卒業生ファイル

KANAGAWA GAKUEN

第7回 庄子 愛弓さん (2015年卒業)

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 第7回「卒業生ファイル」で紹介するのは、2015年3月卒業の庄子愛弓さんです。現在「世界との窓口」である税関で、日本社会の安心・安全を守りながら、円滑な貿易と公正な国際取引を担う使命に誇りを持って働いている方です。高校生時代の海外研修や大学留学時に訪れたタイでの体験から「日本という国で誰もが幸せを感じられるようにしたい」と強く願うようになりました。税関で様々な業務に就いている庄子さんは、知的な楽しみを仕事に見出すことで文化祭との繋がりを感じたり、「逃げない強さ」を育んだ神奈川学園での部活動が自分の原点と語ります。「相手を思って語る言葉の大切さ」という在校生へのメッセージも庄子さんご自身の体験に基づくものです。エネルギーに溢れ、どんな人の存在もあたたかく受け止めながら向上心を持ち続ける庄子さんの生き方は、読む人すべてを励ましてくれます。是非お読みください。

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1. まさか...公務員?


 みなさま、こんにちは。庄子愛弓と申します。今、私の職業は国家公務員(総合職)ですが、中学生の頃まで(行動指針が"反抗"だった中2・3は特に)、「公(おおやけ)」が付く言葉(忠犬ハチ公を除く)も、その言わんとする理念や思想も好きにはなれませんでした。「公共の場でイチャイチャしないの」「思うままを言わず、公平な発言を目指しましょう」といった文脈で使われる「公」は、私を封じ込めるもので、個人を大勢の中にひとまとめにするものだと感じたからです。

 そんなネガティブなイメージが変わったきっかけは、高校1年生のときのオーストラリア研修です。海外に出て初めて、自分が日本という大きなひとまとめの中に生きていること、そしてそれによって恩恵を受けていることに気が付きました。

 現地の人への自己紹介で、一 言目にI'm Ayumi、二言目に from Japanといった時、オーストラリア特有の文化的DNAとして、「mateship(マイトシップ):見知らぬ人を歓迎したり、お互い助け合おうという精神」という素敵な根っこがあるからか、一言目から優しい態度だったのですが、二言目を聞いたとたん、笑顔が広がっていきました(日本という国自体が好感をもたれているんだと感じました)。そして、自分自身1番驚いたのは、二言目の選択肢は無数にあるはずなのに、口から流れるように出てきたのは、自分の出身国についてだったことです。

 このような経験の中で、日本の中の自分を認識・発見し、「私」(個人)のためになる「公」(日本)というポジティブな面に出会った結果、「公」というものに興味を持ち始めました。

(ホストファミリーと)

(ぶすっと反抗的な顔(笑)
~美術の自画像~ ) 

2. 目指すは、公務員!


 大学でタイのタマサート大学に交換留学した際、タイ人の友達がドライブにつれていってくれたのですが、車は一歩も動かない。タイでは日常茶飯事の大渋滞です。どうしようもないほど暇だったので、「タイの道路ではどんな車も、だるまさんが転んだゲームで無敵、無双だゾ☆」とノンキな思いつきをしたり、タイ人と私で、渋滞よりは辛うじて流れる英語で、一生懸命、お互いの国や趣味についてなど色々な会話をしました。たのしいひととき♪

ところが、その会話の中での一言が、私のノンキな気分を一転させました。とても悔しい思いをしたのです。タイ人から言われた「Japanese Economy is stopping like this traffic jam」という一言です。日本経済についての発言なのにもかかわらず、不況と笑顔の組み合わせがイメージできないからなのか、私にとっては「日本で暮らしている人は幸せなのか?」と問われているように聞こえました。その答えを持ち合わせていないやるせなさといったら...

ここで確かに感じたのは、日本で幸せを感じる人が増えるような仕事がしたいということでした。そして、もう少し具体的に考えを深めてみると、経済力さえ上がればいいとは思わなかったので、外交や安全保障など含め全体的な視点で、人々の幸せにつながる針路を、日本が進んでいけるような環境づくりをしたいんだ、とハッキリしました。その目標にドンピシャな職業が、国家公務員(総合職)でした。

(タイの道路は、トゥクトゥクという乗り物も走ります) 

(タイ留学で出会った仲間たち) 

3. 国家公務員(総合職)の仕事


 政策の企画立案(簡単にいうと、ルールや仕組み作り)をするのが仕事です。

省庁によって政策内容は様々ですが、私は財務省税関というところで、

関税政策

② 税関行政

の企画立案をしています。


① 関税政策の企画立案について

そもそも「関税」とは、外国からモノを輸入するときに、その輸入品に課される税のことです。関税政策の基本的な役割は、関税の引き上げ・引き下げを行うことにより、貿易を発展させ、より豊かな社会を実現することです。

ここで重要な点ですが、関税率は法律や条約(以下、まとめて“ルール”)で決まっているので、関税政策を考え実行しよう(例えば、関税を引き上げよう)と思ったら、ルールを作る、あるいは変える必要が出てきます。ルール改正の具体例を2つご紹介します。

(令和3年度改正)

医療現場で使用されている使い捨て手袋について、新型コロナウィルス感染症の感染拡大により、世界的に品薄となり価格が上昇したことから、暫定的に関税率を無税にしました。目的は、国民の健康を守るためのモノが海外から日本に入ってきやすくなるようにするためです。


(令和4年4月改正)

令和4年2月以降のウクライナ情勢を巡る国際的な動きを背景に、ロシアに対して、最恵国待遇(関税についての便益)を撤回するための法改正を行いました。これは、国際情勢の変化を受け、政治・外交・経済、様々な面から検討を重ねた上で行ったものです。

もっと知りたい方は、下記の財務省HPの資料をご覧ください。 kana20220328siryo1.pdf (mof.go.jp)


上記のような関税政策を考える際、関税の持つ国内産業の保護機能に留意しつつ、国内の生産者を取り巻く状況、輸入者・消費者への影響、国際・社会情勢の変化等を踏まえて、総合的な検討を行うのですが、神奈川学園の文化祭チックだなあと重なることがあります。1つのテーマについてクラス一丸となって、色んな立場の人から生の声を聞き、多面を1つ1つ丁寧に調べあげた文化祭。当時はこんなに長く、役立つ経験になるとは思ってなかったです。

(横浜にある税関“クイーンの塔”)

(高1文化祭“ 宇宙にMUCHU ”) 

②税関行政の企画立案について

海外から日本へ入ってくるものや日本から海外へ出ていくものは、通関手続をする(平たくいうと、税関から通ってOKと言ってもらう)必要があると関税法で定められています。社会の安心・安全を脅かす物(不正薬物、銃器やテロ関連物資等)にはNO!といい止め、日本経済を支える物にはOKといい素早くスムーズに通しています。

水際で社会の安心・安全を守りつつ、円滑な貿易と公正な国際取引を担う。これが世界との窓口である税関の使命であり、税関発足以来150年間ずっと変わらない使命です。


他方、税関を取り巻く環境は大きく変化しています。1988年から2018年のおおよそ平成の30年間で、貿易額は約2.8倍、輸出入許可件数は約5.5倍、訪日外国人旅客数は約13.2倍に拡大。1988年当時はなかった経済連携協定(EPA)等は、2018年には17本、その後2023年3月時点では21本もの締結へと至り、貿易は質・量ともに拡大しています。

※EPAとは、交渉で合意できた仲良しの国同士の間で、特別に関税を下げる等の約束を記した協定


税関行政の企画立案とは、このように税関を取り巻く環境が変化していく中で、変化によって生じる新しい課題を見つけ、税関の使命を果たし続けるための手段を検討することです。

 

以上がざっくりと、仕事内容の紹介でした。この他にも、色々な業務があります。例えば、国際的なルールを破って、汚いゴミを何トンも国外に密輸出しようと企む者を止めるといったような環境関連の仕事や、軍事転用リスク製品・技術の流出阻止といった経済安全保障に関する仕事もあります。また、ルール作りに加えて、実際にルールを執行する現場(税関)で仕事をする機会もあります。国際郵便物を検査し麻薬を摘発したり、密輸事件の調査をしたりします。本当に仕事内容が盛りだくさんなので、日々必死に食らいつかないといけないのですが、知的に楽しく、そして大きなやりがいを感じています。

4. 神奈川学園で培った私の原点


 私の原点は、バスケ部の仲間と過ごした6年間の中にあります。きっとそれは、いくつになっても、どこに住んでも変わらない気がします。

 みなさんは、放課後どんな風に過ごしていますか?

 私の放課後 = 体育館、シュート、沢渡公園での走り込み、スウェッティな香りの部室でした(笑)。6年間、練習→練習→練習→合宿→試合→反省→練習→練習→練習試合→練習→試合の繰り返しでしたが、その時々で、色んな心の動きがありました。仲良しの友達が部活を辞める時、試合で負け続けた時、勉強の成績がガクンと落ちた時、チームメイトとぶつかった時、努力するのがイヤになった時、放課後の時間は遊びに使いたい時、書いた退部届の枚数は、数え切れません。でもそのたびに、話を聞いてくれたり、アドバイスをくれたり、私の弱さを叱ってくれる先生やチームメイトがいてくれました。そのおかげで、最後まで部活を続けることができました。

私はいろいろ不器用で(←なんと家庭科のきゅうりの輪切りテストで、追試に(!))、自分の弱さに直面したときに、「今回は逃げることにしよう。次回は頑張ることにしよう」ということができない性格なので、バスケ部から逃げていたら、一生逃げ続けることになっていたと思います。バスケ部で最後まで頑張れたこと、その過程で逃げない強さを身につけられたことは、私の人生における大収穫でした。

 

話が少し飛びますが、マイルール?として、“成長すること。変わること”をとても大事にしています。なので、誰かに「変わらないね~」と言われるのは、基本的には嬉しくありません。でも、バスケ部の仲間と、社会人になってから集まったときに、「変わらないね~」と言われたとき、令和イチのうれしさでした(笑)。やっぱり大切な原点だからかな。

(当時の担任・吉原和夏子先生からのメッセージ)

在校生のみなさまへ

 さて、友達への「頑張れ」の言葉を口から出す前に、「頑張っている人に、『頑張れ』って言っていいのかな」と心の中で迷ったり、また、言った後で「もうちょっと違う言い方をすれば良かった」と反省した経験のある人はいますか?そのような「ちょっと待ったのサイン」や「言葉の点検機会」を大事にし続けてほしいです。それらは、相手への、やさしい想像力や温かい思いやりから生まれるものだからです。私のKG生活で印象に残っている優しい言葉は、音楽会の練習の時に友達からもらったものです。前提事実として、私は音痴&大声です(←ここだけは小声)そんな私に対して、友達がクラスの音を破滅させないために私にある言葉をかけました。「あゆみ、目立ってるよ」と。私は、当時目立つことが大好きでした。なので、目立っていると言われて悪い気がしませんでした。うまいなと思いました。言い方ひとつで、本来耳の痛いことも、すんなり入ってくるのです。あとあと聞いたら、時間をかけて、言い方をすごく考えてくれたそうです。「音外れてるよ」という言葉のほうが、すぐ思いつくので簡単だったのにもかかわらず。

 結局、人が誰かに届けられるものって、物理的なものを除けば、言葉しか残りません。他人の立場に立ち、言葉選び・迷いを大切にして過ごせば、人に嬉しいプレゼントを贈ることができる人になれると思います。個人的には、学力や教養を磨く意味も、最後はそこに結びつくと感じます。要するに、人の心が少しでも分かる人になるために、自分以外のことを学んでいるのかなぁと私は解釈しています。

(韓国・平昌で開催された
第23回冬季オリンピック大会でのボランティア) 

 最後に、とその前に、嬉しかった自慢をさせてください。

 国家公務員になるためには試験やら面接やら関門があるのですが、四苦八苦している私に、高橋文恵先生(※)は、「庄子さんの魅力が分からないなら日本は残念な国、ということです。そのくらいの自信で。」と温かいエールを送ってくださいました。とても励まされたことを今でも忘れません。ただ、先生はいつまでもやっぱり先生で、「本当に魅力的な人間になれるように頑張る」という宿題(プレゼント?)まで私に与えてくれました(笑)。

(※)当時学年主任の先生。そして私の高校英語の担当で、放課後や授業の合間などタイミングおかまいなしに質問に突撃する私に対し、笑顔で一問一問教えてくれました。

 

 最後に、皆さまの人生行路が、良き出逢いや繋がり多き道でありますよう、心から願っております。

 長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 

(アジア学生交流環境フォーラム(ASEP)
アジア9カ国の大学生が集い、地球環境問題について討議) 

【年表】

庄子 愛弓

2015年3月 神奈川学園高等学校 卒業

2015年4月 早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科 入学

2019年3月 早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科 卒業

2020年4月 財務省税関 入省

(国際交流の場で披露した寿司ダンス。湯呑役。
バスケのディフェンスの練習の成果現る笑)

終わり

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