卒業生ファイル

KANAGAWA GAKUEN

第4回「卒業生ファイル」は、2014年3月に神奈川学園を卒業した吉田礼(あや)さんを紹介します。吉田さんは現在時事通信社で記者として報道に携わっています。報道カメラマンや記者として社会で起きている出来事を取材し、発信する仕事にやりがいを感じて今に至ります。ジャーナリストを志す原点となったのは沖縄フィールドワークであり、世界への関心はオーストラリア研修、大学時代の留学経験で培われました。行動力に溢れる吉田さんの「後悔のない選択」を支える「自分軸」がどのようにできあがったのかが伝わるファイルです。どうぞご覧ください。

第4回 吉田 礼さん  (2014年卒業)

◇伝える仕事


 私は2014年に神奈川学園を卒業し、現在は国内外のニュースを扱う通信社で働いています。取材した情報を発信する、マスコミといわれる業界です。役割は新聞社とよく似ていますが、通信社には新聞のような媒体がなく、記事や写真を商品として新聞・雑誌・テレビなどのメディアや企業に向けて販売しています。渋谷・スクランブル交差点の大画面でもニュースを流しており、日常的に皆さんの目に触れる機会も多いかもしれません。

左下 カメラを構える吉田さん

入社して最初の2年間は「報道カメラマン」として事件事故の現場やスポーツの写真を撮る仕事をしました。たとえば新型コロナウイルスの流行が始まった2020年2月には、乗客の感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」を連日撮影。防護服を着た医療従事者が入っていく姿、救援物資が運び込まれる場面、船を下りた乗客がバスで空港に向かう瞬間を記録しました。

昨年の春からは富山支局で記者をしています。物事の一瞬を切り取るカメラマンとは異なり、記者の仕事は日々の取材で積み重ねた情報を文字にするという地道な作業です。取材する分野は、私たちの暮らしに関わる行政の取り組みから選挙、裁判まで。県内の出来事を幅広く取り上げています。

名刺1枚で誰にでも会うことができ、自分の興味があることをとことん掘り下げられる魅力がある反面、葛藤も付きものです。たとえば事件や事故が起きた時には、記事の中で被害者や加害者の名前を出すかどうか、写真を撮るかどうか、遺族の心にどこまで踏み込むかなど、日々悩みは尽きません。

時に報道は人の命に直結するため、正しい情報をいち早く発信しなくてならないという大きな責任がありますが、世の中の動きを最前で見て伝えられることにやりがいを感じています。


◇気づきから生まれた問題意識


今の仕事をする上で大きな原動力となっているのは、「伝えることで何かを変えたい」という気持ちです。在学中は自分が記者になるとは想像もしていませんでしたが、振り返ってみると高校2年生の国内フィールドワークが原点だったのではないかと思います。

 私は沖縄を選択し、沖縄戦や米軍基地問題について学びました。事前学習で十分に理解していたつもりでしたが、現地でジュゴンの保護を訴えて辺野古への基地移設に反対している方のお話や米軍機の大きな音を聞いて、はっとしました。知った気になっていただけで本質が見えていなかったのです。その場に立ってようやく「もし自分がその時代に生きていたら」「もし自分が沖縄に住んでいたら」という視点で考えることができました。


現状をどうしたら変えられるか、ひと事だと思っている人に伝えるにはどうすればいいかという問いを持ったのもその頃です。その答え探しは伝える側になった今でも続いています。自分で足を運んで見聞きし、問い続ける姿勢を心がけることも変わっていません。長い時間をかけて社会の課題に向き合い、最後まで考え抜く過程で問題意識を持てたからこそできているのだと思います。


◇開けた世界


もう一つ、学園生活で新しい道を切り開いてくれたのはオーストラリア研修です。中学に入学して初めて英語に触れた私にとっては、日本語が通じない環境も1週間の海外生活も、全てが新鮮でした。電子辞書を片手にジェスチャーを交えながらホストファミリーと話をしたのがいい思い出です。

会話をしていて印象的だったのは、その都度自分の意見を求められたこと。もちろん英語力の問題もありましたが、意見をスムーズに言えないことがもどかしく、それまで意思表示をする習慣がなかったことに気づかされました。

また、オーストラリア滞在中に東日本大震災が発生したことも忘れられません。突然呼ばれてリビングに行くと、津波が町をのみ込む映像が目に飛び込んできました。家族や引率の先生ともすぐに連絡が取れない状況で、なんとか情報を得ようとテレビにかじりついて見たのを覚えています。

ホストファミリーとの再会

不安が募るなか、ホストファミリーや現地校の生徒は私たちに励ましの言葉を掛けてくれ、帰国の際には日本の状況を心配してたくさんの食べ物を持たせてくれる人もいました。言葉が通じなくても海を越えた国のことを思ってくれる人がいるというのがとても不思議でした。

毎年3月11日を迎えてそれぞれの体験を耳にする度に、その時日本にいなかったことを「負い目」のように感じることもありましたが、情報がない怖さを痛感し、人の温かさに触れたことは何にも代えがたい経験です。

 この研修をきっかけに世界に目が向くようになり、「英語を使えるようになりたい」「異文化を理解したい」という目標ができました。はじめは漠然としたものでしたが、目標は将来の自分を思い描き、受験勉強を乗り越える上で助けになりました。

 大学進学後もその思いは変わらず、ボランティア、留学、旅行を通して世界中の人と出会いました。特に大学生活の半分以上を過ごしたアメリカで多人種の同級生と共に学び、苦労や達成感を分かちあったことは大きな財産です。


◇メッセージ


 大学生の時、いろんな興味関心が湧くあまり、自分が本当にやりたいことが分からなくなった時期がありました。当時の私は国際機関で働くことに憧れていて、そのために留学し、大学院に行き、インターンをするというように物事を逆算して先ばかりを見ていました。

そんな時に教授がしてくれたのが「点と点はつながり線になる」という話です。正直なところ半信半疑でしたが、「今やっていることはいずれつながるから目の前のことに集中すればいい」というアドバイス通りにしてみると、視野が広がり多くの選択肢が見えるようになりました。気づけば国際学部からジャーナリズム学部に転部し、報道機関を目指すようになって今に至ります。

過去の出来事が現在に結びついていると感じることもたくさんありました。たとえば、大の苦手だった数学の授業や頑張っても結果が出なかった部活動。どちらも苦い記憶で当時は「本当に意味があるのだろうか」と何度も思いましたが、粘り強く取り組んだという事実が今でも苦しい時に背中を押してくれます。

 そして神奈川学園で一貫して教わった自ら考え、行動すること。それはまさに大学や社会に出てから求められる力だったのだと分かりました。高校を卒業すると自分ひとりで判断しなければいけない場面が増え、その結果は自分次第で良くも悪くもなります。そんな中で私がこれまで後悔のない選択をしてこれたのは6年間で培われた「自分軸」があったおかげです。

在校生の皆さんには、ぜひ回り道をしながら多くのことを吸収してもらえればと思います。今意味が見い出せないこともいつか役に立つ時がくるはずです。「KGらしさ」はきっと将来の自信になります。

◇年表プロフィール


2008.4 神奈川学園中学校 入学

2011.3 神奈川学園中学校 卒業

2011.4 神奈川学園高等学校 入学

2014.3 神奈川学園高等学校 卒業

2014.4 明治学院大学国際学部

       国際キャリア学科 入学

2015.8 サンフランシスコ州立大学

留学

2018.5 サンフランシスコ州立大学

       ジャーナリズム専攻 卒業

2019.3 明治学院大学国際学部

       国際キャリア学科 卒業

2019.4 時事通信社 入社


2022年1月