留学体験談
留学体験談
Y.U.さん(2020年度卒業)
留学期間:2019年8月〜2020年3月
留学先:ストラスブール大学(ストラスブール、フランス)
大聖堂を中心に栄え、ドイツとフランスの文化が混じり合っているストラスブールは、ジブリ作品『ハウルの動く城』の舞台となったアルザス地方にある街です。
パリと並んでフランス菓子の発祥地とされるこの街には、その通り洋菓子店が至る所に居を構えています。街のあちこちに川が通っていて、そこにかかる橋には花々が通年飾られており、その周りにはアルザス地方ならではのカラフルな木枠の家々が軒を連ねています。天気の良い昼下がりには、人々が川辺に寝転んだり、鳥に餌をあげたりしている姿が多く見られました。また、ストラスブールに地下鉄はなく、トラムかバスで移動します。こういった環境のせいか、街の人たちはどこかのんびりしていて、穏やかな雰囲気を醸し出していると感じました。治安が良いと言われる所以かもしれません。大きすぎず、かといって不便でもないちょうど良い街の大きさだと思います。冬には街全体がイルミネーションやクリスマスの飾りで彩られ、クリスマスマーケットが街の数カ所で大規模に行われます。黄色や白の灯りを灯した木造りの屋台が所狭しと並び、ホットワインを片手にキャンドルやクリスマスのオーナメントなど、多岐にわたる種類の屋台を見て周ることができます。
このような街にあるストラスブール大学で、7ヶ月間文学や美術を中心に勉強しました。私は童話や絵本に関心があったので、文学のみならず美術についても学べるこの大学は、理想的な環境でした。また、日本語学科もあるので、日本語を学びたいフランス人の学生と毎週金曜日に、ただ好きなことを話したり、あるいは課題を教え合ったりして、語学力の向上を促す機会もありました。また、学生向けのイベントも多数開催されており、一人で申し込んだとしてもそこで新しく出会う人たちと話しているうちに友達になることもできます。
そのような中で、私が一番印象的だったことがあります。それは文学の授業で、(自分でも理由は分からないのですが)どうしても仲良くなりたいと思う人がいました。勇気を持って話しかけると、趣味や、好きなことにおいてその人との共通点が数多くありました。最終的には、一緒にクリスマスマーケットに行ったり、夜が明ける前からバスに乗って8時間かけてスイスに行ったり、アルザス地方の街を散策したりと、色々な思い出ができました。その人が祖国のポーランドに帰ってから半年以上経った今でも、連絡を取り合っています。一生のうちで得られる掛け替えのない友人と留学先で出会えたことは、本当に嬉しく思います。
生活面では、私は滞在先としてシェアハウスを選びました。初めてのことで少し不安もありましたが、結果的には非常に良い選択であったと思います。フランスの人や、各国からフランスに学びに来る学生と一つ屋根の下で暮らすことは、フランス語を積極的に使う機会にもなりましたし、何より自分の知らないことや、思ってもみなかった価値観と出会えたことで自分の世界が広がりました。時には近所のオランジュリー公園に出かけたり、ドイツまでトラムに乗って買い物にいくこともありました。このような環境に身を置いたこともあってか、大げさではなく、不安や寂しさを感じる時は一時たりともありませんでした。むしろ、日本で暮らしていた時のような現実味のない浮遊している感覚がなくなり、「実際に自分がいる」感覚を取り戻すことにつながりました。それは、シェアハウスだけではなく、一歩家の外に出れば目に入るストラスブールに暮らす人たちの、今目の前にあるものを見て、それを心から享受する姿勢のおかげであったと思います。
私がフランス・ストラスブールにおける素晴らしい経験の数々をお伝えしたいだけこの体験談にまとめることは不可能です。是非、少しでも留学に興味をお持ちでしたら、迷わず行ってみるのが良いと思います。留学前の不安を忘れ去ってしまうような、自分の知らない世界を覗きに行くことができます。
私自身、高校時代からフランスへの留学を切望していたのですが、仏文学専攻の先生方は最後まで見放さずに協力してくださり、本当に感謝の言葉もありません。不安になことがあってもサポートしてくださる環境がありますので、フランス留学を考えている方も、フランス語に興味がある方も、あるいはやりたいことが決まっていない方も、仏文学専攻で学ぶことを視野に入れてみてはいかがでしょうか。必ず得るものがあると思います。
(2020年11月)
M.A.さん(2020年度卒業)
留学期間:2019年8月〜2020年3月
留学先:パリ第3大学(パリ、フランス)
私が留学先としてパリ第3大学を選んだのは、パリにいくつかある派遣先大学の中でも、とくに文学系の講義が充実していたからです。大学では、フランス文学史から言語学、児童文学など、さまざまな講義を受けました。留学生向けの特別授業も豊富で、いろいろな国から来た同年代の学生たちと交流することは良い刺激になりました。
文学や語学面での学びもさることながら、私にとっていちばん印象的なのは、パリでの日々の生活です。パリは、私がいままで住んだ中でいちばん、生きた心地のする街でした。
学校がある日は、授業の合間にパン屋さんで焼き立てのキッシュを買って、近くの植物園のベンチに腰掛けてたべたり、放課後にリュクサンブール公園までお散歩して、バスで帰ったり(バスや地下鉄が乗り放題の学生定期だったので、どこまでも気軽にいけました)。
休みの日には、マレ地区でユダヤ料理をたべて、お買い物をしたり、フランス国立図書館にこもって読書をしたり、美術館や博物館に足を運ぶことも、日本にいたころより増えました。
嫌なことがあった日も、いい気分のときも、パリの街にお散歩にでると、すべてを人生として受け入れられる感覚がしました。
これは、私にとってはじめてのことでした。
このように生活する中で、強く感じたのは、所謂きらびやかな「花の都パリ」ではなく、人びとが実際に暮らしている街としてのパリです。いろいろな人が思い思いに生きていて(それを「治安が悪い」と受けとる観光客もいるけれど)、そこからたくさんのエネルギーをもらえる街です。
最後に、私が留学した年は、大規模なストやデモ、新型コロナウイルスの流行など様々な出来事がありましたが、メトロがないので仕方なく左岸から東駅まで1時間以上(!)歩き、家の前をデモ隊が通ったり(けっこうにぎやかで、きれいな音楽が奏でられるときもあればお店の窓ガラスが割れることもありました)、緊急帰国の時に、空港までのタクシーの運転手さんの思いがけないやさしさにふれたことも、とてもいい思い出です。
このようなかけがえのない経験を可能にしてくれたのは、留学前から親身になって準備のお手伝いをしてくださった仏文学専攻の先生方でした。留学中も、事あるごとに気にかけてくださり、とても励みになりました。
短い期間でも、自分の力で外国で暮らし、そこで学んだ経験は、日本に帰ってからも大切な糧となります。
すこしでも、留学を考えている方は、ぜひ、仏文学専攻を検討してみてください。
(2020年11月)
S.K.さん(2021年度卒業)
留学期間:2019年8月〜2020年3月
留学先:パリ第3大学(パリ、フランス)
「このバスは〇〇まで行く?」
パリに着いて一週間もしない頃。最寄りのバス停で、年配の女性に話しかけられました。まさかフランス語で、誰かに話しかけられるとは。その時、初めてバスに乗ろうとしていたので、乗り方の脳内シミュレーションに集中していて、不意を突かれ何も答えられませんでした。「えっ、あっ……」とまごつきながらも話し始めようとした瞬間、「フランス語は通じないのね」と言われて他の人のところへ行ってしまいました。
必死に携帯を握りしめて、現在地と進む方向を何度も確認していた当時のわたしは、バスがどこを通るか教えることなんてできなかったけれど。それでもすぐに返事をできなかったことが悔しくて忘れられない出来事でした。
彼女の行きたかった場所も、当時知らない地名だったので、覚えていないけれど、今だったらわかるのかなと思いを馳せてしまいます。
当初、見るからに外国人のわたしに話しかけるのは、返事の望みが薄いだろうに。どうして話しかけたのだろうと、思っていました。
でも、段々パリで時間を過ごすうちに気が付きました。
この街の人たちは、偶然居合わせた人とも気軽に話すこと。助け合っていること。
見知らぬ人に対してもとても親切な人も多いこと。
アジア人の見た目だからと言って、外国人とは限らないこと。
それまでフランス語を習う過程で想像してきたフランスとは全然違った姿がたくさんありました。
派遣先大学の授業でもそれまで出会ってこられなかった知識をたくさん得ることができました。このように学問の面でも大きな学びがありましたが、一番財産になったと感じるのは生活していく中で、世界や社会、物事を捉える視点が増えたことだと思います。
パリは日本と比べて、ただ生活しているだけで社会問題が目につきやすいような気がします。今まで気に留めなかったテーマとも、深く向き合う必要を感じます。その社会問題にも、人それぞれ違った立場で関わっていて、それぞれ想いが違うと思います。
わたしにとってパリは、現状の自分の生活に不自由していないからと言って、社会に目を向けないのはおかしなことだと感じさせる場所でした。人はみんなそれぞれ違うのだから、わかり合えるよう、対話を惜しまないようにしようと強く心に刻むようになりました。
また、日本でどんなに思考を巡らせても、理解できなかった考え方が、街の空気を肌で感じて、なんとなくわかることもありました。
この土地でこの暮らしをしているからこそ、生まれる考え方もあるのだろうなと。
7ヶ月という短い期間になってしまいましたが、パリでの暮らしは、今までの20年間で味わったことのない程、幸福でした。別にいいことばかりが起きた訳ではなかったと思いますが、精神的な自由があったと思います。この留学で過ごした日々は一生大切にしたいもので、自分自身が大きく変わるきっかけになりました。
ほんの少しでも留学に興味がある方がチャレンジせずにいるのは、本当にもったいないことだと思います。目の前の出来事全てが新鮮で面白く、全てが学びになります。また、留学時に感じたことや学んだことが後の人生を必ず助けてくれると思います。
留学にあたって、仏文の先生方は手厚くサポートして下さいました。具体的には、派遣先の大学に提出する書類の添削や、留学先での生活に関わるアドバイスなどを頂きました。お忙しい中、学生一人一人を見てご指導下さる環境は、仏文ならではかと思います。留学は何かと不安が付きまとうかと思いますが、専攻をあげて留学を応援して下さるので、心強いです。また、派遣前は留学から帰ってきた同じゼミや授業の先輩から留学に関わる新鮮な情報を伺うこともでき、大きな刺激となりました。
もし留学をしてみたいけれども、専攻を迷っているという方にも、ぜひ候補の中に仏文を入れてみてほしいです。留学を歓迎して下さる先生方と一緒に留学に向けて励まし合える仲間に恵まれる温かい専攻です。
(2020年11月)
M.O.さん(2020年度卒業)
留学期間:2018年9月〜2019年6月
留学先:パリ・ディドロ大学(パリ、フランス)
私は、大学生になっても特に自分の勉強したいことが見つからず、「一年生の時にとった第二外国語がフランス語だった」という理由だけで、仏文科を専攻してしまいました。そして、このまま何も学ばず成長しない学生生活を送っていていいのだろうか?と思い、敢えて厳しい環境に身を置こうと、留学に行こうと決意しました。
実際、留学中は勉学のことだけでなく、生活上のトラブルや、人とのコミュニケーションにおいて、想像以上の苦しみがありました。
留学初期は、ナチュラルなスピードで行われるフランス語の授業、しかも自分が日本で専攻していたものと違う分野を復習するので手一杯で、毎日閉館時間まで図書館で勉強していました。まったくわからなかったことが、少しずつ理解できていくのが感じられ、充実した日々ではあったと思います。しかし、当時は、ほかの留学生のように積極的にフランス人と交流したり、日本人留学生コミュニティにコミットしたりしたほうが留学生活としては「正解」なのではないか?という焦りが常にありました。
その考え方が少し変わっていったのは、留学中に頻繁に行った一人旅行がきっかけでした。
10月末の試験休み期間に行ったボルドーをきっかけに、どんどん一人旅行に行くようになり、様々な地域で多様な人々を見ました。(パリからは、高速鉄道や長距離バスが国内外の様々な街に通っていて、さらに学割が使えるのです)そして、自分の人生において、限られた世界で「正解」とされるように生きるより、常に自分で何をしたいか考え、納得しながら生きるということが大事なのだということに気づきました。
私にとって、留学は学びや成長の期間であった以上に、内省の時間でした。フランスという様々な文化や価値観にアクセスできる環境において、自らは何をしたいと望んでいるのか、どうすればそれを達成できるのか、と顧みる時間がたっぷりあるのは留学中だけではないでしょうか。
今これを読まれている皆様は、大学にて何を勉強するのか悩まれている段階だと思います。しかし、おそらく現時点で、何をしたいか意義を持ってハッキリと答えを出せる方は少ないのではないでしょうか。もし、留学に行かれることがあれば、是非その期間を少し、自分が望むこと、自分にとっての人生の意味を考える時間に充ててみて下さい。
(2019年12月)
M.W.さん(2019年度卒業)
留学期間:2018年9月〜2019年6月
留学先:パリ第3大学(パリ、フランス)
小さい頃から英語に囲まれて育ち、大学卒業までにトライリンガルになるという目標を掲げて、その戦友として第二外国語にフランス語を選びました。その後2年に進級し、目標達成のためにもフランスに留学したいという思いを持って仏文学専攻に進みました。
仏文学専攻と聞くと、その名前に「文学」とあることから、フランスの文学作品を学ぶところである、と思われがちです。もちろん、それは間違いではありません。しかしそれだけでもありません。文学以外にもフランスに関わる様々な学問を学ぶことができるところです。
私は2018年の夏から1年間、パリで学ぶ機会を得ました。
フランスの中でもパリを選んだのは、もともとパリの街並みに強い憧れがあり、その街を闊歩しながらフランス語を話せるようになる生活がしたいと思ったからです。実際に、留学に行ってからは散歩が趣味になりました。授業のない日には可能な限り地図を持たずに街中を歩きまわり、入ったことのないお店に入ってみて店員さんとおしゃべりしたり、フランス人の友人とカフェ巡りをしたり、一人美術館をはしごしたりしていました。
フランス語と格闘しながらも楽しい日々を送る中で、香水に興味を持ち始めました。たまたま入った香水専門店で耳にした「香水はフランスの文化だから」という店員さんの言葉に、今まで知らなかったフランスの一部に触れられたような気がして心が踊り、散歩中に香水店を回るという行動が追加されました。留学から帰った今でもその興味は薄れることなく、卒業論文の研究題材にまでなっています。きっとパリに留学に行っていなかったら、こんなに香水というものに心惹かれていなかっただろうと思うと、自分のアイデンティティーに大切なものを足してくれたパリにとても感謝しています。
新しい趣味も見つけ、心豊かな生活を送りながらも、パリの冬は辛いものがありました。
寒いことはもちろん、日照時間が短く、曇天が続く日々の中で、鬱々とした気分になったり、やる気が出なかったり、体調がおかしくなったり。
それでも冬には冬のパリの美しさがあります。一歩外に出ると澄んだ空気と暗闇に映えるエッフェル塔やシャンゼリゼ通りのライトアップや、クリスマスシーズンにのきらきらした装飾など、それらを見るたびに沈んだ気持ちが晴れて、パリに来てよかった、と思えたものです。
パリに留学してよかったことは本当にいろいろあります。
でも一番はやはり「憧れ」の地で、自分の将来を模索しながら、ただひたすら自分の目標を追うことに集中できたことではないかと思います。
また私の人生史上、こんなにも心が豊かだった時期はないと自信を持って言えます。
パリは、そのせわしなさに疲れる時もありますが、全く飽きない街です。
行きたいところ、みたいもの、食べてみたいもの、やってみたいこと、が尽きず、
自分の心に正直に生きられた毎日でした。
悲しいことに、帰国してからはまた留学前の忙しく心が疲れることの多い日々に戻りました。
そうした日々も自分の一部ではあるので、ある意味充実しているのかもしれませんが、パリでの日々を思うと、留学ってよかったなぁとしみじみ思います。
冒頭でも少し触れていますが、仏文学専攻の素敵なところは、フランスに関わる様々な学問に触れられるところであり、また先生と学生の距離が近いところではないかと思います。
留学に行きたいという思いを丁寧に受け取って、相談に乗ってくださり、フランス生活におけるアドバイスもたくさんいただきました。
また、学生の研究したいと思うことに対してもとても理解があり、そのおかげで卒業論文も楽しく取りかかることができています。
もし何かしらフランスに関わるものに興味があるなら、「仏文学専攻に入って留学する」という選択はきっと自分を変える何かをもたらしてくれます。私がそうであったように。
(2019年11月)
R.H.さん(2020年度卒業)
留学期間:2018年9月〜2019年6月
留学先:パリ・ディドロ大学(パリ、フランス)
「フランスではね、太陽を浴びると私たちの心も照らされて、太陽と調和するって考えられているの。だから天気の良い日は思いっきり太陽を浴びて、心も身体もエネルギーでいっぱいにするのよ。」
これは、天気の良い昼下がりに、リュクサンブール公園で出会った素敵なマダムとの会話で印象に残っているエピソードです。私にとって、約1年間の交換留学は、沢山の素敵な出会い、そして貴重な体験から多くを学ぶことができた、大変有意義なものでした。
フランス留学、と聞くと、何かキラキラした印象を受ける方が多いのではないでしょうか。確かに、華の都という名の通り、世界中の人々を惹きつける、魅力的な建造物がいくつもあるパリは、まさに憧れの地です。ほとんどの文化施設では学生割引が適用、あるいは無料になったりするように、文化的な側面において、これほど学生に優しい国はないと思います。一方で、1年ほどフランスで暮らしてみると、日本では考えられないような不便なことや困ったことが必ず起こるでしょう。自分が思い描いていた理想と現実のギャップに苦しむこともあるかもしれません。私自身、留学先の大学では、現地の学生と同じ講義を受け、同じ課題をこなすことに、かなり苦労しました。特に、私が留学していた時期は、過激なデモや世界遺産の一部焼失など、想定外の出来事も起こりました。しかし、むしろそのようなことを学生時代に経験できることこそ、交換留学の醍醐味ではないかと思います。上手くいかなかったり、失敗したりという経験が多ければ多いほど、今後の人生をより価値のあるものにしていけると確信しています。
大学1年生の時、第二外国語として始めたフランス語に魅了され、この言語をより深く学び、自由に扱えるようになりたい、との思いから、留学を目指しました。そんな私の目標を、手厚い指導・サポートをもって全力で応援してくださり、フランスへと送り出してくださった仏文学専攻の先生方には、感謝の思いでいっぱいです。どこまでも学生思いな先生たちのもとで、思う存分学ぶことのできるところ、それが慶應の仏文学専攻であると、私は思います。少しでも興味があれば、ぜひ仏文学専攻で学び、留学に挑戦してみてください。
(2019年11月)
Y.C.さん(2017年度卒業)
留学期間:2016年8月〜2017年4月
留学先:パリ第1大学(パリ、フランス)
パリの大学を留学先に希望したのは、フランスという国が映画発祥の国と言われているに加え、その文化がパリを中心に発展してきたことを知ったからでした。
世界でアメリカ・ハリウッドが映画市場の大きな存在感を持つなか、一線を画するフランス映画の個性に興味を抱き、どうフランス映画市場が築き上げられてきたか解明したいという密かな野望がもとよりありました。そのため、留学先では映画の経済や分析論などの観る側の講義を選択し、私にとっては驚きの仕組み等々を知ることができました。
実は、講義を受けるにあたっては現地の学生がノートを貸してくれることが多々あります。ありがたく頂戴し講義の復習に努めるのですが、それではどうにもならなかった課題がありました。それは、教授に1対1で映画について自分の分析や考えを述べるというものです。
友人に手伝ってもらって資料を作り発表しましたが、その際に言われたのは、「あなたの発表は分析ではなく描写だ」という指摘でした。たしかに私の発表内容は、言語の不自由さがあるためになるべく誤解がないよう形式的な説明に留まっていました。そこで二回目には、フランス語の表現による違いを恐れず、自分自身の分析のロジックを深く伝えられるようにしたことで、教授からは合格をいただけました。
このときの経験は、今の自分自身にとって大きな糧となっています。というのも、言語が未熟ななかでも自分の考えを発信し納得してもらえたということは、言語の違いまではなくとも立場の違う相手と関係を構築する上で大きな自信となっているからです。社会人になった今、一層それを感じています。
さて、学外ではパリの小さな映画館によく行っていました。ある日そこで、おじいさん達がチケットを買った後に「今日の映画はなに?」と聞いていました。もはや何の映画を観るかよりも映画を観に行くこと自体が習慣になっていて、映画文化の深さを垣間見たような気がしました。些細な出来事でしたが、このようなひと場面に遭遇できることこそ留学の醍醐味と言えるのかなと思います。
この留学を志すにあたって、仏文学専攻の環境下で多くのサポートを受けました。当初は漠然とした目標しかありませんでしたが、形にしていく場を提供してくれました。また当専攻は、卒業生の卒論題目の通り、フランスに関する多様な分野を研究することができるフレキシブルな環境だと思います。もし、何かしらの思いがあるならば仏文専攻・留学を選択肢に加えてはいかがでしょうか。
(2019年6月)
H.O.さん(2017年度卒業)
留学期間:2015年9月〜2016年6月
留学先:パリ・ディドロ大学(パリ、フランス)
フランス・パリ、と聞いて思い浮かべるものはなんでしょうか。数々の美しい建物が立ち並ぶ景色、街中に点在する美術館、数多くの歴史ある教会、そして美味しいたべもの…人によって様々でしょうが、私は幼い頃よりこのようなパリへの憧れを抱き、言語を習得し、現地での生活で文化を学び得ることを目指して、フランス文学専攻に入学。そして大学3年次、パリ留学に行かせて頂きました。
留学が終わって3年が経とうとしておりますが、未だに当時の経験を昨日のことのように思い出すことが出来ます。大学での音楽や絵画に関する講義、フランス人の友人たちとのホームパーティー、ひたすらに美術館を巡り歩く休日、人々が思い思いに時間を過ごす公園で、焼き立てのパンを頬張る朝。素敵な記憶が真っ先に浮かんできますが、想像以上の苦労も多く経験しました。周りが皆外国人という環境で生活をする中で、身を以て考え方・価値観の違いを実感し、またそれを独力で乗り越えなければならない状況に多々遭遇しました。しかしこれをきっかけに、自分や自国を第三者的な視点で見つめ直すことが出来たことは、社会人になった今でも大きな財産になっていると感じます。パリでの生活を経験することで、精神的に強く、そして豊かになることが出来たと、大袈裟ではなく感じることが出来ております。
留学中に感じたことは様々ですが、その中で今でも強く思い出すことが出来るのは、ことばを交わして通じ合えたときの喜びです。もちろん、ことばの壁は大きいものでした。上手くいかないことのほうが多く、伝えられない悔しさを何度も何度も経験しました。しかしそんな状況においても、ふとしたことで会話が弾み、笑顔になる瞬間があるのです。友達に限らず、駅員さん、お店の店員さん、公園で出会ったご夫婦と。少しのきっかけから話が弾んだことで、素敵な時間を共有させて頂いたことがたくさんありました。このような出来事があるだけで、日々の悩みは小さなものとなり、もっと学びたいと強く感じられるようになるのです。時間を置いて振り返ってみても、あまりに素敵な経験でありました。そして、今でも定期的に連絡を取ったり、会って近況を共有するフランス人の友達がおりますが、彼・彼女らともフランス語で会話することで、新たな視点や自身の今まで知らなかった側面を知ることが出来ていると感じます。すべては、仏文でフランス語を学び、留学出来たからこそ得られたこと。当時の自身の選択に深く感謝しています。
留学中にたくさんの街、国へ旅行もしました。今後、あれほど自由に、のびのびと旅を謳歌出来ることはないかもしれません。パリ以外のフランスの魅力を知ることが出来ただけでなく、様々な国で異なる文化に触れることで、知識や感性の引き出しが増え、より深い視点でものごとが考えられるようになりました。
もし少しでも興味があるのなら、ぜひ留学を考えてみてください。出来れば、小さくても良いのでしっかりとした目的を持って。必ず得るものがあり、そしてそれはその後の自分に素敵な影響を与えてくれるはずです。
(2019年4月)
K.B.さん(2018年度卒業)
留学期間:2016年8月〜2017年6月
留学先:ジュネーヴ大学(ジュネーヴ、スイス)
2016年の夏から約1年間、私はスイスのジュネーブ大学に留学しました。所属は翻訳通訳学部。フランス語を学ぶのにあえてジュネーブを選んだ理由は、興味のあった翻訳を取り扱う学部があったことと、多国籍な文化に惹かれたことでした。
しかし、いざ授業を受けてみると、同じ翻訳通訳学部の学生はヨーロッパ系ばかりで、日本人はおろかアジア人すら見当たらないことに驚きました。今思えば理由は簡単、この学部ではほとんどヨーロッパの言語しか取り扱っていなかったからです。一抹の不安を抱えつつ、フランス語と英語を取り上げる授業にいくつか顔を出してみましたが、やはり周りは皆いずれかの言語を母語とする学生ばかり。その分学びも多く得られましたが、どの授業も私にはレベルが高く、秋から冬にかけては孤独感と焦燥感に押しつぶされそうになりながら日々を送っていました。
Buddy制度(現地学生と留学生のパートナー制度)を通じて知り合った友人から、「みんなでチーズフォンデュパーティーをしよう」というお誘いがきたのは、そんなときでした。スイス名産のチーズ、エメンタールとグリュイエールを半分ずつ混ぜたチーズフォンデュは、この国の名物として知られています。お腹いっぱい食べればお酒なしにすっかり酔っ払ってしまうほど、たっぷりの白ワインが溶け込んでいます。
日は短くなり気温も下がり続ける時期、人肌恋しくなっていた私は、喜んで誘いを受けました。
ジュネーブ中央駅からバスで30分ほど、フランスとの国境を超えた先にある彼女の家に着くと、すでに夕食の準備が進んでいました。誘ってくれた彼女は友人とキッチンに立ち、火にかけたチーズにワインを加えながらかき混ぜていました。他の参加者たちも、バゲットを切ったり、テーブルの飾り付けに精を出したりと忙しそうです。私も少し緊張しながらそれに加わり、諸々の手伝いが終わるころには、主役のフォンデュも完成していました。友人やそのまた友人、私の知っている人も知らない人も皆、同じ食卓につきました。
ぐつぐつと煮えるフォンデュがテーブルに運ばれると、これを待っていた!と言わんばかりに、誰もがパンやじゃがいもを次々とチーズに浸していきます。濃厚な香りを放つ熱々のフォンデュが口の中でとろけるたび、私たちの心はほぐれ、じんわりと満たされていきました。そのとき、私はあるものを思い出しました。日本の「鍋」です。火にかけられた熱い鍋をみんなでシェアしながら、わいわい語らって、笑い合って……文化こそ違えど、肌寒い季節に近しい人と集い、温かい料理をシェアしたくなるのは、国境を越えても変わらないことのようでした。私はしばらく、そのあたたかな空間に身をゆだね、内側から溢れ出るような幸福感に浸っていました。
フォンデュパーティーを経験してから、私があの孤独を感じることはほとんどなくなりました。きっと、それまで気付かないふりをしつつも、胸のどこかにあった「自分はよそ者である」という意識が、あのフォンデュパーティーをきっかけに消え去ったのだと思います。こうしてスイスは私にとって、私をあたたかく受け入れてくれる場所、いわば第二の故郷になったのです。
(2019年3月)