学校要覧
学校及び地域の特色
槻木地区は北西部の丘陵地帯と阿武隈川が作り出した肥沃な沖積平野からなり、縄文時代には、上川名、金谷、松崎等の槻木貝塚群が形成された。江戸時代には奥州街道の宿場町として栄え、現在の町並みがほぼできあがった。
明治22年、10か村が合併し槻木村となり、明治35年に槻木町となった。また、昭和31年4月の船岡町との合併で柴田町となった。以後、各種企業の進出や住宅団地の造成等が進む一方、交通の要衝と化してきたことから仙台市等への通勤者も多く、近郊都市的な性格を強めつつある。槻木地区は旧市街地、新興住宅地及び農村地域を包含し、昔のよさと、新時代の活力を合わせもつ地域である。
校歌(昭和13年4月制定)
作詞 平間 初男
作曲 田村 信義
1
源遠き 阿武隈の
清き流れに 影うつす
七うね山を 見はるかし
ゆかりも深き 堤防の
かなたの空に のぞみかけ
我が槻木は 栄えけり
2
蔵王の峰に 連なりて
大空高く そびえたつ
羽山の霊峰 ゆるぎなく
匂う照る日の 影仰ぐ
我が学びやの 年ふりて
繁りに繁る 教え草
※PDF版でも御覧いただけます。
在籍児童数(R6.5.1現在)
学校経営構想
1 基本理念
教育基本法や学校教育法等の法規,宮城県教育基本方針,管内生涯学習基本方針,柴田町教育基本方針を踏まえ,地域や保護者の願いのもと教職員の創意を生かしてESDを導入したカリキュラム・マネジメントを推進し,活力に満ちた学校経営を行う。
2 学校経営方針
豊かな心と人権尊重の精神を培い,広く国際社会において信頼と尊敬が得られる持続可能な社会の創り手の育成を目指し,地域を愛し,地域社会の一員としての自覚をもたせるとともに,地域社会と連携・協働し,心身ともに健康で確かな判断力と実践力をもち,道徳性にみちた自主的・主体的な児童を育てる。
3 学校教育目標
命を大切にし、共に学び、共に伸びる児童を育てる
4 目指す児童の姿
【自他の命を大切にする子】
○安全に気を付け,命を守る行動がとれる児童
○自他の心と体を共に大切にすることができる児童
○早寝,早起き,朝ご飯の習慣が身に付いている児童
【共に学び、共に伸びることを意識し、主体的に行動する子】
○主体的に考え,伝え合い,深め合いながら学ぶ児童
○相手の立場を理解し尊重できる行動ができる児童
○自ら決めた目標に向けて計画的に頑張り抜く児童
【新たな価値を創造する子】
○相手を理解し尊重できる対話ができる児童
○自分以外の人のためにも貢献することができる児童
○協働の良さを知り,自己肯定感を高められる児童
5 目指す学校の姿
○児童にとって 学ぶ喜びと感動のある学校
○教師にとって 力が発揮でき,働きがいのある学校
○地域や保護者にとって 安心して通わせられる学校
6 目指す教師の姿
○使命感にあふれる教師《教育者としての自覚と 責任をもち,愛と熱意で教育にあたる》
○児童と共に歩む教師《児童に目を向け,気持ちを受け止め,声を掛け,心を注ぐ》
○信頼される教師《高い指導力と豊かな人間性を もち,誰からも頼りにされる》
○学び続ける教師《一人も取り残すことがない教育を実践するために自ら学ぶ》
【ツキ ニレ科 ケヤキ】
※ツキは、一般にはケヤキの古名と言われ「槻」の字があてられました。
校章について
「槻木」という地名の由来と言われているツキノキの葉をデザインしたものです。校章の中心には「槻」の文字を配しこの、学び舎に集う児童がツキノキのように、伸びやかにたくましく健やかに育ってほしいという願いが込められています。古来、当地にはみごとなツキの並木があり、その伸びやかな枝ぶりは多くの人に愛されてきました。今でも柴田町の名木・古木に選定されている「山津見神社のツキノキ」にその名を見ることができます。また、本校の正門から玄関に向かう通路にも、昭和57年10月に、槻木経済クラブの20周年事業として植えられた20本余のツキノキがあります。今、「槻の並木」の碑とともに子どもたちを温かく見守り続けています。
【メタセコイア スギ科 アケボノスギ】
校木『メタセコイヤ』について
(昭和55年10月1日制定)
(昭和55年10月1日制定)
令和5年度まで玄関脇に堂々とそびえ立っていた巨木、校木のメタセコイアは、中国の四川省を原産地とする樹木で、昭和52年2月1日に旧校地より現在地に移植されたものでした。高さは21m、根回りは2.5mもありました。
酷暑や酷寒にも耐え、天を指してまっすぐに伸びるその姿は「希望」「忍耐」の象徴として、朝な夕なに子供たちに将来についての希望を語り、苦しさにも耐えてまっすぐに突き進む力を与えてくれていましたが、令和5年度末、老木化のために伐採されました。