卒業論文題目
卒業論文題目
2022年度
正義の赦しの訪れのために ― 死刑廃止論と真実和解委員会での実践から ―
フランスで起こるテロリズムによる移民のアイデンティティー
ブルデュー『ディスタンクシオン』と「分類」
言語状況から見るカナダ・ケベック州 フランス語の独自性と英語との混じりあい
秘密の家に住む私たち ―『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』における弁証法的存在 ―
『悲しみよこんにちは』における物・場・人
『異邦人』における死の仕掛け―ムルソーの見つけた道 ―
青年たちの故郷 19世紀パリの文学から
「信仰心」と「愛国心」の正体 ― モーパッサン『脂肪の塊』から ―
「境界」から読み解く『女中たち』
人間学的反消費主義者(ミニマリスト)とその消費実践をめぐる考察 ― J.ボードリヤール『消費社会の神話と構造』の消費社会理論を手がかりにして
1930年代日本文壇におけるフランス文学の受容
「後ずさりしながら」言葉を書くこと モーリス・ブランショ『終わりなき対話』の「遅滞的差異」論 « PARLANT, NOUS DIFFÉRONS DE PARLER » MAURICE BLANCHOT ET LA PAROLE DʼÉCRITURE RECULANT
19世紀フランス文学と女性たち
19世紀フランス社会とデュマ・フィス『椿姫』:資本主義社会とロマン主義文学
『ルーゴン=マッカール叢書』のねらいと娼婦ナナ
フランスファッションにおける日本人デザイナーの身体と精神の解放性
フランスにおけるジャポニスムの受容と日本観の変化
『ゴドーを待ちながら』におけるヴラジーミルとエストラゴンの関係性
現代フランス語における前置詞 pour の周辺的用法の分析
2021年度
子供は守らなければならない ― ミシェル・フーコーにおける子供と異常者の交錯史 ―
『わたしはロランス』における映画経験
フランスバリテ法に至る女性解放運動思想 ― 平等派と差異派の比較 ―
ガブリエル・マルセルの実存主義哲学における存在の神秘
エマニュエル・レヴィナスにおける「視覚的なもの」の位置 ―『全体性と無限』における「眼の言語」―
Michel Ballardの翻訳学
テクストにおけるフランス語の過去時制
アンドレ・ジッド『贋金つかい』における贋金・悪魔・小説の連関
モーパッサン『女の一生』から読み解く女性像
『星の王子さま』の世界と語彙
アルチュール・ランボーが夢見た現実の愛と理想の愛
『美女と野獣』における女性像の変遷 ~ ボーモン夫人の小説とジャン・コクトーの映画の比較より ~
ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』における神
ボードレールとダンディズム 嫌悪感と矛盾をめぐって
現代フランス映画の傾向とこれから
フランスにおける貧困問題
作品と鑑賞者との関係における聖の顕現
第2言語習得に必要な要素と第2言語習得における歌の有用性
『狭き門』 アリサの解明と今日の日本的受容の模索
フランスにおける女性服飾の歴史とそれに伴う女性の社会的役割の変化
オノレ・ド・バルザック ~『毬打つ猫の店』に見られるジャーナリズム ~
ディドロの特権的存在の不可能性の主張 ―『百科全書』と『ラモーの甥』―
2020年度
「死」と「私」
変身する少女達が教えてくれたこと ─ シンデレラから魔法少女まで ─
現代日本における寓話絵本の大人への普及 ─ 教育目的以外の在り方を通して寓話絵本への意識を変えてみる ─
ペロー版『眠れる森の美女』に込められたメッセージ
フランソワーズ・サガンの作品における「自由と孤独」の変遷
ドゥルーズ『シネマ』における「思考の無能力」の可能性
ナタリー・サロートにおける「トロピスム」─ 言語化不可能な運動の表現可能性 ─
〈小説〉の可能性 ─ ロラン・バルト、晩年の肖像 ─
『ポケットモンスター』で見るRPGのローカリゼーション ─ 英・仏翻訳の比較を通して ─
空転する言葉 ─ 初期ラカン論文の注釈文献に基づく再解釈 ─
Colonisation française et langue française — Le cas du Sénégal et des comparaisons avec d’autres pays colonisés
『明るい部屋』における反意味作用性 ─ プンクトゥムを中心に ─
日本のポップカルチャーがもつ可能性 ─ コンテンツの文化的価値と経済的価値 ─
モーパッサン 魂の孤独ついて
情景と情動 ─ ランボー 前期・後期韻文詩を通して ─
『マノン・レスコー』、『カルメン』そして『椿姫』:3人のファム・ファタルの比較
ココ・シャネルのリトル・ブラック・ドレスに見る新しさとその役割 ─ 色彩とジェンダーの観点から ─
フランスにおけるゴシックの変遷
フランスにおける女性のモードと身体
近代フランス音楽における「フランス六人組」の位置付け
フランスと日本の観光産業を比較して
バンリューの表象
ユベール・ド・ジバンシィとオードリー・ヘップバーン2人の絆
「花の都」パリ ─ パリ都市改造と万国博覧会 ─
なぜフランスの出生率は高いのか
オスカルの「男装」とフランスのフェミニズム運動
フランス人はなぜ、バカンスの時にペットを放棄してしまうのか?
日本語の多義動詞「行く」の意味的同一性の把握 ─ allerとの対照研究に向けて ─
現代フランス語における談話標識pour ainsi direの分析
2019年度
グザヴィエ・ドラン『マイ・マザー』の分析 ─『ベニスに死す』と比較して ─
フランスの移民問題から考察する日本の外国人労働者問題
フランスにおける文化政策の歴史と課題
シャルリ・エブド事件に関する考察 ~移民の現状と風刺文化の視点から~
変わりゆくフランスのカフェ
教訓的童話としてのボーモン版『美女と野獣』
『長靴をはいた猫』再話絵本に見る教育観の日仏比較
ジャリとイヨネスコによる不条理の表現について
アントナン・アルト ― 初期作品『芸術と死』の位置づけ ─ 思想的側面と芸術論的側面から ─
小説の言葉 ─ サルトルの想像力論について ─
アルベール・カミュにおける「不条理」の世界観 ─〈砂漠〉の位置づけを中心に ─
ジャン・ジュネにおける同性愛と聖性 ― 聖性に代わる愛 ―
俳句の翻訳 ─ ポール=L・クーシューの翻訳分析を中心に ─
身体による詩情 ─『ボヴァリー夫人』と書簡を読む ─
匂いの芸術
「天才」ココ・シャネルのファッションビジネス
児童ポルノと芸術
「癒し」の画家モネの魅力からホスピタルアートへ
フランスの「食」はなぜ「美」しいのか
ファッションが持つ社会性
日仏における映画産業比較と今後の日本映画産業振興のための提言
20世紀バレエ ─ バレエ・リュスから『若者と死』まで ─
香水が人に果たす役割 フランス人の意識と香りの考察
Enonciation の言語理論について ─ バンヴェニストとキュリオリの発話理論の考察 ─
現代フランス語におけるディスコースマーカーdisonsの分析
2018年度
サルトルにおける存在の二元論と超越について
『狂気の歴史』と弁証法
ジル・ドゥルーズにおける超越論的経験論について
ジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』 作品分析
フランス・ミュージカル『ロミオとジュリエット』の魅力 ─〈死〉と〈ロック音楽〉が観客に与える影響 ─
『ゴドーを待ちながら』と現代の不条理
地下とフランス文学の関係から考察する人類のイマジネーション
Les nuits ─ 夜あるいは内なる闇の世界 ─
現代フランスにおける教育機会の平等について
『制作』に見る芸術界、ゾラの執筆目的
『カルメン』『椿姫』『サロメ』から考えるファム・ファタルと女性像
岩波文庫『ペルシエット』とディズニー映画『塔の上のラプンツェル』の結末の違いについての考察
ラシーヌ『フェードル』罪の内在性と、腹心の役割について ─ エウリピデス『ヒッポリュトス』、セネカ『パエドラ』との比較から ─
『星の王子さま』における砂漠の役割、サン=テグジュペリにとっての砂漠
ヨーロッパの動物観およびフランスの異類婚姻譚の意義について ~『美女と野獣』を中心に ~
「魔法が解ける」というモチーフについて ~ ペロー童話『シンデレラ、またはガラスの靴』~
山姥は魔女か妖精か
『ノートルダムの鐘』研究 ─ ディズニー映画における位置と再評価 ─
日本人が聴くフランス語の「r」 ― rendez-vousは本当に「ランデブー」なのか ―
ダダによる言語・論理破壊プロセスの変遷 ─ 三つのダダ宣言の比較考察を基に ─
日英仏の言語ごとの映画タイトルの特徴
丁寧表現の日仏比較 ─ フランス映画の日本語字幕から ─
日本の中等教育におけるフランス語教育の問題点と改善の方向性
不可能性の文学 現代におけるサドの文学作品に対する受容と問題
『シェルブールの雨傘』における色彩
フロベール『感情教育』にみる「女」と「母」
『星の王子さま』からのメッセージ
『女の一生』から見るモーパッサンの小説と人生
『ペレアスとメリザンド』Pelléas et Mélisande に込められたメーテルリンクの死生観
フランスの高等教育と社会階層 ─ 出身階層と進路選択の相関 ─
『闇の国々』の人間 ─ 新しいBDのために ─
2017年度
日本の漫画進出から見る、フランスにおける漫画について
継承される「リヨンらしさ」と未来像の論考
モーパッサンのペシミズムとその作品にみる「厭戦」
フランス社会における女性活躍への道 ─ フランス女性はなぜ輝けるのか ─
観光大国フランスから考える日本の観光業のこれから
カナダ人精神のあり方とその変遷について ─ L.M.モンゴメリやガブリエル・ロワらによるカナダ文学を中心とした考察
マルグリット・デュラスの記憶とイマージュ ─ 『太平洋の防波堤』『愛人』『北の愛人』を中心に ─
フランスファッション革命 ─ 規範に縛られる女性たちが自由になるまで ─
ジュール・ヴェルヌに見る芸術と科学の関係 ─ 『20世紀のパリ』を中心に ─
自己認識の道具としてのプルーストの文体 ─ マドレーヌの逸話に見られる内なる視点 ─
16世紀ユマニストの人間観に関する考察
フェヌロン の『女子教育論』から読み取るフランス国王ルイ14世統治下の女子教育の考察
フランス人の政治意識の形成に関する研究 ─ フランス革命期と1968年5月の革命を中心に ─
ポール・ヴァレリーのアカデミー・フランセーズ入会演説
ココ・シャネルの革命 ─ モードで女性を解放した女 ─
まなざしと規則
『レ・ミゼラブル』に込められたユゴーの想い
17世紀おとぎ話における外見の美醜と内面の優劣について
塔の中のラプンツェル ─ 無垢な少女はなぜ“塔”に閉じ込められたのか
『椿姫』に見られるマルグリットの姿
『美女と野獣』─ 物語の要素との関係からみるテーマの変化 ─
シンデレラに見る女の世界
見るなの禁の日仏比較
人魚の純愛 ─ なぜ純愛が芽生え、どのような結末に至るのか
『オペラ座の怪人』の劇中に隠された登場人物の心の内を探る
ジャック・ランシエールの思想における平等の意味と作用について
J.L.ゴダール『ウィークエンド』に込められた思想 ─ アンチハリウッドと性教育
『夜の果ての旅』における前-反ユダヤ主義的表現 ─ セリーヌの公民意識を中心に ─
ジャック・ラカンのテキストは我々に何を求めているのか ─ ソーカル事件を超えて ─
ベルクソンとソレル ─ コレージュ・ド・フランスのプロティノス講義を中心に ─
誰かの生成 ─ サミュエル・ベケット『伴侶』を中心に ─
才能教育のアメリカ、フランス、日本におけるあり方とその展望
ドビュッシーとマラルメの交流内容および課題提起 ─ 『牧神の午後への前奏曲』と『半獣神の午後』に関わって
フランスにおけるPACSの成立とその意義
フランスの学校教育における移民受け入れの現状
小説物語論と映画物語論 ─ ジュネット物語論を踏まえて
ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』における実存の回復
ジャン・ジュネ『泥棒日記』読解 ─ 聖性に向かって ─
人生を二重にする『にんじん』
不条理の果て、カミュが見据える理想の人生 ─ 『異邦人』を読む ─
コレットの皮肉 ─『牝猫』に見る不自由さ ─
葛藤という均衡 ─ ジッド『背徳者』『放蕩息子の帰宅』『狭き門』を読む ─
記憶は浮かび、揺れる ─ パトリック・モディアノを読む ─
語る沈黙と身体 ─ ヴェルコールが『海の沈黙』に込めた思い ─
レーモン・クノーの麗しき文体 ─ こころのももむくままに ─
ファッション史から探る女性の自立について
ベルナルダン・ド・サン=ピエール『ポールとヴィルジニー』─ アルカディアにおける秩序の崩壊と再編 ─
2016年度
アルチュール・ランボーの「見者の手紙」、『地獄地獄の一季節』、『イリュミナシオン』の分析
フランス女性解放思想の成立 ─ オランプ・ドゥ・グージュによる女性史革命と18世紀フランス社会
近代都市パリの形成 ナポレオン3世とウージェーヌ・オスマンの都市理念
『感情教育』におけるデュサルディエの死について
ジャポニスムとクール・ジャパン ─ 世界に愛される日本文化
19世紀文学作品における独身男性と既婚女性の恋愛
リスボン地震とヴォルテール ─ 災害の中のフィロゾーフ
キリスト教の終焉とフローベール ─ 『聖アントワーヌの誘惑』を中心に
『リスボン大地震に寄せる詩』および『カンディード』について
アルフレッド・ジャリ/ユビュ王の卑俗性について
『ノートルダム・ド・パリ』から見るフレンチミュージカルの考察
ジャック・デリダ『法の力』の法哲学への影響とその展開
シャルリ・エブド襲撃事件再考 ─ 新たなフランス社会とジャーナリズムの模索
『夜のガスパール』における「絵画性」の再考 ─ ピトレスクとピクチュアレスク
サードプレイスにおけるフランス・カフェに関する研究
ボリス・ヴィアン『日々の泡』におけるすり切れた世界
発見者と観察者 ─ 大戦間期のアンドレ・ブルトンとフランシス・ポンジュの作品における〈もの〉の役割
La représentation d'images dans Sylvie à travers le théâtre et la peinture
マネ『オランピア』に表れるボードレール ─ 娼婦と猫をめぐって
純粋小説は偶然をどう扱うか
「袋を担いだ男」からみるシャガールの宗教画
ボードレール『群集』における幸福と夜
2015年度
ヴォートラン善悪論 〜悪魔と予言者ヴォートラン〜
ユイスマンスの「改宗」─ スヒーダムの聖女リドヴィナをめぐって
『レ・ミゼラブル』における崇高とグロテスクの関係性
中世・16世紀におけるフランス料理のプロトタイプ
越境する笑い ─『スカパンの悪だくみ』を材料に ─
関連作品との比較による『オンディーヌ』のイデオロギー分析
『人間嫌い』の笑い
潜在性・表現・襞 ─ ドゥルーズにおけるライプニッツ受容
モーリス・ブランショ『期待 忘却』における「共同体」のイメージ
アントナン・アルトー ─ 残酷演劇の軌跡
フランス文学とサッフォーの関係について ─「1900年のサッフォー」ルネ・ヴィヴィアンの分析を中心に ─
ジョルジュ・サンドの挑戦 〜偽りの性で手にする自由 〜
ボーヴォワール『招かれた女』における三人の女たち
ル・クレジオ『黄金探索者』における神秘 ─ 世界と分かち合うこと
無垢なるものをめぐる秘密 〜 コレット『牝猫』の純粋な世界 〜
ボードレール『悪の華』LE FLACONにおけるにおいと想像力とはいかなるものか
目覚めの揺らぎ ─ ポール・ヴァレリー「若きパルク」を読む ─
近代消費社会における百貨店の誕生・発展とエミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』
『マノン・レスコー』マノンと『カルメン』カルメンはファム・ファタルと定義できるか ─ 両作品の比較を通して ─
東京におけるル・コルビュジエ建築の必要性について
『新エロイーズ』における引用の機能と戦略
西洋から見た日本女性
アルフォンス・ドーデーの作品に見られる南フランスへの憧憬の念
バレエ『椿姫』における4つのパ・ド・ドゥ 〜 小説と比較して探る傑作の理由 〜
飲食の描写が表す人物像 〜 Boule de Suifを中心に 〜
2014年度
分身・不条理・死刑囚 ─ アルベール・カミュ『異邦人』をめぐって ─
ベルクソン『笑い』における「苦み」について ~ 落語の観点から ~
スタンダールの小説『赤と黒』および『リュシアン・ルーヴェン』における恋愛空間について
ふらんすにおける「食」の歴史と新たな役割 ~19世紀に花開いた美食の都 ~
死はどのように受け入れられてきたか
19世紀仏文学における「母親」のイマージュ ~ 母性愛への疑問 ~
マリユスとジルノルマン氏 ─ 世代間の断絶・葛藤・和解 ─
フランスにおけるキリスト教 ─ 民衆の心性を中心に ─
『テレーズ・デスケルー』におけるテレーズの動機について
『女の一生』における女性登場人物についての考察
ネルヴァルの幻想と「書くこと」の意義
『未来のイヴ』に至る理想
ジャンヌ・ダルクの神秘性と現代における受容
フランス発祥の名酒 シャンパーニュ
原典とバレエ作品からみる『眠れる森の美女』
ヴィクトル・ユゴー著『レ・ミゼラブル』に於けるメディアの変遷と主題の変化
『眼球譚』の球体構造 Lord Auch (Georges Bataille) Hisoitre de l'œil 1928
19世紀末ゾラの目を通したパリのパノラマ
愛、孤独、言葉 サガン『悲しみよこんにちは』セシルの己を探す旅
完璧な警察官と神聖な徒刑囚 『`レ・ミゼラブル』における正義とは
フランスにおける母性愛の誕生
ゾラは『パリの胃袋』で食べ物をどう描いたか
マラルメの詩における“楽器” ─ その意味と役割の分析 ─
18世紀のフランスにおける女性貴族の服飾について ─ 真のロココの女王とは ─
2013年度
バンジャマン・コンスタンにおける恋愛心理分析 ─ 偉大なる漁色家「ドン・ジュアン」を出発点として ─
19世紀 南フランスの姿 ─ ゾラとセザンヌが描いた故郷 ─
スイス人のナショナリズム ─ フランスとの比較を通して ─
『日々の泡』論 ─ ボリス・ヴィアンが『日々の泡』にこめた人生・社会への挑戦を探る ─
ロマンティック・バレエと『ラ・シェフィールド』
ナナの、社会環境への「復習」 ~ ナナは、本当に、「悪女」なのか?~
貧困問題と教育福祉についての研究 ~ 韓国・日本・フランスを中心に各国の教育福祉制度を比較・考察 ~
モテ学 ~ 海から宇宙にかけて ~
オスカー・ワイルド『サロメ』考察
『デリ』における死と再生の連環
ココ・シャネル ─ 女性の社会進出への影響力 ─
佐々弘雄の政治論とフランス観
バレエ作品から見るそれぞれのメッセージ
神話の子孫 ─ Le prince de Beaumont, LA BELLE ET LA BÊTEとHenri Pourrat, LA BELLE ROSEを題材に ─
眠りの森の美女からみる女性の描かれ方
童話における「3」について
モリエール流 観客の楽しませ方
『ペロー童話集』に表れる衣と食に関する考察 ─ Peau d'âneを中心に
モリエール喜劇『病は気から』と『いやいやながら医者にされ』における医学批判分析
ペロー版「シンデレラ」にみるペローの思考と語り継がれるゆえん
「眠れる森の美女」の仙女から見る物語の預言と運命
MORALITE ~ ペロー童話の教訓的メッセージ ~
ペロー版グリゼリディスに見る"La Femme Idéale"
ロラン・バルトが目指した文学というユートピアについて
バタイユとヘーゲル ─ 恍惚の弁証法 ─
ドイツ占領下のフランスにおけるナショナリズム
シモーヌ・ヴェイユにおける神概念の深まりとしての「脱創造」についての一考察
日本とフランスにおけるヘイト・スピーチ規制の比較
『感情教育』における表現技法
多言語社会における未来への言語選択 ─ フランスが植民地アルジェリアに与えた同化政策の影響を中心に ─
『方法序説』におけるデカルトの試み ─ 反レトリックと古典レトリック ─
アルベール・カミュの『ペスト』における「嘘」と「名前」の問題
フランスに咲いたエニシダの花 ─ ジャン・ジュネ『泥棒日記』を読む ─
フランスと移民、サッカーと人
アントナン・アルトーと壊れやすい根源 ─ メキシコ渡航前の詩作と演劇をめぐって ─
〈痙攣的な美〉をめぐる諸問題
モローとマネの比較
『彼方』における「閉鎖的空間」からの「女性」の排除
舞踊をめぐる言説にみられる〈身体〉の考察 ─ 象徴する身体について ─
現代芸術におけるマルセル・デュシャンの革新性について ─ 20世紀の芸術運動と芸術の定義から考える ─
器官としてのテクスト ─ ドニ・ディドロ『ダランベールの夢』の表現形式について
2012年度
フランスの映画支援政策が作品にもたらす影響 ─ ハリウッドとの比較を中心に ─
従来の語学学習の課題の分析と継続可能な語学学習サービスの提案について ─ 語学学習の動機に関しての分析やMOOCの分析を中心に ─
日本とフランスにおける花の歴史
消費者としての女性 ─ 19世紀後半から20世紀前半フランスの消費革命 ─
モードの源流
倫理と文学 ─ 思考不能なものをめぐる試論
ベルギー幻想派を追って 〜 作家ジャン・レイを中心に 〜
イジス写真集『夢のパリ』─ 外部性と詩的リアリズム ─
『地獄の季節』、または自分を語る詩篇 反故草稿と決定稿の比較に基づくアルチュール・ランボーの自伝生と物語性に関する考察
フランスにおけるアニメと漫画の受容
CHANELにみる現代ブランド
マルセル・プルーストと作品の独創性
La dialectique du royaume et la solidarité conjugale dans L'Exile et le royaume d'Albert Camus
パリ万国博覧会に押し寄せるモノと人 ─ 19世紀における大衆教育と同時代人のまなざし
虚構の病 ─ ゾラ作品における病と遺伝の問題をめぐって ─
自伝の新たな定義:『言葉』が描く「第二の誕生」
神話の末裔たち ─ 『LA BELLE ET LA BÊTE (Le prince de Beaumont)』と『LA BELLE ROSE (Henri Pourrat)』を題材に
『真説聖ジュネ』と演劇の中の演劇
『運命説話』の持つプロットの特殊性 〜 如何に運命は物語を書くようになったのか 〜
「まき毛のリケ」におけるespritについての諸問題
ジャック・デリダにおける「他者」の思想と断絶 ─ エマニュエル・レヴィナスとの「対話」を通じて ─
モーリス・ブランショ『謎の男トマ』における動物、分身、死について
ロラン・バルト『写真論』について ─ 死と再生 ─
バタイユの考える「悪」の概念とその限界と可能性
訳しにくい日本語のフランス語訳を考える ─ 文学小説に登場する8つの表現を通して ─
寺山修司の「幻想劇」 ─ ホフマンの幻想劇との比較において ─
戦前日本人のファシズム観の一考察 ─ マスメディアを中心に ─
フランス映画についての考察 ─ 過去の栄光、そして再生への道 ─
Corot — la figure de la femme chez le grand paysagiste
ル・クレジオと「太陽」の表象 ─ 自我と時間の主題をめぐって ─
『カンディード』一考察 ─ オプティミスムと「庭の教訓」
『ボヌール・デ・ダム百貨店』 マルティ夫人の浪費癖について
社会を動かすフィガロ 〜 芸術作品に秘める社会性 〜
ジャン・ジュネの反抗 ─『恋する虜』を中心に ─
2011年度
「アンチピリン氏の最初の天上の冒険」考
ピエール・クロソフスキー『歓待の掟』三部作 ─ 第三部『プロンプター』を文学作品として解読する ─
アルベルト・ジャコメッティのテクスト ─ 「夢、スフィンクス桜、Tの死」をめぐって ─
マルセル・デュシャン ─『泉』の受容をめぐって ─
『プルーストとシーニュ』に読み解くジル・ドゥルーズの思考の軌跡
ヒミツをひとつ、
マルグリット・デュラスと3つの愛人 ─ 人生と作品の交錯点 ~ デュラスが愛した3人の愛人 ~ ─
コーヒーハウスとコーヒー文化にみる嗜好品の役割
ゾラの見た19世紀パリの市場 ─『パリの胃袋』を通して ─
近代フランスの道徳・公民教育
ゲンズブールの人生
『嘔吐』─ ロカンタン、絶望の彼方で ─
日仏マンガ比較
新しい家族を作る女性の選択について ─ フランスアンシアン・レジーム期の女流作家の作品を通して ─
ペローとディズニーと現代の『シンデレラ』
モリエール『亭主学校』と『女房学校』における娘への教育と女性の知
シンデレラ物語におけるプロットパターンとその受容の変遷
古ドフィネ方言における強勢母音Aの発展について
「過去」のもつ丁寧さについて ─ 日・仏・英比較 ─
翻訳の未来 ─ 日本文学からフランス語翻訳について考察する ─
副詞的用法「なんか」の不定性と意味 ─ フランス語訳を通して ─
現代日本の母語教育における諸問題とその経緯、今後の発展について
翻訳と女性語 ─ フランス語翻訳への女性語の表出 ─
エミール・ゾラの女性観について
ヴァカンスの方へ ─ ジャック・ロジェの映画作品に見られるヴァカンスの表象 ─
レジスタンス期における詩の役割と可能性
ポストモダンのヒューマニスト、リオタール ─ モダンとポストモダン、およびハーバーマスとの比較から ─
ジャン・アヌイ『アンチゴーヌ』の系譜 ─ 物語の変奏 ─
ツールド・フランスの抱える問題 ─ メディアの報道と、そこに潜むフランス的な性質 ─
『嘔吐』から読みとくサルトルのアンガージュマン
『泥棒日記』と『恋する虜』の比較から見えてくるもの
ランドの女、テレーズ・デスケルー
ラップリリックから見えてくるフランスの移民問題
プルーストの教会 ─『失われた時を求めて』における教会描写 ─
エマニュエル・レヴィナスの優しさについて
ポール・ドラローシュ ─ その作品にみる絵画の存在意義 ─
ボードレールとドラクロワ ─ 想像力の架け橋 ─
『未来のイヴL'EVE future』(1886年)に描かれた「女性像」と「恋愛」─ そこに込められたヴィリエの思想とは何か ─
『パイドン』における魂と哲学の関係について
19世紀フランスにおけるクラシックバレエ
『それから』の主人公代助に見るダンディズム
2010年度
ゾラ作品における機械について
『感情教育』論:衣服と接触をめぐる主題論的読解
ポール・ドラローシュ ─ その作品にみる絵画の存在意義
『デリ ─ 至高の徳の対象 ─』における人間性の考察
においの歴史に関する一考察 ─ 日仏比較から見る、においの文化的、社会的分析 ─
母性愛は本能か ─ 戦略として生まれた母性愛 ─
林忠正が伝えた日本 ─ 19世紀フランスにおけるジャポニスム ─
オーノワ夫人のおとぎ話『妖精物語』『新妖精物語』における考察 ─ 女性のまなざしから子どもの本へ ─
モリエールの『人間嫌い』における内実と外観の問題
『肉体の悪魔』における戦争
衣服の記号論
形而上的反抗による人間の存在の肯定 ─ アルベール・カミュの思想 ─
文明人ゴーガンの楽園
ジャン=フィリップ・トゥサンのまなざし ─『浴室』を中心に描かれるテーマをさぐる ─
映画『勝手にしやがれ』の革新性をさぐる ─ ゴダールが生み出した「引用芸術」─
『肉体の悪魔』における利己主義、及び利己的人間に関する研究
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』における〈小説と絵画〉─ プルーストの印象主義をめぐって ─
LOUIS FERDINAND CELINE ─ 反ユダヤ主義的言説への「飛躍」─
クロード・レヴィ・ストロース 構造主義が今何を伝えるか
フランス公教育制度の矛盾 ─ 教育格差を解消するには ─
アンドレ・マルローの『希望』における永遠性の探求について
アンドレ・ブルトンの「思想」と痙攣的な美について
ロラン・バルト『明るい部屋』における私小説性
セリーヌにおける戦争の影響
マルセル・プルーストの愛する女性 ─ 三つの事件
漫画「ONE PIECE」におけるオノマトペ「どん」についてどーんと大研究
Jean=Luc Godard映画における映画字幕翻訳の意義
フランス語の音象徴 ─ 音と意味の関連性 ─
広告についての日仏比較研究
他動詞・前置詞構文の交替をみせる動詞の特徴とLCS表示
フランス映画における日本語字幕が観客に与える影響
フランス語における女性語の研究
セザンヌ 人とその作品
マラルメ「エドガーポーの墓」評釈
小説はいかにして映画へと変換されるか
フランスにおける写真文化とアジェ