お母さんが妊娠中に経験したストレス環境は、お腹の中にいる子の脳発達に影響を与えるさせるが、それは生後に予想される環境に適応するため

英国の医学者David Barkerは、生まれてくる赤ちゃんの体重が低いほど、その子が大人になってから心疾患などの生活習慣病で亡くなる確率が高くなることに気づきました。一体なぜ生まれてすぐの体重が何十年もあとの生活習慣病と関連があるのでしょうか?


この関連を説明するために、Barkerは次のような仮説(Barker仮説)を提唱しました。「生まれてくる赤ちゃんが小さいというのは、お母さんのお腹の中にいる間に、お母さんからの栄養が十分に届いていなかったことが考えられる。そのため、その赤ちゃんでは、少ない栄養で十分にエネルギーを確保できるように、体内に摂取される栄養の代謝が低くなる変化が起きる。そのような赤ちゃんが生まれて、成長する間、摂取する栄養の量が少なければ問題ないが、もし通常と同じ量の栄養をとった場合、その子にとっては過剰なエネルギーとなってしまい、結果として、生活習慣病になりやすくなっていると考えられる。」


つまりこの仮説では、お母さんのお腹の中にいる間に、生後予想される環境に対する適応的変化が起きたのだが、実際の生後の環境はこの予想される環境とあっていなかった(ミスマッチ)ことにより、生活習慣病になってしまう、ということになります。


妊娠中のお母さんが経験する環境が、お腹の中にいる赤ちゃんの脳発達にも影響することが知られています。例えば、妊娠期間中のとりわけある特定の時期に強いストレスを経験すると、生まれてくる子に精神障害が現れる確率が高まることが多数報告されています。また、動物実験では、実際に生まれる前に母体が受けたストレス等によって生まれてくる仔の脳神経と行動に様々な変化が見られることが確認されています。


それでは一体、このような脳の変化はどのように解釈すればよいのでしょうか?Barker仮説に従えば、このような脳と行動の変化も生後に予想される環境に対する適応的な変化であると考えられるはずですが、精神障害はそのような適応的変化の結果なのでしょうか?


そこで私達はラットを使って次のような実験をしてみました。まず、母親ラットの妊娠期間中にストレスを継続して与えた場合に生まれてきた仔ラットの行動の変化を調査しました。そのような仔ラットが大人になった段階では不安をより強く感じやすく、空間の情報を覚えておく記憶力の低下がみられました。一方、仔ラットが生後の幼少期にふたたび継続して強いストレスを経験して大人になると、不安をより強く感じやすいのは変わりませんでしたが、記憶力の低下は見られませんでした。


このような仔ラットに見られた変化は次のように解釈できます。より不安を感じやすい変化は、ストレスが高い環境(より生命の危機が感じられる環境)においてはより有利な変化であると考えられます。このような変化が生後の環境に依存せずに継続することは適応的であると考えられます。一方、記憶力の低下は、ストレスの強い環境下においても不利益であると考えられます。しかし、そのような変化は生まれる前と後とで環境が一致している場合においては見れれないことから、このような出生前後での環境の不一致の結果、派生してきている不利益であると考えられます。