多言語状況の比較研究

第7回研究会記録


 

【日時】

2010年7月10日(土)13:30-18:30

【場所】

AA研マルチメディア会議室(304号室)

【報告1】

古閑恭子(AA研共同研究員、高知大学)「ガーナにおけるアカン語使用の拡大」概要報告本体

【コメント】

塩田勝彦(AA研共同研究員、大阪大学)

【報告2】

藤井久美子(AA研共同研究員、宮崎大学)「中国語圏において『華語』が果たす言語政策的役割」概要報告本体

【コメント】

佐野直子(AA研共同研究員、名古屋市立大学)

【報告3】

亀井伸孝(AA研共同研究員、大阪国際大学)「手話をめぐる多言語状況の問題群」概要報告スライド

【コメント】

木村護郎(AA研共同研究員、上智大学)

【研究会概要】

 古閑氏の報告では、ガーナにおける最大言語であるアカン語が話し言葉としては拡大し続けており、英語に対抗する土着の国語とすべきとの主張も存在しながら、統一正書法の試みの失敗など、書き言葉としては定着せず、英語の独占が続く状況が報告された。塩田氏によるコメントでは、問題はむしろ方言差の大きさにあるのではないか、また、その言語の書き言葉としての発信力の問題も考察されるべきではないかとの指摘があった。

 藤井氏の報告では、近年中国語圏でしきりに用いられるようになった「華語」という用語について、シンガポールにおいて中・台の対立関係から中立的な概念として用いられてきたこの用語が、近年中国、台湾では、自国の標準語(書記法)を世界の標準中国語として通用させようという意図が見受けられ、また、同時に「華語」というゆるやかな名称を用いることで大きな「華語圏」を形成しようという意志も感じられる、ということが指摘された。佐野氏のコメントでは、ヨーロッパ的な確固とした境界を持った「言語」という概念を相対化する考え方として興味深いが、同時に対外的支配という側面もあるのではないか、とのコメントがあった。

 亀井氏の報告では、1)手話が自然言語であること、2)手話が数々の音声言語と並立する形で「多言語状況」を認識してはならないこと、が強調され、西アフリカの手話言語をめぐる問題を紹介しつつ、音声言語と手話言語がまずまったく別個のものとしてとらえられた上で、それぞれの中の「多言語状況」が認識されなければならず、その上で現実的な解決方法が検討されるべきであるとの考えが示された。木村氏からのコメントでは、手話言語と音声言語をまったく別次元のものとして切り離すことが妥当か(音声対応手話の問題など)、音声言語の多言語状況に関わる問題の枠組みと手話言語に関する問題の枠組みの対応関係をパラレルで考えることは妥当か、という問いかけがなされ、活発な討議がなされた。

(砂野幸稔)
 

【各報告概要】

<報告1>

ガーナにおけるアカン語使用の拡大
 ガーナは、70以上の言語が使用される多言語国家である。これらの言語は、ガーナ土着の言語でない英語とハウサ語、ガーナ土着の言語である部族語に大別される。部族語のうちアカン語は、話者数、使用領域において他とは別格である。使用人口は母語話者だけで人口の44%、これに加え相当数が第二言語として使用する。このためアカン語は、南部を中心とする国土の半分ほどの領域で、地域共通語としての機能を担ってきた。
 近年、アカン語は勢力をさらに拡大し、ガーナ全土で使用されつつある。このため、アカン語を国語にしようという意見も、しばしば出されている。おそらく、独立国家の公的機能を果たす部族語としての役割が想定され、1950年代、統一正書法によるアカン語の標準化が試みられた。それまで、アカン語は9方言のうちアサンテ方言、アクアペム方言、ファンテ方言の3方言が別々の正書法を持ち、そのためこの3方言のみが標準語とみなされていた。統一正書法は1960年代に完成したものの、この普及は完全な失敗に終わっている。統一正書法は、一般人に全く認知されていないし、これで書かれた出版物は、ただ一冊の賛美歌集に限られている。
 ガーナの人々は、必要に迫られた時、どのようにアカン語を書き、読むのかというと、母音や子音の混同や個人的な癖も加わった、多種多様な書き方が混在しており、読む際にも、すらすらと読める人はまれで、文字は言語音を再生させるための記号というよりも、それを想起させる手がかり程度の役割しか果たしていない。こういった話し言葉と書き言葉の乖離は、正書法自体の問題というよりも、アカン語が書き言葉に結び付かないこと、アカン語を始めとする部族語で読み書きすることなど無意味だと多くの人が感じていること、このような事情を知っている書き手がより多くの読者を求めて英語で書きたがることに原因があると思われる。
 こういった実情にも関わらず、話し言葉としてのアカン語は、ますます勢力を広げている。この背景には、メディア、特にラジオ放送での活発な使用がある。この十数年の間に、アカン語のテレビ、ラジオでの使用は急増しただけでなく、非常に洗練されてきている。またこういったアカン語による放送は、ガーナの人々の間で高い人気を博している。
 書き言葉が定着せず、話し言葉としても書き言葉としても標準化されないまま、アカン語がこの先拡大を続けるのか、もしそうであれば、どういったバリエーションが標準的な機能を担うようになるのか。今後も注目したい。

(古閑恭子)

<報告2>

中国語圏において「華語」が果たす言語政策的役割
 2010年5月、『全球華語詞典』(A Dictionary of Global Huayu (Chinese Language))(李宇明主編、商務印書館)が出版された。これは「中国大陸、香港、マカオ、台湾、シンガポール、マレーシアなど」で使用される「華語」(同書による定義:「普通話を基礎とする全世界華人の共通語」(前言より))を扱う、地域を超えた初めての辞書である。
 そもそも、「華語(Mandarin / Chinese)」とは何かといえば、北京語音を標準とする標準中国語の呼称のひとつである。中国大陸では「普通話」、台湾では「国語」、また、言語学では「漢語」といわれるが、東南アジアの華僑・華人と、全世界で2200万から3000万に達すると推定されている海外華僑・華人の間では「華語」と呼ばれる。一般的には「普通話」「国語」「華語」の三つは同義であるとされるが、言語政策に果たす役割という点からみれば、これらは区別されるべきであると考える。
 標準中国語を指す多くの呼称の中で、「華語」ということばは、早くは8世紀初頭の歴史家・劉知幾の『史通』で「夷(音)」「夷(言)」と対照的な存在として用いられている。老舎は1941年に「華語」ということばを用いているが、ここでは英語と対照されている。広く知られる「華語」の用法としては、独立後のシンガポールで「国語」に代えて「華語」が用いられた例があるが、70年代から80年代にかけてのシンガポールの経済発展に伴い、「華語」ということばは世界に広がっていった。中華人民共和国の郭熙は「華語」ということばの使用についていくつもの研究論文を発表しているが、その中では、「華語」の地位を確立する意義の一つとして、華人のコミュニケーションと漢語の健全な発展への貢献を挙げ、漢語の世界的な広がりとそこで生まれた漢語の多様性への容認を示した。他に、シンガポールで「華~」を用いる理由として、①居住する地域内で他のグループとは差別化し、自グループの団結を強める効果、②中国と切り離す効果(リークワンユー首相(当時)はたびたび「我々は華人であって中国人ではない。」と強調していた)を指摘し、近年は台湾でも一部の人々の間でシンガポールのような「国」に代えて「華」を用いる現象がみられるとした。「華」は「国」「中」「漢」と比較すると曖昧な分、必要な部分を含んで言い得て妙であるということができると述べている。中華人民共和国でも「国」の復興がみられる一方で、国際化のもとで「華」の使用も増えているというのである。
 今回の発表では、「華語」ということばの果たす言語政策的役割を次のように結論付けた。

  1. シンガポールなどの華僑・華人が多く住む国家では、「唐○○」などと同様に、中華人民共和国・台湾(中華民国)のどちらの派閥にも属さない中立的な概念として「華語」という言葉が用いられている。
  2. 台湾、中華人民共和国では、当初は「華語」は「中文」などと同じく、国内で推進する標準語(「国語」「普通話」)とは別に、対外向けに用いられた言葉(=対華僑・華人、対外国人)であったが、「華語」の指す内容が抽象的であるがために、現在の中華人民共和国や台湾では、中国語教育などを通して自国の標準語(例:「普通話」「国語」)を「華語」として発信・推進し、将来的には中国語圏の標準中国語から世界の標準中国語にしたいという思惑が見える。
  3. 「華語」という名称で緩やかに示される中国語の世界を作り、その範囲を拡大することで、「華語」圏としての統合を図ることが想像されるが、その場合に「華語」圏のリーダーは誰か、ということについては、現時点では、数年間で孔子学院を世界に拡大した中華人民共和国が他よりも数歩先んじているといえる。
今後の課題としては、中華人民共和国の華僑政策と「華語」ということばの使用との相関に着目したいと考えている。
(藤井久美子)

<報告3>

手話をめぐる多言語状況の問題群
 ろう者の手話は固有の文法をそなえた自然言語で、地域により異なる諸言語である。このことが知られるようになってから、手話を多言語社会論のなかに位置づけて議論する風潮が生まれるようになった。ただし、手話に関わる固有の事情が、しばしば見過ごされていることがある。手話を音声少数言語と比較したとき、その固有の課題をおもに4点に分類できるであろう。 

  1. 手話言語集団に参加し始め、かつ、参加し続けることの契機は、「耳が聞こえないこと」という身体条件である
  2. 身体条件ゆえ、音声言語集団に同化することが困難である 
  3. 正書法をもたず、ろう者の多くは多数派の書記言語を使う
  4. 身体条件の違いゆえに「障害者=能力の欠損者」という扱いを受ける
 たとえば、自身の外国留学経験をもとに「音声言語がわからないろう者の気持ちがよく分かる」と述べる聴者がいるが、これは適切なたとえでない。聞こえる人は、未知の言語に囲まれた時につかのまの孤独を経験するが、少しずつ音声言語を習得することができる。しかし、ろう者は時間が経っても、努力しても、聞こえるようにはならない。身体的に同化しようのない言語を強いられ続ける苦痛とむなしさがある点は、音声少数言語の話者と大きく異なる点である。
  このことは、手話にまつわる多言語状況を考えるときも同様である。「音声言語と手話の関係」について考えるとき、聞こえない身体に音声言語の習得や使用を求めるのはきわめて困難である点に注意したい。同化の可能性以前に、両言語が混ざりあえない現実を受け入れて、共存を図るよりほかにないと言えよう。一方、「手話言語どうしの関係」はそれとは異なる。たとえば、ある国のろう者にとって、他国の手話はとっさには理解できないが、学習すれば理解できるようになる諸言語である。手話言語どうしの関係を分析するときは、同化の可能性や言語間の差別、消滅の危機、言語保持など、音声言語の多言語社会論の概念や経験、枠組みを、ほぼそのまま使うことができる。
  複数の手話と複数の音声言語が混在する多言語状況を扱う時、すべての言語を「多言語」として並列してあつかうことは、手話の固有の課題を軽視することにつながるであろう。「音声諸言語」と「手話諸言語」にまず大別し、(1) ふたつのグループの間の関係の検討、(2) それぞれのグループ内の諸言語の関係の検討、の2段階で分析を行うことが望ましい。
  今日、アフリカ各地において手話言語研究が試みられ、手話の記載、命名、言語政策における認知などが進んでいる。一部の国では、公用語に手話を含める政策も見られる。ただし、そこで「どの手話を公用語に採用するか」という課題に直面し、ろう者も手話研究者も、「手話の世界のなかの多言語状況」に正面から向き合うことを求められる。
  アフリカにおいては、外国人研究者がしばしば特定の民族語の変種にお墨付きを与え、権威づけてしまうことがあった。アフリカにおける手話言語の調査を進めていくに当たり、音声言語研究においてしばしば見られたこのような事例を参照しつつ、現地の言語集団の文化や歴史を勘案した丁寧な関与が求められるであろう。

【参考文献】

  • 亀井伸孝. 2004.「言語と幸せ: 言語権が内包すべき三つの基本的要件」『先端社会研究』(関西学院大学21世紀COEプログラム) 1: 131-157. 
  • 言語権研究会. 1999.『ことばへの権利: 言語権とはなにか』東京: 三元社. 
(亀井伸孝)
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