オバマ政権下の小さな家

 ジョージ・W・ブッシュの政権時代、ローラ・インガルス・ワイルダーは、ホワイトハウスのホームページに、アメリカン・ヒーローと掲載されていた。 リバタリアンだったワイルダーの娘ローズ・ワイルダー・レインも、政治信条が見直されて、敬意を集めるようになった。


一九八十年のレーガン就任以降、アメリカは小さな政府の時代に入り、自由・独立・自己信頼(self-reliance)が強調され、それらを描いた「小さな家」は高い評価を受けてきた。
ところが二〇〇八年、初の黒人大統領が就任して大きな政府へと変革をはかり、小さな政府に終止符が打たれた。 「大きな政府」となって四年余り。「小さな家」は、今、どう評価されているのだろう?



「小さな家」は作家ワイルダーの経験に基づいたフィクションだが、奇妙なことにアメリカでは「アメリカ史」と位置づけられていて、歴史的評価が主流だった。
ところが、オバマ政権下では保守的な政治色の濃い評価が目立つようになった。ティーパーティーなど小さな政府を支持する保守派は、大きな政府への嫌悪感を強めていて、「小さな家」を政治的に捉える傾向を強めてきたのだ。


最初にしかけたのは革新派だった。オバマ就任の半年後、ニューヨークのジャーナリストがワイルダーを政治的視点から取り上げたのだ。その記事は保守派の反発を招き、保守系メディアは一斉に反論を掲載した(詳細は「大きな森」六号の「ニューヨーカーの小さな家」を参照)。

ただこれは例外で、ほとんどの記事は、「小さな家」の自己信頼のポリシーを称賛したり、反ニューディールだったワイルダーやレインの政治信条を「小さな家」にあてはめて、保守派が大きな政府を批判するというパターンが多い。



たとえば、「長い冬」の最終章には、厳しい冬を生き抜いたインガルスが、 「意志さえあれば道は開ける・・・ただ座ってため息ついて、それでほしいものが手に入るわけがない・・・いっしょうけんめいやっていれば、がんばれる、意志さえあれば」
と歌うくだりがある。ロリ・ラロッコはそれを引用して、
「頑張れば厳しい冬でも切り抜けられる。政府の施しにはうんざりだ。ワシントンDCはローラから学ぶべきだ」
と述べている。



また「農場の少年」には、独立記念日にアルマンゾの父さんが、「農場では誰の指図も受けずに自分の思いのままに働ける。自由(free)で、自分の思いどおりに生きて行かれるんだ」
と、アルマンゾに説く。パトリス・ルイスは、「アルマンゾはどこに?」と題した記事で、
「今、人々は違うFreeを追い求めている。責任、失敗、労働からのfree(自由)、政府のfree(無料)の施しだ。イギリスの福祉政策は家庭の崩壊を招き、不登校やニートを産み、犯罪を増加させている。政府に頼って本当の自由を諦めているのだ。アメリカでも自己中心的な個人主義、福祉政策、物質志向のために、個人の責任も勤勉さも聖書の教えも失われてしまった」
と現状を嘆いている。



自己信頼を強調する保守派に対して革新派は、
「インガルスは誰にも頼らなかったと言うが、彼らは農地払い下げ法の恩恵を受けていた。政府が先住民から購入した土地を安価で分け与えたのだから、それは政府の施しだ」
と指摘している。

ところがメガン・クリンなどの保守派に言わせると、それは施しではないらしい。
「ジェファーソンは農夫をもっとも自己信頼の強い人々だと考えていた。だから広大な土地を供給する必要があったのだ。政府が払い下げ法を成立させたのは、自己信頼の実践を可能にするためだった。人々はチャンスを求めて、つまり自己信頼を実践するために西部へ向かったのだ」



ジョージ・w・ブッシュの元スピーチライターで、保守系新聞の編集者のクリンは、ジェファーソンの思想に始まる「自己信頼」の歴史背景を説明してから、ワイルダーが反ニューディールで、共作者だった娘のレインがリバタリアンだったことから、彼女たちの政治信条を「小さな家」に重ね合わせ、ワイルダーを「自由の教師」と賛美している。
「ワイルダーが「小さな家」を執筆したのは、開拓者への賛美だけでなく、大恐慌時代に開拓魂が色褪せて行くのに危機感を覚えたからだ。彼女がもっとも伝えたかったのは、自己信頼である。ある講演でワイルダーは、「小さな家」には黄金の糸のように勇気、独立、自己信頼、誠実、助け合いが貫いていると述べている。この価値感こそ彼女の開拓体験を明確に表している」



クリンはインガルスが半自給自足で食糧をまかない、ローラたちがコミュニティの建てた学校に通い、隣人が鉄道工事現場の老人の世話をしていたのを引き合いに出して、
「開拓地の相互扶助は上から下へのお達しでもなく、おしつけられたものではない、もっと優れたものだ」と称賛している。
政府の介入なしに機能する開拓地のコミュニティは彼女にとって理想なのだろう。フードスタンプやメディケアといった福祉の受給者に批判的で、
「政府への依存は政府の支配力を強めることになる。私たちの敵は自由に生きる必要条件を受け入れないことだ。ローラ・インガルス・ワイルダーを自由の教師と称賛しよう」
と締めくくっている。



保守派が「小さな家」に拍手喝采を送る一方で、「小さな家」を政治的に捉える動きに懸念を示す人もいる。
ワイルダー研究者のキャロライン・フレイザーは、クリンの記事を取り上げて、
「彼女はミネソタの大虐殺も、インガルスの違法占拠にも触れていない。農地払下げ法は自己信頼を実践するためというが、実際は鉄道会社や土地投機家には好都合な法でしかなかった」と指摘している。



「大きな森の小さな家」には、月明かりに照らされたシカの親子があまりに自由で美しく、とうさんは銃を向けることができなかった話がある。フレイザーは、
「その自由と、ティーパーティーのような保守派のいう自由とは異質のものだ、自己信頼にしても同じことが言える。「小さな家」のそれは、エマソンのいう自己信頼に近い」 と、反論している。


また、ワイルダーがニューディールに反対して民主党から共和党に鞍替えしたのは、不作のために飢餓と借金に追われ、ダコタを去らなければならなかったワイルダーにしてみれば、価格安定のために政府の計画どおりに作物を植えるなど、我慢ならなかったからだろうと推測している。



自然保護運動に関心を持つフレイザーは、「小さな家」の自由の象徴でもあるオオカミについて、
「オオカミはローラを魅了した。農婦だったワイルダーはオオカミから農場を守ろうとするだろうが、サラ・ぺイリンのようにヘリコプターから射撃してオオカミ狩りを楽しむことも、保守派のように金儲けに大自然を食いものにすることにも興味がないだろう」
と述べている。 サラ・ぺイリンは二◯◯八年の共和党の副大統領候補で、「小さな家」のファンで知られる。
それに対して保守派は、「フレイザーは保守というものをわかっていない。保守派は自然保護の立場を取っている」と両者は平行線をたどるばかりだ。



こういった保守派の動きに私が違和感を覚えたのは、彼らの「自己信頼」の捉え方だった。「大草原の小さな町」には、記念式典に参加したローラが、 「自由とは自分の良心に従うこと」だと目覚める話がある。
「自己信頼」(self-reliance)という言葉は、独立自尊、自力本願とも訳されるように、「自由」や「独立」と関連づけて使われる。だから私は「小さな家」のいう自己信頼とは、「自分の良心に従って判断すること」「長いものに巻かれないこと」 「自分を信頼すること」 だと思っていた。


ところが、保守派にとって自己信頼とは「誰にも頼らない」という意味らしい。メガン・クリンは、 「西部に生き残った人々は、たくましい精神力の持ち主で、創意工夫に富み、協調性があった。そうでない人々は東部に引き返した」と述べている。
でも、それ以上、引き返した人々には触れていない。おそらく、西部で生き残れないような弱者は、眼中にないのだろう。



西部で生き残れたのは、インガルスのような強い人々だった。「小さな家」は、その強い人間の視点から描かれた作品だ。だから、弱肉強食のアメリカで人気があるのだろう。
「小さな家」の西部は、人種差別も飢餓に苦しむ人たちもいない架空の西部だ。そこに暮らす人々は自由で独立心に富み、政府の介入なしでもやっていける素晴らしいコミュニティを築いている。まさに理想のアメリカだ。


でも、架空の西部に暮らした、創作上のインガルスを例にあげて、現実でもそうあれと言われても、絵空事でしかないと思ってしまう。なぜなら、史実のインガルスは政府の施しを受けていたからだ。政府の援助なしにメアリーは盲学校へ行くことはできなかった。
反ニューディールのワイルダーと共作者のレインは、その事実を伏せていた。
ある保守派によるワイルダーの伝記も、史実のインガルスがバッタの襲来を政府の援助を受けずに切り抜けたと称賛していながら、メアリーが政府の援助を受けていたことは伏せている。


共和党のミット・ロムニーに指名された副大統領候補ポール・ライアンは、十代で父を亡くして、家族は政府の援助を受けていた。彼はオハイオの州立大学を卒業した。州立大学は納税者の血税で運営されている。それなのに政治家になると政府の援助を否定して、小さな政府を支持するようになった。 おそらく彼も「小さな家」を称賛するだろう。



でも、「小さな家」のインガルスは、受けた恩は必ず返していた。ライアンとは違う。それにフレイザーの言うように、野生のシカにみる自由も、ティーパーティーの言う自由とはまったく異なる。だから、「小さな家」の自由と保守派のそれとは異質のような気がする。
でも、「小さな家」はワイルダーとレインの合意の上に書かれた作品なので、極右のリバタリアンだったレインの思想を想うとき、何か引っかかるものを感じてしまい、力強く断定できないのも事実である。 

 

でも、ローラファンにしてみれば、どうでもいいことだと思う。東京のローラファンの集いの時に話したけど、皆、興味なさそうだった。
「小さな家」を振りかざして、自己信頼だとか、自由だとか騒いでいる人たちって、薄っぺらいファンに思える。突然、「小さな家」を褒め称えるようなこといっても説得力がない。アメリカのファンも怒っていたけど、「小さな家」を利用しているだけという印象を受ける。

マスコミが飛びつきそうな話題だから、日本でも、「昔からファンでした」とかいう人が出て来て、アメリカの動きなどを雑誌に書いたりするかもしれない。注目を集めたり売れるように書くのだろうから、内容はたいしたことないだろうけど、日本での動きを知るうえで、そういう人間やマスコミの反応を見るのは興味深い。

アメリカでも日本でも、ほんとうに「小さな家」の好きな人は昔から地道にやっていて、他のファンの間でも知られている。かつて「小さな家」を利用した人たちは、人も仕事も消えてしまった。

オバマ政権下で、「小さな家」がどう捉えられているかを知るのは興味深いし、記録として残しておくべきだと思うけど、この記事をまとめるのはしんどかった。退屈で。


追記
バッタの襲来後、実在のインガルスは生活に困窮していたため、一八七五年十一月末、政府の救済制度に申請して、五ドル二十五セント相当の小麦粉を受け取っていたのが最近明らかになった。 インガルスはメアリの進学にあたって州政府から財政的な援助を受けていた。保守派の人々は、政府に頼らない「小さな家」シリーズの独立自尊の精神を賞讃してきたけれど、この事実をどう受け止めるのだろう? それにワイルダーやレインはなぜその事実を隠してまで、反ニューディールを唱え、独立を強調しようとしたのだろう?


©服部奈美 All Rights Reserved