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沿革
小学校のあゆみ
都跡小学校のあゆみ
明治5年に学校の制度がつくられて、わたしたちの地域にも、それまであった寺子屋をもとに、「佐紀尋常小学校」、「西京尋常小学校」、「甘壌尋常高等小学校」の三つの学校がつくられました。
その後、明治43年11月1日に三つの学校を統合し、「生駒郡都跡村立都跡尋常高等小学校」として開校されたのが、わたしたちの学校のはじまりです。 開校した当時は、まだ校舎や勉強の施設が十分ではなかったので、本校を中心として、二つの分校でも勉強していました。
その後大正5年4月1日に、今の場所に一つの学校としてまとまりました。
明治43年の創立時の児童の数は、本校が247人、分校が271人でした。
昭和15年11月3日に、都跡村は、奈良市に合併しましたので、「奈良市都跡小学校」となり、その後、「奈良市都跡国民学校」と名前が変わったり、校区の一部が「六条小学校」となりました。
また、平成元年最後の木造校舎であった南館が取りのぞかれて、その跡にりっぱな体育舘ができ、全校舎が近代的な鉄筋校舎になりました。
平城遷都1300年祭が行われた平成22年、本校は創立100周年を迎えました。これからも新しい時代を、元気いっぱい学習・運動にがんばっていきます。
「都跡」の地名のおこり
明治22年(1889年)、町村制が施行されることになり、江戸時代から続く集落ごとの「村」が合併し、新しく大きな単位の「村」ができることになりました。その村名を選ぶにあたり戸長福山嘉次郎氏(初代都跡村村長)・用掛中西八郎平氏(二代目村長)・総代岡島彦三氏(三代目村長)の三人で協議し、各村仲良くやっていこうという願いから「和合村」で報告しました。
郡長から、そちらには平城宮跡もあるからと言われ、再度考えたところ、「大和名所図会」にある和歌
「すみれ咲く 奈良の都の跡とては
形見の石礎(いしずえ) 今に残れり」
の「都の跡」の句より「都跡」と名称を付け、郡役所に報告すると、みんなに喜ばれ、その名称が今の地名になったということです。
(都跡村村長を務めた岡島彦三氏が残した手記「家宝の亀鑑」に、「都跡」の地名のおこりが記録されています。)
(「家宝の亀鑑」は、令和3年度春期特別企画展「平城宮跡保存運動のさきがけ」奈良文化財研究所平城宮跡資料館に展示されました。)
都跡地域ふれあい会館前石碑
登録日: 2015年10月1日 / 更新日: 2020年7月21日
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