多言語状況の比較研究

第2回研究会記録


 

【日時】

2008年10月25日(土)13:30-18:30

【場所】

AA研大会議室(303号室)

【報告1】

梶茂樹(AA研共同研究員・京都大学)「言語はみんな少数だ - アフリカから見る言語と社会」概要報告本体

【コメント】

砂野幸稔(AA研共同研究員・熊本県立大学)

【報告2】

柘植洋一(AA研共同研究員・金沢大学)「文字は誰のものか? - エチオピアの無文字言語の文字化をめぐって」概要報告本体

【コメント】

乾秀行(研究協力者・山口大学)「柘植報告へのコメント」

【報告3】

若狭基道(AA研共同研究員・明星大学非常勤)「ウォライタ(エチオピア)の多言語使用状況」概要報告本体

【コメント】

乾秀行(研究協力者・山口大学)「若狭報告へのコメント」

【研究会概要】

 今回は三件ともアフリカに関する報告だったが、そのおかげで欧米など規範化された書記言語が存在することを前提に語られる「言語問題」とは異なった角度から「言語」について考えるひとつのきっかけをつかめたように思う。あらためて浮かび上がってきたのは、言語を書記化することはその言語と社会にとって何を意味するかという(ある意味では古い)問題である。「多言語」状況について考えるとき、再度問題化する必要のあるテーマではないかと思う。

 梶氏による報告では、英語、フランス語、ドイツ語、日本語などのように、一つの標準モデル(書記化された)を何百万、何千万もの人が共有していることを当然のように受け止める言語観は非常に偏ったもので、実は世界の言語のほとんどが「少数」の話者によって維持されているのであり、とくにアフリカにおいては、国家の言語が他の「少数」言語を抑圧的に駆逐するのではなく、「多部族、多言語」の共生的関係が成り立っているということが主張された。それに対しては、アフリカにおいても急速に進行する都市化が状況を変えつつあることにも注目すべきではないかという指摘もあった。

  柘植氏による報告では、アフリカでは例外的に古くから独自の文字を持ち、19世紀からの近代化の過程でアムハラ語が「国語」として整備されたが、同時に書記言語としては未整備か整備が遅れている80を超える言語を有する多言語国家であるエチオピアの言語をめぐる歴史と現状が紹介され、1990年代から「多言語」政策に移行することで、アムハラ語以外の言語の書記言語としての整備と使用が試行され始めていることが報告された。 

 また若狭氏による報告では、エチオピアでは相対的少数派だが、100万を超える話者を有するウォライタ語の現状についての紹介があり、「少数派」とはいえ、アムハラ語の影響を受けつつも、衰退することなく言語使用が維持されていることが報告されるとともに、近年、「母語教育」の流れのなかでウォライタ語も書記化され初等教育にも一部導入されつつあること、その一方で異なった言語変種の人為的な「標準化」が暴力的紛争を生み出すまでの問題となったこともあったことが紹介された。 

 両氏の報告に対する乾氏からのコメントとして、アムハラ語に次ぐ大言語であり、対アムハラ語言語ナショナリズムの傾向も見られるオロモ語地域においても、町の中心部ではアムハラ語が支配的である一方で、非常に「小規模な」言語であるバスケト語でも、町ではアムハラ語の影響が大きいが村落部ではバスケト語がよく維持されていること、しかし、道路の整備や人口増などの社会的状況の変化が言語についても状況を流動化させていることなどが紹介された。

(砂野幸稔)

【各報告概要】(報告者自身による)

<報告1>

「言語はみんな少数だ - アフリカから見る言語と社会」
 国際SILによれば、現在世界には6912の言語が話されている。この6912という数に対しては、数え方が多いすぎると言う人もいれば、少なすぎると言う人もいるが、本報告では、これをひとまず認めて話を進める。世界の6912の言語について興味深いことは、平均の話者数は828,105であるが、その中央値は7,000であるということである。われわれは言語というと、英語やフランス語、あるいは韓国・朝鮮語、中国語、ベトナム語、カンボジア語、タイ語など、国名に一致した言語名を持つものを思い浮べるが、実はこれら、われわれが通常、言語、つまり外国語と認識しているものは、世界的に見れば、非常に例外的な言語である。明文的に規定されているかいないかに関係なく、実質的に国の国語(あるいは公用語)という地位を享受しているからだ。しかし、国というのは世界に200弱しかない。それに対して世界の言語は7000弱ある。200を7000で割ると2.857%である。つまり、世界の言語の圧倒的大部分は、われわれにとって、その名前さえも知られていない存在なのだ。そして、世界で100万人以上の話者数を持つ言語は347で、これは全言語数6,912のわずか5%にすぎない。世界では一般に、言語というのはサイズが小さくて数が多いというのが基本であるということを確認して、小さくてもその存在と存続を可能にするものとして、アフリカでの多言語使用と部族共生の原理について報告した。アフリカの多言語使用には水平的多言語使用と垂直的多言語使用とがある。水平的多言語使用とは、一つの地域社会、あるいは国において、いくつもの言語が平面上に並んで話されている状態を指す。通常は、部族語(地方語)のレベルのものを指す。そしてアフリカ人は、部族周辺地域あるいは多部族混住地域では、通常、地域共通語を用いてコミュニケーションを行う。そして、比較的大きな共通語は、国によっては国語と呼ばれることもある。例えば、コンゴでは、ルバ語、コンゴ語、スワヒリ語、リンガラ語が国を4分する格好で用いられており、これらが国語と呼ばれている。国語は必ずしも一つではない。地域によっては、より狭い範囲での共通語も生じている。アフリカには、また、いわゆる公用語と呼ばれる言語があり、これが行政、司法、学問など公的な領域で用いられている。アフリカではこれは通常、旧宗主国の言語がその役割を担う。そして国全体おける共通語がない場合は、これが共通語としての役割を果たす。このようにアフリカでは、下から、部族語、地域共通語(=国語)、公用語というふうに、言語が層をなし、人々は状況に応じてこれらの言語を使い分けている。これが、ここで言う垂直的多言語使用である。アフリカには多様な民族が住んでいるが、一般に、集団の人数の多い少ないは直接、優劣には関係しない。これを人類学者、富川盛道は、アフリカでは部族は部族において対等であると言う。富川自身の言葉では、アフリカは、「数百万の人口をもつ部族も、わずか数万人の部族も、一般的には、等価の集団として、対等に認知し合い、共存なしうることが許されてきた社会である」ということになる。富川はタンザニアのサバンナに住む牧畜民ダトーガ族を長らく調査したが、そこでは、各部族は、それだけで孤立しているのではなく、他者の存在を前提に成り立っていると言う。翻って、日本やヨーロッパなどの社会では、それぞれ日本語人、フランス語人、英語人(大和族、フランク族、アングロ・サンクソン族と言うべきか)といった大きな集団が中央にいて、国内にいる他集団を周辺に押しやっている。これら大きな集団は国内に他者がいることは認識していても、彼らにどういう価値があるか分からない。また少数者側にも、自らの他者に対する価値をアピールすることがない。従って、異質で価値のないものは、存在すること自体に意味がないということになって、その存在を打ち消す方向に行く。それに対して、アフリカにおいては、自分と違うものの価値を認める社会である。富川は、アフリカにおけるこのような関係を「部族本位制」と呼んだ。富川は、ここで「部族」という用語を用いるが、これは彼の言う「民族」とは異なるものである。富川によれば、民族というのはヨーロッパで成立したものであって、それは、「人口の増大、部族間の融合、階層や職業のいっそうの分化などの社会的規模の拡大」によって、「部族レベルの文化統合よりも、もっと集中原理に傾いた、強力な」ものである。これを富川は、「民族本位制」という。それは、アフリカのように、部族は部族において対等であるという世界とは異質な世界である。本報告で私が述べたことは、アフリカで行われているのは、お互いが他を尊重して生きる姿である。尊重し合っていればこそ、人数が多くても少なくても、それぞれが普通に生きていける。このような考えは楽観的すぎるという批判があることは、私も承知している。しかし私の見るアフリカ人の最も特徴的なことは、その陽気さ―と言って悪ければ―、普通に人間として生きている、その姿である。少数民族や、少数言語が多いと言えば、なんとなくみんなしょぼくれているのかと思うかもしれないが、そんなことは全くない。もし、こういった考えに違和感を覚えるとしたら、それは、恐らくアフリカ諸語を、ヨーロッパ諸語や日本語などと比較して、「少数言語」と呼んだり、人々に対して「少数民族」という用語を用いるからであろう。しかし世界の言語の話し手の中央値が7000人であることを考えるとき、異常なのは、むしろ話し手が1000万人も1億人もいる言語の方であるということを認識すべきである。アフリカの部族語が示しているのは、むしろ人類の正常な言語状態なのではないだろうか。

(梶茂樹)

<報告2>

「文字は誰のものか? - エチオピアの無文字言語の文字化をめぐって」
 エチオピアは80に近い数の言語が話されている多言語社会である。アフリカにおいて例外的に早くから文字(エチオピア文字)を持ち,さまざまな形での言語資料が残されてきた。しかし,その文字使用は19世紀半ばにいたるまで基本的にゲエズ語に限られ,その後もアムハラ語が特権的な地位を占めてきた。本報告では,アムハラ語支配体制のこうした図式が19世紀末以降,帝政,社会主義体制,連邦制という国家体制の大きな変革の中で,どのような変遷をたどってきたかを,他の言語の書き言葉化(文字化)の流れとの関わりで示した。 19世紀後半のエチオピアの版図拡大と中央集権化にともない,帝国統一のシンボルとなったアムハラ語は,1955年には改定憲法において明確に公用語とされるに至り,全土のアムハラ語普及政策が進められた。一方,それ以外の言語の文字化は抑えられた。民族語の文字化の動きは,一つにはヨーロッパからの宣教師の布教活動と共に,またもう一つには民族意識の覚醒から始まったのであるが,後者についていえば,アムハラ中心の体制とは相容れず,その動きは抑圧されていった。その代表的な例がオロモ語の場合である。また前者の場合も,政府は民族語の使用を限定的にしか認めず,民族語への聖書翻訳にあたってはエチオピア文字使用の許可が必要であった。1974年の帝政崩壊に続く社会主義体制で特筆すべき点は,諸言語の平等が法的に認められたことである。1987年のエチオピア人民民主共和国憲法では,諸民族,言語の平等であるとの上にたち,アムハラ語は共和国の作業語(working language)と規定された。大規模な識字キャンペーンが展開され,アムハラ語以外の15言語がそのプログラムに組み込まれた。この政策は理念的には高く評価され,画期的であったが,現実的には中央集権体制下でアムハラ語の実質的な地位は変わらなかった。他言語の文字化もそれを支える基盤は十分に育ってはいなかった。この中で民族意識が更に高揚したオロモ人の中では,エチオピア文字によるオロモ語出版が行われるようになる一方,反政府的な立場を取るものの中ではローマ字表記が採用されるようになった。1991年には社会主義体制が崩壊すると,連邦制の国家となり,1994年に新憲法が制定された。そこではアムハラ語は連邦政府の作業語の位置を与えられたが,連邦を構成する州・特別市はそれぞれの作業語を決める権利が保障された。その結果現時点においては話し手の規模の大きいいくつかの言語が公務,教育と言った場面で使われるようになってきている。ここにおいてエチオピア文字は皇帝や政府の独占物ではなくなると共に,どのような文字を用いるかはそれぞれの選択にゆだねられ,オロモ語では正式にローマ字表記が採用された。こうした状況が今後どのように推移していくのか,特に,圧倒的に数の多い未だに文字化がなされていない,報告者が調査を行っているアリ語などの諸言語がどのように作業語とどのような形で存在していくのかを見守っていきたい。

(柘植洋一)

<報告3>

「ウォライタ(エチオピア)の多言語使用状況」
 ウォライタはエチオピア南西部、首都アジスアベバから約400kmの所にある。比較的近年まで独立した王国であった一方で、周囲の諸民族や中央政府とも接触して来た。そのようなウォライタの言語使用状況を以下で簡単に報告する。ウォライタでは日常生活で活発にウォライタ語が用いられている。ウォライタ語を用いたポップスすら作られている。ウォライタの子供達が習得するだけでなく、他民族であってもウォライタ語を流暢に話す者もいる。但し、都市部のウォライタ語は変化しており、周辺部・僻地のウォライタ語が美しいとする考え方が広く見られる。最近、地元行政機関で作業語としてウォライタ語が採用される事が決まり、ウォライタ語を書く為の研修も行われた。学校では公立校では4年生まで原則としてウォライタ語で授業がなされ、8年生までウォライタ語の授業もある。英語で授業をする私立校ですらウォライタ語の授業が8年生まである。但し、ウォライタ語が実際に読み書きされる事は少ない。現時点でウォライタ語の読み書きが出来る利点は乏しく、今後はウォライタ文学の文字化がどこまで進められるかが、書き言葉としてのウォライタ語が定着するか否かの鍵となろう。数年前になるが、ウォライタ語と周辺言語(方言?)を人工的に混成した共通語(ウォガゴダ語)の学校での使用が試みられた。これは烈しい反対に会い、死者をも出す暴動の末、失敗した。ウォライタ語はウォライタ族のアイデンティティーを確認するものとして重要であり、他言語・多言語には寛容でも自分の言葉が認められないのは赦せないのであった。アムハラ語はウォライタでも広く通用する。学校教育でも教えられている。一見多言語共存の理想的な姿であるが、マスメディアでの使用等、様々な点でウォライタ語の地位は圧倒的に低い。高等教育では勿論、公立初等学校でも5年生以降は英語で授業を行う科目もある。英語は国際語、外国人の話す言葉として重視されているが、堪能でない者も多い。その他、フランス語、イタリア語、アラビア語、ギリシア語、ハンガリー語等もウォライタ語に影響を与えたらしいが詳細は不明である。以上、ウォライタではウォライタ語、アムハラ語、英語が言わば役割分担をしながら共存していると言える。総じて自然な多言語使用である。だが、ウォライタの人口はエチオピア総人口の数パーセントに過ぎず、誤解を恐れずに言えば「マイノリティー」である。今後このバランスがどうなるかは予測出来ないだろう。

(若狭基道)