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久留島元が読む(過去の記事)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ① 2017.03.04

塩見恵介の第二句集『泉こぽ』は、ふらんす堂より、2007年に刊行された。本書は6章構成になっているため、一章ずつ読んでいきたい。

 いまここは圏外しかも木の実降る  イントロダクション

 みのむしやひとりはひとりぶんがいい

 ペンギンと空を見ていたクリスマス

わずか8句で構成される「イントロダクション」の冒頭3句をひいた。

文字通りこの冒頭3句が、作者の世界の案内板となっている。これらの句を「おもしろい」と思った人は、続く句をいっきに読んでしまうだろうし、違和感を覚えた人は、ずっと違和感をかかえたまま読み終えることになるだろう。

「圏外」は、一般的な用語ではあるが現在なら携帯電話の通信圏外とみていい。電話の通じない、心細さと、若干の開放感のなかで「しかも」「木の実降る」とたたみかける。実景としては単に山の中なんだな、ということでしかない。その単純な実景が、言葉をかさねていくことで詩になり、「イントロダクション」になっていく。

「ひとり」は、本書の章題にもなっており、前句「圏外」から続いて、ひととのつながりから外れてしまった自己を意識させる。近代的、かつ、類型的な青年像をふまえつつ、ナイーブで、「つながり」をもとめる現代的感性を発揮している。

そんな青年が「クリスマス」に、「ペンギン」といる。講義でこの句をとりあげるときは、

「クリスマスに何してるんでしょうね、このひと」

とツッコミをいれる。学生たちの評判もよい句である。ある種の類型(空を見る青年の憂愁/啄木)をふまえつつ、素材を更新し、伝統をふまえた現代の青年像を構築することに成功しているといえるだろう。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ② 2017.03.05

青年らしい憂愁の「イントロダクション」からはじまった本書は、つづいて「ひとり」に入る。

 駅の端から色の落ち冬来たる  ひとり

句またがりで7・5・5という韻律だが、そのたどたどしさがかえって「色」のない冬のプラットホームをよく思い出させてくれる。
ほかに「きちきちやかえってこないブーメラン」「耳たぶの微熱を探る春の午後」のようなわかりやすく青春性、憂いを演出した句も少なくないが、そのなかで

 嘘つきが嘘と沈んでいる朧

のような句はおもしろい。言葉のあやのようだが、嘘つきが自分のついた嘘とともに沈んでいくという漫画のような表現が、しっとりとした春の朧夜に似合うのだ。

 泉こぽ知らない声を出せるかも

本書のタイトルにもなった「泉こぽ」の句。

名詞と擬音語だけで作られているが、おそらく「泉がこぽっと鳴った」のだ。それを「泉鳴る」「泉湧く」などとせず「泉こぽ」として新たな季語を創出しようとしたところに、作者の狙いがある。言葉に遊ぶ作者は、言葉を作り出す人になろうとしている。そして(成功するにせよしないにせよ)言葉を作り出す面白さに気づいた作者は、「青春」の「憂い」という類型から一歩はみ出して、平凡な日常を詩化する新しさに気づいたように見える。

 日直日誌特記事項に雪が降る

私の愛唱句のひとつ。

日直日誌、学校で日直がその日いちにちに起こったことを先生にむけて報告するそのなかで、特記事項に「雪が降る」と書かれていた、という、ただその報告が、「雪が降る」という言葉によってにわかにドラマチックに展開する。おそらく授業中だったのか、曇り空からちらちらと雪が降り出した、それにきづいて一斉にクラス中が窓の外をむいたその時間を、一読して読者は想像するだろう。そしてそのクラスの一員として、雪が降り始めたときのワクワク感を共有できるだろう。

内容は、日常起こりうる、なんでもないことだ。そして「雪が降る」という語彙も、句としてありふれている。しかし「日直日誌特記事項」という一見するととっつきにくい漢字だらけの、しかしノスタルジックな思い出深い素材に取り合わされたことで、詩が生まれている。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ③ 2017.03.06

 出逢いとはらっぱすいせんだったのか  ふたり

「ひとり」から「ふたり」へ、という展開は、恋愛または結婚という意味だろうと想像する。

そこで冒頭に置かれたのが掲句。ドラマチックな「出逢い」を期待したら「らっぱすいせん」という。ある意味ドラマチックだが、形状と名称はややおかしい。しかし「らっぱ」はお祝いのファンファーレかも。

 秋思などてんぷらにしておしまいな

 気休めは言うなきちきち飛ぶ準備

 冬かもめゆっくり好きになりなさい

世間でいう「船団調」とはこんな句のことだろうか。

季語と日常との「取り合わせ」。人生訓、ことわざのような理屈に流れかねない言い回しから、季語を踏み台として別の世界にトリップする(または逆に季語から日常へ回帰・着地する)。「ふたり」の章は特にこの作り方が顕著である。

 どっちかと言えば愛だろ泉こぽ

再び「泉こぽ」が登場した。

しかし、まるで往年のフジテレビドラマのようなセリフは、ちょっとくさい。「ふたり」の章は恋愛句をふくめて人生の「定義」のようなものにこだわっているという気がする。「○○は、こうだ」「○○は、こんなもんだ」という、作者の主張である。それが、すこしばかり主観的で窮屈な気がする。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ④ 2017.03.07

 結論は急ぐな滝は滝壺に  家族
 風が来て風が出てゆくパオの夏
 寝転んで虹はひとりにひとつずつ
まず「結論は」は人生訓+季語のパターン。「風が来て」はパオという(遊牧民のテント)素材が壮大であるが、まあ自然界の定理をいっているパターン。「寝転んで」は、作者が得意な石川啄木の世界。
モチーフは、どれも作者がくりかえし好んでいるパターンを踏襲している。だがリフレインをつかってなだらかに広がる世界は、これまでの句よりもより広やかで、心地いい。
作者はあとがきのなかで、章タイトルは「ここ数年の僕の俳句のスタイルの変遷」だという。ひとりで俳句を作っていたころから、恋愛句、そして周りの人間関係へと視野が広がったのだ、と。
同様に、坪内稔典による解説でも「他者への興味」が作者を大きく育てている、と評している。そうだとすれば「家族」の章は、まさに作者にとってひとつの画期であったに違いない。
 陸つづきだろうか父とカキフライ
そんなわけはないのだが。無理に解釈するとすれば、カキフライの有名な広島などと、自分の父など系譜を重ねているということだろうか。そんな解釈をすることなく、カキフライというちょっと癖のある揚げ物を食べながら(子どものころ嫌いだったのかも)、家族の食卓風景を再確認している作者の視点を、おもしろがってもよい。
えがかれるのは日常であり、誰にでもうつる光景だが、言葉をかさね、とりあわせることで新しく再生する。
 阿僧祇は億の七乗鳥交る
 鳥交む家々にある棄老譚
言葉遊びを重ねているようで、どきりとする現実にも触れる。生命の歴史。続いてくものがあれば、切り捨てられるものがある。深入りはしない。しかし並べて配置したのは、作者の意図である。
 さくらさくこの子取扱注意
 どこででも眠る弟夏みかん
 愛情その一・西瓜ならまず冷やす
 寒月や万戸醤油を垂らす音
最後の句は、その句が出た句会の席に同席したことをよく覚えている。
一見して格調の高い句だなと思ったが、考えてみれば当たり前の、日本の食卓であり、その俗さがいい。
さまざまな技法を駆使しながら、作者はこれまでとは違う俳句の広がりを楽しんでいるようだ。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ⑤ 2017.03.08
 チャーハンのグリンピースの隠れかた  みんな
 哀しみはちりめんじゃこの中のタコ
 魔法とく魔法のようにレタスむく
青年の「憂愁」という類型から開放された作者の視線は、現実の日常にむく。
特徴的なことは、その親和性である。現実、日常の、圧倒的な肯定である。それは、いわば「青年」からの脱却であり、一面ではとても能天気で表層的に見える。しかし、同時にとても楽しげであり、活気がある。
活気。そう、文体から生まれるこのにぎやかさこそ、作者の真面目だといえよう。
省略の文学と呼ばれ、客観写生とうたわれ、あるいは芭蕉の「わびさびしおり」を持ち出されれば、少ない字音で「閑かな」自然を詠ずるのみが俳句だと思われる。そのなかで俳句史は語られてきたし、多くの名句も生まれた。めでたい句、楽しげな句も少なくはないが、どこか傍流の扱いで、表現史を更新するものとは捉えられなかった。俳句に限らず、シリアスなほうが「深い」「真面目」な内容だと考えるのは、近代文学の特徴かもしれない。
しかし、このような句群はどうだろうか。
 おっとりと山彦を吐く夏の山
 ひんやりと百済観音バナナめく
 ぽつねんでなくつくねんでなくれもん
観音にせよ、山彦を吐く夏山にせよ、決して新しい素材ではないが、観音を「ひんやり」とした「バナナ」に喩えたり、威勢良く跳ね返る山彦を「おっとり」とおおらかにとらえたりすることは、珍しい。言葉遊びを交えながら、作者の描く景色は、とても新奇な、楽しげな景色ではないだろうか。
 誰だいまバスガイドに雪投げたのは
こんなことも俳句になる。この句群は、俳句が生まれる、その瞬間の楽しさにとても忠実である。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ⑥ 2017.03.09

エンディングはあっさりと。これまでの作者の手の内を概括したような句群。

 球春や青春いつも雲ひとつ  エンディング
 春光きららくぐりたいだけくぐる
 泉聴く風のとなりに椅子寄せて
 みんなして遊泳禁止区域夏
 すすきから薄へ風のロスタイム
 千年の留守心ぽろぽろ木の実
 白鳥を見にゆくというわかれかた
 圏外にいる煮凝りのなかにいる

新しい季語「球春」を真正面からとりあげたり、本書タイトルにもなる「泉」に身を寄せたりしながら、
次第に言葉遊び、表記や語呂をずらして意味を超えていく、機知、奇想の句が並び、
やがて、私的なつぶやきをまじえて、本書の出発点「圏外」へと立ち返る。
「ひとり」から「ふたり」「家族」「みんな」と広がったはずの世界は、実は「木の実ふる」世界から「わかれ」て、「煮凝り」のなかに閉じこもってしまう。
作者は、遊びの句を前面に立てながら、叙情的でナイーブな「ひとり」の視点をしっかりと持っているようだ。(久留島元)

塩見恵介『泉こぽ』を読む ⑦ 2017.03.10

以上、塩見恵介の第二句集『泉こぽ』を読んできた。
あとがきによれば、タイトル「泉こぽ」は、作者の先輩にあたるわたなべじゅんこ氏の命名だという。
坪内稔典による解説(小論)では、わたなべらとともに甲南大学の大学院で俳句を学んでいた、作者の学生時代についても語られている。そして坪内氏は、「西東三鬼を研究テーマにし、母校の甲南高校の国語か教師になって現在に至っている」「とすれば、このあたりで大胆に宣言してもいいだろう。「自分が俳句五百年の伝統を負う」と」とまとめ、作者への大きな期待とエールを送っている。
一般に、坪内氏が代表をつとめる「船団」は新興俳句の系譜に位置づけられ、「伝統」という言葉にそぐわないと思われている。私自身、「船団の俳句は伝統ですよ」と発言すると、奇異な目でみられるか、どういう意味?と(たいていは皮肉そうに)訊ねられる、そんな経験を何度もしてきた。「伝統」という言葉は使う人によって「何を伝統と思うか(なにを継承するか)」がブレる、あいまいな言葉だと思うが、「船団」グループが言葉遊びや口誦性などを俳諧・俳句の本義としている以上、「船団」グループが「伝統」を名のることにはなんの違和感もないのである。塩見恵介の俳句もまた、そうした「俳句の伝統」を真摯に引き受けているといえる。
 柿を見て柿の話を父と祖父
もうひとつ、今回再読して改めて気づいたことがある。
 生者みな生者の話ルミナリエ
 鳥交む家々にある棄老譚
「家族」への視点は、同時に自分につながる父、祖父、先祖へとさかのぼる視点を確保している。
ただ重要なのは、それが「伝統」や「懐古」へつながるのではなくて、あくまでも現在生きている自分の立場から、つまり「生者」の立場から、視点を広げているということだ。死者の追憶・追悼ではなく、いま生きている自分を肯定し、生をひきうけることに拠って作られた句は、健康的であり、また、現在進行形の俳句の可能性を探る意味で、とても重要だと思う。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む① 2017.02.04

 旅終へてよりB面の夏休 黛まどか

黛まどか『B面の夏』は1994年9月、角川書店から刊行された。第40回角川俳句奨励賞を受賞した50句をもとにしたもので、私が持っているのは1996年刊行の角川文庫版。
著者については、すでに藤田亜未が読んでいるが、ここではあえて彼女のデビュー作である『B面の夏』にこだわってみたい。
本句集は風間トオル主演のオリジナルビデオとして映像化されており、著者自身もここで女優デビューするはずだったという話も聞いたことがあるが、さはさりなん、と思う美貌もよく知られている。当時32歳(1965年生まれ説もあるのでそちらをとると29歳。)(年齢が錯綜するあたり、さすが芸能人である)
同年、女性だけの俳句結社「東京ヘップバーン」を立ち上げ(96年から「月刊ヘップバーン」)、俳句を超えた文化人との交流や、新季語の提唱(サザンは夏、レモンティーは秋)など、とにかく話題は尽きず、私はよく知らないが句がTVのCMに引かれたりすることもあったらしい。
そのため一般への知名度は、ここ最近の夏井いつきさんを除けば現役俳人のなかでトップクラスだろう。
実際に2012年4月28日に朝日新聞別冊beが掲載した「好きな俳人ランキング」では堂々の7位。上位は芭蕉、一茶、蕪村、子規、虚子、山頭火といった顔ぶれなので、もう俳句史のレジェンドクラスといってよい。

一方で、女性俳人の代表格ともいえる桂信子が「こっちの俳句と一緒にされると困る」と切って捨てたことでも知られるとおり(『証言 昭和の俳句』角川書店)、「俳壇」の中央からは避けられている、と言ってよい。
公式HPを見ても、数々の公益財団法人、NPO、大学講師、などの肩書きが並んでいるが、主要な俳句協会での処遇はないようだ。というか、本人があまりそうした「俳壇」の肩書きにこだわらないのか。

彼女の経歴ばかり語っていても仕方がない。
仕方ないので、掲句である。なにしろ句集のタイトルにもなった、代表作である。
恋の句の名手、といわれた彼女だけに、失恋と読むのが常道なのだろう。
句集を読めば、なにか理由ありの恋をして、敗れたのかと思うが、それは前後の文脈であって、それで掲句が豊かになるかといえばそうではなく、むしろ読みの可能性を制限してしまう。
「B面」という語彙が現代にどこまで通じるのかわからないが、少なくとも「A面」ではないマイナー感のなかで、恋と限定せずとも「旅」の終わりと「夏休」の郷愁のなかで読まれれば、青春を感じさせる句だ。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む② 2017.02.05

 交換日記少し余して卒業す

 虹の輪をくぐって届くエアメール

どちらも、今となってはややレトロな印象がある。

交換日記にはメールやLINE発達以前のアナログなコミュニケーションとして、実際経験したことはなくてもなんとなく憧れのようなものを感じさせるであろう。一方で「エアメール」に対して「虹の輪」をつけることは、かなりつきすぎというか、そもそも「エア」(航空便)なのだからそりゃそうだよ、とも言いたくなる。

 春の川いくつも越えて友嫁けり

いまの女子高生、女子大生から「友嫁(ゆ)けり」は出ないだろう。実際に晩婚が多いということもあるが、嫁に行くという(語彙は残っていても)感覚がないのである。新時代の旗手といわれた彼女をして、こういう句だったのだな、という、まあ時代の証明のような句であろう。

「等身大」の「現代の女性」がキャッチフレーズだった黛まどかの作品は、だからこそ当時の雰囲気を濃厚に残しており、今から見れば感覚のずれを感じることが多い。

 梅咲いて帯に短き男たち

帯に短したすきに長し、使えない男だ、ということか。

 イヤリング冷えてゐるなり春祭

女子大学での創作講座で「アクセサリ」を題に句を作ったことがあった。

私は「イヤリング買いに行く街金木犀」と作ったのだが、学生たちはむしろピアスで作っている句が多かった。ファッションもまた、時代によってもっとも左右されるテーマのひとつである。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む③ 2017.02.06

 母の日の母を泣かしてしまひけり

黛まどかの作品は、基本的に有季定型、旧かな、文語である。

昨日は、作品のもつレトロさに言及したが、そのレトロさは内容だけでなく表現技法の問題もあるかもしれない。

掲句なども「母を泣かせた」というシチュエーションの類型とともに、「しまひけり」という、いかにも俳句的な表現を選択したことで、かえって俳句をつまらなくしているように思う。他人事というか、母を眺めている自分を俳句に仕立てあげた、作者の作為が見えてしまうのである。

 あたしの恋を蔑む涙なら 母よ  時実新子

 突っ立って母を見おろすかなしい日

などと比べてみれば、その切実さには天と地の開きがある。

したがって、やはり彼女の真骨頂はもっと作者自身にひきつけた句である。

 ストッキングの足の形に脱げて夏

 別のこと考えてゐる遠花火

 兄以上恋人未満掻氷

事前に作者の情報が一切なかったとしても、これらの句を読めば作者は「若い」「女性」で、なにか「恋」をしているのでは、と想像することができる。

むしろその想像の範囲が狭いことが傷になる、くらいの、わかりやすさである。

あまりに女性性を正面から出したこれらの句に、異性である私は共感できないけれども、若々しく爽やかな感じを楽しむことはできる。深く思い悩むのではなく、ちょっと考えてみる、という程度の、軽い憂愁を帯びた青春性である。それ以上ではないかもしれないが、それ以下でもない。たしかにこれは、ひとつの世界であり、多くの人が落ち着いて楽しめる、そんな世界に間違いない。

 花冷の疵つき易きハイヒール

 好きだから言へる意地悪ソーダ水

 三日月を追ひかけてゐるバイクかな

これらの、「花冷」「ソーダ水」「三日月」の季語は、たしかによく効いている。少なくとも古典的な季語、雅語としてではなく、現代の季語として再生しているといえるだろう。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む④ 2017.02.07

昨日、作者の作為ということを言った。

句集『B面の夏』には、次のような句が散見される。

 鳥雲に入り恋してはならぬ人

 水着撰ぶいつしか彼の眼となつて

 恋人を浜辺に置いて波乗りす

 写真奪つて緑陰に走り込む

 恋終る九月の海へ石抛げて

 もう戻れないマフラーをきつく巻く

これらの句は、なにか前後のラブストーリーを想像させる。

というより、そのあらすじを一部を切りとった、散文的な説明に季語をそえたものになってしまっている。私たちは、実際それと名指すことはできなくても、この手のドラマや小説を、よく知っているはずだ。

俳句には、ドラマや小説のような丁寧な描写もない。そのあらすじの一部だけである。これを「ストーリー性を感じさせる」と肯定的にとるか、「できあいの物語に頼っている」と否定的にとるか。読者の年齢や性別、あるいは「この手の物語」への親しみともかかわってくるだろう。

黛まどかの登場した1994年から95年は、いわゆるトレンディドラマから木村拓哉一人勝ちの時代への端境期。『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』が1991年、『ひとつ屋根の下』『あすなろ白書』1993年、『ロングバケーション』は1996年なのですこしあと。しかし、時代としてはまさに、「恋愛」に過剰に注目が集まっていた時代だと推察される。

実は『B面の夏』には作者あとがきがあり、そこで


 その恋が短命に終わることは、出会ったときからお互いにわかっていました。何もかも承知の上で、数年前のある夏の日、私は許されない恋に落ちたのです。・・・・・・いちばん言いたいことが言えないもどかしさ、いちばん聞きたいことが聞けない惨めさ、いちばん会いたいときに会えない切なさを、涙に落とす代わりに、十七文字というひと雫に結ぶことにしたのです。


と書いてしまっている。

はっきり言って、これではネタバレ。作品から想像する作者と、作家当人が「一緒だ」とアピールすることで、つまり作家のプロフィールを切りとってみせることで読者を呼び込もうとしている。

現代(当時)の若い女性の、一夏の恋物語、というわけだが、ここで生まれる読者の関心は、果たして「物語」への関心だろうか。むしろ週刊誌的な、他人の恋愛をのぞき見してみたい、というゴシップ的な関心ではないだろうか。

私小説などをふくめて、それもフィクションへの関心の一部だということは否定できない。しかしそれだけなら、詩歌や小説は、週刊誌に負けてしまうだろう。どう考えたって、話のリアリティと豊富さでは勝てないから。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む⑤ 2017.02.08

 あきらかに大穴狙ヒパナマ帽

いまどきパナマ帽をかぶっている人はあまりいなくて、いるとすればちょっとうさんくさい。

そのうさんくさいパナマ帽が「あきらかに大穴狙ヒ」というからには、これは競馬場の風景でもあろうか、俗なところを楽しんでいるが、作者自身は競馬の当否には興味が無いらしい。
俗であって下品でない、ユーモアのある句。

 その下をマラソン通る木守柿

上五の唐突な始まりが興味深い。

柿は、正岡子規が好んだことでも知られるが、あまり和歌では詠まれることのない俳句的な卑俗な季題。それに現代、というほどではないにせよ躍動的なマラソンをとりあわせたところも効いている。

 知らんぷりして満月が君の上

「知らんぷり」したのは誰だろう。

1.自分が「知らんぷりして/満月が君の上」にあるのを見ている
2.君が「知らんぷりして(いて)/満月が君の上」にあるのを(私は)見ている
3.「知らんぷりして(いるように)満月が君の上」にある

どれでもありえそうだが、まあ1の解釈が妥当だろうか。作者らしい恋愛俳句のようでもあるが、関係性を固定させないところに、多義性の魅力がある。

 着ぶくれて渋谷を少しはみ出せり

着ぶくれてころころになって、渋谷の町からころん、と転がり落ちてしまうような。

作者のようなスレンダーな人なら着ぶくれてもたいしたことはないだろうが、渋谷をはみ出す、という思いがけない表現がいい。実際にどういうことなのか、よくわからないが、なんとなく楽しい。

以上、作者「黛まどか」の像が見えないところに楽しさがある句を選んでみた。
作家性、というよりも、作家像のようなものを強く打ち出した「黛まどか」だが、実はその現代的な感覚は、こうしたなにげない句のほうが、今の時代に通用するのではないだろうか。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む⑥ 2017.02.09

本書には、いくつか頻出する季語がある。

夏の句が多いせいもあるのだが「香水」「水着」「ソーダ水」、夏以外では「マフラー」。そのなかでももっとも目立つのは「サングラス」である。

 小悪魔になったつもりのサングラス

これは作者本人とみるべきだろう、比喩が月並だが可愛らしいサングラス。

 いつまでもキスをしているサングラス

こちらは一転、情熱的。作風を考えると自分自身のことかもしれないが、自分がキスをしている最中に客観的になって詠むのは嘘くさい。海水浴に来て、情熱的なカップルを、やや呆れて遠巻きに見ている、という情景と考えたほうが面白いかも。

 富士山を入れて撮れよとサングラス

お調子者のサングラス。修学旅行生や学生のサークル旅行と考えてもいい。似合ってもいないサングラスをかけて「富士山ちゃんと入ってる-?」いや、お前が邪魔だから!みたいな。

 サングラス派手にふられてゐたりけり

文語調がおおげさで、むしろ滑稽である。本命の失恋を、ちょっとした笑いに隠しているのか。

サングラスは、涙をかくすため・・・とまで言ってしまうと、くさすぎ。

 サングラスきつと彼女を好きになる

うーん、これは別れた女性からの視点? ちょっと設定が物語的に凝りすぎていて、わかりづらい。

作者にはほかに「別な人見てゐる彼のサングラス」などの作品もある。

サングラスは、比較的新しい季語としてもてはやされたが、それほどの名作が生まれたという気はしない。黛まどかはサングラス俳人として語り継がれるかもしれない。(久留島元)

黛まどか『B面の夏』を読む⑦ 2017.02.10

一週間にわたって黛まどか『B面の夏』を読んできた。

文庫版の背表紙には、このような惹句が書かれている。

 いま恋をしている人、幸福に満たされている人、許されぬ愛に身を焦がしている人、悲しい別れを選んだ人、ここには等身大のあなたがいます。出会いの瞬間、別れの時、秘密の恋、至福の愛―こぼれそうな思いの全てを十七文字に託し、揺れうごく恋心を瑞々しい感性と素直なことばで表現したまったく新しい句集。

すでに紹介した、彼女自身による「あとがき」とともに、こうしたナルシスティックな恋愛至上主義は、いまの目からみるとかなりあざとい、と思える。もちろん当時としても賛否のあったことは事実だし、現代でもこうした路線がなくなったわけではないが、黛まどかに関して言えば、時代に即していたぶん、古びるのもはやいのは、仕方のないのことであろう。

しかし、そのわかりやすいストーリー性とともに、多くの共感を集めたことは、特筆に値する。

作者が「女性」にこだわり、アピールしたことは、異性である私には踏みこみにくい部分があるが、「若い女性」というキャッチフレーズのもとで季語の現代的に解釈したり、俳句のもつ難解さを解消してしまったことは、現在の俳句シーンにも確実に影響をあたえているだろう。

 蜜豆や他人の恋に耳を立て

 カクテルに女性(ひと)の名いくつ銀杏散る

 マフラーや愛されてゐてふしあはせ

彼女の句がもつ内容の「わかりやすさ」が、いかにも俳句的な有季定型、文語におさまっていることは、重ねて安定感を感じさせる。過激な惹句や、アプローチに比べて、その表現は、実はとても保守的である。「まったく新しい句集」ではなかった、ということだ。

おそらく俳句界としては、黛まどかに先立つこと60年、日野草城の「秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙」や、「恋人は土竜のやうに濡れてゐる 富澤赤黄男」のほうが、衝撃が大きかっただろう。

清新さにかくれた、案外な保守性、良家の、育ちの良さがにじむ優等生俳句。それが黛まどか作品が安心して社会にうけとめられた、安定感とわかりやすさの正体ではないだろうか。そしてそれはまた、1990年代の日本が持っていた保守性でもあるように思う。(久留島元)


時実新子『有夫恋』を読む① 2017.01.07

時実新子は1929年、岡山市生まれの川柳作家。17歳で結婚し、25歳のころから神戸新聞川柳壇に投句をはじめる。

ふあうすと川柳社、川柳研究者、川柳ジャーナル同人を経て、1975年「川柳展望」を創刊。96年、「川柳大学」創刊。

私生活では1985年、夫と死別。87年再婚。2007年に逝去したため、2017年の今年は没後十年となる。

神戸新聞では新年から没後十年の記念として「新子を読む 新子へ詠む」特集を連載、全5回が1月1日から7日まで連載された。

新子ゆかりの川柳人を中心に、いま読みたい新子の一句と、新子へ詠む一句をもとにインタビューされた内容が構成されている。

実は縁あって、なんと私も第4回(1/6掲載)に登場させていただいた。ほかの顔ぶれは、八上桐子、芳賀博子、樋口由紀子、柳本々々、の各氏。

ひとりだけ門外漢の俳人がまじってしまって緊張した。新子に正面から取り組んだのもはじめてだったのでずいぶんトンチンカンな、あるいは言わずもがなのことを話した気もするが、それはともかくせっかくの機会だったので改めて時実新子の代表作『有夫恋』を読み直すことにしたい。

 何も知らぬ人に羊の眼で見られ 新子

時実新子『有夫恋』は、1987年、朝日新聞社から刊行され、のち朝日文庫(1992)、角川文庫(2014)。

1955年~1987年まで、すでに刊行されていた句集のなかから朝日新聞社のスタッフが選出した句をまとめたもので、短詩型作品集としては異例のベストセラーとなった。同年5月には俵万智『サラダ記念日』(河出書房新社)が280万部のベストセラーとなっており、短詩型文芸が一躍注目を集めた年だったといえる。

タイトル「有夫恋」とは新子の造語であり、不倫、不貞という言葉を嫌って使ったものという。作品の内容も「凶暴な愛が欲しいの煙突よ」「母の指妻の指わたしの指がみつからぬ」「われに棲む女をうとむ夜が来る」「あたしの恋を蔑む涙なら 母よ」など、いわゆる「女の情念」をむきだしにしたような句が並び、「川柳の与謝野晶子」と呼ばれて注目された。

しかし、いま上のような句を鑑賞したとき、やや表現があからさまに過ぎると思うのは私だけだろうか。「レジスタンス心は誰のものでもない」「母で妻で女で人間のわたくし」など、キャッチフレーズとしては響くけれど、詩としての広がりはあまり感じられない。

掲句は、私が神戸新聞連載でもあげた句。インタビューでは謎が残る、違和感をもたらすところが魅力的で時代を超える要素があると述べた。(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む② 2017.01.08

 子をなぐる蹴るよ男は子を産まず

新子が現代にいたら、どうなっていただろうか。連載では八上桐子、芳賀博子が、川柳が読まれるメディアが句集からネット、SNSへ移行していることを指摘している。

私も、いま新子がツイッターをやっていたら、炎上もするだろうが共感も得たのではないか、と述べた。女性の生き方、不倫、親子の問題など、新子の問題提起は、むしろ現在のほうが議論になっている。

ただ、川柳が社会的な問題提起だけに役立つもの、だとしたら、それは文芸としてはとてもさみしい。

社会、時事というよりも、もっと人の感情、日常を塗り替えるような、ものの見方を変えさせてくれるような気づき、発見、それが文芸の役割ではないだろうか。

 耳の形が思い出せない好きなひと

 手が好きでやがてすべてが好きになる

新子が創り出す恋愛の句は、私にはまったく真似ができない世界だ。

それは私が男だからなのか、それとも恋愛句自体が苦手な私の個性によるものか。恋愛であったり、男女の在り方というのは、ある意味でとても類型的、ステレオタイプなものにおさまりがちだし、語るときはもっと陳腐なことになりがちである。ある意味では、類型におさまることにこそ安心感や幸福があるともいえる。だから私自身は恋愛の楽しさや苦しさを「作品」に仕上げるのはとても苦手なのだが、新子は表現を具体的に、細部にこだわることで作品化している。

新子の句は、「有夫恋」のようなスキャンダラスな面が注目されがちだけれど、女性の「共感」を集めたのは、そこに普遍的な恋愛感情との共通性があり、またその表現を形に、言葉にするのに長けていたからだろう。「共感」は消費されやすいが、「共感」もまた、文芸のひとつの要素であるには違いない(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む③ 2017.01.09

 ほんとうに刺すからそこに立たないで

いま、そこに、立たれてしまったら、刺さざるを得ない。

刺したいのか。刺したくはないのか。当人さえわからない。

サスペンスドラマそのものという場面である。

だが、逆に言えばサスペンスドラマで見られる光景、といえるかもしれない。

それよりは、

 花ゆさりゆさりあなたを殺そうか

の「ゆさり」の擬音のほうが、「殺そうか」という言葉の重さを言い止めているような気がする。

神戸新聞の連載で第一走者を担当した八上桐子は、「一読して胸に迫るようなものが有名だけれど」、今は「花びらを噛んでとてつもなく遠い」のような感覚的な句のほうにひかれる、という。はかないものを噛みしめながら、圧倒的な孤独を感じさせる句。テーマが多様化した現代であれば、こちらの「もっと感覚的な言葉のほうが伝わるんじゃないか」。(神戸新聞朝刊、2017.01.01)

八上は、現在神戸新聞柳壇の選者。2004年から「時実新子の川柳大学」へ投句をはじめ、終刊まで同人。フリーペーパー「SO]「くねる」を発行。現在は無所属。

八上のあげる句は、『有夫恋』には見当たらない(私が見落としていなければ)。

感覚的な、読者を選ぶ表現ではなく、劇的で、センセーショナルな句が「時実新子」のキャラクターとして有名になった。

その一方で、新子が感覚を重視した句も作っていたことが、現在の川柳にとっては貴重な財産だろう。

あえて掲句との共通点を求めるなら、やはり自分の感覚をストレートに言い止める、まっすぐな表現力ということになると思う。

ダジャレやお笑いへ向かう狂句・サラリーマン川柳だけでなく、自分の感覚をテコに表現する力は、季語や切れ字などの伝統的技法を利用しがちな俳句とは、やはり少し異なる表現をひらいていると思う。

一方で、感覚を重視するという八上の句は、さらに多様に広がっている。

 アサガオノカスカナカオススガシカオ

 ビロードになるまで撫でている燕脂

 青がまた深まる画素の粗い海

 はなびらを噛んでまぶたのすきとおる (神戸新聞2017.01.01)

(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む④ 2017.01.10

 あたしの恋を蔑む涙なら 母よ

 突っ立って母を見おろすかなしい日

 生んだ覚えのある子が敵になっていく

新子のテーマが「女の情念」であるとよく言われるが、そのときとりあげられるのは不倫を思わせる句が多い。

それだけでなく、家族の中で一人の女性がどういう立場にあるか、あればよいか、ということが新子の句からたびたび直面させられる。そのひとつが、親子関係だ。自分の母との対立が、やがて娘との対立になる。

血の繋がった家族であっても、完全に理解しあえるとは限らない。

幼い子どもならともかく、大人になれば、別の人格であり、別の価値観がある。

しかし、お互い「家族なら」という期待や信頼があり、それを裏切られた失望が深くなる。

一句目、「母よ」のあとに続く言葉は、なんだろう。おそらく、なにも付けることはできない。

二句目、この「見おろす」主体は、自分だろうか。それとも娘に見おろされたのだろうか。同じ目線に立子とができないことを、修復することもできない日がきたこと。

三句目、そして、母と子の対立は、自分が母の立場となってかえってくる。敵として憎まれても憎みきれない。親子の溝が描かれたこれらの句は、読んでいてとても辛い。

神戸新聞の連載で芳賀博子は、「わたし今、日本一の馬鹿娘」という新子の句をあげている。芳賀はこの句にエネルギーや強い意志を見るという。上にあげた三句に比べれば、たしかに勢いよく「馬鹿」を名乗ることのできる句は健康的にみえる。そして、そう読める芳賀自身も強靱で健康的だといえるだろう。

私はそうした「リアル新子」を知らず、新子の没後に川柳に触れた。新子の句は、確かに力があり、また一面的だった川柳の理解を崩す多面的な可能性を教えてくれる。

しかし、そうした多面性が「女の情念」というタームに絡め取られていくのは、川柳の普及には幸いだっただろうが、没後の読者にとっては不幸でもあると思う。

芳賀も「時実新子の川柳大学」に学んだ一人であり、現在はオフィシャルサイトの管理人をつとめている。川柳グループ「宙」で活動するほか、「船団」誌に「今日の川柳」という連載を持っている。芳賀自身が全国の現役川柳人にインタビューする人気連載で、書籍化されれば現代川柳のよきアンソロジーになるだろう。そうした川柳の多面的な魅力を発掘することが、これからもっと求められて良いのではないか。(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む⑤ 2017.01.11

 何だ何だと大きな月が昇りくる

前回、芳賀博子の指摘から「女の情念」という類型的タームにまとまりきらない、エネルギッシュな新子句の性格を見た。掲句なども、そのなかにふくめてよいだろうか。

掲句は、連載第三回で樋口由紀子があげている句。発表当時は「男女の逢瀬を満月が見おろしている句と解釈されることもあった」というが、「おおらかでスケールが大きく」「どんな顔で月が出てきたか」「月に対し、...開き直っているようにも見える」句だ、とその魅力を述べている。

たしかに、夜しか見ることのできない「大きな月」が、実に親しげに、かつやや押しつけがましく語られている、思わず笑ってしまうような句である。

樋口も「時実新子の川柳大学」の出身だが、そのもとを離れ、「MANO」発行人などを経て、現在は「川柳カード」発行人、「豈」同人。ネット上では「ウラハイ」で「金曜日の川柳」を連載中。

ほかに、思わず笑ってしまうような句をいくつか。

 泣いた泣いた沢山泣いたたくあんかじる

 去年一番愛らしかったのはおへそ

 私ですか ユーフォーを待っている

ところで樋口由紀子は「豈」にも属し、俳句にも造詣が深い。

私もよくお世話になっており、酒席をともに議論するが、俳句と川柳の違いはどこにあるのか、という問いは、なかなか答えが出ない。姿は五七五でよく似ているが、その進化の過程で明らかに違う詩型に育っている。

これまで私は、川柳のなかでも川柳のカラーが強い、「私」がストレートにあらわされている句を紹介してきた。

しかしたとえば新子の、季語をふくんだ句などはどうだろうか。

 五月闇生みたい人の子を生まず

 二ン月の裏に来ていた影法師

 八月の蝉からからと完りける

これらの句は、川柳と読んでもよいし、季語の働きに注目して俳句と読んでもいいと思う。

違いにこだわり、それぞれの特性を活かした作句・鑑賞をすることもおもしろいが、混ざり合った、入会地のような句を観ながら、それでも違いが生まれるかどうかを試すのも愉快である。(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む⑥ 2017.01.12

 三角に三角に未来図を折ろう

未来図って何だろう。未来を描いた図。わかるようでわからない。未来予想図だと、あの歌になるし。

それを「三角に」「折ろう」。折り紙のような。たたんで小さくなって、でも鋭角で。

初見のとき気になった句ではあったが、いまひとつしっくりこなくて、避けて通った句である。そうしたら、神戸新聞の連載で柳本々々がこんなことを述べていた。

「時実新子という人は「かたち」を使った比喩で、世界と「私」を結びつけるのが抜群にうまかった」「「私」を書く川柳で知られる作家だけれど、僕が惹かれたのは、そんな人間的率直さよりも文体の形式性。」

川柳を「世界と私を結びつける」文芸という規定の鮮やかさにも目をひかれるが、時実の川柳について「かたち」の比喩をとりあげていたことで、掲句がすとんと腑に落ちた。
柳本のいうところの修辞法とはすこしずれるのだろうけれど、「未来図」という定かでない、個々に異なる(しかもそれぞれたっっぷりと思い入れの詰まった)ものを、「三角に」「折ろう」と、無造作に、明確な形で見せてしまうところに、表現の強さがある。そのことに改めて気づいたのである。
まったく手ざわりは異なるけれど、第四回芝不器男新人賞を受賞した俳句作家、曾根毅にもそうした、抽象を具象に還元する手法が見られる。

 この国や鬱のかたちの耳飾り 曾根毅

 玉虫や思想のふちを這いまわり

大きく異なるのは、曾根の相手取る「抽象」が、「国」「鬱」「思想」などの大きなものであるのに対し、時実が格闘したのはあくまで「私」自身の感情であったこと。それを他人に見せるときに、「私」のままさらけだすだけではなく、「かたち」を見つけ出すのがうまかった。

柳本々々は、歌人、川柳作家。ネット上で短詩型を扱った批評を長期かつ大量に発表して注目をあつめ、近年川柳句集の解説、評論などに健筆をふるう注目の人である。作家としても若手4人で「川柳スープレックス」を結成するなど興味深い活動を展開している。
時実川柳の大きな要素に「私」があり、「女の情念」があるのは間違いないことなのだろうが、時実川柳の要素はそれだけではなく、まったく別の展開もありうる。
柳本は、ネット上で次のようにも述べている。

「新子さんは《ああもいってたけれど、こうもいってた》ってことなんですね。どっちも、いってた。そういう多面体としての新子さんがいたんじゃないかというのが今のきもちです。」あとがき全集

(久留島元)

時実新子『有夫恋』を読む⑦ 2017.01.13

 狂ってもちゃんとできます廻れ右 

 別れたらチロリン村に行くつもり

 こんないのちでよろしいならば風呂敷に

昨年、船団のイベントで坪内稔典(船団代表)と木本朱夏(川柳塔編集長)の対談があった。
そこで坪内さんは、川柳が現在マイナーで存在感の少ない文芸であると規定したうえで、「サラリーマン川柳」を鍛えあげるべきではないか、「サラリーマン川柳」の持ち味は、俳句でも短歌でも持ち得ない川柳ならではの性格ではないか、と提言していた。

そういえば「サラリーマン川柳」ほど知名度のある短詩型の賞はない。

あれほどペットボトルに印刷されている俳句でも、大賞が必ずニュースでとりあげられるということはない。
歌会始は天皇陛下が詠む歌はニュースになるが、それが一般の人々のなかで口誦されることは少ないだろう。
その意味で、「サラリーマン川柳」の存在感は強い。
問題は、たとえば「サラリーマン川柳」の選者に、川柳作家がひとりもいないことである。
そして、「サラリーマン川柳」が、使い捨てのペンネームとともに、消費されるものだということである。

 熱帯魚わたしにはない価格札

 愛妻記神話のごとく読み終わり

熱帯魚には高価な値札がついている(私にはついていない)、愛妻など神話のような言葉だ、

時実川柳のなかにも「サラリーマン川柳」に通底するものはある。大衆的共感、社会通念に対する皮肉、ジャーナリスティックな問題提起などである。

共感や皮肉は、川柳にとって重要な要素だろう。しかしそれがニュースで消費される「新橋のサラリーマンに聞きました」という意見と同次元の表現にとどまるとき、それはまだ「川柳」になりきらぬ何かでしかないだろう。
俳句にも、俳句未然の「俳句的な視点」「俳句的な発見」だけのつぶやきがある。それが表現として成立しているかどうかは、少し慎重に見極めなくてはいけない。
ところで、「サラリーマン川柳」は、主に社会のマジョリティを形成している成人男性からの視点が多いが、時実新子は、「サラリーマン川柳」とはまったく違う立場で共感を集めた。
時実新子『有夫恋』が注目された年は、短歌で俵万智が注目されたが、俳句ではそれほどスターがいたという印象がない。
人々の注目を集める共感性と、共感を別の形にかえる表現力。時実の作品は、確かに今でも多様な川柳の魅力を垣間見せてくれる。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む① 2016.12.10

禅寺洞を一度読んでみよう、と思っていた。

いわゆる「俳句史」のなかで、名前は知っているが読んだことがない、一句も暗誦できない作家のひとりである。そういうの、文学史でありがちじゃないですか。私は大学、大学院で国文学を勉強していたけれども、意外と名作を読んでいないことが多くて、近現代文学研究の人と話すと気後れすることが多いのだが、吉岡禅寺洞も、そういう「名前だけ」作家として、私の中では認知されている。

もっとも吉岡禅寺洞は、俳句をやっていない人にはほぼ知られていない名前だろう。

いま手許にある『現代俳句大系』第1巻(角川書店)の「銀漢」解題(鷹羽狩行執筆)によれば、禅寺洞は明治二十二年(1889)七月福岡県糟屋郡箱崎町の生まれ、本名善次郎。「九州日報」(伊杉青楓選)、「日本新聞」(河東碧梧桐選)に投句し、明治三十八年「ホトトギス」読者となる。

大正二年(25歳)で「九州日報」選者となり(!)、同七年、長谷川零余子を選者に「天の川」を創刊、大正九年十一月からは選者となるが、昭和七年頃から新興俳句運動にかかわり、無季俳句、多行形式に挑戦したので、翌年「ホトトギス」同人を除名された。日野草城、杉田久女と同時だったことが、俳句史上に名高い。

戦後は口語俳句協会などを結成したといい、「天の川」には芝不器男、横山白虹、篠原鳳作、日野草城、富安風生などが投句していた。遠く九州にいながら、たしかにホトトギス・グループのなかで屈指の存在感を持っており、のちの新興俳句につながるビッグネームだったのだ。

第一句集『銀漢』は昭和七年十一月二十日、天の川発行所刊行。明治三十六年から昭和七年までの三十年間の内、後半十五年から三〇八句を収録している、という。

ではさっそく読んでいきたいのだが、実は風邪をひいてしまった。充分に読むことができないので、まずぱらぱらと目についた句をあげてみる。

 海苔買ふや追はるゝ如く都去る

 温泉飲めるもある群象や春灯

 茄子もぐ手また夕闇に現れし

 こほろぎに夜だちのむすび出来にけり

 寒雀猫にとられてまろ\/と

 失業をしてゐるマスクかけにけり

 かりそめの河豚の友とはなりにけり

(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む② 2016.12.11

一晩よく寝たら熱は下がった。やはり人間睡眠が大切で、暖かくして寝るに限る。

さて、これからゆっくり『銀漢』を読んでいきたい。

『銀漢』は昭和7年11月刊行、禅寺洞は「ホトトギス」雑詠に入選したものと、自選の句をあわせたもの。

自序には「句集を刊行して、これを機に次の時代に一大躍進をするとか、生れ変つて精進するとかいふやうな、更新を強く意味しない」「従来の自分の道を、徐に歩いてゆくのみであり、自分の主張するところの、単一化といふところをおしすゝめて行かうといふ」と述べている。

また「句の配列は単に春夏秋冬に部別しただけで年月を附してゐないが、大正二年ごろから年代順になつてゐる訳で同題前後してゐるのはそれがためである」とある。

この時期には新興俳句に傾斜しつつあったようだから、「ホトトギス」中枢の虚子とは隔意があったのかもしれない。実際に句を読んでいると、同時代の作家の句に比べて圧倒的に読みやすい。

冒頭から数句あげてみる。

 蝌蚪の水に煙草火投げて訪ひにけり

危ない。

 海苔買ふや追はるゝ如く都去る

海苔買っただけなのに。さみしい。

 浪かげに生るゝ芥弥生尽

こっそり。

この句集、現代の作家のものと言われても気づかないのではないか。おだやかな言葉遣いや、目のつけどころなど、古びた感じがないと思う。

一方で、日野草城『青芝』(昭和7年3月)、山口誓子『凍港』(昭和7年5月)と同年刊行された句集であることを思えば、若干・・・・・・いや、相当に食い足りない、感じもするのだ。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む③ 2016.12.12

 蝉逃げし方に森ありくろぐろと

理屈ではあるが、森の存在感がある。

 蠅叩一日うせてゐたりけり

いらないときはいつもあるのに。

 かまきりのゆるぎいでしがものをはむ

ひらがなばかりだが、内容はこわい。ラスボス感がある。

 春めくや銀ほどきたる猫柳

春めいてきて、猫柳の花が咲いた、それを「銀をほどく」と形容する。猫柳は猫の毛のようにふわふわとした花穂がひらき花を咲かせるらしい(参考:季節の花300)。

白い花穂を「銀」ととらえたわけで、色彩感覚が冴え、印象鮮明である。

ところで『現代俳句大系』で解説を書いた鷹羽狩行氏は「猫柳」の句などをあげて「全体に格調の高い作品が並び、また、作者の主張である「単一化精神」もみられる」という。

たしかに上品な味わいがあり、笑いや低俗なところを目指した句は少ないといえるだろう。しかし「蠅叩」などは俗っぽいし、格調高いとまで言えるかどうか。

また、「単一化」とは、どのあたりをさすのだろうか。

『現代俳句大事典』(三省堂)の「吉岡禅寺洞」の項目には、「(一九)二九年、「ホトトギス」の関西大会での講演で提示した「単一ということ」=単一精神は、「平明」とは異なり、鋭角的に「象徴」へと向かう禅寺洞の根底の思想を予感」させる、という(執筆者は寺井谷子氏)

うーん、よくわからない。

ちなみにこの句は「春先」と「猫柳」が季重ねだが、この時代あまり季重ねはうるさく批判されなかった。とはいえ猫柳の開花を詠んだだけ、という気もする。悪い句ではないが、全体に驚きは薄い。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む④ 2016.12.13

吉岡禅寺洞は「土の俳人」とも呼ばれていたらしい。

たしかにこおろぎやばったなどを詠んだ句が散見される。

 足もげのかの?【虫車】の鳴きにけり  【虫車】でコオロギ。

 をちかたにきち\/ばつたとび交へる

 こおろぎに夜だちのむすび出来にけり

 台風のすぎたる土のばつたかなをちかた

 あしもとにちさきばつたの音ありし

一句目「足もげ」のコオロギという言い回しが壮絶。

バッタの後ろ足はとれやすく幼虫のときはとれても脱皮すると再生するそうである。コオロギも同様らしいが、成虫は再生しない。このコオロギは足がとれてなお生命を貫徹しようとするたくましさを感じる。

虫といえば同年に発刊された山口誓子『凍港』に有名な「虫界変」がある。

 蟷螂の蜂を待つなる社殿かな

 蟷螂の鋏ゆるめず蜂を食む

 蜂舐ぶる舌やすめずに蟷螂

 かりかりと蟷螂蜂の?【白八】を食む  【白八】は貌の異体字

 蟷螂が曳きずる翅の襤褸かな

硬質で微細な描写に迫力がある。辺境に鉾を進むる将軍と呼ばれ、するどく表現を磨いていた誓子は、ここから新興俳句運動のカリスマ的存在となった。しかし誓子は生涯、有季定型の形を崩さず、新興俳句運動からも距離をとることになる。。

これに比べて禅寺洞は、新興俳句運動から口語自由律へ移行していく。このころすでにひらがなの多用や破調などの試みをはじめていたようだが、作品はほかの新興俳句作家に比べるとおだやかで土臭い印象がある。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む⑤ 2016.12.14

先日、古本屋で『定本吉岡禅寺洞句集』(三元社、1967年)を手に入れた。

この本は句集『銀漢』『禅寺洞句集』『俳句文学全集吉岡禅寺洞篇』『新墾』、そのほか現代日本文学全集91巻、雑誌「天の川」「俳句」「俳句研究」に掲載された句をまとめて年代順に並べたというもの。

句集『銀漢』では春夏秋冬順になっているので、改めてこちらで制作年代を確かめてみると、もっともふるい明治三十六年に

 残雪の山の名残を狩りあさる

が一句あるが、そこから

 峰二つ越えて寝てゐる蒲団かな  大正五年

 穀象虫唐箕のさきの日に這へり

 茄子もぐ手また夕闇に現れし

へ、年代は飛ぶが『銀漢』所収句が並ぶ。(「残雪の」は句集未収録)

このなかでは「茄子もぐ手」が唐突で面白い。すこしホラーチックな感じもするが、句集のなかでホラーの味わいのある句は珍しく、秀句だと思う。

大正年間はおおむね有季定型で句材もおだやかなものが多いが、

 蝌蚪の水に煙草火投げて訪ひにけり 大正八年

 海苔買ふや追はるゝ如く都去る

 子をくはへて秋猫土間をさまよへり

が並んでいるあたり、すでに若干のはみだし具合を感じさせる。

珍しい句材でいえば

 アンテナにとまる鳥あり柿若葉  昭和三年

 歳晩やキネマはねたる市の塵  昭和四年

 九官鳥のゐる種物屋さがしけり  昭和五年

あたりだろうか。新しい句材にも柔軟に挑んだ句といえる。

やはり現在の眼からみると作者の興味関心の推移がわかるだけに制作順のほうがわかりやすい。安易に作者像をむすぶのは危険かもしれないが、それでも見えてくる(期待する)「作者」はあっていいだろう。

春夏秋冬順は確乎たる歳時記制度のなかで、どこで詠んでも変わらない、という信念があって成り立つものであり、ある意味では「作者」という個人の存在を無視したところに成り立つのかも知れない。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む⑥ 2016.12.15


あっという間に一週間が過ぎようとしているが、禅寺洞『銀漢』について、まだよくわかっていない。

『銀漢』は作者にとっては「有季定型」時代にあたるので、さほど特徴的な作品がないと言ってしまってよいのかもしれない。

また禅寺洞のキーワードとしてあげられる「単一化」や「土の俳人」といったものも、わずかにそれらしいものを見ることはできるものの、特徴として引き出せるほど明確ではない気がする。かろうじて見いだせるのは、口語体にもつながるであろう文体のやわらかさと、それにともなう感覚、素材の新しさである。

 南風のみち昆虫とりもしらぬとて

 いちはつのぬれてゐるなり紙のごと

 露の香やメロンの網に手をふるゝ

 いづこより来て作る菜や冬の山

旧かな口語に近いのではないか。いま文法書がないのですぐに断定できないが、すでに口語体に近づいた文体であり、むしろそれが俳句の本道にかなっているという気がする。

もとより「俳言」をとりこむことがそもそも「俳諧」の必須条件だったのだから、「雅語」的な言葉遣いに戻ることが本末転倒なのである。

「天の川」で学んだ作家のなかに、富安風生がいる。『定本吉岡禅寺洞句集』の題字は、実は風生の筆である。風生は、以前このコーナーでも読んだことがあるが、虚子の股肱として辣腕をふるいながら、一方で非常に口語的な俳句文体に近づいた作家でもあった。

現在、「俳句史」の教科書では「口語俳句」は、戦後、特に現代になって急に広がりを見せたように書かれることがある。禅寺洞にはじまる口語俳句の流れは、もうすこし丁寧に見ていく必要があるかも知れない。(久留島元)

吉岡禅寺洞『銀漢』を読む⑦ 2016.12.16

 海苔買ふや追はるゝ如く都去る

最後にもう一度この句を。

作句は大正八年(1919)春、上京したときの句という。

「諸俳友と交流したが、胸底に「追はるる如く」の感覚を持ったのである。「海苔」は春の季語であるが、この句により、実感と季語の差の違和を抱いたとも伝わる。」

『現代俳句大事典』による寺井谷子氏の鑑賞である。

胸底にあった「感覚」とは何だろうか。都を追われるというのは政治的敗者という感じ。俳句の表現に戻れば、「海苔を買う」だけで戻るつもりだったのに・・・ということなのか。

掲句自体はおおげさな言い回しが滑稽だと思うが、寺井氏らの鑑賞だとのちにホトトギスを離れる予感があったというのだろうか。たしかに振りかえればその「違和感」が離脱につながったかもしれないが、私自身の体験に照らしてみれば、少し違う。東京でたくさんの俳句の友人たちと会って、地元へ帰るときにはやはり俳句仲間の少ない地元の環境が思われ、また談論風発、新しい俳句が生まれる予感のする「都」がうらやましくなった、そんなところではないか。

一方逆に、そんな「都」の盛り上がりを一歩引いて見られる立場だったからこそ、のちにいろいろな新しい方向を見いだしたのだ、とも言えるかもしれない。

とにかく禅寺洞俳句の再読は、まだ始めたところなのでなんとも言えない。最後に『銀漢』の有季定型時代を離れた禅寺洞がどんな句を作っているか。『定本吉岡禅寺洞句集』から後年の句を紹介しておこう。

 マスカットがとどいた 友情は透明である

 かいがらこけしの ひとみがすんで これは天孫族

 アパートがねてしまった 老人は月見している

 ペンギンに みられ わたしも 自立している

 いっっぴきの 蝶がよごれて 心電図をかいていった

(久留島元)


富安風生句集を読む ① 2016.11.12

富安風生といえば

 まさをなる空よりしだれざくらかな

がよく知られた句だろう。これは第三句集『松籟』所収の句。
明治十八年(1885)生まれの風生は、本名謙次。東京帝国大学法律科を卒業し、逓信省に入ると逓信省次官、日本放送協会理事など要職を歴任。
昭和四十五年(1970年)、勲一等瑞宝章を受章。昭和五十四年(1979)没、95歳。
まごうことなき名士であり、また「若葉」の主宰としても終始、虚子の信奉者として多くの関連書、入門書を出版している。
経歴を見ていると多方面での旺盛な活躍ぶりに驚かされるけれども、句柄はあくまで平明でわかりやすく、日常ふと気づいたことを楽しく句にする、という感じ。
ちなみに今回きづいたのだが、風生氏は私の、ちょうど100年年上にあたる。これもなにかの機縁だろう。

 風生と死の話して涼しさよ 虚子

の句で知られるように、虚子からも温雅な性格と実務家としての実績で信頼され、ホトトギス俳句の広がりに貢献した人物である。

本当ならこのコーナーでは一冊ごとに「名句集」をとりあげる、というつもりだったのだが、ほかの選者のコーナーを見ているといつの間にか人物をとりあげることも増えているようだ。風生については、私はあまりよい読者ではないのだが、手許にある『現代俳句の世界5 富安風生・阿波野青畝 集』(朝日文庫)に全十六の句集からの精選がおさめられている(選者は弟子の清崎敏郎)。どれか一冊の句集を選んでもよかったのだけれど、好きな句もあれば疑問に思うものもあり、どれかひとつに絞りきれず、全体を見渡すことのできる朝日文庫から、気ままにとりあげていくことにした。ご容赦いただきたい。(久留島元)

富安風生句集を読む ② 2016.11.13

 よろこべばしきりに落つる木の実かな 「草の花」

木の実自身がよろこんでいるのか、それとも人が喜ぶのがうれしくて、木の実が落ちてくれるというのだろうか。よころべば、という率直な感情表現から入って、そのまま童心にもどって幸せな気分になれる句。

 みちのくの伊達の都の春田かな

「みちのくの伊達の都の」は、仙台という地名を想起させるだけの言葉、つまり「仙台の春田だ」というだけで、ほとんど内容がないような句だ。いわば和歌でいう序詞に、安易に季語をむすびつけたような句だが、仙台という肝心の地名は省略しているところが俳句的な省略か。

 閻王の紅蓮の舌の埃かな

閻魔大王像の舌に埃がたまっていた、という細かいところに眼をむけた写生句のお手本的な句。

 萬両や使ふことなき上厠

これも、印象はまったく違うが、上のほうの厠は使われていないな、という実景をとらえただけの句である。

第一句集『草の花』から引いた。昭和八年(1933)十月、龍星閣から初版。

『現代俳句大系』(角川書店、昭和47年)には『草の花』『村住』『古稀春風』の三冊の句集が収録されている。風生と清崎敏郎が相談のうえ処女句集である『草の花』と、それぞれ句境の転機があらわれているという二冊を収録したという。

それだけ第一句集『草の花』は重要だったということだろう。しかし、今読みかえしてみると、傑出した句ばかりとも思えない。たいへん生意気だが、玉石混淆という雑多なところが、むしろ風生の柔軟性を示しているのかもしれない。(久留島元)

富安風生句集を読む ③ 2016.11.14

 退屈なガソリンガール柳の芽 「十三夜」

第二句集『十三夜』(昭和十二年、龍星閣)所収。

ある意味では、もっとも風生らしい句だと思う。新しい風俗であっても関係なく、目の前の光景を取り入れていく。それが本来の「写生」であって、また近代俳句の基本であると思う。頭の中にある理想的な「美しい景色」だけを詠んでいては、どんどん袋小路におちいってしまうからだ。

だからといって、この句は本当にいい句なのか、判断に迷う。「退屈(そう)な」ガソリンガールを、あえて言い切ってしまい、まだ肌寒い初春のなかに配置した。これが詩か? と問われれば迷うけれど、こんな日常風景に詩を見いだせるのは俳句しかない、とも思う。

 何もかも知つてをるなり竈猫

竈猫という季語を定着させた句として有名である。

文語旧かなの表記だけれど、まったくそれを感じない。竈がなくなった現在では実景としては共有できないはずだが、丸くなった猫が、したり顔をしているのはすぐ思い浮かぶ。チェシャ猫や猫バスを思い出せばわかるとおり、猫はなんとなく物語のキーを握るような、それでいて何も考えていないような、そんなキャラクター性を発揮するものだ。

 泡一つ抱いてはなさぬ水中花

厳密にはこれも文語旧かな表記となるのだろうが、これくらいなら口語のバリエーションといっていいだろう。水中花に、泡がひとつついていた、それを「抱く」と表現する通俗ぶりが、下品でない程度にドラマチック(或いはロマンチック)である。

たとえば風生の句を次のような句に混ぜたら、どう見えるだろうか。

 あくびしたこねこのくちのなかに冬 山中南海

 埋火のぱちんと鳴りて星落ちる 谷口のぞみ

 ライトアップされたってどうせへんなはっぱ 吉田美桜

これらは2015年度に同志社女子大学で開講した創作講座の受講生による作品、『乙女ひととせ』vol.4から引いた。風生の句は、現代の女子大生の感性とも、意外に近いところにあるのではないか。(久留島元)

富安風生句集を読む ④ 2016.11.15

 街の雨鶯餅がもう出たか 「松籟」

鶯餅、始めました。

 ネクタイを結ぶときふと罌粟あかし

庭にあったのか、出勤のときふと眼に入ったのだ。ただそれだけの句なのだ。

 爪刻む足もとに来て蟹可愛

「可愛」まで言ってしまうのか。可愛いけど。

 この落ち葉大学生としても踏みし

「踏みし」のし(過去回想)は、下六にもなり語呂もわるい、必要なかったのではないか。

過去を回想しているほうが文法的には正しいかもしれないが、「踏み」のほうが過去現在が入り交じって面白かったように思う。

 怒りぽき黄帽子いんこ秋暑く

「怒りぽき」って。そんな文語があるのか。

 スキー穿きこの子可愛や家はどこ

迷子だろうか。心配になる。

 あたたかき十二月なりひまにも馴れ

またも下六。現在の俳句作法では「上五は多少延びてもよい」と指導することが多いようだが、そんな常識も時代や流行によって変わっていることが分かる。とはいえこの下六はあまりに説明的ではないだろうか。

なんでもない日常の発見が、そのまま提示されて面白く感じられるものと、説明的であまり面白く感じられないものが、混在している印象を受ける。その混在を、どうとらえればいいのだろう。(久留島元)

富安風生を読む ⑤ 2016.11.16

一冊ずつ見ていったのではなかなか進まない。ペースアップしよう。

白桃をよよとすすれば山青き 「冬霞」

「冬霞」は昭和十八年刊行(龍星閣)。よよ、という擬音は、泣き崩れる女性などに使うことが多いが、どこか弱弱しく、しかししぶとさを感じさせる。

本読めば本の中より蟲の声

読書の秋。

下駄の音ころんと一つ秋ふかし 「村住」

下駄の具体性が、「ころん」という音であらわされる軽やかさ。

「村住」は昭和二十二年の刊行(七曜出版社)、戦中に疎開先で詠んだ句をふくむ。「夕顔の一つの花に夫婦かな」「賤といふ好きな言葉よ露の宿」など、やや人生訓めいた句が増えるのも特徴であろうか。

春の町帯のごとくに坂を垂れ 「母子草」

句意は明瞭だが、実景と考えると珍しく幻想的な味わいをもつ句。

しみじみと妻といふもの蟲の秋

散見される妻恋俳句のひとつ、一歩間違えればことわざのようになる。

梨の花人の憂の蒼を帯ぶ

私見だが、風生は都会人の幸福な日常を描くほうがうまい。憂いを帯びた句もおしゃれだが、独創という気がしない。日常からちょっとはみ出す、とらえ方を変える、そんな句が風生の持ち味ではないだろうか。(久留島元)

富安風生を読む ⑥ 2016.11.17

 一生の楽しきころのソーダ水 「朴落葉」

少年の日の回想と思えば、現在の眼からは月並みにも見えるが『朴落葉』が昭和二十五年刊行と知れば、それなりの「新しさ」を感じることもできる。すこし調べたところでは、銀座の資生堂パーラーが日本でソーダ水の製造、販売を初めて行ったのが明治三十五年(1902)という。1885年愛知県生まれの風生にとっては、おそらく上京して出会った「青春の味」だったのではないだろうか。

『古稀春風』(昭和三十二年、龍星閣)には「春昼といふ大いなる空虚の中」「赤富士に露滂沱たる四辺かな」などとともに、「老はいや死ぬこともいや年忘れ」(朝日文庫未収録)がある。

自分の感傷+季語という作りで、しかも年の改まるときにあたってあまりに正直な告白に、思わず読者も苦笑いせざるをえない。が、それがまったくの本心だろう。

時に弱気な部分もふくめて本心を開放してみせるところに、風生俳句の明るさがある。それが季語への深い傾倒とむすびつくことで、口語で等身大の日常生活を、明るく、豊かな俳諧的境地に届かせている、といえる。それが詩とよびうるかどうか、は、判断の分かれるところだ。

続く句集タイトルは『愛日抄』(昭和三十六年、角川書店)、『喜寿以後』(昭和四十年)で、老いの身で日々を愛するという風生ならではの境地が示されている。

 あなたまかせと詠みし人の忌年の暮 『愛日抄』

 わが生きる心音トトと夜半の冬

 狐火や濡るるがごときしんの闇

 命うらら喜寿より見れば古稀若し 『喜寿以後』

 もろこしを焼いて女房等おめえ・おら

 満月を生みし湖山の息づかひ

 生くることやうやく楽し老の春

老いを生きながら、自由闊達に楽しんでいるという感じがする。

しかしまた、日常に埋没しがちな感情であり、俳句だ、という気もする。(久留島元)


富安風生を読む ⑥ 2016.11.17

 一生の疲れのどつと籐椅子に 「傘寿以後」

 家康公逃げ廻りたる冬田打つ 「米寿前」

 風光るサンドヰツチの耳硬く

 鱏泳ぐ黒きマントをひるがへし 「年の花」

 古日記俳句の蟲の糞りしもの

風生の第一句集『草の花』の序にあたって虚子は、膨大な数の例句に引きながら「軽快で、典雅で、極めて易々たるものゝ如く見える」「静かに歩を中道にとゞめ、騒がず、誤たず、完成せる芸術品を打成するのに志してゐる」と評しつつ、その都会的なスマートさと才華を賞している。

今回典拠とした朝日文庫『富安風生集』の各巻に懇切な解説を記した三橋敏雄は風生俳句について「主観と客観、渾然一体の妙趣を伝える独自の俳風を、まれに見る長寿とともに打ち立てた」と評する。

手許で確認できていないが、三橋の引く白鳳社刊『自選自解富安風生集』において風生自身は

「『草の花』時代の基礎勉強の後、『松籟』で少しあばれてみ、目標のない『冬霞』の彷徨を経て、『村住』に至つて純粋客観写生から漸く内向的に傾斜し心境的なものに心をひかれるようになる、『喜寿以後』となって年来口にし来たった「老」がやっとほんものゝ心の声となって来る・・・」

と解説しつつ、常に最新の句集が一番愛着の持てるものだと自負を示している。

角川書店『現代俳句大系』所収「草の花」の解説を担当している清崎敏郎によれば、第三句集『松籟』の口語調や破調を自在にとりいれた作品は、当時の俳壇から「賛否両論が激しく投げかけられた」という。そして「才気溢れた着想、自由な調子、軽快な叙法に独特の味わいがある」「これだけをもって風生俳句を律することは、たいへんな誤りである」と述べる。

とはいえ虚子の指摘するとおり、風生の持ち味は都会的な軽妙さにあり、近代・現代を生きる日常的な生活感覚を季語的世界にうまく接続・展開してみせた技量にあると思う。
それが口語や破調に向かうことは、意外ではない。日常の驚きや幸福を等身大として詠もうと思えば日常で使い馴れた言葉遣いになるのは当然で、明治生まれの風生がいち早く気づいていたにもかかわらず、口語を排撃するのは、日常の俗な楽しみから離れて雅趣へ向かっている、危険な徴候ではないだろうか。

そして逆に言えば、風生よりあとの時代に生きる私たちが、一見穏やかにみえる風生の俳句よりも現代的な俳風を「打ち立て」られているか、という課題もつきつけられている。(久留島元)

富安風生を読む ⑦ 2016.11.18

 一生の疲れのどつと籐椅子に 「傘寿以後」

 家康公逃げ廻りたる冬田打つ 「米寿前」

 風光るサンドヰツチの耳硬く

 鱏泳ぐ黒きマントをひるがへし 「年の花」

 古日記俳句の蟲の糞りしもの

風生の第一句集『草の花』の序にあたって虚子は、膨大な数の例句に引きながら「軽快で、典雅で、極めて易々たるものゝ如く見える」「静かに歩を中道にとゞめ、騒がず、誤たず、完成せる芸術品を打成するのに志してゐる」と評しつつ、その都会的なスマートさと才華を賞している。

今回典拠とした朝日文庫『富安風生集』の各巻に懇切な解説を記した三橋敏雄は風生俳句について「主観と客観、渾然一体の妙趣を伝える独自の俳風を、まれに見る長寿とともに打ち立てた」と評する。

手許で確認できていないが、三橋の引く白鳳社刊『自選自解富安風生集』において風生自身は

「『草の花』時代の基礎勉強の後、『松籟』で少しあばれてみ、目標のない『冬霞』の彷徨を経て、『村住』に至つて純粋客観写生から漸く内向的に傾斜し心境的なものに心をひかれるようになる、『喜寿以後』となって年来口にし来たった「老」がやっとほんものゝ心の声となって来る・・・」

と解説しつつ、常に最新の句集が一番愛着の持てるものだと自負を示している。

角川書店『現代俳句大系』所収「草の花」の解説を担当している清崎敏郎によれば、第三句集『松籟』の口語調や破調を自在にとりいれた作品は、当時の俳壇から「賛否両論が激しく投げかけられた」という。そして「才気溢れた着想、自由な調子、軽快な叙法に独特の味わいがある」「これだけをもって風生俳句を律することは、たいへんな誤りである」と述べる。

とはいえ虚子の指摘するとおり、風生の持ち味は都会的な軽妙さにあり、近代・現代を生きる日常的な生活感覚を季語的世界にうまく接続・展開してみせた技量にあると思う。
それが口語や破調に向かうことは、意外ではない。日常の驚きや幸福を等身大として詠もうと思えば日常で使い馴れた言葉遣いになるのは当然で、明治生まれの風生がいち早く気づいていたにもかかわらず、口語を排撃するのは、日常の俗な楽しみから離れて雅趣へ向かっている、危険な徴候ではないだろうか。
そして逆に言えば、風生よりあとの時代に生きる私たちが、一見穏やかにみえる風生の俳句よりも現代的な俳風を「打ち立て」られているか、という課題もつきつけられている。(久留島元)


眞鍋呉夫『月魄』を読む ① 2016.10.15

眞鍋呉夫は、1920年、福岡県生まれの作家、俳人。
1939年に阿川弘之、島尾敏雄らと同人誌「こをろ」を創刊、1941年に文化学院文学部に入学し、佐藤春夫の謦咳に接する。翌年に応召、佐賀関沖の無人島に駐屯する。このとき戦艦大和の最後の出撃を見送ったという。戦後、1949年から上京し、文筆活動に入る。著hしょに『サフォ追慕』(芥川賞候補)、『天命』『異物』など。句集は『花火』(1941)、『雪女』(1992、定本版98。藤村記念歴程賞、読売文学賞)、『月魄』(2009)。2012年、誤嚥性肺炎のため逝去、92歳。

以上は巻末の著者略歴とWikipediaを参照した。
『月魄』は、2010年に第44回蛇笏賞を受賞している。いちおう蛇笏賞は俳壇でもっとも権威があるとされているので、現代でもっとも評価された句集のひとつ、ということになるので、今週はこの句集を読んでみることにしたい。

タイトルは「つきしろ」と読む。単語としては、音読みで「げっぱく」とも読むが、月、または月の神をさす。魄は、「魂魄」つまりたましいの意味である。内容は五章仕立て、まずは第一章「露草」から読んでいこう。なお、句集はすべて正字表記だが、一部通行字にしたものがある。

 雪の上を雪奔りゆく淑気かな

淑気は「新春、四辺に満ちている瑞祥の気」。巻頭を飾るにふさわしい、清浄な句からの幕開け。

 船蟲の散りて砲身あらはるる

 夜光蟲ヒトの形に煌きて

夏、虫たちの季節。船虫が逃げるとあらわれる砲身(旧海軍の戦艦に群がっていたのだろうか)、ヒトをもどく夜光虫。

 死者あまた卯波より現れ上陸す

 青蚊帳の魑魅(すだま)のごとき男女かな

やや時代がかった道具立てのなか、彼岸と此岸が交差する。人間ならぬものが立ち交じる。

 秋風に蹠(あなうら)見せて歩む象

歩くとき、足の裏が見えるのは当たり前なのだが、巨大な足裏が見えた瞬間に、不気味さがたちこめる。

およそ季節の順に配列される句をたどっていくと、小説を読むような、濃密な構成があるように思われる。明日も引きつづき「露草」の句を見る。(久留島元)


眞鍋呉夫『月魄』を読む ② 2016.10.16

 月明るすぎて雄阿寒歩きだす

 雄阿寒も雌阿寒も露の中

 ここ数日、秋晴れが続き、月が綺麗だ。昨晩の月も見事だったが、今日が満月。

さて、掲句は『月魄』「露草」の章にある。雄阿寒、雌阿寒は北海道、阿寒湖を挟んで向き合う活火山のようだ。月が明るすぎて~歩きだす、は、宮沢賢治『月夜のでんしんばしら』にも描かれた世界で類想的だが、山が歩き出すというのはスケールが大きい。そのように身近に迫る火山が、つづいて「露」という小さな世界にとじこめられている、という句に転ずる。これも「~も~も~の中」といえば「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか 龍太」に通じる定型句だが、「露」の可憐さは、やはり見るべきだろう。

 露草の力をわれに賜へかし

一見可憐な露草の、実はしたたかな雑草根性のようなものを賜りたいという。

道具立てにしても、形式にしても、決して新しい創造とはいえない。むしろ、類想が多いだろうと思う。しかし、斡旋が絶妙で、幻想的な世界をつくることに成功してはいる。これを凡句と切り捨てるか、滋味として味わうか、は、読み手の好みに左右されるだろう。

 巌よりしみでて月の水となり

月に水はないが、月神のもつ水は不老不死の霊水という。古い神話を想起させる荘厳な気配の句。

 戸口より戸口へ続く枯野かな

 音ならぬ音して雪の降りしきる

よく似たリフレインを用いた句。広々としたむなしさ。しんしんと降る静けさ。

 雪女来たか葦毛が竿立ちに

 雪女うしろに吹雪く闇を率て

句集『雪女』をもつ作者の、得意の句。

物語の一場面からとりだしたような、鮮烈な場面である。「馬の竿立ち」から、「闇をバックにした雪女」への転換。とても映像的であると思う。私自身は、民話から創作された人形劇か影絵の一場面でありそうだと思った。

作者、眞鍋呉夫は、澁谷道の「紫薇」に属する連句人でもあったそうだ。一句ずつはたしかに少し連句的、ともいえるかもしれないが、配列はむしろ飛躍が少なく、月光にてらされる幻想的な雰囲気で統一されているように思われる。ただ、一句ごとに感じる「連句的なもの」が、作者の情報を前提にした予断、あるいは私の勘違いなのか、それとも少しは根拠があるのか。そんなことも念頭に置きつつ、明日は「釘隠」の章に入る。(久留島元)

眞鍋呉夫『月魄』を読む ③ 2016.10.17

今日からは「釘隠」の章に入る。

約束の螢になつて来たと言ふ

ふたつの句を想起する。「約束の寒の土筆を煮て下さい 川端茅舎」「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子」。期せずして口語俳句である。掲句は、口語旧かな形式というべきか。

たとえば、先に死んだ友人の魂が、約束通り蛍に生まれ変わって来たよ、とでもいうのだろうか。淡々として、しかしやさしげな口調が心地よい。枯れた友情という感じがする。

 孑孒の身を立てなほす月夜かな

ボウフラなので、夏の月となる。ふらふら、ふわふわ浮かんでいるボウフラが、月光をあびてやや身を正したようだ、というのだろう。そんな殊勝なボウフラもいないだろうと思うが、あるいは月夜にぼんやりして体勢を崩し、あわてていただけかもしれない。

 釘隠良夜の釘を隠しをり

章題「釘隠」をふくむ一句。釘隠が釘を隠しているのは当たり前だが、それが「良夜の釘」であるとの断定が、なにやら意味深である。釘のなかにも狼男のように、良夜になれば別の顔になるものがあるのだろうか。

 滝壺に良夜の月がまくれこみ

水の波間に月光がさしこむ様子を「まくれこむ」と表現した。

 ロッカーに翼預けて逢ふ夜長

この人は、何者? 渡海にまぎれ込んだ、天使なのか天狗なのか、それとも鳥人間なのか。

 さびしさに煙吐きけむ鬼ふすべ 

注に「鬼ふすべは煙茸の異称なり その煙いとはかなくかぼそし」とある。

 人食ひし狼なれば眼の青き

人食い狼の眼の色が、青だという根拠はわからないけれど、月の光に満ちたこの句集のなかでは、たしかに「青」の眼がふさわしいのだろう。

さて、いまさらりと書いたが、本章は句集のタイトルに相応しく「月」の光に満ちている。

一句ごとに独立した、多様な世界を持っているというより、こだわりをもって選ばれた言葉のなかで、すべての句が積もり、重りあって、ひとつの世界を作り上げているように見える。(久留島元)


眞鍋呉夫『月魄』を読む ④ 2016.10.18

今日から「白桃」の章に入る。

 この階を昇れば銀河始發驛

壮大な始まり。
始発駅、というのが、まったく当たり前というか普通の景色なのだが確かに物語を感じさせる。鉄道ファンならずとも、始発駅から誰もいない列車に乗り込むのは、ちょっとわくわくするものだ。そんな駅へ続く階段が、一転して銀河へひろがる。

 たぎりおつる月の潮よひと戀し
 轟沈のあとはことなき月夜かな

この並びは楽しい。

月の潮はよくわからないが、月の海のことか、それとも月が潮に引かれて落ちるのか。静かな月夜の句がならぶなかで、ひと寂しさに轟沈する月を想像してしまって、おそらく誤読なのだが、それでも読後の楽しさは魅力的である。

尿前や月に透きたる草の茎

尿前という語は不明して思い至らなかったが、宮城県の地名。芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕もと」の句が詠まれた場所という。芭蕉句には「「尿前の関という地名からの発想でしょう。「尿」は「しと」と読めば若手気、「ばり」と読むと俳句的。ここでは「ばり」と読むのがいいかもしれません。」と塩見恵介氏の解説がある(『お手本は奥の細道 はじめて作る俳句教室』すばる舎リンケージ、2013)

掲句は芭蕉を前提にしつつ、野宿の旅人の目を想像させるような「草の茎」に焦点化する。滑稽な地名を組み込みつつ、幻想的な美しさへ昇華する。その反面、芭蕉のおかしみが失われていることは、眞鍋作品というより現代の俳句全体にいえる傾向だろう。

 象のごとこの世の露を振りかへり

「釈迦入寂 行年八十」と前書き。「象」も作者には気になる素材であるようで「象の皺箒で払ふ大暑かな」(白桃)、「月光の沁みこんでゐる象の皺」(青鷺)とくり返し登場する。

 我はなほ屍衞兵望の夜も

「「大東亜戦争」当時の陸軍には 戦死者を荼毘にすることが可能な場合には 昼夜をとはずその棺の前に衛兵を立てることがあり これを屍衛兵と称してゐた」という。

 張りぼての鯨の腹を蹴破つて

パーンッ! と、派手な登場をかました感じ。ねぶた祭りか何かの、打ち上げの席だろうか。せっかく作られた、かなり大きいだろう鯨を、蹴破って登場する力強さ。

雪女「鬼ひと口」と馬乗りに

肉食系雪女。(Mッ気のある男性におすすめ)

基本的に、作者が描こうとする「月光」の世界は、静かで神秘的な、ときに死者と交錯するような幻想的な空間である。

ところが、くり返し同じ素材が扱われるなかで、不意に、調和的な幻想を破るおかしさが飛び出すことがある。そのことを、作者はどこまで意図していたのだろう。(久留島元)

眞鍋呉夫『月魄』を読む ⑤ 2016.10.19

今日は「青鷺」の章になる。

鷺というと純白の美しい白鷺を思う。また五位鷺は、宣旨にしたがって自ら捕らえられたという故事から殿上を許される正五位に列されたほどであり、古来日本では珍重されている。ところが「青鷺」は、どうしたものか怪異とされることも多く、青鷺の火などといって夜間に妖しく光るとされる。(五位鷺が光るという伝承もあって、なにしろ光る山鳥というパターンがあるらしい)

 月光の沁みしが燻る焚火かな

沁みし「を」の意味で理解した。月光が沁みている木片なのだが、焚き火に使った、というところか。月光を水にたとえるまでは類想にとどまるが、それを燻した焚火というのも幻想的である。

 ともかくも逆子のままで年を越し

出産の苦労を思いながら、生まれてくる子を楽しみにしながらの越年。「ともかくも」というところが、無事産まれてくれればよいという親(あるいは親族)たちの実感が籠もっている。
前章までは死者を思う句が多かったが(「魂まつり兄は鐵底海峡より」「月を背に遺骨なき兄黙し佇つ」「茄子の馬歩みはじむる夢を見て」いずれも「白桃」所収)、ここでは胎内にいる新たな生命が主人公。逆子に注目するのが眞鍋流、といえるが、たしかな生の実感をもとに希望を感じさせる掲句のほうが、もちろんよい句だと思う。

 紅梅の深空へ谺還りゆく

「飯田龍太氏帰天」とある。龍太の逝去は2007年2月25日。

 夏芝居また棺桶が出てくるぞ

「四谷怪談」と前書き。芝居の筋も知り尽くして、さあ今度はあの場面、と同行の連れに解説をしたりしながら、芝居を楽しむ楽しみがにじむ句である。

心中の飲み残したるラムネかな

心中する男女が、ラムネを飲み残して立ち去った、という。心中とわかっているなら止めてあげればよいのに、と思うが、それをしないのはこちらにも負い目があるのか。それとも、作者は心中に向かう当人か。最後にさわやかな、郷愁香るラムネを、しかし飲み尽くせなかった、というところにアイロニーがある。

 斧磨といふ名の在の野分かな

長いが解説がついているので全文引用する。「むかし ある旅の僧 近江ノ國戻山の南麓にさしかかれる折 年老いて愚かしげなる樵の 今にも倒れんばかりに朽ちはてたるあばら家の軒下にうづくまり ひねもす斧を磨ぎつづくるを見て「汝何を倒さんとてさほど斧を磨ぐや」と問へば「されば何かを倒さんがためにあらず ただ この仕事着のほころびを縫ふ針を得んがために候」と答へしとぞ よつて そのあたりを斧磨と名づけたりといふ 現在の戸数四十若」

興味深い説話である。ちょっと調べたところ、斧磨という地名は滋賀県愛荘町にあり、樵夫が斧を磨した石というのが現存するそうである。ところが、ネットで調べたかぎり上の説話は同じ滋賀県でも彦根市摺針峠で伝わるもので、斧磨では説話はつたわっていない。眞鍋氏が混同したのか、斧磨にも同じような説話がつたわっていたのか(同趣の説話は中国の故事や、伊予石鎚山に伝わる)結論は出せないが、摺針峠では旅僧が老人の言を聞き、斧を針にするほど努力できるなら自分は仏道修行を頑張ろうと決意する。眞鍋氏の引用では、どちらかというと樵夫の笑い話のようになっていて、同じ説話でもまったく違う感触がある。
とはいえ、ここでの面白さはあくまで地名のおもしろさ。掲句の前後には「短夜のルーペでさがすチチカカ湖」「果無の雲が育てし猿茸」など地名に注目した句が多いが、地名のおもしろさに頼っており、句の出来には関係ないとみるべきだろう。

本章には、眞鍋氏の作家的想像力が働いたような、芝居や地名という文人趣味の発露が濃い。しかしそれが俳句として立っているか、といえば疑問が残る。(久留島元)

眞鍋呉夫『月魄』を読む ⑦ 2016.10.21

眞鍋呉夫『月魄』を読んできた。
月光の匂い立つような、芳醇な句群であったと思う。

ただ、これが現代の「俳句」の精華として、大きな評価を集めたことに、若干の違和感も残っている。
ここまで読んできた眞鍋作品の傾向として、①切れ字による明確な切れが少なく、②物語性がゆたかであること、などを指摘することが出来るだろう。
私が眞鍋俳句が、すこし「連句的」だと思うのは、そのふたつの特徴からである。

 船蟲の散りて砲身あらはるる
 ロッカーに翼預けて逢ふ夜長
雪女うしろに吹雪く闇を率て

前後に物語を感じるような句。だからこそ、この五七五で完結せず、前後に七七でつながっていそうな気がする。

 船虫の散りて砲身あらはるる

   銀河の彼方飛べ大和

ためしに付けてみた。うまくいっているとも思わないが、思考実験として見逃して欲しい。

この次に、もう一度眞鍋句を「付け」ようとすると、しかし、あまりうまくいかない。「この階を昇れば銀河始發驛」にしても、「張りぼての鯨の腹を蹴破つて」にしても、世界観が同じで、転じていかないからだ。世界が統一されている。その意味で眞鍋句は「連句」的ではなく、また「俳句」的でもない。やはり「物語」、小説風だ、ということになる。あるいは地名から発想した句などは、地名にもとづく説話伝承をそのままもどいてみせたようなところがあり、近代的な「俳句」の面白さとは一線を画する作品だろう。

これは眞鍋作品の、他にない独特の魅力だと思うし、同時に欠点であるとも思う。

 人食ひし狼なれば眼の青き
 心中の飲み残したるラムネかな
 夏芝居また棺桶が出てくるぞ

「文人俳句」という言い回しがある。

久保田万太郎、芥川龍之介など、俳句専一ではない余裕を感じさせる作品の呼称だが、作家なら「文人俳句」と言っておけばいい、という安易な使われ方もありそうだ。
それは、同時に文人というカテゴリに押し込めることで俳句として正当な評価を避けているような風もある。
ところで、眞鍋俳句は、ある意味でとても「文人俳句」的である。そして、どうも自分自身の小説的俳句の世界に閉じこもっていった気がする。俳句の世界は、もっと広い筈なのに。(久留島元)


京極杞陽『くくたち』を読む ① 2016.09.17

 美しく木の芽の如くつつましく 昭和11

京極杞陽は、明治41年(1908)生まれ、昭和56年(1981)没、本名は京極高光。旧豊岡藩主という名門の生まれで、東京帝国大学文学部倫理学科を卒業したのち宮内省に勤務し、宮内省式部官や貴族院議員などをつとめた。

ベルリンの日本人会で、たまたま洋行中の虚子にであったことが機縁で俳句をはじめたという。そのときの句が、掲句である。

正直なところ、あまりうまい句とは思えない。「美しく」「つつましく」と形容詞を重ねるのも野暮ったいし、どちらかというと優等生ぶって、すました感じがする。ただ、素直で可愛らしい、上品できれいな句だ、とは思う。

波多野爽波の師匠だ、といえば、なるほどとうなづかれる人もいるかもしれない。爽波はもっと屈折があるけれど、ヘタウマな感じに、共通するにおいがある。ともあれ、一般にあまり知られた俳人とはいえない。

掲句をふくむ第一句集『くくたち』は、珍しいことに上下巻に分かれている。

上巻が昭和二十一年五月、下巻が昭和二十二年四月、それぞれ青柿堂から刊行された。著者28歳から37歳までの十年間の589句を「一向精選もせぬ句帳の儘たゞ先生の選にあづかつた句のみを只年月順に並べた」(上巻後記)という。

戦後まもない時代に句集を出す余裕があったのは、やはり育ちがいいのかなあ、と思うのはひがみ根性かもしれないが、もともと戦中に「自分の生命にも心細いものを感じ、せめて句集を作って子の為に遺さうかと考へついた」(同)というから、原稿は用意されていたらしい。

今週から一週間は、近代俳句界でも屈指の「お坊ちゃん」である京極杞陽の、不思議な句群をみていく。読めば読むほど癖になる、そんな魅力をお伝えできればと思う。(久留島元)

 

京極杞陽『くくたち』を読む ② 2016.09.18

鶏頭のチカ\/\/と虹色に 昭和11
 汗の人ギューツと眼つぶりけり 昭和12
 香水や時折キツとなる婦人
 噴水がパチ\/パチ\/いうて落つ 昭和13

 「\/」は、くりかえし記号のつもり。こればっかりは横書きでは雰囲気が出ない、各自縦書きで読んで欲しい。

京極杞陽の特徴のひとつに、オノマトペがある。
しかも、しつこい。鶏頭が「チカチカ」する、なら鮮やかな鶏頭が輝くようでよくわかるが、それが「チカチカチカ」となると、多い。そのちょっとした過剰さが「虹色」のおおげさな感じにつながり、赤い印象しかない鶏頭が虹色にみえた、というユニークな見方を信じさせてくれる。

「汗の人」「香水や」は、作句年が近いので、ちょっとした連作の雰囲気もある。ほとんど散文に近い評言だが、「時折キツとなる婦人」は香水との対比が面白く、こまかいところに目を配った勝利だろうか。

「噴水が」も、しつこさがウリだろう。「噴水がバチバチいうて落つ」だけだと、はっきり散文だが、「バチバチバチバチ」とくりかえすだけで、ちょっとリズムが出て面白い。
そういえば、京極杞陽の俳句は、とても散文的である。そこが、ヘタなのだが、俳句的なまとまりを踏み外した面白さを感じさせることがある。(久留島元)


京極杞陽『くくたち』を読む ③ 2016.09.19

 都踊はヨーイヤサほほゑまし 昭和12

なんだ、この下五は。

作者の感想、だけ。俳句は感情を直接詠んではいけない、のではなかったか。ホトトギスの教えは客観写生ではなかったか。
注釈的に見ると、「都踊」は京都の祇園歌舞練場で催す、春の風物詩。舞妓さんによる集団での歌舞で、明治5年に博覧会の余興に催されてから定着したという。京都の大学へ通っていたので毎年ポスターは見るが、恥ずかしながらいまだ実物を見たことはない。

都踊を盛り上げる「ヨーイヤサ」のかけ声。ひいきの舞妓がいるのか、それをにこにこ見守る旦那。にぎやかで華やかな舞台をつつむ、春の情景。
実は先行作に「春の夜や都踊はよういやさ 日野草城」があるという。
草城句は「春の夜や」の艶な雰囲気と、後半のにぎやかさとの対比があり、「や」の切れ字がいい。
それに対して掲句は、「都踊はヨーイヤサ」で切れ、「ほほゑまし」。うーん、どうみてもうまくはない。しかし、この急落ぶり、尻すぼみなのに憎めない、素直な感じが、おかしい。

 阪急は夾竹桃を飜す 昭和14

阪急沿線の住人なので、とてもよくわかる、美しい光景だ。阪急電車の変わらないえんじ色は、沿線住人の誇りであり、夾竹桃との取り合わせもいい。
いいが、しかし、そのまま過ぎはしないか。構造としても単純で、散文的である。
「いい」ということを、「美しい」ということを、そのままに言うのが京極杞陽俳句の最大の特徴であり、表現をほとんど推敲、選択していないようにみえる。

 秋光るこの郊外を知りたる日 昭和12

郊外の(良さ)を知った日。「秋光る」の季語が、その幸運、発見に心浮かれる作者をやさしく照らしだす。散文的で、正直で、しかし憎めない作者の存在感。
言ってみれば武者小路実篤の「おめでたき人」にも通う魅力、といえようか。

ところで、私はいま『くくたち』を『増補現代俳句大系』第五巻(角川書店、1981)所収のもので読んでいる。この本は、今年の京都古書市で、100円で手に入れたものだ。
もちろん原本にあたるのが正しいのだが、流通の少ない句集をあとから読むのは、とても難しい。『増補現代俳句大系』は、一冊に10冊以上の名句集を、抜粋ではなくそのままの形で収録してくれている。解題もついており、とても便利。昔の句集も読みつないでいくことが大切だと思う。(久留島元)

京極杞陽『くくたち』を読む ④ 2016.09.20

 スキー術変な呼吸がいゝ呼吸 昭和14

有名句。なんともいえないが、絶妙に「良い呼吸」の句だ。「変な」という身も蓋もない、実感の籠もった副詞がきいているし、脚韻でリズムもいい。
どこかCMソングのような楽しさもある。

実は京極杞陽にはスキーの句が多く、

スキー穿き杖もつ人ら揃へば美 昭和11
 山々の夕映のくるスキー場 昭和15
 スキーヤーちよつとしやがんですべり去る 昭和17
 色刷の草花の絵とスキーかな 昭和20

櫂未知子氏は、「京極杞陽ノート」と題した評論のなかで一句目「スキー穿き」に触れ、技術的には未熟であるし、音の響きも悪いが、「スキーヤー達が揃ったところで〈揃えば美〉と締め括る俳人がどこにいようか」と讃歎する。「馬鹿馬鹿しい事物に対しても「美」を献上してしまう杞陽の、天性とも言える勇気がこの初期の句には横溢しているのである」。(『セレクション俳人櫂未知子集』邑書林、2003所収)

日本のスキー文化は明治の末からだそうで、昭和初期には珍しい文化ではなかっただろうが、杞陽は持ち前の気軽さで、新しい文化も詠むときも気負いがなく、単純に新しい文化を喜び、楽しんでいる風である。次のような句も、新しい文化、事物を積極的に詠んでいる句。

 夏潮の輝くデツキゴルフかな 昭和14
 自動車の銀のひかりが躑躅ごし 昭和15
 ワイシャツの肩姫百合の花粉つく 昭和17

先日、関西現代俳句協会青年部では、伝統俳句協会所属の阪西敦子さんを招いて勉強会・句会を開催した。その席で阪西さんは、よく俳人仲間が実際のホトトギス句会の自由さを知らず、「それどこのホトトギス句会?」と疑うような架空の句会ルールを批判している、という具体例をいくつか紹介してくれた。

時代は違うけれど、京極杞陽の句をみているとホトトギス句会の自由さがしのばれるようで楽しい。

たとえばホトトギスといえば「季題」「季語」にうるさいのでは、というイメージがあるが、京極杞陽には

 立つてゐる足が離れて浮いてくる 昭和14

など、季語「浮いてこい」の形を変えて使っているような句まである。

京極杞陽の句は、どこまでも自由だ。(久留島元)


京極杞陽『くくたち』を読む ⑤ 2016.09.21

犬がものを言つて来さうな日向ぼこ 昭和12

老犬の如くに我も日向ぼこ 昭和14

犬目開きわれ目を閉ざし日向ぼこ 昭和15

日向ぼこと犬の最強コラボ。とても幸せな光景だ。

マンネリさえいとわず詠み続けるところに、京極杞陽の勇気というか、自分の好きなものを好き、と表現しつづける京極杞陽俳句に通底する粘り強さがある。

 日向ぼこしてはをらぬかしてをりぬ 昭和16

結局してるんかい。

よきことの一つ日脚の伸びしこと 昭和12

日脚が伸びる、それだけで春が近いとうれしい。
俳句が季語の説明になってはいけない、とは初心でよく言われるし、私自身も説明するが、ここまでささやかに、つつましやかな喜びかたを批判するのも野暮な気がする。

日脚伸ぶといへば大きくうなづきて 昭和16

 ただ、幸福そのものと見える京極杞陽俳句にも、やや暗い影が落ちる時期がある。

  ブランコに景色ひろきはものかなし 昭和18

 炎天のテニスコートの只ありぬ

 秋の灯の暗く廊下のまだ暗く

この年の杞陽俳句は、憂鬱がただよう。ひろい景色、ただあるコート、ひらすら暗い廊下。われわれの知る杞陽なら、そんな情景も幸せいっぱいに、美しさを見いだせるのではなかったか。

 父の命母の命や震災忌

杞陽は大正12年(192391日の関東大震災で、父母、兄弟を失った。

その喪失感は京極杞陽に大きな影を落としたというが、それをことさら思い返すようになったのは、戦況がますます厳しくなるこの時期だった。

京極杞陽の戦中の句について、見ていきたい。(久留島元)


京極杞陽『くくたち』を読む ⑥ 2016.09.22

京極杞陽は、昭和17年に満州へ渡る。

 満州へ五月の旅の辞令かな 昭和17
 日本人一人も居らず柳絮とぶ

そのころから、京極杞陽に、やや虚無感のようなものがただよう句が増えてくる。

うすずみのごとくに夜の短さよ 昭和18
 貧しげな小学校や秋の暮 

『現代俳句大系』で解説を書いた清崎俊郎氏は,同時期の「みるかげもなき向日葵と貨車一つ」(昭和17年)や「編棒を三本挿せる毛糸玉」(昭和18年)をあげて、写生という技が身につき、俳句として価値が高いと評している。
しかし、これらの句はたしかに技術的には優れているかもしれないが、あまり面白くはない。時代背景を思えばそれなりに貴重な句かもしれないが、句だけをとれば特色のない、やや内省的な影のただよう写生句であるにすぎないだろう。
昭和19年、「家族疎開先なる雪の但馬を訪う」の前書きとともに

クレヨンを子ども怒りて雪に
 子どもらに雪ふれ妻に春来たれ

がある。

子どもが癇癪をおこした、というだけの句にも見えるが、前書きや前後の句を観ていると戦中の憂鬱が子どもにも影響しているようで、切ない。しかし、その鬱屈した感情から「妻に春来たれ」とやさしく、つよく願えるのが、京極杞陽のよさだろう。

京極杞陽の句には、句の背景を示す前書きが少なくない。

  教育招集姫路入隊
 のどかなる我生涯の一事件 昭和19

  朝鮮にわたり平壌の部隊に入る
 時折に春塵の立つ風情のみ 昭和19

   B29の爆撃はじまる。丸の内にて
 模糊として而して柳散る日かな 昭和19

そして、「終戦」の前書きとともにあるのは、次のような句である。

 ふとアイスクリームといふことばいで 昭和20

京極杞陽復活。

そんな頼もしさを感じるのは、私だけではないと思う。(久留島元)

京極杞陽『くくたち』を読む ⑦ 2016.09.23

美しき人美しくマスクとる 昭和20

前書に、「マスクといふ題を得てつくる」とある。

掲句を鑑賞した飯島晴子は、「森羅万象のなかで最もつまらないと言いたいくらいつまらない「マスクとる」を付けて、一種のマイナスでの衝撃を与える」句だ、と絶賛し、句の解釈や作り方が容易に想像できてしまう「この前書は読みたくなかった」と評する。(『俳句研究』2000.1

しかし「マスク」の題から発想し「美しき人美しく」を導いた過程にこそ、京極杞陽ならではの、つまらない日常に美を見いだしてしまう独特の美意識があるとも言えるだろう。

朝霧の濃きにはじまるたのしさや 昭和20

前書に「十一月十日、先生、年尾、立子の御一行を豊岡のわが家に迎へる。小春日和」。

戦争が終わり、少し落ち着いたなかで師の一行を迎えたうれしさ。まだ霧のかかるころに目が覚めてしまって、二度寝とかしてられない、といったところか。朝霧は晴れる、という言い回しがあり、今日は晴れるぞ、という予感があるのだろう。

それにしてもウキウキしすぎである。

京極杞陽と虚子の関係を示す句は多い。戦中の句だが、

いろいろのことの中なる蛇のこと 昭和20年

前書に、「虚子先生、小山氏より好意の弁当・卵・牛乳・及び一匹の縞蛇くすりにとておくられ待ちて汽車に乗り遙か但馬に向ふ」とある。

小山氏とは小諸の小山栄一である。虚子は昭和199月から昭和2210月まで小諸に疎開しており、「小諸時代」と呼ばれる。シマヘビは漢方薬として、健康増進に使われるらしい。戦中の滋養のためおくられたものだろう。

前書きを読めば健康食品としての蛇、とわかるが、「いろいろのこと」とまとめられると、良いことか悪いことかもわからず、様々な人間関係や事件を含みこんだうえで、目の前に「蛇」が立ち現れるようで、面白い。

 さて、京極杞陽の有名句に、

 性格が八百屋お七でシクラメン

という句がある。八百屋お七は、恋人に会いたい一心で火付けをして火あぶりになった女性。このことから情熱的な女性の代名詞で、見た目は華やかな洋風女性、といった人物が浮かぶ。

この句は筑摩書房版『現代俳句集』に「くくたち」上、と書いて引かれ、角川書店版『昭和俳句集』にも掲載されているそうだが、『くくたち』上下には収録されていない。

櫂未知子氏の調査によれば、どうやら「くくたち」上巻時代(上巻と同時代)というつもりで記したものが、削られて誤解を招いたのだという。櫂氏は、杞陽がはじめ句集に「入れ忘れてしまった」が「捨て難く、後のアンソロジー等には積極的に入れた」と、杞陽の「大雑把」な性格が原因説をとっている。(前掲『櫂未知子集』邑書林)

しかし、何の調査もなく推定するが、もともと『くくたち』は虚子選を経て編まれた句集であることは重要だろう。つまり杞陽というより虚子の選に漏れたのでは、という気がするのである。

そう考えたとき、『くくたち』に虚子と杞陽との思い出にまつわる句が多いことも、なにか意味があるのかもしれないと思うのである。(久留島元)


富澤赤黄男『天の狼』を読む ① 2016.08.20

今回から「俳句ラボ」チームのリーダーである塩見さんが卒業し、より若いメンバーだけで活動していくことになった。今週は新興俳句の旗手であった富澤赤黄男をとりあげる。

 爛々と虎の眼に降る落葉

富澤赤黄男は、明治35年(1902)愛媛県西宇和郡の出身。新たな表現を切り開いた。極限まで突き詰められた表現にはファンも多いが、一方で難解、理解不能といった評もつきまとう。

掲句は、赤黄男の代表作のひとつ。第一句集『天の狼』の冒頭に掲げられた句だ。

赤黄男は極端に句集の少ない作家で、生涯にまとめたものは三冊、再版改訂をふくめても四冊しかない。寡作なこともあるが、それだけ表現にこだわり、作品を遺すということについて意識が高かったということだろう。

そのなかで掲句は、特に意識して選ばれた句であろう。実景を考えれば檻の中にいる虎と、秋の落ち葉の取り合わせであるが、眼そのものに降り積もるかのような落ち葉が、「爛々と」する眼を鎮めるように、また焚きつけるように見えるところがなんとも華麗である。落葉というから日本かと思うが、中国の森林に身を潜める野生の虎と想像してもいいかもしれない。

ドラマチックな場面設定や、実景から展開する作者の心象というのが赤黄男の特色だが、素材でいえば動物への関心というのも大きい。神野紗希は、赤黄男が早稲田大学に在学中に上野動物園(1882年開園)などに出入りしていた可能性を指摘している。伝統的な景物ではなく、明治・大正の、都市的な新しい素材に挑戦することも、新興俳句の重要な要素であった。

私は赤黄男の熱心な読者ではなかったが、現代俳句協会青年部勉強会(於、新宿家庭会館)「読みなおす新興俳句」と題されたミニシンポジウムシリーズのうち、今年2月7日に開催された富澤赤黄男の回で司会をおおせつかった。赤黄男についてはそれ以前に、『赤黄男百句』(創風社出版、2012)で接した機会があったのだが、シンポジウムの話し合いなどをふまえながら、改めて考えていきたい。

なお、上のシンポジウムの記録は『現代俳句』2016.04に西川火尖氏による報告が掲載されている。(久留島元)

富澤赤黄男『天の狼』を読む ② 2016.08.21

赤黄男は開業医の長男で、地元では名士であったそうだ。家業の医師を嫌って早稲田大学に進学し、そのころ俳句を始める。1926年12月、広島工兵隊に入隊、翌年に除隊。結婚、就職もするが、その後退職と転職をくり返すことになる。俳句活動では1930年ごろから、本名正三をもじった「蕉左右」で「ホトトギス」などに投句する。

俳号「赤黄男」を使い始めるのは1932年頃からで、日野草城の選を受け始め、次第に頭角を現すようになる。

俳号の由来はよくわかっていないらしいのだが、地元で広まっているという「柿が好きだから」というのが、一番わかりやすくて楽しい説である。

蜂の巣に蜜のあふれる日のおもたさ

もくせいの夜はうつくしきもの睡る

赤黄男の句につかわれる語彙は、詩情があって豊かである。

どちらかといえば、甘い。「おもたさ」「うつくしきもの」といった直接的な形容、中八、下六などをいとわない音数、など、いま私は詩情が豊かという評をしたが、いささか過剰であろう。ただ浮き立つような表現によって過剰さが過重にならず詩として成立しているようである。

花粉の日 鳥は乳房をもたざりき

「花粉の日」、まさか花粉症記念日でもあるまいが、花粉が多く飛び交う春ということか。五七五におさまった佳句だと思うが、なぜ空白をいれ切れを強調したのか。

赤黄男は句中に空白を多用し、特に第二句集以降はすべての句に空白をいれることになるが、実際にはあまり効いていない、ふつうに句の切れだけで充分という句も多いのである。空白は、より強い切れを生み出す修辞として、現代詩から移入された表現技法だろう。ただし、俳句にはもともと、切れから飛躍や断絶を読み取るリテラシーが蓄積されており、空白がそのリテラシーを超えるものかどうか、考える必要があるだろう。(久留島元)

富澤赤黄男『天の狼』を読む ③ 2016.08.22

 一本のマッチをすれば湖は霧

 めつむれば祖国は蒼き海の上

あれ、どこかで見たような。

と思った人もいるであろう、人口に膾炙する「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司」は、掲二句と「夜の湖ああ白い手に燐寸の火 西東三鬼」を下敷きにして作られた歌だと言われる。このため寺山の作歌は剽窃、盗作として議論されることになるが、見事なコラージュというべきだろう。

寺山の短歌と比較したとき、三鬼句は寺山歌と別種のハードボイルドなストーリーを作り上げている、と感じる。ところが、赤黄男句のほうは寺山歌に吸収され、独自の魅力というには乏しい気がする。

三日月よ けむりを吐かぬ煙突(けむりだし)

三日月と煙突、絵になる光景だ。『天の狼』巻尾を飾る一句である。

ところで夢野久作に「けむりを吐かぬ煙突」の一篇がある。 (青空文庫

初出は『新青年』1933年。

一方、掲句の製作年代は正確には分からないが『天の狼』発行が1941年である。ほぼ同時代とみれば、どちらがどちらに影響したというより、当時「煙突」の立ち並ぶ光景が都会の異様さ、これまでない変化をあらわすものとして作家たちの琴線に触れたのだ、としておいてよい。

掲句の場合は夜なので「けむりを吐かぬ」のは当たり前なのだが、煙突が煙突として機能せず、しかもそこに巨大な塔として存在しているという異様さがどっしりと迫ってくる。

赤黄男の句は、ときに俳句というよりひとつのフレーズ、詩歌句としての魅力を放つことがある。私はときにそれを、俳句的でないと感じることがある。
これは赤黄男の詩情が俳句的でない、ということかもしれないし、それを俳句的でないと感じる、私自身の問題かも知れない。
(久留島元)

富澤赤黄男『天の狼』を読む ④ 2016.08.23

赤黄男は昭和十年(1935)に日野草城を中心に創刊された『旗艦』に属し、熱心に投句、評論を投稿している。作品投稿欄「夜」の選者を引き受けた時期もあり、『旗艦』では中心的作家の一人として活動している。

この時期草城は大阪に住んでいたので、『旗艦』も関西を中心に勢力を持っていた。赤黄男も、支援してくれる水谷砕壺の紹介で大阪で職を求めていた時期があり、関西とは地縁があった。もっとも赤黄男は紹介された仕事でも意見があわずすぐやめてしまうことがあり、家族を連れ大阪と愛媛を行ったり来たりしている。

草城とも砕壺が仲介して面識を持ったようで(昭和十年十月に面会)、水谷砕壺の尽力は大きい。『天の狼』も、冒頭に砕壺への献辞が添えられている。

昭和十二年(1937)九月、動員令が下り、香川県工兵隊として出征。戦地からもたびたび作品や評論を『旗艦』に発表している。

昭和十四年(1939)一月、「潤子よおとうさんは小さい支那のランプを拾ったよ」という前書で連作を投句する。潤子は赤黄男の長女(当時8歳)。いわゆる連作「ランプ」である。

 落日に支那のランプのホヤを拭く
 やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
 灯はちさし生きてゐるわが影はふとし
 靴音がコツリコツリとあるランプ
 銃声がポツンポツンとあるランプ
 灯をともし潤子のやうな小さいランプ
 このランプ小さけれどものを想はすよ
 藁に醒めたちさきつめたきランプなり

戦場詠としては特異な、異国情緒と浪漫ただよう連作で、傑作の名が高い。

連作としてみると、第一句と最終句はランプそのものを詠み、第二、三句で自身の生きている実感、第六、七句は遠く離れた故国の家族を思う感傷、第四、第五句は対になって戦場ならではの音を擬音で軽やかに、しかし不気味に詠んでいる。つまり四句ごとに対称となるシンメトリーな構成になっているのであり、一句ずつのもつ幻想的な雰囲気や戦場の厳しさとは別に、よく考えられた連作としての楽しみがある。

連作「ランプ」を受け取った『旗艦』編集部は、急遽表紙の画像をランプに換え、全面的にこの連作を押し出した。このほか、赤黄男の戦場詠は、花鳥諷詠や写生に限定しない新興俳句の大きな成果となった。

 戛々とゆき戛々と征くばかり
 秋風のまんなかにある蒼い弾痕
 秋ふかく飯盒をカラカラと鳴らし喰ふ
 困憊の日輪をころがしてゐる傾斜

(久留島元)


富澤赤黄男『天の狼』を読む ⑥ 2016.08.25

『天の狼』は、実は逆年順に並べられた句集である。
初期作品をおさめた最終章「鶴の抒情」では、昨日あげたような「戀びとは土龍のやうにぬれてゐる」や「南国のこの早熟の青貝よ」のように、甘い詩情が特色だった。

ところが生活が厳しくなるうえ、従軍の経験を経て、次第に凄絶な内面的激しさを前面に出してくるようになる。現代詩を志向する関心は、素材として自分の内面性にむかっていくのだが、一方でアウトプットするときには俳句型式に拠って独自の形をとる。
「蒼い弾痕」は、その従軍中に作られた作品群であり、戦場での過酷な体験を、しかも赤黄男特有の象徴的な俳句技法で表出したところに特徴があった。
 一木の凄絶の木に月あがるや
 戦闘はわがまへをゆく蝶のまぶしさ
逆年順ということは最初に配された「天の狼」「阿呆の大地」が、『天の狼』刊行時の作品傾向ということになる。そのなかには「もくせいの夜はうつくしきもの睡る」のように詩情ゆたかな句、「影はただ白き鹹湖(かんこ)の候鳥(わたりどり)」のように色彩イメージを強く出した句も存在する。
しかしやはり、この時期の作品としては
 鶴渡る大地の阿呆 日の阿呆
などの、緊張感をたたえた句をあげておくべきだろう。
掲句は「阿呆の大地」という章の由来となった句である。阿呆、阿呆という声は鶴の鳴き声のようでもあるが、むろん作者自身の声に違いない。やけくそのように罵倒をくり返す、やや子どもっぽい「怒り」は、それだけに純粋な感じがする。従軍中ほどの切迫感はないにせよ、出口のない人生へのやるせない「怒り」の感情がぶつけられている。
 蒼海が蒼海がまはるではないか
海がまわるとは何だろうか。よくわからないが、そのよくわからない混沌の、酩酊状態にある作者から「ではないか」と口語的に呼びかけられることで、読者もまたその混沌に引きずられる。
赤黄男は、海辺に育ったからでもあるのか、海をモチーフにした句が多いが、瀬戸内生まれとは思えない壮絶な海が多い。最初期の作品「絶壁へ冬の落日吹き寄せられ」をはじめ「海鳥は絶海を畫かねばならぬ」などの句がある。同じモチーフを繰りかえし詠みつづけるのは赤黄男の特徴の一つだが、それはマンネリにおちいる危険性も持っていた。
赤黄男作品は、その素材として自己の「内面」をテーマにしたため、遅かれ早かれマンネリ化は避けられなかったともいえる。(久留島元)


富澤赤黄男『天の狼』を読む ⑦ 2016.08.26

 蝶墜ちて大音響の結氷期

赤黄男といえばこの句である。
正直なところ、私自身はこの句が名句であるかどうか、よくわからない。有名句として親しみすぎて、評価以前に、ある種の基準となっている句だといえる。すこし丁寧に鑑賞してみよう。
まず「蝶」が「墜」ちる、おそらく力を失って死に至ったのである。落下する小さな蝶の影、それが地に触れたと見るや、その音が大音響にひびき、すべてが凍り付く「結氷期」の分厚い氷が作者をおおっていると気づく。その氷の世界では蝶の音さえ大音響に聞こえた、と解釈すれば、わかったようでつまらない。むしろ

「蝶墜ちて」のところでは、蝶の向こうにはちらちらと春の明るい景色が見え隠れしていたのだが、落ちた先は透明な光の氷の世界だった。(谷さやん、『赤黄男百句』創風社出版2012所収)

というように、言葉の流れに任せて展開を楽しんだほうがスリルがある。

高柳重信の指摘によればこの句の原型は「蝶絶えて大音響の結氷期」であったという。
絶える、には種としての絶望感があるが「墜ちて」は、一頭の蝶が墜ちたかすかな音が「大音響」「結氷期」という言葉へ連なっていく高揚感がある。意味上は冷たく寒い光景だが、言葉から作られる映像がきわめてダイナミックで高揚させられる。
この句には過剰な寓意や象徴のような「意味」をよみとくより、言葉の連なりからくる見事な映像と、その高揚感を楽しめば足りる。

もうひとつ、『天の狼』所収の有名句、
 瞳に古典紺々とふる牡丹雪
はどうか。こちらはKo音の連続から「紺」と「雪」で色彩のあざやかな句である。しかし実景としてはわかりにくい。純粋な言葉遊びとしてみるべきなのだろうか。

赤黄男作品は、これまで見てきたように象徴的な技法を駆使し、それまで俳句型式になじまなかった作者の内面や詩情を展開させることに成功した。赤黄男は「俳句」ではなく「現代詩」に近いといわれるが、以外にも「俳句型式」に当てはめることによって独自の世界を築いた作家だったようである。
ところが、「有名句」として喧伝されるのは、あまり自己の内面性とは関係のない句であり、言葉の存在感、言葉の力を感じさせる句ばかりだ。赤黄男の意図を超えて、俳句が「言葉」としてのみ立つ力を持っている、そこが赤黄男作品の強さであり、そのような在り方を示したところに、赤黄男の新しさがあったのではないか。(久留島元)


橋閒石『和栲』を読む ① 2016.07.30

階段が無くて海鼠の日暮かな

橋閒石は、本名泰来(やすき)。本業は英文学者で、神戸高等商業学校(のち神戸商科大学)、親和女子大学で享受、学長などを歴任した。

英文学の方面でも多くの業績があるそうだが、一方で若くして俳諧に親しみ、神戸に住む寺崎方堂に師事した。俳句ではなく、俳諧、つまり連句を学んだのであって、それから英文学研究とともに俳諧研究も深め、18世無名庵を継承した方堂から後継者と見込まれるものの、独自の道を歩んだ。無名庵というのは、日本三大俳諧道場のひとつで、滋賀義仲寺にある庵である。

戦後「白燕」を創刊、主宰となるが、のち同人誌に変更し同人代表になる。

同人誌から主宰誌に変わることはよくあるが、主宰誌から同人誌に変わるのも珍しい。しかも「白燕」は、俳句、連句、随筆の三本柱をたてていて、俳句のほうでは戦後俳句の旗手であった金子兜太、高柳重信、赤尾兜子らともつきあいがあった。

閒石は、俳諧(連句)では方堂から学んでいるが、俳句はまったく独学で、だからこそ同人誌の自由な空気を大切にしたのだろう。一方で、関西前衛俳句の作家とも交流があり、初期の句集はかなり難解なもの、自意識過剰なものも多い。

句集『和栲』は、1983年刊の第7句集。ちなみに第5句集は『荒栲』という。

「和栲」というのは「織り目の細かい布の総称。また、打って柔らかくしてさらした布。にこたえ。」(デジタル大辞泉)という。対義語は「荒妙」と表記するらしいのだが、生硬な前衛表現を打って、柔らかい境地に達したという自負だろうか。

『和栲』は第十八回蛇笏賞を受賞した。その授賞式で飯田龍太が、選考委員の誰も閒石と面識がないと言ったことは有名で、関西を拠点として、ずっと独自の道を進んできた作家。「白燕」からは和田悟朗、澁谷道など、これも独特な作家が輩出した。
 閒石を評するときは、俳諧のバックボーンをふまえて「俳」の境地にある作家だ、などと評されることが多い。それが具体的にどういうことなのか。一言でいえることではないけれど、具体的に作品のなかから探してみることにしたい。
 掲句は『和栲』のなかでも有名な句だが、解釈しようとすると難しい。

 あえていうなら「階段がない」ことが「海鼠の日暮」のような、手も足も出ないごろんと無意味な夕暮れ、という感じなのだろうか。理屈で考えるとあまりおもしろくないので、むしろ急になげだされたような虚無的絶望感を楽しむほうがいいのかもしれない。俳諧というより現代芸術的な、ぶらんと投げ出された感じのする句。(久留島元)

橋閒石『和栲』を読む ② 2016.07.31

いとこはとこともあれ桜散りいそぐ

いとこは、父母のきょうだいの子。はとこは、父母のいとこの子。ともあれ、桜は散りいそぐ。

え、結局なんだったの? と言いたくなる句だが、「いとこはとこ/ともあれ桜散りいそぐ」と大きな切れを入れて読めば、わからなくはない。親戚同士集まっていて、あれ、そういえば○○ちゃんと俺はどういう関係だったっけ、親同士がいとこだから、などと話し合いながら、そんなことはどうでもいい、花見だ花見、というようなところだろうか。

言葉遊びから発想されているが、「切れ」という手法と「桜」の季語によって、俳句としての姿は揺るがない。

空蝉のからくれないに砕けたり

空蝉が砕ける、そのことを「からくれないに」とあらわした。蝉の殻をこわしても、血も身も出ないけれど、あの茶色い殻が飛散したところを「からくれない」と言うなら、思いがけず鮮明で、鮮烈な印象になる。同時に「からくれない」は百人一首「千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは 業平」を想起させる。ただ蝉の殻を踏みつぶしてしまった、子どものいたずらかなにかが、古典をふまえた世界の破滅といった情景へ一変するのだ。

どちらも始まりから終わりへ、思いがけない展開とともに着地する、アクロバットな爽快感がある。それが俳句の技法や古典の素養をふまえているために、(良くも悪くも)どこか古典的な印象を与えるのだが、言葉のつながりはとても大胆である。

露の人まことのっぺらぼうなりけり

露の人とはなんだろう。朝露に濡れてやってくる旅人、あるいは一晩外で過ごしたわけありの人か。しっとり落ち着いた人かとおもいきや、「のっぺらぼうだったのだよ」と。ゆったりと贅沢に言葉を使って、実態はとても奇妙な世界を優雅にまとめあげている。
 閒石作品は、一句ごとに奇妙な「展開」を内包している。読者の予想をおおきく裏切るところへ決着し、しかもその流れがとても(強引なのに)優雅なのである。われわれはこの、奇妙な魅力の正体を知らねばならない。(久留島元)

橋閒石『和栲』を読む ③ 2016.08.01

まどろみのひまも仮面や花の冷

これも不思議な句である。花冷えのなか、まどろんでいるひまも仮面、つまり真実ではないという。簡単に言えば寝たふり、ということなのか。しかしそれは誰にむけてのふり、仮面なのだろうか。誰もいない、夢うつつのなかでさえ「仮面」を外せないという。まどろみのなかでさえ本当の自分をどこにも出せていないということなら、裏返しの強烈な自意識ではある。

 浮世絵を抜けてうつつや暮春の鹿

春の鹿が浮世絵のなかへ入ってしまった、というのではない。

逆で、暮春の鹿が浮世絵から出てきて現実のなかで茫然としているのだ。幻想的な光景を、さらに逆転させている。二重三重に仕掛けられた夢とうつつの関係に、読者は幻惑される。

 秋茄子に目のない男ゆめを見ず

秋茄子は嫁に食わすな、とはよく言うが、男が「夢を見ない」とはなんだろう。

あるいは「夢を見ない」男が「秋茄子」だけは捨てられないというのが滑稽さなのか。

いずれにしても唐突な「ゆめを見ず」で、わかりやすい「美味しい秋茄子」という共感の世界との切れ(断絶)が生まれ、よくわからない世界へ展開してしまう。

閒石は、なぜかこのように「夢」をみない。夢から覚めようとしている。

夢といえば、同じく関西を拠点に活躍した作家、永田耕衣の

 夢の世に葱を作りて寂しさよ

が思い起こされる。これが現実を超えた「夢」のなかでの葱作りであるのに対して、閒石は

 葱ぬくや確かに我を呼ぶなりけり

と詠む。

「確かに」閒石は誰かに呼ばれている。それが誰かはわからない。「夢」や「絵」の世界から醒めた作者は、たしかに作者はうつつに存在しているのだが、それでいいて現実とはやや、いや、かなりの断絶がある。「声」がとどいても認知していないし、どうやら「仮面」や「絵」を隔てているらしい。作者の五感は奇妙に現実とずれている。

一句のなかで多重に仕掛けられた構造の妙は、合わせ鏡のようにわかりづらい。わかりやすいように見えて複雑、その手応えの奇妙さの前で、読者は一瞬、立ち止まる。閒石の句は、句を前に読者を茫然とさせる。(久留島元)

橋閒石『和栲』を読む ④ 2016.08.02

たましいの暗がり峠雪ならん

暗がり峠とは、奈良の生駒と東大阪をむすぶ峠の通称。樹木がうっそうと茂って昼間でも薄暗く、直線的な急勾配が続く。上方落語では「馬の鞍がひっくり返るから鞍返り峠」と語られている。芭蕉が晩年「菊の香にくらがり登る節句かな」の一句をものしたことでも知られる。

というわけで、閒石のなかでも知られた句のひとつだが、解釈しようとすると訳が分からない。

後半「暗がり峠雪ならん」とは「暗がり峠は雪だろう」だから町で峠の様子をうかがう、地元の人か旅人か、ちょっと時代劇めいた光景を想像すればよい。しかし「たましいの」とは何か。「たましい」が思うに、ということか、「たましいの暗がり峠」という心象風景に雪が降るのを、地上にあって幻視したということなのか。

現実の地名と心象風景が交錯するところに掲句の魅力があるのだろうが、それを「の」の一字で繋げてしまうのが大胆である。言葉の流れはなだらかだが、実際としてこれが成功しているのかどうか、本当は立ち止まって考えなくてはいけないだろう。

昨日は夢うつつの閒石をとりあげたが、『和栲』にはほかにもいくつか、死後の世界に隣接したような句がある。

 呟きは黄泉につながる鳳仙花

 たましいの玉虫色に春暮れたり

『和栲』以外では「陰干しにせよ魂もぜんまいも」(『橋閒石俳句選集』)などがある。

これらの句でも、文法を追って意味をとらえようとすると混乱をきたす句が多い。しかし言葉の流れが穏やかであるために、一見気づかず受け入れてしまいそうになるのだ。

こうした内容上の混乱は、実は『和栲』以前の句集ではもっと顕著である。

 ポンポンダリヤ音盤軋み唄ひだす 『朱明』(昭和29年刊行)

 青き蜜柑ころげいきなり船吼ゆる

 水兵の氾濫日和レモン絞る  『風景』(昭和36年刊行)

 銀河涸渇すと密告の鯰を裂く

第3句集『朱明』、第4句集『風景』から挙げた。この時期の閒石は前衛俳句と呼ばれた作家たちとのつきあいが深く、昭和33年に高柳重信が創刊した『俳句評論』にも加わっている。語彙のイメージは鮮烈、かつ強烈だが、はっきり言うと意味が分からない。

閒石俳句は、こうした時期を経たうえで、『和栲』の世界へ変化していったのだ。(久留島元)

橋閒石『和栲』を読む ⑤ 2016.08.03

ひとつ食うてすべての柿を食い終わる

俳人には柿好きが多いという印象がある(正岡子規と坪内稔典だけだろうか)。閒石も、柿が好きだったのだろうか。「泣くことも柿剥くことも下手なりけり」『橋閒石俳句選集』の句もある。柿には、どこか日常的な、平和なおかしさを漂わせる力があるようだ。

掲句も、当たり前のようだが「食べ終わってしまった」あとのちょっとした未練、あるいは満足、それらが入り交じった感情が書かれないまま漂っている。

閒石はこの頃、すでに妻を亡くしている。柿を剥くのも、食べ終えるのも、一人だったのだろう。『荒栲』には「妻亡き春」と題した句がある。

 枕高くして霊前の花を零す

 うしろ姿が葱抜くよ鮮明に執拗に

妻への思いは、『和栲』にも

昼の木菟いずこに妻を忘れしや

とあらわれる。木菟に託すように亡妻を偲んだ句だろう。もっともこれは閒石自身の経歴に拠った読み方なので、読者によっては別の受け取り方もできるかもしれない。

いずれにしても閒石作品にとりおり見える、あっけらかんとした平明な句は、その句域の広さを楽しませてくれる。

きさらぎの手の鳴る方や落椿

落椿という不吉な印象の季語を、子どもが手拍子につられて春へ向かって行くような、そんな明るさを見せてくれる句。(手拍子をお茶屋遊びなどととることもできるが、いずれにしても楽しげな雰囲気)

顔じゅうを蒲公英にして笑うなり

笑顔の比喩を「蒲公英」としたとすれば、とても可愛らしい直接的な句である。

笑うとき同年配や野の暮春

先の句が子どもの笑顔とすれば、これは老年の句。一見すると年齢よりも若く見られる友人が、笑うと皺が深くなって同年配に見えた、ということだろう。笑顔の相手に親しみを深めた、暮春らしいあたたかい句である。

閒石作品のなかの、素直で平明な句をみてきた。これらは「ホトトギス」の雑詠に並んでいてもおかしくないと思うが、ときに稚拙なほどの素直さをみせる句が交じるところも、閒石の幅広さであり、また日常に即した俳句という文芸の幅広さだろう。(久留島元)


橋閒石『和栲』を読む ⑥ 2016.08.04

みちのくや餅に搗きこむ二日月

東北の、正月準備だろうか。三日月よりなお細い二日月を餅に搗きこんでしまう、不思議な味がしそう。地名とは何の関係もなさそうだが、幻想的な雰囲気を高めている。

しろがねの噂好きなる尾花かな

尾花(すすき)の揺れている光景だろうか。それを「しろがね」と幻想的に美しく捉えながら、同時に「噂好き」とおかしな見立てを重ねている。幻想と笑いと、その多重構造が、尾花を独特のものに変えている。

文覚などその他もろもろ啼く千鳥

文覚は平家物語などで活躍する怪僧。頼朝に挙兵をうながした故事でも知られる。そんな歴史上の荒僧を持ち出して「その他もろもろ」とは、なんと雑なことだろう。源平の争乱もすべて小鳥が鳴いているようなもの、ということなのか、争乱にまきこまれて啼く千鳥を憐れんでいるのか。

実は正岡子規に「文覚をとりまいて鳴く千鳥哉」の句があり、また近松門左衛門『平家女護島』では文覚と、俊寛の娘・千鳥が登場している。おそらくこうした素養をふまえた句なのだろうが、文覚の知識だけでも想像の広がる句ではある。

お浄土がそこにあかさたなすび咲く

浄土(天国)が、そこにあった、のか、なかったのか、いつの間にか五十音の発声にまぎれてナスビの花咲く光景へ。

かるがると嘘の身をゆく冬霞

こんな身軽さ、うらやましい。ハイロウズの名曲「日曜日よりの使者」に、「適当な嘘をついてその場を切り抜けて 誰一人傷つけない日曜日よりの使者」の一節があるが、嘘の身を生きる主人公がかるがると冬霞のなかへ消えていく、ダンディズムである。あるいは俳諧すべてを「嘘」ととらえる意識があったのかもしれない。ほかに「水辺や虚言きらめく秋の人」という句もある。

閒石『和栲』は、実に多様な言葉を駆使しながら、幻想と笑いの合間に、不可思議な一句を打ち立てる。多重構造や切れの技法や、古典の素養や平明な日常の発想など、すべてを盛り込みながら、優雅に句調を整えていく。(久留島元)


橋閒石『和栲』を読む ⑦ 2016.08.05

しばらくは風を疑うきりぎりす

閒石の代表句のひとつ。

このキリギリスは、自分自身が風に吹かれながら、その風そのものを疑っている。

一般には生まれたばかりのキリギリスで、はじめて風に吹かれているのだ、という理解が多いようだが、限定する必要はないと思う。ふとしたきっかけで、自分自身が置かれている、世界の仕組みそのものを疑ってかかる、自己探求の存在としてキリギリスを認めたのだ。

いま自己探求と言ったが、俳句における「人間探求」と、無関係ではない。しかし、俳句における「人間探求」がどこまでも作家個人の自己投影、自己探求に過ぎないのに対して、閒石のキリギリスは、キリギリスとして風に吹かれている。「しばらくは」というやわらかな語りだしから導かれ、それはキリギリスそのものであって作者の自己投影などではない。

閒石の俳句に散見される「かっこいい」俳句は、このように作者自身の美意識を強く投影しながら、しかし作者自身を投影したネガ(陰画)ではないところに、強みがある。

閒石の、もっとも知られた代表作、

銀河系のとある酒場のヒヤシンス 『微光』

も、また

蝶になる途中九億九光年 『卯』

にしても、ささやかさと悠大さのギャップに、ダンディズムが宿っている。

前者はただその居酒屋に活けられた(または育てられた)にすぎない。作者はなにげないヒヤシンスを見て一輪の花から宇宙を思うのだが、花にとっては、また酒場のほかの客にとっては、何の関係もないのだ。後者も同様で、サナギから成虫へ変わる、その瞬間の偉大さを、作者が宇宙的距離として把握したのである。

閒石作品は、新興俳句が持っていた自己探求の精神性、前衛俳句が挑戦してきた意味の多重性など、豊富な要素をとりこみながら、たしかに別の場所に達している。袋小路に陥りがちな、そして事実、自分自身もかなり佶屈な表現に挑んだ時期がありながら、それを超えたところに新たな句境を拓いた。一句に内包する展開の斬新さ(インパクト)と、展開を一見必然と思わせる言葉の選択が見事だ。

ところで、閒石俳句が俳諧になずむ文語・旧かなではなく、現代かな遣いのなかで成されたことは、最後に指摘しておいてよいだろう。「俳諧」というと古くさいものを想像しがちだが、閒石は俳諧の精神に則り、あくまで現代の表現として俳句を作っていたのだと思う。現代俳句の、精華と言っていい。(久留島元)



大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む① 2016.07.02

河東碧梧桐といえば、高浜虚子とならぶ正岡子規の高弟として知られている。子規とは同郷の後輩にあたるので、実際には弟子というより年若い友人、同志といってもいいかもしれない。
 東京では虚子とともに子規のもっとも近くにあり、子規の主唱した「写生」を推進した。特に子規が絶賛したのが

  赤い椿白い椿と落ちにけり

で、印象鮮明な「新派」俳句の代表的作品とされる。
 子規の没後、虚子は子規から「ホトトギス」編集を継承し、碧梧桐は新聞「日本」の選句欄をまかされた。碧梧桐は俳句の新傾向をすすめ、その方向は自由律俳句などにも展開した。
 碧梧桐の人気は強く、一時期は新傾向にあらずば俳句にあらず、という様子だったようだが、それに危機感を覚えた虚子が「守旧派」を名乗って花鳥諷詠を推し進めたことはよく知られている。
 現在、俳句界は「花鳥諷詠」「有季定型」が基本となっており、ほとんど虚子の主張どおりになっている。
 そのため、いま俳句の世界から碧梧桐を評価する声は少ない。むしろ俳句の世界以外から、たとえば石川九陽氏が書に注目したりすることがあるようだ。
 今回はそんな碧梧桐の句について、国文学者で一時は同じ雑誌にも属していた大須賀乙字の選んだ句集からみていきたい。本書は大正五年二月、俳書堂から出版されたもので、季節別に句が並んでいる。ところが、序文には次のような厳しい言葉も書かれている。

「一度新傾向の声に驚いてからの碧梧桐は、局分されたる感覚に瞑想を加へて横道に外れて了つた。…四十三年以後になると、殆ど拾ふ可き句がない。俳人碧梧桐を再び見ることが出来ないと思ふ 。信に惜しいことである。其故にこれは序文にして又弔文である。」

(久留島元)

大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む② 2016.07.03

   乳あらはに女房の単衣襟浅き

河東碧梧桐は、明治6年(1873)2月生まれ、昭和8年(1933)に俳壇引退を表明し、昭和12年(1937)2月1日に逝去した。

つまり、大須賀乙字選『碧梧桐句集』(俳書堂)が刊行された大正5年のころは、荻原井泉水と『層雲』に所属し「新傾向」運動をリードしている真っ最中だった。碧梧桐は無季、自由律の方向へ進んでいき、大正12年には井泉水とも決裂して、中塚一碧楼と『海紅』を創刊する。

乙字は碧梧桐の句風を「新傾向」と名づけた人物である。碧梧桐句の視覚的な感覚や繊細さを高く評価していたのだが、次第に批判を強め、自分自身は芭蕉などの古典俳諧の研究に進んで復古主義を唱えるようになった。そのため『碧梧桐句集』では、大正以前の、定型におさまった句しかとられていない。

 そのような立場の句集では、碧梧桐の作品を評価するにはアンフェアな感じもするけれども、ともかく現在俳壇ではほとんど顧みられていない碧梧桐作品の出発を見直すということでやってみたい。

掲句について、数少ない碧梧桐研究者であるわたなべじゅんこ氏は、

「さて前の句、「あらはに」というよりも、乳房が見えそうで見えないというエロティシズム、「襟浅き」というきわどさが眼目。・・・・・・この「女房」は、「女房姿」と取る方が自然ではないだろうか。平安朝の女性の単姿の方が相応しいような気がする。たとえば、『源氏物語」には単姿の女性が唐序するが、軒端荻などは単姿でまさに胸もあらわに空蝉と碁を打ち興じている。古典世界に取材した句の例としては

  湯上がりや櫛笥取り出す端涼み  明治二十九年

などもあり、決して不可能な解釈で葉に阿。この句も江戸の浮世絵を句にしたようで実に色っぽい一句である。」

と評している。(「浴衣」『俳句の森の迷子かな』創風社出版、2009)

浮世絵というより、鏑木清方の美人画などを想起させる。ちなみに公家衣装のひとえは「単」、一般的な和装の下着は「単衣」と書くのが通例なので、特に源氏物語を引き合いに出す必要もないだろう。ただ実景というよりも造った感じのする、絵画的な場面であるという指摘はそのとおりだろう。子規たちは蕪村の絵画的表現もたかく評価していたわけで、初期作品の魅力として注目されてよい。(久留島元)

大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む③ 2016.07.04

昨日に引き続きわたなべさんの本から碧梧桐の句風の変化をまとめておこう。

「印象明瞭」として子規から表された明治三十年前後の句は、のちに見られるほど写実的、実感的ではなく、むしろ古典的世界に取材した句が多い。そんななかに

  春浅き水を渉るや鷺一つ

  薪能小面映る片明り

  この道の富士になり行く芒かな

  泣きやまぬ子に灯ともすや秋の暮

など「繊細な感覚、鋭い観察による作品が散在する」。明治四十年代になると新傾向時代に入り、次第に

  魔日雲の冥明かり飛ぶ蜻蛉かな

  雲叱る神やあらん冬日夕磨ぎに

などの「わかったようなわからないような表現になってしまう」が、その新傾向表現が自由律や無季俳句へつながり、碧梧桐は無季自由律を急進的に進める荻原井泉水と袂を分かつ。しかしその後、引きずられるように自分自身も自由律、無季の俳句を作りはじめる。こうした句風の変化をわたなべさんは、

 おぼっちゃん育ちのせいか、単にひとがいいのか。碧梧桐の理論が変化するパターンはいつも同じで、よそめにも実に頼りないのである。そこがまた、碧梧桐のかわいげともいえようか。彼を知れば知るほど、虚子の「ふるだぬき」さ加減、いや「見事さ」が際立ってきて感心させられることになるのだ。

という。(以上、前掲『俳句の森の迷子かな』より)

碧梧桐は虚子に比べて冷静な才子風の人物だったともいわれるが、そのぶん移り気に、周りに影響されて句風が変化してしまうところがあったのだろうか。わたなべさんの語る碧梧桐像は実に人間的である。

大須賀乙字も、明治三十年代の句を多く採っており、その感覚の鋭敏さをたかく評価している。一方で新傾向時代の句には評価が低く、凡例にも

 一、新傾向と言はれたるもの前半は可、後半は不可、全く其質を異にす。明治四十二年以後のものは僅かに両三句を選ぶ。

と厳しく明記している。次の新傾向時代の代表作がそのひとつだろう。

 思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇

(久留島元)

大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む④ 2016.07.05

大須賀乙字は序文の中で碧梧桐にも「模倣句」があることを指摘し、「調子にこなされて居るから、なかなか気のつく人はないのである。調子のうまいことも碧梧桐の特色に数へなければならぬ」と指摘してる。

また『鑑賞現代俳句全集』第一巻(立風書房、1981)所収の加藤郁乎氏の文章でも、碧梧桐の蕪村に対する造詣の深さ、また影響の強さを詳しく論じている。

あらためて『碧梧桐句集』を読み直すと、次のような句は蕪村の影響、というだけでは言い過ぎかも知れないが、蕪村調の絵画的な俳句への志向を感じさせる。

 五六騎のゆたりと乗りぬ春の月

 膝と膝に月がさしたる涼しさよ

 蟹とれば蝦も手に飛ぶ涼しさよ

 人丸と五穀の神と今年米

 月一つあるも怪しき枯木かな 〈狐狸園と前書〉

季題別句集のため製作年代がすぐに特定できない。ただ、おそらく「写生」「写実」を志向する以前の初期作品が多いと思われる。

たとえば一句目は「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 蕪村」を想起する。蕪村句では、保元平治の乱を背景に鳥羽殿へ急ぐ騎馬武者と秋の強風をイメージした。碧梧桐句はそれに対し、春の月夜を楽しむのんびりとした馬上姿である。

二句目、三句目は同じ「涼しさ」の句だが、並んだ膝に月がさす涼しさ、というロマンチックでさわやかな夏の月夜と、蟹や蝦を手に遊ぶ子どもっぽい涼しさ。味わいの違う涼しさが並ぶのが季題別句集の妙味といえる。三句目は「夏川をこすうれしさよ手にざうり 蕪村」が響くように思うが、どうだろう。

四句目は、柿本人麿(人丸)に新米を捧げ豊年を祝ったという句。人丸影供という行事が和歌の伝統にあり、歌仙とよばれる柿本人麿の絵像を前に歌道向上を祈る行事がある。当時のことはわからないが、そういった風俗をふまえたものだろう。

五句目も、蕪村調のお化け俳句といったところ。

『碧梧桐句集』を読んでいると、こういう物語的要素をもった句もいくつか散見される。「写生」を推し進めた碧梧桐自身からすれば不満があるかも知れないが、復古主義を唱えた乙字の趣味もあって採られたのだろう。碧梧桐のあまり知られていない側面として、注目してみたい。(久留島元)

大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む⑤ 2016.07.06

引き続き、碧梧桐のなかに物語的要素の強い句を見ていきたい。

 春風や西鶴は行く女護島

西鶴の代表作『好色一代男』のラストをふまえた句である。春風に押され、西鶴が女だけの島へこぎ出すという。春風と好色の取り合わせはややつきすぎかも知れない。

 雨鬼風鬼祈りの風に問答かな

「雨乞い」の項にある。雨乞いの祈りを前に、風神雷神が問答を交わしているということだろうか。多くの人が琳派の絵などを想起するのではないか。

 君に遇う牡鹿の山の眠る下

鹿の眠る冬山のしたで偶然であった「君」。なんとも不思議な、物語の始まりを予感させる句である。

 念者ぶりの句をさゝやきて炉辺かな

前書きに「戯れに秋皎に与ふ」とある。おそらく前田秋皎、碧梧桐門下で盛岡の俳人であろう。親しい仲間に「念者ぶりの句」をささやいてみた、というのである。しかも冬のいろり端である。BL風味の句といえよう。

句作生活をテーマにした俳句はほかにたくさんあり、

 雲雀の句野に住む人の所望かな

 どぶろくの境界発句の天下かな

 新蕎麦に句に酒に論に責らるゝ

 詩話画論しぐるゝいとまなかりけり

など。全国の仲間とともに句作や詩論を楽しんでいた碧梧桐の活動が見えてくるようだ。

こうした俳句なども、背景に物語性をもった蕪村調をふまえて、自分自身を主人公にしているという見方もできるかもしれない。(久留島元)

大須賀乙字選『碧梧桐句集』を読む⑥ 2016.07.07

次に、時代性を反映させたような句をいくつか拾ってみたい。

 短夜や街を砲車の過ぐる音

 砲車過ぐる巷の塵や日の盛り

昼と夜だが、あるいは同じ時期の句だろうか。

季題別句集なのですぐに確かめられないが、砲車が街を過ぎていく情景というのは、現在ではあまり見られないし、当時としても新しい光景として映ったであろう。

碧梧桐はその、新時代を象徴する風景をうまく「短夜」や「日の盛り」のなかにおさめている。どちらかといえば前者のほうが、静かな不気味さをたたえているようでいい句だと思う。

 紅毛の帆船著きけり飛ぶ蜻蛉

外国船のことを「紅毛の帆船」という言い方も、時代を感じさせる。異国から逢着した帆船と飛ぶ蜻蛉との対比が雄大な浪漫を感じさせる。

 大戦に死所を得ず哀れ野は枯れて

この大戦とは日露戦争のことだろうか。死所を得なかった、哀れな、とは誰への憐憫なのか。死所を得なかったものへの視線がいつの間にか枯野へ移っている。

このような時代への視点は、月並調を脱して、時代を反映させたものと評価できるかもしれない。

ほかにも次のような句は、「写生」による成果として評価することができるだろう。

 ながながと幾日金魚の糞の恥

 愕然として昼寝さめたる一人かな

 秋風や道に這ひ出るいもの蔓

やや笑いをふくんだ光景を詠んだ句を選んでみた。いずれも実際の光景を目にしての作品だろう。ながながとつながる金魚の糞。昼寝から覚めた「愕然」という表現。道に飛び出たイモの蔓という存在感。やや間の抜けた光景のリアリティが、頭のなかで季語を発想したのではないと思わせる。(久留島元)

坪内稔典『春の家』を読む ① 2016.06.04

坪内稔典氏の作品から珠玉の100句を選び、鑑賞を付した『坪内稔典百句』(創風社出版)が、5月20日に刊行された。

100句の選出と編集は、藤井なお子、衛藤夏子、藤田俊、久留島元の「稔典百句製作委員会」がおこない、鑑賞は「船団の会」の二十代から五十代までの若手会員が担当した。第一句集から第十一句集まで、はばひろい坪内作品がとりあげられている。帯には「口ずさむ言葉の魅力とあふれる遊び心で俳句に誘う坪内稔典の100句を鑑賞」とある。

さて、坪内稔典といえば〈三月の甘納豆のうふふふふ〉〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉などの片言性の楽しさにあふれた俳句が有名だ。

だが、今回の編集作業のなかで坪内俳句の別の顔も見ることができた。そこで、今回は坪内氏の第二句集『春の家』(沖積舎、1976)をとりあげて、若き日の坪内俳句の魅力を探ってみたい。これは限定500部の配布であったため市場にもあまり出回っていないと思うが、たまたま古本屋で見つけ、購入したものである。

 皐月闇口あけてくる赤ン坊

『春の家』所収冒頭の一句。

闇のなかから迫ってくる赤ん坊は、無邪気であるがゆえにすこし不気味な感じがする。赤ん坊がひらいた口の「闇」と、木陰の「闇」が、同じ異界へつながっているようだ。『百句』で鑑賞を担当した松永みよこ氏は、「俳句版『そして父になる』のような味わいを含んだ句といえるだろう」と鑑賞している。(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ② 2016.06.05

裏山の幼い星よ鱏泳ぐ

「裏山の幼い星」とは何だろう。裏山からみえる、生まれたての星か。それとも裏山には、空から星が降りてきているのだろうか。その幼い星と対比されるのが、海を泳ぐエイだ。平たい姿をくねらせながら海を悠々と泳ぐエイと、山にひそむ「幼い星」。

作者に即していうなら、海と山に囲まれた作者の故郷、愛媛県佐多岬半島の周辺をイメージすればよいのだろう。「幼い星」は、生まれた幼い子どもたちか。

しかしそうした実景を超えて、幻想的な、不思議な光景が浮かんでくる。「裏山」の懐かしさと、「星」「エイ泳ぐ」の雰囲気が、作者個人の体験というよりもっと雄大な地球規模、宇宙規模の豊かさを感じさせるのだ。

 二人の喉が魚骨煮(あらに)にひらく春の家

句集タイトルの由来となった句にも、共通性がある。

「魚骨煮」に対して口を開くのは、それを食べようとする日常的な行為だ。しかし、わざわざ書かれるととても不気味な印象があり、それが「春の家」で行われているとすることで、春愁のなかでひらかれた二人の「喉」が、そのまま何もかも飲み込んでしまいそうな、異様な存在感がある。

若き坪内稔典の俳句は、こうした理不尽な、あるいは不条理な不気味さをたたえて出発していた。(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ③ 2016.06.06

 鬼百合がしんしんとゆく明日の空

掲句について、『坪内稔典百句』で藪田惠津子は「作者の故郷である佐多岬半島では夏、至るところにこの鬼百合が咲くそうだ。作者は、幼い頃から慣れ親しんだこの花に、言葉にならないような決意を重ねたのだろうか」と鑑賞している。

藪田は「明日の空」に未来へ続く決意を見出しているが、「鬼百合」という強烈なネーミングと見た目の花がしずかに空を進んでいくという情景は、シュールだし、明るいばかりではない不穏な雰囲気がただよっている。あえて散文詩の一節のような文体で書かれている点も特徴である。

 鬼百合よきのうも魚が燃えて哭く

『春の家』のなかには、このような句もある。こちらは「鬼百合よ」と歌い上げる形で、これから食われるのだろうか、「魚」が火の中で哭いているという。しかも「いま」ではない「きのうも」、そうだった、というのである。漁師町で過ごした作者にとって「魚」は故郷を象徴するアイテムなのだろう。

こうした句には、作者による故郷へ思いが、幻想的な形で昇華されている。それが、どれも不条理で、どこか苦みを帯びている。

その意味で『春の家』は、飯田蛇笏が甲斐を詠んだ風土俳句の世界に似ていると言ってみてもよい。(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ④ 2016.06.07

『春の家』から、「魚」にまつわる句を抜き書きしてみよう。

 日盛りやなまこを噛んで男死ぬ
 白桃に魚潜みおり朝の火事
 ひとの瞳を魚がひきずる日の盛り
 天心の魚が唾垂れ立葵

なまこを噛んだ男が死んだり、ひとの瞳を魚がひきずったり。魚は白桃のなかにもひそみ隠れ、天心(空)から唾を垂れたり、まるで人間たちを監視し、復讐するかのようである。春爛漫の暑いような陽光のなかで、魚たちは、縦横無尽に魔力を発揮しているようである。
ところが、そうした魚たちもまた無敵とはいえない。

 魚哭きて山頂の木の昼下がり
 春風に煮崩れている遠海魚

遠海を泳ぐような力強い魚でさえ、春風のなか、煮崩れていく。山の昼下がりには、哭くことしかできない。
先に私は、魚は故郷をあらわす記号であると考えた。作者をとりかこみ、人間を監視するような魚たちは、たしかに作者をとりまいて消えることのない「故郷」そのもののようである。
しかし同時に、日常のなかに「煮崩れていく」遠海魚は、日地上へ還らざるを得ない、作者自身の不幸でもあるようだ。

ところで、日常は決してネガティブなばかりではない。

 三月のとろろ昆布へ、いざ往かん

日常へ向かって歩み出せば、それはとても楽しい世界かもしれない。とろろ昆布のなかへ突入したら、まるでジャングルのなかへ進むような大冒険になるかも知れない。(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ⑤ 2016.06.08

 金魚揺れ昼の天河が結氷す

まずは句だけを読み解いてみよう。「金魚揺れ」、金魚鉢に飼われた金魚だろうか、それがゆらゆらと揺れる。あるいはビニール袋でつるされてでもいるのだろうか。小さな世界に閉じ込められた金魚の目に映るのは、夏の青空である。昼間であれば、星はもちろん天の河など見えているはずもない。そのはずだが、見えないはずの天の河が結氷していく、その様子が金魚にだけは見えているようである。

掲句を読むと頭をよぎる句がある。〈爛々と昼の星見え菌生え 虚子〉と〈蝶墜ちて大音響の結氷期 赤黄男〉。どちらも作者と同じ、愛媛県出身の著名な作家であり、その代表的作品である。金魚の眼に映る、見えないはずの「昼の天河」は、赤黄男の見た、極限の世界にも匹敵するような、壮大なものだったかもしれない。

 鶏のとさかと親し夏のユダ

ほかの季節でなく「夏のユダ」になにか意味があるのか、寡聞にして知らない。しかしキリストを裏切ったユダにとって、頼みになるのは人ではなかったのだろう。真っ赤な「鶏のとさか」だけを頼りに生きる「ユダ」は、暑い「夏」がふさわしいかもしれない。
これらの句から感じられるのは、なんといっても生きづらさである。作者にとって句をたちあげる動機は、自らを取り囲む、理不尽なまでの生きづらさにあるようだ。生きづらさのなかで、必死に生きている、その摩擦のなかできしむように生み出されているのが、これらの句群だ、といってもよい。
『春の家』には「春の家・補遺」という章もあり、そのなかに次のような句もある。

 冷や飯がぞろぞろと来る春霞
 首切られ鶏飛ぶ肝胆照らす春
 天河の氷が匂う日なかの赤ん坊

(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ⑥ 2016.06.09

坪内稔典といえば、日本全国の動物園にカバを見に行き、カバ探訪だけで一冊の本にしてしまった当代随一のカバ好きである。当然ながら〈桜散るあなたも河馬になりなさい〉〈口あけて全国の河馬桜咲く〉〈七月の水のかたまりだろうカバ〉などなど、河馬にまつわる代表作も数多い。

しかし『春の家』には河馬は見当たらず、むしろ犀が登場している。

 飯噴いてあなたこなたで倒れる犀

飯時に、その飯の蒸気のためでもあろうか、あちこちで倒れてしまう犀たちは、滑稽ではあるけれど、やはり悲惨である。犀が無事なのかどうか、ドオン、という地響きも聞こえてきそうで、事件性が高い。

ほかに『春の家』には

 アフリカが犀産む昼よ梨の花

がある。これも「梨の花」のかもす静謐な空気のなかで、暑苦しく、アフリカそのものから生まれたような「犀」も、かなりの存在感がある。

これらの「犀」と、現在の「河馬」を比べると、作風の違いということかもしれないが圧倒的に「河馬」のほうが楽しげである。「桜」と取り合わされ、なんとなく色合いもアニメーション的にピンクがかっているようで、幸せそうだ。それに対して「犀」といえば角のイメージも強いが、そうした鋭さや色合いが、「河馬」との違いを生み出しているのかもしれない。

「犀」から「河馬」への転換。その転換のなかに、坪内作品の変遷が見えてくるようである。(久留島元)


坪内稔典『春の家』を読む ⑦ 2016.06.10  

  昼過ぎの印鑑ひとつ甘いかりき

  昼過ぎの泪になりぬモジリアニ

どちらも「昼過ぎ」から始まる俳句。印鑑が甘い、とはどの部分をいうのだろう。押された朱い印影が甘く匂うのだろうか。『坪内稔典百句』のなかで藤井なお子氏は、脈絡のない「昼過ぎ」「泪」「モジリアニ」が「五文字の助詞により詩になる。読み手が勝手に脈絡を作ってしまうという俳句のマジックを作者は大切にしている」と述べている。

『春の家』あとがきのなかで作者 は、柳田国男の「鼻唄考」を引き合いに出しながら、

  鼻唄が生れた過程を逆にさかのぼること―つまり鼻唄をこの現実において激しく逆倒させる試み―がぼくの過渡の詩の思いを形成しているのである。

という。抽象的でわかりにくいが、俳句が生まれる現場に立ち会おうという作者の意識が、俳句を成り立たせている共同体として「故郷」や「日常」に鋭く向き合おうとしているようである。

しかし、『春の家』の句は、ときに文語体が混じったり、同じテーマに繰り返し向き合っていたり、作者の故郷を思わせるキーワードが頻出したり、作者の自意識がとても表に出ているようである。

『春の家』以後、現在へ至る坪内稔典は、むしろ自意識を開放して他人との出会いを楽しんでいる。

  枯れ野では捕鯨の真似をしろよ、なあ 『月光の音』

  月欠けて高三郎と出会った日 『高三郎と出会った日』

  びわ熟れる土星にいとこいる感じ 『水のかたまり』

これらの句は、取り合わせによる俳句のマジックを楽しみながら、より高く、広く、自意識を越えたところに飛ぼうとする意識が強い。

しかし、ことさら友情を楽しみ出会いを喜ぶ作者の根本には、『春の家』の生きづらさ、苦さが見え隠れする。そのうえでの飛躍であり、そこに作者独特の「俳句の現場」があるようである。(久留島元)


三橋敏雄『しだらでん』を読む ①  2016.05.07

みづから遺る石斧石鏃しだらでん 平成2年

 三橋敏雄の名を覚えたのは、俳句をはじめたころ何度も読んだ小林恭二『俳句という遊び』、同『俳句の愉しみ』(いずれも岩波新書)だった。

名だたる作家が集合した句会録のなかで特に印象深かったのは、ひとつには「天狼」で山口誓子に見いだされ、西東三鬼、渡辺白泉に師事し、池田澄子さんのお師匠さんだ、という経歴に親近感を覚えたことがあるが、やはり句のもつ独特の魅力が目を引いた。

そこで今回は、ちょうど小林主催の句会に提出された句も収められている、第六句集『しだらでん』(沖積舎、1996)を読んでいこうと思う。

後記によれば、『しだらでん』は、昭和63年末から平成7年末までの作品から270句を自選したもの。書名は大風雨、大風大雨をさす古語で、寛永十年(1633)の「五月雨や山鳥の尾のしだら天 半井慶友」という先行作を知って一度は使ってみたかった言葉、ということだ。
(ちなみに三橋著では号を前にして慶友半井と呼んでいるが、通例に従い姓名の順で表記した)

その「しだらでん」を使ったのが掲句。「石斧」「石鏃」(いしおの、石のやじり。石器時代の狩猟具)がみずからの意志をもって数千年の月日を遺った、その背後に「しだらでん」(震動雷電)が鳴りひびくという構図。

言葉が古めかしく難解な印象だが、それも作者の術中。「せきふ・せきぞく・しだらでん」という、日常会話でまず出てこない「ことば」の連続が、あやしい呪文のようで読者を幻惑する。がんばって読みこなしたときに広がる、ドラマチックな風景が見事。

池田澄子さんの評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)によれば、三橋敏雄はみずからを「机上派」と名乗っていたらしい。三橋敏雄-西東三鬼の流れは、「写生」のホトトギス派と交わらない、きわめてレアなグループ。

古典俳諧の素養も深く、松永貞徳門の半井慶友に注目するところなども、目の前の情景を写す「写生」ではなく、あくまで「ことば」から発想しようとする想像力派、ということができるかもしれない。

 七月十四日(ル・カトルズ・ジュイエ)海の彼方といふ言葉  平成元年

 轟沈といふ語ありたり山紅葉  平成2年

 面白の此世知らるな天国地獄(ヘブンヘル) 平成3年

 鳥曇ニツポニアニツポン生きゐて絶ゆ  平成5年

句集の表記は旧字だがネット環境を考え通行字とした。

(久留島元)

三橋敏雄『しだらでん』を読む ② 2016.05.08

大正の男激減す春疾風  平成2年

私は生前の三橋敏雄を知らないから、実際に三橋敏雄がどのような俳句観を持っていたか、詳しくはわからない。だが、小林恭二の著作の中で、

 三橋敏雄は「俳句なんてものは気楽にやればいいわけであってねえ」とでも言いたそうな顔つき。

『俳句の愉しみ』

と評される横顔が格好いいと思った。

なんだかわからないが力み返って俳句を作っている人より、新興俳句の真ん中を歩き続けた作者が「気楽に」俳句を作っていることが、格好いい気がしたのだ。

さて、『しだらでん』は昭和の末年から平成にかけての句が収録されている。そのため作者の長いテーマであった「昭和」「戦争」にかかわる句が多く収録されている。

わが昭和血と酒にほひ易かりき 平成元年

 咲きやすき桜や昭和以後忽ち

長き長き戦中戦後大櫻

美空ひばり死す軒雀睡れる間

当日集合全国戦没者之生霊

軍装の昭和天皇御真影

戦没多き大正生まれ稗の花 平成2年

戦死せざりき口中にくる雪片 平成3年

正直なところこうした句群は、作者に思い入れがあっても読者には、特に後の時代の読者にとっては好まれないのではないか。

「戦争」と密接に結びついた作者の「昭和」像は、率直に言ってステレオタイプであると思う。三橋敏雄の真骨頂は、もっと時代を超えて普遍的な世界を想像させる、生々しいリアリティにあると思う。そのことは具体的にこの連載のなかで考えていくことにしたい。

そのなかでは掲句「大正の男激減す春疾風」がおもしろい。

この句は、悪く言えば年号を入れ替えればどこでも使えそうな、つまり「明治の男」「昭和の男」でもそれなりに可能な類型性と、「春疾風」とともに消える男たちという古くさいダンディズム、ナルシシズムが前面に出た句である。

しかし、その演歌調といってもいい類型性が、かえって成功し、暗誦しやすい句を生んでいるのではないだろうか。「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」に次ぐ、年号俳句として記憶されてよいと思う。

もうひとつ「当日集合全国戦没者之生霊」(原表記は、當日集合全國戰歿者之生靈)は、霊がたくさん集合するシュールな情景を想像させる一方、戦没者であるのに「生霊」という苦渋がにじむ。戦没者は、まだ死んでいない。このペーソスが、一句を忘れがたくしている。(久留島元)

三橋敏雄『しだらでん』を読む ③ 2016.05.09

石段のはじめは地べた秋祭 平成元年

どこで読んだか忘れてしまって、探しても見つからないのだが、たしか掲句の下五は初案ではまったく違うものだった、のだそうだ。

「秋祭」は、収穫を祝う農村の祭りである。笛太鼓の音が聞こえ、夜店の灯りがちらつく、そんな村の鎮守で「石段のはじめ」が「地べた」であることに気づいた。土の匂いと結びついたこの下五は動かないし、リアルな写生句だ。

と思ったら、実は違うというのだ。

つまりこの句は「石段のはじめは地べた」という発見と、「秋祭」との取り合わせで、季語の斡旋の勝利ということになる。

それが、神社へ続く石段が、秋祭を楽しむ村の「地べた」から始まっている、という村の成り立ちの本質をつかみ出したような句になったのだ。

三橋敏雄にはこのような、物事の本質をえぐり出すような句が多い。代表的なものとして

鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中 『真神』

 日にいちど入る日は沈み信天翁

 尿尽きてまた湧く日日や梅の花 『鷓鴣』

などの句がある。

実は私自身はこのような「本質」に迫るような言い回しは好きではない。物事の「本質」などというものは結局、とらえる側の主観、切りとる側の考えによって変わる、「本質」などとあいまいなものは信じられないというのが私の基本的スタンスだ。

それに、ここにあげた三橋敏雄の句でも、リフレインを使ったり、ある種の公式化したパターンに陥ったりしてしまうのではないか、という気がする。

短い詩型であるから、言い切りで本質をつかみ出す句は強いのだが、それがパターンになってしまってはいけないと思うのだ。三橋がどこまで意識していたかはわからないが、「本質」を意識するような句作りはパターン化におちいりやすいのではないか。

ところが一方で、三橋の句には、そうしたパターンをふまえた上でのゆたかな安心感、力強さを感じてしまうのも事実である。これらの三橋句は、三橋の技巧の高さをあらわす代表作品でもあり、まるでことわざのように忘れがたい力を持っている。

ちなみに句集のなかで掲句の次に掲載されている

 太陽はいつもまんまる秋暑し 平成元年

は、「太陽は古くて立派鳥の恋 池田澄子」を連想させる。池田さんの句は『ゆく船』(2000)所収。(久留島元)


三橋敏雄『しだらでん』を読む ④ 2016.05.10

俳諧(へえけへ)は四季に雑(ざふ)さて年新た 平成6年

宇多喜代子さんが講演で「私は三橋敏雄さんこそ、伝統俳句そのものだと思う」と発言されていたのが印象に残っている。

三橋敏雄は、十代で山口誓子に見いだされた。そのとき誓子は、どこかの大家が名を偽って応募したのではないかと選評した、そのくらい「完成された」句だったことになる。
そこから三橋少年は、渡辺白泉、西東三鬼を師匠として「京大俳句」などに所属、戦火想望俳句などでも注目され、新興俳句作家の若手スターとなる。三鬼の会社を手伝ったりもしていたらしい。しかし特高による弾圧事件などをきっかけに新興俳句運動は終息する。年少のため収監をまぬがれるが、作品を発表できなくなる。その間、白泉らとともに古典俳諧を勉強、ブランクなどをはさみながら俳句を続け、句集『真神』(1973)でふたたび俳壇の注目を集める。
三橋敏雄を評するとき、しばしばその「完成度」が話題になる。
一字一音もゆるがせにできない、決まった姿。それでいてふっと気の抜けた笑いや、古典的素養にあふれた余裕のある句が多く、ややツッコミ待ちのようなスキもふくめて「完成度」が高い。

指差されかぼちや長持ち不二長持ち 平成2年

昔煙突男ありけり永きゆふべ

 松風や生盆のわがはげあたま 平成4年

飼はざれば放つ鷹なし風雲よ 平成5年

齢のみ自己新記録冬に入る 

「指差され」、『俳句という遊び』での富士吟行での句。かぼちゃと富士山を並べて、指差しながら「どっちも長持ちだね」というのである。霊峰富士に対する屈託のない親しみやすさが楽しい。

「煙突男」は、伊勢物語冒頭をふまえているが、同時に煙突男の働いていた昭和を懐かしむ風情もある。

「はげあたま」「齢のみ」は、ありふれた老いの自虐ギャグといえばそれまでだが、重厚な句群に交じっているとふっと笑いをもよおす。

 「飼はざれば」は、鷹にまつわる名句「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 寺山修司」や「かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す 正木ゆう子」などを想起させる。

しかし飼っていないから放つこともできない、とは、逆説的な言葉遊びのようで、風雲を前に何もすることのない自分を憐れむような、それでいて鷹の自由を奪うようなことをしない自分を誇るような、不思議な句である。

三橋敏雄にみる「伝統」と「完成度」について、ひきつづき考えてみたい。(久留島元)

 三橋敏雄『しだらでん』を読む⑤ 2016.05.11

復活す大地震翁大火事媼 平成7年

 崩れ落ちとどまり終る大地震

 地震国日本お粗末寒満月

 坐して待つ次なる大震火災此処

平成七年の作句、ということはつまり阪神・淡路大震災に際して作られたものと思われる。

震災詠をどう考えるか、ということについて、近時、我々は「東日本大震災」について考える機会があった。積極的に詠むべき、いま詠まずになにを詠むのかというような論調もあり、被災者でない者があえて詠むべきでない、あるいは詠む必要はないという意見もあり、また詠む姿勢についてもとかくの議論があった。

さて、三橋の句はどうか。

「復活す大地震翁大火事媼」は、震災と火災を擬人化したもの。けっして笑い事ではないものの、眠りから覚め復活した「翁」と「媼」は特撮怪獣か妖怪のような気配があり、おかしい。江戸の安政地震のあとには、地震を鎮めるための鯰絵が大量に出版されたことがあるが、地震翁、火事媼と鯰の対決を想像したのかも知れない。江戸に通じる諧謔精神といえる。

「地震国日本お粗末寒満月」は、震災後の政府対応を批判したと思われる、かなり直接的なメッセージ俳句。「お粗末」の傍観者的批判などに、いささか不満がある。三橋作品の戦争詠などにも通じる国家批判の姿勢を感じるが、あまり成功しているようには見えない。

「崩れ落ちとどまり終る大地震」は、震災を活写したものとして真に迫っているが、関東在住であるはずの作者を思えばニュース映像などからの「震災想望俳句」であろうか。

「坐して待つ次なる大震火災此処」は、いつどこで震災が起こるか分からない、此処にいる私も自身を待っているようなものだ、という解釈だろうか。無季句。解いてしまえば理屈めいてつまらないように思うが、三橋作品にある、「ことわざ」的な教訓性があらわれている。

三橋敏雄の俳句には、教訓的なメッセージ性と、江戸の精神に通じる笑い、などを取り出すことができる。そこからくる、ある種の「懐かしさ」が漂っているところが、三橋作品の特徴ではないだろうか。(久留島元)


三橋敏雄『しだらでん』を読む⑥ 2016.05.12

おほぞらや恋しき海は海つづき 平成3年

三橋敏雄といえば、無季俳句にふれないわけにはいかない。

『しだらでん』にも、無季俳句が散見される。
しかし掲句に対して、無季の違和感を覚える読者はすくないのではないか。思うに、ここに三橋作品の特色がある。

俳句になぜ季語が必要なのか。

高浜虚子が「俳句は花鳥諷詠」であると定義したからだといえばそれまでで、虚子の言葉を金科玉条として信奉する人がこの定義に従うのは当然である。

しかし視点を虚子以外にずらしたとき俳句にとって季語の有無は必然ではないことは、すでに何万回もくり返されてきた議論だ。子規でさえ「雑」の句は認めているわけであり、また新興俳句運動のなかで無季俳句も多くの成果をあげてきたことはいうまでもない。

そのなかで私自身が「原則的に」季語を使う理由があるとすれば、季語が便利であるからに他ならない。

一般に言われることを私なりにまとめていえば、季語は一語にふくまれる情報量が豊富であり、場面設定などに便利だから、ということになる。「桜」とあるだけで春の期待感、初春の肌寒い気温や卒業・入学の思い出、多くの歌、俳句、歌謡曲にいたるまで記憶が刺激され、再生される。つまり別の言い方でいえば、記憶を呼び起こす力を持つ語彙、といえるだろうか。

そうした理解をふまえたとき、三橋作品の「おほぞら」「恋しき海」は、季語を必要としないほど多くの記憶にむすびついた語彙であるといえる。これが「空」「海」ではないところもポイントで、ニュートラルな単語ではなく記憶に訴えやすい表記、形容が選ばれている。その結果、掲句は「海の男」三橋敏雄に相応しい、演歌調のダンディズムに満ちている。

三橋敏雄が、いわゆる季語にたよらない無季俳句の、きわめて完成度の高い成果をつくった作家である、つまりきわめて優れた無季俳句作家であること、は、疑えない。

それは、三橋作品における語彙が、季語に頼ることなく濃厚な「記憶」をたぐりよせる力をもっているからだろう。

しかし、その「記憶」が、往々にして過ぎ去った、あるいは過ぎ去りつつある時代への挽歌のために用いられていたところに、三橋の無季俳句の特質と限界がある、というのが私の見立てである。(久留島元)

三橋敏雄『しだらでん』を読む⑦ 2016.05.13

春や鯰あたまを横に振り浮き来 平成元年

掲句。意味上は「や」の切れ字があって軽く切れ、「鯰あたまを横に振り浮き来る」となるだろう。春の池のなか、大きな頭を振りながら浮きあがってくる鯰の様子。なんということはないが、いかにも飄逸としておかしい。漢字とひらがなのバランスや、最後に複合動詞をたたみかけ、大きな動作がアニメーションのようにみえてくるところなど、技巧的におもしろい点も多い。
掲句は、俳句の技巧をフル活用してつくった、俳句的な理想の景色といえないだろうか。技巧的で、そのぶん虚構くさくあるが、同時に実際の風景を超えた質感もある。三橋らしい作品だ、といえると思う。

ここまで三橋敏雄『しだらでん』を読んできた。
そのなかで、「ことば」「伝統」「笑い」「季語」「懐かしさ(過去志向)」などのキーワードにぶつかってきた。
あるいはまた、「昭和」のような時代性、「戦争」「震災」のような災害など、素材として慎重に考えざるを得ないものも多くあった。
ほとんどが、これまで俳句の議論のなかで繰りかえし問題になってきたキーワードばかりである。
逆に言えば、三橋敏雄を読むということは、俳句がこれまであつかってきた、いろいろなテーマ、キーワードを総ざらえで考える機会をもつことになるのではないか。

三橋作品は、そのひとつの答えの形である。

しかし、その意味ではひろい読者を楽しませる句集ではなく、熟練の完成度を楽しむような性格があるのかもしれない。

では、三橋敏雄を超えるにはどうすればいいのか。

『しだらでん』は、そんな「問い」を投げかける句集であると思う。(久留島元)



山口誓子『新撰大洋』を読む ①

これから一週間、山口誓子の第十七句集『新撰大洋』(思文閣出版、1996)を読んでいく。

山口誓子といえば、教科書などにも採用されることが多い有名作家である。

代表作、

  海に出て木枯帰るところなし

  スケートのひもむすぶ間もはやりつつ

  つきぬけて天上の紺曼珠沙華

 『新撰大洋』は、誓子の遺句集である。別に『大洋』(明治書院、1994)という句集もあって、これは編者の松井利彦氏が186句を選んだもの。

それに対し『新撰大洋』は、昭和63年から平成5年までの「天狼」発表作品に加え、新聞・雑誌などの外部発表を加えた614句を収録する。

編者は、末永山彦。誓子の義弟、つまり妻波津女の弟で浅井啼魚の次男。あとがきに

「誓子が一年にわたる推敲ののち「天狼」に発表した作品は余さず収めたかったし、他の新聞・雑誌に寄せた分についても、最後の気力を傾けてものにしたそれらを、相当量句集に留めたかった」「幼時より常に俳句の匂いの中に居ながら、ついに実作には手を染めなかった私が、既刊『大洋』の編者と版元との諒解を得て、新しく『大洋』を編むことに心を決めた次第である」

とある。

実は「実作に手を染めなかった私」というのは正確ではない。山彦氏は幼少時、ダンジンの名で「ホトトギス」に投句し、掲載された経験を持つ。

とはいえ長じて実作をしなかったのは、私の知る限り紛れもない事実である。

したがって編者の取捨選択はほとんどないのだが、少なくとも一度は誓子の眼を経て発表された句ではある。ページを開いてみよう。

  太平洋見て笑む恵比須初詣

  吾に寄る太平洋の初潮が

  右側を通行伊勢の初詣

  初詣五十鈴川にて眼を浄め

誓子という名前から期待されるような句ではないかも知れない。

正直、つまらない句も多い。だが、誓子晩年の句境はこのようなものであった。これを「衰え」とみるか「変化」とみるか。

読者がそれを考えるためにも、あえて編者の判断を入れず多様な作品を収録した『新撰大洋』は、再読の価値があるだろう。

 

昨年10月、編者山彦は94歳で逝去した。山彦は、私の母方の祖父にあたる。(久留島元)


山口誓子『新撰大洋』を読む ②

誓子は、旅が好きだった。

体が弱く、伊勢での療養生活も長かったせいか、戦後、体調を取り戻してからは実に精力的に旅に出かけた。そして旅先で膨大な句を詠んだ。日常生活で出会わないような旅先の発見や、高揚感を句に取り込むのが目的だったのだろう。

誓子といえば連作俳句を提唱したことでも知られているが、旅先で詠む俳句は連作としてテーマをもって配列しているというより、自動書記的に眼にうつったものをどんどん五七五に落とし込んでいったような句が多い。

その結果、なんというか、ものすごく玉石混淆である。

昭和六十四年(平成元年)一月、88歳の誓子はロンドン経由でエジプトを旅行した。

エジプトの高層住宅蒲団干す

カイロ、と前書のある第一句。これはおかしみを狙ったのだろうか。

 ピラミツド天には龍の鱗雲

雄大な景色でカッコよい。

 蟻が出る冬の砂漠の砂の穴

「の」の連続で焦点が絞られていくのはたくみ。

 アスワンダム冬も満ちゐて大き海

アスワンダム、はナイル川のダムのことだそうである。初めての地での高揚感は伝わるが、「地名」+「説明」という感じ。

 寒砂漠コンクリートの道通る

うーん、見たままでは。

 結局のところ、旅行吟は旅している当人の昂奮に読者がついていききれないところがあり、一般論としての難しさを誓子も超えられていない気がする。

往復する新幹線の車窓から詠んだと思われる

 一枚の雪を敷きたる美濃尾張  平成元年

などの句が、「窓際俳句」と呼ばれて批判されることもあったが、むしろ見なれた景色のほうが、俳句型式のなかではたしかな描写力を発揮しているようだ。

 鳥威し近江の田には要らぬもの 平成元年

 夏山の伊吹ずんぐり見栄えせぬ 

「要らぬもの」など、旅人に言われたくはない余計なお世話というべきで、「見栄えせぬ」もひどい言いぐさ。この気安さは、見なれた景色ならではではなかったか。

「誓子」という作家名で期待すると、もっと壮大で雄渾な、あるいは峻厳な俳句を期待するかもしれない。エジプト俳句には、そんな壮大さを求めた結果、あまり芳しい結果が出ていないような気がする。

しかし晩年、俳句型式に身を委ねた誓子の作る句は、誓子の違う一面を見せはしないか。(久留島元)

山口誓子『新撰大洋』を読む ③

私はたぶん、生前の山口誓子に出会ったことのある、最年少の人間だろう。

誓子は1994326日、93歳で逝去した。当時私は9歳。私の出席した、最初のお葬式だ。

教科書にのるような俳句のエライ人らしいことは、なんとなく聞き知っていたが、まあその程度であった。

私の記憶のなかの「誓子」は、西宮の山奥の、薄暗い日本家屋の、奥の部屋で寝ている和装のおじいさんであった。ずいぶん耳も遠くなっていたと思う。

ただ、家に残っている写真を見ると、チャンバラのようなことをして遊んでもらっているものもある。なんとなくしか覚えていない。

年譜によれば、誓子がおおきく体調を崩したのは前年、92歳のころで、それまでは除幕式や講演など、精力的に活動している。私の記憶にあるのは、本当に最晩年の「誓子」なのだろう。 

人よりも神に見すべき大瀑布 平成2年

誓子89歳。8月、ブラジル行。

年譜によれば、「旅行を前に不整脈も見られたが本人の強い希望で決行。三十一日成田出発、イグアスの瀑布などを見て、九月八日成田に帰着」

これは「イグアス瀑布十一句」のうち一句。

『季題別山口誓子全句集』(本阿弥書店、1998)で調べると「滝」の句は46句が収載されているが、このうち16句が『雪嶽』(1984刊)、17句が『新撰大洋』、うち11句が「イグアス瀑布」をよんだもの。

 

これを見ても晩年の誓子は、一つの素材で大量の句を作り、残していることがわかる。

 

世界を飛びまわり、雄大な瀑布に胸躍らせる一方、こんなかわいい俳句も。

目の前に立つ筍と丈くらべ 平成2年

拗ねてゐる筍藪に傾けり

ちなみに『季題別山口誓子全句集』で「筍」の句は8句。

 たかんなの土出でてなほ鬱々と 晩刻 昭和21

 神います山の筍掘りて売る 一隅 昭和39

 霊山の筍の皮弥黒し 雪嶽 昭和52

誓子俳句から「かわいい」を見つけていくと、意外な「誓子」像が見えてくるかも。(久留島元)


山口誓子『新撰大洋』を読む④

誓子俳句から「かわいい」要素をみつけることはできるだろうか。

まずは『新撰大洋』から、オノマトペのかわいい俳句。

ふはふはの氷山冬の雲海に 平成元年

雲海のなかに氷山を見たという、飛行機からの写生だろうか。

小澤實さんのフクロウの子どもを詠んだ句が有名だが(ふはふはのふくらふのこのふかれをり)、氷山が浮かんでいる雄大な光景を「ふはふは」と軽やかに表現している。

  水田にうねうね曲る畔もあり 平成2年

あぜ道はまっすぐかと思っていた、というつぶやきが聞こえそうだが、これはこれでいいのだ、という感じ。単純で素直な句である。

  頭を垂れて今年竹みな亡者なり 平成3年

「ずをたれて」、ゾンビである。

  マンションの干蒲団みな白き舌 平成3年

妙な比喩。この比喩でおもしろがっているのは作者だけのような気がするが、人に伝わらないような比喩でおもしろがっている作者を想像させるおもしろさ、というメタなねじれたおもしろさはある。(ひねくれすぎ?)

ただこれが、

 青中洲立てる起重機麒麟なり 平成3年

 口開けし怪獣大き雲の峯 

となると、これはもう、ひどい。言葉遣いやしらべが整っているだけで、小学生レベルの比喩といえる。あえて狙ったとしても、ちょっと調子が低すぎないか。

 

誓子には、もともとたまに「かわいい」ような、妙な句がまじることがある。

当人が「かわいい」のを狙ったのかどうか分からないが、分からないあたりがまた、天然で「かわいい」感じもする。以下、とりいそぎ目についたもの。

がくがくと鋏揺れつつ蟹とぎる 昭和十九年 『激浪』

天井の鼠とことこ露明けて

今晩は今晩は秋の夜の漁村

噴水高揚る水玉が水玉を追ひ 昭和二十五年 『和服』

 下降せし気球ぶよぶよビヤガーデン 昭和三十四年『方位』

(久留島元)

山口誓子『新撰大洋』を読む ⑤

誓子には句碑が多い。

いま、手元にある資料で調べたところ、平成5年12月、関ヶ原に建てられた句碑が186個め。おそらく、これが生前最後に建てられたものと思う。

年譜ではこのときの除幕式には体調を崩して参加しておらず、そのまま自宅療養に入った。

没後建てられた句碑までは手元に資料がなくて全てはわからない。


 雪積みて全白となる関が原

この句、昭和63年の作で『新撰大洋』にある。

句碑になるということは、やはり姿の立派な句でなければ困るし、また詠んだ風景が目の前に広がるような句が望ましいだろう。

どれだけいい句でも「人殺す我かも知らず飛ぶ蛍 前田普羅」なんて句碑がある観光地は楽しめないし、ハイキングへ行った先の山の頂上で「このランプ小さけれどものを想はすよ 富澤赤黄男」の句碑に出会ったりしても、困るだろう。

その点、誓子の句は悠大だし地名も入っているし、実に句碑向け。土地褒めの挨拶句、と言ってもいいかもしれない。


ところですでに紹介したとおり『新撰大洋』には、

 一枚の雪を敷きたる美濃尾張 平成元年

という句もある。

それから『新撰大洋』を通覧して驚くのは、富士山俳句の多さである。

富士山の枝垂れの雪によぢれあり 昭和63

雪の富士裾野に高きビルは無し 平成元年

雪の富士製紙の煙手を挙げる 平成2年

雪の富士鋏で剪りし三角形 

雪の富士裾野に紅燈パチンコ店 平成3年

雪の富士宝永山が肩を張る 

富士ありと思へず霞む大空間 平成4年

解けし雪富士山潜り八海に 平成5年(二月富士山行5句)

毎年毎年「雪の富士」を詠み続ける誓子の姿は、愚直でもあり、どこか異様な気もする。まるで決まり事を守っているような感じで、できた作品にも、あまり遊びや余裕が感じられない。

ただ、毎年のように詠まれた「冬の富士」が平成5年の2月で終わってしまうのは、ちょっとさみしい。(久留島元)

山口誓子『新撰大洋』を読む ⑥

誓子の小動物好きは、よく知られている。有名な

 かりかりと蟷螂蜂の皃を食む

など、虫世界に入り込んでしまうような微視的な視点が、誓子俳句のひとつの特徴だ。

『新撰大洋』のなかでも小動物への関心は強いが、ちょっと違う。

ガラス越し冬の金魚と顔合す 昭和63

細身なる金魚は冬もすばしこき 平成元年

寄れば驚く小心の金魚達 平成3年

 金鱗を光らすこれが金魚なり

このあたり、晩年の「かわいい」俳句に入れてもいいかも。

難しげな文語と漢字とを駆使しながら、小さな金魚と正面から向き合っている姿を想像するとちょっとおかしい。

ところが平成4年になると、

 白金魚白き鱗を輝かす 平成4年

 白金魚にて丹頂の金魚あり

 水底に接吻金魚逆立ちす

 驚きのときは金魚も仰天す

という群作があらわれる。またしても、毎年同じ素材、しかも群作。

そのなかで鱗の光や、金魚たちの驚く姿など、モチーフまでマンネリズムに陥っている。

ほとんど精選のされていない『新撰大洋』ならではのことともいえるが、誓子はこうして毎年毎年、同じ素材、同じモチーフで大量の句を吐き出しながら、そのなかから少ないヒットを見つけるやり方をしていた。

多作多捨。なんとやらは数打ちゃ当たる、といった風もある。

自ら望んだかどうか分からないが、要するにそういうことだ。

そのやり方は、ぶっちゃけて言ってしまえばとてもゲーム的。

バクチのようなもの、と言ってしまってもいい。

誓子は、自らの作句技法として「写生構成」や「二物衝撃」を唱え、「根源俳句」を目指すと宣言するなど、徹底した作句態度を重んじていたが、作品の発表機会が増えるに従って、その作品はかなり変化してしまったのではないだろうか。

そして、そのことがむしろ、俳句のもつもう一つの性格、つまりゲーム的にヒットを生み出すような性格を、明らかにしてしまったのではないだろうか。(久留島元)

山口誓子『新撰大洋』を読む ⑦

誓子の家は、西宮の山奥にあった。かつて料亭だった建物を改装したとか聞いた。

家に会いに行くと誓子が迎えてくれた。誓子は子どもにやさしかったが、おしゃべりなほうではなかったと思う。

私は物心つくのが遅く、誓子との会話はほとんど記憶がない。ただベッドに寝ている和装の老人にむかって、大声であいさつをしたような記憶がある。あれが誓子だったのだろう。

誓子の家は、住み込みのお手伝いさんがいるだけだった。

一階の台所で会話をしていると、天井裏でガタガタと音がした。イタチがネズミを追っているのだ、と祖母に言われた。野生のイタチを見たことがなかった私はそれだけで想像がふくらみ、イタチの姿を見ようと何度も二階へ登った。

二階の部屋は書庫のようになっていて、古い本がたくさん並んでいた。その中心に、着物をきたおばあさんの、大きな写真が飾ってあった。

波津女だった。

「妻にして母,主婦にして看護婦」と誓子に称された波津女は、私の生まれた年に亡くなったので、私は波津女を知らない。私は、知らないおばあさんの大きな写真ににらまれるといつも気後れしてしまい、ついにイタチには会えずじまいだった。

 

ながながと私の思い出話を書いたが、こうした誓子の家の記憶は、『新撰大洋』からはどこからも匂ってこない。

誓子は、窓際俳句と揶揄されながら膨大な旅吟をものしたが、少なくとも『新撰大洋』では自宅を詠んだらしい句はほとんど見られない。

厳密に「家を詠んだことがない」とは断言できないが、誓子は日常詠としての俳句の楽しみを、ほとんど放棄してしまっているように見える。

『新撰大洋』で垣間見えたような「かわいい」要素などは、結局のところ誓子俳句のなかではあまり重要視されず、追究もされていなかったようだ。

しかし、最晩年の誓子が生み出したいろいろな可能性は、よくもわるくも俳句の幅広さをあらわしているようだ。

誓子のなかで生まれかけていた俳句の可能性が、未発達のまま放置されたのだとしたら、すこし残念な気もする。


 句集の最後に、神戸港花火大会5句と題された句。

 一輪の花となりたる揚花火

 毬に見え平板に見ゆ揚花火

 全開し花火大きな菊花なり

 揚花火芯を囲める菊花弁

 花火終港のぐるり灯が残る

誓子旧居は、1995年1月、阪神・淡路大震災のため倒壊した。いまは誓子の義弟、末永山彦の母校である神戸大学に、「山口誓子記念館」として建物が復元されている。

(久留島元)

※ 4/15未明に公開ののち、同日、加筆修正しました。

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