逆瀬川の歴史

日本初の流路工が行われて、その後、土木いさんににん定された逆瀬川の歴史を説明しています。

   昔の逆瀬川

逆瀬川は、100年ほど前までは、逆瀬川さばくと言われていたそうです。なぜなら、逆瀬川は、手入れされておらず、川はばが200メートル近くあり、流路がきまっておらず、曲がりくねっていてかせんじきは、たいりょうの土しゃがつもっいたからです。

さぼうの父、赤木博士による日本初の工事

さぼうの父と呼ばれた赤木正雄はかせは、はんらんしない安全な川を作るために、日本中でたくさんの工事をしました。そして赤木はかせによる日本初の流路工として、逆瀬川の工事が1936年にはじまりました。赤木はかせさぼうの父だけではなく、さぼうの神様とも呼ばれていたそうです。

流路工とそのせいか

赤木はかせが日本ではじめてした流路工とは、おおきく2つの工事です。それが護岸工(ごがんこう)と床固工(とこがためこう)です。護岸工のはたらきは、川岸を石で固めて川岸がくずれるのをふせぐことで、

床固工のはたらきは川のそこをおちつかせ安定させて、川床がけずれてどしゃが流れ出でしまうのをふせぐ事です。

この工事で200メートルあった川はばは、18メートルほどになり川がはんらんするようなみずのじこは今までほとんど起こらなくなったそうです。

逆瀬川が土木いさんになる

2019年、逆瀬川が土木いさんにえらばれました。えらばれた理由は、赤木はかせによるわが国さいしょの流路工として、今もむかしの形をのこしているということです。阪急逆瀬川駅のエスカレーターを下りてすぐのところには、逆瀬川のせつ明を書いたパネルがせっちされています。