冬至が過ぎて日の出が少し早くなったと感じます。今日は春日山から昇る朝日が黄砂で少しかすんでいました。また、霜が降りていたり、霜柱が立っていたりしました。今の子どもたちってこの言葉はわかるのでしょうか?美しい日本語です、もしおうちの周りでこんな情景に出会ったらぜひ話してあげてくださいね。
今日は3年生です。まずは3年3組ですが算数で重さの学習をしていました。児童上皿ばかりを使って教室にある様々なものの重さをはかっています。以前の理科では電子ばかりを使っていましたが、算数では重さという抽象的な概念をはかりの針の動きでとらえたり、目盛りを読んだりという学習につながります。水筒をはかっていた班の子に、「次にはかる水筒を手にもって重さを予想してからはかってみたらどう?」と声をかけて私も少し混ぜてもらいました。長さや量(かさ)はなんとなくわかるのですが、重さはかなり難しかったです。また、ランドセルを空っぽにしてはかっている班もありました。また、ある班は教科書を全部入れてはかろうとしていましたが、用量オーバーではかれないとなって、少しずつ取り出しながら計測していました。こういう試行錯誤が学習を広げ、深めていきます。
3年2組は理科の学習でした。豆電球を使って明かりをつけるという学習に入っていくための学習場面を見せてもらいました。「電気といえば?」ということで連想されるものを班で考えて発表します。かみなり、静電気、懐中電灯、ゲームなど様々なものが出されていきます。この学習も重さの学習と同じで、実は電気とは目に見えないものなんですよね。そんな見えないものを考えることが抽象思考で、ちょうど9~10歳のころに変化を迎える思考なのです。具体物を思い浮かべたり、具体物を操作したりして、その中で見えない電気という概念を学んでいきます。後半は実験セットを配ってもらって、クロムブックを使いながら乾電池と豆電球をどうつなげば明かりがつくかを予想していました。7つもつなぎ方をクラス全体で考えてくれました。次の学習では実際にやってみて確かめるそうです。「7つのうち明かりがつきそうなのはいくつあると思う?」と私が訪ねると、「う~ん」と言ってじっと考える子。こういう子が伸びる子だなぁと思いました。
1組では学活を行っていました。予告なしで行う地震対応の避難訓練に向けての事前学習です。初めに阪神淡路大震災の時の映像をみんなで見ていました。その後、当時9歳だったという先生の体験を聞かせてもらったり、当時すでに先生をしていた私の体験を聞いてもらったりしてあの地震の大変さを伝えました。その後、家具の固定器具や物の下敷きになって亡くなった人が多かったことなどを話題にしながら、「では、実際に地震が起こったら自分にできることは何かな?」とみんなで考えていきました。1組の子どもたちはよく発言します。安心して発言できる空間なのだなぁと思います。決してふざけた意見が出てくるのではなく、感じたままのこと、関連すること、友達の話を聞いていて思いついたことなどを、騒がしくなることなく次々話していました。また、今度の訓練では家庭科室から火災が発生する想定ということから、避難経路について考えました。ここでも先生が「こう避難します。」と教え込むのではなく、火元から遠ざかること、通路が安全であることなどを自分たちが想定しながら考える学びでした。ある子が「先生、本当の地震ですか?」と質問したところ、担任の先生は「はい。校長先生が校舎を一生懸命揺らします。」こんな冗談もさらっと飛び出す雰囲気です。最後の方は道徳の動画視聴をしていました。
最後にこの2枚の写真をどうしても紹介したいと思います。1枚目は1年3組さんが作った雪だるまのゆきちゃんのあった場所に残っていたものです。雪玉を転がしているうちにこんなにたくさんの土や砂、木切れが巻き込まれていたのですね。もう1枚は1年1組の教室で放課後見つけた黒板です。先生に聞いてみると…運動場の遊びでの場所取りで3年生と小さなもめごとが起こったそうです。小学校では必ずあることです。そこで1年生は自分たちの行動を振り返ったりや3年生の気持ちを聞かせてもらったりした後、こんな時はどうすればいいのかをみんなで考えたようです。この出来事は、どちらがよい、悪いと決められるものではありません。つまり答え(正解)のない課題です。子どもたちはとても真剣に考えたと聞かせてもらいました。素晴らしい!の一言です。日々学校の中で起こることについて、先生が審判になって決めるのではなく、こうやって子どもたちが考え、解決方法を見出し、まずはそれでやってみて、うまくいかなかったらまた考えて…ということが積み重ねられてみんなで高まっていけるのです。これこそが学校の姿なのです。