アンティーク・ピアノの修復、演奏は、今や一つのブームになりつつあります。確かに、バッハ、クレメンティ、ショパン、シューベルトが実際に触れた鍵盤で、昔の音を奏でる、というのはそれ自体魅力的なことです。しかし、我々がそれらの楽器を今に蘇らせる場合、昔の人たちがどういう音のイメージを抱いていたのかということ探究する、つまり、昔の人々の心の中に分け入ってみる必要があります。そうでないと、ただの古めかしい音、素朴な音、酷い場合には、楽器としてはとても容認できないような、いわゆる「鳴らない状態」でも、アンティークなのだからといって、ありがたがって弾く、というようなことにもなりかねません。では、初期ピアノに関わっていた人々の心にあった音のイメージとは何でしょう。
ハープとツィンバロン。総論において、少なくとも19世紀前半までのピアニスト、または、ピアノ製作家の心の中で、ピアノの音色に重なっていたのは、この二つの特徴的な音のイメージだったと私は考えています。これについて、ここでは詳述を避けます。さらに各論においては、楽器というものは、同じ製作者による同じ種類の楽器でも、一台一台が異なる音色、異なる世界を持っているものです。実際に楽器を蘇らせるプロセスでは、あらかじめ正解を知っている人は誰もいません。自分の勘だけを頼りに実験と試行錯誤を繰り返すしかないのです。
ゾイフェルトのピアノは、2年前に私のところにやってきました。私はこの無名の楽器の可能性を直感し、昔の製法で作られた何種類かの弦を試したり、ハンマーのフェルトを貼り直したり、といった骨の折れる作業を繰り返しました。その作業の初期段階における音がYouTubeにあります。しかし、この後、このピアノは大きく変貌を遂げています。それを、ぜひ、実際の生音で聴いていただき、皆さんの耳で評価していただきたいのです。
クレメンティのスクェア・ピアノは、クレメンティ在世当時には一世を風靡した名器でした。クレメンティ社は、クレメンティの死と共に消滅しましたので、今に残るクレメンティ社製の楽器は、実に、数が少ないのです。永い間眠っていたこの名器を今の日本で最も注目すべき楽器修復家、製作家である太田垣至君が、精魂こめて修復した楽器です。さらに、その後これを山川節子さんが、1年半愛奏する内に、楽器が生き物として蘇り、毎日のように音が変わりつつあります。その生きた音を、皆さんの耳で、実際に確かめていただきたい。
さて、確かに我々は、これら古い楽器たちをこよなく愛しています。しかし、それは、あくまでもそれらの楽器で奏でる音楽を、より生き生きと、より美しく、より豊かに蘇らせたいからに他なりません。我々はけっして、アンティーク至上主義者ではありません。モダン・ピアノも、電子ピアノでさえも、時と場合によっては大いに用います。大切なことは、それぞれの楽器が持っているコンテクストを尊重することなのです。
武久源造