「そろそろ見えてくると思うぞ」
父さんの言葉に、僕は宇宙船の窓へ駆け寄った。外を覗くと、硝子を一面に散らしたような星の海が果てしなく広がっている。美しいが最早見慣れた、代わり映えのしない景色だ。
「お兄ちゃん、抱っこぉ」
舌足らずな声が足元から強請っている。見下ろすと妹が待ち切れないと言わんばかりにぴょんぴょん飛び跳ねていた。まだ身体が小さいから、窓に身長が足りないのだ。抱き上げて外を見せてやると、子供らしくはしゃいで甲高い歓声を上げた。
「こら、静かに。他の皆さんに迷惑でしょう」
「はぁい」
母さんに言われ、妹は大人しく口を閉じた。この船には、僕たち家族の他にもいくつかの家族が乗り込んでいる。2年前、国という国を巻き込んだ戦争が起こり、愛する母星は汚れ、破壊し尽くされ、遂に僕たちが住むことの出来ない死の星となってしまった。この負の歴史を心に刻み、まだ見ぬ新天地で再出発しようと、僕たちは旅立ったのだ。だがその旅ももうじき終わる。つい数日前、奇跡的に水や酸素が豊富にある、理想的な惑星が見つかったのだ。宇宙船暮らしも思ったより悪くはなかった。でも、光速移動する間も揺れを最小限に抑え、重力もほぼ完璧に再現されている環境とは言え、やはりそろそろ地面に足をつけて歩きたい。
「ほら、見えるだろう。あそこに見える青い星がそれだ」
「あれが?きれい・・・」
それは、思わずそう漏らしてしまうほど美しい星だった。近くで輝きを放つ恒星に照らされて、黒い宇宙にぽかりと青く浮かんでいる。あれが、僕らの新しい母星となるのだ。
「水も酸素も十分、気候もちょうど良いくらい。俺達はツイてるぞ。どうやら下等生物がいくらか生息しているらしいが、まぁ駆除すれば問題ないだろう」
父さんがこちらを振り返る。その顔の中心部に散らばる無数の眼のそれぞれに、青い星が映り込んできらきらと光っていた。僕が3本の腕でしっかりと抱えた妹が、5本の短い脚を興奮でばたばたさせる。
「懐かしい زَيْتُونٌ 銀河から遥々ここまで、長い旅だったわね」
「あぁ、本当にな。ذِرَاعٌ惑星で宇宙生物に襲われた時はもう駄目かと思ったよ」
「مَتْحَفٌ衛星で船が故障した時もね」
「あぁ、あれは大変だった」
母さんも興奮した様子で、触腕をたなびかせながら言う。父さんがそれに絨毛をそよがせて同意を示した。そして父さんが言う。
「送り込んだ調査機によると、あの星の名は『地球』と言うらしい」
「お前の娘を預かった。無事に返して欲しけりゃ日没までに1億円用意しろ」
「何だと!?・・・分かった。分かったからせめて1度、娘の声を――」
切実な男の声を無視して、俺はわざと電話を乱暴に叩き切った。旧財閥のご令嬢が1人で夜遅くに外出するたぁ、不用心にも程がある。『誘拐して下さい』ってツラに書いて歩いてるようなモンだ。これぞカモネギって奴だな。顔のニヤケが止められない。
そう言えば当のガキはどうしているだろうか?
俺は薄暗い廊下を歩き始めた。元は学校だったらしいこの建物は、今や俺の根城に等しい。迷うことなく、かつては体育倉庫だったであろう鉄の扉に行き着いた。鍵を開けて引き開ける。暗闇の中に少女がうずくまっているのが見えた。
「よぉ嬢ちゃん、気分はどうだ?」
声をかけられて、少女が顔を上げる。色白な肌に艶やかな黒髪、中々に整った可愛らしい顔をしている少女は、きゅっと目尻の上がった大きな目でこちらを睨みつけた。
「良いわけないでしょ?さっさと家に帰してよ」
中々の剣幕に俺は面食らった。てっきり沈み込んで泣いているとばかり思っていたのに。
「どうせすぐにパパが助けてくれるもの。そしたらアンタなんてすぐ刑務所行きよ」
令嬢の名に違わぬ高飛車な物言いに、俺は思わずほくそ笑んだ。
「残念だが、お前の父親はもう身代金の支払いに同意してるぞ」
「嘘!!そんなわけ・・・!!」
「そういうことだ。悪いが静かにしててくれよ?五体満足でお家に帰りたけりゃな!」
顔を俯けて黙り込んだ少女に勝利感を覚えつつ、俺は非道そうに言い放って立ち去った。
何だ、気ぃ強そうなガキだと思ったけど大したことねえな。と、思った時だった。
最初は気のせいかと思った。だが違う。足音だ。何やら沢山の人間の、足音がする。
「何だ何だ、誰が入ってきやがった――」
瞬間、俺のいた部屋の扉が轟音を立てて吹き飛び、床に叩きつけられて板チョコのようにバッキリと割れた。そして列をなして雪崩込んできたのは、黒い防護服にヘルメットを付けた集団。目を射るほど白い字で書かれた「POLICE」。――サツだ!!何故ここに!?
「ったく、とんだ目に遭った」
俺は眼を見開いた。サツに続いて、閉じ込めていたはずの少女が入って来たのだ。
「おい、これはどういうことだ!?」
声を荒げて叫ぶと、少女はガシガシと頭を掻いていた手を止めて、憐れむような呆れ顔で俺の方を見た。
「私に訊くかそれ?・・・お前はな、旧◯◯財閥邸付近でたまたまここ数日張り込みしてただけの私を、そこのご令嬢だと勘違いして誘拐してきたんだよ」
二の句が継げない俺を見て、少女改め女刑事は呆れ顔をやめてニヤリと笑った。
「童顔も役に立つもんだな。私はこれでもいっぱしの警察官だ。仕事柄スマホは2台持ちしててな。お前に取られなかった方で通報も済ませ、財閥邸の方にも協力して貰って、確実にお前を逮捕できるように一芝居打ってたんだよ」
広げられた警察手帳に、やっと理解が追いついてきた俺の身体が震え始める。
「にしても、わざわざ刑事を誘拐するなんて、とんだカモネギ野郎がいたもんだ」
こんなはずじゃなかったのに!!
そう思いながら俺は暗い廊下をひた走っていた。バタバタ鳴る俺達の足音、ゼイゼイという俺の息で、周囲の音はほとんど聞こえない。横腹が槍で刺されたように痛む。日々の運動不足を呪うが、今更どうしようもない。
「おいリョウ!大丈夫か!?」
「頑張れ!もうそこまで来てるぞ!」
「追いつかれる!もっと速く!!」
前を走るコウヘイやソウタ、ケンイチが叫ぶ。出来るもんならやってるよ!!と心の中で反駁するが、口に出す元気はなかった。ただゼイゼイと喉が鳴る。
俺達3人はただ、近頃「幽霊が出る」と噂の廃病院に、ソウタの提案で配信をしに来ただけなのに。俺は走りながら首をねじって後ろを振り向く。ヤツがいる。嗤っている。女だ。お決まりの白い服に長い黒髪。ぼさぼさに乱れた髪が半ば顔を隠している。特に走っている様子もないのに、ずっと後ろにいる。ずっと付いてくる。こちらを、じっと、見ている。
そして女は、細い首をこきり、と90度右に曲げた。髪がばさりと揺れる。顕になった白い顔と白目のない真っ黒な目、禍々しい真っ黒な口の中を見せて、女はケケケケケケケッ、と声を立てて嗤い出した。
「ひぃ・・・!」
ケンイチが引き攣った声を上げて、益々スピードを上げる。
「おい、待てよ!俺のこと、見捨てる気か!?」
苦しい息の中で必死に叫ぶ。だがケンイチは後ろを振り返ることもしない。おい、ここには俺達2人しかいないんだぞ。味方なのはお互いだけじゃないか。それを見捨てるなんて。
その瞬間。視界が痛みとともに歪んだ。目に汗が入ったのだ。俺は両目を手でグイグイと拭う。更に目を何度も瞬かせて、やっと視界がクリアになってきた。すると。
目に飛び込んできたのは、口だった。大きな口がぱかりと開いている。嗤いを浮かべた、巨大なあの女の顔が廊下をいっぱいに埋めているのだと気付いた時にはもう遅かった。
あーん。
視界が暗転して、ぶつりと意識が途切れた。
ゴチソウサマデシタ。
ある日の学校帰り。その顔を見て、私はぎょっと目を見開いた。アイツも気付いたらしく、「うげぇ」という表情でこちらを見ている。そして私たちは同時にこう叫んだ。
「「またお前かーー!!!!」」
私たちの出会いは、ざっと1000年前まで遡る。
時は平安。明確な身分というものが存在した時代に私たちは出会い、そして恋に落ちた。しかし私は貴族の姫で、彼は平民。今世では結ばれないと知った私たちは、神仏に願った。
「どうか来世では、君の運命になれますように」と。
そして生まれ変わった私たちは出会い、すぐにまた恋をした。何度も、何度も。
「またお前のツラを見るなんて今世もツイてねぇな」
「それはこっちのセリフだわこのコンコンチキ」
しかし、しかしだ。1000年もの間一緒にいると、流石にお互い、飽きてくるのである。欠点だって山盛りに見えてくるものだ。「千年の愛も冷める」とは良く言ったもの。
「私今世こそはアンタ以外と恋愛するから、そこんとこヨロシク」
「おーそれこそこっちのセリフだ。つか今は他人だし。もう会うこともないだろ」
無言で頷き合い、じゃ、とお互い手を振って背を向ける。私は横断歩道を渡り始めた。
それにしても、ここまであっさり別れたのは初めてだ。私は今のアイツの名前すら知らない。もう、顔を見ることもないかも知れない。
そう思うと私はつい振り返り、去っていく背中を見つめていた。それが、いけなかった。
「危ない!!」
誰かが叫んで、車が見えた。目の前に、ハンドルを握る男。見開かれた瞳と目が合った。
「■■■!!!」
アイツの声がした。遥かな昔、私たちが初めて出逢った頃の、懐かしい名前で呼ばれた
・・・ような気がした。――あいつ、覚えてたんだ。
次の瞬間身体に衝撃が走り、視界が反転して、ぷつんと真っ暗になった。
「っったくお前は心配かけやがってーー!打ち身だけってどーいうことだよ!頑丈かよ!」
「ごめんて。いや待て、私何も悪いことしてないな。謝る義務はないなこれは」
「うるせぇ屁理屈こねんな」
理不尽な罵倒と共に理不尽なチョップを脳天に食らい、私は口を尖らせる。病院のベッドで身体を起こしている私のベッドサイドに腰を下ろしたのは、何故かアイツだ。そしてヤツは、はぁぁぁぁぁぁっと特大のため息をついて、不貞腐れたような目でこちらを見た。
「・・・やっぱお前は元気でいてくれなきゃ困るわ」
「・・・何、それ」
「分かんだろ、何年の付き合いだと思ってんだよ」
手を強く握られて、思わず心臓が跳ねた。私のより少し大きくて、分厚い。そして温かい。何度身体が変わっても、このぬくもりは変わらない。何度も恋して、愛した彼のまま。
「・・・まずは、今の名前教えてくんね?」
「・・・アンタのも、教えてくれるなら」
1000年続く、鬱陶しい運命。でもきっと私は、今世もまたコイツに恋をするのだろう。
けたたましくサイレンが鳴っている。
「なぁ、ホントにそれ使えんのか!?」
「分からん!正直『全く自信はないがやらないよりマシ』というレベルだ!」
「嘘でもイケるって言えよこんな状況なんだから!!」
俺達は真っ赤に染まった空の下、ぎゃいぎゃいと言い合っていた。毒々しい色をした上空には巨大な機械の塊が浮かんでおり、ひっきりなしに光線を発射してこの街を焼き払っている。まるで害虫駆除でもしているかのようだ。
「仕方ないだろう!確かに俺は天才発明家だが、時を超えて未来に情報を送るなんてことがホイホイ出来てたまるか!」
「お前がいつ天才になったんだこのマッドサイエンティスト!!」
「生まれた時からだ、幼馴染兼助手なら知ってるだろう!」
一通り怒鳴り合って――なんせサイレンがうるさいから声を張り上げないと聞こえないのである――俺達はハァハァと息を整える。するとサイレンがブツッと途切れた。遂に市役所もやられてしまったのだろう。この街で俺達の他に生き残りはいるのだろうか。
「・・・で、どうすりゃ良いんだよ」
俺が問うと、幼馴染でもある自称・天才科学者は、手の中の小さな機械を俺に見せた。
「この機械は、ここの青いスイッチを押すと、半径100m圏内で3日以内に起こった出来事をランダムに5つ選んで記憶することが出来る。更にこの赤いスイッチを押すと、何ときっかり100年前にタイムワープし、記憶した情報を発信するという大発明品だ」
肩をそびやかす回答者に相反して、返ってきた答えに俺は思わずガクリと俯いた。
「そこランダムなのかよ・・・3日以内に半径100m圏内で起こった出来事5つって、空飛んでる鳥とかすらコミじゃねえか。成功率バカひっっっく。いくら過去に状況を伝えてこの未来を回避しようったって、全く関係ないやつが選ばれちまったら全くの無駄足だろ」
「だから言ったろう。『全く自信はないがやらないよりマシ』だと」
「あれ文字通りの意味だったのかよ・・・」
肩を落とす俺に構わず、ヤツは胸を張ってドヤ顔をする。どんな精神状態なんだコイツ。
「勿論だ。それと追加情報だが、1つの出来事につき伝えられる情報は、文字にしてざっとA4の紙1枚分ほどだな」
「みじかっっっっ!!!え、もうそれ無理だろ地球滅びただろこれ」
「何だ情けない。もしこの場面が選ばれたらお前の情けないツラ過去の誰かに大公開だぞ」
「普通に考えてそんなミラクルねぇだろ・・・」
「いやいや、もしかするとあの宇宙船の内部映像が選ばれるかも」
「益々ねぇわクソ野郎・・・」
諦めモードになっている俺の前で、コイツは謎に自信満々だ。マッドサイエンティストは手の中の小さな機械に語りかける。届くと信じている百年前の誰かに向かって。
「と、いうわけだ2024年の諸君。2124年、この星に宇宙人が侵略してくる。確認されている宇宙人の容姿は、5本の腕に3本の足、顔と思しき所に多数の眼だ。対話の余地はない。奴らは地球を乗っ取る気だ。この最悪の未来を回避するため、5つの情報を君に贈る。
ランダムの中に有用な情報が1つでも入っていることを切に願いつつ、健闘を祈る」
――ブツッ
――イジョウ デ サイセイ ヲ オワリマス。 (完)
〜ここまで読んで下さった方へ、ちょっとおまけ〜
この物語はフィクションです。多分100年後に宇宙人は来ません。ご安心下さい。
この短編集の各章題、最初の1文字を拾い読みして頂き、私からの祝いの言葉とします。