インドビハール州、ガヤの農村で、農作業の手を止めてもらい調査票を広げる。その瞬間、私の内に生じるのは「申し訳なさ」という重い沈黙だ。学術的な自己満足のために、彼らの貴重な時間を奪っているのではないか。この微かな罪悪感こそが、実はフィールドワークの核心に触れるものだと気づかされる。
Guillemin & Gillam (2004)は、大学が求める形式的なProcedural Ethics「手続き上の倫理」に対し、現場で直面する一瞬一瞬の躊躇を「ethics in practice」と呼んだ。それは、特定の瞬間に特定の人物の時間を奪うことの是非を問う、切実で具体的なethically important moments「倫理的に重要な瞬間」の連続であると呼んでいる。親から同意を得るという事務的な手続き一つをとっても、それは単なるルール遵守ではない。その過程を通じて親の保護意識を育むという、現場の文脈に即した「microethics」としての価値を孕んでいる。
この「邪魔をしている」という感覚を、効率的な調査を阻むノイズとして排除するのではなく、対象者を「データ」ではなく「人間」として捉えている証左として、誠実に見つめ直す必要がある。Sultana(2007)が指摘するように、研究者と対象者の間にある権力構造や非対称性は、意図せずとも搾取的な構造を助長するリスクを常にはらんでいる。だからこそ、この違和感を解消しようとするのではなく、抱え続けることこそが、フィールドにおける誠実な倫理的コミットメントの形なのだ。
しかし、現場で「対等な協働」を目指そうとするほど、私自身の「First(優位者)」としての立場が鮮明に浮かび上がる。現地で協業する仲間との打ち合わせで、私の説明は空回りし、彼は並行する教科書配布に気を取られていた。調査が進まない理由を問えば、返ってきたのは「SIMカードを買う金がない」という、あまりに切実で物質的な回答だった。
私は、彼の読めない微笑みに苛立ち、「プロジェクトを軽視されているのではないか」と疑ってしまった。最終的に、SIM代として500ルピーが支払われることで事態は収束したが、そこには拭いきれない後味の悪さが残った。これはChambers' (1997) が指摘した、物事を単純化・標準化しようとする「First(優位者)」と、生存という複雑な現実に生きる「Last(劣位者)」の断絶そのものである。
だが、この「500ルピー」の意味を、単なる対価や権力行使のツールとしてのみ捉えるのは、私の短視眼的な偏りだったかもしれない。データ通信代を払えないという事実は、現代において情報の断絶を意味する。ネットへのアクセスは、活動の管理だけでなく、教員自身の成長や新しい機会に繋がる不可欠なインフラだ。このわずかな金額の欠落によって、一人の人間が本来得られるはずの機会を奪われているという構造的課題――。デジタル・ディバイドという大きな壁を前に、私の抱いた「後味の悪さ」は、外部者としての倫理性へのこだわり(Self-satisfaction)に過ぎなかったのではないか、という問いが芽生える。
Chambers' (1997) が説くhand over the stick「権限移譲」というのは、相手が自律的に歩み、自らの可能性を広げるための物理的な土台を整えることから始まるとされる。協力者の態度は、限られた資源の中で最大限の機会を引き出そうとする、彼なりの「戦略的」なスタンスであった可能性もある。理論が描く「抑圧された受動的な貧困層」という枠組みには収まらない、生存のための強かさがそこには存在していた。
さらに深い乖離は、他の教育現場での事前調査にて目にすることとなった。調査中、現地の協力者が、答えに詰まった子供に思わずヒントを出してしまったのだ。データの精度(Integrity)を守らなければならない研究という観点からすれば、これは明らかな手続き上の誤りである。しかし、彼が漏らした「この子たちは、こんな機会を一度も得たことがないんだ」という言葉を前に、私は沈黙せざるを得なかった。
ここには、将来的なプログラム改善という「データの厳密さ」と、目の前の子どもが今まさに経験している「学びの瞬間」との間の、鋭い緊張関係がある。インド・ハリアナ州のジェンダー教育研究を論じた福西(2023)は、学校でジェンダー平等の理想を教えることが、かえって女子生徒に「家や外では行動できない」という厳しい現実を突きつけ、内面的なストレスを生じさせる可能性を指摘している。
重要なのは、社会変革を促すはずの研究が、その「変化の負担」を、最も脆弱な立場にある子どもたちに静かに押し付けてしまっているという構造的欠陥である。本調査における「協力者の介入(ヒント)」を単なるエラーとして排除することは、こうした現場の重層的なリアリティを、研究者側の「線形的な評価モデル」というバブルの中に閉じ込めてしまうことに等しい。
これまで述べてきた「現場の混沌とした合理的ではないリアリティ」と「きれいな理論」の間の乖離を、私たちはどのように捉えるべきか。
第一に、現場で生じる「ノイズ」や「誤差」を排除すべき対象としてではなく、それ自体を重要な「データ」として位置づけ直す必要がある。協力者がヒントを出してしまった瞬間や、500ルピーをめぐる駆け引きこそが、その地域の社会構造や切実なニーズを最も雄弁に物語っているからだ。理論を現場に一方的に適応させるのではなく、摩擦そのものを分析の遡上に載せることで、より血の通った開発学が可能になるはずだ。
第二に、自分が「First(優位者)」であるという事実を直視し、その特権性を「戦略的」に活用する覚悟を持つことだ。権力行使への罪悪感で立ち止まるのではなく、自分が持つ資源を、いかに現地の「Last」が望む形へ、根気強く、かつ柔軟に流用させていくか。そのプロセスを「共創」と呼び直すための対話を続けるしかない。
本オンラインジャーナルは、こうした「理論が現場にて」を、失敗の記録としてではなく、新しい知の起点として記録していくためのプラットフォームである。次号以降も、インドの地で揺れ動く私たちの足跡を、飾ることなく配信していきたい。
参考文献
福西隆弘. (2023). 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか. IDE スクエア: 途上国研究の最先端. 日本貿易振興機構アジア経済研究所. https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEASquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_069.html (※Dhar, D., Jain, T., & Jayachandran, S. [2022]. Reshaping Adolescents' Gender Attitudes: Evidence from a School-Based Experiment in India. American Economic Review, 112[3] の紹介記事として)
Chambers, R. (1997). Whose reality counts? Putting the first last. Intermediate Technology Publications.
Chambers, R. (2004). Ideas for development: Reflecting forwards. IDS Working Paper 238. Institute of Development Studies.
Guillemin, M., & Gillam, L. (2004). Ethics, reflexivity, and “ethically important moments” in research. Qualitative Inquiry, 10(2), 261–280.
Sultana, F. (2007). Reflexivity, positionality and participatory ethics: Negotiating fieldwork dilemmas in international research. ACME: An International E-Journal for Critical Geographies, 6(3), 374–385.
インドの現場に立って1ヶ月。活動の傍ら、日々直面しているのが「日本人女性、なめられがち問題」です。実年齢より若く見られやすいことや、反射的に愛想よく振る舞ってしまう習慣が、現地では思わぬ「隙(スキ)」と見なされてしまうこともあるようで……。
私自身、絶賛「なめられ中」ではありますが、先達に聞いたアドバイスに、私のささやかな実体験を交えて、今のところの「護身術」を共有します。
Tips 1: 「マダム」の響きに怯まない
レストランでも露店でも、呼びかけはたいてい「マダム」です。最初は「え、私がマダム!?」と背筋がむず痒くなり、ついドギマギしてしまいますが、これに慣れるのが第一歩だそう。 呼ばれたときに「あ、はい……」と縮こまるのではなく、堂々と、当たり前のように受け止める。「マダム感」を醸し出すことが、不必要なトラブルを遠ざける第一層のバリアになります。
Tips 2: 「愛想笑い」を封印する
日本では、コンビニの会計時などに笑顔でお礼を言うのはごく自然な風景。でも、その感覚で現地の人(特に親しくなり始めた協力者など)に接していると、「自分に気がある」と勘違いされ、しつこく言い寄られる原因になることもあるそうです。 不機嫌になる必要はありませんが、仕事や調査の場では、ある程度の「クールな距離感」を保つこと。笑顔を安売りしないことが、自分を守るためのプロフェッショナルな姿勢に繋がります。
Tips 3: 時には「NO」を叩きつける
リキシャの客引きにしろ、外国人に興味津々で話しかけてくる人にしろ、彼らのしつこさは、想像以上です。「無視すれば諦めてくれる」という常識が通用しないこともしばしば、、、 そんなとき先達は「めっちゃ怒る」そうです。先日、いつまでもついてくる相手にたまりかねて、「いらないって言ってるでしょ!!」と、日本語ごり押しで強めに拒絶してみたところ、意外にもすんなり通じました。言葉の内容以上に、「本気で拒否している」というエネルギーを可視化させることが、実効性のある防御策になるようです。
今後も、現場で身をもって(あるいは人から聞いて)仕入れた「生き残りネタ」を、等身大でアップデートしていきます。理論も大事ですが、まずは安全に、強く生き抜くことから。次回もお楽しみに!
筆者プロフィール 高濱 律樹
2004年熊本県生まれ。大学進学を期に上京。現在は休学し、NPO法人結び手にてインドビハール州ガヤにてインターン中。大学では国際関係学科に所属。
途上国開発の現場で役立つ学問として開発経済学に興味を持ちながら、その理論と現場の乖離に日々葛藤中。