卒業生ファイル

KANAGAWA GAKUEN

「卒業生ファイル」第3回は、本校で教鞭をとっている齊藤あずささんです。個性豊かな友人たちに囲まれて、多感な思春期を神奈川学園で過ごすことで「違いや個性を大切にしながら次代を担う生徒たちと関わりたい、「学び」の魅力を伝えたい」と強く願うようになりました。神奈川学園入学前の期待感、中高時代の思い出、社会科の教員を志すきっかけ、現在教員として大事にしていることを丁寧に思い出してくださいました。先日NHK・ETV特集で取り上げられた元第五福竜丸乗組員・大石又七さんとの出会いも含めて、様々な気づきが現在の齊藤あずささんを支えています。ご一読ください。

第3回 齊藤 あずささん (2000年卒業)

「学園の思い出」

 私にとって神奈川学園は、中高6年間と、その後教員として戻ってからの時間を合わせると、人生の半分以上を過ごした場所となりました。これほど長い時間を過ごした場所は、他にありません。特に中高の6年間は、忘れられない色濃い時間でした。うまく表現することが難しいのですが、私にとって中高6年間の学園生活は、「自分を好きになれた時期」「人と人との関わりに希望を持てた時間」・・・「人間・社会・世界に関心を広げることができた時期」・・・でしょうか。


<神奈川学園との出会い>

 学園に入学する前は、「自分」という存在の置き方がわからなくて、ふわふわと不安な中を漂っていたような気がします。小学校高学年ころから、友だちと関わることが急に複雑に思えて、どうしたらいいのかわからないまま、不安な気持ちを抱えてできるだけ目立たないように息をつめて存在していた・・・そんな日々をうっすらと覚えています。その頃の私は現実世界よりも、物語の世界に夢中になり、そこが「生きる場所」でした。でも小学校の教室では本を読んでいる姿さえも逆に目立ってしまうのではないかと不安で、家で本を読んでいる時間が一番幸せでした。できればその安全な場所から出ていきたくないとすら思っていました。

 それが大きく変わったのは、神奈川学園の入学試験のときのことでした。当時は面接試験があったのですが、そこで趣味のことを質問されて、ドキドキしながら「本を読むことと、物語をつくることです」と答えたとき、試験官の先生がとてもあたたかい笑顔で、「それは素敵ですね」と身を乗り出して言ってくださったのです。その言葉を聞いた瞬間、私は丸ごと自分自身を認めてもらった気がして、ものすごくほっとしたと同時に、「私はここに入りたい」と強烈に思ったことを今でも覚えています。

 入学準備説明会のときのことも鮮明に覚えています。中学校って風紀や規則が厳しそうだなと緊張しながら説明を聞いていた私たち新入生の前で、壇上で説明してくださった女性の先生が、「髪を染めたり、パーマをかけたりすることはだめですよ。ああ、でも」と、そこからちょっと声を潜めて、「寝癖がひどいときにカールするくらいはOKですよ」とおっしゃって。茶目っ気たっぷりににっこりされたその時、緊張で固まっていた私たち新入生の空気が一気に和んだのを覚えています。あたたかい安心できそうな場所・・・それが私の学園の第一印象でした。

 入学してからも、その印象は変わりませんでした。先生方がこまめに声をかけてくださったり、通信をつくってクラスの生徒の声を共有できるように工夫してくださったり。定期的に行われる面談のときには、先生とお話しするのがうれしくて、ついつい横道にそれながらいろいろなおしゃべりをしてしまいました。

 そのような雰囲気の中で出会った友人たちとも、自然に、穏やかな関係をつくることができました。小学校時代と比べると、何だか拍子抜けするくらい穏やかな日々。同じ学園を選び、同じように世間知らずで、同じように不安や悩みを抱える中学時代の私たちは、同じ教室で同じ時間を過ごすことで、ゆっくりと知り合い、互いの存在を認め合えるようになっていきました。たくさんの「同じ」がある一方で、一人ひとりが全然違う考え方や個性があることに気づいても、それが逆に面白くて、「全部同じでなくてもいいんだ・・・」ということに気づきながら、肩の力が抜けていったように思います。

<安心して「自分」を耕せた中学時代>

 私は中学1年生の時、たった一人で生物部に入部しました。小学校のころだったらそんな勇気はなかったかもしれないのですが、「面白そう!」という自分自身の感覚を最優先していいのだ、という、そういう雰囲気が学園にはありました。演劇が大好きで普段から演技かかったように話をする友人もいましたし、サッカーに夢中でサッカーサークルを立ち上げようと署名を集めている友人もいました。

 それぞれがそれぞれの好きなことを「好きだ」と言える安心感。私も大好きな本を、誰の目も気にせずに読むことができるようになりました。私は海外の文学作品が好きだったのですが、他に同じジャンルの本を好きな友人は周りにはいませんでした。でも、それはそれ。趣味が違っても友人として仲良くなれるのだ、という、今考えたら当たり前のことですが、当時の私にとってはそのことがとてつもなく幸せなことに感じられました。

 

<教科の魅力を伝えたい・・・教職を選ぶ土台となった高校の授業>

 「好きなこと」「夢中になれること」を互いに尊重できたのは、実は先生方の存在が大きかったのだと、あとから分かりました。学園の先生方は、各教科のことを本当に面白そうに語り、教えてくださいました。ケルト文化やゲール語文学のことを熱く語ってくださった英語の先生。古典の主人公にまるで恋しているようにうっとりと話してくださる国語の先生。有機物と無機物について延々と語り続けてくださる理科の先生。現代の世界をどういう視点で切り取るべきかを教えてくださった社会の授業は、まるで激しい舞台を見ているような時間でした。・・・先生方が全力で伝えようとしてくださる教科の魅力に、私たち生徒は圧倒され、いい意味で巻き込まれていきました。「数学の世界は美しい!」と熱く語るようになった友人もいましたし(残念ながらその美しさを私は理解できませんでしたが)、評論の解釈について「納得がいかない!」と国語の先生に議論をしに行く友人もいました。

<「社会」から学ぶ・・・大石又七さんとの出会い>

 また、学園の先生方は私たち生徒に「社会と出会う機会」をたくさん与えようとしてくださいました。文化祭や修学旅行で、本物に触れる機会・直接お話を伺う機会を与えていただきました。それらの出会いの中に、第五福竜丸の元乗組員であった大石又七さんとの出会いもありました。中学2年生の私は新聞記事で大石さんのことを知りましたが、そこから新聞社に電話をして大石さんにお手紙を書くところまで、背中を押してくださったのは、当時の担任の先生でした。

 中高6年間の様々な場面で、社会で活躍する人に出会ったり、社会の問題点に触れたりする機会があり、そのことが「社会の中で自分はどう生きていくのか」という問いにつながっていった気がします。

<教師として目指したいこと/在校生へのメッセージ>

 今、学園で教員として生徒たちの前に立ちながら、私自身はあの時の先生方のように安心して好きなことを好きと言える教室をつくることができているだろうか?私が思う学ぶことの面白さや感動やわくわくする感じを十分に伝えることができているだろうか?と自問する日々です。

 思いきり「興味あること」に没頭してみること。そして社会の中の一人としての自覚をもって、自分自身の興味関心を広げたり深めたりしていくこと。そういうことを安心してできる時間が、中高6年間だと思っています。今、とても大変な時代ではありますが、こういう時代にこそ、次の新しい社会・世界を作り出していくためのエネルギーが充電されているのだと感じます。この時代に10代を過ごす生徒のみなさんには、目の前のいろいろな授業や行事(できなくなってしまったものも含めて)から、あるいは社会・世界の諸問題から、自分が興味を持てることや問題意識を持てること、「面白がれる」何かを探しだしてほしいなと思います。

 安心して問題意識を持てる環境を、安心して「面白がれる」環境を作り出していくために、私自身はこれからも学園の教員として努力していきたいと思っています。 

2021年11月