月の輪のような心と美しさへ導く尼寺へようこそ
輝く優雅な美しい満月は満ち足りた曇りのない清浄な心を表します。
古より続く尼寺で体と心を癒し、本来の美しさに気づいてください。
当院は推古天皇の時代に甚目寺一山の甚目寺比丘尼所(尼僧の住まう坊)として創建され、建久七年(1196年)に甚目寺中興開山聖観上人が再興し、天正十年(1582年)に善光寺如来様が岐阜善光寺より甚目寺に遷座された際には、甲斐善光寺第三代の智慶上人が如来様を背負い奉って甚目寺に参られ当院も再興されたと伝わります。以来、甚目寺釈迦堂を代々お守りしてきたので、釈迦院と呼ばれるようになりました。
歴代の住職は皆、京都尼宮門跡の密乗山長福寺に学び、修行と学問共に優れ、長野善光寺の大本願尼宮様の如く堂々と甚目寺に相対し、一山で行事がある時は食事を釈迦院で整えていたとの口伝もあります。また、あま市出身(旧美和町菊泉院)の戦国武将、福島正則が武士となる前、甚目寺の普請で働き、智慶上人の世話を受け、正則は生涯その恩を忘れなかったと伝わっています。今でも正則から、智慶上人に宛てた手紙には当院より贈られた小刀三口の礼を述べると共に、年末には上洛し、会いに来られるよう伝えている礼状が当院に残されています。
江戸時代までは常に五,六人の尼僧様が住まわれ、中には公家の後家や豪商出身の丙午(ひのえのうま)年生まれ*の女性がみえたと伝わっています。歴代の住職は京都で学び、修行されたこともあり、学識や教養が豊かで、往事は尾張名古屋や諸国を漫遊する文化人が集まる場であると共に、当時自由に行動できなかった女性が集い、安心して話したり、学んだり出来る場所であったと残された資料から伺う事が出来ます。現在でも釈迦院には歴代の尼僧様の和歌が多数残っており、田中納言等江戸後期に活躍した絵師の襖絵や掛軸が所蔵されています。
このように釈迦院は長く女性の人生に寄添い、様々な願いに応える寺として、今日もその伝統を引き継ぐ場となっています。
*昔は丙午年生まれの女性は家を潰すと言われ結婚が出来なかった
◇当サイト内のすべての絵と文の転載はご遠慮ください◇