逆瀬川の市民運動

逆瀬川のコンクリート化工事が、市民の運動によって中止されるまでをせつめいしています。

宝塚市のとつぜんの工事の発表

とつぜん1990年1月1日に「逆瀬川がかわります」と大きく書かれた宝塚市の新聞が、家にとどきました。けれどもコンクリート化の工事(逆瀬川環境整備事業)によって自ぜんかんきょうが悪くなると思った市民は、逆瀬川の工事に反対する運動を始めました。

工事が始まってしまう

左の写真は、コンクリート化の工事の様子です。美しい川になり、みんなが遊んでくれるようにコンクリート化の工事をしました。町の人は反対運動をしましたが、それでも、工事を進めました。1990年2月に工事が始まってしまいました。


逆瀬川の自然を守る会の方々の願い


逆瀬川の自然を守る会の方々は『自然のままの逆瀬川を何としても宝塚市に聞いてもらいたい』と考えました。そこで、逆瀬川の植物をかんさつしたり、当時京都大学研究委員だった細見 彬文(ほそみあきみち)先生と「阪神間の自然はかい度調査」(カタツムリは森、赤とんぼは水のきれいな川や池、モンシロチョウはきれいな緑)を行い、阪神間で最も自然が残る地域の一つであることも新聞に発表し、逆瀬川の自然を守る大切さをつたえました。

工事の中止が決まる

逆瀬川の自然を守る会の方々は、宝塚市民へ工事にたくさんのお金をかける事にさんせいするかを聞くアンケートをとりました。そのけっか反対する市民が1万人もいたそうです。そして、ちょうさけっかやアンケートをもって、市役所に行き、市や県の役所の方と市民で話し合いを重ねました。そのけっか、1997年3月、逆瀬川の環境整備事業(かんきょうせいびじぎょう)の工事は中止となり、自然いっぱいの逆瀬川が今まで残ることになったのです。