卒業生ファイル

KANAGAWA GAKUEN

第1回 五大 路子さん (1971年卒業)

 「卒業生ファイル」第1回は、全国的な知名度を誇り、横浜を代表する俳優・五大路子さんです。NHK朝の連続テレビ小説『いちばん星』で主役デビューした後、『独眼竜政宗』『蝉しぐれ』など多数のテレビや舞台に出演。1996年にはひとり芝居 『横浜ローザ』で横浜文化奨励賞を受賞。1999年には「横浜夢座」を旗揚げし、横浜から演劇化を発信し続けていらっしゃいます。2012年に横浜文化賞、2015年には神奈川文化賞を受賞されました。著書には『白い顔の伝説を求めて ~ヨコハマメリーから横浜ローザへの伝言~』『ROSA 横浜ローザ、25年目の手紙』があります。


 五大路子さんプロフィール

 五大路子さんには、神奈川学園での思い出、演劇を専門的に学ぶことになったきっかけをはじめとし、在校生へのメッセージを語っていただきました。

〈のびのびとチャレンジできた中学時代〉


 神奈川学園にいたからこそ、今の自分がある、と私は思っています。私は、のびのびとした元気な子でした。中1で書道部、中2から演劇部に入りました。書道部の先輩である末廣博子さんは、夢座の題字を書いてくださっています。中2からは生徒会に入り、校庭に台を置いて立会演説をしました。「学校を良くしたい」という思いで始めたことですが、それまでそのようなことをした生徒はいなかったので、とても驚かれました。その他にも詩の同好会を立ち上げるなど、そのようなのびのびと、チャレンジしてよい、という雰囲気が学校の中にあって、先生も含めとても家庭的な雰囲気を感じていました。「のびのびと」と言いましたが、それはただの自由ではない、特別な家庭的な雰囲気で、そこに自分の土台があるように思っています。

〈神奈川学園に感じていた「家庭的な」居心地の良さ〉


 家庭的な雰囲気をもう少し説明すると、先生方は「とても立派な存在」であるのに、生徒一人ひとりと対等に向き合ってくれました。詩を書いて、ある先生のところに持っていくと、いつも頭から否定されるのではなく、対等の立場で感想を言ってくださいました。そこに私は感激しました。とっても立派な先生方なのに、自分のことをまず受け止めてくれる、その豊かな関係を大事にしてくださることがとても嬉しかったです。

 学校の中で色々な同好会を立ち上げ、生徒会活動を行いましたが、その中でも「生徒の群れ」という集まりを作りました。それは社会に対して「おかしい」と思うことを「おかしい」というための集まりでしたが、それも認めてもらえたのです。また、文化祭で「家永裁判」を扱いたいと実行委員会に申し入れたら許可されて、展示発表を行った時、佐藤実校長先生が展示室にいらっしゃいました。私は調べたことを一生懸命伝えたのですが、実先生は最後までしっかり聞いて、「(家永裁判をしなければならない状況は)おかしいね」と感想を言ってくださいました。一人ひとりの生徒に目を向けて、耳を傾けることが実践されていて、とても感激したのを今でも思い出せます。

〈高校1年生の時の出来事〉


 そのように活発に学校の中で様々な活動をしていた私にとって、忘れられない出来事があります。高校1年生の時、転校してきたお友だちと視聴覚室で話をしていた時、無断でそこにいたためか、先生が入ってきて、「ここから出て行きなさい」と、そのお友だちの腕をつかんで連れて行こうとしました。私がそれを止めようとした時に、同じようにそこから出るようにと言われ、その時に私の心の中で何かが壊れる音がしました。その一件がきっかけで私は学校に行くことができなくなりました。それまでは生徒会の役員をして、いわゆる「良い生徒」でしたので、とても驚かれました。

〈演劇との出会い〉


 学校には部活動のために登校するという日々の中で、桜木町の青少年センターで行われていた「演劇講座」に出ておりました。そこで、「野口体操」を提唱していた野口三千三(みちぞう)先生と出会い、「あなたの中に起こったことを大切にしなさい」と繰り返し教えられました。その頃の私は人も自分も信じられなくなっていた(笑わなくなっていた)のですが、野口先生に「自分を信じてやってごらん」と励まされて、逆立ちに挑戦したりする中で、「世界でたったひとつの私という身体、私の心、それを土台に表現をしてみたい。生きてみたい。自分という体を通して表現したい」という思いが強くなっていったのです。そして俳優という職業を選びました。自分が感じた事を大切に、例えば、同じものを飲んだとき、周りが「苦い」と言うとそれに合わせたくなりますが、自分が「ほろ苦い」と思えば、その「ほろ苦い」を大事にし、「甘苦い」と思えば「甘苦い」と思ってよいのだと教わりました。後年NHKの番組でお会いした時に、先生は「今も16歳の頃と変わらず、真っすぐに、純粋に、自分の中に起こるものを探し続けていってほしい」と仰いました。私はその言葉を今でも大事にしています。

〈今でも繋がっている、母校の仲間たち〉


 神奈川学園での高校時代には、学校に登校しないということを含め、先生方に反発した時期もありました。職員室前の床に友だちと二人で座り込みをしたこともあります。そんな時でも「冷たい床に座っていたら身体に悪い。子どもを産めなくなるかもしれない」と心配して下さる先生もいらして、やはり神奈川学園は、色々な形で一人ひとりの生徒を大事にしてくれていたのだと思いました。現在も母校の絆は繋がっていて、夢座を支えるボランティアグループを取り仕切ってくれているのは、演劇部で一緒だった岡安康子さん、塚田裕子さん、岩崎恵さん、境野真里子さん、吉富秀子さんの仲間たちです。応援をしてくれるガラス工芸作家の野口真里さん。舞台のタイトル文字を書いてくださっている末廣博子さん、夢座セミナーに参加し夢座のメンバーとなった後輩の演劇部長・伊藤はるかさん。このご縁の輪は大切なもので、私は今でも母校に支えられています。

〈女子教育の意味を考えてみると...〉


 今、SDGsという指標をはじめとして、ジェンダーを意識する社会に変わってきています。私が育った時代は「女性だから...」と言われ続けた時代ですので平等というのは大切なことだと思います。そう思いながら敢えて言うと、「女性だから」の「だから」を「ならでは」に置き換えてみたいです。「女性ならでは」のしなやかさや優しさ、感受性の豊かさを大切に育んでいけたら、と思います。男女に違いはあります。だからこそ「女性ならでは」と言葉を置き換えるとプラスイメージになりますので、「女性ならではの資質」を大事にしていきたいと思います。

〈在校生へのメッセージ〉


 自分というものを徹底的に探してみてください。自分の中に起こることを、一厘でもずらすことなく、感じて大切にしてください。自分を信じて。

横浜夢座チャンネル:https://www.yumeza.com/

2021年5月