致すこと人も我も哀れなること、天変とは申し乍ら恐ろしき時節に生まれ合わすと語りあえり。正月二日大風大雪、地震昼夜止まず。然れども人気強くなり次第に恐れず。この書四月中旬に相認めに付、去る霜月よりこの節迄、地震・大風・大波・大雨など数度に及び候得共、時々筆し得致さず、漸く荒増しを記す。四月十七日大風雨洪水なり、十八日波高く御分一の前浜を打ち越しハト半分程にて腰位い立つ。四月二十四日夜四つ時(1855682240分頃)余程の地震致す。さて又更に記す。去る丑の春より夏をかけて、江戸表へアメリカ船十艘程漂着致し候由は、恐れ乍ら御公辺は申し上げるに及ばず、諸国穏やかならざる事に候いしが、御大老職御詮議の上、当時御例と候交易御差明け、仰せ付けられ候由に付、いささか穏やかに相なり候、然れども当御国アメリカ船海防御手当として、大砲を俄かに御鋳立ての上海岸浦々へ、二挺三挺或いは数挺御備えに相成り、御大砲台場この度より出来候也。又更りて、当正月頃数日大辰巳風吹き詰め、江南船漂流し来たり俄かに騒動ありしが、存外の小船にて人数纔か十二人乗りにて、赤岡の沖へ碇泊致し、香我美御郡方より御役人乗り移り候、漂流船の儀に付薪水米などを与え追放候処、據なく帰路矢頃候哉、帰帆も致さず再着に付、浦戸へ漕ぎ寄せ滞船致させ公儀へ御伺いに相なり居り候処、四月上旬勝手次第に帰帆致させべく仰せ付けられ、天気次第出帆の筈を以て御廻文に相成る。則ち、四月二十四日出帆とあり、浦戸にて立火あり騒動これなき様心得の為上下浦々順烟定めありて、大灘通り帰帆あり哉と衆説ありける。然るに同二十五日八つ時手繰船見帰りの如く、当湊へ漕船三艘にて参り居る由、訴えに付俄かに我々、以下欠。

 

 

二十六(314)日、雨、八ツ頃より晴になる。九ツ(1215分頃)過ぎ少々強く震う。久八孫病気にて一寸行きたき由申し出候、帰り来たり数々あしきよし。二十七日、陰、今朝は長く少し強く震う。久八今日も暇。震二三度。晴になる、暖、和、御飛脚着す、七日より十二日までの状来る。二十八日、陰、御飛脚立ち一通、御旅中までの状林へ頼み夫々返答に及ぶ事、御道割、林源吾方より申し来たり写し留め本紙遣わす。昼の震余程強し。夜風雨上しけなり。二十九日、(1855317)朝六ツ(0545分頃)前の震又強し、昨夕浪声甚だ高し今日は少し止む、昨日東長屋柱立ていたし候事、源吾来る、孫次郎妻相続なり、姥来たり漸く終わりになる。夜震い又強し。

地震心得方の事一、平常家作すとも、家をあけて上下の小屋たつる程の地を、兼ねて明け置く事。一、汐入りて菜園物なし。一、平常味噌は三年を遣うべし。一、香物同じ。一、醤油は作るべき事。一、油用意あるべき事。一、草履。一、蝋燭この品々にて物少なし。一、はんどは底狭きは役なし、かやり早し。一、塩当時なし。一、堅魚節用意あるべし。一、ふき藁なし早く用意すべし。一、大工なし、同じ。一、縄なし。一、井戸の水濁れば油断ならず。一、汐の込み引き狂うなり、大いに恐るべし、この狂いには震強くして汐入りなり。一、岩山は恐るべし。一、下岩だけ強き石地は震い少なく裂けず。一、釘は早く、大みにて調うなり。一、竹やぶも川近きは寒し。一、枝を敷きその上に畳を敷くがよし、裂けても苦しからず。一、船を門前に早く繋ぐべし、汐入来たりし時のためなり。一、扶持米は年中に用意、別に十石余用意あるべきなり。一、狂いし家をそのまま押し直したるは、二度の震いには必ず元より狂うなり、屋根を剥ぎ壁を落とし〆直すべし。一、塩鯨、干物などは用意あるべき事。一、幕は出しやすき所に置くべし、屋敷の塀になど傷みたるに張るなり、又、我が小高坂山に行きし時、幕出さずして尋ね来たれる者まどう事ありしなり。一、竹の性よき時に観世ぜよりにて編み、長一間に横一間のを十四枚も用意して紙にて張り強く渋を年々引きて置くべし、囲い屋根になるべし。一、小高坂山にて入用になりし品々。茶碗十四五、汁碗十四五、茶、箸一束、飯つぎ、はかま、鍋、土瓶、杓子、具杓子、皿七八、燗徳利、ちょく、火箸、付け木、火鉢、から炭、塩、醤油、酢、丼二つ三つ、梅漬け、みそ、香の物、石筆、薬、提灯、蝋燭、紙、草履、傘、木履、駕籠、右、さいびつ・合羽籠などの用意すべし。外に水たご柄杓なども要るものなり、又包丁。一、座敷を出る時、火鉢を取りて出すべし、こたつの火も消すべし。一、井戸の水干るものなり、大地震は火事あるものなり、消し人なきものなり、火事装束は入用なり、家来も同じ。一、醤油は始めのほどは三合、後五合ほど売るなり、油も同じ。一、真魚は値安きものなり、ざこ類は高値なるものなり。一、鰹節は二十常に用意あるべし。一、惣に蔵の戸前明け難きゆえ平生その心得専用なり。冬は至って寒くして老人は寒傷み死する者多し。夏は暑気に堪えずして又死すべし。俄かに不自由になれば一日二日にぞさもあらめ、四日五日も経ては老若とも大いに困るものなり。一、大木の近きはあやうしと聞きしが、この度大木の倒れし事なし、既に網干し木などは柱三尺足らず掘り込みて、五尋ばかりの長さなる松丸太を立てる物なるが、二本ともそのまま立ちおりしなり。堀近く川近く地の底のやわらかなる所はあしきものなり。一、大根菜などは太らぬものなり。惣じて菜園物出来悪くその心得第一にあるべき事。一、地震の時は高潮の入る事なれば小高坂辺へ立ち退く事あるなり、その時は早く百姓を呼び寄せて藁木等の用意申しつけ候て、大工を雇わせふきの方へ声をかけて、以後所を教えて小家を作らすべし、依って小家の指図あらわす事なり。見すべし、すべて、ゆり三尺なれば八十日ゆると言う事なり。日記にある如く甚だ長く震うものなり、又、火事もあり、又、龍もまい、雨も降り、雪も降り強く、風も吹き、雷も鳴るものなり。かり小家は甚だあしくこの度なども、百五十年近く年を経し事なれば知る人なし、大和・伊勢の如く一年に二度もある事もあるなれば、心許しがたし、よくよく覚悟すべし。この度などは三度も五度も小家作り直せし事なり、我は一度にて済ましたり。かくの如くなれば追々家に至りて震えば、又この小家に来るべし、又せっちんも早々掘り立てにこしらうべし。一、瓦は上重く甚だわるし、そぎよし、されども風呂屋釜屋は瓦ならでは火あやうし、なるたけ低く立つべし、さてむかえ柱は入るべし。一、蔵はうしなきがよし、内枝を打ち丈夫なるせり木を上下ともに入れ、又真ん中へまぎるとも、むな木を押さえる掘り立ち柱を如何にも丈夫なるを立つべし。壁はしとみにて包むよし、腰かわらはあし。一、震いの強き時は汐の込み引きによる潮高く、荒ければ強し。又天色雲行き近く見揺ればゆるものなり、震動は止まぬよしと言う。大震には何事なき様に初めの程は震い出して、次第次第に強くなり幾度も震うものなり。家などもかやらずしてつえ込むものなり、つりたる棚、又は戸袋などは飛ぶなり、大抵大木の枝地につくまでも震うなり。一、少々様より書きて貼るべしとて下され候由にて、軍馬持参の歌が家の間毎に、棟八つ門は九つ戸は一つみはいさなぎの中にこそあれ、文字かくの如く書きてあり、この通り書きて貼りぬ。又ある人の菅公の御詠とてもて来ぬ。ゆるぐともよもやぬけまし要石鹿島の神のあらん限りは、この歌、よもやとある、ぬけまじとあるなど、神詠とは思いえず、いかでかぬけんなどあらば、今夕はなどかしこくも思いつ作るになん。一、蚊帳は冬といえども二つばかりは用意なすべし、夜具とともに出し置くべし地震火災などの時なにくれと煎れて持ち歩くに、袋のかわりとなりてよきものなり。一、さいひつ・ござ長持、合羽籠、この三品何かと入れて持ち行くによきものなり、平生その心して用意すべし。一、伊賀の国の者十一月地震の時来合わせ、さて是が話に、祖父地震の記あり、何尺のゆりと言う事書きたり、木などのゆるを心を落ちつけ見る時は大様に分かるものなり。大地震には廻国にて度々逢いぬ、一年にも四尺ばかりのゆりに逢いしが、この二月伊勢にて逢い候は五尺の百合にてありしなり、この国のゆりは八尺のゆりなりと語りしとなり。さて、三尺のゆりなれば、後八十日は強弱のゆりあるものなりと祖父が書きし記にありと言いしとぞ、たしかなる話なり。宝永の大地震の記、吉良川の八幡の宮にありて、文政の初め見出だして写したるとて、真辺栄三郎田野詰の時取り来たりしを見しが、是はこの度のゆりより今一際強き様に覚ゆる書き様なり。十月四日の震に翌年の八九月まで軽重のゆりありしとなれば、一丈余も震いしか。一、大地震には天近く星など近く見ゆる事あるものとなん、近く見ゆる時は油断ならぬものなりと交合雑記にも所見ある事なり、この度も初めこそ知らず数日天色星又雲も近くありしなり。

この如く、二間ばりにして鴨居も敷も入れずして、通し柱は三尺掘り込み、梁の上へ追々は天井を張るべし、軒づけは穴へシュロ縄を通すべし、柱とも五本なり。

一、晴雨は古人の言いならわしたる事これあり、大様は天一天上・八専・十方くれ・子丑・庚申・つち・月かわり・土用などにてたがわぬ物なるが、この五六七年は色々とたがいし事のありしこそ、不思議なりし事どもなり。一、うどんや某、この老人日々沖のはえに行きて汐を見る事怠らざりしが、この度の地震の前汐思いの外濁り且つ狂いたりとて、大いに驚きて家財を山の上に運ばせけるが、翌日の地震に汐入りて家流れしに、このうどんやは何一つ流されずしてこの難を逃れしとぞ、心得になる事なり。一、十一月五日、大地震、上川原にて角力あり若殿様にも御出なり、震い出ると御桟敷より下ろし奉る、この時の危なき事たとゆるに物なし、一同騒ぎしが、佐々木孫之進は日頃さしてもなき男なるが「御付なり、御扈従、御馬廻なり」、折から支度してをれるに、そのまま御桟敷にはせ登りて御畳を二三取りてなげ下ろしければ、その上へ下ろし奉りしとなり、人の守はかかる所にてよく分かるものなり。一、少将様御扈従松井次平・渡辺嘉八郎は五日出勤せず。次平は翌六日痛所の体達しとぞ、是は同勤松下に居て門前の田に土足を少しつきしとなり。嘉八郎はかけ戻り家内を連れ出して北在へ立ちのかせしとなり、嘉八郎が親も親なり、又、その身は言うにも及ばぬ男なり、不日退けられしなり。寺村軍馬は当番なりしが、衣服を着替えの最中にて八丈の小袖にて、御奥の如くかけ込みかけ、ふと心付きて袴の紐しむるしむるかけ込みしとなり。川田務は袴の腰ねじれながら、只西へかけ行き御堀縁の石橋をこし三度かやりしが、三度目に割れに手を肘までつき込み、心付きて見れば武藤の角にて、すざまじき割れ故引き返し本町通りに御屋敷へかけ入り、御奥へ刀をもぬかず行きかかりてぬき置きしとぞ。大塚藤六は大橋にて妻の弟西山亀治と同じく帰りし故、袴の事頼みそのまま袴なしにて御屋敷へかけ込みしとなり。この日少将様新築の御門へ成らせられ八ツ過ぎ御帰座なれば、御供の面々は御供して番ならぬ同勤なれば、道なるが故松下庄馬方にて酒など飲みをりしとなり。御家老は夜に入りて御機嫌伺いに出るとぞ、遅れたる事どもなり。御仕置大目付どもの側の役人は、二の御丸へ出しこそ大いに□□へし出さまとて、人の笑いの助けせし事どもなり。小八木貞之助一人御屋敷へ出、少将様の御機嫌伺い奉りて、さて二の御丸へ出てその事言いしより皆心付きしとぞ、平生守りなきの心はかかる時顕れ行く物にこそ。二孫達枝は新馬場にて、少将様を御気遣い奉り落涙数行に及びしなり。渡辺嘉八郎を笑うのみにして、この二の丸へ出て少将様へ出ざりし人々を、笑わぬは如何なる代のさまにや、この度の退けられしはこの両人松井次平・渡辺嘉八郎なり。士の覚悟なきは商人の算を知らず漁師の船に酔うが如く、浅ましきものにこそ、尚、この上にも村田を初めとして、又覚悟なきはこの者どもなり、何れか重役と重んじ伏すべき。一、津波は入るものに非ずと言うは、北よりの国といえども昔睦奥の北表にも入りし事あり、又平生の如くうち入るものに非ず、山の如く高くなりて入るものなり。土佐一国にてさへ高低大いにありしなり、慶長宝永も同じ事なり。平常の如く海浜の波打たず、沖高く静かなるものなりとぞ、この度沖も六七日は波うたでゆたゆたとしたるものなり、この時は震も強く度数も多く震うものなり、波打ち出ずれば甚だよき事なりとぞ、一日に幾度となく潮の込み引きありて定まらずして震うものなり、波打ち出でてもこの狂いはある事なり。雨降ればおさまると聞きしが大雨中にも強く震いし事あり、又、北山の上に火の如きもの出でし事もあり、星大いに飛びし事もあり、肝のひゆる事多し、宝永の震りは重陽にかたびらを許されしと聞く、今度はさもあらざりし、されども今思えば変わりし事四五年前よりありし事なり。一、大工百姓大勢来る。みそ大いに入れ込みしなり、この時糀をみそ炊くほど取り寄せ塩を合わせ、又、寒の水をも取り置きて、春暖気になりてこの水と寒中糀にて味噌は焚きしなり。、心得置くべき事なり。一、鳴りて後震来るは震強からず、初め微かにて次第に強く震い出る時は長く強し。宝永のはさもなかりし様子なり。一、三月、もうそう竹の子出る時、早ま竹の子出ぬ、桂浜なり。一、堀部五左衛門船奉行なり、十一月四日潮大いに狂いしとなり、言上をす。五日大震、御座船を乗り入る事もせず、おのれのみ家内と小船に取り乗り潮に任せて逃げて、西の窪にて通用丸に乗りしとなり。この時の

 

 

十二日、雨降る、昼夜とも静か也。十三日、天気宜い、昼夜とも静か也。十四日(627)、天気宜し、五半時(0815分頃)小震一度。同夜、九時(280010分頃)過ぎ小震一度。十五日、日の出(0500分頃)小震一度、雨降る。同夜中静か也。十六日、天気宜し、昼夜とも静か也。十七日、曇、八時(1445分頃)小震一度。同夜中、曇、夜静か也。十八日(71)、曇、八時(1445分頃)小震一度。同夜静か也。十九日、曇、昼夜とも静か也。二十日、天気宜し、昼夜とも静か也。二十一日(74)、曇、四時(0935分頃)前小震一度。同夜静か也。二十二日、天気宜し、静か也。同夜、七時(60300分頃)過ぎ小震一度。二十三日、天気宜し、昼夜とも静か也。二十四日(77)、九時(1210分頃)過ぎ小震一度。昼夜曇、夜分静か也。二十五日、天気宜し、小震一度。同夜、五半時(2205分頃)小震一度。二十六日(79)、天気宜し、九半時(1325分頃)小震一度。同夜静か也。二十七日、八半時大雨。同夜中静か也。二十八日(711)、天気宜し、四時(0935分頃)小震一度・九時(1210分頃)小震一度。同夜静か也。二十九日、天気宜し、静か也。同夜、七ツ時(130305分頃)前小震一度。三十日、天気宜し、昼夜とも静か也。合、三十四度、内、大震一度、「計、35.大、1.中震二度、中、2.小震三十一度、卯五月中縮小、32.」卯六月一日、天気宜し、九時(1210分頃)過ぎ小震一度。同夜静か也。二日(715)、曇波鳴る。同夜、七時(0305分頃)前小震一度。三日、曇、四時(0940分頃)過ぎ小震一度。同夜、天気宜し、静か也。四日、天気宜し、昼夜とも静か也。五日、天気宜し、静か也。同夜、四時(2245分頃)過ぎ小震一度。六日(719)、天気宜し、日の出(0510分頃)頃小震一度。同夜、七時(200305分頃)過ぎ小震一度。七日、天気宜し、昼夜とも静か也。八日、昼夜とも曇、静か也。九日(722)、晴天、七半時(1830分頃)小震一度。同夜、七時(230305分頃)過ぎ小震一度。十日、晴天、八時(1445分頃)過ぎ小震一度。同夜、四時(2245分頃)小震一度。十一日、晴天、昼夜とも静か也。十二日、十三日、共、右同断静か也。十四日(727)、晴天静か也、五時(0710分頃)小震一度。同夜静か也。十五日、晴天静か也。同夜、雨降り、小震一度。十六日、雨降り静か也、同夜風雨。十七日(730)、雨風、四半時(1100分頃)小震一度。同夜、九時(310015分頃)過ぎ小震二度。十八日、晴天、五半時(0830分頃)小震一度。夕方雨、同夜曇、静か也。十九日、曇、七半時より夜中へ懸け雨、静か也。二十日、昼夜雨降る也。二十一日(83)、朝四時より晴、静か也。同夜、六半時(2025分頃)小震一度。二十二日、晴天、五半時(0830分頃)小震一度。同夜中静か也。二十三日(85)、朝雨四時(0945分頃)より晴、七ツ半(1825分頃)時小震一度・中震一度。同夜静か也。二十四日、昼夜とも静か也。二十五日(87)、曇、九時(1210分頃)過ぎ小震一度。同夜、六時(1935分頃)過ぎ小震・又四時(2240分頃)過ぎ小震。二十六日(88)、曇、八時(1440分頃)小震一度。同夜、四時(2240分頃)過ぎ小震二度。二十七日、晴天、静か也。同夜、九半時(0100分頃)過ぎ小震一度。二十八日(810)、晴天、九半時(1320分頃)より七時(1705分頃)過ぎまで小震三度。夜中、小震一度。二十九日、晴天、四時(0945分頃)過ぎ小震一度。同夜、九時(130010分頃)過ぎ中震一度・小震二度。三十日(812)、晴天、静か也。同夜、九時(130010分頃)過ぎ小震一度。合、三十三度、内、中震一度、「計、36.中、2.小震三十二度、卯六月中縮小、34.」卯七月一日、晴天、朝五時(0715分頃)小震一度・四半時(1100分頃)小震一度。同夜、九半時(140100分頃)小震一度・七時(140315分頃)過ぎ小震一度。二日、朝五時(0715分頃)前小震一度。同夜、四時(2240分頃)小震一度。三日(815)、晴天、四半時(1100分頃)過ぎ小震一度・八時(1435分頃)前中震一度・七時(1700分頃)小震二度。同夜、五時(2100分頃)過ぎ小震一度・七時(160315分頃)過ぎ小震一度。四日、晴天、五半時(0830分頃)小震一度。同夜、五時(2100分頃)小震一度。五日(817)、晴天、九時(1210分頃)過ぎ小震一度。同夜、八時(180145分頃)過ぎ小震一度。六日、晴天、九時(1210分頃)小震一度。同夜、七時(190320)過ぎ中震一度。七日、晴天、五時(0720分頃)過ぎ小震一度。同夜、五時(2100分頃)過ぎ小震一度。八日(820)、晴天、静か也。同夜、五時(2100分頃)小震一度・八半時(210230分頃)過ぎ中震一度。九日、晴天、四時(0945分頃)前小震一度。同夜中静か也。十日(822)、晴天、静か也、同夜中、七時(230320分頃)過ぎ小震一度。十一日、晴天、日の入り(1840分頃)頃小震一度。同夜中静か也。十二日、晴天、日の入り(1840分頃)頃小震一度。同夜暮頃より波鳴る。十三日(825)、晴天、大波となる、五半時(0830分頃)中震一度。同夜曇七時より雨風強く、震動三度、七半時(260410分頃)中震一度。十四日、雨風強くイナサの東風、五半時(0830分頃)小震一度・七半時(1840分頃)小震一度。同夜、晴天、小震一度。十五日(827)、晴天、静か也、同夜、四時(2230分頃)過ぎ小震一度。十六日、曇り、九半時(1315分頃)小震一度。同夜中曇静か也、十七日、十八日、共、晴天、昼夜とも静か也。十九日、右同断静か也。二十日(91)、二百十日に当たる、九時(1205分頃)小震一度。夕方より雨降り静か也、二十一日、曇夕方より小雨降る、昼夜とも静か也。二十二日(93)、雨、七時(1645分頃)過ぎ中震一度。同夜雨、小震一度。二十三日、二十四日、共、昼晴、夜曇、静か也、二十五日、晴、昼夜とも静か也、二十六日、昼夜とも曇、静か也、二十七日、曇七時より夜中に懸け大雨、震なし。二十八日、昼夜とも大雨、震なし。二十九日、雨風強し、八時より晴、同夜中晴天、静か也、合、三十六度、内、中震六度、小震三十度、卯七月中縮卯八月一日、二百二十日、晴天、九半時(1310分頃)小震一度。同夜、静か也。二日、晴天、昼夜とも静か也。三日(913)、晴天、七時(1640分頃)小震一度。同夜、曇、静か也。四日、曇、昼夜とも静か也。五日、四時より雨降り。同夜、小雨、七時前(160330分頃)小震一度。六日、晴天、静か也。同夜、曇、静か也。七日(917)、晴天、静か也。同夜、曇、六時(180515分頃)前小震一度。八日、晴天、昼夜とも静か也。九日、曇、夕方より雨降り、同夜、雨、昼夜とも静か也。十日、曇、昼夜とも静か也。十一日(921)、曇、昼九時(1200分頃)前小震一度。同夜、晴天、静也。十二日、十三日、共、晴天、昼夜とも静か也。十四日、晴天、静か也。同夜、曇、日の入り(1800分頃)過ぎ小震一度。十五日(925)、曇、静か也。同夜、朝六時(0520分頃)前小震一度。十六日、雨、昼夜とも静か也。十七日、曇。同夜、雨降る。昼夜とも静か也。十八日、十九日、共、雨、昼夜とも静か也。二十日(930)、雨風。同夜、五半時(2110分頃)小震一度・六時(10525分頃)前小震一度。二十一日(101)、曇、静か也。同夜、六時(1830分頃)過ぎ小震一度。二十二日、曇、昼夜とも静か也。二十三日(103)、晴天、日の入り頃(1750分頃)小震一度。同夜、静也。二十四日、晴天。同夜、六半時(1920分頃)小震一度・又小震一度。二十六日、晴天、静か也。同夜、曇、静か也。(二十五日、欠)二十七日(107)、朝より雨、静か也。同夜、五半時(2105分頃)小震一度・七時(80340分頃)過ぎ同一度。二十八日、晴天、昼夜とも静か也。二十九日(109)、晴天、静か也。同夜、五時(2010分頃)小震一度。三十日、晴天、昼夜とも静か也。合、十九度、小震ばかり、卯八月中縮、「計、16.」卯九月一日、晴天、昼夜とも静か也。二日、晴天、九時(1155分頃)小震一度。同夜、六半時(1920分頃)小震一度。三日(1013)、朝より雨降り、静か也。同夜、五時(2015分頃)小震一度。四日、雨、昼夜とも静か也。五日、晴天、昼夜とも静か也。六日、晴天、静か也。同夜、曇、静か也。七日、曇、八ツ時より雰雨。夜中同断、静か也。八日(1018)、雨、静か也。同夜、八時(190145分頃)中震一度長し・同八ツ半時(190245分頃)小震一度。九日、晴天、静か也。同夜、六時(200535分頃)前小震一度。十日、曇、七時より雨降る、静か也。同夜中同断、静か也。十一日(1021)、雨降る、静か也。同夜、曇、五半時(2055分頃)小震一度。十二日、晴天、昼夜とも静か也。十三日(1023)、晴天、七時(1555分頃)過ぎ小震一度。同夜、六時(1800分頃)より夜明け(240540分頃)まで小震三度。十四日、曇、静か也。同夜、六時(1800分頃)小震一度。十五日、晴天、昼夜とも静か也。十六日、小雨降る、夜晴、昼夜とも静か也。(十七日欠)十八日、晴天、昼夜とも静か也。十九日、二十日、共、晴天、右同断、静か也。二十一日(1031)、晴天、九時(1150分頃)過ぎ小震一度。同夜、六時(1750分頃)小震一度・九時(2350分頃)小震一度。二十二日、晴天、昼夜とも静か也。二十三日、晴天、九時(1150分頃)過ぎ中震一度短し・又小震一度。同夜、六時(1750分頃)過ぎ小震二度。この時堀川の汐二尺ばかり下がる。二十四日(113)、晴天、昼夜とも静か也。二十五日、曇、八時より雨降る。同夜、九時(2350分頃)過ぎ小震一度。二十六日、雨降る、昼夜とも静か也。二十七日(116)、曇、右同断静か也。二十八日、晴天、日入り頃(1710分頃)小震一度。同夜、曇、静か也。二十九日、晴天、静か也。同夜、曇、七半時(90525分頃)小震一度。三十日(119)、九時より雨降る。同夜、八時より晴、昼夜とも静か也。合、二十三度、内、中震二度、「計、22.中、2.小震二十一度、卯九月中縮小、20.」卯十月一日(1110)、晴天、日の出前(0630分頃)小震一度。同夜、曇、静か也。二日、晴天、静か也。同夜、五時(1945分頃)前小震一度。三日(1112)、曇、静か也。同夜、八時半(130255分頃)小震一度・同七時(130355分頃)過ぎ小震一度。四日、曇、静か也。同夜、曇、七時(140355分頃)小震一度。五日(1114)、晴天、五時(0800分頃)小震一度。同夜、六半時(1840分頃)小震一度・七時(150355分頃)同一度。

 

 

天に陽気少なく地に陰気深し、天文川谷より少将様へ言上の由、就いては御部屋様御立ち退きの御用意御供配りなど相整え、一同不気味に相生し居り候場合、九ツ前西大門の方より龍舞い来たり、下御屋敷東御屋敷福岡より土砂扮(紛れ)紙類巻き上げ、板を打ち候様ホヲイホヲイと追う声、所謂時の声とはかくやあらんと仰山喧しき義に御座候、福岡松の辺に巻き上がり表御門前より見物仕り候処、南をさして飛び行き申し候、形は見え申さず候得共土砂の勢い実に甚だしきものに御座候。右の変、地震に替わり候か、当日震御座なく候。その後夜分四五度動は御座候得共、家を出るなど仕り候程の義は御座なく、次第に穏やかに相なり申し候。一向御門出も仕らずその余何の話も承り申さず候、尤も坪内求馬殿一昨夜九ツ過ぎ出達早追にて東都へ相赴かれ候由に御座候。余は略す。十二月九日、同十九日まで、地震不休、強弱あり。十七日頃(20)六時過ぎより潮江村焼失、百七十八軒ばかり大風にて一時に焼け通る由。森岡友右衛門より書状写、本文略す。然らば当地地震、去る十五日暁八ツ時三歩位(210300分~0310分頃)大震仕り、御用間御扉のほせを引き祓い懸け壁も傷み申し候、又今朝六時(240625分頃)二度大震仕り候。皆々十一月七日の震よりは強いと申す事に御座候、如何様諸方御取り繕い御座候故大傷は御座なく候、尤も御張り付けしわを取り壁の繕いなど少々傷みに相成る、潮も狂い候と申す事に御座候、御座船松が鼻へ又々相廻り申し候、誠に不安しわき事に御座候て困り入り一統心配仕り候。末略す。但し、十日九ツ時(1271220分頃)一度、十四日二三度、十五日暁一度、十八日暁六時(240625分頃)一度強震、初度に比すれば皆々軽し。十二月二十日、晴。十二月二十一日、雪少々降り寒風、夜前四時頃(262225分頃)強震。太守様御暇にて近々御下がり遊ばされ候御模様に付、地震己屋御城内堀の内と申す所へ建てられる趣きにて、日々賑々しき旨御屋敷より申し越す。十二月二十二日より同二十八日迄、地震不休、次第に間遠になる。安政元の改元の触来る。十二月二十九日、晴。十二月晦日、曇。今朝五時(2160815分頃)前余程強震、十一月七日よりは少し強し、小震数十遍、夜九時頃(170020分頃)又強く震う。同夜御留守居より飛脚到来、今朝の震に御取り繕いの張り付け悉くしわ出来その上所々御傷ある趣、然れども御規式に間もなく御取り繕い仰せ付けられても又震り候程計り難く、差し懸かり捨て置かられず御傷の場所迄御取り繕い然るべく、就いては急々見分の旨申し来る。安政二卯正月、寒風、雪少々降る。地震今に不休、晦日より小震あり遍数数え難し。晦日□御取り繕いの場所に付その手筈に相及び候様、森岡友右衛門へ懸け合いに相及ぶ。一月二日、雪少々降り寒気強し、地震は今に同断。川内谷百姓氏源義、去冬二十九日赤岡へ立ち越し、晦日の地震に逢うよし、朝五時支度中強震家内残らず家出致す、佐川よりは余程強き趣也。夜須新町の入り口まで津波九度込み来たり、町人諸道具雑具迄持ち運び山上へ逃げ登る、旧冬五日の汐よりは四五寸程低きよし、枸梅茶屋の角辺まで汐来る、尤も低き家は座上へ上がるよし、枸貴山の所辺は海底となり舟の往来致す由。下田より大曾根辺も汐入り来る。下地は今に海底となり始終舟の往来ならでは通行出来難き由。旧冬二十八日夕、江南舟岸本の沖へ来たり大騒ぎにて郷士共数人出張り、御役屋よりも人数押し出し通しを以て聞き合わせ候処、米薪水に渇し候趣漂流舟也、これに依って、米十表薪五十荷水三十荷下さる由、船の大きさ二十四五間より三十間ばかり、帆柱三本あり、牛ロウを商う舟と申す事なり、氏源話し也。須崎も波高きよし、晦日の地震にとかの崎の方へ当たり砂煙立ち候よし、岩なども大分落ち候よし、尾川奥も道潰込み往来不自由の趣き聞こゆ。一月三日、快晴、春気を催し鶯初めて鳴く、震大分穏やかなり。卯歳の大小、京都より来たるよし。有変者大事、無変様に小。雷地震火難洪水除祈之御守。一月四日、暁より雨降り夕晴、地震今に不休。夜前五時前異舟渡来の趣相聞き出勤也、池弥四郎より左の通り申し来る。須崎沖合い三里ばかりに異舟相見え申し候、尤も大舟にてはなく風強く南に向け漂い候趣注進あり、夜九ツ過ぎ宇佐浦へ出陣、随勤は井上信平・池野宗吾也。夜半過ぎより寒風強し、夜明け高岡町へ参着、宇佐浦へ日の出過ぎ着す。一月五日、寒風夜雪降る、地震同断。田島仙之助宅へ参り候、右は昨年の地震に付、本陣の場所急々相調え申さずよりてなり、追々出張る人数左の通り、田所仁助徳久安三郎千頭義内千頭喜三郎今村孝太郎明神克助森敦次竹村楠源太森弥左平父子佐野郷右衛門父子中島柳助斉原愛之助森作右衛門大久保鉄作父子千頭寿源太大妻又太郎父子伊沢善蔵千頭尾高明神喜久衛斉原伝太五藤嘉平辻弥平横川堅七中島庫太郎片山文蔵父子古田儀三郎田島千之助兄弟。異舟はこの浦は見ず、直ぐ様遠見番の手筈に相及ぶ、夕八半時頃大舟一艘沖合いを東へ向け乗り行き候得共、遠眼鏡なく確かの義相分からず旨申し出る。当地旧冬の地震津波に家居大半流失、兼ねて聞きしよりは仰山なる事にて家居の残り七八十軒ばかりある也、尤も残り家は大半傷みに相なり、その内堅固なる家を本陣と定む。地震の動鳴物なとは佐川よりは余程強也、平地には青き物一つもなし竹木菜園物皆々枯れ居る也、本陣も過半の傷に付き安座なり難く、夜に入り田島仙之助宅へ立ち越し休足す、浦人は大半山際へ己屋懸けして這い入り居り候様子也、目も当てられぬ次第也。暁八時頃御月番役より異舟今暁西風烈しく何方へ行き候か見えず退転の旨、須崎浦静謐に相なり候に付、宇佐浦に帆影相見え申さず候得ば引き払い候様申し来たり候、郷士共へ切紙を以て心得のために相及び候。一月六日、晴、地震同断、度数数えがたし。今朝日の出、尚又沖合い見合わせ候処帆影も相見えず、五時半頃宇佐坂まで引き払い候処、郷士の内先え引き払い候者坂立ちの者より承り候処、今朝東の沖合いに異舟相見え申し候段申し出候に付、飛脚に右の段御月番役へ懸け合い、直ちに引き返し本陣へ参着、直ちに遠見番申し付け、尚又片山文蔵に心得のため、沖合い三里ばかり早船を以て乗り出し見合わせ候処、すべて相見えざる旨申し出る、七時頃この浦出立つ五ツ半頃帰陣致す也。宇佐浦にて廻文の写見分す。江南の商舟一艘、長さ十五間、幅一丈三尺、帆柱三本。右は旧冬二十八日、岸本浦こなたより十五丁ばかり沖合いへ碇を下ろし滞舟仕り居り候処、昨三日夜四時過碇引き候様の声相聞こえ候得共、少々波高く夜分の義に付見合いのための舟漕ぎ出し難く候処、日和の模様あしく相なり候故、手結浦掛かり場へ漕ぎ入れ申すべき積もりを以て、同浦より漁舟数艘乗り出し見合わせ候得共、すべて右舟近辺に居り合わせ申さず由に付、尚又今朝沖合い見合わせ得たく候得共、いよいよ出帆仕り居り合わせ申さず候に付、御心得のため、右の段御懸け合いに及び申し候、尤も西南の方へ乗り行き申すべく候やと存じ奉り候。以上。赤岡・岸本両浦庄屋久枝より福島迄灘懸かり郷浦、長屋与丞江南人の持ち居り候チシヤ仙之助宅にて見申し候、葉の形当地の品に替わりなきも、色は白く甚だ以て艶よろしく銀色に相見え申し候。正月八日、雨、夜来二三度少し強震。井筒屋忠兵衛より左の通り申し来る写、下田沖へ懸かり居り候異舟、愈々先月二十六日の神風に破艘仕り、漸く五六十人ばかり助命の趣にて、只今御救己家など御出来にて御養いの由に御座候、併しながら、肝要の金物海没の訳にては多分存命相なり難き様子と承り申し候、北西路は二十ヶ年以来希なる大雪にて豆腐一丁代八十文と申す事に御座候、誠に当年は軽からぬ大変諸国一統の事にて実に恐ろしき世柄に御座候、去りながら去る安政の御触達もあり、当所は人気も大いに立ち直り諸紙など見分直行宜しく御座候、先ずは別条なく候得共右の段迄申し上げ奉りたくこの如く御座候。恐惶謹言。三月二十一日井筒屋忠兵衛御勘定方御役人所御国の豆腐は大豆一升を以て代銭を定むと乗台寺法印物語の由。一月九日、晴、夜五半時(2252130分頃)少し強し。一月十日、晴、地震次第に穏やかになる。池野宗吾より話し承る。旧冬十一月四日兵庫へ着舟、翌五日大坂へ立ち越し候場合、七時過ぎ安治川堤にて大震に出合い、堤の上に着座致し漸く震治り直ちに旅宿へ参り候処、諸所大傷みに候得共、支度相調い風呂に入るべく申す心得にて裏へ廻り候処、津波来ると申す事にて大騒ぎに相なる、直ちに風呂敷包引き提げ出て見合わせ候処、大舟屋根の上を通り候様子に付、船頭と一緒に往還を上へ走り御城近く逃げ来たり申し候、場所も高く数百人集まり居り候に付一所に相なり申し候、殊の外寒気強く夜を明かし兼ね申し候、粥とられ寒気を防ぎ、それより井筒屋忠兵衛宅へ立ち越し申し候、惣分大傷みにて死人数知れず、目も当てられぬ様子に御座候と申し出る。一月十一日、雨。一月十二日より十七日まで、地震今に不休。一月十八日から二月二十一日迄、地震不休、次第に穏やかに相なる。谷脇源十郎母へ町田七蔵母より送り来し歌写し留む。いにし月初の五日、地震い火の神の災いさへ出来て家居焼け失せ、吾家はおちこちさまよい侍りて、ようよう高須という里になん庵して住む、このわたり後は千尋の山、前は千町の小田なるが、津波打ち入り引きもやらずさながら大海のようなるに、水鳥のあさるさま、山本の霞棚引くにいささ心慰むになん。山姫の春の手初めか遠近にうすみの衣たちはへて見ゆ、隣なる家より湯あみせさせ給へなど言い来たりあれば、まかてぬるに梅のいと盛んに咲ける見るにも、この宿は山本にて彼の災いにも少しのいみもなく、思いもなけに春をむかえ給うぬるも、うらやましこの山本に庵しめて梅見る宿の花の主は、正月十五日しけ谷脇おばあ殿のもとへ正月二十二日より三月九日まで、地震不休。三月十日より四月十九日まで、地震不休、次第に穏やかに相なる。四月二十日より十一月朔日まで、折々震。十一月二日より安政三辰八月二十四日まで、折々地震う。二月朔日加賀国大地震、二日三日大雷にて四日まで強震の趣、井筒屋忠兵衛より申し来る由。三月に伊勢大地震の風聞これあれ共実説相分からず。十月二日夜戌中刻、江戸大地震、云々。(以下、江戸の記事に付略す)辰八月二十五日夜六ツ時頃より南嵐吹き出し、その烈しき事筆紙に尽くし難く、云々。(以下、江戸の記事に付略す)

 

 

二十三日、曇、晩景より雨降り出す、地震五度ばかり、汐は右に同じ。二十四日、日和、汐は右同じ、地震昼二度、夜三度ばかり。二十五日、曇、汐は今日も同じ、地震昼一度、夜二度ばかり。二十六日、日和、九ツ半頃より俄かに曇り出し雨降る、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震少々あて昼夜二度ばかり。二十七日、曇、汐は右同断、地震昼夜五度ばかり。二十八日、雨天、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震昼夜二度。二十九日、快晴、汐は右同じ、地震昼一度、夜二度ばかり。四月一日、日和、汐は右同じ、地震三度ばかり。二日、曇、汐は右同じ、地震昼夜二度ばかり。三日、雨天、汐は右同じ、地震昼三度、夜一度。四日、曇、汐は大道たいたい、地震夜一度。五日、曇、九ツ半頃より雨降り出す、潮右同じ、地震せず。六日、大雨終日降る、汐は大道より少し下がる、地震ゆらず。七日(522)、曇九ツ時より晴、汐は右同断、地震昼九ツ時頃(1205分頃)ちと強きゆり、夜はゆらず。八日、曇、汐は大道より五寸ばかり下がる、地震昼一度、夜一度。九日、日和、汐は川端の道ひたひた、地震せず。十日、日和、汐は前日の通り、地震昼夜ゆらず。十一日、日和、汐は右同じ、地震せず。十二日、雨天、汐は大道ひたひた、地震夜一度。十三日、日和、汐は大道へ少し上がる、地震なし。十四日、雨天、晩方日和になる、汐は右同じ、地震昼夜二度。十五日、薄曇、汐は右同じ、地震夜一度。十六日、薄曇、汐は大道へ三寸ばかり上がる、地震せず。十七日、薄曇、汐は大道へ八寸ばかり上がる、地震昼二度、夜二度。十八日、曇、四ツ時より八ツ時まで日和、晩景曇出し東風はげしく吹く、汐は大道へ一尺ばかり上がる、地震昼夜五度。十九日、夜の中より雨風はげしく、汐の高さ大道より一尺ばかり上がる、地震昼夜二度。洪水汐のもめ合いにて葛島の堤以前の切れ口の場所又々三十間ばかり切る、介良・大津・高須・稲毛植え付けこれある地石八百五十石ばかり傷み。二十日、昼頃まで雨降る、九ツ半頃より日和、汐の高さ前日の通り、地震昼夜二度。二十一日、日和、汐は右同じ、地震昼一度、夜分二度ばかり。二十二日、日和、汐は右同じ、地震昼夜三度ばかり。二十三日、曇、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震ゆらず。二十四日(68)、日和、汐は前日の通り、昼八ツ時(1440分頃)地震一度、夜の五ツ半時(2200分頃)余程強きゆり、それより夜中少々あて十度ばかり、右五ツ半頃のゆりは御免町より北方角は取り分け強く、八幡・笠の川辺よりは家など傷み道も処により割れ候由。以前浦戸の湊へかかり居る江南舟、十里ばかり沖へ引き出し西方角へ追い払い帰帆の事。二十五日、日和、折々曇、汐は大道たいたい、地震昼夜八度ばかり、その中夜に入り三度。二十六日、日和、北風吹く、地震昼二度、夜七度ばかり、汐は右同じ。二十七日、日和、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震昼一度、夜はゆらず。二十八日、日和、汐は右同じ、地震昼夜四度。二十九日、日和、汐は右同じ、地震昼夜三度。五月一日、薄曇、入梅入る、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震昼二度、夜一度。二日、日和、汐は右同断、地震昼一度、夜一度。三日、日和、汐は大道より九寸ばかり上がる、地震昼二度、夜一度。昼八ツ時頃より曇り出し雷鳴少しあり。四日、曇、汐は大道より一尺ばかり上がる、地震せず。五日(1855618)、朝七ツ半時頃より雷鳴大風雨、五ツ時より雨止み四ツ時より日和、汐は前日の通り、地震昼九ツ半時頃(1325分頃)一度、八ツ時頃(1445分頃)ちと強くゆる、夜に入り二度。六日(619)、日和、汐は右同じ、地震日の出(0455分頃)前一度。七日、薄曇、汐は大道より三寸ばかり上がる、地震昼夜二度。八日、雨天、汐は右同じ、地震昼一度、夜一度ばかり。九日、雨天、汐は大道より五寸ばかり下がる、地震昼夜二度。十日、雨天、汐は前日に同断、地震昼夜二度。十一日、雨天、汐は大道より八寸ばかり下がる、地震昼一度、夜二度。十二日、雨天、汐は右同じ、地震夜一度。十三日、日和、汐は大道たいたい、地震夜二度。十四日、日和、汐は大道へ少し上がる、地震ゆらず。十五日、雨天、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震昼夜二度。十六日、雨天、汐は大道より一尺ばかり上がる、地震昼二度、夜せず。十七日、曇、折々小雨降る、汐は右同じ、地震昼一度。十八日、日和、汐は大道より一尺三寸ばかり上がる、地震せず。十九日(72)、薄曇、折々小雨降る、汐は前日の通り、地震昼七ツ時頃(1720分頃)一度、夜はせず。二十日、日和、汐前日の通り、地震一度。二十一日、日和、汐は右同じ、地震せず。二十二日、日和、汐は小汐故川の道たいたい、地震夜一度。二十三日、日和、汐は右同断、地震せず。二十四日、快晴、汐は前日の通り、地震夜一度。二十五日、日和、汐は前日の通り、地震昼夜せず。二十六日、日和、汐は右同断、地震昼一度、夜二度ばかり。二十七日、快晴、汐は右同断、地震昼一度、夜はせず。二十八日、快晴、汐は大道より少し上がる、地震せず。二十九日、日和、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震せず、大波立なり。三十日、日和、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震昼夜二度、波音強く。六月一日、日和、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震昼二度、夜一度。二日、追っかけ雨にて雨の間は日も照り、大波にて並松の先まて打ち上げる由、当村汐の高さ大道より一尺ばかり上がる、地震せず。下知村の内弥右衛門堤切れる。三日、今日も昨日同断の日和にて折々雨も降り、汐の高さ大道より一尺三寸ばかり上がる、今日の汐甚だ高し、海のふくれ故汐の狂い時々あり。四日、日和、汐は右同断、地震せず。五日、日和、汐の高さ右同断、地震せず。六日、日和、汐大道たいたい、地震せず。七日、日和、汐は右同じ、地震昼一度。八日、日和晩景少し曇りかけ少々夕立、汐は前日の通り、地震少々昼二度。九日、日和、汐は大道より少し下がる、地震昼一度、夜一度。十日、日和、汐は川の道より少し上がる、地震夜二度。十一日、日和、汐は右同じ、地震夜一度。夕立来る、日照り続き居り候場合一同大潤い。十二日、日和、汐は右同じ、地震昼一度。十三日、日和、汐は右同じ、地震夜一度。十四日、日和、汐は大道より少し上がる、地震せず。十五日、日和、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震夜一度。十六日、雨天、追っかけ雨にて風はげしく吹く、汐は大道より一尺二寸ばかり上がる、地震昼夜せず。十七日、風雨共はげしく、当時観音祭にて候得共往来難き程の事にて、汐は大道より一尺五寸ばかり上がる、地震夜三度ばかり。十八日、日和、晩景より俄かに雨降り出し、夜の五ツ時より日和、汐は大道より一尺五寸ばかり上がる、去年大変の時の汐より三寸ばかり高く。十九日、日和、七ツ時頃より雨降り出し、汐は昨日より二寸ばかり下がる、地震夜一度。二十日、終日雨降る、汐は五寸ばかり下がる、地震夜二度。二十一日、日の出前より日の出過ぎ迄雨降り俄かに日和、汐は大道より八寸ばかり上がる、今日はゆらず。二十二日、快晴、汐は大道より五寸ばかり下がる、地震夜二度。二十三日(85)、快晴、汐は川端の道より少し下がる、地震昼七ツ時頃(1710分頃)二度ちと強きゆりなり、夜に入り一度ゆる。二十四日、快晴、九ツ半時頃より俄かに雨降り出すや否日和、汐は川の道たいたい、地震昼一度。二十五日、日和、汐は右同じ、地震昼一度。二十六日、日和、北風吹き出し、汐は大道へ少し上がる、地震夜二度。二十七日、日和、北風吹く、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震昼一度。二十八日、日和、北風凪ぐ、汐は大道より八寸ばかり上がる、地震一度。二十九日、日和、汐は前日の通り、地震昼一度、夜一度。三十日、晴、汐は大道より一尺ばかり上がる、地震夜一度。七月一日、快晴、汐は前日の通り、地震昼四度、夜二度。二日(1855814)、晴、汐は右同断、地震朝五ツ時(0715分頃)に一度。三日、晴、汐は右同断、地震昼一度。四日、日和、汐は昨日より五寸ばかり上がる、地震昼五度、夜はゆらず、暑さ強く。五日、日和、汐は大道より少し下がる、地震昼一度、夜三度ばかり、暑さ甚だしく夜分など寝られぬ程の事なり。六日、晴、汐は右同断、地震せず。七日、日和、汐は右同じ、地震せず。八日(820)、日和、汐は大道たいたい、地震夜九ツ時頃(210010分頃)一度。九日、日和、汐は前日の通り、地震せず。十日、日和、汐は右同断、地震昼一度。十一日、日和、汐は大道たいたい、地震夜二度。十二日、日和、汐は大道より二寸ばかり高く、地震昼四度。十三日(825)、日和、大波立つ、天色違わざれども雨なく、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震朝五ツ時(0720分頃)少し強き、夜に入り二度。十四日、夜の内より風吹き出し次第にはげしく、夜明け頃より雨降りだし昼頃より大風雨。汐は大道より二尺ばかり高く、八ツ時頃より弥増し風強く、家の棟なども古き屋根は皆取られ、芋・綿大傷み、日の入り前に雨止み風も穏やかになり、夜の五ツ頃には平生の通り静か、大潮・大風にて五右衛門堤三ヶ所、弥右衛門堤一ヶ所切れる。。十五日、日和、汐は大道より一尺ばかり上がる、地震夜二度ばかり。十六日(828)、曇、折節日も照り、九ツ時頃より少し雨も降る、それより日和、地震九ツ半頃(1315分頃)一度、夜一度、汐は大道より一尺高く。十七日、日和、汐は大道より一尺ばかり上がる、地震せず。十八日、日和、汐は前日の通り、地震せず。十九日、日和、汐は右同じ、地震せず。二十日、薄曇、昼九ツ時より小雨降り出し、汐は大道たいたい、地震昼二度。二十一日、終日薄曇、汐は川端の道たいたい、地震夜二度。二十二日(93)、朝五ツ頃まで雨降りそれより日和、晩方夕立の如く俄かに雨降り出し雷鳴、夜に入り日和、汐は川の道たいたい、地震昼七ツ時(1650分頃)些分強き一度、夜に入り少々あて二度。二十三日、日和、汐は前日の通り、地震夜に一度。二十四日、晴、汐は右同断、地震せず。二十五日、晴、汐は右同断、地震せず。二十六日、薄曇、折々小雨降る、汐は右同断、地震せず。二十七日、日和、七ツ半頃より俄かに雨降り出し夜中大雨降る、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震せず。二十八日(99)、雨天、朝五ツ時(0725分頃)前地震一度。終日大雨降る、汐は右同じ。二十九日、大雨、九ツ時前より雨止む、北風吹き出し、八ツ時頃より薄日照り、水汐の込み合いにて川の道へ三寸ばかり上がる、地震せず。八月一日、日和、汐は大道より五寸ばかり上がる、地震昼一度、夜一度。二日、快晴、地震夜二度、汐右同断。三日、快晴、地震夜一度、汐は右同断。四日、晩方より曇否夜に入り雨降り出し、汐は右同じ、地震せず。五日(915)、雨天、四ツ時頃より雨強く降る、汐は大道たいたい、地震昼九ツ半時頃(1310分頃)少々一度。

 

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