Program Note:プレリュード: 様式を超えて聞こえる声

「前奏曲:様式を超えて聞こえる声」 荻原 哲 ワンコイン市民コンサート実行委員会

「牧神の午後への前奏曲」は詩人マラルメの詩「牧神の午後」にひらめきを得て、30歳のドビュッシーが書いた管弦楽曲。表題通りに解釈すると、前奏の次に何が来るのは「牧神の午後」という詩である。意表を突いての「詩」とはいえ、前奏曲とはドビュッシーのように新規性を追求する作曲家でも次に何かを配置させずにはおれなかったことから分かるように、大きな作品の前に演奏される即興性と様式の自由さに満ちた通常は短い楽曲であった。バッハの大作「平均律クラヴィーア曲集」で知られるように、バロック時代にはスケールの大きなフーガが前奏曲のうしろに配置された。

ドビュッシーは50歳で「前奏曲集」をあらわすが、そこでは前奏曲の後に何も配置されていない。前奏曲は独立した楽曲形式なのである。これはドビュッシーの発明なのではなく、ピアノ作品でいえばショパン 、サティ 、フォーレ、メシアン、ラフマニノフたちが前奏曲集という作品を残している。様式にとらわれることのない前奏曲はロマン派・近代の作曲家の個人としての想いを伝えるには格好の「様式」だった。ちなみに古典派の作曲者たちはどうしていたのかというと、ベートーヴェンやモーツァルトは前奏曲の次にくる大曲すなわちソナタの作曲に必死で、ソナタ自体が独立した楽曲様式であったがゆえに前奏曲を必要としなかった。モーツァルトは「前奏曲とフーガ ハ長調」という佳作を残しているがこれは言ってみればバロック様式へのオマージュ。シューベルトにとっては「即興曲」群がロマン派の作曲家の「前奏曲」に相当するのであろう、様式にとらわれない小品たちの持つ即興性はロマン派の作曲家たちへの大きなヒントになったであろうと想像できる。

一方、ショパンよりも僅か24歳年下のセザール・フランクが「前奏曲、コラールとフーガ」を作曲したのが1884年。時代はすでに新しい様式としての前奏曲にシフトしていた頃。同様に「前奏曲とフーガ」を1932年にあらわしたのがアルベール・ルーセル。二つの作品ともフーガという様式へのこだわりが聞き取れる。あくまでフーガを登場させるための前奏曲である。ではなぜフランクもルーセルもフーガにこだわったのか?答えは明瞭。フーガは高度な作曲技法であり熟練した作曲技術を持っていることの証だったのである。彼らが音楽を学んだスコラカントルムでは伝統的な作曲手法の教育を重視した。新規性を求めた作曲家たちにはフーガ作品がないではないが、ドビュッシーとラヴェルに関して言えばローマ賞を獲得するために、フォーレは「8つの小品集」という小品のコレクションの中に一曲だけ納められているにすぎない。

ショパン、ドビュッシーたちの自由な着想を活かすための前奏曲という様式に対して、フランクやルーセルが学んだスコラカントルムのカリキュラムはルネサンス音楽、対位法、ドイツ古典やグレゴリオ聖歌学ぶというもので、当時のパリ音楽院のオペラを中心としたカリキュラムとは大きく異なる。自由を選択しようが、伝統を選択しようが、それ自体が実に個人的ななことだった。当時のパリに新規性に富んだパリ音楽院と伝統を重視したスコラカントルムが共存していたこと。これは私にとっては大きな驚きです。