多言語状況の比較研究

第3回研究会記録


 

【日時】

2009年2月14日(土)13:30-18:30

【場所】

AA研マルチメディア会議室(304号室)

【報告1】

神谷俊郎(AA研共同研究員・大阪大学他非常勤)「ポスト・ポスト・アパルトヘイト期の言語事情-南アフリカの理想と現実」概要報告本体

【コメント】

品川大輔(AA研共同研究員・名古屋大学文学研究科gCOE研究員)

【報告2】

品川大輔(AA研共同研究員・名古屋大学文学研究科gCOE研究員)「ケニアにおける多言語状況 -<スワヒリ語>をめぐる言語政策、言語教育、言語使用」概要報告本体報告スライド

【コメント】

神谷俊郎(AA研共同研究員・大阪大学他非常勤)

【報告3】

李守(AA研共同研究員・昭和女子大学)「朝鮮族の<bilingualism>からみた中国の<multilingualism>」概要

【コメント】

フフバートル(AA研共同研究員・昭和女子大学)

【研究会概要】

 二件がアフリカ、一件が東アジア(中国の朝鮮族)についての報告だったが、それぞれ大きく異なった背景を持ちながら、支配的言語(それぞれ英語と中国語)の覇権の前に民族語がゆらいでいる状況が印象的に浮かび上がってきた。

 南アフリカではアパルトヘイト廃絶後の新しい理想のひとつとして掲げられた11公用語政策という多言語主義政策が、現実には失速しつつあり、ケニアでは英語と並ぶ公用語であるはずの標準スワヒリ語が、実際には低いプレスティージしか持ち得ていないだけでなく、建前としての「母語」教育も機能せず、ともに英語の存在感がますます増大するように見える。ただ、神谷氏はインターネットの普及がアフリカ諸言語に新たな発展の場を与える可能性を示唆しており、品川氏は標準スワヒリ語ではなく口頭言語として拡大しつつある一種の混交言語「シェン」の可能性を示唆している。

 日本の傀儡国家「満州国」の消滅によって置き去りにされた中国の「朝鮮族」は、その後も文化大革命などの歴史の変動に翻弄されつつ自らの言語を維持してきたが、近年、一方では都市化や韓・日への流出などによる均質的生活圏の解体、他方では2001年に普通話を「国家通用語」と規定した中国政府の漢語化政策によって、言語の維持継承の土台がゆらいでいるという。フフバートル氏のコメントでは、内モンゴルのモンゴル語にも同様の問題が迫っているとのことだった。

(砂野幸稔)

【各報告概要】(報告者自身による)

<報告1>

ポスト・ポスト・アパルトヘイト期の言語事情-南アフリカの理想と現実
 1994年の民主化に伴い、南アフリカ共和国はそれまでの英語とアフリカーンス語に加え、9つの黒人言語を公用語に指定した。現行憲法上は、これら11言語は法的に平等な地位にあり、政府はアパルトヘイト下では虐げられてきた黒人言語の保護育成に努めるべし、と謳われている。しかしながら、民主化から15年を経た現在の南アの言語事情は、憲法に描かれた高邁な理想からは程遠い状態に留まっている。解放によって自由を得た南アは、どういうわけか経済政策にも自由主義を導入してしまい、貧富の格差はアパルトヘイト終焉直後の頃よりもさらに広がってしまった。そして、言語政策もいわばlaissez faireのままに放置され、弱肉強食理論の当然の帰結として、「英語の独り勝ち」状態が生み出されつつある。現在、国家の公用語としての役割を果たしているのは、事実上英語のみであり、かろうじてアフリカーンス語が局地的に「準公用語」的地位に留まっているという状態である。政府が、その他の黒人言語の「保護育成」への努力を払っている様子はほとんど伺えない。国家の多言語政策を司るべく設立されたはずのPANSALB(汎南アフリカ言語委員会)は明らかに機能不全に陥っており、Toothless Watchdogとまで揶揄されている。アパルトヘイト時代の白人政府は、黒人言語を恣意的に分類/細分化し、支配と統率の方便として利用してきた。また、かつて白人政府が黒人社会に対してアフリカーンス語の使用を強制しようとしたときには、ソウェト蜂起という強烈な反発を引き起こした。このため、黒人社会には「英語こそ抵抗と解放のための言語」という意識が根付いてしまい、現在では「教育」「社会的地位向上」「科学技術」(そして「コスト削減」)のための、選択の余地のない言語としてその地位を強固なものにしつつある。 ともあれ、政府が今後も自由放任的な言語政策(の無策)を続ける限り、社会の「英語化」はますます進み、人々はますます英語使用に傾斜してゆくであろう。一方で、十分な英語力を身に付けることができなかった人々は、ますます社会の周縁に追いやられてゆくであろう。それでは、黒人言語の巻き返しの可能性はあるのだろうか?可能性として発表者が注目するのは、インターネット上における言語選択/使用である。インターネットは、各個人が好みの書記言語で情報発信/受信することができる仕組みである。IT化社会は南アでも猛然たる勢いで構築されつつあり、近い将来には一般庶民の多くがパソコンや携帯端末をつかって通信しあうようになるであろう。そのとき、南アの黒人たちは、情報の遣り取りの道具として、どの言語を選択するのであろうか?ホームページは、生活に必要な情報が得られるほど十分に作成されるであろうか?人々は、e-メール、ブログ、掲示板の書き込みに、ズールー語やソト語やヴェンダ語を使うだろうか?黒人言語を使用したOSやアプリケーションは、開発に値するに十分なシェアを得ることができるだろうか?それとも、英語による大量の情報の波に飲み込まれ、南ア社会はただひたすら英語化社会への道を邁進することになるのだろうか?

(神谷俊郎)

<報告2>

ケニアにおける多言語状況 -<スワヒリ語>をめぐる言語政策、言語教育、言語使用
 本報告の目的は、東アフリカ、ケニア共和国における近年の言語状況を、できうる限り多角的に提示することである。ある地域の「言語状況」を十全に記述、分析するために扱うべきトピックは、当該地域で行われている諸言語の言語学的な記述(§ 1)はもとより、言語政策(§ 2)、言語教育(§ 3)、さらには実際の言語使用(§ 4)等々と多岐にわたるが、いずれの議論においても欠くことのできない位置づけにある「スワヒリ語」を中核的な視座に置くことで、各トピックにかかる諸現象を有機的な連関のなかに位置付け、ケニアの多言語状況をひとつの動態として提示することを試みた。国際SILによる言語データベース「エスノローグ」(Gordon, 2005)によれば、ケニアにおいて行われている言語の総数は61であり、このうち英語等の外来の言語を除く52言語が土着の言語(以下「民族語」)としてリストアップされている。これら諸民族語は、アフリカ土着の大語族(phyla)のうちコイ・サン語族を除く3大語族、すなわちアフロ・アジア(クシ系)、ナイル・サハラ(ナイロート系)、そしてニジェール・コンゴ(バンツー系)の各語族に大別される。§ 1「ケニアの言語概観」においては、現在ケニアにおいて話されているこれら民族語の、地理的分布、話者数等の統計、さらには言語形式上の諸特徴について概観した。 § 2「言語政策」、§ 3「言語教育」においては、現行の公的言語に関する位置づけ、すなわち国語(national language)としてのスワヒリ語、公用語(official languages)としてのスワヒリ語および英語という体制について、現行憲法ならびに新憲法草案(通称Bomas draft)にあたって確認するとともに、実際の言語使用状況において、少なくとも規範としてのスワヒリ語(標準スワヒリ語)のprestigeが、英語のそれに比して、劣勢の状況にあることを述べた。この状況を形成する背景要因として、1) ケニアにおけるスワヒリ語の伝播の歴史ならびにその規範の形成過程、2) 言語教育における標準スワヒリ語の位置づけ、の2点を示し、その詳細について論じた。また、しばしば「民族語」使用状況に重要な影響を及ぼすと見做されている(cf. Brenzinger 2001)「母語(Mother Tongue)」教育について、それが現状ではほとんど機能不全に陥っている実情を実例とともに示した。§ 4「言語使用」において、非都市部、都市部それぞれの言語使用状況を報告し、最後に § 5「展望」として、ケニアにおける、あるいはケニアの「スワヒリ語」の行方について、標準スワヒリ語、都市的混合言語コードとしての「Sheng」(cf. Shinagawa 2006, 2007)の双方を射程に含みつつ論じた。

(品川大輔)

<報告3>

朝鮮族の<bilingualism>からみた中国の<multilingualism>
 中華人民共和国(以下、中国)は56の民族で構成される多言語国家である。諸民族の平等(言語、文字使用の自由も当然ふくまれる)は憲法で保障され、漢族をのぞく55の少数民族が居住区域別に自治を行使している。朝鮮族は遼寧省、吉林省、黒竜江省(東北三省)および内モンゴル自治区東部の各地に居住し、1,923,842(2000年度国勢調査)の人口をかぞえる。朝鮮族を主体とする自治がおこなわれているのは、吉林省に位置する延辺朝鮮族自治州(人口214万人のうち朝鮮族84.2万人)と長白山朝鮮族自治県(同8.5万人のうち1.4万人)である。自治州の首府である延吉には、幼稚園から大学まで、朝鮮語による教育体系が構築され、朝鮮語による報道機関と出版社が集中し、漢語(いわゆる中国語)の大海のなかで、朝鮮語が維持、継承されうる基盤がある。憲法と民族区域自治法で保障された民族語の使用と発展の自由は、しかしながら、紆余曲折をへて今日にいたっている。1950年代後半からはじまる無謀な経済政策と、文化大革命が収束する1970年代後半までの約20年間、少数民族の権利は蹂躙され、民族語による教育の自由が否定された。ヌルハチに起源をもつ清朝発祥の地として、人がたちいることのできない封禁の地であった中国東北部に、漢人の移住がはじまったのは17世紀なかばからである。朝鮮人の同地方への大量移住は1860年代からはじまり、「満洲国」時代は「開拓移民」として流入しつづけ、1945年時点で、170万の人口をかぞえるにいたった。同国は、相互の交流はとぼしいながら、日本語、朝鮮語、漢語、満州語、モンゴル語がはなされる多言語国家でもあった。同国の崩壊と国共内戦、および建国をめぐる混乱のなか、約60万人が朝鮮に帰還し、110万人が中国内の朝鮮族として定住を選択し、今日にいたる。朝鮮族の分布は延辺朝鮮族自治州のような集住地区と、東北三省と内モンゴル自治区東部の広大な地域に点々とちらばる散在地区とに大別される。改革開放時代をむかえ、散在地区では、均質的な朝鮮語の生活圏が解体しつつある。国内の大都市、あるいは韓国、日本をはじめとする国外へと、人口流出がつづくためである。さらには、漢語すなわち普通話(putonghua)が、少数民族自治区域でも国家通用言語として普及するよう言語法(2001年)がさだめられるなど、少数民族言語をとりまく環境はきびしい。文革終了後、自治州における朝鮮語の標準発音、書写基準などをさだめた『朝鮮語規範集』(1977年)が発表され、『延辺朝鮮族自治州自治条例』(85年)、『延辺朝鮮族自治州語言文字事業条例』(88年)が制定されたことで、朝鮮語のインフラがととのいつつあった。文革のときのような、あからさまな民族語軽視は影をひそめたものの、国家通用言語としての普通話(漢語)と双語(bilingualism)教育の普及がうながされるなか、朝鮮語の維持・継承はかつてなくおびやかされている。

(李守)